加賀との国境に近い旧金津町宇根の畝畦寺。
北国第七番となっているが現在北国観音霊場というのはなく、調べてみると越前国三十三観音霊場のことらしい。この畝畦寺もそうだが廃寺になった番所も多く巡礼は難しそうだ。
今日と明日、20年ぶりに御開帳があるという情報を得て参詣に行きました。
国道8号線の臨時駐車場からシャトルバスに揺られて約10分。揺られてというのも穏やかなものではなく車1台がやっと通れる山道で舗装してあってもガタガタでした。谷側にガードレールあったけれど、なかったら恐怖の山道です。
停車場から歩いて橋を渡ると畝畦寺の入口に到着しました。昭和中頃まで民家3軒が右に1軒、左に2軒あり、畝畦寺を護持していたそうです。今日はその末裔の方も移住した麓の畝市野々の住民がお世話していました。宇根集落の最後は3軒でしたが麓に下りるときに跡地と田んぼに杉木の植林をしていったので山の谷あいに杉が林立している。
上りとなる入口に六所神社の鳥居が建っている。
鳥居をくぐり狛犬の先は石段となる。石段の正面に畝畦寺、左手に六所神社が建つ。
境内は清浄な空気に包まれていた。
9時からの法要がすでに始まっており途中から参加させていただいた。
廃寺となっているので当然住職はおらず、御開帳法要は依頼して坂井市丸岡の本光寺?(浄土宗)のご住職により行なわれました。
法要が終わり、今日は内陣にも入れるというので御本尊を間近にご対面することができました。厨子の扉の内側にもきれいな絵が描かれている。
今日は秘仏に注目が集まっていたが、厨子前に置かれた小振りの愛らしい狛犬はあわら市内では3番目に古いもの
秘仏十一面千手観音菩薩
こちらが普段厨子の前に置かれている前立の千手観音菩薩
畝畦寺の左手に開基と伝わる泰澄大師像が大岩の上に。奥にも大岩が見え、かつては磐座としての役割もあったのかもしれない。
六所神社へは石段に続き石橋があるが今は崩れている。
六所神社
正一位六所大権現の社号額
中には中央に白山大権現、右に不動明王、左に毘沙門天が祀られる。
荒廃する前の神仏習合だった頃、畝畦観音と六所大権現は同一建物に祀られていた可能性もある。明治期の由緒書によれば、前立如来、龍神像、文殊菩薩、大日如来、薬師如来、不動明王、毘沙門天の七体が泰澄大師の直作と伝わる。今も六所神社には仏様が祀られているが元々六所大権現は仏の姿だったと考えられ、畝畦寺に祀られる前立千手観音菩薩(前立如来)、九頭竜王像(龍神像)、文殊菩薩、薬師如来、六所神社に祀られる毘沙門天が候補になるだろうか。残る一体は大日如来だろうけど、今回説明で置かれた仏尊名の中にはなかった。白山大権現は一般的に十一面観音菩薩とされているが造形も後背も違っていたので、六所神社に祀られた白山大権現がおそらく大日如来なのだろうと思われる。さらに文殊菩薩は造形が他の五体とは違い、薬師如来の隣に祀られていた聖観音菩薩のほうが同時代に見えたので後世持ち物が変わって本来は文殊菩薩だったのかもしれない。
扉を止めるのに置かれた狛犬も造形から古いものと思われる。
宇根集落は沿って流れる川(観音川?)を平野から遡ってきて谷あいに開けた小さな盆地に生活したと思われる。一向一揆の争乱で荒廃し、それから33年に一度の開帳、廃村後は17年毎になったようだ。争乱に巻き込まれたということは人の往来が盛んにあった、または交通の重要拠点にあったということだろう。元宇根集落の方に話を聞いたところ、今ある奥に続く道は南東の刈安山に行くという。刈安山を越えれば加賀山中と越前竹田を結ぶ街道へと下りることもできそうだ。さらに調べると高圧鉄塔が建つ加越国境の尾根(こちらのほうが宇根集落に近い)に上がれば尾根沿いに寺尾観音山を経由して加賀の三谷地区へ下りることができる。加越国境に近い宇根集落は官道北陸道が閉鎖されたときの脇道・抜け道として利用された峠道ではなかっただろうか。
補陀洛山畝畦寺
福井県あわら市宇根