「26京都府の神社」カテゴリーアーカイブ

丹波一の宮 出雲大神宮⑤

出雲大神宮

亀岡市に鎮座する丹波一宮出雲大神宮。
現在御朱印は書き置き頒布となっているが、帰ってきて確認したら25日になっていた。一番目だったので昨日のが出てきたのだろうか。

出雲大神宮

8時過ぎに到着。表参道北方に御神体山が聳える。

出雲大神宮

今年はコロナ禍で初詣の準備が例年より早いのだが、正月は時計回りに一方通行になるようだ。

出雲大神宮

境内に人はほとんどいない。

出雲大神宮

授与所が閉まっている。つい先日も来たばかりだったが、授与所が9時からだということを完全に失念していた。

出雲大神宮

まずは参拝に行く。

出雲大神宮

本殿に参る。

出雲大神宮

時間が30分以上あるので、再度境内の摂末社をまわることにした。

出雲大神宮

真名井の泉

出雲大神宮

夫婦岩

出雲大神宮

大黒・恵比寿舎

出雲大神宮

少し上ると社殿を俯瞰して眺めることができる。

出雲大神宮

本殿

出雲大神宮

末社春日社
御祭神は武甕槌命、天児屋根命。

出雲大神宮

禁足地となっている出雲古墳群

出雲大神宮

本殿の背後にある磐座。とても大きい。

出雲大神宮

末社稲荷社
御祭神は宇迦之御魂神。

出雲大神宮

御蔭の滝

出雲大神宮

摂社上の社
御祭神は素戔嗚尊、櫛稲田姫尊。

出雲大神宮

末社笑殿社
御祭神は事代主命、少那毘古名命。

出雲大神宮

末社崇神天皇社
御祭神は第10代崇神天皇。

出雲大神宮

境内入口にまだ紅葉が残っていた。

出雲大神宮

神饌田の背後に御神体山

出雲大神宮

末社辨財天社
御祭神は市杵島姫命。

出雲大神宮

ようやく授与所が開いたので、御朱印と出雲大神宮史をいただき、御神体山への入山料を支払う。

出雲大神宮

ここからが入山料の必要な領域となる。

出雲大神宮

石で舗装された道だが最初は傾斜があって歩きにくい。

出雲大神宮

3分ほどで鳥居をくぐる。その先に燈籠が見える。

出雲大神宮

奥宮
御祭神は国常立尊。特に社は設けられていない。

出雲大神宮

まだまだ御神体山の中腹で、もっと頂上に近い場所かと思っていました。
さらに磐座もひとつの大岩ではなく、磐座群というもの。大岩に神が降臨するというイメージとは少し違いました。

出雲大神宮

帰りにちょうど巫女さんたちが授与所に出仕してきました。

出雲大神宮
京都府亀岡市千歳町出雲無番地

丹波船井 宗神社

宗神社

南丹市に鎮座する宗神社。御祭神は天兒屋根命。
延喜式の桑田郡三縣神社の論社とされ、丹波國総社とされる。

宗神社

園部亀岡線の大通りから見ると、左手の森が境内地。路地が細かったので歩いていくことにした。

宗神社

境内は北向き。というのも平安中期から鎌倉にかけての丹波国国府推定地になっている段丘の南端に建っているため、国府館に向かって建てられているようだ。

宗神社

鳥居の先は少し下がって石敷の参道が続く。

宗神社

今朝は氏子の方が境内の掃除をしていた。お邪魔にならないように参拝する。
拝殿の前に狛犬一対。本殿との間に燈籠一対が建つ。拝殿右手前の岩と右奥の岩が対になっていると考えられる。

宗神社

岩はもとは手前の両側にあったのだろうが、右手の社務所に隣接して舗装した駐車場が整備された関係で後ろに下げられたのだろう。

宗神社

本殿に参る。

宗神社

寛政7年の銘が刻まれた燈籠には「宗社大明神」とある。「宗社」とあるのが「総社」ということらしい。通常は「宗大明神」となるところなので「社」に違和感が残る。

宗神社

本殿右に小さな祠が建つが詳細は不明。

宗神社
京都府南丹市八木町屋賀南永寿

丹波船井 住吉神社

住吉神社

南丹市に鎮座する住吉神社。御祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、神功皇后。
延喜式の桑田郡神野神社の論社のひとつ。
大日本地名辞書に「延喜式桑田郡神野神社は大字観音寺に在り、神野を転じて観音寺となし、もって神仏の混淆したるものにして、賀茂建角見命の妃神神野の伊加古夜姫命を祀る下鴨宮という」とあり、観音寺の氏神である当社があげられたようだ。
かつて熊野権現であって、明治の神社整理で刑部村から住吉神社を遷座したという。

住吉神社

細い路地を入っていくと鳥居が建っている。鳥居前に駐車場があったので停めさせてもらう。

住吉神社

鳥居を入っていくと参道は竹藪に囲われている。今は右が畑で藪がないが、両側が藪だと日中でも暗い。

住吉神社

階段の先にお堂が建っている。階段の下に大石が両側にある。

住吉神社

階段を上って右方に社殿が建つ。

住吉神社

階段の途中に左にも道があったが先には墓地があった。

住吉神社

階段正面のお堂。中が見えず詳細は不明だが、熊野権現だったのであれば阿弥陀堂だろうか。

住吉神社

堂の前、木の陰に隠れて大きな岩が据えられていた。

住吉神社

正徳6年の銘がある手水

住吉神社

拝殿と奥に本殿

住吉神社

拝殿に2枚の写真が掲げられていた。どちらも昭和十一年とある。
その1枚に先程の大岩が写っている。その頃は植木はなく、岩に注連縄が掛けられている。

住吉神社

もう一枚は拝殿の前、後ろの本殿に覆屋はない。

住吉神社

平成18年に1300年祭が行われたようだ。社伝では慶雲3年(706)に義渕僧正が熊野権現を勧請したとされる。

住吉神社

階段を上り一段高いところに本殿

住吉神社

本殿に参る。

住吉神社

本殿左の妻部分に奉納額が残っている。枡とすりこ木だろうか、1枚の額になっている。昭和35年と昭和50年の奉納で5年毎の奉納だったことを想定させる。海の神住吉さんなのだが、枡とすりこ木は五穀豊穣を祈るものなのだろう。

住吉神社

本殿の右に本殿と同じ向きに建つのは春日神社。

住吉神社

その奥に本殿に向かって建つのは八幡神社。

住吉神社

本殿の左に本殿に向かって建つのは熊野神社。これがもとの熊野権現。
神社整理で母屋を乗っ取られたみたいになっている。

住吉神社

その奥にやはり本殿に向かって建つ稲荷神社。

住吉神社
京都府南丹市八木町観音寺裏山6-2

丹波船井 荒井神社

荒井神社

南丹市に鎮座する荒井神社。御祭神は荒井神を主祭神とし、健御雷命、経津主命、天兒屋根命、比売神を配祀する。
延喜式の船井郡嶋物部神社に比定されている。

荒井神社

路地も狭かったので手前に停めて歩く。

荒井神社

別の場所から移転したようで、現在は寺と隣接するように鎮座する。

荒井神社

高倉天皇勅願所だった西光寺。長い参道の奥に門が見えた。

荒井神社

境内入口に鳥居が建つ。社号標はないようだ。

荒井神社

鳥居の扁額は「正一位 荒井大明神」

荒井神社

鳥居横に大きな杉があり、社叢一帯が保全地区になっている。

荒井神社

拝殿前に狛犬一対。

荒井神社

拝殿を通り、本殿に参る。

荒井神社

本殿に貼り紙が・・・「アライグマ対策のため格子戸を閉めています」
以前は開くことができたのか

荒井神社

格子戸の隙間から本殿をのぞく。
朱色の拝殿。江戸時代のものらしい。

荒井神社

本殿の右にまわると、かつては庭園だったような石組みがあった。

荒井神社

帰りに拝殿で上を見ると、古い額が並んでいた。

荒井神社

三十六歌仙のようだ。1枚の額に2人ずつ描かれ、28人分あった。

荒井神社
京都府南丹市八木町美里字荒井1

丹後舞鶴 朝代神社

朝代神社

舞鶴市に鎮座する朝代神社。御祭神は朝代大神(伊弉諾尊)。旧田辺城下町の産土神。

朝代神社

愛宕山山麓にあり、東の田辺城に向かって建つ。
入口に石鳥居と朱色の鳥居、「府社 朝代神社」の社号標が建つ。

朝代神社

鳥居をくぐり左に緩やかに上る。

朝代神社

右に曲がり階段を上ると社殿が建っている。

朝代神社

曲がり角正面に社らしきものが見えたので参る。

朝代神社

出世稲荷神社と

朝代神社

鎮守堂と粟嶋堂

朝代神社

朝代神社の末社かと思ったが、隣の境内で円隆寺の鎮守であった。
円隆寺は奈良時代に行基が開創したという縁起が残る。

朝代神社

戻って階段を上る。

朝代神社

参道左に手水舎、横に末社秋葉神社

朝代神社

右に2つの建物と神馬舎が建つ。

朝代神社

拝殿に参る。

朝代神社

拝殿を右にまわりこむと、社殿後方に末社群。
田辺城内に鎮座していたという奥姫稲荷神社、工匠神社、多賀神社(大国神社の間違いか?)・恵比須神社の合殿、須賀神社、稲荷神社、疫神社・多賀神社など5社合殿。

朝代神社

一番左に天満宮が鎮座する。

朝代神社

檜皮葺きの本殿。

朝代神社

下の社務所(朝代会館)で御朱印をいただく。

朝代神社

会館前の駐車場に末社鹽竈神社

朝代神社
京都府舞鶴市朝代13

丹後舞鶴 笶原神社

笶原神社

舞鶴市に鎮座する笶原神社。御祭神は天照大神、豊受大神、月夜見神。
延喜式加佐郡笶原神社の論社のひとつ。

笶原神社

今はあまり広くない境内だが、一度廃絶したことに関係しているらしい。

笶原神社

神社名は「笑(え)」ではなく「笶(や)」である。地元の人ですら「えばら」とか「えみはら」と呼ぶようだが、正確には「やはら」であり、もっと古くは「やぶ」と呼んだようだ。

笶原神社

鳥居の扁額は清仁親王書を写したものと伝えられ、「総社笶原魚井匏宮」と書かれており、「そうじゃやはらまないよさぐう」と呼ぶ。「よさぐう」という名からピンとする方もいるかもしれないが、豊受大神の加佐郡の元伊勢候補地のひとつである。丹後一宮籠神社より古い鎮座地とする説もある。

笶原神社

境内に入り左手に手水舎かと思いきや注連縄が張られ囲われて入れない。ここが真名井の清水で祭礼時には囲いが解体され祭祀対象となる場所になる。

笶原神社

拝殿と右に境内社

笶原神社

拝石がある。

笶原神社

中をのぞくと普段から管理が行き届いている様子が見られる。
本殿は裏山の中腹にあるということだが管理が難しくなり、御神体は拝殿に降ろされているという。
拝殿に参る。

笶原神社

境内社は稲荷社が2社。左が加納稲荷神社、右が茄子比金禄稲荷神社

笶原神社

上に向かう階段があったので行ってみる。

笶原神社

忠魂碑が建っていた。本殿は忠魂碑の後方さらに上ったところにあるらしい。

笶原神社

田辺城の城下町を見守る地に鎮座した社である。

笶原神社
京都府舞鶴市紺屋町29

丹波一の宮 出雲大神宮④

出雲大神宮

亀岡市に鎮座する出雲大神宮。

出雲大神宮

今日は晴れていたことや、七五三、紅葉と重なり、コロナ禍とはいえ全国各地から大勢の参拝に来ていました。

出雲大神宮

参道脇には落ち葉で模様が描かれていました。

出雲大神宮

境内の紅葉は盛りでした。

出雲大神宮

本殿に参り、行列の授与所で御朱印をいただきました。
2月の参拝時にはまだ直書きしていましたが、現在書き置きになっていた。

出雲大神宮
京都府亀岡市千歳町出雲無番地

山城洛南 城南宮②

城南宮

京都市伏見区に鎮座する城南宮。御祭神は城南大神(国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊)
今年は養老4年に日本書紀が撰上されてから1300年の節目で、さらに明治3年に城南離宮皇神という尊号が贈られてから150年という節目にあたる。記念した御朱印は見開き書き置きで、八千矛神と八稜鏡を象った城南離宮の朱印が押されている。

城南宮

人はまばらな状況

城南宮

中央の拝殿は囲いがされ修復中のようだ。

城南宮

前回の参拝では修復中で見えなかった本殿に参る。

城南宮

拝所と本殿の屋根は3つの入母屋が連なっている。
やはり周囲の境内社は撮影禁止だったので御朱印をいただいて帰る。

城南宮
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地

丹波園部 城崎神社

城崎神社

旧園部町に鎮座する城崎神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神。
日本三代実録に神階従五位を授けられたと記載される城崎神とされる。いわゆる式外社。

城崎神社

境内を南から見る。境内の灯籠には「春日社」の銘が入り、古代には城崎神と呼ばれたが、中世以降は春日大明神と呼ばれた。

城崎神社

鳥居の右に「式内 城崎神社」の社号標が建つ。式外じゃないんですよね。

城崎神社

木崎庄の総氏神として江戸時代には園部藩主の崇敬も厚かったといい、拝殿も大きい。

城崎神社

拝殿背後の本殿には覆い屋が掛けられている。

城崎神社

中の本殿は檜皮葺で拝殿にも増して大きい。

城崎神社

本殿に参る。

城崎神社

本殿の右には摂社蛭子神社

城崎神社

境内の左には摂社稲荷社

城崎神社

本殿前の由緒書には摂社が3社書かれている。境内を探したがここが若宮社遙拝所だろうか。

城崎神社
京都府南丹市園部町上木崎町岩崎27

丹波園部 生身天満宮

生身天満宮

旧園部町に鎮座する生身天満宮。御祭神は菅原道真公。
園部には菅原道真公の別邸があり、全国の天満宮で唯一生きている間に祀られた社だといい、そこから「日本最古の天満宮」と言われる。

生身天満宮

道路向かいの駐車場に石灯籠が建っている。

生身天満宮

鳥居から階段を上り本殿へと向かう。

生身天満宮

階段右の斜面には梅林が広がっている。

生身天満宮

梅林の反対側の左の方に武部源蔵社が建つ。当社の始祖で園部の代官として道真公に仕えていた。

生身天満宮

階段の途中に厳島神社

生身天満宮

その上に国定国光稲荷神社が建つ。

生身天満宮

階段を上り終えると正面に大神宮

生身天満宮

大神宮の脇に塞神社と白山姫神社がある。

生身天満宮

大神宮の右上に秋葉愛宕神社が建つ。ここが境内の中では最高所になる。

生身天満宮

階段を上り左に曲がると鳥居の先に社殿がある。

生身天満宮

右手には神楽殿。来月竣工する予定という。

生身天満宮

拝殿に参る。

生身天満宮

拝殿には三十六歌仙が並んでいる。

生身天満宮

本殿右後ろに境内社、右に紅梅神社、白太夫神社、若松神社の3社、左に稲荷神社、金比羅神社の2社が合殿となっている。

生身天満宮

社務所の左には八坂神社、西宮神社、八幡宮が並ぶ。

生身天満宮

社務所前には使いの牛像があった。

生身天満宮

生身天満宮は別邸のあった小麦山に祀られたが、園部藩が園部城を当地に築城することとなり、現在の天神山へと遷座したという。小麦山は園部公園となっており、「生身天満宮跡」の石碑が建っている。

生身天満宮
京都府南丹市園部町美園町1号67番地

丹波亀岡 宮川神社

宮川神社

亀岡市に鎮座する宮川神社。御祭神は伊賀古夜姫命と譽田別命の二柱。
延喜式桑田郡神野神社の論社のひとつ。

神野神社の創建は文武天皇大宝年間に神野山山上と伝えられる。それ以前の欽明天皇32年に宇佐八幡宮から勧請し神野山山中に奉斎、その社地を八幡平という。正保4年に二社を合祀して山麓に宮川神社として再興されたという。

宮川神社

山上への道路も狭かったが、山麓の宮川神社への道も集落の細い道を奥へ、山裾まで進んでようやく着く。
そこは半国山へのハイキングコースのひとつである宮川コースの入口になっている。

宮川神社

階段を少し上ると左手に境内がある。まっすぐフェンスの先がハイキングコースだ。

宮川神社

入口に「延喜式内 宮川神社」の社号標。由緒書もある。

宮川神社

参道を進むと、両側に塀が続くが、漆喰が落ちている部分も多い。山麓北側とあって湿気も多いのだろう。

宮川神社

伐採された木もある。ここでも平成30年9月の台風21号の被害があったのだろうか。

宮川神社

さらに進むと正面に拝殿、右手に本殿が見えてくる。

宮川神社

右に曲がって階段を上ると本殿。本殿に参る。

宮川神社

本殿は覆い屋の中だが、横に回り込むと本殿に食い込むように大岩が背後に現われた。
この大岩を磐座として本殿を建てたものと考えられる。

宮川神社

本殿の左に道が続いているので行ってみる。

宮川神社

途中、玉依姫命を祀る小祠。御祭神の伊賀古夜姫命は玉依姫命の母神となる。

宮川神社

少し下がったところに貴船大神を祀る小祠。
ここは神社に隣接して築庭された神苑のようだが、やはり災害により荒れている感じがする。

宮川神社

磐座を祀るような場所もある。

宮川神社

道は拝殿に続いている。神苑は拝殿と本殿の比高くらいの高低差がある。

宮川神社
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山2

丹波亀岡 宮川神社旧地

宮川神社

亀岡市に鎮座する宮川神社の旧鎮座地は神尾山山上。

宮川神社

神尾山、古くは神野山と呼ばれる。

宮川神社

すれ違いも難しい山道をどんどん上っていくと突き当たりに神尾山金輪寺がある。
神野神社の神宮寺だった。

宮川神社

金輪寺の裏を山頂に進むと神尾山城がある。尾根沿いに曲輪が幾重にも連なっている。

宮川神社

山上にはまず宇佐八幡宮から勧請された八幡宮が祀られ、後に神野神社が祀られる。
八幡宮が祀られたことから八幡平と呼ばれたようだが、この看板以降案内が全くなくなる。

宮川神社

方角の案内ある辺りが展望台だろうか。全く視界も開けず山頂付近に至っても城跡などの案内板を見つけることができなかった。
神尾山城は本目城とも呼ばれ、明智光秀が丹波攻略のために築城した城のひとつだった。

宮川神社旧鎮座地
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山山頂

丹波亀岡 小幡神社②

小幡神社

亀岡市に鎮座する小幡神社。御祭神は開化天皇を主祭神とし、皇子の彦坐王、孫の小俣王の三代を祀る。
延喜式桑田郡の比定社。

小幡神社

入口の社号標から一段下がって境内が広がる。

小幡神社

鳥居の先に左に社務所、右に自宅が建つ。後で自宅の方を訪ねて御朱印をいただいた。

小幡神社

開放的な拝殿

小幡神社

拝殿の後ろや本殿のまわりに境内が複数建っている。

小幡神社

拝殿左後ろに愛宕社

小幡神社

拝殿右後ろに百太夫社

小幡神社

本殿に参る。本殿には「正一位小野大明神」の扁額が架かる。

小幡神社

本殿左前に大原社

小幡神社

本殿の左に朱色の鳥居が立ち並び、その先に稲荷社

小幡神社

本殿の左後に遷之宮。地蔵が多く並んでいる。

小幡神社

本殿の屋根が苔生して雰囲気がある。

小幡神社

本殿右後に地主社

小幡神社

上田正昭宮司の歌碑。小幡神社宮司で元京大教授、前大阪女子大学長の文学博士だそうです。
氏子には大本教の出口王仁三郎、本名上田喜三郎がいるそうです。

小幡神社

愛宕社の前にある石柱は社日というらしい。ぱっと見ると四角に見えるのだが、実は五角形。
それぞれの面に神名が刻まれていて、「農業祖神 天照大神」「五穀祖神 倉稲魂命」「五穀守神 大己貴命」「
五穀護神 少彦名命」「土御祖神 埴安媛命」の五神。

小幡神社

社の東には犬飼川。神社の裏山は穴太城址だそうです。

小幡神社
京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内1

丹波亀岡 走田神社②

走田神社

亀岡市に鎮座する走田神社。御祭神は彦火火出見命、豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。
延喜式桑田郡の比定社。

走田神社

社前鳥居。一部地域は参拝管理が終わっていないところもあり、当社も来てみて2度目だと分かった。

走田神社

参道に入るとすぐ左手に百大夫社。

走田神社

さらに進むと右に馬のチェーンソーアート。

走田神社

こんなに空の開けた神社だったかと歩きながら思っていたのだが、平成30年9月の台風20号で境内の大木の多くが倒れてしまったようだ。

走田神社

参道右に稲荷社。鳥居の復興は終わっているようだが

走田神社

社殿のほうはまだ未着手のまま

走田神社

さらに参道を進むと右に本殿が建ち、前に灯籠が並ぶ。

走田神社

本殿の前に境内社。右に経津主社、左に大国主社。

走田神社

本殿に参る。

走田神社

参道突き当たりに弁財天社が建つ。

走田神社

本殿前に倉、神輿倉なのか単なる倉庫なのか

走田神社

その前に台風前と後の写真が貼ってあった。台風前は境内参道も見えないほどの社叢、台風で倒木を除去した後は7割ほどが開けてしまった。被害状況は想像を絶する。

走田神社

社務所兼自宅が境内に隣接して鳥居左にある。茅葺きの歴史を感じる建物。
お昼時に申し訳なかったが御朱印をお願いすると快く応じていただけた。

走田神社
京都府亀岡市余部町走田1

丹波亀岡 鍬山神社

鍬山神社

亀岡市に鎮座する鍬山神社。御祭神は大巳貴神、誉田別尊。延喜式桑田郡の比定社。

鍬山神社

国道9号線から南に入ると大鳥居が建つ。その右を進む。

鍬山神社

駐車場に着くと入口に境内社百太夫社が建つ。御祭神は豊磐間戸命、櫛磐間戸命、猿田彦命。御神徳に道祖神とあるので元はそういうものだったのだろう。

鍬山神社

駐車場から歩くと右に朱色の鳥居が建つ。正面には絵馬堂が建っている。

鍬山神社

鳥居をくぐると左手に社務所。参拝後で御朱印をいただくことにする。

鍬山神社

一段上がると拝殿、さらに1段上に本殿が建つ。

鍬山神社

拝殿の左側に山手に向かう道と鳥居が建つ。通行止めになっていて奥宮でもあるのかと後で授与所で尋ねると滝があるのだそうだ。

鍬山神社

拝殿の裏に本殿が2棟並んで建っている。

鍬山神社

その前に拝殿右側に行くと池があり厳島神社がある。御祭神は市杵島姫命。

鍬山神社

本殿に参る。右に客神として八幡宮。御祭神は誉田別尊。

鍬山神社

左に主神として鍬山宮が建つ。御祭神は大巳貴命。

鍬山神社

社務所前に複数の境内社が並んでいる。
合殿になっているのは左から金山神社(金山姫命)、樫船神社(猿田彦命)、高樹神社(山雷大神)、左に日吉神社(大山咋神)、一番右に熊野神社(豊宇気大神、伊弉諾尊、天児屋根命)。

鍬山神社

その右に稲荷神社(倉稲魂神)、疱瘡神社(大国主命)。

鍬山神社

さらに右に安産石。八幡宮の御祭神誉田別尊が降臨したと伝えられる天岡山に天岡山トンネルを開通させたときに拾った貫通石だそうです。安産の祈願をされる方は触ってもいいようです。

鍬山神社

一番奥に正面右に天満宮(菅原道真公)、左に愛宕神社(火産霊神)。

鍬山神社
京都府亀岡市上矢田町上垣内22−2

丹波亀岡 篠村八幡宮

篠村八幡宮

亀岡市に鎮座する篠村八幡宮。御祭神は誉田別命、仲哀天皇、神功皇后。
河内守源頼義が河内国応神天皇陵に祀られた誉田八幡宮から御祭神を勧請して創建されたという。
明智光秀が本能寺の変に向けて丹波亀山城を出発した軍を集結させ戦勝祈願したということで参拝した。

篠村八幡宮

境内の南が表参道

篠村八幡宮

参道を北へ、突き当たりを左に曲がると右に手水舎、左に社務所、正面に社殿がある。
社務所に人がいなかったので御朱印は諦めたが、宮司さんに連絡することができればいただけたようだ。

篠村八幡宮

手水舎の横に祓戸社

篠村八幡宮

その後ろに土俵がある。

篠村八幡宮

拝殿と本殿

篠村八幡宮

本殿に参る。

篠村八幡宮

本殿の左に祖霊社が建つ。

篠村八幡宮

祖霊社の前には矢塚がある。

篠村八幡宮

当地は足利高氏が倒幕のため旗揚げした地で、当社に参り矢を奉納。他の部将も矢を奉納しうずたかく積まれた矢を埋納した場所が矢塚という。

篠村八幡宮

本殿左には乾疫神社と小宮社4社。
疫神社は御霊信仰で畿内十カ所に設けられた疫神社のひとつで、山城国と丹後国の国境に設けられた社。
小宮社は明治に合祀された神社で、秋葉神社、天満宮、地主神、春日神社・住吉神社の4社となっている。

篠村八幡宮

境内北の裏参道鳥居を出ると、旧山陰街道が境内に沿って通っている。

篠村八幡宮

境内の西北角に足利高氏の史跡旗揚楊がある。
高氏が味方にわかりやすいように源氏の旗を掲げた場所だという。

篠村八幡宮
京都府亀岡市篠町篠八幡裏4

丹波一の宮 出雲大神宮③

出雲大神宮

亀岡市に鎮座する出雲大神宮。御祭神は大国主命、三穂津姫命。

出雲大神宮

大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地として、京都亀岡大河ドラマ館など訪問のため参拝する。
今年は雪が少なかったため峠越えは全く問題なかったものの、朝からひどい濃霧だった。

出雲大神宮

弁財天社の建つ神池は水が抜かれメンテナンス中

出雲大神宮

檜皮葺の趣ある本拝殿。霧によってさらに幻想的

出雲大神宮

本殿前の拝所から参る。

出雲大神宮

背後の御神体山には磐座がある。御影山の御祭神は国常立神。
山頂には丹波守護代内藤氏の家臣であった柳本氏が築いた山城跡があるが、こちらからは神域を通るので通行止め。険しい別ルートを探る必要がありそう。

出雲大神宮

最後に御朱印をいただく。今日の墨書きは独特だなー

出雲大神宮
京都府亀岡市千歳町出雲無番地

若狭大飯 青葉山登拝

青葉山登拝

青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。

青葉山登拝

今日は中山口から登ることにする。

青葉山登拝

中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。

青葉山登拝

5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。

青葉山登拝

青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。

青葉山登拝

今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。

青葉山登拝

上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。

青葉山登拝

中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分

青葉山登拝

TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分

青葉山登拝

若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光

青葉山登拝

10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着

青葉山登拝

馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。

青葉山登拝

南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。

青葉山登拝

東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。

青葉山登拝

本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示

青葉山登拝

10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。

青葉山登拝

梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。

青葉山登拝

東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。

青葉山登拝

11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。

青葉山登拝

11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。

青葉山登拝

神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県

青葉山登拝

眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。

青葉山登拝

西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。

青葉山登拝

分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。

青葉山登拝

12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。

青葉山登拝

12時19分、松尾寺口に到着。

青葉山登拝

西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。

13時45分松尾寺を後にして帰途につく。

青葉山登拝

14時3分、今寺口に到着。

青葉山登拝

登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。

青葉山登拝

手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。

青葉山登拝

今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので

青葉山登拝

上に道標が立っている。

青葉山登拝

さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。

青葉山登拝

14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。

青葉山登拝

最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。

青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市

丹後加佐 松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)

松尾寺奥の院

青葉山の西峰から西に約200mに鎮座する松尾寺奥の院、通称青葉山妙理大権現。延喜式加佐郡弥加宜神社の論社。
御祭神は不明。

松尾寺奥の院

登山道から一段高い場所に祀られている。

松尾寺奥の院

階段の先に社殿と左に燈籠が建つ。

松尾寺奥の院

社殿は鉄格子の覆屋に入っている。
神仏分離の際に、麓の松尾集落と今寺集落の争いになって社殿が破壊され、今寺集落によって再建されたものだという。

松尾寺奥の院

覆屋の中に小さな祠が祀られ、鏡が置かれている。

松尾寺奥の院

松尾寺の宝物殿に元本尊といわれる平安時代作の十一面観世音菩薩が納められている。

松尾寺奥の院

今寺集落の寺にも製作年代はわからないが十一面観世音菩薩が祀られている。
そこから考えると、御祭神は十一面観世音菩薩の垂迹神になるだろうか。

松尾寺奥の院

下にもう1基燈籠が奉納されている。

松尾寺奥の院

少し下から眺めると、社殿と燈籠の配置はこのようになっている。

松尾寺奥の院

少し下ったところの登山道の脇に杉の大木が立っている。
登山道反対側にも上が焼けたか、折れたように見えるが同じく杉の大木がある。
登山道の両側に立ち、かつては鳥居の替わりだったのかもしれない。

松尾寺奥の院

松尾寺で聞いたところによると、奥の院はもとは西峰山頂の西青葉神社(西権現)の場所にあったらしい。
ここには神社の背後に大きな磐座がある。

松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)
京都府舞鶴市松尾

山城山科 岩屋神社

岩屋神社

京都市に鎮座する岩屋神社。御祭神は天忍穂耳命、栲幡千々姫命の夫婦二柱と、その皇子饒速日命の親子三柱を祀る。

岩屋神社

大宅奥山の麓に西向きに鎮座。中腹には創祀となる奥之院と呼ばれる場所がある。中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社、西が山科神社、上が不明という。

両側に塀をもつ参道入口に社号標と鳥居がある。階段を上って境内に入る。

岩屋神社

神門をくぐると中央にあるのは外拝殿か。左に社務所、後ろに拝殿が建つ。

岩屋神社

拝殿に参る。平成25年に創祀1120年の式年大祭が行われたようだ。

岩屋神社

拝殿右に宝物殿か神輿倉のような建物

岩屋神社

玉垣と木々に囲まれた本殿

岩屋神社

本殿の周りに境内社が建つ。本殿右裏に蛭子宮、御祭神は蛭子大神。

岩屋神社

本殿左裏に両宮大神宮、御祭神は天照皇大御神、豊受大御神。

岩屋神社

両宮大神宮の左前に稲荷宮、御祭神は宇迦之御魂神。

岩屋神社

拝殿左から裏手に奥之院への参道が延びる。

岩屋神社

その参道の右手に八幡宮、御祭神は応神天皇、神功皇后。

岩屋神社

左手には住吉宮(住吉三神)、山王宮(大山咋神)、天満宮(菅原道真公)の三社殿。

岩屋神社

裏鳥居を出ると、正面に石碑が立っている。「陰陽石 岩屋奥之院 右へ」

岩屋神社

笠原寺の左を通る道、石像がずらりと並ぶ場所もあるが、最後の橋が通行止めで、つまり行き止まり。
昔は奥之院の参道として機能していたのかもしれないが、今は車道を通って笠原寺の右を行くのが無難だろう。

岩屋神社

奥之院参道の入口に到着。ここからは山道になる。

岩屋神社

ジグザグの参道に朱色の鳥居が建つ。神へ続く道としてとても雰囲気がある。

岩屋神社

「岩屋大明神」の扁額がかかる石鳥居まで上ってくると、背後に陰岩と呼ばれる磐座。

岩屋神社

前に遙拝のための社殿が建ち、栲幡千々姫命を祀る。

岩屋神社

さらに少し上ると陽岩と呼ばれる磐座。前に遙拝のための社殿が建ち、天忍穂耳命を祀る。ともに大きな磐座で神宿るパワーを感じられる。

岩屋神社

戻る途中、参道脇を流れる川の途中が滝になっていて注連縄がかかっているのに気づく。

岩屋神社

笠原寺の左隣の住宅地は「岩屋殿」と呼ばれ、饒速日命を祀る小祠があった神域で左右を一辺とする三角形の場所。奥之院参道の入口は左の車道を行く。

岩屋神社

社務所に戻り、御朱印をいただく。

岩屋神社

次へ行く前に岩屋神社から真西へ移動し、奈良街道(府道35号線)と交差する場所に一の鳥居が建つ。ちょうどファミリーマートが角にある。駐車場からは奥之院のある大宅奥山が見える。

岩屋神社
京都府京都市山科区大宅中小路町67

山城洛南 伏見稲荷大社②

伏見稲荷大社

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。

伏見稲荷大社

前回参拝時は月曜日の早朝であったが、今日は日曜日の早朝。外国人も多く見かけられ、帰るときには修学旅行生が大挙して入ってきた。

伏見稲荷大社

拝殿に参る。

伏見稲荷大社

本殿から奥社に上る途中に建つ千本鳥居。外国人に人気の観光地に選ばれるだけあって、皆写真を撮るために順番待ちしている。自分は奥社に参って本殿へと戻る。

実は奥社の御朱印の手書きが欲しかったのだが、奥社は書き置きのみの授与だった。前回しっかりと確認していなかったが、今回は時間的に余裕があったので授与品も見てきた。

伏見稲荷大社

それらを組み合わせて自宅に稲荷神社を作ってみた。本殿授与所の鳥居絵馬、奥社授与所の幟2本セットと白狐石の御守札、授与所裏の土産店で狐のおみくじを買う。おみくじは前回右を、今回左を買ったが、並べてみると大きさが微妙に違い、前期のものがシャープだ。

今回は本殿御朱印のみいただき次に向かう。今回御朱印は三名書いていて、一番年配の神職に書いていただく。バランスが取れていて前回より好み。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

山城洛中 北野天満宮

北野天満宮

京都市上京区に鎮座する北野天満宮。御祭神は菅原道真公。全国の北野神社の総本社で、二十二社の二十番社であった。

北野天満宮

北門より境内に入る。

北野天満宮

入ってすぐ左に文子天満宮。多治比文子が菅原道真公を最初にお祀りした社で西ノ京から遷座。

北野天満宮

国宝本殿を左後ろから見る。

北野天満宮

本殿後ろに車払所があり、

北野天満宮

その後ろに摂社地主神社。御祭神は天神地祇、相殿に敦実親王、斎世親王、源英明朝臣を祀る。

北野天満宮

その左に末社老松社。御祭神は島田忠臣翁。そのまま反時計回りに本殿裏をまわる。

北野天満宮

本殿裏に祀られるのは御后三柱で、天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿。

北野天満宮

本殿真裏に祀られる摂末社群は、寛筭社、大門社、橘逸勢社、藤大夫社、文大夫社、淳仁天皇社、太宰小貳社、老松社、白大夫社、櫻葉社、吉備大臣社、崇道天皇社と連なる。

北野天満宮

本殿右後ろの牛舎、絵馬掛所の後ろに、福部社、高千穂社、安麻神社、御霊社、早鳥社、今雄社、貴布禰社、荒神社の摂末社群。

北野天満宮

井戸を挟んで、本殿右横に夷社、松童社、八幡社、若松社。

北野天満宮

左に少し下がって、那伊鎌社、一挙社、周枳社、宰相殿社、和泉殿社、三位殿社、大判事社が連なる。

北野天満宮

西廻廊横に文子社

北野天満宮

神明社と祀られ、西廻廊から本殿前に入る。

北野天満宮

さすがに学問の神。修学旅行生でいっぱいであったが、混ざって参拝する。

北野天満宮

授与所の裏にでると、境内に北野名物長五郎餅の店舗がある。

北野天満宮

その前に末社竈社。御祭神は庭津彦神、庭津姫神、火産霊神を祀る。

北野天満宮

東門を出入りして授与所に戻る。

北野天満宮

東廻廊部分が授与所になっている。

北野天満宮

授与所の一番右が御朱印所となっており、4種類の御朱印と刀剣特別朱印があった。

北野天満宮

楼門に掲げられた額に書かれた「文道太祖風月本主」の御朱印。書き置きのみ

北野天満宮

自国の歴史と文化に誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さを説いた精神「和魂漢才」の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

道真公の清らかで誠実な人柄を信仰する「至誠」の神の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

本殿の前には右に松、左に梅が植えられている。

北野天満宮

本殿前の東西廻廊の中央に三光門が建つ。

北野天満宮

前に日(太陽)の彫刻

北野天満宮

裏に月の彫刻があり、三光門の背後(北)に瞬く北極星を合わせて三光という。

北野天満宮

三光門の左前に庭園が広がり、水占いをする女性が多い。

北野天満宮

庭園の西側に紅梅殿

北野天満宮

趣ある囲いの中に連歌所の井戸がある。かつて境内に連歌会所があり、室町から江戸にかけて盛んに連歌会が開かれていたという。

北野天満宮

紅梅殿の南に末社群。
末社一夜松神社(一夜千松の霊)、豊國神社(豊臣秀吉公)、野見宿禰神社(野見宿禰命)の合祀殿。

北野天満宮

末社一之保神社(菅原大神)、奇御魂神社(道真公の奇御魂)の合祀殿。

北野天満宮

末社稲荷神社

北野天満宮

末社猿田彦社

北野天満宮

絵馬殿には多くの扁額が掲げられている。

北野天満宮

絵馬殿の西に末社宗像社

北野天満宮

大杉社は二又の境内随一の御神木だったという。

北野天満宮

絵馬殿から三光門に続く参道沿いの摂社に参る。

北野天満宮

参道左に摂社福部社。御祭神は十川能福。道真公に仕えた舎人だったという。

北野天満宮

摂社老松社。御祭神は島田忠臣翁。境内には三社あった。

北野天満宮

参道右に摂社火之御子社。御祭神は火雷神。

北野天満宮

摂社白太夫社。御祭神は渡会春彦翁。道真公の守り役だったという。

北野天満宮

御朱印にもなっている扁額の掛かる楼門

北野天満宮

楼門に至る参道左に末社伴氏社。御祭神は道真公の母君。

北野天満宮

三の鳥居

北野天満宮

二の鳥居

北野天満宮

一の鳥居の近くに影向松があり

北野天満宮

やっと一の鳥居に辿り着いた。境内に摂末社が多い神社であった。

北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町

京都洛北 平野神社

平野神社

京都市北区に鎮座する平野神社。御祭神は今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神。
延喜式葛野郡平野祭神四座に比定される名神大社で、二十二社の五番に列せられた。初め平城京の宮中に祀られたのを、平安京遷都に伴い当地に遷座されたという。

平野神社

境内西を西大路通に接する。

平野神社

西鳥居の横に「官幣大社 平野神社」の社号標

平野神社

南に回ると南門が建つ。もとは東大鳥居の位置に建っていたもので、御所の旧門を下賜された。

平野神社

西鳥居、南門の中は桜が植えられている。当宮は桜の名所でもあるようだ。

平野神社

表参道の東大鳥居、こちらにも「官幣大社 平野神社」の社号標が建つ。鳥居の扁額は「平野皇大神」と書かれている。

平野神社

東神門。左に廻廊が延びる。神門の左前に魁桜という早咲きの桜があり、京の花見を告げる桜だという。

平野神社

御神木のクスノキ。

平野神社

拝殿の先の玉垣の中に本殿が鎮まる。

平野神社

拝殿には三十六歌仙の額がかかる。海北友雪の画らしい。

平野神社

玉垣に囲まれた本殿。

平野神社

「平野造」または「比翼春日造り」と呼ばれる二殿をつないで一体としたもので、北から御祭神四座の今木皇大神より順に祀られている。南に摂社縣神社が鎮座するというが見えない。

平野神社

拝殿の右、北側に末社春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社。

平野神社

その隣に末社八幡社が鎮まる。

平野神社

神門の右にある社務所で御朱印をいただく。

平野神社

参道北の池の奥に出世導引稲荷社と猿田彦社の2社が祀られている。

平野神社

池といっても水は張られていなかった。
桜の時期に再拝してみたい神社だった。

平野神社
京都府京都市北区平野宮本町1

山城洛北 敷地神社(わら天神宮)

わら天神宮

京都市北区に鎮座するわら天神宮。正式名を敷地神社というが、社号標などもわら天神宮で通している。
御祭神は木花開耶姫命。社名は稲藁で編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げていたわらを、安産を願う妊婦が持ち帰るようになったので、後に安産のお守りとして妊婦に授与するようになった風習から定着したという。

もとは山背国葛野郡衣笠村に降臨した北山の神で、天長8年(831)に当地に氷室を設けるのに夫役として移住した加賀国の人々が、加賀国菅生石部神の分霊を勧請し、その母神木花開耶姫命を北山の神の西隣に祀ったといい、応永4年(1397)室町三代将軍足利義満により現在地へ遷座されたという。

わら天神宮

裏参道から入ったのだがわかりにくいので表参道から紹介する。
一の鳥居の扁額には「わら天神宮」と書かれている。

わら天神宮

参道を行くと、「天神宮」の扁額がかかる二の鳥居。

わら天神宮

参道の右に社務所

わら天神宮

社務所前から広くなり、横に3社が並ぶ。

わら天神宮

左手に舞殿(外拝殿か?)

わら天神宮

左の社殿が本社わら天神宮。

わら天神宮

拝殿左に末社綾杉明神が祀られている。樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀り、拾遺和歌集にも詠まれるほど著名であったが、明治29年の暴風で折れてしまったという。

わら天神宮

本社の本殿は御垣に囲まれている。

わら天神宮

本殿の左に末社大山祇神社。木花開耶姫命の父神を祀る。

わら天神宮

中央の社殿が六勝神社。御祭神は伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神を祀り、六所神社、六請明神社と呼ばれた。もとは平野神社の地主の邸内社であったのか、明治に入り当宮に遷座される際に、「必勝」の意味を込めて六勝神社と改称したという。

わら天神宮

六勝神社の本殿

わら天神宮

六勝神社の御朱印も社務所でいただける。

わら天神宮

右に建つのは末社八幡神社。明治40年に大北山原谷から遷座されたとホームページにあるのが、現地の由緒板には衣笠氷室町から遷座されたとあり、いずれが真実か。

わら天神宮

八幡神社裏に延びる裏参道

敷地神社(わら天神宮)
京都府京都市北区衣笠天神森町10

山城洛北 建勲神社

建勲神社

京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。

建勲神社

当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。

建勲神社

船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。

建勲神社

狛犬の鎮まる階段を上ると、

建勲神社

「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。

建勲神社

さらに階段を上る。

建勲神社

「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。

建勲神社

右手に貴賓館

建勲神社

その隣に社務所が建つ。

建勲神社

正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。

建勲神社

手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。

建勲神社

拝殿に参る。

建勲神社

拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。

建勲神社

本殿は御垣の中に建つ。

建勲神社

あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。

建勲神社

本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。

建勲神社

御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。

建勲神社

その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。

建勲神社

南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。

南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。

建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49

山城洛中 岩上神社

岩上神社

京都市上京区に鎮座する岩上神社。御祭神は岩神。延喜式愛宕郡大柴神社の論社。

岩上神社

住宅地の中に小さな公園のように鎮座する。

岩上神社

祠の背後に大きな木があり、社叢のようになっている。

岩上神社

手水舎には「岩神」の扁額がかかる。

岩上神社

二条堀川付近にあった霊石が六角通に遷され、さらに中和門院の屋敷の池のほとりに遷されると怪異な現象が起きたという。子供に化けたという伝説に因んで「禿童石(かむろいし)」と呼ばれたという。持て余した女官が蓮乗院の僧に相談し当地に遷され、「有乳山 岩上寺」と称し授乳、子育ての信仰を集めたという。幾度かの大火を経て明治維新には廃寺となり、大正年間に織物業の千切屋が敷地内に祠を構え現在に至っている。

周辺は西陣と呼ばれる応仁の乱で西軍が陣を張った地で、西陣織産地である。

岩上神社

岩神さまに参る。

岩上神社

後ろに幅のある大きな岩だ。

岩上神社
京都府京都市上京区上立売浄福寺東入る大黒町

山城洛中 首途八幡宮

首途八幡宮

京都市上京区に鎮座する首途八幡宮。御祭神は誉田別尊、比賣大神、息長帯姫命。
もとは「内野八幡宮」といい、平安京の大内裏の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。

首途八幡宮

かつて当地には奥州で産出された金を京で商う金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に旅立つ際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれ、「首途八幡宮」と呼ばれるようになった

首途八幡宮

社号標にも「かどで」のフリガナが振られていて、「出発」を意味する。

首途八幡宮

最近は義経ゆかりの地として観光に力を入れている。

首途八幡宮

参道を行くと、二の鳥居の右前に社務所

首途八幡宮

手水舎の手水には八幡宮の神使の鳩が彫刻されている。

首途八幡宮

社殿は少し高まった丘の上にある。左の三の鳥居を上がって、右の階段から下りてくるようになっているようだ。

首途八幡宮

階段を上がると社殿が見えてくる。拝殿と本殿一体の社殿のようだ。本殿に参る。

首途八幡宮

本殿右の授与所も無人であったが、由緒書きと書き置きの御朱印が置かれていた。

首途八幡宮

階段を下りる途中に仏像があり、地蔵かと思っていたのだが大日如来のようだ。

首途八幡宮

社務所の左奥に弁財天が祀られている。

首途八幡宮

弁財天社

首途八幡宮

境内に石が奉納されているのだが、達筆すぎて読めないので詳細はわからない。

首途八幡宮
京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1

山城洛中 白峯神宮

白峯神宮

京都市上京区に鎮座する白峯神宮。御祭神は第75代崇徳天皇、第47代淳仁天皇。
明治元年に創建された新しい神社。近代社格では官幣大社という高位に列せられた。

白峯神宮

車道は車通りが多く、正面から撮影できないため、やむやく歩道から斜めに鳥居と社号標を撮影する。

白峯神宮

鳥居をくぐると神門。一般駐車場は境内裏にあるようだが、許可車はここを通過して中に入る。

白峯神宮

境内に入ると正面に拝殿が建ち、右近の橘、左近の桜が定型通り植えられている。

白峯神宮

当宮は和歌・蹴鞠の公卿宗家飛鳥井家の邸跡に建てられており、一角に樹齢八百年の小賀玉の大樹がある。

白峯神宮

拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿が建ち、拝所が設けられている。

白峯神宮

拝殿の右に地主社。飛鳥井家の邸内社で「まり」の神である精大明神のほか、柊大明神、糸元大明神、白峯天神、今宮大神を祀る。
そのため、球技スポーツの精進を願い、サッカー日本代表が祈願に訪れ、中高生が部活動のために修学旅行の人気コースとなっているようだ。

白峯神宮

その左には蹴鞠保存会100周年記念に建立された「蹴鞠碑」

白峯神宮

その左には伴緒社。保元の乱に崇徳天皇方についた源氏の棟梁源為義公と、その子で弓の名人源為朝公を祀り、武道の神として、やはり中高生の部活動で参ることが多い。

白峯神宮

一番奥にあるのは潜龍社。悪縁を水に流して良縁に替えるという潜龍大神を祀る。

白峯神宮

拝所は修学旅行生で一杯だったが順番待ちしてお参りする。御垣の中の本殿

白峯神宮

拝殿の左には、4月14日の淳仁天皇祭で蹴鞠が奉納される場所。

白峯神宮

最後に授与所で御朱印をいただく。修学旅行生が列をなしてお守りを買い求めるためか、御朱印は書き置きのみで見開きの大きさ。
若者たちの元気さに圧倒されながら当宮を後にする。

白峯神宮
京都府京都市上京区飛鳥井町261番地

山城洛中 福長神社

福長神社

京都市上京区に鎮座する福長神社。御祭神は福井神、綱長井神、稲荷神。
社名は福井神と綱長井神を合祀することによるが、稲荷神と合わせ福長稲荷とも呼ばれた。

福長神社

社前に旗が建っていないと社があることもわかりにくいほど。

福長神社

家々に挟まれて境内がある。

福長神社

入ると手水舎の中に井戸がある。
福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院に祀られていた宮中神の坐摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座であり、ともに井戸の神で、宮中の井戸の守護神とされていた。

福長神社

当地に遷座したのは天正年間とされ、天明の大火(1788)で消失した後に小祠となったという。

福長神社

拝所の奥に本殿が覆屋の中に鎮まる。

福長神社
京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538

山城洛南 真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)

真幡寸神社旧地

現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。

真幡寸神社旧地

住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。

真幡寸神社旧地

境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。

真幡寸神社旧地

若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。

真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町