「25滋賀県の神社」カテゴリーアーカイブ

近江坂田 靑木神社

靑木神社

米原市に鎮座する靑木神社。御祭神は当地を治めていた靑木氏の祖神、藤原鎌足から8代孫の靑木武蔵守時長。
延喜式坂田郡の比定社、山津照神社が明治15年に現在地に遷座するまでの元社地という。

靑木神社

境内は川に沿って東向き。木々が繁茂しているので昼間でも薄暗い境内。

靑木神社

入口の鳥居にかかる扁額は「あおき」の「あお」の下が「月」ではなく「円」の旧字体になっている。

靑木神社

境内に入ると中程の両側が盛り上がっている。

靑木神社

この違和感ある土盛りは何だろうか?と考えてみた。中央に空間のある左右の土台のある建物といえば門だろう。おそらく仁王門ではないだろうか。神仏分離令で仁王門は随神門に転用される例もあるが取り壊されたものも多い。明治15年の遷座により境内の建造物は移動か撤去されたのではないだろうか。

靑木神社

本殿前には2対の燈籠。

靑木神社

本殿に参る。

靑木神社

本殿の扁額は新字体の「青」になっていた。

靑木神社

境内の隅に石碑が建っていたが、かなり風化が進んでいて何の石碑がわからない。

靑木神社
滋賀県米原市能登瀬390

近江蒲生 奥津嶋神社

奥津嶋神社

琵琶湖最大の島、沖島に鎮座する。御祭神は奧津嶋比賣命(多岐理比売命)。
延喜式蒲生郡の論社のひとつ。神の島として近淡海(琵琶湖)航行安全を祈願する島であった。

奥津嶋神社

沖島に渡る近江八幡市の堀切港。琵琶湖を挟んで対岸に比良山地、右の岬に一部隠れて沖島が見える。

奥津嶋神社

沖島通船に乗り込む。他は皆さん釣り客でした。

奥津嶋神社

10分ほどで沖島漁港に到着。今日は風もなく快適な航海でした。

奥津嶋神社

島内案内図

奥津嶋神社

漁港からまっすぐ行けば神社に行けるが、少し寄り道
石川県の舳倉島は島内に車が1台もなく、交通手段は三輪自転車だったがここでも三輪自転車は主要手段のようだ。

奥津嶋神社

沖島コミュニティセンターの前に沖島を詠んだ万葉歌碑がある。

奥津嶋神社

神社への道。神社は頭山中腹に鎮座する。

奥津嶋神社

神社の入口は細い路地の先にあった。

奥津嶋神社

最初の階段を上ると扁額のかかる鳥居と右手に社務所が建っている。

奥津嶋神社

狛犬の足下には子蛙を背負った蛙の石像がある。

奥津嶋神社

階段の横に社号標が建っている。

奥津嶋神社

階段を上っていくと社殿が建っている。本殿の前に独立して拝殿が建つ。

奥津嶋神社

境内に由緒書きが建つ。

奥津嶋神社

さらに上に建つ山の神遙拝所と絵馬が置いてある。絵馬が置いてあるのは蝋燭立て箱のように見える。

奥津嶋神社

絵馬

奥津嶋神社

同じ図の絵馬が拝殿に奉納されている。

奥津嶋神社

本殿に参る。

奥津嶋神社

本殿の狛犬の足下には七福神の宝船。航海安全を祈る島らしい。

奥津嶋神社

境内から島内を見下ろす。黒瓦の屋根が目立つ。

奥津嶋神社

社殿とは反対側に山神神社の鳥居が建っている。

奥津嶋神社

階段をさらに上にいく。

奥津嶋神社

途中にお社かお堂がひとつある。

奥津嶋神社

さらに上るとまた鳥居が建ち境内に入る。前に建つ燈籠の傾きが風の強さを物語っている。

奥津嶋神社

山神神社社殿
沖島にはこの頭山と尾山の二山あるが、山容はこちらのほうが神奈備にふさわしい形で、「頭」と付いていることからも神の島の神の山と言えそうです。

奥津嶋神社

境内から沖島漁港を見下ろす。

奥津嶋神社

帰りに社務所に寄って御朱印をいただきました。
御朱印は自分で手押しする方式で、御朱印情報もなかったことから御朱印帳を忘れてきたので常備するコピー紙に押してきた。
社号印の印影は入口の鳥居にかかる扁額と同じになっている。

奥津嶋神社
滋賀県近江八幡市沖島町188

近江神崎 川桁神社

川桁神社

彦根市に鎮座する川桁神社。御祭神は天湯河板挙命。
延喜式神崎郡の論社のひとつ。

川桁神社

境内は東向きに鳥居が建っている。入口に「式内 川桁神社」の社号標が建つ。

川桁神社

鳥居には「川桁神社」の扁額がかかる。

川桁神社

しばらく歩くと燈籠が参道両側に並んでいる。

川桁神社

境内の右に社務所、社殿、正面に倉庫、左に手水舎がある。

川桁神社

拝殿に参る。

川桁神社

拝殿に倒壊の危険のため撤去されたという燈籠の写真があった。

川桁神社

中門と注連縄

川桁神社

本殿

川桁神社

境内の背後には琵琶湖との間に広大な農地が広がっている。

川桁神社
滋賀県彦根市甲崎町139

近江野洲 兵主大社②

兵主大社

野洲市に鎮座する兵主大社。御祭神は八千矛神。

兵主大社

太鼓橋を渡りまっすぐに参道を行く。

兵主大社

鳥居の先に楼門

兵主大社

楼門の先は初詣用に一方通行の表示などが建っているが今日は参拝者はまばらなのでそのまま参道を行く。

兵主大社

拝殿に参る。

兵主大社

本殿の横に向かい合わせに末社が建つ。

兵主大社

賽銭箱の手前に今年の豊凶粥占神事の結果が置いてあったがどう読み解くのだろうか。

兵主大社

マスクはしていないいつも通りの狛犬に今年の干支絵馬

兵主大社
滋賀県野洲市五条566

近江一の宮 建部大社②

建部大社

大津市に鎮座する近江国一宮建部大社。御祭神は大和武尊を主祭神とし、大己貴命を配祀する。

建部大社

今日は一の鳥居の参拝道をそのまま進み、

建部大社

二の鳥居前の第三駐車場に停めて参道を歩く。

建部大社

神門の先が森に囲まれた社殿域となる。

建部大社

日本遺産滋賀カードの配布を目的の参拝でもあった。
少し早い初詣に訪れる人がちらほらいたが、全く密にはならない参拝者数だった。

建部大社

拝殿に参る。

建部大社

拝殿前の狛犬にはマスク

建部大社

逆立ちした獅子もマスクしていました。
今日は宮司さんか禰宜さんが書いてくれたんですがとても達筆です。

建部大社
滋賀県大津市神領1丁目16−1

近江大津 石坐神社

石坐神社

大津市に鎮座する石坐神社。御祭神は東殿、西殿、奥宮にそれぞれ神が祀られる。
式内社滋賀郡の比定社となっている。

石坐神社

月極駐車場の隣に森が見える。神社参道があり、南より境内に入るが裏参道だったようだ。

石坐神社

境内に入ると北に鳥居の建った表口がある。
表・裏ともに「式内 石坐神社」の標柱が建っている。

石坐神社

四方柱に屋根が乗ったのは拝殿でいいのだろうか。

石坐神社

本殿は塀に囲まれ、中門前で参る。

石坐神社

この本殿は東殿とされるもので、八大龍王宮と正霊天王宮の合殿となる。八大龍王宮の御祭神は、豊玉比古神(海津見神)、彦坐王(開化天皇の第三王子)の二神。正霊天王宮の御祭神は、天命開別尊(天智天皇)、大友太子(弘文天皇)、伊賀宅子媛(大友太子御生母)の三神。

当社には重要文化財の天命開別命、伊賀采女宅子媛、弘文天皇、彦坐王の4体の木造坐像があるらしい。

石坐神社

本殿左手に彦坐王石像を祀る石神社が建つ。

石坐神社

本殿左に稲荷神社の鳥居が建ち、奥に境内社がみえるが、

石坐神社

鳥居をくぐって正面にあるのは弁財天社、右に稲荷社が建つ。

石坐神社

本殿右の磐座には物部社、祓戸社、柳崎社が祀られているようだ。

石坐神社

境内南には御霊殿山遥拝所がある。奥宮は御霊殿山にあり、石坐大神(主祭神の豊玉比古神)と八大龍王神を祀っている。

石坐神社

遥拝所のそばに御神木の榎がある。

石坐神社

境内の西に社務所と宮司宅が並んで建っているが、中央は西殿の社殿となっている。
授与所で御朱印をいただく。

石坐神社

西殿には天神地祇を祀る天上将来宮と淡海龍王神を祀る淡海龍王宮が祀られる。

石坐神社
滋賀県大津市西の庄15-16

近江大津 膳所神社

膳所神社

大津市に鎮座する膳所神社。御祭神は豊受比売命。

膳所神社

膳所城跡から西に一直線、中大手門跡を越えて境内がある。

膳所神社

入口には「縣社 膳所神社」の標柱。

膳所神社

鳥居、表門、社殿とまっすぐに並ぶ。

膳所神社

表門は旧膳所城の本丸大手門。瓦に神紋とは違う旧藩主の本多家の家紋立葵紋が見える。

膳所神社

表門を入ると広い境内が広がり、右手に蔵2棟、左手に手水舎が建つ。

膳所神社

北門も旧膳所城の門の移築。

膳所神社

南門は瓦に立葵紋が残り、旧膳所城の移築門であったが、近年建替が行なわれたらしい。形式は受け継がれているのだろう。

膳所神社

開放的な拝殿

膳所神社

その後ろに中門と塀に囲まれた本殿が建つ。
本殿に参る。

膳所神社

本殿

膳所神社

境内社は3つ。拝殿の左に愛宕神社

膳所神社

本殿の左奥。御神木の脇に旧社号標柱が残っていた。
「郷社 式内膳所倭神社」、膳所神社も式内社を名乗っていた頃があるようだ。ただ膳所倭神社という式内社は存在しないので、倭神社のことだろうか。

膳所神社

本殿右に松尾神社

膳所神社

その右に稲荷神社

膳所神社

稲荷神社の右奥に石碑の神が並んでいる。手前から月道龍神、若葉大明神、辰巻大神、人麿竜神、金龍大神。

膳所神社

最後に社務所で御朱印をいただいた。

膳所神社
滋賀県大津市膳所1丁目14-14

近江今津 阿志都彌神社行過天満宮

阿志都彌神社行過天満宮

今津町に鎮座する阿志都彌神社行過天満宮。御祭神は木花咲耶姫命、菅原道眞公。
式内社高嶋郡の阿志都彌神社の論社。

阿志都彌神社行過天満宮

南入口が表参道を思われる。入口に「善積郷社」と刻まれた石碑が建つ。

阿志都彌神社行過天満宮

鳥居には「善積郷社 阿志都彌神社 行過天満宮」の扁額がかかり、当社はかつて善積郷の惣社であった。
参道がまっすぐに延びるのは馬場であるから。

阿志都彌神社行過天満宮

参道との直線上に拝殿、本殿が建つ。

阿志都彌神社行過天満宮

本殿は側面をシートのようなもので覆っているが、屋根はそのまま。拝殿と本殿の間にも屋根があるが、幣殿とは言い切れない状態。

阿志都彌神社行過天満宮

本殿に参る。本殿には横文字の「阿志都彌神社 行過天満宮」の扁額がかかる。

阿志都彌神社行過天満宮

天満宮のため丑像もある。

阿志都彌神社行過天満宮

東にも参道があり、入口に「阿志都彌神社 行過天満宮」と刻まれた社号標と、同じ扁額のかかる鳥居が建つ。
鳥居前のスダジイの大木がとても雰囲気がある。

阿志都彌神社行過天満宮

東鳥居を入ると福禄寿神を祀る境内社。

阿志都彌神社行過天満宮

赤い鳥居の境内社は今熊野神を祀る稲荷神社。

阿志都彌神社行過天満宮

本社の左奥に末社白山神社が鎮座する。
式内社高嶋郡の小海神社の論社で、北生見にあったが、自営者の演習地となり住民とともに集団移転してきたという。

阿志都彌神社行過天満宮

授与所で御朱印をいただく。

阿志都彌神社行過天満宮

一緒にいただいた由緒を読むと、もとは東鳥居を出た東隣の地に鎮座していたという。そこも自衛隊の宿営地になっているのだが、その中に将軍塚と呼ばれる古墳があるらしい。らしいというのは外からは見えないからだ。自衛隊員によるブログを見ると、しっかりと案内板もあり、大きな円墳であるから見てみたいとも思う。当社が古墳の埋葬者と密接な関係があることがわかる。

阿志都彌神社行過天満宮
滋賀県高島市今津町弘川1707-1

近江浅井 矢合神社

矢合神社

西浅井町に鎮座する矢合神社。御祭神は猿田彦神、應神天皇。
式内社浅井郡の矢合神社の論社。本社の御祭神は猿田彦神のみで、明治43年に内前沢の八幡神社を合祀し、應神天皇が併祀されることになった。

矢合神社

境内は南向き。琵琶湖の北を南北に縦断する国道が通っているため、社前の道路は交通量が多い。
社殿の後ろに均整のとれた山が見える。もとは山腹に鎮座していたようだ。

矢合神社

社号標に「式内 矢合神社」と刻まれ、境内は非常に整理されている。

矢合神社

鳥居をくぐると左手に手水舎、右手に蔵と、山手に社務所が建っている。

矢合神社

拝殿はシートに覆われている。拝殿前には神馬像が奉納されている。

矢合神社

拝殿の後ろに本殿が建つ。
本殿に参る。

矢合神社

覆いの中に檜皮葺きの比較的大きい本殿が納められている。

矢合神社

本殿の右に境内社が1社建つが、詳細は不明。

矢合神社
滋賀県長浜市西浅井町岩熊733

近江浅井 香取五神社

香取五神社

西浅井町に鎮座する香取五神社。御祭神は經津主神、武甕槌神、天兒屋根命、大日孁貴尊、天鈿女命、安閑天皇。
式内社浅井郡の塩津神社の論社。もと香取五所明神と称していたということで、五神祀っていたようだ。

香取五神社

境内は南向き、入口に鳥居と社号標が建つ。鳥居から石敷が社殿まで延びている。

香取五神社

正面に本社、その右に一回り小さい末社八幡宮が並んで鎮座する。

香取五神社

本社本殿。塩や水の供物やローソクが常備されていて、氏子の信仰は篤いようだ。

香取五神社

社殿左前の大きな木が御神木のようだ。

香取五神社

八幡宮本殿。

香取五神社

右手に末社秋葉神社。

香取五神社

その右に石に囲まれ石が祀られている。これも末社のひとつか?

香取五神社
滋賀県長浜市西浅井町祝山288

近江浅井 香取神社

香取神社

西浅井町に鎮座する香取神社。御祭神は經津主神、岩裂神、根裂神、磐筒男神、磐筒女神。
浅井郡の式内社鹽津神社の論社。

香取神社

参道は東から西に延びている。木に覆われた舗装道で、入口に社号標と鳥居が建っている。

香取神社

鳥居。

香取神社

途中、宮前橋の架かる大川。地元の方が土手の草刈をする中で、大勢の釣り人が何かを釣っている。
参道に泊まっていた車のナンバーは中京圏が多かったが、後で調べると鮎釣りのスポットだったらしい。

香取神社

橋を渡ると、水を抜かれた池と手水舎の先に南向きに社殿が建っている。

香取神社

裾の広がる拝殿には参拝する場所がなかったので、

香取神社

後ろの本殿で参る。本殿はぐるりと瑞垣が巡り、正面に門がある。
黒い覆いはトタンか?と思ったら木材でした。以前はこの覆いはなかったので、瑞垣の修復と同時に覆いが作られたようだ。

香取神社

本殿

香取神社

本殿の左に鳥居と末社

香取神社

末社は左半分に川濯神社、右半分に白山神社と稲荷神社が祀られている。

香取神社

境内の西、社務所のような建物には「老人憩の家」と書かれている。

香取神社
滋賀県長浜市西浅井町塩津中332

近江浅井 下塩津神社

下塩津神社

西浅井町に鎮座する下塩津神社。御祭神は鹽土老翁神を主祭神とし、伊邪那岐命、伊邪那美命を配祀する。
式内社浅井郡下鹽津神社の論社。

下塩津神社

集落の奥、南向きに参道が延び、入口に鳥居と社号標、神旗ポールが建っている。
社号標には「式内 下鹽津神社」と刻まれている。

下塩津神社

鳥居をくぐり、参道を進むと手水舎の前に一際大きな杉が立っている。御神木を示す注連縄が巻かれている。

下塩津神社

階段を上り、一段高い社地。真正面に社殿はなく、少し右にずれて建てられている。

下塩津神社

その階段の手前、左右に同規模の池が2つある。

下塩津神社

拝殿に参る。
拝殿は珍しくシャッターに覆われている。中をのぞくと四方壁のない拝殿となっている。

下塩津神社

拝殿の後ろ、幣殿・本殿と連なる。幣殿・本殿を覆う茶色の板はトタンだった。
雪深い地であるため、管理の負担を考えているのだろう。

下塩津神社

本殿の右に末社。2棟並ぶのは神明社。内宮と外宮なのだろう。

下塩津神社

さらにその右に末社白山社が建っている。

下塩津神社

入口の社務所の裏に

下塩津神社

五輪塔が残っている。

下塩津神社

鳥獣柵があるので近づけないが、古いもののようだ。

下塩津神社
滋賀県長浜市西浅井町集福寺455

近江神崎 太郎坊宮(阿賀神社)

太郎坊宮

東近江市に鎮座する太郎坊宮。御祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳大神。
修験の山として「太郎坊大権現」と崇敬されたことから当神社の尊称と

太郎坊宮

阿賀大神とも呼ばれる御祭神の正式社名の2種類の御朱印をいただける。

太郎坊宮

本殿に参拝した方限定で金字の特別御朱印もいただける。こちらからお願いしないと出てこない書き置きバージョン。
数ヶ月に1回墨書きが変わるようで、今は「阿賀大神」だった。

太郎坊宮

太郎坊宮の鎮座する赤神山、通称太郎坊山は一際目立つ。
約7000万年前の湖東カルデラの痕跡で湖東流紋岩でできている。

太郎坊宮

南から北に一直線に延びる参道の先に赤神山が聳える。
一の鳥居と社号標。横に第一駐車場がある。

太郎坊宮

赤神山を眺めながら参道を行く。参道沿いに無数に並ぶ燈籠は御大典記念として昭和三年に建てられたものがほとんどのようだ。

太郎坊宮

二の鳥居前に御神田があり、第二駐車場がある。

太郎坊宮

御神田内の鳥居は赤神山に向かって建っている。

太郎坊宮

二の鳥居の横にも社号標が建つ。

太郎坊宮

赤神山の麓に到着。いよいよ上りが始まる。

太郎坊宮

「是ヨリ本社マデ三二六米」
本殿まで742段の石段が続く。

太郎坊宮

麓は天台宗成願寺の境内になっている。御本尊は薬師如来。
かつて50余りあった社殿僧坊のひとつで、江戸時代に復興された。

太郎坊宮

階段下には彩色された延命地蔵菩薩が祀られている。

太郎坊宮

階段の途中には熊野権現社が建つ。

太郎坊宮

成願寺の境内から太郎坊宮へ続く階段に鳥居が建つ。

太郎坊宮

階段の途中にあまり見かけない東屋が建っている。

太郎坊宮

脇に不上石と呼ばれる石がある。
この石は旧石段のひとつであり、明治初年までは参拝当日に魚鳥肉類を食べたものはこの石よりは上には登らず、ここで拝礼したものと言われる。不上石の名の由来という。

太郎坊宮

石面は自然に魚の形をしているといい、見ていると左に目と口、エラのようなものが見える。

太郎坊宮

500段弱登ると参集殿下駐車場がある。

太郎坊宮

駐車場に車祓所がある。

太郎坊宮

参集殿までの階段に十二支の御神像が並ぶ。

太郎坊宮

参集殿。本殿に参ってから御朱印をここでいただいた。

太郎坊宮

参集殿前の表参道から反時計回りにまわる。

太郎坊宮

祭祀庫

太郎坊宮

長楽殿

太郎坊宮

永安殿

太郎坊宮

御霊水。ここから赤神山に登ることができる。

太郎坊宮

拝殿

太郎坊宮

「赤神山」の大きな扁額がかかる。

太郎坊宮

見逃しがちな根上りのご神木

太郎坊宮

赤神山稲荷社と愛宕社

太郎坊宮

二見稲荷社と十二社神社

太郎坊宮

夫婦岩(左が女岩、右が男岩)前の鳥居をくぐり

太郎坊宮

その間を通って本殿に向かう。

太郎坊宮

本殿に参る。

太郎坊宮

本殿前から見る夫婦岩

太郎坊宮

眼下に一の鳥居までの参道が見える。

太郎坊宮

裏参道を下りる。
摂社地主神社

太郎坊宮

その脇に斜めに割れ目の入った岩が露出している。

太郎坊宮

一願成就社

太郎坊宮

裏参道には七福神が並び、一願成就社の近くの弁財天像の下には鎮魂窟がある。

太郎坊宮

絵馬殿まで下りてくると、滝のある池に不動明王が祀られている。

太郎坊宮

絵馬殿には大正末から昭和初年の絵馬が複数かかっている。

太郎坊宮

参集殿で御朱印をいただく。
東近江市ではこの春ももクロのライブが行われ、当宮にも参拝した。ファンによる聖地巡礼も多いようだ。

太郎坊宮(阿賀神社)
滋賀県東近江市小脇町2247

近江野洲 御上神社② 御遷座1300年記念奉祝祭

御上神社

野洲市に鎮座する御上神社。御祭神は天之御影神。
2回目の参拝。

御上神社

今日は御遷座1300年記念奉祝祭が行われるので見に来た。

御上神社

午前中は雨予報ということもあってか一般の参拝者は思ったり少ないだろうか。

御上神社

ちょうど遷祀祭の巫女豊栄舞の最中だった。

御上神社

巫女舞の後、拝殿のまわりをこの桜の造花を持って稚児行列が三周する(桜の舞)予定だったが、雨で中止になった。

御上神社

遷祀祭の後、氏子地区毎の記念写真撮影が行われました。

御上神社

記念撮影を終えた親子は徹下のさくら餅を配布されました。
すべての記念撮影を終えた後、余ったさくら餅をいただきました。

御上神社

本殿に奉納された御酒の数々

御上神社

境内の東端に今回の奉祝奉幣祭の記念碑(右)が建てられていました。
ちなみに左は平成19年2月11日に建てられた御遷座1300年記念造営事業の本殿尾根保存修理工事竣工奉祝祭のものです。

ここで午前中の行事が終了し休憩に入ったので、御朱印をいただき午後の行事が始まる前に神体山の三上山に登ってきました。

御上神社

午後2時、午前中とは打って変わり晴れた空の元、奉祝奉幣祭が始まりました。

御上神社

天皇陛下の御幣帛が運ばれ、続いて神社本庁の幣帛料が運ばれてきました。

御上神社

本殿へ幣帛が献じられ、神楽豊栄舞が奉奏されました。
午後は大津市瀬田の八坂雅楽会により、舞と演奏が奏じられました。

御上神社

奉幣祭終了後、舞楽奉納が始まりました。
最初に浦安の舞。ここからは本殿の神様に奏じるのではなく、拝殿右の参拝者席に向かって演じられました。

御上神社

続けて、雅楽の越天楽と陪臚が演奏されました。

御上神社

最後に舞楽の蘭陵王だったのですが、楼門から拝殿まで歩いて入ってくるという演出がビックリしました。

御上神社

後ろから見ていたのでほぼ後ろ姿でしたが、優美な舞でした。

御上神社

最後は氏子さんらによるくじ引き抽選会だったが、ここで帰途につく。

御遷座1300年記念奉祝祭
10:30 遷祀祭(桜の舞)
14:00 奉祝奉幣祭
15:20 舞楽奉納
16:20 くじ引き抽選会

御上神社
滋賀県野洲市三上838

近江野洲 御上神社奥宮 三上山登拝

御上神社奥宮

祭礼の合間に神体山の三上山に登る。男山、女山の双耳峰である三上山は見る方角によっては秀麗な裾野をひくことから近江富士と呼ばれている。
御上神社から登山口に向かう。

御上神社奥宮

「昭和大禮 悠紀斎田址」と書かれた石標。他に三ヶ所あり何かな?と思いながら歩いていたが、その正体は後で判明する。

御上神社奥宮

裏登山口が出てきたのでそのまま入る。今回は緩やかな裏登山道を上り、急な表登山道を下りることにする。

御上神社奥宮

裏登山口に御上神社御旅所がある。

御上神社奥宮

登山口の鳥獣柵を開けてスタートする。12時3分
雨もほぼやんでいたが、直前まで降っていたので地面は濡れている。

御上神社奥宮

すぐに表登山道と裏登山道の分岐がある。この後二ヶ所分岐があるので、基本右を選択する。

御上神社奥宮

半分過ぎた頃から登山道がむき出しの岩盤が多くなる。濡れて滑りやすいので注意しながら登る。

御上神社奥宮

女山に鎮座する東龍王に到着。12時32分
東の龍王の祠が建っている。標高は270m
龍王祭(山上祭)ではここと奥宮で祭祀が行われ、竹串を刺したこんにゃくとあげの甘煮が供えられるという。

御上神社奥宮

女山と男山の間は少し標高が下がり、わりと平坦な道が続く。苔が沢山繁殖する場所のようで「苔が谷」と呼ばれる。

御上神社奥宮

途中、「姥の懐」という案内板を見つけるが、洞窟の場所がよくわからなかった。

御上神社奥宮

奥宮の裏登山道鳥居をくぐる。12時38分

御上神社奥宮

男山に鎮座する奥宮。両側に祠がある。右には前掛けをした地蔵のような石像が祀られている。
東の龍王の祠に対して、西の龍王の祠というものをあるといい、女山に対し男山は若干西に位置するので、左の祠が西の龍王の祠ということになるのだろうか。

御上神社奥宮

前に奥津磐座と呼ばれる神磐がある。御上神社の御祭神天之御影神は三上山山上に御降臨したとされているので、この磐座の上に降り立ったということになろうか。そう思うといかにも伝説の磐座の趣がある。

御上神社奥宮

磐座の先は視界が開けている。

御上神社奥宮

三上山の本当の頂上は奥宮の裏を少し登ったところ

御上神社奥宮

三上山山頂432m

御上神社奥宮

15分ほど滞在し、表登山道を下りる。
少し下りたところに展望台があり、奥宮前よりもさらに視界が開けている。

御上神社奥宮

途中ツツジがきれいに咲いていた。さらに下りる途中、「モチツツジ」という案内を見つける。花は咲いていなかったが、ガクが粘りがあると書いてあったので触ると本当にくっつく感じがあった。

御上神社奥宮

表登山道は裏登山道に比べると確かに急だが、岩盤がむき出しで滑りやすい裏登山道に比べると段があって下りるには良かった。15分ほど下ると眼下に御上神社の社叢(丸い森)が見えてきた。

御上神社奥宮

さらに10分ほど下ると割岩に到着。

御上神社奥宮

横にまわると真っ二つに割れた大岩を体感できる。間を通ることもできるようだが、濡れていて危険だったので諦める。

御上神社奥宮

案内に誘われて二越に寄り道

御上神社奥宮

途中に妙見堂跡という建物の基壇跡が残る。

御上神社奥宮

魚釣岩に到着したのは13時37分
大昔、琵琶湖の水位がこの付近まであり、神がこの岩の上から魚を釣っていたと言われることから命名された。

御上神社奥宮

振り向けば、そこはもう表登山口になっていた。

御上神社奥宮

表登山口に妙見堂があり、中腹の妙見堂がここに下ろされてきたようだ。

御上神社奥宮

登山口に妙見堂の常夜灯が建つ。

御上神社奥宮

帰ろうとふとみると、裏登山口が見える。表登山口と裏登山口は目と鼻の先だった。

御上神社奥宮

御上神社から道路を渡って向かいの田の前に鳥居が建っている。
ここは御上神社の神饌田のようだ。

御上神社奥宮

神饌田と神社の間が公園となっていて悠紀斎田記念碑が建っている。

御上神社奥宮

その隣の石碑に書かれていることをみると、
天皇御一代一度の大嘗祭に当たり、古来宮中において亀卜により悠紀と主基の両斎田を定める習わしという。
昭和三年十一月十日、今上天皇(昭和天皇)の御即位式挙行に際し、悠紀斎田を滋賀県に、主基斎田を福岡県に勅定遊ばされ、滋賀県では御上神社の神饌田になっている田地等を含めて約一町歩を斎田に選定した。
ということのようだ。最初の石標の意味がわかってスッキリした。

御上神社奥宮(三上山山頂)
滋賀県野洲市三上

近江甲賀 飯道神社

飯道神社

湖南市に鎮座する飯道神社。御祭神は素盞嗚尊と菅原道真公。

飯道神社

神社の東に社号標が建つ。神社は道路の右側の丘の上
雨がやまないので少し薄暗いが参拝することにする。

飯道神社

道路を行くと階段がある。

飯道神社

もう1本奥にも階段があり、こちらのほうが古そうだ。

飯道神社

階段を上がると家棟川を渡る橋の向こうに境内が見えてくる。

飯道神社

数段の階段を上り、「式内 飯道神社」の社号標と鳥居が建つ。

飯道神社

参道の左に社務所代わりの建物が建つ。

飯道神社

参道をまっすぐ拝殿が建つ。

飯道神社

後ろに瑞垣に囲まれた本殿。拝所で参る。

飯道神社

瑞垣の中、本殿の前に狛犬が奉納されている。阿像は子持ち

飯道神社

拝殿と本殿の間に湯窯が並び、印象に残る風景。

飯道神社

本殿の右、本殿に向かって末社皇大神宮が鎮座。

飯道神社

本殿の右に並んで愛宕神社が鎮座する。

飯道神社

拝殿の右には石造宝篋印塔がある。案内板によると「嘉元四年十一月」(1306)の銘があるらしい。

飯道神社

鳥居の近くに神社の由緒板が建てられていた。
これによると境内社は「天神社 愛宕神社 二ノ宮日吉神社」の3社となっている。愛宕神社は確認できたが、他の2社が周囲を探しても見当たらなかった。ここに皇大神宮が載っていないことをみると、天神天照大神を祀るという意味で天神社がそれだろうか。

飯道神社

当宮はもとは「飯道の森」と呼ばれた神域に祀られていたらしい。その場所は湖南市役所東庁舎(旧甲西町役場)の場所ということだが、森だった面影は周辺には全くなかった。

飯道神社
滋賀県湖南市針1009

近江大津 還来神社

還来神社

大津市に鎮座する還来神社(もどろきじんじゃ)。御祭神は藤原旅子霊。
現在は小椋神社の兼務社で、小椋神社で御朱印をいただいた。

還来神社

本殿にも書き置きの「還来大明神」の御朱印があった。
境内の由緒や授与品案内を見ると近年までは本務宮司がいたようだ、というより日付は今なので2家体制なのだろうか。

還来神社

神社の社前を通る477号線は湖西から京都の鞍馬方面へ抜ける道で、滋賀ナンバーと京都ナンバーが両方通り、山中にしては交通量が非常に多い。

還来神社

境内入口に赤い鳥居と社号標が建つ。

還来神社

鳥居をくぐるとまず目の前に御神木の梛(マキ科)の木が祀られている。
御祭神の藤原旅子霊は第50代桓武天皇の后で、第53代淳和天皇の生母になる。当地は龍華荘という藤原氏の荘園で、旅子は当地で生まれ、遺言に「我が出生の地、比良の南麓に梛の大樹有り、その下に葬る可し」として祀られたという。

還来神社

左に社務所が建つ。

還来神社

梛の御神木の先に拝殿、本殿が並ぶ。拝殿はまだ冬支度のままだった。

還来神社

本殿の左前に湯立竈

還来神社

本殿の前に二の鳥居が建つ。

還来神社

本殿に参る。

還来神社

本殿の左には新しい社殿の日吉神社。

還来神社

本殿の右に若宮神社(左)と下司神社

還来神社

境内社は以上3社のみのようだが、本殿の左方にまるでお堂のような社殿がもうひとつあった。

還来神社

本殿を囲む塀垣の右端に変わった燈籠?があり、左端にも同じようなものがあったが何だろうか。

還来神社
滋賀県大津市伊香立途中町518

近江大津 八所神社

八所神社

大津市に鎮座する八所神社。御祭神は大己貴神、菊理姫神を主祭神とし、菅原道真公を配祀する。
現在は小椋神社の兼務社で、小椋神社で御朱印をいただいた。

八所神社

南向きの境内入口で、夕方でもまだ明るかった。

八所神社

鳥居をくぐると右に社務所が建っている。

八所神社

社務所前に昨年の祭礼の様子が飾られている。それほど大きな集落には見えないのだが、流鏑馬も行われるようだ。

八所神社

神域全体が森に囲まれ、階段の先に社殿が見える。

八所神社

境内隅に御神木だった木だろうか。根元だけが祀られている。

八所神社

階段を上ると拝殿が建つ。

八所神社

拝殿の後ろの塀垣の中に本殿がある。

八所神社

拝殿左には境内社の稲荷神社

八所神社

本殿前の中門は開いていて、本殿が2つ並んで建つ。

八所神社

右の本殿、こちらにはおそらく大己貴神、菊理姫神が祀られているのだろう。
昨年の台風で倒木があり、屋根が破損したという。もしかしたら下に祀られていた木だろうか。

八所神社

右には八坂神社

八所神社

左の本殿は菅原道真公を祀るのだろうか。

八所神社

その左に多賀神社(右)と白髭神社が合わせ祀られている。

八所神社

さらに横向きに左から磐滝神社、八幡神社の2社、中央は松尾神社・平尾神社・日吉神社の合祀社、右に愛宕社・道陸社、神明神社を祀る。

八所神社
滋賀県大津市伊香立下在地町1316

近江大津 融神社

融神社

大津市に鎮座する融神社(とおるじんじゃ)。御祭神は源融公を主祭神とし、大原金子命、大山咋神の配祀する。
嵯峨天皇の皇子源融公を祀る全国唯一の社で、荘園だった地に鎮座する。源融公は源氏物語の光源氏のモデルとも言われ、源氏物語ツアーで訪れる方もいるようだ。
現在は小椋神社の兼務社で、小椋神社で御朱印をいただいた。

融神社

参道入口に社号標が建つ。

融神社

木々の間を抜ける参道を行くと、石造と木製の2つの鳥居が建っている。

融神社

鳥居をくぐって右手に歌碑が建つ。室町時代の勅使参向の折に読まれた和歌らしい。

融神社

左手に社務所が建つ。

融神社

開放的な拝殿の先に本殿

融神社

拝殿に架かる額を見ると、最近でも舞が奉納されているようだ。

融神社

本殿が2つ並ぶ。右が源融公を祀る本殿、左が源融公の母、大原金子命を祀る摂社ということのようだ。

融神社

摂社の左、石塔の後ろに建つのは若宮神社

融神社

その隣に5社並び、左から諏訪神社、多賀神社、春日神社、稚姫神社、松尾神社。

融神社

本殿の右に八幡社

融神社

稲荷神社

融神社

隣に出雲神社。社に狐の顔のような朽ちた木造が祀られている。

融神社

本殿の裏に神明神社(右)と愛宕神社(左)
境内で見た境内社は11社だが、他に大己貴神社がどこかにあったようだ。

融神社

周囲の石積みの上を見ると、石が数個立っている。小椋神社で見た石造瑞垣のようなので、かつてはこの社にもあったのかもしれない。

融神社

さらに見ると、石積みの下の段に等間隔に石が積まれている。境内社の不明社が5社あるようなので、もしかしたらその基壇の跡かもしれない。

融神社

境内には他に子育地蔵のお堂が建っていた。

融神社
滋賀県大津市伊香立南庄町牟禮の岡山1846

近江大津 小椋神社

小椋神社

大津市に鎮座する小椋神社。御祭神は闇淤加美神。延喜式滋賀郡の論社。

小椋神社

比叡山ドライブウェイの北入口への途中にある。鳥居横には参拝者用駐車場がある。
鳥居の横に「式内 小椋神社」の社号標が建つ。

小椋神社

参道はゆるやかに下る。

小椋神社

進むと天神川に架かる赤い欄干の神橋を渡る。

小椋神社

最初に建つのは祓戸神社

小椋神社

拝殿前に御神木の大杉が並び立つ。

小椋神社

拝殿と奥の本殿は参道と直角に曲がって建つ。

小椋神社

拝殿の右角に神輿蔵が建つ。

小椋神社

その隣に湯立竈の後ろに大宮神社(右)と若宮神社(左)
大宮神社の御祭神は伊邪那美神。小椋神社より1年早い天安二年に当地に最も早く鎮座する。
若宮神社の御祭神は稚日女神。

小椋神社

若宮神社の隣に初代一の鳥居の一部が残っている。

小椋神社

大宮神社と若宮神社の裏手に石が並んでいる。
最初は石仏かと思って表面を見ていたが何も掘られていない。これが石造瑞垣という鎌倉時代の玉垣だという。

小椋神社

間の御供所の裏に神竹苑があり五葉笹が植えられている。

小椋神社

本殿に参る。

小椋神社

中門から玉垣の中をのぞくと、中央に小椋神社本殿、右に春日神社、左に菅原神社が建つ。

小椋神社

やはりこの本殿玉垣の裏手にも石造瑞垣が残る。

小椋神社

本殿前に小椋神社の旧社号「田所神社」の石造扁額が残る。

小椋神社

本殿前の神饌所の隣には経塚があり、「心経一○」と書かれている。

小椋神社

ここで神橋まで戻り社務所で御朱印をいただく。

小椋神社

本社と兼務社の雄琴神社の御朱印についてはあらかじめ情報を得ていたが、来てみると兼務社があと3社あることがわかったのですべていただく。時間がかかるのでその間に残る境内社をめぐる。

小椋神社

本社の横に建つのは多賀神社と塚本神社

小椋神社

本社の裏には仰霊社が建つ。

小椋神社

反対側に神力稲荷神社が建つ。その前に神苑がある。

小椋神社

境内一番奥に新宮神社(右)と今宮神社(左)が建つ。
新宮神社の御祭神は少彦名神、今宮神社は大穴持神。

小椋神社

新宮神社の脇に子安神社

小椋神社

裏に瀧と瀧宮神社がある。

小椋神社

今宮神社の脇に天照大神と豊受大神を祀る神明神社がある。
境内社の多い神社だった。

小椋神社
滋賀県大津市仰木町4-38-55

近江大津 雄琴神社

雄琴神社

大津市に鎮座する雄琴神社。御祭神は大炊神今雄宿禰命。
御朱印は本務社の小椋神社でいただいた。

雄琴神社

琵琶湖の西岸、琵琶湖に向かって鳥居が建っている。上り坂の参道の入口に「郷社 雄琴神社」の社号標が建つ。

雄琴神社

坂を上っていくと鳥居が建っている。左に社務所が建つ。

雄琴神社

最後に階段を上った平坦地に社殿が建つ。

雄琴神社

開放的な拝殿

雄琴神社

その拝殿の後ろに御垣に囲まれた本殿がある。

雄琴神社

拝殿左の神饌所?に「御鎮座壱千五拾年記念大祭」の板が掛かる。昭和51年11月3日に行われたようだ。

雄琴神社

中門の前で本殿に参る。

雄琴神社

御垣の中には3殿建ち、中央に本殿が建つ。

雄琴神社

本殿左に三峯神社。御祭神は大己貴命。

雄琴神社

本殿右に樟本神社。御祭神は祟道尽敬天皇。

雄琴神社

御垣の右、井戸の横に稲荷神社。御祭神は倉稲魂命、市杵島姫命、水速女命。

雄琴神社

鳥居の右側に数社の境内社が建っている。
霊光社。御祭神は当宮に不動産の寄進をした八木氏の霊と日清・日露・太平洋戦争で戦没者された当町出身者のご英霊。

雄琴神社

階段を上ったときに左から野神社、地主神社、牛尾神社が祀られている。
野神社の御祭神は野椎神。境内の由緒には祭神不詳となっている。
地主神社の御祭神は大物主神。もと字出口に鎮座していたという。
牛尾神社の御祭神は大山咋命荒魂、菅原道真公。

雄琴神社
滋賀県大津市雄琴2-10-1

近江蒲生 大嶋奥津嶋神社②

大嶋奥津嶋神社

近江八幡市に鎮座する大嶋奥津嶋神社。御祭神は大國主命、奧津嶋比賣命。延喜式蒲生郡の大嶋神社、明神大社奥津嶋神社の2社の論社。

大嶋奥津嶋神社

今回は2度目の参拝となった。

大嶋奥津嶋神社

非常に天気の良い青空の広がる元で参る。
今日は何か行事があったようで、氏子の方が数人集まってきていた。忙しい中ではあったが、宮司宅で御朱印をいただいた。

大嶋奥津嶋神社
滋賀県近江八幡市北津田町529

近江蒲生 石部神社

石部神社

旧安土町に鎮座する石部神社。御祭神は少彦名神、天照大神、高皇産靈神、大己貴命、櫛日方命。延喜式蒲生郡の論社。

石部神社

安土城の百々橋口から登る。安土城が20年間に及ぶ発掘調査を行っていた頃まではこちらからも天守台まで登ることができたが、有料化されてからは神社から先は行き止まりとなっているので、訪れる人もまばらになった。

石部神社

天主への急な階段を少し登ると神社への入口がある。

石部神社

鳥居の横に「式内 石部神社」の社号標が建つ。

石部神社

手水舎の横には磐座

石部神社

鳥居の横には御神木がある。

石部神社

森に囲まれた中に南向きに社殿が建ち、開放的な拝殿が建つ。

石部神社

奥に本殿と右に境内社が一社。

石部神社

本殿に参る。
本殿にも「式内 石部神社」の扁額が掛かる。

石部神社

境内社の社名はわからない。横に石地蔵が祀られている。

石部神社
滋賀県近江八幡市安土町下豊浦6222

近江彦根 阿自岐神社行宮所

阿自岐神社行宮所

彦根市に鎮座する阿自岐神社。

阿自岐神社行宮所

集落内を流れる安食川のほとりに神社は鎮座する。

阿自岐神社行宮所

鳥居と社旗ポールが建つ入口に社号標や扁額はない。

阿自岐神社行宮所

鳥居の先に石碑が建つ。

阿自岐神社行宮所

「阿自岐神社行宮所」と書かれた石碑。
犬上郡式内社の阿自岐神社を訪ねたつもりだったが間違えたらしい。阿自岐神社はここから西の豊郷町に鎮座し、太堂町は氏子地区になる。
祭礼に御旅所として使用されることもあるのだろうか。

阿自岐神社行宮所

太堂町から少し北上したところから北東に山々が拝めた。
右に伊吹山、中央に遠く雪を頂くのは能郷白山だろうか。左奥にも雪を頂く山がひとつ見える。

阿自岐神社行宮所
滋賀県彦根市太堂町

近江彦根 河瀬神社

河瀬神社

彦根市に鎮座する河瀬神社。御祭神は大名牟遲神、品陀別神、大山咋神。延喜式神崎郡川桁神社の論社。

河瀬神社

社前南西方角に参道が延びる。

河瀬神社

鳥居の横に「郷社 河瀬神社」の社号標が建つ。

河瀬神社

境内の右側に社務所

河瀬神社

左側に倉が建つ。

河瀬神社

開放的な拝殿

河瀬神社

拝殿には戦後の馬の絵馬2枚と、この明治天皇の何かの場面を描いた絵馬が掛かる。

河瀬神社

本殿に参る。

河瀬神社

本殿の扉に鮮やかに獅子と狛犬が描かれている。

河瀬神社

拝殿左の建物は神楽殿かと思ったが神饌所のようだ。

河瀬神社

静寂の神社らしい神域。社前に宮司宅らしいお宅を見つけたがあいにく留守で御朱印は確認できなかった。

河瀬神社
滋賀県彦根市川瀬馬場町480-1

近江彦根 高宮神社

高宮神社

彦根市に鎮座する高宮神社。御祭神は天津日高日子番能邇邇芸命を主祭神とし、木花之佐久夜毘賣命を配祀する。

高宮神社

表参道は東向き

高宮神社

鳥居の横に「郷社 髙宮神社」の社号標が建つ。

高宮神社

長い参道を歩いて行くと、右手に春季例祭の写真が飾られている。太鼓神輿という変わった神輿がでるようだ。

高宮神社

参道途中に社務所もあり、帰りに御朱印をいただいた。

高宮神社

随神門

高宮神社

門には随神として左大臣、右大臣が阿吽として奉納されている。

高宮神社

随神門右前の笠砂苑と称する神苑の中に芭蕉の句碑が建っている。
「をりをりに伊吹を見てや冬籠りはせ越」
元は随神門左に建てられていたようだ。

高宮神社

随神門をくぐると広い境内が広がっている。

高宮神社

拝殿に参る。
拝殿の前に紅白の梅が植えられていて春めいた雰囲気

高宮神社

本殿は玉垣に囲まれている。

高宮神社

拝殿右に神輿庫

高宮神社

拝殿右に境内社が並んでいる。瑞穂神社と恵比須神社

高宮神社

右隣に垂加神社。御祭神は垂加神社の山崎闇斎命。

高宮神社

随神門を入ってすぐ左に雅喜苑と称する神苑

高宮神社

神苑の横に絵馬殿が建ち

高宮神社

1枚の絵馬が掛けられいる。

高宮神社

この絵馬殿に続くのが南参道

高宮神社

表参道の前を旧中山道が通っている。中山道では二番目に大きな宿場町だった。
参拝後に少し散策する。

高宮神社

高宮宿に多賀大社の一の鳥居が建っている。青蓮院門跡尊純法親王の書いた扁額が掲げられている。多賀大社までは3キロの道のり。

高宮神社

宿場を散策中、犬上川のほとりに高宮神社の御旅所を見つけた。
さいかち地蔵の横にある。

高宮神社
滋賀県彦根市高宮町1876

近江彦根 都惠神社

都惠神社

彦根市に鎮座する都惠神社。御祭神は大国主神。延喜式犬上郡都惠神社の論社。

都惠神社

境内は南向きで、鳥居と右に「式内 都惠神社」と書かれた標柱が建つ。

都惠神社

境内の右手に社務所が建つ。

都惠神社

拝殿に参る。
参っていると氏子さんが散歩に来た。式内社を巡っているのだと話すと、ここは多賀大社に関係が深い古社だが、拝殿の額(俳句額か)も見えなくなって寂れてしまって、と言われていた。

都惠神社

拝殿の後ろに本殿が建つ。

都惠神社

本殿は覆屋に入っている。

都惠神社

社殿には犬上川が流れ、高い堤防の上に道路が通っている。境内を見渡すと、かつてはもっと深い森に囲まれていたのだろう。

都惠神社
滋賀県彦根市竹ヶ鼻町256

近江彦根 彦根神社

彦根神社

彦根市に鎮座する彦根神社。御祭神は活津彦根命。延喜式坂田郡岡神社の論社。

彦根神社

西向きに一の鳥居が建つ。通りは住宅地の狭い路地。

彦根神社

境内は一の鳥居から少しずれているが、同じく西向きにある。

彦根神社

入口右に境内で一番大きいたぶん御神木が立つ。落雷だろうか何度か折れているようだが、元気に枝が延びている。

彦根神社

朝方だったので朝日がまぶしい。二の鳥居の先に拝殿が建つ。
手水舎は境内左(北)入口に建っている。

彦根神社

境内の左手に地域の自治会館。社務所を兼ねているのだろう。

彦根神社

鳥居をくぐると右手に神楽殿が建つ。梅が見頃を迎えようとしている。

彦根神社

拝殿に参る。

彦根神社

拝殿内には絵馬が多く掛かっている。

彦根神社

拝殿の後ろの玉垣の中に2つの本殿が並んで建っている。中門は真新しく、平成の改修事業で昨年新しくなったようだ。

彦根神社

左の本殿が御祭神が祀られている。

彦根神社

右の本殿が境内社の岡神社で御祭神は素盞嗚命。論社の根拠がこの境内社だろうか。
本殿が瓦葺なのに対し、境内社は銅板葺になっている。

彦根神社

本殿の右に寄付碑が建っているが、手前の1本だけは違うようだ。
「彦根神社常」と書かれた嘉永七年の石碑。元はもっと高い常夜灯だったようだ。火袋は構成の補遺か、色が違う。

彦根神社
滋賀県彦根市後三条町121

近江蒲生 大嶋奥津嶋神社

大嶋神社・奥津嶋神社

近江八幡市に鎮座する大嶋奥津嶋神社。御祭神は大國主命、奧津嶋比賣命。延喜式蒲生郡の大嶋神社、明神大社奥津嶋神社の2社の論社。

大嶋神社・奥津嶋神社

集落への道路の南口に社号標が建つ。神社は南北に延びる道路を北に、途中西に曲がる。北の琵琶湖に沖島、西に西国三十三観音霊場の長命寺がある。

大嶋神社・奥津嶋神社

神社の東鳥居、社号標「式内 大嶋神社 奥津嶋神社」が建つ。

大嶋神社・奥津嶋神社

神社には西鳥居もあり、同じく社号標が建つ。こちらの社号標には式内の文字はない。

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居を出たところに宮司宅があり、前に参拝者用駐車場が数台分ある。今日はお留守で御朱印はいただけなかった。

大嶋神社・奥津嶋神社

拝所に参る。玉垣の中に拝殿と2棟の本殿が建つ。左の大きい本殿が大嶋神社、右の小さい本殿が奥津嶋神社という。

大嶋神社・奥津嶋神社

玉垣前の左方に祓戸大神を祀る。

大嶋神社・奥津嶋神社

玉垣左に社務所

大嶋神社・奥津嶋神社

本殿左に2社、

大嶋神社・奥津嶋神社

本殿右に3社と宝物庫が建つ。日觸神社(應神天皇)、日吉神社(大山咋命)、四宮神社(彦火々出見命)、喜佐伊神社(須佐之男命)、行司神社(高皇産霊命)の5社であるが、左が上座のようなので、左から順番だろうか?

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居への境内の途中に白山神社が鎮座する。

大嶋神社・奥津嶋神社

境内の社殿前に神池かと思うが、案内板にはため池とあり、境外なのだろうか

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居の前に境内社(境外社?)

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居の道路向かいには愛宕大神

大嶋神社・奥津嶋神社

西鳥居に向かう道路の途中にも社がある。

大嶋神社・奥津嶋神社

詳細は不明だが、関係するものだろうか。

大嶋奥津嶋神社
滋賀県近江八幡市北津田町529

近江野洲 兵主大社

兵主大社

野洲市に鎮座する兵主大社。御祭神は八千矛神。延喜式野洲郡の比定社で明神大社。

兵主大社

一の鳥居と社号標が建つ境内の入口は南向き。

兵主大社

鳥居をくぐると長く続く参道の両脇に神輿や太鼓という石柱が並ぶ。兵主十八郷と呼ばれる末社十八社から三十数基が集まるという5月5日の春季例大祭の渡御場所という。

兵主大社

参道の突き当たり付近が駐車場になっていて、太鼓橋を渡って社殿へ向かう。太鼓橋からは東向きに変わる。

兵主大社

太鼓橋を渡ると右に手洗御前社。

兵主大社

その後ろに忠魂碑が建つ。

兵主大社

朱色の鮮やかな楼門

兵主大社

「正一位勲八等兵主大神宮」の扁額がかかる。

兵主大社

楼門右翼三間のそれぞれに矢放神社、狩上神社、戸津神社の扁額がかかる。

兵主大社

楼門左翼にも矢取神社、浅殿神社、二ノ宮神社の扁額がかかる。春季例大祭で本社を含む上七社の神輿が鎮座するということらしい。

兵主大社

参道の途中、右に末社乙殿神社、御祭神は稲背入彦神。中七社の筆頭社のようだ。

兵主大社

本殿の隣に天満宮が祀られている。

兵主大社

さらに進むと右に神鶏舎。中に居るのは烏骨鶏か?

兵主大社

手水舎には亀

兵主大社

拝殿に参る。

兵主大社

拝殿前の狛犬には何故か白布が巻かれている。

兵主大社

拝殿右手に神饌所

兵主大社

その左隣に神武天皇遙拝所。前の大きな根元はかつての御神木だろうか?それにしてもこの方角は北向きで橿原神宮とは真逆の方角なのだが・・・

兵主大社

その左隣に旧護摩堂。神仏習合時は兵主大明神の本地仏である不動明王を祀っていたという。

兵主大社

現在内部には氏子崇敬者三十六社の神々を祀る社がずらりと並ぶ。

兵主大社

檜皮葺きの本殿。玉垣の中には本殿の左右に向かい合わせに境内社が建つ。手名椎神、足名椎神を祀る社か?

兵主大社

本殿玉垣外の右に両大神宮

兵主大社

本殿背後から参道の左に名勝指定された庭園が広がる。今回中には入っていないが、池に浮かぶ島に祠が見える。

兵主大社

社務所で御朱印をいただく。

兵主大社

社務所の横に参集殿。

兵主大社

社務所の後ろには収蔵庫が建つ。

兵主大社
滋賀県野洲市五条566