
配布場所・御城印・古戦場来場符一覧

カード一覧
いしかわ城郭カードチラシ(PDF)
一覧を更新しました。今回はカード3種、御城印2種の追加になります。
今年は正月に能登半島地震があり、その後は今までカード化した城郭の状況を確認していたため、昨年までに訪城した数城のみを作成します。年内にあおカフェ、花山亭で追加予定です。
能登半島地震の影響で能登の施設・店舗の営業時間が変更になっているところがありますので、ご確認のうえでお出かけください。

配布場所・御城印・古戦場来場符一覧

カード一覧
いしかわ城郭カードチラシ(PDF)
一覧を更新しました。今回はカード3種、御城印2種の追加になります。
今年は正月に能登半島地震があり、その後は今までカード化した城郭の状況を確認していたため、昨年までに訪城した数城のみを作成します。年内にあおカフェ、花山亭で追加予定です。
能登半島地震の影響で能登の施設・店舗の営業時間が変更になっているところがありますので、ご確認のうえでお出かけください。

本日7月31日から道の駅すずなりにて、いしかわ城郭カードの大谷則貞屋敷を配布開始しました。
大谷則貞屋敷は石川県指定史跡「平時忠卿及び其の一族の墳」に指定された五輪塔群が見どころですが、能登半島地震でどのような状況になっているか不明です。現地に入れるような状況になったら確認してきたいと思っています。
最終配布数
大谷則貞屋敷 Ver.1.0 200枚
現在、能登半島地震の影響で営業時間及び休業日が変更になっています。

石川県珠洲市野々江町シ部15番地
物販営業時間:10:00~15:00
休業日:月曜日、金曜日
道の駅すずなり(珠洲市観光案内所)のホームページ

12日に大聖寺城の状況を確認してきました。加賀市は震度5で海岸部に被害が出ました。

外周をまわって中心の本丸へ行こうとまずは東丸にあがりました。

鐘が丸

西の丸

三の丸

戸次丸

二の丸

本丸と地表の状況を確認しました。

明確な地割れ被害などはなかったものの、地表に草が生えていない場所が線のようになっている部分が見られました。
西の丸に1本南北方向に。線の東側を踏むと沈む感じがありました。

二の丸にも1本南北方向に。やはり東側が沈む感じがありました。
割れる直前で地中の密度が低くなっている状態だと想像されます。

それと別にいつの豪雨の影響か分かりませんが、曲輪や城内道の斜面の土が流れたような場所が複数ありました。地震後であれば地震の影響があったのかもしれません。

本丸櫓台の斜面は土が流れて残っている石垣が見えるようになっていました。

小丸山城址公園は立ち入り禁止区域はそのままですが、アジサイが見頃を迎えました。

のと里山里海ミュージアムの展示は再開しています。

企画展として能登半島地震で損壊した建物から文化財を救出する「文化財レスキュー」から、旧石動山の山内のお堂を移築したことを示す神社の棟札などを展示する「時代の記録 眠れるモノたちの囁き」が9月30日まで開催されています。お帰りにはぜひ館内のあおカフェにお立ち寄りください。
全国ニュースでは能登半島地震の被害現況を報道しなくなってきているので、石川県に観光に行っていいのかと判断に迷われる方も多いと思われますが、七尾市までは道路状況も全く問題ありません。宿泊施設はありませんが、再開した飲食店や観光施設は観光客が来ないので困っているところが多いです。まだ被害がそのままの場所もありますが、被災地に来て実際に見て感じていただき、ついでに応援消費していただきたいと思います。

鳥越一向一揆歴史館 企画展「鉄砲と一向一揆 出土物は語る」
2024年7月13日(土)~9月16日(月・祝)
開館時間:9時~17時(入館は16時30分まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は翌日)
今年の鳥越一向一揆歴史館の案内です。ぜひご来館ください。

20日に能登町の背継城の状況を確認してきました。

尾根にある軍勢駐屯場は集落の墓地になっていて、地震で墓石はほぼ倒壊していました。

内陸なので被害もないかと思っていましたがひと回りしたところ、二段になっている三の丸の下段に地割れを見つけました。

さらに上段と下段の間の法面が崩れていました。

本丸の城址碑は大丈夫だったものの隣の城址碑建立の経緯を刻んだ碑は倒れました。
本丸を含めて

二の丸

四の丸

狼煙台の各曲輪には地割れなどの被害は見られませんでした。

20日に能登町の松波城の状況を確認してきました。旧松波駅側から入ると東先端部の堀切で分断された2つの曲輪が目の前に現れるのですが、左手が大きく崩壊しています。

法面崩壊により曲輪の北裾に残っていた横堀が埋まってしまいました。土砂を除けるにしても横堀と土塁を破壊しないように注意してほしいところです。

堀切には公園整備の中で橋が架けられていましたが、橋の土台としての石垣や基礎に被害は見られませんでした。

法面崩壊した東先端部の曲輪に上る。崩れた上部にはまだ大きな亀裂が残っています。

曲輪にも地割れが何本もできていました。

「景徳台」の標柱近くにも地割れが走り、

標柱背後の北側端は地割れで少し崩れていました。この直下の道路に面する斜面も崩れています。

曲輪の東側端にも地割れができ、この曲輪は堀切のある西側以外の三方の端が地割れで崩れている被害の大きい状況です。

「音川亭址」の標柱は倒れて

深い地割れができています。(曲輪南側)

堀切を挟んだ城址碑の建つ曲輪は被害は見られませんでしたが、

西側に下りる階段は通行できない状況です。

一度南側に下りて庭園跡に向かいます。南側入口の標柱は無事でした。

昨年度から2年計画で庭園跡の史跡整備中だったようです。

旧国鉄能登線で分断した尾根に掛けられた橋は無事でした。

庭園跡入口に建つ大手門址の標柱は大丈夫でした。

庭園跡は建物礎石に石が並べられ、整備途中で作業が止まったままの空間が広がっています。

巨大なアカマツが倒れていましたが、地震によるものではなく昨秋に強風で倒れたそうです。庭園周辺には他に被害は見られませんでした。

20日にすずなりに行ってきました。

6月から営業時間は火曜日から木曜日と土・日の10時~15時に拡大されました。
月曜日と金曜日はお休みです。

建物東側の広場は仮設飲食店街を建設するため、旧珠洲駅プラットホームを含め立ち入り禁止になりました。合わせて東側道路からの進入もできなくなっています。

19日に二曲城の状況を見てきました。すぐに尾根筋に上がり三の曲輪、二の曲輪、主郭(本丸)と上って四の曲輪に下りましたが被害は見られませんでした。

三の曲輪

二の曲輪

主郭(本丸)

主郭から北方の鳥越城や眼下に歴史館が見渡せるはずなのですが雑木が伸びてきて視界が遮られていました。
歴史館に要望を伝えてきましたので、そのうち眺望は回復すると思います。

今日は雲がなく主郭から白山が見えました。

四の曲輪

2020年から金沢市埋蔵文化財センターで開催している「山城めぐりキーワードラリー」が増補版としてパワーアップしました。
「山城マイスター」養成講座に参加した金沢学院大、金大の学生4人が作成した「松根城攻略マップ」も金沢市埋蔵文化財センター窓口で受け取ることができます。

対象の城郭が6城から9城に増えたけど、景品は変わっていません。3城で特製ボールペン、5城(前回は6城)でオリジナルステッカーと測量野帳がもらえます。

増補版では白山市の鳥越城と二曲城、砺波市の増山城が増えましたが完全制覇ではなく、達成基準が5城に下がったので1日での攻略も可能になりました。鳥越城はまだ立ち入り禁止が続いていますがキーワードは入口の看板にあったので入手は可能です。
山城ガイドブックと松根城探訪マップを入手して、山城を巡ろう!

昨日小松城天守台の状況を確認してきました。もともと湿地帯に築城された城で、三の丸にあたる芦城公園にある小松市立博物館は建物に被害を受けて未だに休館しています。
天守台と堀沿いの石垣の一部が唯一同じ場所に現存する遺構になりますが、地震による被害はないようです。

堀沿いの石垣は少しずれているところもあるけど

上に被った土が崩れた様子はないので地震の影響はないように思えます。

天守台の四方の石積みを確認しました。

以前よりずれる可能性のある場所数カ所には検知用キットが取り付けられています。

キットは外れていないのでズレもないようです。

天守台上部を見に行きます。

上部に地割れは見られませんでした。
先月22日に輪島市の河井寺城比定地にあたる重蔵神社の状況を見てきました。テレビで見ているのとはあまりにも違う光景にどう伝えようか悩んでいましたが、多くの写真を掲載して未だにこういう状況であることが伝わればいいなと思います。

2007年の能登半島地震で鳥居が倒壊し、ようやく再建が叶った新しい鳥居はまた倒壊してしまいました。再建にあたり、新しい鳥居や無事だった灯籠には鉄筋が差し込まれていましたが、揺れで外れて落ちてしまいました。

境内を囲む玉垣も崩れてしまいました。

春祭りで使用する山車を収納していた山車倉庫は全壊し

中の山車は少し傷がついたものの無事救出されました。しかし、ブルーシートを被せて雨ざらしになっています。

氏子会館も全壊しました。

社務所はかろうじて建っている状態です。

境内にはボランティア用のテントが設置されていました。拝殿の瓦は大丈夫そうに見えますが向こうに傾いています。

末社は甚大な被害を受けました。稲荷社は残っているものの、隣の天神社は全壊して撤去されています。

子安社も全壊して公費解体がいつになるか分からないということでボランティアが撤去を始めているということでした。面識のある権禰宜さんと久しぶりにお会いして少しお話させていただきました。

拝殿が倒れないように支えが追加されています。

拝殿と本殿の間にまわると拝殿の戸が外れて散乱していました。

本殿はまだ被害が小さいようです。

本殿横に3棟建っていた末社もすべて全壊していました。

右手の白山社

中央の秋葉社

左手の金比羅社

朝市通り口の狛犬や神社標も倒れましたが、狛犬は大きく割れなかったのは幸いでした。

山県有朋氏の揮毫による神社標も折れなかったのは幸いでした。

輪島市中心部は朝市通りの火災焼失場所がクローズアップされて報道されたので周辺の状況は伝わっていないと思われますが、重蔵神社を出たすぐ前の建物は今にも倒壊しそうなほど神社のほうに1階が傾いていました。

朝市通りに続く道路沿いの木造の建物は倒壊したり傾いているものがほとんどで、住める状態の家屋はほんのわずかでした。

朝市通りの火災焼失場所にも訪れましたが、

実際にその場に立つと言葉を失います。しばし立ち尽くしてしまいました。

焼けた車も多く残されていて、住まいや店舗と一緒に移動手段をも失った方がどれだけいるのかと思わずにいられませんでした。
法律改正による滅失登記が済み、3日の余震を受けて手つかずだった焼失場所の公費解体が今日ようやく始まりました。

最後に河井寺の支配下の寺院があったと考えられる一本松公園の状況を見てきました。北側の階段に地割れが見られる程度で周辺の家屋の被害と比べると被害は少なかったです。

ブルーシートが目立つ家屋、マリンタウンに建ち並ぶ仮設住宅、隆起して船を出せなくなった輪島港、前回とは全く違う光景が目の前に広がっています。
去年まで重蔵神社に毎月参拝して御朱印をいただいていました。今はまだ倒壊した建物を撤去している段階ですが、今後必ず再建へと向かっていきます。しかし、拝殿は傾き、末社の大部分は倒壊、鳥居など多くの石造物も被害を受けました。氏子の支援を受けようにも住まいをなくした方が多く、消失した朝市通りの氏子は生業をも失いました。境内を少しでも復興し氏子の心の拠り所となる祭りを復活させるために、私も微力ながら協力させていただきたいと思っています。
応援したいという方はご協力お願いします。
重蔵神社クラウドファンディング(6月30日まで) https://readyfor.jp/projects/juzojinja

本日から花嫁のれん館にて、いしかわ城郭カードの小丸山城 夏ver. 2種(1枚200円)と、季節デザインの御城印(来城記念符)(1枚300円)の販売を再開します。
花嫁のれん館では3カ月毎にデザインの違うカードと御城印を配布します。今配布している春ver.は来年3月から再配布します。
初夏ver.は引き続き6月中販売しています。
※来城記念符シリーズは、現在ネット販売、個別の販売・郵送には対応しておりません。周辺観光を兼ねて、ぜひ現地で購入してください。花嫁のれん館では郵送、代引き発送は行なっておりません。
小丸山城公園は現在も第1公園(本丸)は立ち入り禁止が続いています。

公園内のアジサイは昨年の花が枯れたまま剪定されていませんが

今年の花はあと2週間ほどで咲きそうです。

ツツジは終わりましたが、今はサツキが咲いています。

石川県七尾市馬出町ツ部49
開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日:年末年始
花嫁のれん館ホームページ
※郵送対応不可

先日21日にすずなりに行ってきました。4月28日の開業周年日に営業を再開しました。

建物構造に被害はなく、津波はここまで来ていないということです。
商品の納入業者が多数被害を受けているため、商品は従来の半分ほどしか並んでいません。当社の商品はレジ並びの冷蔵庫横の棚にありましたが、今はレジ回りの棚のレジ裏手に置かれています。

5月の営業時間は火曜日・木曜日・日曜日の週3日、11時から14時までの時短営業となります。しばらく続くそうです。夏には新商品追加予定です。
金沢から珠洲までの道路は、のと里山海道は徳田大津ICまでは大きく問題なく補修され交互通行できます。徳田大津ICからのと里山空港ICまでは輪島方向に一方通行で迂回路や波打った場所が多くあります。平行する国道249号は徳田大津IC口から穴水まで補修されて問題なく交互通行できます。すず道路はのと里山空港から先は補修されていますが少し波打った場所が遺っています。すずなりまでは舗装修理されていますが、すずなりより先は砂利部分が多くあります。

21日に道の駅すずなりに行った帰りに中島から外浦の富来に出て木尾嶽城の状況を確認してきました。
震度6以上を観測した地域であり、木尾嶽城の山麓を流れる富来川沿岸の集落には大きな被害がでていて、東小室は多くの倒壊家屋がそのままになっていました。

登城口の慰霊碑が土台から外れて少しずれていました。

一部草に覆われた道があるものの、大部分は植林のスギの影になって道は明瞭で一度登ったことがあれば問題なく頂上付近まで行くことができます。

途中斜面に埋まった大岩が振動で少し動いたような隙間が見られました。

頂上直下の日当たりの良い場所はやはり草に覆われていて道が全くわかりませんでした。地表が荒れている感じもありましたがよく見えないので状況がわかりません。

主郭も一面の草に覆われていました。

眼下にはブルーシートが目立ちます。

かつて神社か東屋が建っていたようなコンクリートの土台の下に隙間ができていました。

一段高い櫓台の斜面が崩れたように荒れています。

南側斜面には50センチほど表層が滑った地割れができていました。

主郭から尾根筋にある堀切などを確認しましたが被害はなく、林道からの入口に建つ案内板が倒れているだけでした。

さらにその先にある殿様池の状況を確認しようと林道を歩いて行くと、大きな地割れができていて段差で車の通行が難しくなっていました。

行き過ぎたと思って引き返すと看板が外れた杭を見付けて笹藪の中に突入しました。

殿様池は以前のように水を湛えていて周辺に地割れもなく水脈の変化はないようで安心しました。

帰りは地表の見える斜面を主郭の櫓台から下ると、斜面にも地割れを見つけました。主郭の地割れの続きになるようです。

尾根筋を植林地に直角に曲がる直前の尾根筋の南側で土砂崩れが起きていました。この尾根筋は山裾を広地川が流れる南側が特に急傾斜になっているので、道路を走っていても土砂崩れがいくつも見られました。

21日に道の駅すずなりに行くのに会わせて飯田城の状況を見てきました。
この時期はすでにシダ類が繁茂して東側からアプローチする道が全く見えなかったので、西側の竪堀から上りました。主郭は草に覆われて確認できないと思い、西側の畝状竪堀群、北側の畝状竪堀群を中心に状況を確認しました。

畝状竪堀群は見た限り被害はないようでした。

東側から北側の畝状竪堀群に回り込んだ時に、竪堀の下辺りに地割れで20センチほどの段差を確認しました。

東西方向に同じような段差をいくつか確認できたので主郭も北端のほうに地割れができている可能性があります。下草のない地表面が見やすい時期に再度確認できればと思います。

21日にすずなりに行くのに合わせて正院川尻城の状況を確認してきました。
道の駅すずなりまでの道路は応急補修されて舗装されていないところはありませんでしたが、すずなりから先、野々江から先は道路沿いに倒壊したり傾斜したりした家屋がそのまま残り、道路は穴は埋められているものの舗装が間に合わずに砂利のままというところが断続的に続きます。
正院川尻城前の道路沿いも倒壊した家屋がそのままで道路状況はいいとは言えません。主郭へ向かうルートのひとつ川尻稲荷神社は倒壊した鳥居が根元だけ残っていて社殿は倒壊したままでした。社殿の背後に崩れた斜面が見えました。最終的にわかったことですが、さらに左方にも崩れた斜面がありこの間に標柱の建つ主郭があります。

稲荷神社社殿右から山沿いに右の方へ道があったのですが、途中土砂崩れや倒木で道が塞がれていました。

なんとか乗り越えて山手に入っていくと一面が草で覆われていました。道は一段低く、右手の高い部分は畑作が行なわれていたところです。今年は地震の影響で耕作できなかったとしても、この様子では昨年GWの地震以降耕作していないのかもしれません。
耕作している方がいれば道も除草してあるので歩きやすいですが、昨日からの雨もあって草が濡れていて靴の中まで濡れてしまいました。道を川のように水が流れていたので地下の水脈も変わった可能性があります。

記憶を辿りながら進むと植林地で下草のない場所に至りました。よく見ると地割れが見えます。
この後正面が急崖に見えたので植林地の中を進んだのですが奥の曲輪をまわって主郭まで遠回りになって大変でした。

ですのでわかりやすく主郭まで最短経路で進むように説明します。結局、植林地で急崖に見えたところは地割れで植林地側が沈下して高低差ができてしまった部分でした。この上に地震以前の緩やかな坂道があります。

坂道を上ると曲輪群が見渡せる場所に出るはずが、またしても一面の草叢になっていました。少なくともカード制作のために写真撮影に来たときにはここも数人の耕作者がいて耕作地が広がっていたのですが。

日当たりもよく草丈も高くなり道がどこかもわかりません。この時期でこういう状況なので人のほぼ入らない山城同様雪解け時しか入れない城跡になるかもしれません。

主郭への案内板はありますが道はやはり不明瞭です。

主郭は他の耕作地より先に耕作されなくなっていたので想定通り一面の草叢です。

標柱の先、正面は以前も海の方が見えましたが、右の方にもなぜか光が入ってきています。

近づいていくと海の方までまる見えの状況です。主郭は別名高要害と呼ばれる曲輪ですが、西隣りに一段低い下要害と呼ばれる曲輪がありました。そこへこの隅から下りることができたのですが、今は下を覗くのも恐く近づくことができません。

下要害はスギの植林地になって視界が悪い場所でしたが、スギもろともに土砂崩れが起きていました。少なくとも下要害の主郭寄りの西半分は消失したと思われます。

振り返ると今いる主郭にも地割れによる段差ができていました。草叢で見えなかっただけで他の場所にも地割れが多く発生している可能性があります。

10日に切山城の状況を確認してきました。曲輪や堀切など城郭施設の土砂崩れや地割れの被害は見られませんでした。

今日は主郭櫓台からは遠く白山を望むことができました。

切山城に沿って現在の小原越が通過している場所で横堀が一部残る部分との分岐にブルーシートが被されていて、おそらく土砂崩れと思われますが能登半島地震によるものか、あるいは昨年7月の豪雨によるものかはわかりません。

初夏で草丈がまだ短いことと、草刈りされている場所があり遺構は見やすい状況でした。対抗する松根城側(東側)に設けられた堀切もよく見えました。

切山城から東へ「オトシの坂」の間の旧小原越の山道も散策してきました。

堀底道がよく残っていて、途中段にして進攻を遅らせる構造も見られました。

10日に松根城の状況を確認してきました。一回りしてきましたが、土砂崩れや地割れなどの被害はありませんでした。

一昨年の大堀切発掘調査に合わせて大堀切と

馬出に案内板が追加されました。

最も利用されるアクセス道である国道359号線は能登半島地震により小矢部市内山と金沢市今泉町で被害が発生したため現在も通行できません。
松根城へは、北側からは津幡町の県道212号線から国道359号線に入る、南側からは国道304号線の金沢市高坂町から行くことができます。アクセス道が限られ以前より訪れる人がまばらなため、熊に遭遇する可能性もありますのでクマ鈴など対策して散策して下さい。