
山梨縣護國神社は西南戦争以来の山梨県関係のご英霊25047柱を祀る。

社号標と二の鳥居

一の鳥居は境内の西、社前を通る道路に立っている。

父の像

階段を上ると三の鳥居が立つ。

四の鳥居の先に拝殿がある。雨が降っていたので、雨音だけがする静寂の空間。

拝殿に参る。

拝殿左方の社務所で御朱印をいただく。

拝殿右方に慰霊碑などが並んでいるので順に見ていく。
祓戸、社はないが祓戸社と同じものなのか

戦没戦友之霊碑

招魂斎庭、場所がよくわからないが、竹に囲まれた空間がある。

日本赤十字社山梨県支部 愛の燈

傷痍軍人之碑

摂社山梨宮、戦後の6年間護国神社は「山梨宮」と称したが、現在の御祭神は改名時に合祀していた一世の亀鑑、師表と仰がれた民間人八柱を別に祀る社として創建する。加賀美光章命(学者)、志村天目命(心学者)、関戸左近命(郡内の義民)、金子重右ヱ門命、三沢重右ヱ門命(太桝事件主唱者)、長田圓右ヱ門命(御嶽新道開削者)、徳島兵右ヱ門命(徳島堰開削者)、くり女命(節婦)の八柱に、平成十一年より山梨県出身の殉職自衛官十一柱を合祀する。

舞殿

豫科練の碑

衣第三〇四一部隊 慰霊の碑

満蒙開拓青少年義勇隊之碑

満蒙同胞援護会慰霊碑

故満鉄李家義勇隊之慰霊碑

二井義勇隊之碑

硫黄島戦没者慰霊碑

軍神若林東一顕彰碑。若林東一は山梨県出身の歩兵第228連隊第10中隊長だった人物。将校斥候として敵陣地を偵察した結果、警戒が不十分なのを知り独断で敵陣地を攻撃、九龍要塞の堅陣ジン・ドリンカーズ・ラインを一夜にして抜くという偉功を挙げる。

山梨県海軍戦没者慰霊碑

鳩三〇六三部隊戦没者鎮魂之碑
山梨縣護国神社
山梨県甲府市岩窪町608