山城洛中 京都大神宮

京都大神宮
京都市に鎮座する京都大神宮。御祭神は天照皇大神、豊受大神、宮中八神。
明治維新後全国に設立された伊勢神宮の布教機関であった神宮教の京都教会所に由来し、太平洋戦争後に京都大神宮として再出発した。

京都大神宮
左馬の御朱印

京都大神宮
繁華街に近いので社前の通りを大勢の人が歩いていた。

京都大神宮
鳥居をくぐると左手に手水舎。

京都大神宮
参集殿。

京都大神宮
拝殿に参る。

京都大神宮
御朱印は丸印の朱印が3種、角印の朱印が3種、左馬が2種。
全部いただくわけにもいかず選ぶのに迷いました。

京都大神宮
帰り際、手水舎の傍の植え込みの中に寿老人の像を見つけた。

京都大神宮
京都府京都市下京区寺町通四条下る貞安前之町622番

山城洛中 文子天満宮

文子天満宮

京都市に鎮座する文子天満宮。御祭神は菅原道真公。
太宰府に左遷された道真が延喜3年(903)に没した後、道真の乳母をつとめた多治比文子が「われを右近の馬場に祀れ」との託宣を受け、右近七条二坊の自宅に小祠を建て道真を祀ったと伝えられ、「天神信仰発祥の神社」、「北野天満宮の前身神社」といわれる。

文子天満宮
境内の入口に鳥居。鳥居の右奥に見える木が御神木のおがたま。

文子天満宮
鳥居を入り左手に手水舎。

文子天満宮
右手に白瀧稲荷社。御祭神は宇迦之御魂神。

文子天満宮
その左の2社。
右に白太夫社。御祭神は渡会春彦翁。道真の父是善が世継ぎの誕生を託した伊勢神宮の外宮神官という。
左に老松社(御祭神は島田忠臣翁)、福部社(御祭神は十川能福)、火之御子社(御祭神は火雷神)の合殿。それぞれ、道真の家臣で妻の父、道真の舎人、雷除けの神。

文子天満宮
文子像

文子天満宮
拝所で本殿に参る。

文子天満宮
本殿右に北野天満宮遙拝所。

文子天満宮
一番奥に菅公腰掛石がある。

文子天満宮
御朱印は3種類。

文子天満宮
京都市下京区間之町通花屋町下る天神町400

近江甲賀 柏木神社

近江甲賀 柏木神社

甲賀市に鎮座する柏木神社。甲賀郡石部鹿塩上神社の論社。
御祭神は大己貴命、誉田別命と川島皇子を配祀する。

白鳳3年(673)に日吉宮として創祀し、建久年間源頼朝が上洛に際し鶴岡八幡宮の御分霊を合祀して社名を若宮八幡宮と改名した。京都の公家飛鳥井家の荘園として柏木御厨を営み、柏木荘惣社として崇敬を集めた。

近江甲賀 柏木神社
一の鳥居から長い参道が続く。

近江甲賀 柏木神社
一の鳥居の前には東海道が通っていた。近江の三分の一の酒造が水口にあるそう。

近江甲賀 柏木神社
参道沿いに御旅所がある。敷地は土盛りで囲まれていた。

近江甲賀 柏木神社
御旅所の手前に注連縄が張られた一画があった。火を燃やした跡があったので御旅所に関係する祭祀場かと思って、御朱印をいただくときに何かと尋ねたら、神社とは関わりなく地域で所有する入会地のある山の神の祭祀を年2回ほど行なう場所だということだった。

近江甲賀 柏木神社
参道も長いが境内も広い。

近江甲賀 柏木神社
二の鳥居の先、楼門に続く参道が続く。

近江甲賀 柏木神社
楼門の手前に手水舎。入って右手に参集殿がある。

近江甲賀 柏木神社
近くに建つ案内板によると楼門は日野町中山の金剛定寺の旧門という。もとの楼門は織田信長が甲賀制圧後の天正8年(1580)に安土の摠見寺の二王門として移築された。

近江甲賀 柏木神社
独立した拝殿の後ろに本殿が建つ。

近江甲賀 柏木神社
本殿に参る。

近江甲賀 柏木神社
本殿前の右方に大行社。御祭神は思雄心武命と佐田彦命。

近江甲賀 柏木神社
本殿前の左方に稲荷社。御祭神は倉稲魂命と大物主命。

最後に境内にある宮司宅で御朱印をいただいた。

柏木神社
滋賀県甲賀市水口町北脇189