近江大津 石坐神社

石坐神社

大津市に鎮座する石坐神社。御祭神は東殿、西殿、奥宮にそれぞれ神が祀られる。
式内社滋賀郡の比定社となっている。

石坐神社

月極駐車場の隣に森が見える。神社参道があり、南より境内に入るが裏参道だったようだ。

石坐神社

境内に入ると北に鳥居の建った表口がある。
表・裏ともに「式内 石坐神社」の標柱が建っている。

石坐神社

四方柱に屋根が乗ったのは拝殿でいいのだろうか。

石坐神社

本殿は塀に囲まれ、中門前で参る。

石坐神社

この本殿は東殿とされるもので、八大龍王宮と正霊天王宮の合殿となる。八大龍王宮の御祭神は、豊玉比古神(海津見神)、彦坐王(開化天皇の第三王子)の二神。正霊天王宮の御祭神は、天命開別尊(天智天皇)、大友太子(弘文天皇)、伊賀宅子媛(大友太子御生母)の三神。

当社には重要文化財の天命開別命、伊賀采女宅子媛、弘文天皇、彦坐王の4体の木造坐像があるらしい。

石坐神社

本殿左手に彦坐王石像を祀る石神社が建つ。

石坐神社

本殿左に稲荷神社の鳥居が建ち、奥に境内社がみえるが、

石坐神社

鳥居をくぐって正面にあるのは弁財天社、右に稲荷社が建つ。

石坐神社

本殿右の磐座には物部社、祓戸社、柳崎社が祀られているようだ。

石坐神社

境内南には御霊殿山遥拝所がある。奥宮は御霊殿山にあり、石坐大神(主祭神の豊玉比古神)と八大龍王神を祀っている。

石坐神社

遥拝所のそばに御神木の榎がある。

石坐神社

境内の西に社務所と宮司宅が並んで建っているが、中央は西殿の社殿となっている。
授与所で御朱印をいただく。

石坐神社

西殿には天神地祇を祀る天上将来宮と淡海龍王神を祀る淡海龍王宮が祀られる。

石坐神社
滋賀県大津市西の庄15-16

近江大津 膳所神社

膳所神社

大津市に鎮座する膳所神社。御祭神は豊受比売命。

膳所神社

膳所城跡から西に一直線、中大手門跡を越えて境内がある。

膳所神社

入口には「縣社 膳所神社」の標柱。

膳所神社

鳥居、表門、社殿とまっすぐに並ぶ。

膳所神社

表門は旧膳所城の本丸大手門。瓦に神紋とは違う旧藩主の本多家の家紋立葵紋が見える。

膳所神社

表門を入ると広い境内が広がり、右手に蔵2棟、左手に手水舎が建つ。

膳所神社

北門も旧膳所城の門の移築。

膳所神社

南門は瓦に立葵紋が残り、旧膳所城の移築門であったが、近年建替が行なわれたらしい。形式は受け継がれているのだろう。

膳所神社

開放的な拝殿

膳所神社

その後ろに中門と塀に囲まれた本殿が建つ。
本殿に参る。

膳所神社

本殿

膳所神社

境内社は3つ。拝殿の左に愛宕神社

膳所神社

本殿の左奥。御神木の脇に旧社号標柱が残っていた。
「郷社 式内膳所倭神社」、膳所神社も式内社を名乗っていた頃があるようだ。ただ膳所倭神社という式内社は存在しないので、倭神社のことだろうか。

膳所神社

本殿右に松尾神社

膳所神社

その右に稲荷神社

膳所神社

稲荷神社の右奥に石碑の神が並んでいる。手前から月道龍神、若葉大明神、辰巻大神、人麿竜神、金龍大神。

膳所神社

最後に社務所で御朱印をいただいた。

膳所神社
滋賀県大津市膳所1丁目14-14

越中新川 宇奈月神社

宇奈月神社

黒部市の宇奈月温泉に鎮座する宇奈月神社。御祭神は天照皇大神、大山津見神、大山久比神、軻遇突智神、水波象女神、誉田別命の六神。

宇奈月神社

黒部峡谷トロッコ電車に乗りに来ました。宇奈月駅前の駐車場の正面に建っているので帰りに寄りました。
大正時代に黒部の電源開発とともない、宇奈月温泉が開湯し、発電事業や工事関係の会社も協力して昭和2年に創立される。

宇奈月神社

階段を上っていくと左手に手水舎。センサーで人を見知し自動で水が流れる。

宇奈月神社

この水が黒部の名水のひとつになっていて神社の見どころのひとつらしい。

宇奈月神社

社殿は雪深い地であるのでサッシに覆われているが、外見も神社建築風になっている。

宇奈月神社

拝殿に参る。

宇奈月神社

賽銭箱の横に御朱印授与の案内があった。

宇奈月神社

神社の隣りのセレネ美術館。受付に行くと奥のスタッフさんが手書きで御朱印を書いてくれた。

宇奈月神社
富山県黒部市黒部峡谷口30

越後新発田 諏訪神社

新発田 諏訪神社

新発田市に鎮座する諏訪神社。御祭神は建御名方命を主祭神とし、八坂刀賣命を配祀する。また相殿に藩祖溝口大祖源秀勝朝臣命(新発田藩 初代藩主)を祀る。

新発田 諏訪神社

大化4年(648)に聖籠町諏訪山に鎮座したのを創祀とし、新発田藩初代溝口秀勝公が新発田城内に遷座したという。その後、三代宣直公が鍛治町へ、四代重雄公が現在地に遷座した。

新発田 諏訪神社

神門の先に鳥居、社殿が一直線に並ぶ。

新発田 諏訪神社

朱色の四足鳥居

新発田 諏訪神社

社殿の右に御柱が立っている。

新発田 諏訪神社

御柱は6年毎の例祭に合わせ建て替えられ、現在の御柱は平成28年8月に諏訪大社下社春宮から一之柱を下賜された。

新発田 諏訪神社

拝殿に参る。拝殿には「諏方神社」と「溝口太祖神」2枚の扁額がかかる。

新発田 諏訪神社

本殿とは幣殿でつながる。

新発田 諏訪神社

拝殿の左手に社務所があり、ここで御朱印をいただく。

新発田 諏訪神社

参道右の御柱の右手に神輿殿があり、

新発田 諏訪神社

2基の神輿が納められている。左に見える石鳥居は大成建設やサッポロビール、ホテルオークラなどを創業した新発田市出身の財閥家、大倉喜八郎が奉納したものだそうだ。

新発田 諏訪神社

神輿殿の手前の参道右手に境内末社があり、古峰大神(日本武尊)と猿田彦大神を祀る。

新発田 諏訪神社

参道の左手の一番奥には末社大若稲荷神社があり、

新発田 諏訪神社

ひとつ手前には五十志霊神社が建つ。当社には新発田藩に功績にあった人々を祀り、義民大竹与茂七を合祀している。

新発田 諏訪神社

大竹与茂七は中之島の名主で百姓一揆を扇動したという罪で首を刎ねられたが、後に名誉回復が図られたという。
左の碑に使われる石は天明の大飢饉で新発田藩から仙台藩へ千俵の救援米を送ったお礼にもらった2枚の内の1枚で、

新発田 諏訪神社

もう1枚は社務所の横に昭和天皇在位六〇年奉祝記念碑として、昭和天皇の御製が記されている。

新発田 諏訪神社

一番手前に末社厳島神社が建つ。

新発田 諏訪神社
新潟県新発田市諏訪町1丁目8-9

能登輪島 重蔵神社⑰

重蔵神社

季節の御朱印の百合をいただいてきました。他に2種類ある。

重蔵神社

天皇陛下御即位御朱印の夏バージョンの見開きサイズもいただきました。
小サイズは品切れになっていました。

重蔵神社

夏越えの大祓を終え、拝殿前には茅の輪が設置されていました。
折角なので8の字にくぐってから参拝しました。

重蔵神社

先月と同じバージョンの季節の御朱印をいただきました。

重蔵神社

境内にはアジサイがきれいに咲いていました。

重蔵神社

なでうさぎもアジサイに囲まれている。

重蔵神社

手水もアジサイで豪勢になっている。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68