「25滋賀県の神社」カテゴリーアーカイブ

近江野洲 小津神社

小津神社

守山市に鎮座する小津神社。御祭神は大宮に宇迦之御魂神、地主宮に小津君、二宮に素盞嗚命、三宮に大市姫命を祀る。延喜式野洲郡の比定社。
日本武尊の御孫の小津君を開拓の祖神として祀ったのが創祀であり、允恭天皇の御代に大宮に宇迦之御魂神を祀ったという。

小津神社

神社の社叢を見つけ、中に入る。狛犬の先、参道の突き当たりに手水舎。

小津神社

180度回転して広い境内の先に社殿が建っている。道路からまっすぐ入る裏参道もあるが、車は入れない。

小津神社

参道寄りの右に神輿庫。

小津神社

中に大宮、二宮、三宮それぞれに3つの神輿が収められている。

小津神社

神輿庫の左に境内社の跡が残っている。

小津神社

拝殿に参る。

小津神社

拝殿の後ろ、玉垣に囲まれた神域に大宮の本殿が鎮座する。室町時代の築造といい、檜皮葺の雰囲気ある社殿。

小津神社

拝殿右に境内社が並ぶ。参集殿の前に市杵島姫神社

小津神社

その左に天満宮

小津神社

その左は扁額がないが、神紋から金刀比羅社

小津神社

その左は稲荷社

小津神社

本殿の玉垣の右に並ぶのは地主宮だろうか?社殿に三つ巴紋が付いている。

小津神社

境内左方に社務所があり、そこで御朱印をいただく。いただいた後、鳥居を見かけなかったので在処を尋ねると、参道の先車道を進むと建っていると教えてもらう。

小津神社

一の鳥居と社号標、由緒書が建つ。参道は途中右に折れる。前の道路を通過したが、運転していて全く気が付かなかった。

小津神社

ちょうど角の場所の左方に狛犬が見えた。

小津神社

行ってみると小津神社の三宮であった。こちらも古い社殿で桃山時代の築造という。

小津神社

神社へと続く参道

小津神社

三宮の説明板に二宮は境内社というので再度探してみる。本殿の横に木に隠れるようにもう一社あった。これが二宮か。もしかしたら、右横の社殿と二宮、地主宮は逆かもしれない。御朱印いただくときに気が付いていたら確認できたけどな。

小津神社
滋賀県守山市杉江町495

近江栗太 印岐志呂神社

印岐志呂神社

草津市に鎮座する印岐志呂神社。御祭神は大己貴命。延喜式栗太郡の比定社で、天智天皇の勅願により大和国大神神社から分霊されたと伝える。

印岐志呂神社

神社から東へ延びる道路の先に一の鳥居と社号標が建つ。神社前に志那街道の案内板がある。志那街道は琵琶湖の志那港を起点として守山市今宿に至る街道で沿道に神社があったというが、この道だろうか。

印岐志呂神社

ややカーブした道に垂直に参道が延びる。参道や社殿は南向き。入口に鳥居はなく、石橋が架かるのみ。

印岐志呂神社

今年は御鎮座千三百五十年を迎え、11月4日、5日に大祭が行われる。

印岐志呂神社

参道途中に「式内 印岐志呂神社」の社号標

印岐志呂神社

さらに進むと、境内を流れる川にかかる石橋を渡る。

印岐志呂神社

神門

印岐志呂神社

神門をくぐると左手に蔵

印岐志呂神社

正面に大きな拝殿がある。

印岐志呂神社

拝殿を通り、本殿を取り囲む玉垣の拝所で参る。

印岐志呂神社

本殿は日吉大社の摂社樹下神社、摂社白山姫神社の本殿と同形式という。

印岐志呂神社

本殿右に二の宮、御祭神は国常立尊、伊邪那岐大神、伊邪那美大神。

印岐志呂神社

本殿左に三の宮、御祭神は惶根尊。

印岐志呂神社

三の宮の左に若宮、御祭神は伊邪那岐命。

印岐志呂神社

若宮の手前、一社のみ右向きの社殿は十禅師社、御祭神は天邇邇芸尊。

印岐志呂神社

玉垣の角、玉串にも使われるという御神木オガタマノキ。

印岐志呂神社

左手の森の中を進むと、奥御前社が建つ。御祭神は別雷尊。まわりの木の上でサギが巣を作っており、道や社殿も真っ白、上空に注意しながら参拝する。境内には古墳時代後期の古墳が複数あるといい、社殿の建つ場所も少し高い場所になっている。もしかしたら古墳なのか?

印岐志呂神社

社務所横の大祭案内。氏子地域の神社は飛地境内地になっていて、水系ごとに宮座(グループ)を組み、それぞれの宮を世話するとともに、産土神も祀られているらしい。

印岐志呂神社

拝殿右手には境内社が二社。稲荷社、御祭神は帯刀稲荷大神と多賀大神。

印岐志呂神社

もう一社は大国主大神と事代主大神を祀る恵比須社。昭和31年に大阪今戎神社から分霊されたという。
今日は宮司が留守だったので再訪したい。

印岐志呂神社
滋賀県草津市片岡町245

近江米原 伊夫岐神社

伊夫岐神社

米原市に鎮座する伊夫岐神社。御祭神は伊富岐大神を主祭神とし、素盞嗚尊、多多美比古命を配祀する。延喜式坂田郡の比定社。

伊夫岐神社

社殿は南向き。東方に伊吹山が聳える。南から雨に追われるように参拝に来たので伊吹山山頂にも雨雲がかかっている。

伊夫岐神社

社前に井戸がある。

伊夫岐神社

社号標には「式内 郷社伊富岐神社」と書かれている。鳥居の注連縄が低いのは何故だろうか。自然に低姿勢で入るようになっているのか。

伊夫岐神社

鳥居の扁額には「伊吹大神」とある。

伊夫岐神社

社殿の周りは杉が囲み、一段高くなっている。拝殿に参る。

伊夫岐神社

本殿は弊殿で拝殿とつながる。

伊夫岐神社

本殿左に秋葉神社

伊夫岐神社

本殿右に権現神社

伊夫岐神社

境内には大きな切り株が複数残っている。倒木か、枯死か、昔はもっと境内が鬱蒼としていたのかもしれない。

伊夫岐神社

賽銭箱の横のケースに由緒書きと朱印用のスタンプが入っていた。記念スタンプのようでもあるが、朱印の代用とする。

伊夫岐神社

社殿左に社務所

伊夫岐神社

境内の東側に桜が咲いていた。見ていると鐘楼が見える。隣に寺院があるようでもなかったので、神社に関係するもののようだ。

伊夫岐神社

立派な梵鐘が下がっている。鐘をつくこともあるのだろうか。

伊夫岐神社

神社と集落の西側には姉川が流れる。北から流れてきた姉川はこの辺りでカーブして西へ、琵琶湖に流れ下る。平野への出口に鎮座する当神社は姉川の水利権を押さえていたのだろう。

伊夫岐神社
滋賀県米原市伊吹603

近江米原 長岡神社

長岡神社

米原市に鎮座する長岡神社。御祭神は素盞嗚尊。延喜式坂田郡岡神社の論社。

長岡神社

社前を流れるのは天野川。狭い路地に面して南東向きに鎮座する。元宮は神社の北東、琴岡山山頂に鎮座していたという。
境内入口に樹齢800年を越えるイチョウの御神木がある。イチョウと反対側にずらりと並ぶ燈籠も壮観だ。

長岡神社

社号標には「式内 長岡神社」とある。

長岡神社

境内に入ると鳥居が参道途中と拝殿前に2つ建つ。

長岡神社

拝殿右にも太いイチョウの御神木がある。

長岡神社

拝殿には賽銭箱はなく、拝所になっている中門に賽銭箱がある。本殿は中門と両脇につながる御垣に囲まれている。

長岡神社

本殿に参る。

長岡神社

御垣内に鎮座する本殿には彫刻も多く施されている。

長岡神社
滋賀県米原市長岡1573

近江草津 鞭嵜八幡宮

草津市に鎮座する鞭嵜八幡宮。

南の鳥居から入る。

社殿は西向き。開放的な拝殿の後ろに本殿がある。

本殿の苔生した檜皮葺の屋根が趣がある。本殿に参る。

御祭神は応神天皇、聖母大神、高良大神、住吉大神。聖母大神は神功皇后だと言われる。

境内社を拝殿を時計回りに参る。拝殿左に二社。
大山咋神と蛭子大神

金比羅大権現と貴船大神

拝殿の右に二社。神功皇后と應神天皇

稲荷大明神

宗源殿。地元の祖神が祀られる。

表の鳥居は北側になる。

社前を横切る道路は東海道からの脇道で矢橋道となる。矢橋道は近江八景のひとつ矢橋の渡しにつながる道で、瀬田の唐橋を通らずに京へ入る琵琶湖を行く近道であった。

鯱をいただく表門は膳所城の南大手門で、明治四年の廃藩置県で移築された貴重な遺構である。

鳥居と表門の間に難除水がある。八方厄除の水ということだろうか。

鞭嵜八幡宮
滋賀県草津市矢橋町1463

近江信楽 神山神社

甲賀市に鎮座する神山神社。御祭神は素戔嗚尊。

参道の左に駐車場がある。

参道は東西に延びる。

かつて信楽を総称して大原山と言ったころからの氏神であった。

社殿は南向き。拝殿の後ろに本殿がある。本殿右のご神木がとても高い。

本殿に参る。陶器製の狛犬が信楽らしい。

本殿

本殿の右に末社として山之神神社がある。御祭神は大山津見神。

社務所前の傘入れが狸になっていて、これはまた信楽らしい。社務所に人が戻ってきたので御朱印をお願いすると、宮司は入院中で留守番だという。またの機会とする。

神山神社
滋賀県甲賀市信楽町神山1994

近江甲南 檜尾神社

甲賀市に鎮座する檜尾神社。御祭神は天津彦彦火瓊々杵尊を主祭神とする。元伊勢甲可日雲宮の数多ある候補地のひとつ。

田の隅に異様な短さの鳥居。檜尾神社の社前でもあり、元は一の鳥居だったか。根元が朽ちたか、地震か大風で折れてしまったのか。

社殿は東向き。山麓に鎮座する。

檜尾神社は檜尾寺と隣り合っている。左手に入ると檜尾寺。

檜尾大明神と言われた檜尾神社。檜尾寺は最澄開祖と言われ、檜尾神社の神宮寺だった。

鳥居をくぐり階段を上ると拝殿がある。

本殿は現在修理中だった。御祭神は宝蔵に遷座されていたのでそちらに参る。

隣の宮司宅で御朱印をいただく。有形文化財の本殿にお詣りできなかったので、また再拝を誓う。

檜尾寺のほうから境内社に参る。金刀比羅社か天照皇大神宮のいずれか。

本殿左の八坂社

檜尾神社
滋賀県甲賀市甲南町池田55-1

近江土山 瀧樹神社

甲賀市に鎮座する瀧樹神社。延喜式の甲賀郡川田神社の論社のひとつ。

神社の北側にある駐車場に車を停め、境内に入る。

社殿は南向き。境内のすぐ南を野洲川が流れる。

御祭神は速秋津比古命、速秋津比咩命、大山祇命、事代主之神、宇賀魂神、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命。

拝殿の後ろに二社の本殿が並ぶように鎮座する。

本殿は右に瀧樹神社、左に天満宮。本殿に参る。

享保二年銘の手水があり、奥に井戸らしきものがある。

境内の社務所で御朱印をお願いする。三度目でようやく会えたのだが、御朱印はやっていないとのこと。ネットでは見かけるのに止めてしまったのか。

駐車場からお茶畑の中を西に進むと集落から入る本来の一の鳥居が見えてきた。本来はこの鳥居をくぐり、川沿いを通って境内に入る。

瀧樹神社
滋賀県甲賀市土山町前野155

近江日野 長寸神社

日野町に鎮座する長寸神社。延喜式蒲生郡の論社のひとつ。御祭神は事代主命、天照荒魂神と素戔嗚尊を配祀する。

社殿は南向き。

鳥居左の1本の木が紅葉し美しい。

鳥居の向こうに拝殿が見える。

拝殿の奥に塀垣に囲まれた本殿が鎮座する。

本殿に参る。

本殿の彫刻は右に龍、左に虎。これは上之郷の大屋神社の本殿と同じである。中之郷の長寸神社は大屋神社と現在でも祭りを通して関係が深いという。

本殿右に境内社が二社。

左に一社。

その前に橿原神宮遙拝所がある。

長寸神社
滋賀県蒲生郡日野町中之郷1565

近江日野 大屋神社

日野町に鎮座する大屋神社。延喜式蒲生郡の論社のひとつ。

広がる田の中に鎮守の杜。

御祭神は五十猛神。杉杣大宮と称し奥津保郷の総社として崇敬を集めた。

鳥居右に竜王の御神木がある。

夏に干ばつが続くと桜谷の先祖達は竜王山頂に祀られた雨の神、八大竜王へ必死の雨乞祈願をかけた。山頂にある竜王の霊石を佐久良川沿岸八ヶ村が共同で三つの郷へ迎え、上之番、中之番、下之番がそれぞれ霊石を迎えた神社で踊りなどを奉納しつつ、夜を徹しての盛大な雨乞祈願を行った。ここは上之番である杉杣郷三ヶ村が竜王の霊石を迎えた場所である。今雨乞は消えたが7月1日の竜王山頂での祭は続けられている。

鳥居をくぐると参道がまっすぐ北に延び、両側に杉の並木が立つ。まさに神様に会うために通じる道のようだ。

並木を抜けると石積みの上段に社殿が見えてくる。

前に開放的な拝殿、後ろに一段上がって本殿が建っている。

本殿に参る。末社として左に若宮神社、右に奥津神社、右手に小綿向神社が鎮座する。

本殿には彫刻が多数飾られている。右に龍、左に虎の彫刻。

大屋神社
滋賀県蒲生郡日野町杉228

近江野洲 御上神社

野洲市に鎮座する御上神社。延喜式野洲郡の比定社で明神大社。御祭神は天之御影神。

元官幣中社で、養老年間に藤原不比等の勅命で創建されたという。

神奈備である三上山。近江富士とも言われる山容秀麗な山で山頂に奥宮がある。

鳥居から楼門まで参道が一直線に延びる。

楼門は国重要文化財。

楼門から拝殿、本殿が一直線に並ぶ。拝殿は国重要文化財、本殿は国宝。

本殿に参る。境内に檜皮葺の屋根の建物が揃う様は荘厳である。

本殿の右に県重要文化財の摂社三宮神社。御祭神は瓊瓊杵命。
左の小さな社は大神宮社。御祭神は天照皇大御神。

本殿の左には国重要文化財の摂社若宮神社。御祭神は伊弉諾命を主祭神に、菅原道真命、天石戸別命、天之御桙神、野槌大神を配祀する。

神輿殿。

古い鳳輦神輿が三台入っている。中に人が乗れる構造。

楼門を出て、楼門の東方に2つの境内社の敷地があるが、社は一社のみ。愛宕神社(御祭神は火産霊神)、御鍵取神社(御祭神は天津彦根神、猿田彦神)の合祀社になっているが、御鍵取神社は本来左の敷地らしい。

鳥居から西側にも参道が延びる。その途中に橿原神宮遙拝所がある。

御上神社
滋賀県野洲市三上838

近江大津 長等神社

大津市に鎮座する長等神社。御祭神は建速須佐之男大神、大山咋大神、宇佐若宮下照姫大神、八幡大神、地主大神。

道路を跨ぐように大鳥居が立っている。社殿は東向き、長等山を背後に鎮座する。初め大津宮の鎮守として創建され、遷都の後は園城寺(三井寺)の鎮守となり、日吉山王神(大山咋大神)を祀った。境内の右に園城寺への入口がある。

朱色の大きな楼門。

境内に入ると拝殿、奥に廻廊に囲まれた本殿がある。

廻廊に入って本殿に参る。

本殿

本殿左に境内社が二社。右が馬神神社(もと大津東町の守護神)、左は両御前神社(もと神出の御旅所の社)。

本殿右の三社の稲荷神社。栄稲荷神社。往古からの境内社に、大津城内の鎮守社を合祀。

磐境が御神体の末春稲荷神社と権平稲荷神社の合祀社。

駒竹稲荷神社(もと上京町の相生神社の境内社であり、大津駅旧伝馬町の守護神)。

社務所で御朱印をいただく。

社務所の前に笠森神社。

長等神社
滋賀県大津市三井寺町4-1

近江大津 三尾神社

大津市に鎮座する三尾神社。御祭神は伊弉諾尊。三尾神社はもとは園城寺(三井寺)の鎮守であった。

社殿は東向き。長等山の地主神として、長等山を背後にして鎮座する。

参道を進み鳥居をくぐると、駐車場の横に拝殿がある。少し違和感があったが、屋根の向きですね。多くは本殿に向かって妻入りなのが、平入りなので90度向きが違う。

入口に門、脇に手水舎がある。

三尾神社が卯年生まれの守り神を自称していることもあり、水を出しているのもウサギ。

本殿を囲む塀垣の一部が拝所となっている。本殿に参る。

本殿

本殿右から反時計回りに境内社をまわる。白山神社と愛宕神社の合祀殿。

天満宮。

白鬚神社と夷子神社の合祀殿。

日御前神社

左側に回り込む。裏門は屋根が壊れているようだ。

屋根の瓦が見返り兎となっている。

阪下稲荷神社と茂畑稲荷神社の合祀殿。

境内はまさにウサギ尽くしである。廻廊前のめおと兎。

由緒書き前の子連れ兎。

子連れ兎は置物の授与品になっている。御朱印を待つ間に見ていて、あまりのかわいさに連れ帰ってしまった。

三尾神社
滋賀県大津市園城寺町251

近江栗太 佐久奈度神社

大津市の瀬田川を下流に南下すると鎮座している佐久奈度神社。延喜式栗太郡の比定社であり明神大社。御朱印は祓えの神である、瀬織津姫尊、速秋津姫尊、気吹戸主尊、速佐須良姫尊の四柱。

社殿は西向き。平成31年には御鎮座1350年祭が斎行される。

正面に本殿、左に社務所が建っている。

境内に入ると北を流れる瀬田川に向かって展望台が作られている。

元はこの下の駐車場のあたりに瀬田川に背を向けて南向きに社殿があったようだ。昭和39年、さらに下流に天ヶ瀬ダムが建設され水没予定地となったため、現在地に遷座された。

拝殿に参る。

本殿は朱色の柱に白い壁、窓の緑が鮮やか。

本殿右に境内社が二社。左が焼鎌神社、右が敏鎌神社。

境内入口付近に境内社が二社。左が八幡社、右が稲荷神社。

下の駐車場を奥に進むと、本殿の下方に境内社が一社。

橋守社。瀬田川にかかる鹿跳橋を守る社で、村の入口を守る道祖神です。

社務所で御朱印をいただき、待っている間由緒パンフを見ていると、500mほど南に御旅所があるということ。
場所を聞いて、浄土宗若王寺まで来ました。

4月の春季大祭で神輿が納められるところ。檜皮葺の屋根が非常に雰囲気を感じさせます。

なんでも向背の蛙股に施された牡丹と揚羽蝶の彫刻が古いもので、一部部材は鎌倉時代中期のころと推定されている。

佐久奈度神社
滋賀県大津市大石中1丁目2-1

近江甲賀 油日神社

油日神社

甲賀市に鎮座する油日神社。御祭神は油日大神。延喜式甲賀郡川枯神社の論社のひとつ。

油日神社

JR油日駅から少し南に行き、東へ油日交差点へ向かう途中に大鳥居が立つ。

油日神社

そこからさらに東へ進むと途中御神田がある。

油日神社

最後に北に折れると鳥居と社号標が立つ。隣に駐車場がある。

油日神社

参道を進むと雰囲気のある楼門が建つ。油日神社は周辺に近代的建物が見えにくい立地でもあるので映画やドラマのロケ地としてよく知られる。最近はNHK大河「平清盛」で使用された。

油日神社

楼門を入ると正面に拝殿。正月なので立派な門松が飾られている。

油日神社

拝殿は常に開いている形式だが、中に三十六歌仙の額が架かる。少し風化しているがしばらく見ていても飽きない。

油日神社

拝殿の裏に本殿。本殿前の中門で参る。

油日神社

本殿の塀の中にコウヤマキの巨木が立つ。

油日神社

本殿左に境内社が一社。

油日神社

本殿右に境内社が二社。

油日神社

楼門の両側の廻廊も見応えあり

油日神社

油日神社は唯一の油の祖神でもあるので、油の業界からの崇敬は篤く、酒樽の代わりに油の缶が並ぶ。

油日神社

拝殿右手の社務所。実は今日は2回目の参拝で、社務所はふだん無人である。今日は隣の参集殿で賑やかな声がしたので尋ねてみた。聞くと、昨日消防出初め式があり、今日は慰労会だという。運良く御朱印をいただく。

油日神社
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042

近江甲賀 大鳥神社

大鳥神社

甲賀市に鎮座する大鳥神社。御祭神は素戔嗚尊を主祭神とし、大己貴命と奇稲田姫命を相殿に祀る。

大鳥神社

長い参道には両側にずらりと灯籠が並ぶ。

大鳥神社

参道を進むと鳥居と社号標

大鳥神社

少し下がって川を渡る。

大鳥神社

朱色の橋の隣に石造の太鼓橋

大鳥神社

鳥居の向こうに朱色の楼門が見えてくる。鳥居には中程に注連縄が張られているが、とても低い。低姿勢にならないと鳥居をくぐることもできない。

大鳥神社

楼門の両側には透塀がめぐり、とても印象深い。正月なので楼門の前に門松が飾られている。

大鳥神社

楼門をくぐると拝殿

大鳥神社

拝殿の左に神饌所

大鳥神社

神饌所の隣に御輿蔵

大鳥神社

本殿前の中門は祝詞殿と呼ばれる。本殿に参る。

大鳥神社

本殿の左に境内社が一社。

大鳥神社

本殿の右に境内社が二社。いずれがそうか分からないが、八幡神社、日吉神社、西宮神社の三社。

大鳥神社

拝殿右に神楽殿

大鳥神社

社務所と参集殿。かつては宮寺として河合寺があり、社務所は寺のような造り。社務所の一画にある授与所で御朱印をいただく。

大鳥神社
滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782

近江日野 馬見岡綿向神社

馬見岡綿向神社

日野町に鎮座する馬見岡綿向神社。御祭神は天穂日命、天夷鳥命、武三熊大人命。延喜式蒲生郡の馬見岡神社の論社のひとつ。

馬見岡綿向神社

社殿は南向き。綿向山山頂に奥之宮が鎮座する。

馬見岡綿向神社

入口の大木に大注連縄が掛けられている。珍しい形だ。後で気づいたことだが、昨日、大勧請縄吊りという神事で掛けられたばかりだった。

馬見岡綿向神社

境内は広い。

馬見岡綿向神社

参道左に社務所。

馬見岡綿向神社

社務所右に神輿庫

馬見岡綿向神社

神輿は三台あって日野祭で担ぎ出されるそうだ。

馬見岡綿向神社

拝殿前に神様の渡る神橋。

馬見岡綿向神社

拝殿に参る。

馬見岡綿向神社

拝殿左に神馬舎

馬見岡綿向神社

絵馬殿

馬見岡綿向神社

絵馬殿には多くの絵馬が掛けられていた。中に日野祭の奉納額があった。

馬見岡綿向神社

本殿を囲むように回廊がめぐっている。

馬見岡綿向神社

ふと賽銭箱を見るとイノシシの彫刻

馬見岡綿向神社

横に猪像。猟の途中で大雪になり、大きな猪の足跡を追って綿向山頂上へ導かれると、神の化身である白髪の老人にご神託を受けたという。猪は綿向大神の神使である。

馬見岡綿向神社

末社は多い。本殿右に榊御前社

馬見岡綿向神社

本殿左に村井御前社

馬見岡綿向神社

本殿手前右に八幡社

馬見岡綿向神社

安平稲荷神社

馬見岡綿向神社

富士浅間神社

馬見岡綿向神社

三社並ぶ。竈之社、玉椿神社、稲置三麿神社

馬見岡綿向神社

池の中に池之社・出雲神社

馬見岡綿向神社

拝殿の右に琴平神社。社には事比羅神社と書かれている。

馬見岡綿向神社

神明神社

馬見岡綿向神社

授与所にはおみくじがたくさん並んでいる。神使の猪のおみくじが人気だ。

馬見岡綿向神社

授与所の隣は神楽殿

馬見岡綿向神社

天満宮、左に神使の牛の象がある。

馬見岡綿向神社

楠木正成・正行親子の「桜井の別れの像」。神社に直接関係ないが、日野小学校校庭に戦前あったものをGHQの要請により境内に移されたままになっているという。

馬見岡綿向神社

橋を渡って鳥居の右に玉影神社(祖霊社)

馬見岡綿向神社

境内の一番手前右に蛭子神社がある。
神社入口前に宮司宅があり、書き置きであったが御朱印をいただいた。

馬見岡綿向神社
滋賀県蒲生郡日野町村井711

近江犬上 胡宮神社

胡宮神社

多賀町に鎮座する胡宮神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

胡宮神社

裏参道入口の駐車場に停め、境内に入る。左に歴史民俗資料館は平成12年に閉館している。

胡宮神社

胡宮神社と名神高速多賀SAの一帯は中世の大寺院敏満寺のあったところで、胡宮神社は胡宮大明神と呼ばれ、敏満寺の守護神として祀られていた。織田信長により焼き討ちにあった後、神社境内として整備されたときに井戸に散乱していた焼石や五輪塔を投げ込んだといい、この古井戸と井戸を掘り返して出てきた石塚が旧敏満寺を偲ばせる。

胡宮神社

境内のすぐ南を名神高速が走り、平野が琵琶湖まで広がる。

胡宮神社

絵馬殿

胡宮神社

まさしく絵馬が架かる。

胡宮神社

福祉会館と重源上人のレリーフが建つ。

胡宮神社

拝殿へと続く道があるが、ひとまず表参道へ向かう。

胡宮神社

高速高架下から表参道が延びる。高架下あたりにかつて仁王門があったという。

胡宮神社

表参道の階段は広い。

胡宮神社

階段を上ったところに神輿倉。

胡宮神社

拝殿下の平地にはかつて敏満寺の金堂が建っていたという。

胡宮神社

胡宮神社のかつての別当福寿院へ続く参道。階段の脇には石垣が積まれ、砦機能を持った敏満寺の姿を想像させる。

胡宮神社

旧福寿院、現在は社務所となっている。

胡宮神社

社務所の東に名勝となった庭園があり、書院から鑑賞するように池と奥の築山につつじなどが植えられた鑑賞式林泉園の庭園である。

胡宮神社

庭園から一段上がったところに観音堂、本尊は石像楊枝観世音菩薩

胡宮神社

隣に無数の石仏群が祈りの世界を広げる。

胡宮神社

大日堂

胡宮神社

大日堂と本殿の出入口門の両側に塀が建つが、老朽化でかなり痛んでいる。

胡宮神社

門をくぐると奥にむかって参道が続く。胡宮神社の奥宮の磐座への参道。胡宮神社の神体山の青龍山の頂上には大きな磐座があり、その遙拝所として奥宮があるという。

胡宮神社

本殿右に境内社が二社。

胡宮神社

拝殿に参る。といっても本殿は現在屋根を修復中で、境内の熊野神社へ遷座中という。

胡宮神社

寿命石・枕石。重源上人は東大寺再興を願い延寿を胡宮神社で祈ったという。

胡宮神社

拝殿左に斎館。授与所らしき窓口もあるがこちらも無人。

胡宮神社

遷座中の熊野神社

胡宮神社
滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49

近江犬上 多賀大社

多賀大社

多賀町に鎮座する多賀大社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

多賀大社

社前にはみやげ店が並ぶ。

多賀大社

社殿は西向き。社前には堀が巡る。

多賀大社

御神門の前に石橋の太閤橋が架かる。本来は形状から太鼓橋であるが、太閤秀吉の崇敬が篤かったことから太閤橋と呼ばれるようになったという。

多賀大社

太閤橋を渡ると右に境内社の愛宕神社と秋葉神社。

多賀大社

左に境内社の天満神社。

多賀大社

御神門からまっすぐ参道が延び、拝殿が見える。

多賀大社

御神門をくぐると右に神馬舎。

多賀大社

拝殿に参る。

多賀大社

拝殿の左に授与所があり、御朱印をいただいた。

多賀大社

社務所前に絵馬殿

多賀大社

絵馬殿にたがゆいちゃんの看板がある。多賀町のゆるキャラだ。

多賀大社

拝殿右に能舞台がある。

多賀大社

能舞台後ろに寿命石。重源上人が二十年の延命を感得する霊験をいただいた際のゆかりの石という。

多賀大社

境内社年神神社と竈神社。

多賀大社

右が三宮神社と聖神社。左が天神神社、熊野神社、熊野新宮。

多賀大社

一番奥に金咲稲荷神社が鎮座する。

多賀大社

次に社務所より北を行く。文庫は幕末の大祢冝車戸宗攻の邸内にあって、長州や土佐の志士らと密議を行った場所という。

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604