「都道府県別」カテゴリーアーカイブ

能登七尾 大地主神社②

大地主神社

七尾市に鎮座する大地主神社。御祭神は大山咋神、素盞嗚尊、伊許保止命。

大地主神社

能登立国1300年と神社創建1300年を記念して再建された二の鳥居。日吉大社を本社とし、山王鳥居とする。

大地主神社

能登国立国の旧暦5月2日である6月4日に千三百年慶賀祭が行われ、二の鳥居のくぐり初めの儀が執り行われた。

大地主神社

大地主神社は青柏祭が有名。鍛冶町、魚町、府中町の三台の山車が繰り出す。

大地主神社

境内には鍛治町の山車庫がある。丸に山の鍛治町の印が付いている。

大地主神社

山車庫の端には、鍛治町の氏神である鍛冶神社が祀られている。

大地主神社

拝殿に参る。
授与所で御朱印をいただいた。「能登國千三百年」の特別印が入る特別バージョンになっている。

大地主神社
石川県七尾市山王町1−13

加賀金沢 波自加彌神社⑤ はじかみ大祭

波自加彌神社

金沢市に鎮座する波自加彌神社。御祭神は波自加彌神と正八幡神を祀る。
今年はショウガの印が金色になり、ショウガ色に近くなりました。

波自加彌神社

今年もはじかみ大祭に行ってきました。

波自加彌神社

今日は朝から風が強かったこともあってか、昨年よりも若干参拝者が少なく感じる。

波自加彌神社

ふるまいテントで

波自加彌神社

ショウガ味のご飯の入った寿司と、ショウガ入天かすの入ったうどんをいただいた。

波自加彌神社

奉納者の玉串奉奠が終わった後、神職らによりショウガ湯が

波自加彌神社

小皿に注がれ

波自加彌神社

ショウガ湯を飲み干して

波自加彌神社

小皿を地面に叩き割って、厄払いをする。

波自加彌神社

その後、参拝者にもショウガ湯が振る舞われた。一年の無病息災を願い、ショウガ湯を飲んできた。
今年は例年の高知産と愛知産に加えて、和歌山産のショウガが加わり、ピリリと甘辛い味でした。

波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165

近江神崎 太郎坊宮(阿賀神社)

太郎坊宮

東近江市に鎮座する太郎坊宮。御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神。
修験の山として「太郎坊大権現」と崇敬されたことから当神社の尊称と

太郎坊宮

阿賀大神とも呼ばれる御祭神の正式社名の2種類の御朱印をいただける。

太郎坊宮

本殿に参拝した方限定で金字の特別御朱印もいただける。こちらからお願いしないと出てこない書き置きバージョン。
数ヶ月に1回墨書きが変わるようで、今は「阿賀大神」だった。

太郎坊宮

太郎坊宮の鎮座する赤神山、通称太郎坊山は一際目立つ。
約7000万年前の湖東カルデラの痕跡で湖東流紋岩でできている。

太郎坊宮

南から北に一直線に延びる参道の先に赤神山が聳える。
一の鳥居と社号標。横に第一駐車場がある。

太郎坊宮

赤神山を眺めながら参道を行く。参道沿いに無数に並ぶ燈籠は御大典記念として昭和三年に建てられたものがほとんどのようだ。

太郎坊宮

二の鳥居前に御神田があり、第二駐車場がある。

太郎坊宮

御神田内の鳥居は赤神山に向かって建っている。

太郎坊宮

二の鳥居の横にも社号標が建つ。

太郎坊宮

赤神山の麓に到着。いよいよ上りが始まる。

太郎坊宮

「是ヨリ本社マデ三二六米」
本殿まで742段の石段が続く。

太郎坊宮

麓は天台宗成願寺の境内になっている。御本尊は薬師如来。
かつて50余りあった社殿僧坊のひとつで、江戸時代に復興された。

太郎坊宮

階段下には彩色された延命地蔵菩薩が祀られている。

太郎坊宮

階段の途中には熊野権現社が建つ。

太郎坊宮

成願寺の境内から太郎坊宮へ続く階段に鳥居が建つ。

太郎坊宮

階段の途中にあまり見かけない東屋が建っている。

太郎坊宮

脇に不上石と呼ばれる石がある。
この石は旧石段のひとつであり、明治初年までは参拝当日に魚鳥肉類を食べたものはこの石よりは上には登らず、ここで拝礼したものと言われる。不上石の名の由来という。

太郎坊宮

石面は自然に魚の形をしているといい、見ていると左に目と口、エラのようなものが見える。

太郎坊宮

500段弱登ると参集殿下駐車場がある。

太郎坊宮

駐車場に車祓所がある。

太郎坊宮

参集殿までの階段に十二支の御神像が並ぶ。

太郎坊宮

参集殿。本殿に参ってから御朱印をここでいただいた。

太郎坊宮

参集殿前の表参道から反時計回りにまわる。

太郎坊宮

祭祀庫

太郎坊宮

長楽殿

太郎坊宮

永安殿

太郎坊宮

御霊水。ここから赤神山に登ることができる。

太郎坊宮

拝殿

太郎坊宮

「赤神山」の大きな扁額がかかる。

太郎坊宮

見逃しがちな根上りのご神木

太郎坊宮

赤神山稲荷社と愛宕社

太郎坊宮

二見稲荷社と十二社神社

太郎坊宮

夫婦岩(左が女岩、右が男岩)前の鳥居をくぐり

太郎坊宮

その間を通って本殿に向かう。

太郎坊宮

本殿に参る。

太郎坊宮

本殿前から見る夫婦岩

太郎坊宮

眼下に一の鳥居までの参道が見える。

太郎坊宮

裏参道を下りる。
摂社地主神社

太郎坊宮

その脇に斜めに割れ目の入った岩が露出している。

太郎坊宮

一願成就社

太郎坊宮

裏参道には七福神が並び、一願成就社の近くの弁財天像の下には鎮魂窟がある。

太郎坊宮

絵馬殿まで下りてくると、滝のある池に不動明王が祀られている。

太郎坊宮

絵馬殿には大正末から昭和初年の絵馬が複数かかっている。

太郎坊宮

参集殿で御朱印をいただく。
東近江市ではこの春ももクロのライブが行われ、当宮にも参拝した。ファンによる聖地巡礼も多いようだ。

太郎坊宮(阿賀神社)
滋賀県東近江市小脇町2247

越前今立 大瀧神社 権現山登拝

大瀧神社

越前市に鎮座する大瀧神社。御祭神は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉那美尊。
今年鎮座1300年を迎え、GWに千三百年大祭が行われた。

大瀧神社

二の鳥居と「縣社 大瀧神社」の社号標が建つ。

大瀧神社

鳥居には「岡太神社 大瀧神社」の扁額が掛かる。
というのも、ここ下宮の社殿は遥拝所で、神様はGWの例祭で上宮から下りてくる間だけ鎮まる。

大瀧神社

十一面観音坐像を祀る観音堂。かつては下宮の拝殿であったが、現在の社殿に建て替えるときに移動されたもの。

大瀧神社

中で千三百年大祭記念事業として、「よみがえる別山堂」を開催している。
奥の院割拝殿の改築により屋根から見つかった部材に、新材を組み合わせて建てられた別山堂。いずれ元の場所に再建されるようだ。

大瀧神社

拝殿に参る。

大瀧神社

社殿には凝った彫刻が四方に飾られている。

大瀧神社

社殿右方の神輿殿がちょうど開かれた。

大瀧神社

例祭で神様が上宮と下宮を行き来する神輿が四基。六角形の煌びやかな神輿。

大瀧神社

今年の千三百年大祭は「日本の祭り」の撮影があったようだ。地元は早々に放送されるが、BSで放送されるまで気長に待とう。

大瀧神社

今日は午後のイベントまで時間があるので、上宮に登ってみた。
大徳山とも呼ばれる権現山。上宮は山頂とは少し方角が違うので、今日は山頂には向かわない。

大瀧神社

奥の院まで神仏習合の遺跡が残る。
「山伏岩の跡」
女人禁制の奥の院への密入者を取り締まるため、大岩のあるこの場所に毎日数人の山伏が見張り検問にあたっていたという。

大瀧神社

「神馬・神くらの化石」
神馬に乗った神がいつもこの場所に立ち里山を守っていたので、いつの間にか神馬が化石になったと伝えられている。数年前までその面影が残っていたが、現在は石が砕け落ち、一部しか残っていないのでその姿は確認できない。

大瀧神社

「神馬の足跡」
神代の昔、この山をめぐって神争いがあった時に、日野山上より神が馬にまたがり飛来されたその馬の足跡という。
落ち葉を除けるとそれらしい窪みがあった。

大瀧神社

途中鳥居をくぐって先に進む。

大瀧神社

「み火たき所の跡」
石に囲まれた場所が残る。

大瀧神社

「十善寺の跡」
大瀧児権現の別当であった大徳山大瀧寺の奥の院の中心寺が建っていた場所という。

大瀧神社

「ひじり堂の跡」

大瀧神社

奥の院の手水。ほとりに不動石像が立っている。

大瀧神社

改築された奥の院割拝殿

大瀧神社

背後に3社の本殿が並ぶ。

大瀧神社

中央が大瀧神社本殿。

大瀧神社

右に岡太神社。御祭神は川上御前。延喜式今立郡の比定社。
「式内 岡太神社」の扁額がかかる。

大瀧神社

左に八幡社。

大瀧神社

八幡社の左にわかりにくいが上に登る道が続く。権現山山頂への登山道を兼ねる。

大瀧神社

5分ほど歩くと鳥居が見えてきた。

大瀧神社

「おんなじの跡」
「越南知」とも「大己貴」とも書かれ、大国主命のこと。
白山を開山した泰澄大師が開山したと伝わる権現山は、白山の御前峰、大汝峰、別山に対応するように、白山伏拝、おんなじ跡、別山堂の3つの峰がある。

大瀧神社

権現山一の大杉が目印。御神木

大瀧神社

「大瀧城本丸跡」
おんなじの跡にあたり、大瀧児権現を守護する城であったという。おんなじの跡、白山伏拝を含めた4つの主郭とその間に5つの堀切がある。

大瀧神社

城跡を散策しながら別山へ向かう。主郭を断ち切るように掘られた大きな堀切。

大瀧神社

3つめの主郭には弐の杉と呼ばれる大杉が、やはり御神木としてある。

大瀧神社

「法花堂の跡」

大瀧神社

4つの主郭を通り、最後にもう一度登ると

大瀧神社

「別山堂の跡」
加工された石や瓦が散乱している。観音堂に復元された別山堂が、いつかここに再検される日が楽しみだ。

大瀧神社

別山堂の奥に「ざぜん石」と呼ばれる大岩がある。ここに座ると白山が正面に見えたというが、今日は雲と前を遮る木々でわからなかった。

大瀧神社

ざぜん石の背後にも巨石がむき出しになっていて、特別な空間だと感じた。
奥の院から大瀧城跡をめぐり、別山から奥の院へ戻るのに40分ほどかかった。

大瀧神社

下山し、紙の文化博物館に行く。

大瀧神社の至宝

月末まで、千三百年大祭を記念し「大瀧神社の至宝」が開催されている。

大瀧神社

その特別展を記念して、大瀧神社宮司の講演会がパピルス館で開かれ参加してきた。とても興味深い話であった。

千三百年大祭を記念した特別御朱印が年末まで頒布されていて、神社近くの氏子宅とここパピルス館で入手できる。
地元産の越前和紙を使い、社号も特別なものになっている。

大瀧神社

一の鳥居と社号標

大瀧神社

横山大観による揮毫の社号標の文字。特別御朱印はこの社号標の文字を元にしている。

大瀧神社

宮司の話を聞き、あらためて下宮を訪ねる。
大型バスで大勢の観光客が来ていた。境内で大勢の人に会ったことはなかったので少し驚いた。

拝殿を正面から見る。複雑な屋根の構造だが、正面から見ても屋根の妻の頂点が一直線に並ばないのだそうだ。完全な形にしない、いわゆる「未完の美」なんだそうで、わざと少しずれている。

大瀧神社

拝殿の基台の石積みは、上が青石、下が赤石とツートンカラーになっている。

大瀧神社

また地震により石がずれないように、角石は一つの石になっている。

大瀧神社 千三百年大祭

大瀧神社 千三百年大祭
岡太神社・大瀧神社 千三百年大祭

大瀧神社
福井県越前市大滝町13-1

越前今立 岡太神社②

岡太神社

旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。

岡太神社

朱色の鳥居をくぐり境内に入る。

岡太神社

拝殿に参る。

岡太神社

上って本殿前の拝所に参る。

岡太神社

玉垣に囲まれて本殿と2社の境内社が並ぶ。
参拝後に宮司宅で御朱印をいただいたが、宮司が留守で書き置きをいただいた。
書き置きの紙はどこかの和紙を使っているようだ。今回は宮司直筆の御朱印をいただけた。

岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19

越前今立 荒樫神社

荒樫神社

越前市に鎮座する荒樫神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、仲哀天皇、神功皇后、表筒男神、中筒男神、底筒男神を相殿に祀る。男大迹皇子(継体天皇)の創祀と伝わる。

荒樫神社

集落入口に「荒樫神社」の社号標が建つ。

荒樫神社

集落の奥に少しわかりにくいが、鳥居と社号標が建つ。社号標は地元の笏谷石だろうか、柔らかい石なので風化している。

荒樫神社

階段は車が上がれるように2本の坂が付いているが、現在では段差もできて上がれそうにない。
階段を上がると、広い空間の先に社殿が見える。

荒樫神社

階段の右手に何か石碑が建っている。調べると裏手に古墳があるようだが、場所や規模は確認できなかった。

荒樫神社

社殿は一段高い場所にあり、階段前に鳥居、社殿前に2本の大きな杉が立っている。

荒樫神社

十一面観音立像が2体伝わっているという。

荒樫神社

背後の本殿は入口に板で止められている。以前は幣殿で拝殿とつながっていたようだが、幣殿は老化で取り払われたのだろうか。

荒樫神社

本殿左に境内社の麻氣神社。かつては僧形の泰澄大師坐像が祀ってあったようだ。
泰澄大師像と十一面観音像がともにあることからみて、中世には白山信仰の影響下にあったらしい。

荒樫神社

麻氣神社の左のほうから本殿背後の山に上る。

荒樫神社

途中、鳥獣柵を開けて行く。幸い先に続く道はわかりやすかった。

荒樫神社

しばらく上ると、本殿の真後ろの平坦地に境内社の鵜甘神社が建っていた。

荒樫神社

応神天皇を祀り、延喜式今立郡の論社のひとつ。武内宿禰、繼軆天皇、安閑天皇、宣化天皇、國中主神を合わせ祀る。

荒樫神社

帰りにもう一度拝殿内を見ると、随神像が左右にあり、絵馬も数枚掛かっているようだった。

荒樫神社

手水は瓢箪形にくり抜かれている。

荒樫神社
福井県越前市西樫尾町28-5

加賀金沢 石浦神社③

石浦神社

金沢市に鎮座する石浦神社。御祭神は大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神などを祀る。

石浦神社

北陸新幹線の金沢開業から境内が一番変わった神社かもしれません。

石浦神社

鳥居をくぐると右手に臨時の授与所。週末や休日以外は閉まっているようだ。

石浦神社

鳥居の左手に「HASE HOUSE」の文字?

石浦神社

中にウサギちゃんを飼っているようだ。こんな場所に大丈夫なのか

石浦神社

神社のイメージキャラクタは「きまちゃん」
今年は戌戌年ということで「きまる年」らしい。

石浦神社

境内にはビールを販売したり、

石浦神社

いなり寿司を販売する露店もあり、休日には営業しているようだ。
休日は年中お祭りということらしい。

石浦神社

拝殿に参る。

石浦神社

社務所で御朱印をいただく。判子が参拝の度に増える。またレイアウトが変わったようだ。
由緒や御朱印に付属するしおり(裏面に御祭神名)も新調された。

石浦神社

兼務社の泉野菅原神社の御朱印は以前は自分から依頼しないと書かない御朱印だったのだが、

現在は社務所に表示している。書き置きに日付入れるタイプだが、「玉泉院天満宮」とは如何に!
泉野菅原神社は玉泉院(加賀藩二代藩主前田利長公の室で、織田信長公の四女永姫)の菩提寺である玉泉寺にあった天満宮で、前田氏の祖神である菅原道真公を祀るとして、隠れて義父の織田信長公を祀っていた。「玉泉寺天満宮」ならまだしも、「玉泉院天満宮」はおかしいだろう。

石浦神社
石川県金沢市本多町3丁目1−30

能登輪島 重蔵神社④

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社。御祭神は天冬衣命、大国主命。

重蔵神社

境内西の入口が商店街や朝市通りに近く、こちらから参拝に訪れる方が多い。

重蔵神社

入口に御祭神の案内が新しく立っていた。

重蔵神社

今日参拝に来たのは、ゴールデンウィーク前の地元新聞に載ったノトキリシマツツジ限定御朱印をいただくため。
ノトキリシマツツジが咲く4月中旬から5月中旬まで授与するとのこと。

重蔵神社

拝殿に参って社務所に向かう。

重蔵神社

社務所前に一木で三色の花が咲くという珍しいキリシマツツジがあるということだったが、ゴールデンウィーク中の荒天によりすでに終盤だった、残念。

重蔵神社

重蔵神社には花御札というのがあり、月替わりで12カ月分ある。
5月はノトキリシマツツジが描かれ、朝市通りに面する重蔵神社産屋では12カ月すべての花御札が頒布されているが、神社では基本的にその月の花御札のみ授与される。神社で授与されたものには花の図柄の下に社号と参拝日が印字される。

重蔵神社

今日は4月の八重桜を描いた花御札もいただいた。

重蔵神社では能登地震の復興を進めていて、7月には拝殿や境内社の修復を記念した御朱印、8月には輪島大祭を記念した御朱印を授与するそうです。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

紀伊新宮 渡御前社

渡御前社

新宮市に鎮座する渡御前社。御祭神は神武天皇。

渡御前社

熊野に訪れるときに入手した「わかやま歴史物語100」と観光パンフレットに載っていたので参拝してきた。
神社への道は細く手前から歩くことにした。

渡御前社

山ギリギリのところに参道が通っている。

渡御前社

社殿は一段高くなっている。

渡御前社

鳥居の先に本殿が建っている。

渡御前社

本殿に参る。境内は氏子により清浄に保たれている。
小さな社だが大事にされているようだ。

渡御前社

神武天皇が東征のとき、熊野から吉野に向かう途中の仮の宮(頓宮)跡と伝えられている。
観光パンフレットには熊野速玉大社摂社としているが、末社が正しいようだ。

渡御前社
和歌山県新宮市新宮

紀伊新宮 阿須賀神社②

阿須賀神社

新宮市に鎮座する阿須賀神社。御祭神は家津美御子大神、事解男命、熊野夫須美大神、熊野速玉大神を主祭神とし、黄泉道守命、建角身命を配祀する。

阿須賀神社

参拝は2回目。参道入口には鳥居と「阿須賀神社」と書かれた社号標。

阿須賀神社

参道を進み、二の鳥居をくぐると拝殿が建ち、後方に蓬莱山(飛鳥山)が見える。蓬莱山の神体山になっている。

阿須賀神社

拝殿に参る。

阿須賀神社

社務所で御朱印をいただく。前回とは墨書きが変わっている。

阿須賀神社

境内に建つ新宮市立歴史民俗資料館に入館した。当館には蓬莱山の発掘調査で見つかった遺物が展示され、信仰の古さを再確認できた。

阿須賀神社
和歌山県新宮市阿須賀1-2-25

紀伊牟婁 熊野那智大社②

熊野那智大社

那智勝浦町に鎮座する熊野那智大社。御祭神は熊野夫須美大神を主祭神とし、熊野十三神を祀る。
以前は御朱印に八咫烏の印が押されていたが、今は御縣彦社の御朱印に押されるようになったため、本社は神紋に変更になったようだ。

熊野那智大社

前回は那智の滝の方向から歩いたが、2度目の参拝は表参道を行く。

熊野那智大社

最近は平安衣装のレンタルもあるようで、歩いている人がいるとタイムスリップしたようだ。

熊野那智大社

拝殿は現在修築中で覆屋が被さっている。

熊野那智大社

昨年、御創建一千七百年を迎え本殿の特別参拝もしていた。

熊野那智大社

朱印所では目立たなく掲示されているので初め気が付かなかったが、「御創建壱千七百年」の印が入る特別御朱印をいただいていた。限定1700だが、まだ875番目だった。2000円と少し高いが、修築の寄付を兼ねていると思えば妥当かとも思う。

熊野那智大社

御縣彦社の御朱印。御祭神は建角身命(八咫烏)を祀る。

熊野那智大社

拝殿の背後、第一殿から第五殿の正南方に並ぶ第六殿の隣に鎮座する。

熊野那智大社

拝所の幕にも八咫烏が描かれる。

熊野那智大社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

紀伊牟婁 塩竃神社

塩竃神社

那智勝浦町に鎮座する塩竃神社。御祭神は天細女命、市杵島姫命、事代主命。

塩竃神社

境内は東向き。入口に朱色の鳥居が建つ。

塩竃神社

社前の道を北に行くと、熊野古道浦神峠まで1.5キロ

塩竃神社

境内に入ると右に社務所が建つ。

塩竃神社

社殿への階段の前に宝暦五年銘の燈籠が建ち、燈籠の周りを朱色の玉垣が囲う。

塩竃神社

階段の前に燈籠

塩竃神社

明治十年に奉納された燈籠には、「元文四年巳未重陽 浦上氏」の文字

塩竃神社

階段を上がると、2社並ぶ。

塩竃神社

左が塩竃神社。拝所に参る。

塩竃神社

右が浦上神社。かつては地名と同じ浦神社とも称したが、那賀郡海神社の論社という。

塩竃神社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町浦神320

紀伊串本 潮御崎神社

潮御崎神社

串本町に鎮座する潮御崎神社。御祭神は少彦名命を主祭神とし、金山彦命、高皇産霊神、天照大神、大国主命、猿田彦命を配祀する。三代実録に収録される三前神の論社。

潮御崎神社

参道入口に建つ社号標。

潮御崎神社

社号標の右に花山法皇と白河天皇の御製碑が建っている。
参道入口のお宅が宮司宅という情報もあったが、名字も違うようで勘違いのようだ。

潮御崎神社

ここまでたくさんの人が歩いていたが、目的は潮岬灯台。
有料だったので入場しなかったが、本州最南端の島に建つ灯台で人気がある。

潮御崎神社

灯台を迂回するように参道を進むと、一度下っていく。

潮御崎神社

下った場所に鳥居が建っている。

潮御崎神社

さらに進むと正面に階段が見えてくる。

潮御崎神社

階段の右手に古そうな階段が残っていた。
どちらも上の社殿に続いており、正面の階段ができるまではこちらが参道だったのだろう。

潮御崎神社

拝殿正面。燈籠と、従軍記念という石柱が珍しい。
拝殿入口に「潮御崎神社」の扁額がかかる。

潮御崎神社

中に入って参る。中には「潮御崎神社 少彦名命」の扁額がかかる。
賽銭箱の横の箱に書き置きの御朱印が入っていた。すべてワープロ打ちで少々味気ないが仕方がない。

潮御崎神社

拝殿には海の守り神らしく、大きな貝殻の奉納物があった。

潮御崎神社

拝殿前にマルバチシャの木
記紀に16代仁徳天皇の后磐之媛が豊楽をなさろうとして熊野岬へ御綱柏を採りにこられたとあり、この木を御綱柏と言い伝えてきたという。

潮御崎神社

拝殿の右に社務所。

潮御崎神社

社務所との間を行くと、拝殿後ろの本殿が建つ。覆いや戸の付き方が少し変わっている建物。

潮御崎神社

拝殿の左手、壁の窪みに小祠が3つ並んでいる。
中央が大己貴命(大己貴神社)、右に天照大神(大神社)、左に猿田彦命(猿田彦神社)を祀っている。

潮御崎神社

本殿の左に境内社の鎮守神社が建つ。詳細が不明だが、配祀される高皇産霊神を祀るものか。
 
潮御崎神社

階段を上がったところに潮岬の鯨山見の案内があり、観光スポットになっている。

潮御崎神社

鯨山見とは、回遊してくる鯨を見張る場所のことで、眼下に太平洋を望む。

潮御崎神社

鳥居まで戻ると右手に上る階段がある。

潮御崎神社

金山彦命を祀る金刀比羅神社が建つ。   

潮御崎神社
和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2878

紀伊串本 潮崎本之宮神社

潮崎本之宮神社

串本町に鎮座する潮崎本之宮神社。御祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命を主祭神とし、事代主命、神功皇后、武内大臣を配祀する。延喜式牟婁郡海神社三座の論社になっている。

社宝として神功皇后が奉納したと伝わる「櫛筥」があるらしい。

潮崎本之宮神社

東の方から狭い路地を進んで境内に入る。境内入口に数台駐車できる。

潮崎本之宮神社

鳥居と社号標。

潮崎本之宮神社

鳥居をくぐると右手に社務所が建っている。今日は中にどなたかいるなあと思いながらまず参拝する。

潮崎本之宮神社

社務所前を進み右に折れると、社殿は南向きに鎮座している。

潮崎本之宮神社

圧倒されるのは拝殿の右手にある柏槇の御神木。樹齢は1200年以上という。
見れば境内には巨木が多い。

潮崎本之宮神社

拝所のような拝殿に参る。

潮崎本之宮神社

本殿とは拝殿から廊下(幣殿?)で続いている。

潮崎本之宮神社

境内の西、鳥居からは正面に境内社の恵比須神社が建つ。

帰りに社務所に寄る。いらしたのは宮司さんだった。情報はなかったが御朱印をお願いすると書いていただけた。

潮崎本之宮神社
和歌山県東牟婁郡串本町串本1517

紀伊田辺 闘鶏神社

闘鶏神社

田辺市に鎮座する闘鶏神社。御祭神は伊邪那美命を主祭神とする。
熊野本宮大社の神々を当地に勧請し、田辺の宮、新熊野権現社、新熊野鶏合大権現などと称した。

闘鶏神社

西側の一の鳥居の近くの駐車場に停め、参道を歩くことにする。

闘鶏神社

鳥居をくぐると右に「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道 大辺路の石碑が建つ。闘鶏神社も大辺路の拠点として構成遺産になっている。

闘鶏神社

左には観光情報などを提供する場所になっている。

闘鶏神社

参道の左には大福寺が建ち、かつては闘鶏神社の本願寺院(別当寺みたいのものか?)だったという。
境内に「弁慶誕生之地」の石碑が建つ。

闘鶏神社

境内入口に二の鳥居が建つ。

闘鶏神社

二の鳥居の前を横切る道は馬場が残っている。

闘鶏神社

鳥居をくぐると前に門があり、建物が並んでいるが、入口は回り込まないと行くことができない。

闘鶏神社

社務所の正面に建つのは証誠殿(拝殿)。

闘鶏神社

賽銭箱が中央から右にずれているが、今日は結婚式が2件入っていて、ちょうど社務所から拝殿に向かって歩いて行くところを見られた。

闘鶏神社

後ろに本殿(上四社)が建ち、御祭神は伊邪那岐命。

闘鶏神社

右に、鳥居を入ったときに見えた社殿群が見える。

闘鶏神社

本殿の右に、上殿(若宮・上四社)。天照皇大神を主祭神として、伊邪那岐命、宇賀御魂命を相殿に祀る。

闘鶏神社

その右に中殿(中四社)。子守宮に鵜草葺不合命、児宮に火々出見命、聖宮に瓊々杵命、禅師宮に忍穂耳命を祀る。

闘鶏神社

その右に下殿(下四社)。飛行宮に稚産霊命、勧請十五所宮に弥都波能売命、十萬宮に埴山比売命、一萬宮に火産霊命を祀る。

闘鶏神社

一番右に八百萬殿(満山宮)。八百萬神を祀り、手力男命を相殿に祀る。

闘鶏神社

本殿に左に西殿(上四社)。速玉宮に速玉之男命、結宮に事解之男命を祀る。

闘鶏神社

境内の東に十日戎神社。戎・大黒の二神を祀る。

闘鶏神社

西殿の隣り、十日戎神社との間にあるのは玉置神社。手置帆負命を祀る。

闘鶏神社

池に浮かぶのは雞姫弁財天社。御祭神は市杵島姫命。

闘鶏神社

結婚式で忙しい中、合間に御朱印をいただいた。雞合印(とりあわせいん)という鶏が向かい合う神紋が印象的だ。

闘鶏神社

授与所に「潮ごりの飴」があったので購入した。御神塩で作った塩飴で、身の内から清める。

闘鶏神社

社務所の右に弁慶と父の熊野別当湛増の像。
義経の命を受けた弁慶は田辺に帰り、父湛増を説得、湛増は白い鶏7羽と紅い鶏7羽を闘わせて神意を確かめ、熊野水軍2千余人を引いて源氏軍の勝利に貢献したという。

闘鶏神社

社務所の左に藤巖神社(とうがんじんじゃ)。御祭神は安藤直次公で、紀州徳川家の附家老として田辺領を支配した。

闘鶏神社

前にそびえる御神木の大楠に圧倒される。樹齢は1200年以上という。

闘鶏神社

根元の空洞には千手観音の石像が祀られていた。

闘鶏神社

境内の西には弁慶社が建ち、御祭神武蔵坊弁慶を祀る。

闘鶏神社

本殿裏の山は神体山で、仮庵山(かりおやま)といい、経塚が3カ所発見され、古代祭祀跡として史跡に指定されている。

闘鶏神社
和歌山県田辺市東陽1-1

紀伊田辺 滝尻王子宮十郷神社

滝尻王子宮十郷神社

田辺市に鎮座する滝尻王子宮十郷神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、日子日能邇邇藝命、天忍穂耳命、天津日高日子穂々出見命、鵜葺草葺不合命を配祀する。

滝尻王子宮十郷神社

境内入口に「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の熊野参詣道中辺路の石碑が建つ。
ここ滝尻王子宮は富田川と石船川の合流地点にあり、中辺路を歩く者は川で水垢離したという。

滝尻王子宮十郷神社

境内に休憩所が建つ。

滝尻王子宮十郷神社

鳥居には「滝尻王子宮」の扁額が掛かり、左の建物にも何か祀っているようだがよく分からない。

滝尻王子宮十郷神社

境内には後鳥羽上皇の歌碑が建てられ、28回も参詣のあった後鳥羽上皇を顕彰している。

滝尻王子宮十郷神社

参道を行くと社号標が建ち、先に社殿が建っている。

滝尻王子宮十郷神社

拝殿に参る。

滝尻王子宮十郷神社

本殿は弊殿で拝殿とつながる。

滝尻王子宮十郷神社

滝尻王子宮は熊野古道の中辺路のスタート地点になっている。

滝尻王子宮十郷神社

時間に少し余裕があったので少し歩いてみることにした。
不寝王子(ねずおうじ)まで0.4キロ15分ということで、途中名所もあるようなので往復する。

滝尻王子宮十郷神社

少し川沿いを歩くと大岩に根を巻く圧巻の巨木の背後から早速急登が始まる。

滝尻王子宮十郷神社

片道15分とは言えほぼ上りだったので大変だったが、道の脇にも巨石がゴロゴロと転がっている。

滝尻王子宮十郷神社

10分弱で胎内くぐりと呼ばれる大岩に到着する。
女性がくぐると安産すると伝えられるが、修験道でいうところの生れ変わりの儀式によく出てくる。

滝尻王子宮十郷神社

入口も狭かったが、

滝尻王子宮十郷神社

中に入ると、出口はさらに狭い。リュックを背負っていると通れなかったので、先にリュックを通し、何とか体を通すことができた。

滝尻王子宮十郷神社

妊婦は通れそうもない。諦めて迂回する人も多いだろう。

滝尻王子宮十郷神社

そこから少し上ると乳石という伝説の岩がある。
奥州の藤原秀衡が夫人同伴で熊野参りに来た時、ここで夫人が急に産気づき、この岩屋で出産した。夫妻は赤子をここに残して熊野に向かったが、その子は岩からしたたり落ちる乳を飲み、狼に守られて無事だったので奥州に連れ帰ったという伝説なのだが、出産したのは胎内くぐりの洞窟だという記事もある。

滝尻王子宮十郷神社

さらに2分ほど進むと不寝王子(ねずおうじ)跡に到着したので、滝尻王子に戻る。
昨日の大峯奥駈道のプチ体験に続き、今日は中辺路のプチ体験ができ満足でした。

滝尻王子宮十郷神社

川向かいの熊野古道館で御朱印をいただいた。
熊野古道館は道の駅みたい地産物の販売所かと思っていたが、中辺路を歩く人のための歴史や準備をする拠点だった。

滝尻王子宮十郷神社
和歌山県田辺市中辺路町栗栖川859番地

紀伊田辺 熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野本宮大社旧社地 大斎原

田辺市に鎮座する熊野本宮大社の旧社地である大斎原。熊野川の中洲にあったため、川の氾濫で流されてしまった。
平成30年の御創建千二百五十年を記念し御朱印(書き置き)が追加され、熊野本宮大社の授与所でいただける。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野本宮大社の鳥居前の道路向かいに入口がある。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

田んぼの中を参道が延びる。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

鳥居内に入ると、「世界遺産 紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産として、熊野本宮大社と旧社地大斎原の石碑が建つ。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

今日の熊野川は濁っていた。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

熊野世界遺産センターではかつての大斎原の模型が展示されている。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

一度夕食を食べるために離れて、19時前に戻ってきた。
かなり薄暗くなってライトアップされた大鳥居が見えた。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

御創建千二百五十年を記念した行事だが、GW中とはいえ人もほとんどいない。周りの店舗が閉まっている中では無理もないか。
ライトアップされた大鳥居と月が水を張った田んぼに映り美しい。

熊野本宮大社旧社地 大斎原

暗い中の撮影ではピンボケする写真も多いので、40分くらい何十枚と撮影し宿へ向かった。

熊野本宮大社旧社地 大斎原
和歌山県田辺市本宮町本宮

紀伊田辺 熊野本宮大社末社 産田社

熊野本宮大社末社 産田社

田辺市に鎮座する産田社。熊野本宮大社の末社で平成30年の御創建千二百五十年を記念して御朱印(書き置き)が追加された。御朱印は熊野本宮大社の授与所でいただける。

熊野本宮大社末社 産田社

大斎原へ向かう途中分かれ道

熊野本宮大社末社 産田社

田の向こうに大斎原の大鳥居が建つ。

熊野本宮大社末社 産田社

社号標は道に向かって建ち、90度曲がって南向きに鳥居が建つ。

熊野本宮大社末社 産田社

鳥居の先の岩の上に石祠が建つ。

熊野本宮大社末社 産田社

産田社に参る。

熊野本宮大社末社 産田社
和歌山県田辺市本宮町本宮

紀伊田辺 熊野本宮大社②

熊野本宮大社

田辺市に鎮座する熊野本宮大社。御祭神は家都美御子大神、素戔嗚尊を主祭神とする。

熊野本宮大社

平成30年は御創建二千五十年の記念年で金字の特別御朱印(書き置き)が授与される。

熊野本宮大社

GW中ということで、臨時駐車場で河原には車がたくさん停まっている。

熊野本宮大社

6年ぶり2回目の参拝

熊野本宮大社

鳥居をくぐると参道の先に階段が続く。

熊野本宮大社

神門をくぐって3つの社殿に参拝する。

熊野本宮大社

今回は宝物殿に入り、宝物を鑑賞した。

熊野本宮大社

御創建千二百五十年記念特別拝観で、普段は見られない名品も見ることができた。

熊野本宮大社

本殿正面は写真禁止だったので背後から

熊野本宮大社

その背後の参道を進むと、境外に出て数10メートルのところに

熊野本宮大社

中辺路最後の王子社である祓殿王子跡がある。

熊野本宮大社

裏参道口の鳥居

熊野本宮大社

入口付近にカフェと土産店を併設した建物ができていた。

熊野本宮大社

大斎原などを散策し、17時過ぎ社前の神旗が降ろされた。
今日は大鳥居のライトアップを見るため周辺で夕食の予定だったが、17時にほぼすべての店舗が閉店した。神社は19時まで参拝できるようだが、授与所やカフェなどが閉まった中、参拝する人はほとんどいない。

熊野本宮大社
和歌山県田辺市本宮町本宮

紀伊田辺 海神社旧地

海神社旧地

海神社が大斎原に遷座する前の旧鎮座地は大斎原から七越峯に至る途中だったという。
七越峯の底海社を延喜式牟婁郡海神社の論社と伝え、牟婁郡天手力男神社である御戸開神社の旧地でもあった。

海神社旧地

案内板に「(伝)海神社跡」とあるが、地図が大まかで距離感が掴めない。

海神社旧地

七越峯入口という坂を上る。

海神社旧地

5分ほど行くと、大峯奥駈道案内図が建っているがここには何も書かれていない。

海神社旧地

案内図は奥駈道の途中で、西に進むと大斎原に至る。

海神社旧地

峠まで少し登ってプチ奥駈道体験してみたが、それらしい場所はなかった。

海神社旧地

下って入口から上ってすぐの斜面に幾段かの平場がある。
奥の石積みは小石を積み古そうで、ここを旧地としている記事もあるのだが整地は新しいようだ。

海神社旧地

また奥駈道案内板に戻り、さらに少し上ると奥駈道の続きが始まる。

海神社旧地

間が現在は舗装された道路になっているのだが、間の斜面に不自然な石が残る場所があった。

海神社旧地

小石で四角に囲んだように見える場所もある。

海神社旧地

斜面側に平たい石や平石を積んで丸石を乗せた信仰遺跡に近い遺物もあった。

海神社旧地

場所は奥に奥駈道の続き、同じ道路左側の手前になる。
ここなら大斎原から奥駈道初めの峠を越え、下ってまた上り始める道沿いになるので底海社という社名にもふさわしいのではないだろうか。

海神社旧地
和歌山県田辺市本宮町

紀伊熊野 産田神社

産田神社

熊野市に鎮座する産田神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
花窟神社の兼務社で御朱印も花窟神社でいただける。花の窟が伊弉冉尊の御陵と伝えるのに対し、産田神社は伊弉冉尊が軻遇突智神を産んだために亡くなった場所と伝える。

産田神社

神社境内の西を流れる産田川に朱色の橋が架かる。

産田神社

南向きの境内入口に鳥居と御神木が立つ。

産田神社

ここは「さんま寿し発祥の地」らしい。

産田神社

杉の木立の中を参道がまっすぐ社殿へと続く。

産田神社

この建物は拝殿ではなく社務所のようだ。

産田神社

通り抜けると御白石を敷き詰められた拝所の先に玉垣に囲まれた本殿が建つ。

産田神社

神社には社殿が建つ前、神籬(ひもろぎ)という祭祀台を神の依代とした場所が残っているという。
社殿の左右に2カ所あるというが、御白石は下足では上がれないので、靴を脱いで上がらせていただく。

産田神社

本殿左の神籬は5つの丸石を取り囲む様子がそのまま残る。

産田神社

本殿右の神籬は5つの丸石は残るが、取り囲む石は育った木で一部崩れている。

産田神社

御白石に上がらなくとも、境内東を通る道路から覗くことはできる。

産田神社

参道の途中、西に朱色の鳥居が立ち並び、

産田神社

境内社の稲荷神社が建つ。

産田神社

社叢は原生林の雰囲気も一部残っていて、稲荷神社の背後にも大木が立つ。

産田神社

木の根元に石祠があり、白蛇が祀られている。西に川が流れることもあり、白蛇竜神だろうか。

産田神社
三重県熊野市有馬町1814

紀伊熊野 花窟神社②

花窟神社

三重県熊野市に鎮座する花窟神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智神。
社号はホームページや御朱印では「花窟神社」、社号標は「花の窟神社」、社頭由緒は「花乃窟神社」となっていて、読みの「の」の扱い方が不定のようだ。

花窟神社

6年ぶりの社頭は明るい。前回の参拝は冬の夕暮れ時だった。
観光スポットとしての人気もかなり上がってきたようで、参拝者も多い。

花窟神社

前回は閉まっていた社務所も開いていた。

花窟神社

門をくぐって拝所に入る。

花窟神社

社殿はなく、巨大な磐座が御神体となっている。

花窟神社

上部に渡る綱は2月と10月に1本ずつ掛けかけられる。

花窟神社

前の拝所で参る。

花窟神社

伊弉冉尊の前に軻遇突智神の拝所と御神体の磐座がある。

花窟神社

参拝後に社務所で御朱印をいただく。前回は手書きだった墨書きが判になっていて味気なくなった。
ゴールデンウィークで繁忙ということより、参拝者が増えたことが要因だろうか。

花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130

若狭大飯 青葉山登拝

青葉山登拝

青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。

青葉山登拝

今日は中山口から登ることにする。

青葉山登拝

中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。

青葉山登拝

5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。

青葉山登拝

青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。

青葉山登拝

今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。

青葉山登拝

上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。

青葉山登拝

中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分

青葉山登拝

TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分

青葉山登拝

若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光

青葉山登拝

10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着

青葉山登拝

馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。

青葉山登拝

南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。

青葉山登拝

東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。

青葉山登拝

本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示

青葉山登拝

10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。

青葉山登拝

梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。

青葉山登拝

東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。

青葉山登拝

11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。

青葉山登拝

11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。

青葉山登拝

神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県

青葉山登拝

眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。

青葉山登拝

西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。

青葉山登拝

分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。

青葉山登拝

12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。

青葉山登拝

12時19分、松尾寺口に到着。

青葉山登拝

西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。

13時45分松尾寺を後にして帰途につく。

青葉山登拝

14時3分、今寺口に到着。

青葉山登拝

登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。

青葉山登拝

手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。

青葉山登拝

今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので

青葉山登拝

上に道標が立っている。

青葉山登拝

さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。

青葉山登拝

14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。

青葉山登拝

最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。

青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市

丹後加佐 松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)

松尾寺奥の院

青葉山の西峰から西に約200mに鎮座する松尾寺奥の院、通称青葉山妙理大権現。延喜式加佐郡弥加宜神社の論社。
御祭神は不明。

松尾寺奥の院

登山道から一段高い場所に祀られている。

松尾寺奥の院

階段の先に社殿と左に燈籠が建つ。

松尾寺奥の院

社殿は鉄格子の覆屋に入っている。
神仏分離の際に、麓の松尾集落と今寺集落の争いになって社殿が破壊され、今寺集落によって再建されたものだという。

松尾寺奥の院

覆屋の中に小さな祠が祀られ、鏡が置かれている。

松尾寺奥の院

松尾寺の宝物殿に元本尊といわれる平安時代作の十一面観世音菩薩が納められている。

松尾寺奥の院

今寺集落の寺にも製作年代はわからないが十一面観世音菩薩が祀られている。
そこから考えると、御祭神は十一面観世音菩薩の垂迹神になるだろうか。

松尾寺奥の院

下にもう1基燈籠が奉納されている。

松尾寺奥の院

少し下から眺めると、社殿と燈籠の配置はこのようになっている。

松尾寺奥の院

少し下ったところの登山道の脇に杉の大木が立っている。
登山道反対側にも上が焼けたか、折れたように見えるが同じく杉の大木がある。
登山道の両側に立ち、かつては鳥居の替わりだったのかもしれない。

松尾寺奥の院

松尾寺で聞いたところによると、奥の院はもとは西峰山頂の西青葉神社(西権現)の場所にあったらしい。
ここには神社の背後に大きな磐座がある。

松尾寺奥の院(青葉山妙理大権現)
京都府舞鶴市松尾

若狭大飯 伊弉諾神社

伊弉諾神社

高浜町に鎮座する伊弉諾神社。延喜式大飯郡伊射奈伎神社の論社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、阿遲鋤高日子根命、宇津志国玉命、綿津海三柱命ほか。

伊弉諾神社

青葉山の南麓に鎮座する。若狭富士と言われる青葉山だが、南から見ると東峰と西峰の2つのピークが見える。

伊弉諾神社

一の鳥居は東向きだが、社殿は南向き

伊弉諾神社

二の鳥居の先に神楽殿が建つ。

伊弉諾神社

神楽殿の後方に社殿が建つ。

伊弉諾神社

階段を上り拝殿に参る。

伊弉諾神社

本殿は弊殿で拝殿とつながる。

伊弉諾神社

拝殿の左に境内社が2社並ぶ。
左が元本社奥宮西青葉神社遙拝社。西青葉神社は青葉山西峰山頂に建ち、西峰三十三所の神々を祀る。
右が金剱神社、国常立尊を祀り、南麓高野集落と同じ神を祀る。金剱山の金剱明神を祀るというが山の位置がよくわからない。

伊弉諾神社

拝殿の右に八所荒神神社、敷地・社殿の守り神を祀り遷座祭仮宮だという。
左奥に境内社3社が並ぶ。

伊弉諾神社

右が恵比須神社、蛭子命を祀る。
中央が青葉神社遙拝社。青葉神社は青葉山東峰山頂に建ち、東峰三十三所の神々を祀る。
左が稲荷神社、倉稲魂命を祀る。

伊弉諾神社

桂(不動)神社遙拝所

伊弉諾神社

社前には田が広がり、畦には芝桜がきれいに咲いている。

伊弉諾神社
福井県大飯郡高浜町小和田51-14

近江野洲 御上神社② 御遷座1300年記念奉祝祭

御上神社

野洲市に鎮座する御上神社。御祭神は天之御影神。
2回目の参拝。

御上神社

今日は御遷座1300年記念奉祝祭が行われるので見に来た。

御上神社

午前中は雨予報ということもあってか一般の参拝者は思ったり少ないだろうか。

御上神社

ちょうど遷祀祭の巫女豊栄舞の最中だった。

御上神社

巫女舞の後、拝殿のまわりをこの桜の造花を持って稚児行列が三周する(桜の舞)予定だったが、雨で中止になった。

御上神社

遷祀祭の後、氏子地区毎の記念写真撮影が行われました。

御上神社

記念撮影を終えた親子は徹下のさくら餅を配布されました。
すべての記念撮影を終えた後、余ったさくら餅をいただきました。

御上神社

本殿に奉納された御酒の数々

御上神社

境内の東端に今回の奉祝奉幣祭の記念碑(右)が建てられていました。
ちなみに左は平成19年2月11日に建てられた御遷座1300年記念造営事業の本殿尾根保存修理工事竣工奉祝祭のものです。

ここで午前中の行事が終了し休憩に入ったので、御朱印をいただき午後の行事が始まる前に神体山の三上山に登ってきました。

御上神社

午後2時、午前中とは打って変わり晴れた空の元、奉祝奉幣祭が始まりました。

御上神社

天皇陛下の御幣帛が運ばれ、続いて神社本庁の幣帛料が運ばれてきました。

御上神社

本殿へ幣帛が献じられ、神楽豊栄舞が奉奏されました。
午後は大津市瀬田の八坂雅楽会により、舞と演奏が奏じられました。

御上神社

奉幣祭終了後、舞楽奉納が始まりました。
最初に浦安の舞。ここからは本殿の神様に奏じるのではなく、拝殿右の参拝者席に向かって演じられました。

御上神社

続けて、雅楽の越天楽と陪臚が演奏されました。

御上神社

最後に舞楽の蘭陵王だったのですが、楼門から拝殿まで歩いて入ってくるという演出がビックリしました。

御上神社

後ろから見ていたのでほぼ後ろ姿でしたが、優美な舞でした。

御上神社

最後は氏子さんらによるくじ引き抽選会だったが、ここで帰途につく。

御遷座1300年記念奉祝祭
10:30 遷祀祭(桜の舞)
14:00 奉祝奉幣祭
15:20 舞楽奉納
16:20 くじ引き抽選会

御上神社
滋賀県野洲市三上838

近江野洲 御上神社奥宮 三上山登拝

御上神社奥宮

祭礼の合間に神体山の三上山に登る。男山、女山の双耳峰である三上山は見る方角によっては秀麗な裾野をひくことから近江富士と呼ばれている。
御上神社から登山口に向かう。

御上神社奥宮

「昭和大禮 悠紀斎田址」と書かれた石標。他に三ヶ所あり何かな?と思いながら歩いていたが、その正体は後で判明する。

御上神社奥宮

裏登山口が出てきたのでそのまま入る。今回は緩やかな裏登山道を上り、急な表登山道を下りることにする。

御上神社奥宮

裏登山口に御上神社御旅所がある。

御上神社奥宮

登山口の鳥獣柵を開けてスタートする。12時3分
雨もほぼやんでいたが、直前まで降っていたので地面は濡れている。

御上神社奥宮

すぐに表登山道と裏登山道の分岐がある。この後二ヶ所分岐があるので、基本右を選択する。

御上神社奥宮

半分過ぎた頃から登山道がむき出しの岩盤が多くなる。濡れて滑りやすいので注意しながら登る。

御上神社奥宮

女山に鎮座する東龍王に到着。12時32分
東の龍王の祠が建っている。標高は270m
龍王祭(山上祭)ではここと奥宮で祭祀が行われ、竹串を刺したこんにゃくとあげの甘煮が供えられるという。

御上神社奥宮

女山と男山の間は少し標高が下がり、わりと平坦な道が続く。苔が沢山繁殖する場所のようで「苔が谷」と呼ばれる。

御上神社奥宮

途中、「姥の懐」という案内板を見つけるが、洞窟の場所がよくわからなかった。

御上神社奥宮

奥宮の裏登山道鳥居をくぐる。12時38分

御上神社奥宮

男山に鎮座する奥宮。両側に祠がある。右には前掛けをした地蔵のような石像が祀られている。
東の龍王の祠に対して、西の龍王の祠というものをあるといい、女山に対し男山は若干西に位置するので、左の祠が西の龍王の祠ということになるのだろうか。

御上神社奥宮

前に奥津磐座と呼ばれる神磐がある。御上神社の御祭神天之御影神は三上山山上に御降臨したとされているので、この磐座の上に降り立ったということになろうか。そう思うといかにも伝説の磐座の趣がある。

御上神社奥宮

磐座の先は視界が開けている。

御上神社奥宮

三上山の本当の頂上は奥宮の裏を少し登ったところ

御上神社奥宮

三上山山頂432m

御上神社奥宮

15分ほど滞在し、表登山道を下りる。
少し下りたところに展望台があり、奥宮前よりもさらに視界が開けている。

御上神社奥宮

途中ツツジがきれいに咲いていた。さらに下りる途中、「モチツツジ」という案内を見つける。花は咲いていなかったが、ガクが粘りがあると書いてあったので触ると本当にくっつく感じがあった。

御上神社奥宮

表登山道は裏登山道に比べると確かに急だが、岩盤がむき出しで滑りやすい裏登山道に比べると段があって下りるには良かった。15分ほど下ると眼下に御上神社の社叢(丸い森)が見えてきた。

御上神社奥宮

さらに10分ほど下ると割岩に到着。

御上神社奥宮

横にまわると真っ二つに割れた大岩を体感できる。間を通ることもできるようだが、濡れていて危険だったので諦める。

御上神社奥宮

案内に誘われて二越に寄り道

御上神社奥宮

途中に妙見堂跡という建物の基壇跡が残る。

御上神社奥宮

魚釣岩に到着したのは13時37分
大昔、琵琶湖の水位がこの付近まであり、神がこの岩の上から魚を釣っていたと言われることから命名された。

御上神社奥宮

振り向けば、そこはもう表登山口になっていた。

御上神社奥宮

表登山口に妙見堂があり、中腹の妙見堂がここに下ろされてきたようだ。

御上神社奥宮

登山口に妙見堂の常夜灯が建つ。

御上神社奥宮

帰ろうとふとみると、裏登山口が見える。表登山口と裏登山口は目と鼻の先だった。

御上神社奥宮

御上神社から道路を渡って向かいの田の前に鳥居が建っている。
ここは御上神社の神饌田のようだ。

御上神社奥宮

神饌田と神社の間が公園となっていて悠紀斎田記念碑が建っている。

御上神社奥宮

その隣の石碑に書かれていることをみると、
天皇御一代一度の大嘗祭に当たり、古来宮中において亀卜により悠紀と主基の両斎田を定める習わしという。
昭和三年十一月十日、今上天皇(昭和天皇)の御即位式挙行に際し、悠紀斎田を滋賀県に、主基斎田を福岡県に勅定遊ばされ、滋賀県では御上神社の神饌田になっている田地等を含めて約一町歩を斎田に選定した。
ということのようだ。最初の石標の意味がわかってスッキリした。

御上神社奥宮(三上山山頂)
滋賀県野洲市三上

近江甲賀 飯道神社

飯道神社

湖南市に鎮座する飯道神社。御祭神は素盞嗚尊と菅原道真公。

飯道神社

神社の東に社号標が建つ。神社は道路の右側の丘の上
雨がやまないので少し薄暗いが参拝することにする。

飯道神社

道路を行くと階段がある。

飯道神社

もう1本奥にも階段があり、こちらのほうが古そうだ。

飯道神社

階段を上がると家棟川を渡る橋の向こうに境内が見えてくる。

飯道神社

数段の階段を上り、「式内 飯道神社」の社号標と鳥居が建つ。

飯道神社

参道の左に社務所代わりの建物が建つ。

飯道神社

参道をまっすぐ拝殿が建つ。

飯道神社

後ろに瑞垣に囲まれた本殿。拝所で参る。

飯道神社

瑞垣の中、本殿の前に狛犬が奉納されている。阿像は子持ち

飯道神社

拝殿と本殿の間に湯窯が並び、印象に残る風景。

飯道神社

本殿の右、本殿に向かって末社皇大神宮が鎮座。

飯道神社

本殿の右に並んで愛宕神社が鎮座する。

飯道神社

拝殿の右には石造宝篋印塔がある。案内板によると「嘉元四年十一月」(1306)の銘があるらしい。

飯道神社

鳥居の近くに神社の由緒板が建てられていた。
これによると境内社は「天神社 愛宕神社 二ノ宮日吉神社」の3社となっている。愛宕神社は確認できたが、他の2社が周囲を探しても見当たらなかった。ここに皇大神宮が載っていないことをみると、天神天照大神を祀るという意味で天神社がそれだろうか。

飯道神社

当宮はもとは「飯道の森」と呼ばれた神域に祀られていたらしい。その場所は湖南市役所東庁舎(旧甲西町役場)の場所ということだが、森だった面影は周辺には全くなかった。

飯道神社
滋賀県湖南市針1009

大和奈良 春日大社④

春日大社

奈良市に鎮座する春日大社。春日大社の展覧会が開催されるのに合わせ、先月に続き参拝しました。

春日大社

暖かい日でもあったので観光客が大勢参拝に来ていた。

春日大社

拝所に参る。

春日大社

境内の砂ずりの藤

春日大社

まだ少し早かったが、二分咲きくらいで花は楽しめた。

春日大社

御朱印をいただいた後、桂昌殿の「秘宝 鹿島立御鉾 特別公開」を鑑賞する。

春日大社

続いて国宝殿の「聖域御本殿を飾る美術」を鑑賞する。もと本殿の間に書かれていた絵や狛犬を間近に見られた。

春日大社

国宝殿の前の東門から神苑萬葉植物園に入る。

春日大社

一部の藤は見頃を迎えていた。

春日大社

御衣黄(ぎょいこう)という緑の桜が満開だった。葉と同じ色で少し見つけにくく、入口で場所を聞いて向かった。

春日大社

午後は奈良国立博物館の特別展「国宝 春日大社のすべて」を鑑賞した。
春日大社宮司花山院弘匡氏による記念講演会はとてもわかりやすく興味深いお話だった。

春日大社

奈良国立博物館の前庭に残る東塔の礎石と

春日大社

西塔の礎石。展覧会の宮曼荼羅に多く描かれた往時の五重塔を思い浮かべながら見た。

春日大社
奈良県奈良市春日野町160