「26京都府の神社」カテゴリーアーカイブ

丹波園部 城崎神社

城崎神社

旧園部町に鎮座する城崎神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神。
日本三代実録に神階従五位を授けられたと記載される城崎神とされる。いわゆる式外社。

城崎神社

境内を南から見る。境内の灯籠には「春日社」の銘が入り、古代には城崎神と呼ばれたが、中世以降は春日大明神と呼ばれた。

城崎神社

鳥居の右に「式内 城崎神社」の社号標が建つ。式外じゃないんですよね。

城崎神社

木崎庄の総氏神として江戸時代には園部藩主の崇敬も厚かったといい、拝殿も大きい。

城崎神社

拝殿背後の本殿には覆い屋が掛けられている。

城崎神社

中の本殿は檜皮葺で拝殿にも増して大きい。

城崎神社

本殿に参る。

城崎神社

本殿の右には摂社蛭子神社

城崎神社

境内の左には摂社稲荷社

城崎神社

本殿前の由緒書には摂社が3社書かれている。境内を探したがここが若宮社遙拝所だろうか。

城崎神社
京都府南丹市園部町上木崎町岩崎27

丹波園部 生身天満宮

生身天満宮

旧園部町に鎮座する生身天満宮。御祭神は菅原道真公。
園部には菅原道真公の別邸があり、全国の天満宮で唯一生きている間に祀られた社だといい、そこから「日本最古の天満宮」と言われる。

生身天満宮

道路向かいの駐車場に石灯籠が建っている。

生身天満宮

鳥居から階段を上り本殿へと向かう。

生身天満宮

階段右の斜面には梅林が広がっている。

生身天満宮

梅林の反対側の左の方に武部源蔵社が建つ。当社の始祖で園部の代官として道真公に仕えていた。

生身天満宮

階段の途中に厳島神社

生身天満宮

その上に国定国光稲荷神社が建つ。

生身天満宮

階段を上り終えると正面に大神宮

生身天満宮

大神宮の脇に塞神社と白山姫神社がある。

生身天満宮

大神宮の右上に秋葉愛宕神社が建つ。ここが境内の中では最高所になる。

生身天満宮

階段を上り左に曲がると鳥居の先に社殿がある。

生身天満宮

右手には神楽殿。来月竣工する予定という。

生身天満宮

拝殿に参る。

生身天満宮

拝殿には三十六歌仙が並んでいる。

生身天満宮

本殿右後ろに境内社、右に紅梅神社、白太夫神社、若松神社の3社、左に稲荷神社、金比羅神社の2社が合殿となっている。

生身天満宮

社務所の左には八坂神社、西宮神社、八幡宮が並ぶ。

生身天満宮

社務所前には使いの牛像があった。

生身天満宮

生身天満宮は別邸のあった小麦山に祀られたが、園部藩が園部城を当地に築城することとなり、現在の天神山へと遷座したという。小麦山は園部公園となっており、「生身天満宮跡」の石碑が建っている。

生身天満宮
京都府南丹市園部町美園町1号67番地

丹波亀岡 宮川神社

宮川神社

亀岡市に鎮座する宮川神社。御祭神は伊賀古夜姫命と譽田別命の二柱。
延喜式桑田郡神野神社の論社のひとつ。

神野神社の創建は文武天皇大宝年間に神野山山上と伝えられる。それ以前の欽明天皇32年に宇佐八幡宮から勧請し神野山山中に奉斎、その社地を八幡平という。正保4年に二社を合祀して山麓に宮川神社として再興されたという。

宮川神社

山上への道路も狭かったが、山麓の宮川神社への道も集落の細い道を奥へ、山裾まで進んでようやく着く。
そこは半国山へのハイキングコースのひとつである宮川コースの入口になっている。

宮川神社

階段を少し上ると左手に境内がある。まっすぐフェンスの先がハイキングコースだ。

宮川神社

入口に「延喜式内 宮川神社」の社号標。由緒書もある。

宮川神社

参道を進むと、両側に塀が続くが、漆喰が落ちている部分も多い。山麓北側とあって湿気も多いのだろう。

宮川神社

伐採された木もある。ここでも平成30年9月の台風21号の被害があったのだろうか。

宮川神社

さらに進むと正面に拝殿、右手に本殿が見えてくる。

宮川神社

右に曲がって階段を上ると本殿。本殿に参る。

宮川神社

本殿は覆い屋の中だが、横に回り込むと本殿に食い込むように大岩が背後に現われた。
この大岩を磐座として本殿を建てたものと考えられる。

宮川神社

本殿の左に道が続いているので行ってみる。

宮川神社

途中、玉依姫命を祀る小祠。御祭神の伊賀古夜姫命は玉依姫命の母神となる。

宮川神社

少し下がったところに貴船大神を祀る小祠。
ここは神社に隣接して築庭された神苑のようだが、やはり災害により荒れている感じがする。

宮川神社

磐座を祀るような場所もある。

宮川神社

道は拝殿に続いている。神苑は拝殿と本殿の比高くらいの高低差がある。

宮川神社
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山2

丹波亀岡 宮川神社旧地

宮川神社

亀岡市に鎮座する宮川神社の旧鎮座地は神尾山山上。

宮川神社

神尾山、古くは神野山と呼ばれる。

宮川神社

すれ違いも難しい山道をどんどん上っていくと突き当たりに神尾山金輪寺がある。
神野神社の神宮寺だった。

宮川神社

金輪寺の裏を山頂に進むと神尾山城がある。尾根沿いに曲輪が幾重にも連なっている。

宮川神社

山上にはまず宇佐八幡宮から勧請された八幡宮が祀られ、後に神野神社が祀られる。
八幡宮が祀られたことから八幡平と呼ばれたようだが、この看板以降案内が全くなくなる。

宮川神社

方角の案内ある辺りが展望台だろうか。全く視界も開けず山頂付近に至っても城跡などの案内板を見つけることができなかった。
神尾山城は本目城とも呼ばれ、明智光秀が丹波攻略のために築城した城のひとつだった。

宮川神社旧鎮座地
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山山頂

丹波亀岡 小幡神社②

小幡神社

亀岡市に鎮座する小幡神社。御祭神は開化天皇を主祭神とし、皇子の彦坐王、孫の小俣王の三代を祀る。
延喜式桑田郡の比定社。

小幡神社

入口の社号標から一段下がって境内が広がる。

小幡神社

鳥居の先に左に社務所、右に自宅が建つ。後で自宅の方を訪ねて御朱印をいただいた。

小幡神社

開放的な拝殿

小幡神社

拝殿の後ろや本殿のまわりに境内が複数建っている。

小幡神社

拝殿左後ろに愛宕社

小幡神社

拝殿右後ろに百太夫社

小幡神社

本殿に参る。本殿には「正一位小野大明神」の扁額が架かる。

小幡神社

本殿左前に大原社

小幡神社

本殿の左に朱色の鳥居が立ち並び、その先に稲荷社

小幡神社

本殿の左後に遷之宮。地蔵が多く並んでいる。

小幡神社

本殿の屋根が苔生して雰囲気がある。

小幡神社

本殿右後に地主社

小幡神社

上田正昭宮司の歌碑。小幡神社宮司で元京大教授、前大阪女子大学長の文学博士だそうです。
氏子には大本教の出口王仁三郎、本名上田喜三郎がいるそうです。

小幡神社

愛宕社の前にある石柱は社日というらしい。ぱっと見ると四角に見えるのだが、実は五角形。
それぞれの面に神名が刻まれていて、「農業祖神 天照大神」「五穀祖神 倉稲魂命」「五穀守神 大己貴命」「
五穀護神 少彦名命」「土御祖神 埴安媛命」の五神。

小幡神社

社の東には犬飼川。神社の裏山は穴太城址だそうです。

小幡神社
京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内1

丹波亀岡 走田神社②

走田神社

亀岡市に鎮座する走田神社。御祭神は彦火火出見命、豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。
延喜式桑田郡の比定社。

走田神社

社前鳥居。一部地域は参拝管理が終わっていないところもあり、当社も来てみて2度目だと分かった。

走田神社

参道に入るとすぐ左手に百大夫社。

走田神社

さらに進むと右に馬のチェーンソーアート。

走田神社

こんなに空の開けた神社だったかと歩きながら思っていたのだが、平成30年9月の台風20号で境内の大木の多くが倒れてしまったようだ。

走田神社

参道右に稲荷社。鳥居の復興は終わっているようだが

走田神社

社殿のほうはまだ未着手のまま

走田神社

さらに参道を進むと右に本殿が建ち、前に灯籠が並ぶ。

走田神社

本殿の前に境内社。右に経津主社、左に大国主社。

走田神社

本殿に参る。

走田神社

参道突き当たりに弁財天社が建つ。

走田神社

本殿前に倉、神輿倉なのか単なる倉庫なのか

走田神社

その前に台風前と後の写真が貼ってあった。台風前は境内参道も見えないほどの社叢、台風で倒木を除去した後は7割ほどが開けてしまった。被害状況は想像を絶する。

走田神社

社務所兼自宅が境内に隣接して鳥居左にある。茅葺きの歴史を感じる建物。
お昼時に申し訳なかったが御朱印をお願いすると快く応じていただけた。

走田神社
京都府亀岡市余部町走田1

丹波亀岡 鍬山神社

鍬山神社

亀岡市に鎮座する鍬山神社。御祭神は大巳貴神、誉田別尊。延喜式桑田郡の比定社。

鍬山神社

国道9号線から南に入ると大鳥居が建つ。その右を進む。

鍬山神社

駐車場に着くと入口に境内社百太夫社が建つ。御祭神は豊磐間戸命、櫛磐間戸命、猿田彦命。御神徳に道祖神とあるので元はそういうものだったのだろう。

鍬山神社

駐車場から歩くと右に朱色の鳥居が建つ。正面には絵馬堂が建っている。

鍬山神社

鳥居をくぐると左手に社務所。参拝後で御朱印をいただくことにする。

鍬山神社

一段上がると拝殿、さらに1段上に本殿が建つ。

鍬山神社

拝殿の左側に山手に向かう道と鳥居が建つ。通行止めになっていて奥宮でもあるのかと後で授与所で尋ねると滝があるのだそうだ。

鍬山神社

拝殿の裏に本殿が2棟並んで建っている。

鍬山神社

その前に拝殿右側に行くと池があり厳島神社がある。御祭神は市杵島姫命。

鍬山神社

本殿に参る。右に客神として八幡宮。御祭神は誉田別尊。

鍬山神社

左に主神として鍬山宮が建つ。御祭神は大巳貴命。

鍬山神社

社務所前に複数の境内社が並んでいる。
合殿になっているのは左から金山神社(金山姫命)、樫船神社(猿田彦命)、高樹神社(山雷大神)、左に日吉神社(大山咋神)、一番右に熊野神社(豊宇気大神、伊弉諾尊、天児屋根命)。

鍬山神社

その右に稲荷神社(倉稲魂神)、疱瘡神社(大国主命)。

鍬山神社

さらに右に安産石。八幡宮の御祭神誉田別尊が降臨したと伝えられる天岡山に天岡山トンネルを開通させたときに拾った貫通石だそうです。安産の祈願をされる方は触ってもいいようです。

鍬山神社

一番奥に正面右に天満宮(菅原道真公)、左に愛宕神社(火産霊神)。

鍬山神社
京都府亀岡市上矢田町上垣内22−2

丹波亀岡 篠村八幡宮

篠村八幡宮

亀岡市に鎮座する篠村八幡宮。御祭神は誉田別命、仲哀天皇、神功皇后。
河内守源頼義が河内国応神天皇陵に祀られた誉田八幡宮から御祭神を勧請して創建されたという。
明智光秀が本能寺の変に向けて丹波亀山城を出発した軍を集結させ戦勝祈願したということで参拝した。

篠村八幡宮

境内の南が表参道

篠村八幡宮

参道を北へ、突き当たりを左に曲がると右に手水舎、左に社務所、正面に社殿がある。
社務所に人がいなかったので御朱印は諦めたが、宮司さんに連絡することができればいただけたようだ。

篠村八幡宮

手水舎の横に祓戸社

篠村八幡宮

その後ろに土俵がある。

篠村八幡宮

拝殿と本殿

篠村八幡宮

本殿に参る。

篠村八幡宮

本殿の左に祖霊社が建つ。

篠村八幡宮

祖霊社の前には矢塚がある。

篠村八幡宮

当地は足利高氏が倒幕のため旗揚げした地で、当社に参り矢を奉納。他の部将も矢を奉納しうずたかく積まれた矢を埋納した場所が矢塚という。

篠村八幡宮

本殿左には乾疫神社と小宮社4社。
疫神社は御霊信仰で畿内十カ所に設けられた疫神社のひとつで、山城国と丹後国の国境に設けられた社。
小宮社は明治に合祀された神社で、秋葉神社、天満宮、地主神、春日神社・住吉神社の4社となっている。

篠村八幡宮

境内北の裏参道鳥居を出ると、旧山陰街道が境内に沿って通っている。

篠村八幡宮

境内の西北角に足利高氏の史跡旗揚楊がある。
高氏が味方にわかりやすいように源氏の旗を掲げた場所だという。

篠村八幡宮
京都府亀岡市篠町篠八幡裏4

丹波一の宮 出雲大神宮③

出雲大神宮

亀岡市に鎮座する出雲大神宮。御祭神は大国主命、三穂津姫命。

出雲大神宮

大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地として、京都亀岡大河ドラマ館など訪問のため参拝する。
今年は雪が少なかったため峠越えは全く問題なかったものの、朝からひどい濃霧だった。

出雲大神宮

弁財天社の建つ神池は水が抜かれメンテナンス中

出雲大神宮

檜皮葺の趣ある本拝殿。霧によってさらに幻想的

出雲大神宮

本殿前の拝所から参る。

出雲大神宮

背後の御神体山には磐座がある。御影山の御祭神は国常立神。
山頂には丹波守護代内藤氏の家臣であった柳本氏が築いた山城跡があるが、こちらからは神域を通るので通行止め。険しい別ルートを探る必要がありそう。

出雲大神宮

最後に御朱印をいただく。今日の墨書きは独特だなー

出雲大神宮
京都府亀岡市千歳町出雲無番地

若狭大飯 青葉山登拝

青葉山登拝

青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。

青葉山登拝

今日は中山口から登ることにする。

青葉山登拝

中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。

青葉山登拝

5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。

青葉山登拝

青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。

青葉山登拝

今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。

青葉山登拝

上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。

青葉山登拝

中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分

青葉山登拝

TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分

青葉山登拝

若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光

青葉山登拝

10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着

青葉山登拝

馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。

青葉山登拝

南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。

青葉山登拝

東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。

青葉山登拝

本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示

青葉山登拝

10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。

青葉山登拝

梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。

青葉山登拝

東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。

青葉山登拝

11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。

青葉山登拝

11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。

青葉山登拝

神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県

青葉山登拝

眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。

青葉山登拝

西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。

青葉山登拝

分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。

青葉山登拝

12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。

青葉山登拝

12時19分、松尾寺口に到着。

青葉山登拝

西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。

13時45分松尾寺を後にして帰途につく。

青葉山登拝

14時3分、今寺口に到着。

青葉山登拝

登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。

青葉山登拝

手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。

青葉山登拝

今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので

青葉山登拝

上に道標が立っている。

青葉山登拝

さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。

青葉山登拝

14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。

青葉山登拝

最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。

青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市

丹後加佐 松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)

松尾寺奥の院

青葉山の西峰から西に約200mに鎮座する松尾寺奥の院、通称青葉山妙理大権現。延喜式加佐郡弥加宜神社の論社。
御祭神は不明。

松尾寺奥の院

登山道から一段高い場所に祀られている。

松尾寺奥の院

階段の先に社殿と左に燈籠が建つ。

松尾寺奥の院

社殿は鉄格子の覆屋に入っている。
神仏分離の際に、麓の松尾集落と今寺集落の争いになって社殿が破壊され、今寺集落によって再建されたものだという。

松尾寺奥の院

覆屋の中に小さな祠が祀られ、鏡が置かれている。

松尾寺奥の院

松尾寺の宝物殿に元本尊といわれる平安時代作の十一面観世音菩薩が納められている。

松尾寺奥の院

今寺集落の寺にも製作年代はわからないが十一面観世音菩薩が祀られている。
そこから考えると、御祭神は十一面観世音菩薩の垂迹神になるだろうか。

松尾寺奥の院

下にもう1基燈籠が奉納されている。

松尾寺奥の院

少し下から眺めると、社殿と燈籠の配置はこのようになっている。

松尾寺奥の院

少し下ったところの登山道の脇に杉の大木が立っている。
登山道反対側にも上が焼けたか、折れたように見えるが同じく杉の大木がある。
登山道の両側に立ち、かつては鳥居の替わりだったのかもしれない。

松尾寺奥の院

松尾寺で聞いたところによると、奥の院はもとは西峰山頂の西青葉神社(西権現)の場所にあったらしい。
ここには神社の背後に大きな磐座がある。

松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)
京都府舞鶴市松尾

山城山科 岩屋神社

岩屋神社

京都市に鎮座する岩屋神社。御祭神は天忍穂耳命、栲幡千々姫命の夫婦二柱と、その皇子饒速日命の親子三柱を祀る。

岩屋神社

大宅奥山の麓に西向きに鎮座。中腹には創祀となる奥之院と呼ばれる場所がある。中世に東・西・上の岩屋三社と呼ばれた神社は、東が当社、西が山科神社、上が不明という。

両側に塀をもつ参道入口に社号標と鳥居がある。階段を上って境内に入る。

岩屋神社

神門をくぐると中央にあるのは外拝殿か。左に社務所、後ろに拝殿が建つ。

岩屋神社

拝殿に参る。平成25年に創祀1120年の式年大祭が行われたようだ。

岩屋神社

拝殿右に宝物殿か神輿倉のような建物

岩屋神社

玉垣と木々に囲まれた本殿

岩屋神社

本殿の周りに境内社が建つ。本殿右裏に蛭子宮、御祭神は蛭子大神。

岩屋神社

本殿左裏に両宮大神宮、御祭神は天照皇大御神、豊受大御神。

岩屋神社

両宮大神宮の左前に稲荷宮、御祭神は宇迦之御魂神。

岩屋神社

拝殿左から裏手に奥之院への参道が延びる。

岩屋神社

その参道の右手に八幡宮、御祭神は応神天皇、神功皇后。

岩屋神社

左手には住吉宮(住吉三神)、山王宮(大山咋神)、天満宮(菅原道真公)の三社殿。

岩屋神社

裏鳥居を出ると、正面に石碑が立っている。「陰陽石 岩屋奥之院 右へ」

岩屋神社

笠原寺の左を通る道、石像がずらりと並ぶ場所もあるが、最後の橋が通行止めで、つまり行き止まり。
昔は奥之院の参道として機能していたのかもしれないが、今は車道を通って笠原寺の右を行くのが無難だろう。

岩屋神社

奥之院参道の入口に到着。ここからは山道になる。

岩屋神社

ジグザグの参道に朱色の鳥居が建つ。神へ続く道としてとても雰囲気がある。

岩屋神社

「岩屋大明神」の扁額がかかる石鳥居まで上ってくると、背後に陰岩と呼ばれる磐座。

岩屋神社

前に遙拝のための社殿が建ち、栲幡千々姫命を祀る。

岩屋神社

さらに少し上ると陽岩と呼ばれる磐座。前に遙拝のための社殿が建ち、天忍穂耳命を祀る。ともに大きな磐座で神宿るパワーを感じられる。

岩屋神社

戻る途中、参道脇を流れる川の途中が滝になっていて注連縄がかかっているのに気づく。

岩屋神社

笠原寺の左隣の住宅地は「岩屋殿」と呼ばれ、饒速日命を祀る小祠があった神域で左右を一辺とする三角形の場所。奥之院参道の入口は左の車道を行く。

岩屋神社

社務所に戻り、御朱印をいただく。

岩屋神社

次へ行く前に岩屋神社から真西へ移動し、奈良街道(府道35号線)と交差する場所に一の鳥居が建つ。ちょうどファミリーマートが角にある。駐車場からは奥之院のある大宅奥山が見える。

岩屋神社
京都府京都市山科区大宅中小路町67

山城洛南 伏見稲荷大社②

伏見稲荷大社

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。

伏見稲荷大社

前回参拝時は月曜日の早朝であったが、今日は日曜日の早朝。外国人も多く見かけられ、帰るときには修学旅行生が大挙して入ってきた。

伏見稲荷大社

拝殿に参る。

伏見稲荷大社

本殿から奥社に上る途中に建つ千本鳥居。外国人に人気の観光地に選ばれるだけあって、皆写真を撮るために順番待ちしている。自分は奥社に参って本殿へと戻る。

実は奥社の御朱印の手書きが欲しかったのだが、奥社は書き置きのみの授与だった。前回しっかりと確認していなかったが、今回は時間的に余裕があったので授与品も見てきた。

伏見稲荷大社

それらを組み合わせて自宅に稲荷神社を作ってみた。本殿授与所の鳥居絵馬、奥社授与所の幟2本セットと白狐石の御守札、授与所裏の土産店で狐のおみくじを買う。おみくじは前回右を、今回左を買ったが、並べてみると大きさが微妙に違い、前期のものがシャープだ。

今回は本殿御朱印のみいただき次に向かう。今回御朱印は三名書いていて、一番年配の神職に書いていただく。バランスが取れていて前回より好み。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

山城洛中 北野天満宮

北野天満宮

京都市上京区に鎮座する北野天満宮。御祭神は菅原道真公。全国の北野神社の総本社で、二十二社の二十番社であった。

北野天満宮

北門より境内に入る。

北野天満宮

入ってすぐ左に文子天満宮。多治比文子が菅原道真公を最初にお祀りした社で西ノ京から遷座。

北野天満宮

国宝本殿を左後ろから見る。

北野天満宮

本殿後ろに車払所があり、

北野天満宮

その後ろに摂社地主神社。御祭神は天神地祇、相殿に敦実親王、斎世親王、源英明朝臣を祀る。

北野天満宮

その左に末社老松社。御祭神は島田忠臣翁。そのまま反時計回りに本殿裏をまわる。

北野天満宮

本殿裏に祀られるのは御后三柱で、天穂日命、菅原清公卿、菅原是善卿。

北野天満宮

本殿真裏に祀られる摂末社群は、寛筭社、大門社、橘逸勢社、藤大夫社、文大夫社、淳仁天皇社、太宰小貳社、老松社、白大夫社、櫻葉社、吉備大臣社、崇道天皇社と連なる。

北野天満宮

本殿右後ろの牛舎、絵馬掛所の後ろに、福部社、高千穂社、安麻神社、御霊社、早鳥社、今雄社、貴布禰社、荒神社の摂末社群。

北野天満宮

井戸を挟んで、本殿右横に夷社、松童社、八幡社、若松社。

北野天満宮

左に少し下がって、那伊鎌社、一挙社、周枳社、宰相殿社、和泉殿社、三位殿社、大判事社が連なる。

北野天満宮

西廻廊横に文子社

北野天満宮

神明社と祀られ、西廻廊から本殿前に入る。

北野天満宮

さすがに学問の神。修学旅行生でいっぱいであったが、混ざって参拝する。

北野天満宮

授与所の裏にでると、境内に北野名物長五郎餅の店舗がある。

北野天満宮

その前に末社竈社。御祭神は庭津彦神、庭津姫神、火産霊神を祀る。

北野天満宮

東門を出入りして授与所に戻る。

北野天満宮

東廻廊部分が授与所になっている。

北野天満宮

授与所の一番右が御朱印所となっており、4種類の御朱印と刀剣特別朱印があった。

北野天満宮

楼門に掲げられた額に書かれた「文道太祖風月本主」の御朱印。書き置きのみ

北野天満宮

自国の歴史と文化に誇りを持ち、他国の文化も受け入れる寛容さを説いた精神「和魂漢才」の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

道真公の清らかで誠実な人柄を信仰する「至誠」の神の御朱印。書き置きのみ。

北野天満宮

本殿の前には右に松、左に梅が植えられている。

北野天満宮

本殿前の東西廻廊の中央に三光門が建つ。

北野天満宮

前に日(太陽)の彫刻

北野天満宮

裏に月の彫刻があり、三光門の背後(北)に瞬く北極星を合わせて三光という。

北野天満宮

三光門の左前に庭園が広がり、水占いをする女性が多い。

北野天満宮

庭園の西側に紅梅殿

北野天満宮

趣ある囲いの中に連歌所の井戸がある。かつて境内に連歌会所があり、室町から江戸にかけて盛んに連歌会が開かれていたという。

北野天満宮

紅梅殿の南に末社群。
末社一夜松神社(一夜千松の霊)、豊國神社(豊臣秀吉公)、野見宿禰神社(野見宿禰命)の合祀殿。

北野天満宮

末社一之保神社(菅原大神)、奇御魂神社(道真公の奇御魂)の合祀殿。

北野天満宮

末社稲荷神社

北野天満宮

末社猿田彦社

北野天満宮

絵馬殿には多くの扁額が掲げられている。

北野天満宮

絵馬殿の西に末社宗像社

北野天満宮

大杉社は二又の境内随一の御神木だったという。

北野天満宮

絵馬殿から三光門に続く参道沿いの摂社に参る。

北野天満宮

参道左に摂社福部社。御祭神は十川能福。道真公に仕えた舎人だったという。

北野天満宮

摂社老松社。御祭神は島田忠臣翁。境内には三社あった。

北野天満宮

参道右に摂社火之御子社。御祭神は火雷神。

北野天満宮

摂社白太夫社。御祭神は渡会春彦翁。道真公の守り役だったという。

北野天満宮

御朱印にもなっている扁額の掛かる楼門

北野天満宮

楼門に至る参道左に末社伴氏社。御祭神は道真公の母君。

北野天満宮

三の鳥居

北野天満宮

二の鳥居

北野天満宮

一の鳥居の近くに影向松があり

北野天満宮

やっと一の鳥居に辿り着いた。境内に摂末社が多い神社であった。

北野天満宮
京都府京都市上京区馬喰町

京都洛北 平野神社

平野神社

京都市北区に鎮座する平野神社。御祭神は今木皇大神、久度大神、古開大神、比賣大神。
延喜式葛野郡平野祭神四座に比定される名神大社で、二十二社の五番に列せられた。初め平城京の宮中に祀られたのを、平安京遷都に伴い当地に遷座されたという。

平野神社

境内西を西大路通に接する。

平野神社

西鳥居の横に「官幣大社 平野神社」の社号標

平野神社

南に回ると南門が建つ。もとは東大鳥居の位置に建っていたもので、御所の旧門を下賜された。

平野神社

西鳥居、南門の中は桜が植えられている。当宮は桜の名所でもあるようだ。

平野神社

表参道の東大鳥居、こちらにも「官幣大社 平野神社」の社号標が建つ。鳥居の扁額は「平野皇大神」と書かれている。

平野神社

東神門。左に廻廊が延びる。神門の左前に魁桜という早咲きの桜があり、京の花見を告げる桜だという。

平野神社

御神木のクスノキ。

平野神社

拝殿の先の玉垣の中に本殿が鎮まる。

平野神社

拝殿には三十六歌仙の額がかかる。海北友雪の画らしい。

平野神社

玉垣に囲まれた本殿。

平野神社

「平野造」または「比翼春日造り」と呼ばれる二殿をつないで一体としたもので、北から御祭神四座の今木皇大神より順に祀られている。南に摂社縣神社が鎮座するというが見えない。

平野神社

拝殿の右、北側に末社春日社、住吉社、蛭子社、鈿女社。

平野神社

その隣に末社八幡社が鎮まる。

平野神社

神門の右にある社務所で御朱印をいただく。

平野神社

参道北の池の奥に出世導引稲荷社と猿田彦社の2社が祀られている。

平野神社

池といっても水は張られていなかった。
桜の時期に再拝してみたい神社だった。

平野神社
京都府京都市北区平野宮本町1

山城洛北 敷地神社(わら天神宮)

わら天神宮

京都市北区に鎮座するわら天神宮。正式名を敷地神社というが、社号標などもわら天神宮で通している。
御祭神は木花開耶姫命。社名は稲藁で編んだ籠に神饌を入れて神様に捧げていたわらを、安産を願う妊婦が持ち帰るようになったので、後に安産のお守りとして妊婦に授与するようになった風習から定着したという。

もとは山背国葛野郡衣笠村に降臨した北山の神で、天長8年(831)に当地に氷室を設けるのに夫役として移住した加賀国の人々が、加賀国菅生石部神の分霊を勧請し、その母神木花開耶姫命を北山の神の西隣に祀ったといい、応永4年(1397)室町三代将軍足利義満により現在地へ遷座されたという。

わら天神宮

裏参道から入ったのだがわかりにくいので表参道から紹介する。
一の鳥居の扁額には「わら天神宮」と書かれている。

わら天神宮

参道を行くと、「天神宮」の扁額がかかる二の鳥居。

わら天神宮

参道の右に社務所

わら天神宮

社務所前から広くなり、横に3社が並ぶ。

わら天神宮

左手に舞殿(外拝殿か?)

わら天神宮

左の社殿が本社わら天神宮。

わら天神宮

拝殿左に末社綾杉明神が祀られている。樹齢千数百年に及ぶ神木綾杉の霊を祀り、拾遺和歌集にも詠まれるほど著名であったが、明治29年の暴風で折れてしまったという。

わら天神宮

本社の本殿は御垣に囲まれている。

わら天神宮

本殿の左に末社大山祇神社。木花開耶姫命の父神を祀る。

わら天神宮

中央の社殿が六勝神社。御祭神は伊勢・石清水・賀茂・松尾・稲荷・春日の六柱神を祀り、六所神社、六請明神社と呼ばれた。もとは平野神社の地主の邸内社であったのか、明治に入り当宮に遷座される際に、「必勝」の意味を込めて六勝神社と改称したという。

わら天神宮

六勝神社の本殿

わら天神宮

六勝神社の御朱印も社務所でいただける。

わら天神宮

右に建つのは末社八幡神社。明治40年に大北山原谷から遷座されたとホームページにあるのが、現地の由緒板には衣笠氷室町から遷座されたとあり、いずれが真実か。

わら天神宮

八幡神社裏に延びる裏参道

敷地神社(わら天神宮)
京都府京都市北区衣笠天神森町10

山城洛北 建勲神社

建勲神社

京都市北区に鎮座する建勲神社。御祭神は織田信長公を主祭神とし、嫡子信忠公を配祀する。
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが、親しみを込めて「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡山は平安京正中の真北に位置し、玄武として京城鎮護の地とされた。後年、豊臣秀吉が正親町天皇の勅許を受け、主君信長公を祀る廟所を定めた。

建勲神社

当宮には御朱印が2種類ある。通常のものと、天下布武龍章の押された見開きのものです。
他に期間限定で京都刀剣の御朱印があった。

建勲神社

船岡山の東麓に一の鳥居が建つ。

建勲神社

狛犬の鎮まる階段を上ると、

建勲神社

「太平和敬神」碑が建つ。山上に遷座される前の本殿がここに建っていたという。

建勲神社

さらに階段を上る。

建勲神社

「別格官幣 建勲神社」社号標が建つ階段の先は広い削平地となっている。山上の社殿も東麓の本殿と同じく東を向いている。

建勲神社

右手に貴賓館

建勲神社

その隣に社務所が建つ。

建勲神社

正面に手水舎、一段高くなって拝殿が建つ。

建勲神社

手水舎の下方に船岡妙見社が建つ。玄武大神を祀る社だが、社殿周囲の一部は社叢扱いになっているのか禁足地になっていて近づけない。

建勲神社

拝殿に参る。

建勲神社

拝殿の後ろの神門には近づけない。本殿を囲む御垣の一部を構成する門は中門と呼ぶ場合が多いのが、当宮では神門と呼ぶ。

建勲神社

本殿は御垣の中に建つ。

建勲神社

あらためて拝殿を見ると、扁額がたくさん掛かっている。三十六歌仙という神社が多いが、当宮では信長公功臣肖像画であり、秀吉や柴田勝家、森蘭丸などが描かれている。

建勲神社

本殿跡の右方に末社義照稲荷社が鎮座する。

建勲神社

御祭神は宇迦御霊大神、国床立大神、猿田彦大神。秦氏の守護神として西陣織の祖神と崇敬されている。

建勲神社

その隣に稲荷命婦元宮。伏見稲荷大社命婦社の祖神である船岡山の霊狐が祀られているという。

建勲神社

南参道口には「史跡 船岡山」碑が建つ。船岡山は標高45m。応仁の乱で西軍の大将山名宗全が砦を築き陣を敷いた地と山頂周辺に砦跡が残るというが、今日は時間の都合で行かなかった。

南参道の入口に標石があるというが見つけられなかった。

建勲神社
京都府京都市北区紫野北舟岡町49

山城洛中 岩上神社

岩上神社

京都市上京区に鎮座する岩上神社。御祭神は岩神。延喜式愛宕郡大柴神社の論社。

岩上神社

住宅地の中に小さな公園のように鎮座する。

岩上神社

祠の背後に大きな木があり、社叢のようになっている。

岩上神社

手水舎には「岩神」の扁額がかかる。

岩上神社

二条堀川付近にあった霊石が六角通に遷され、さらに中和門院の屋敷の池のほとりに遷されると怪異な現象が起きたという。子供に化けたという伝説に因んで「禿童石(かむろいし)」と呼ばれたという。持て余した女官が蓮乗院の僧に相談し当地に遷され、「有乳山 岩上寺」と称し授乳、子育ての信仰を集めたという。幾度かの大火を経て明治維新には廃寺となり、大正年間に織物業の千切屋が敷地内に祠を構え現在に至っている。

周辺は西陣と呼ばれる応仁の乱で西軍が陣を張った地で、西陣織産地である。

岩上神社

岩神さまに参る。

岩上神社

後ろに幅のある大きな岩だ。

岩上神社
京都府京都市上京区上立売浄福寺東入る大黒町

山城洛中 首途八幡宮

首途八幡宮

京都市上京区に鎮座する首途八幡宮。御祭神は誉田別尊、比賣大神、息長帯姫命。
もとは「内野八幡宮」といい、平安京の大内裏の北東に位置したため、王城鎮護の神とされた。

首途八幡宮

かつて当地には奥州で産出された金を京で商う金売吉次の屋敷があったと伝えられ、源義経が奥州平泉に旅立つ際に、吉次の助けを得て、ここで道中の安全を祈願して出発したといわれ、「首途八幡宮」と呼ばれるようになった

首途八幡宮

社号標にも「かどで」のフリガナが振られていて、「出発」を意味する。

首途八幡宮

最近は義経ゆかりの地として観光に力を入れている。

首途八幡宮

参道を行くと、二の鳥居の右前に社務所

首途八幡宮

手水舎の手水には八幡宮の神使の鳩が彫刻されている。

首途八幡宮

社殿は少し高まった丘の上にある。左の三の鳥居を上がって、右の階段から下りてくるようになっているようだ。

首途八幡宮

階段を上がると社殿が見えてくる。拝殿と本殿一体の社殿のようだ。本殿に参る。

首途八幡宮

本殿右の授与所も無人であったが、由緒書きと書き置きの御朱印が置かれていた。

首途八幡宮

階段を下りる途中に仏像があり、地蔵かと思っていたのだが大日如来のようだ。

首途八幡宮

社務所の左奥に弁財天が祀られている。

首途八幡宮

弁財天社

首途八幡宮

境内に石が奉納されているのだが、達筆すぎて読めないので詳細はわからない。

首途八幡宮
京都市上京区智恵光院通今出川上ル桜井町102-1

山城洛中 白峯神宮

白峯神宮

京都市上京区に鎮座する白峯神宮。御祭神は第75代崇徳天皇、第47代淳仁天皇。
明治元年に創建された新しい神社。近代社格では官幣大社という高位に列せられた。

白峯神宮

車道は車通りが多く、正面から撮影できないため、やむやく歩道から斜めに鳥居と社号標を撮影する。

白峯神宮

鳥居をくぐると神門。一般駐車場は境内裏にあるようだが、許可車はここを通過して中に入る。

白峯神宮

境内に入ると正面に拝殿が建ち、右近の橘、左近の桜が定型通り植えられている。

白峯神宮

当宮は和歌・蹴鞠の公卿宗家飛鳥井家の邸跡に建てられており、一角に樹齢八百年の小賀玉の大樹がある。

白峯神宮

拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿が建ち、拝所が設けられている。

白峯神宮

拝殿の右に地主社。飛鳥井家の邸内社で「まり」の神である精大明神のほか、柊大明神、糸元大明神、白峯天神、今宮大神を祀る。
そのため、球技スポーツの精進を願い、サッカー日本代表が祈願に訪れ、中高生が部活動のために修学旅行の人気コースとなっているようだ。

白峯神宮

その左には蹴鞠保存会100周年記念に建立された「蹴鞠碑」

白峯神宮

その左には伴緒社。保元の乱に崇徳天皇方についた源氏の棟梁源為義公と、その子で弓の名人源為朝公を祀り、武道の神として、やはり中高生の部活動で参ることが多い。

白峯神宮

一番奥にあるのは潜龍社。悪縁を水に流して良縁に替えるという潜龍大神を祀る。

白峯神宮

拝所は修学旅行生で一杯だったが順番待ちしてお参りする。御垣の中の本殿

白峯神宮

拝殿の左には、4月14日の淳仁天皇祭で蹴鞠が奉納される場所。

白峯神宮

最後に授与所で御朱印をいただく。修学旅行生が列をなしてお守りを買い求めるためか、御朱印は書き置きのみで見開きの大きさ。
若者たちの元気さに圧倒されながら当宮を後にする。

白峯神宮
京都府京都市上京区飛鳥井町261番地

山城洛中 福長神社

福長神社

京都市上京区に鎮座する福長神社。御祭神は福井神、綱長井神、稲荷神。
社名は福井神と綱長井神を合祀することによるが、稲荷神と合わせ福長稲荷とも呼ばれた。

福長神社

社前に旗が建っていないと社があることもわかりにくいほど。

福長神社

家々に挟まれて境内がある。

福長神社

入ると手水舎の中に井戸がある。
福井神と綱長井神は、平安京大内裏内の神祇官西院に祀られていた宮中神の坐摩巫祭神五座(生井神、福井神、綱長井神、波比伎神、阿須波神)のうちの二座であり、ともに井戸の神で、宮中の井戸の守護神とされていた。

福長神社

当地に遷座したのは天正年間とされ、天明の大火(1788)で消失した後に小祠となったという。

福長神社

拝所の奥に本殿が覆屋の中に鎮まる。

福長神社
京都府京都市上京区室町通武者小路下ル福長町538

山城洛南 真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)

真幡寸神社旧地

現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。

真幡寸神社旧地

住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。

真幡寸神社旧地

境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。

真幡寸神社旧地

若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。

真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町

山城洛南 城南宮

城南宮

京都市伏見区に鎮座する城南宮。御祭神は城南大神(国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊)。方除の神として平安京の南に鎮座された。

城南宮

正月・5月・9月は特別朱印がある。銀色のインクで押されるので画像修正がうまくいかなかったが、雰囲気は分かるだろうか。詳細は後ほど

城南宮

駐車場の関係で東鳥居より入る。鳥居には「城南離宮」と書かれている。
白河上皇や鳥羽上皇が城南宮を取り囲むように鳥羽離宮(城南離宮)が造営され院政の拠点となった。

城南宮

しばらく参道を行くと社務所と貴賓館が左手にある。

城南宮

さらに進むと右手に摂社真幡寸神社。御祭神は真幡寸大神、応神天皇。延喜式紀伊郡眞幡寸神社の論社。

城南宮

竹田地区に氏子を持ち、神紋は「三葉葵」

城南宮

真幡寸神社の御朱印は昨年、官社列格1200年を記念して覆刻された。書き置きのみ。

城南宮

左手には神苑(城南離宮の庭)への入口があり、中のギャラリーでは鳥羽伏見の戦い展が開催されているようだったが、時間も限られているので今回は入らなかった。
来年は鳥羽伏見の戦い150年の節目で、城南宮は薩摩軍による開戦地として有名。

城南宮

さらに右手に芹川神社。中には「唐渡天満宮」の社号碑が建っているが同じ社を指している。御祭神は菅原道真公。左に小祠があるが御祭神は不明。

城南宮

その隣に絵馬舎

城南宮

本社前の鳥居までやってきた。「城南宮」の社号標が建つ。入る前に周囲を回ることにする。

城南宮

その鳥居と正対して三照宮社。御祭神は天照大御神。

城南宮

本社と同じ三光紋が付いている。

城南宮

入った東鳥居とは反対側に建つ西鳥居。扁額にはやはり「城南離宮」と書かれている。
国道1号線に面し、大型駐車場や車修祓所がある。

城南宮

修祓所に隣接して斎館が建つ。

城南宮

本社に向かうことにする。鳥居、拝殿、本殿と一直線に並んでいる。

城南宮

開放的な拝殿

城南宮

右には神輿舎。五色の布が風に揺られて風情が漂う。

城南宮

本殿は残念ながら改修工事中で見えなかった。

城南宮

周囲の境内社にはお参りできたが、撮影禁止だったので写真はない。
本殿の左に、稲荷社、厳島社・住吉社・兵主社の三社合祀社、粟島社の三社、右に春日社、大国主社、庚申社、天満宮社・妙見社・金刀比羅社の三社合祀社の四社が本殿に向かって鎮座する。

城南宮

拝殿左の授与所で御朱印をいただく。

城南宮

城南宮では正月、5月、9月は神様と特にご縁が深い月とされ、重ねてお参りする「正五九参り」の信仰がある。
今年からその期間は特別御朱印のみ朱印帳にいただけ、通常の御朱印は書き置きとなる。

城南宮

参道を戻る途中、宿り木の案内板を見つけた。行きは気づかなかったが天気も良くよく見えた。

城南宮
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地

山城洛南 伏見稲荷大社 お山めぐり

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。その神奈備である稲荷山を一周することを「お山めぐり」という。

奥社奉拝所に参り、千本鳥居を進むとやがて熊鷹大神の扁額の掛かる鳥居が混ざってくる。

新池に張り出すように鎮座する熊鷹社、祭神は熊鷹大神。

さらに進み、三ツ辻を曲がって階段を上っていくと、途中に三徳社がある。

さらに階段を上る。この鳥居をくぐると四ツ辻になり、稲荷山一周が始まる。

三ノ峰下社、祭神は白菊大神。

間ノ峰荷田社、祭神は伊勢大神。ここまで来ると汗が噴き出してくる。

二ノ峰中社、祭神は青木大神。

そして稲荷山山頂233m、一ノ峰上社、祭神は末広大神。
奥社奉拝所から30分ほど経っていた。

ゆるやかに下る。春繁社、祭神は春繁大神。

長者社、祭神は御劔石という霊石で、別名御劔社ともいう。

おせき社、祭神はおせき大神。

石井社、祭神は石井大神。

薬力社、祭神は薬力大神。

山上祈祷所、三ヶ峰の北背後にあたり、かつて御饗殿と御竈殿があり供物をするところだった。

御膳谷奉拝所、ここで稲荷山の御朱印がいただける。奥社奉拝所からやがて一時間が過ぎようとしていた。

眼力社、祭神は眼力大神。

大杉社、大杉を祀る。

ようやく四ツ辻に戻り、北の荒神峰に上る。祭神は権太夫大神。

荒神峰の背後を谷に下り、白滝社に至る。祭神は白滝大神。

白滝のご霊水。

磐境を祀る社が並ぶ御幸奉拝所。

四ツ辻からは京都南部の町並みがくっきりと見えた。やがて一時間半を過ぎようとしていた。
すべて回ってきたつもりだったが、御膳谷奉拝所の北方の谷に三社ほどあったようだ。

山城洛南 伏見神宝神社

京都市に鎮座する伏見神宝神社。御祭神は天照大御神を主祭神とし、稲荷大明神を配祀する。

神社へは伏見稲荷大社の奥社奉拝所から稲荷山へ向かう千本鳥居の途中から右の山道へ入る。

本殿に参る。狛犬ならぬ狛龍が拝殿前に控える。

社名の「神宝」は奉安されている十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいう。物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。

御朱印は伏見稲荷大社と同じ8時30分からだったので帰りにいただく。

伏見神宝神社
京都府京都市伏見区深草笹山町15

山城洛南 伏見稲荷大社 奥社奉拝所

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。本殿の上にある奥社に向かう。

権殿右の鳥居より階段を上がっていく。

階段の左に境内社が並ぶ。末社長者社、祭神は旧社家秦氏の祖神。

末社荷田社、祭神は旧社家荷田氏の祖神。

末社5つの五社相殿。
末社八幡宮社、祭神は応神天皇。
末社日吉社、祭神は大山咋神。
末社若王子社、祭神は若王子大神。
末社猛尾社、祭神は須佐之男命。
末社蛭子社、祭神は事代主神。

末社両宮社、祭神は天照皇大神、豊受皇大神。

階段上に二社。供物所、稲荷山に供物をする場所。階段にネコが一匹、まるで眠り猫のように目を閉じ、社を守っていた。

末社玉山稲荷社、祭神は玉山稲荷大神。

奥社と反対方向に少し歩く。末社大八嶋社、祭神は大八嶋大神。古来磐境を祀る。

神馬舎。

一段上がってくる。奥宮、本殿と同じ稲荷大神を祀り、摂社でも末社でもなく別格扱いの社。

末社白狐社、祭神は命婦専女神。

そして奥宮から千本鳥居が始まる。初めは大鳥居。

千本鳥居の脇に変わった灯籠が立っている。二匹の狐が輪を作り、和合を願うものか。

大鳥居を抜けると小さい鳥居が立ち並ぶ、有名な場所が始まる。右側通行。

外国人にも人気の千本鳥居。

千本鳥居を抜けると奥社奉拝所に出る。奥社奉拝所に参る。
御朱印は8時30分からだったので帰りにいただく。9時半を過ぎると大勢の観光客のため手書きはしておらず、書き置きの授与のみだった。

山城洛南 伏見稲荷大社

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。関西で最も初詣の多い神社。
御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。延喜式の紀伊郡稲荷神社の比定社であり、摂社田中社が飛鳥田神社の論社、摂社四大神が御諸神社の論社となっている。

社殿は西向き。参拝客のまだ少ない時間帯を狙って朝早く参拝に来た。朝日がまぶしい。

社名標の横に稲荷の神使キツネの銅像。境内ではたくさんのキツネに会うことになる。

参道を進むと左に境内社が三社。右より
霊魂社、祭神は瑞穂講社、講務本庁の特別崇敬者、当社に係り深い物故者の御魂。
末社藤尾社、祭神は舎人親王。
末社熊野社、祭神は伊邪那美大神。

二つ目の大鳥居の後ろには楼門。

天正期に秀吉が寄進した楼門。南北の廻廊が江戸中期に拡張された。

楼門をくぐると右手に末社東丸神社。社家に生まれた荷田春満を祀る。春葉殿と荷田社の2つの境内社がある。

本殿は前に拝殿がつく型式。正面や真横からの撮影はできなかったのでやや斜めから。
本殿に参る。

本殿後ろの左に権殿。

本殿の真後ろには奥宮と稲荷山の遙拝所。

鳥居型の珍しい絵馬。これだけたくさんあると朱がまぶしい。
御朱印は8時30分からということでお山めぐりの帰りにいただいた。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

社殿は西向き。参拝客のまだ少ない時間帯を狙って朝早く参拝に来た。朝日がまぶしい。

社名標の横に稲荷の神使キツネの銅像。境内ではたくさんのキツネに会うことになる。

参道を進むと左に境内社が三社。右より
霊魂社、祭神は瑞穂講社、講務本庁の特別崇敬者、当社に係り深い物故者の御魂。
末社藤尾社、祭神は舎人親王。
末社熊野社、祭神は伊邪那美大神。

二つ目の大鳥居の後ろには楼門。

天正期に秀吉が寄進した楼門。南北の廻廊が江戸中期に拡張された。

楼門をくぐると右手に末社東丸神社。社家に生まれた荷田春満を祀る。春葉殿と荷田社の2つの境内社がある。

本殿は前に拝殿がつく型式。正面や真横からの撮影はできなかったのでやや斜めから。
本殿に参る。

本殿後ろの左に権殿。

本殿の真後ろには奥宮と稲荷山の遙拝所。

鳥居型の珍しい絵馬。これだけたくさんあると朱がまぶしい。
御朱印は8時30分からということでお山めぐりの帰りにいただいた。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

山城八幡 石清水八幡宮

八幡市男山に鎮座する石清水八幡宮。全国八幡神社本社のひとつ。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、比咩大神は宗像三女神とされる。

御朱印は拝殿前の授与所でいただく。本社と摂社三社の四種類ある。本社の墨書きが鳩でなかったのが少々残念。

ロープウェーはあるが、初めての参拝でもあるので山麓から歩いていく。

一の鳥居、扁額の八は鳩になっている。書は社僧であった松花堂昭乗の筆による。

頓宮殿入口、左に筒井がある。

頓宮殿

頓宮殿の出口。塗り替えられた朱色が鮮やか。

頓宮殿を出ると初めに鎮座する摂社が高良社。

高良社、御祭神は高良玉垂命。

二の鳥居を通るといよいよ上りが始まる。

分岐に鎮座する大扉稲荷社

その前にある影清塚。参拝前に心身を清めた場所。

階段は長いが、緩いので比較的上りやすい。

階段の終点に神馬舎。彌櫻号という神馬は今日は不在。

三の鳥居。ここから社殿は一直線。社殿は南向きに鎮座する。

三の鳥居をくぐるとかつて競馬の出発地点だった一ツ石。お百度参りの始点でもある。

南総門前まで来た。

手水舎にはたくさんの柄杓が並ぶ。

南総門をくぐると特徴的な拝殿が見えた。今日は非公開文化財公開日なのでいつもより多いかもしれない。

左にご神木の楠。楠木正成奉納で樹齢700年を越えるという。

時計回りに本殿まわりの境内社をまわる。廣田社、生田社、長田社の三社殿。

摂社武内社、御祭神は武内宿禰命。社殿は本殿の北西隅に鎮座する。今回廻廊内に入ってお詣りできたが、廻廊内は撮影禁止のため写真はない。御朱印中の熊笹は、武内宿禰命の御神紋である熊笹紋をもとにしている。

校倉

住吉社

一童社

北総門

貴船社と龍田社の二社殿。

若宮社と若宮殿社

気比社

水若宮社

来たときと別ルートで下りる。東総門の下、右手に伊勢神宮遙拝所がある。

摂社石清水社、御祭神は天之御中主神。御朱印中の霊泉とかかれたひょうたんは、松花堂昭乗の使用した印がもとになっている。

八幡大神が勧請される以前から祀られている産土神

石清水井、八幡五水のひとつで、往古より皇室及び将軍家の御祈祷に当たってはこの霊水を山上の八幡宮に献納していたという。

社僧であった松花堂昭乗の晩年の庵があった場所

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30

山城乙訓 離宮八幡宮

大山崎町に鎮座する離宮八幡宮。御祭神は応神天皇、田心姫命、市杵島姫命、端津姫命、酒解大神。

正門の高麗門。社殿は南向き。

鳥居は境内内に立つ。

油祖の像。山崎の地は製油発祥の地であった。

拝殿に参る。

本殿の左にたくさんの境内が並ぶ。武内社

天照皇太神社

蛭子神社

鹿島神社

気比宮

高天宮神社

右が小禅師宮、左が勝手神社

腰掛天神社と道真腰掛石

高良社

不明の境内社

本殿の右に若宮神社

社務所で御朱印をいただく。兼務社の酒解神社の分もこちらでいただける。

石清水八幡宮創建の地であり、それ以前は酒解神社が鎮座した地という。境内には「石清水八幡宮」「大山崎八幡宮」「八幡宮」と様々な名の灯籠が立つ。現社名はここに嵯峨天皇の離宮があったところに由来する。

かつては広大な神領を有していたが、明治に入り東海道本線開通のため北側の大半の社領が削られ、南側の築地塀、正門の高麗門、そしてこの東門がそれ以前の面影を伝える。

離宮八幡宮
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1

山城乙訓 自玉手祭來酒解神社

大山崎の天王山に鎮座する自玉手祭來酒解神社。御祭神は自玉手祭來酒解神とも言われる大山祇神、素戔嗚尊を配祀する。

延喜式の乙訓郡自玉手祭來酒解神に比定される神社で明神大社、元は山崎社といい麓の離宮八幡宮の場所にあったという。離宮八幡宮の勢力が強くなるにつれ、山崎山に遷座し、天王社と呼ばれたところから天王山と呼ばれるようになった。

JR山崎駅から宝積寺の登山口を目指す。

しばらく登ると白い大きな一の鳥居が見えてきた。

鳥居脇に展望台があり、山崎合戦の古戦場が眼下に広がっている。

またしばらく登ると、三社宮が見えてきた。御祭神は天照大神、月読大神、蛭子神。高い木に囲まれた社が印象的。

三社宮から登山口は右に行く。左に少し行くと厳島社がある。

さらに登っていくと、酒解神社が見えてきた。社殿は山腹にあるとしては大きい。

拝殿に入り、本殿に参る。

振り返ると崖のほうに木が見える。

この一本はおそらくご神木なのだろう。

左に境内社が一社。

その左に神輿蔵がある。板倉造という鎌倉時代中期のころの珍しいものらしい。国重要文化財に指定されている。

本殿の右には後見社が拝殿に向かって建つ。祭神は大己貴命。

現在酒解神社は離宮八幡宮の兼務社となっているため、下山後、離宮八幡宮で御朱印をいただいた。

自玉手祭來酒解神社
京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王46