
金沢市の尾山神社。8月の御朱印をいただいてきました。8月は花火の中心に剣梅鉢紋がデザインされている。

今日は暑かった。

天頂には雲一つなく、太陽を遮るものはない。

参拝者もちらほらいましたが、時間帯によっては拝殿前は無人になることもありました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市の尾山神社。8月の御朱印をいただいてきました。8月は花火の中心に剣梅鉢紋がデザインされている。

今日は暑かった。

天頂には雲一つなく、太陽を遮るものはない。

参拝者もちらほらいましたが、時間帯によっては拝殿前は無人になることもありました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

尾山神社の7月の御朱印をいただいてきました。7月の判子は小槌です。

裏門は旧金沢城二の丸の唐門です。

精緻な彫刻が見どころです。

今日は境内の神泉にアオサギがいて、外国観光客にも写真を撮られて人気者になっていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市の尾山神社。

先月に続き、6月の御朱印をいただいてきました。

午前中は雨が降り、ようやく梅雨らしい天候でしたが、そのためか境内は人もまばらでした。

6月は車輪の真ん中に剣梅鉢紋が配置されています。4回目に初めて男性の神職に墨書きしていただきました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

福井市に鎮座する柴田神社。御祭神は柴田勝家公、お市の方。

街中に鎮座するため、ビルに囲まれている。
NHK大河「江」放映の年に周辺環境など大きくリニューアルしている。

ここは勝家公とともに焼失した北の庄城跡の一角に鎮座する。敷地内からは石垣などが出土している。

「瓶割り柴田」と呼ばれた勝家公にちなみ、素焼きの瓶を割って祈願する場所もある。

最近、お市の方にちなんで、「モテ祈願」なるものも始めたようだ。
柴田神社
福井県福井市中央1丁目21−17

越前市に鎮座する大塩八幡宮。御祭神は誉田別天皇(応神天皇)、帶中津日子天皇(仲哀天皇)、息長帶日賣尊(神功皇后)。延喜式敦賀郡の論社も多い、当地の古社である。

駐車場は二の鳥居の近くにあったが、知らずに一の大鳥居の近くに停めて参道を歩いていった。

途中、田植えを終えたばかりの田に日野山が映りきれいだった。もっと天気がよかったら、とも思う。

二の鳥居をくぐると階段を上る。

神門を入ると目の前に重要文化財の拝殿が建つ。柱のみの風が吹き抜ける建物なので管理も大変そうだ。

拝殿前に鐘楼も建つ。藩主本多家より寄進されたもので梵鐘は鎌倉時代の作のよう。

拝殿の右奥に絵馬殿が建っている。

複数の絵馬が掛けられていたが、もとは拝殿に掛けられていたものなのか傷みが大きいものもある。
中でも八幡神に関係するこの絵馬が印象的であった。

もうひとつ基壇を上がり、社に詣る。

右の階段を上ってすぐのところ。
素翁神社(疱瘡神社)。御祭神は大山津見神、伊邪那尊、須佐之男尊、少名彦神、大己貴命、大綿津見神。
疱瘡・疫病の神として勧請されたもので、社には「疱瘡社」の扁額がかかる。

その隣、弊殿の右。
天国津彦神社と天国津比咩神社の相殿。ともに延喜式敦賀郡の論社。御祭神はそれぞれ伊邪那岐尊、伊邪那美尊。
創建当初は一の大鳥居の西南に天国津彦神社、西北に天国津比咩神社が鎮座していたという。

中央が神社弊殿。

弊殿の後ろに本殿が鎮座する。

弊殿の左に高岡神社。御祭神は須佐之男尊。延喜式敦賀郡の論社。
創建当初は本殿の東南、高岡峯に鎮座していたという。

本殿の右奥にさらに数社鎮座している。

一番右に「えんむすびの木」

3社が横に並んでいる。その右
高良神社。御祭神は武内宿禰命。

中央は天八百萬比咩神社。延喜式敦賀郡の論社。
往古は桜井の峯と呼ばれた山頂に鎮座していたという。

左は源嫡神社(東照宮)。御祭神は徳川家康公。
寛永年間に建立され、明治維新後に現社殿に建て替えられるまでは極彩色の社殿だったよう。

三社の後ろに清務霊社。御祭神は舎人親王など神職清原家の一族を祀る。

山頂付近には寿永2年(1183)、木曽義仲が上京の途中に布陣した大塩山城跡がある。

堀切跡も残る。

社務所兼自宅は階段途中にある。参拝後に寄ると留守だったので、境内で掃除していた方に話しかけるとその方が宮司だった。ご足労をいただき御朱印をいただいた。
大塩八幡宮
福井県越前市国兼町22−2

久しぶりに尾山神社に行って御朱印いただいてきました。
御祭神は前田利家公と正室お松の方。

境内にある鯰尾兜の煌びやかです。

利家公の若い武者姿の像が凛々しい。

来週末に例大祭の百万石まつりが行われるとあって、拝殿にもポスターが貼られている。

拝殿の中に神輿もあった。

いつも間にか御朱印に印が1つ増えていました。印は月替わりで、今月は藤がモチーフ。どの月にも前田家の家紋である剣梅鉢紋が入っている。なかなかお洒落な柄ですね。また来いということですな。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市兼六園の金沢神社。25日天神月次祭の日に先月に引き続き行ってきました。
御朱印は印の位置は変更ありませんが、「天神月次祭」の文字が入りました。先月は数名行列だったので省略されたのか?

北野天満宮の印象でしょうか、天神さんと言ったら梅ですね。
金沢は7分咲きくらいでしょうか。

今日は肌寒く、雨が降ったりやんだりするあいにくの天気だったためか、境内には最初人はいませんでした。

受験シーズンが終わりました。

放生池では鴨2羽がなかよく泳いでいました。近づくと遠くにいってしまう。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

奈良市の東大寺境内の手向山八幡宮。東大寺の鎮守として東大寺八幡宮と呼ばれていた。
御朱印は楼門にある授与所でいただける。

春日大社方面から歩いて境内に入りました。

まず見えてきたのは境内社の摂社住吉神社。御祭神は住吉三神。
社殿は鎌倉時代の一間社流造で重要文化財。

そこからすぐに二つの社が見えてくる。
手前が末社阪本神社(御祭神は大己貴命)、末社恵比寿神社(御祭神は蛭児神)の二社合祀殿。
奥が末社明武神社(御祭神は豊玉媛神、玉依媛神)、末社劔神社(御祭神は素盞鳴命)、末社八子神社(御祭神は天照大神)、末社松童神社(御祭神は応神天皇牛飼童)の四社合祀殿。

摂社若宮の御祭神は仁徳天皇。
左右に摂社高良神社(御祭神は大伴健将)と若殿神社(御祭神は菟道稚郎子)が鎮座する。

若宮前に菅公腰掛石がある。菅原道真公が手向山八幡宮を詠んだ和歌が書かれている。
この和歌は御朱印のはさみ紙にも紹介されている。

若宮前の神楽所

神楽所の右に東大寺にあった東照宮。御祭神は徳川家康公。

神楽所の左の壁面には、源頼光の鬼退治の絵が描かれている。

大黒殿

本殿の御祭神は八幡大神(応神天皇)、比咩大神、神功皇后 、仲哀天皇の四柱を祀る。
八幡大神は宇佐神宮からの御分霊で初めての社という。

本殿の左にひっそりと寄り添う社は摂社武内社。御祭神は武内宿禰。

楼門を出て下がると奥に手向山が見える。

大仏殿方向からの二の鳥居。

最後に大仏殿方面からの参道入口に立つ一の鳥居。
一の鳥居から二の鳥居までの参道途中に末社があと二社あるようで、そこはまた後日。
手向山八幡宮
奈良県奈良市雑司町手向山434

福井市東大味町の明智神社。「あけっつぁま」と呼ばれる小さな祠に御祭神明智光秀公が祀られています。

「細川ガラシャゆかりの地」という石碑が建つこの周辺は、朝倉義景の客将として越前に来ていた頃住まいをした場所と言われ、ここで後に細川忠興の室となった娘玉が生まれたと伝わります。

祠は農家三軒で守られてきたもので

境内には「東大味歴史文化資料館」が建てられ、明智光秀公に関する資料が展示されています。

神社には明智光秀公の木像が安置されています。

しかし、看板が「御祭神」ではなくて「御本尊」となっているのはいただけないですね。
明智神社
福井市東大味町

金沢市の尾山神社。御祭神は前田利家公、前田まつ。
今回は金沢お宮さんめぐりで再訪し御朱印をいただいてきました。今回も巫女さんが書きました。

青空です。

暑い昼下がり。人がほとんどいませんでした。

社務所前にはんこが置いてあります。

ちょうど境内で発掘調査が行われていました。新しい授与所を建てるみたいですが、境内は旧金谷御殿であり、金沢城の一部でもあるので屋敷か庭園の石垣が残っています。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

東京上野の上野東照宮。御祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
当地上野には津藩主の藤堂高虎公の江戸屋敷地があり、家康公の遺言で家康、高虎、天海僧正が三人で鎮魂する場所を作ってほしいという言葉に従い、屋敷神として祀ったのが始まりという。ということは最初の御祭神はこの三人ということになるのだろうか。

社殿は五年間の大修理を終えて、真新しくなりました。以前来たときは覆いの中でした。

譜代厩橋藩の酒井家から寄進された鳥居を通っていく。

鳥居には寄進した酒井忠知の銘が刻まれている。

ここより先は参拝時間にしか入ることが許されません。

社殿が見えてきました。

中でもこの唐門が目を引きます。
本来は社殿も見学するところなんですが、有料で時間もなかったので、授与所で御朱印をいただいて先を急ぎます。
以前の修理中は書き置きだったので、直接書いていただいたのは初めてです。

上野東照宮の五重塔は神仏混淆の名残でもありますが、今は隣接する上野動物園の中に建っています。
動物園に入園すればもっと近づけるのかわかりませんが、五重塔見るのに動物園に入る時間もなかったのでまたいつか。
上野東照宮
東京都上野公園内

金沢市に鎮座する尾崎神社。御祭神は天照大神、徳川家康公、前田利常公。

社殿は金沢城跡の北に西向きに鎮座する。徳川家康の孫でもある加賀藩四代前田光高が、金沢城北の丸に東照大権現を祀ったのが創始。

本殿・拝殿は東照宮の建物を移築したもので、彫刻も凝っている。冬の間は風雪から守るため朱色の雪囲いがされる。

拝殿に参る。拝殿の戸には葵紋が付いている。

拝殿右手の社務所兼自宅で御朱印をいただく。留守のことも多く、今回5度目の参拝でようやくいただけた。
尾崎神社
石川県金沢市丸の内5−5

高岡市に鎮座する髙岡關野神社。御祭神は天照皇大神、國常立尊、伊弉冉尊、稲荷大神、菅原道真命、前田利長命。延喜式射水郡加久彌神社と婦負郡熊野神社の論社。

入口は西向き。左方の坂を上ると境内北側に駐車場がある。

鳥居と社号標

境内の南側、道路に沿って毎年5月1日に行われる例大祭「高岡御車山祭」の山車の車庫が並ぶ。

参道の途中、狛犬?と思ったが、どうも狐のようだ。稲荷社の神使らしい。

拝殿に参る。

拝殿前の狛犬は高岡らしく銅器製。高岡銅器は加賀藩二代前田利長の隠居城である高岡城築城に伴って繁栄の礎が築かれた。

拝殿には「正一位關野社」と「關野神社」の2枚の扁額が掛かる。

拝殿前には「髙岡關野神社」の扁額、加賀藩主家の侯爵前田利為の揮毫。

本殿右に境内社が三社。左が大國社とわかるが、中央と右の境内社は不明。

江戸時代までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていて、御垣の中には現在も3つの本殿が並ぶ。

並びがよくわからないが、左の本殿は神明造なので加久彌神社、社格が上だった高岡神社が中央、右が関野神社だろうか。

拝殿左の授与所に人がいたので御朱印をお願いした。
髙岡關野神社
富山県高岡市末広町9−56

小松市に鎮座する小松天満宮。御祭神は菅原道真公、前田利常公。寛永十六年に小松城に隠居していた三代藩主前田利常公が祖神の菅原道真公を祀る社として創建した。小松城の鬼門鎮護のためでもあった。

神社は梯川の北岸にあるが、かつては浮島(輪中)に鎮座していた。

現在梯川の改修工事でかつての姿が甦ることになる。

一の鳥居は東向きに立つ。

鳥居をくぐると筆塚。学問の神らしい。

そこから参道は南へ折れ、神門を通って西へ折れる。

四脚門の朱色の神門

正面には「天満宮」の扁額

後ろには漢詩の額が掛かっている。

全国的にも珍しい十五重の石塔が立つ。石材は金沢の坪野石という黒灰色で硬く、藩政期は藩石として独占された石を使用する。

拝殿に参る。初詣の小松七社めぐりの一社。

帰りに社務所で御朱印をいただく。
小松天満宮
石川県小松市天神町1

東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。

社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。

参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。

拝殿に参る。

芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。

境内に井戸がある。
芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10

金沢市に鎮座する泉野菅原神社。六斗の広見では野町街道まつりが開催されていた。

主祭神は菅原道真公だが、県内では唯一織田信長公を祀る。というのも、泉野菅原神社は隣にあった玉泉寺の鎮守社で、玉泉寺は2代藩主前田利長の正室であった永姫の菩提寺。永姫は信長の四女とも五女とも言われる。利長の死去にともない高岡から金沢へ越してくる。江戸幕府がまだ盤石とは言えない情勢の中、信長を公に祀るのは憚れたため菅原道真公を主祭神とし、秘かに祀ったと考えられている。

本殿は平成12年に焼失、昨年再建が叶い、春に還座祭が行われて以降初めての信長公祭となる。人が集まってきている。

新築の真新しい社殿で、浦安舞の神事から祭りが始まる。

拝殿と本殿が一体となった社殿で神事が続く。

一通り神事が終わって社殿に入ることができた。神前に供えられた供物。

織田信長画像は滅多に公開されない宝物。祭りに合わせて公開された。

再建叶って氏子の方々のご苦労も報われただろう。

続けて四條流の包丁式が行われた。包丁式は包丁と箸を使って一切手を触れないように鯉や鶴をさばく儀式。

包丁式でさばかれた鯉も神前に供えられた。
泉野菅原神社
金沢市野町3丁目15-8

大阪城内に鎮座する豊国神社。御祭神は豊臣秀吉公。

豊臣大坂城は徳川大坂城によって徹底的に隠されてしまい、今見る場所は徳川時代のものなのだが、東照宮ではなく豊国神社が城内にあるとは、大阪市民の秀吉人気は凄いものです。裏門の西門から入る。

本殿脇からぐるりと回り、拝殿に参る。

秀石庭という奉納された庭がある。

境内社の白玉神社、御祭神は宇迦御魂神。中之島字山崎の鼻の藩蔵屋敷に祀られていた元白玉稲荷神社。

他に七夕神社、玉繁神社の扁額が架かるが、白玉神社に合祀されたのだろうか。

境内社の若永神社、御祭神は宇迦御魂神。元淀屋辰五郎邸の鎮守社だったと伝えられる。

境内をまわっている間に正鳥居をくぐって新郎新婦の行列が来た。

拝殿正面の鳥居前には秀吉像が立っている。

東の正鳥居をくぐると茅の輪。時期ではないので年中あるようです。
豊国神社
大阪府大阪市中央区大阪城2−1

鳥取市に鎮座する樗谿神社(おうちだにじんじゃ)。御祭神は徳川家康公。日光東照宮の御分霊を祀ることから因幡の東照宮とも言われる。

鳥居をくぐる。

境内は樗谿公園の一部となっている。

社務所と案内される場所には鳥取県神社庁。樗谿神社の社務所を兼ねているようだが、すでに17時近かったためか休みだったのか閉まっていた。

社務所近くの御中門をくぐる。拝殿までの道のりは公園として整備されたためか石畳が葺かれている。

大きな神門が見えてきた。昔は両側に仁王像が立っていたのかもしれないが今は空っぽ。

門をくぐると両側に灯籠が立ち並び、階段の上に拝殿が見える。神威を感じる風景である。

階段を上り、拝殿に参る。

拝殿背後に唐門付きの本殿。拝殿、弊殿、唐門、本殿と並び、すべて檜皮葺の屋根で重要文化財になっている。

階段とは別ルートの参拝道に井戸がある。「探幽の井戸」と名付けられている。神社には狩野探幽の画、青蓮院門主尊純親王の歌の三十六歌仙の額と鷹の絵があり、それを伝えれるための命名とも伝えられる。
樗谿神社
鳥取県鳥取市 上町87

豊国神社をはじめとした三社が卯辰山の中腹に鎮座する。

花菖蒲苑から参道が延びる。入口の鳥居の社名標は「愛宕神社」、扁額は「卯辰山三社」

千杵坂を上ると参道は右に折れる。その角に日暮ヶ丘という見晴らしの良い場所があり、遠く金沢城も臨める。藩政期、凶作で米買い占めが起こった際、町人が二晩にわたって金沢城に向かい「米よこせ」と叫んだ安政の泣き一揆の場所と推定されている。

三之坂を上ると瀧ヶ丘、右手に安達幸之助の碑。

二之坂を上ると威泉ヶ丘、右手に北越戦争戦死者の碑が連なって建つ。

最後の一之坂を上ると景雲台と呼ばれる境内。

境内に入ると左手に「業平の井筒」がある。謡曲「井筒」に由来する井戸であり、本来は奈良県の在原寺にあったものだが、幕末にこの地に移されたという。

階段を上った正面の社は卯辰神社。拝殿に架かる扁額は「天満宮」。御祭神は菅原道真公。

左手の奥に愛宕神社。御祭神は火の神愛宕大神。

右手に豊国神社が鎮座。御祭神は豊臣秀吉公。卯辰山王と称して秘かに豊臣秀吉公を祀った。表向きは卯辰観音と呼ばれ、藩政期は観音院の神事能が催された。神仏分離により幾度かの遷座で現在地に至る。
由緒ある社なので御朱印があるかと思っていたが、現在は市姫神社の兼務社であり、尋ねたところ授与していないと確認した。
豊国神社・卯辰神社・愛宕神社(卯辰山三社)
金沢市東御影町93

金沢市に鎮座する宇多須神社。御祭神は高御産巣日神、大国主神、八重事代主神、市杵嶋姫神、大山祇神、豊受大神、武甕槌神、少彦名神、宇迦之御魂神、毘沙門天、崇徳天皇、前田利家公と多い。

東山茶屋街の奥、卯辰山の麓に鎮座する。社殿は西向き。

右の狛犬は金沢でよく見られる逆立ち狛犬になっている。

拝殿に参る。

拝殿右の社務所で御朱印をいただく。
宇多須神社は卯辰村にあったという治田多聞天の流れを組み、現在も毘沙門天を祀り、御朱印にも毘沙門天の神使というムカデが押される。藩政期には藩祖前田利家公を祀るために高岡守山の物部八幡社を遷座し、卯辰八幡宮と称し、尾山神社に利家公が遷座さてから卯辰神社と称した。平成16年に再び尾山神社から利家公の御分霊を遷座した。

拝殿の左側から裏に回る。

本殿の左には前田利常公の酒湯をとった井戸。藩政期の藩主前田家の崇敬の名残は今も残る。
宇多須神社
石川県金沢市東山1丁目30−8

福井市に鎮座する佐佳枝廼社。御祭神は福井藩初代藩主結城秀康公、幕府初代徳川家康公、福井藩16代藩主
松平慶永(春嶽)公を祀る。社名は明治六年に春嶽公の命名。

明治維新後の創建で新しい神社だが、福井大空襲、福井地震により社殿は焼失した。新しい神社の表参道は南向き。地階が駐車場となっており、階段を上って境内に入る。

鳥居は福井城跡の東側にもある。

階段を上ると、広い境内、一直線に延びる白い参道。青い空が臨めれば清々しい神域です。

拝殿に参る。左の社務所で御朱印をいただく。

拝殿後ろの本殿。家康公を祀ることから福井の東照宮とも言われる。
佐佳枝廼社
福井県福井市大手3丁目12−3

福井県に鎮座する柴田神社。御祭神は柴田勝家公、お市の方。

大通り沿いのため駐車場は少し離れた場所にある。

柴田神社は柴田勝家公創建の北の庄城址に建つ。境内には堀などが復元されている。

境内の隅、北の庄城址資料館が整備されている。

中には発掘により出土した遺物や北の庄城の歴史パネルなどが展示されている。

二階からは境内を展望できる。

NHK大河「江」の放映に合わせて北の庄城のミニチュア天守が期間限定で復元されている。

神社への表参道は北の商店街通りになる。二つ目の鳥居は東向き。社殿も東向き。鳥居をくぐると境内社の稲荷神社。

放映を記念して三姉妹の銅像も新設された。

お市の方と三姉妹の銅像の前、本殿の右に境内社の三姉妹神社に鎮座する。

拝殿に参る。

拝殿から見える柴田神社本殿

社務所で御朱印をいただく。
柴田神社
福井県福井市中央1丁目21-17
加賀神社は、津幡町内最高社格(県社)の神社であり、御祭神として加賀前田家五代藩主の綱紀公を祀っています。綱紀公の命日である5月9日を現在の暦に直した6月9日には、成巽閣館長も参拝され今でも前田家とつながりが深い神社です。
旧北陸道沿いの潟端バス停から西へ一直線に参道が延びる。
バス停の横には、公爵前田利為揮毫による社号標が立っている。
境内は思っていたよりも広くはない。
鳥居も道路からすぐで、その先に拝殿がある。こうして見ると他の郷社とほとんど変わらない規模です。
拝殿もとりわけ立派なわけでもないが、中には前田家に由来する寄贈品の写真が飾られている。
拝殿に掛けられた扁額は今は珍しい逆方向。
扁額の横には県社昇格に際して、前田家より献金があったことを示す額が掛けられている。
参詣後、横から裏にまわると本殿がある。今の建物は大正3年に改築されたものか。
裏口には諏訪神社跡が残っている。寛文12(1672)年に新開村された潟端新村の氏神として創祀されたのが「潟端諏訪神社」。御祭神は建御名方神と八坂刀売命。現在は加賀神社に合祀されている。
拝殿横に社務所があるが、入ろうかどうかと迷っているときにちょうど拝殿をおばあさんが掃除するために出てきました。御朱印ありますか?と尋ねると、朱印はある(つまり判子のみ)という答え。それでも良かったが、他の御朱印と並べると釣り合い取れないと考えていると、他の御朱印を参考に、筆ペンで神社名と参拝日を書いてくださりました。普段はほとんど書いていないようなので、とてもレアな一点となりました。
待っている間にいただいた由緒書を読んでいました。神社には綱紀公ゆかりの絵画や手紙が残っています。この規模の神社にしてはやはり社宝はすごいですね。
鳥居を入ってすぐのところに攝末社の稲荷神社が建っている。日曜日の昼下がりにしては静かな神社でした。
石川県河北郡津幡町潟端新ト10
TEL.076-288-2562
春日山城跡に建つ春日山神社の御祭神は上杉謙信公である。童話作家の小川未明の父、澄晴が昔のままに謙信公にお住まい願おうと建立した。併せて、菅原道真公と岩屋大黒天を祀っている。
参道は駐車場から長い階段を上って続く。もうひとつは謙信公銅像前からの平坦路。
階段前の「大義名分」「公明正大」の2本の碑は地元の陸軍大将から送られたようだ。軍神と慕われた謙信公らしい。
階段を上ると境内が広がる。休日の境内は賑わっている。
鳥居横に立つ社号標の揮毫は東郷平八郎氏によるもの。
拝殿は本殿とともに明治34年に建てられた。
境内の社務所は小川未明の実家を移築したものである。
末攝社として境内奥に稲荷神社が建てられている。
春日山城のシンボルとして観光用パンフレットにも載っている「上杉謙信公銅像」
謙信公が臨むのは、武田信玄と争った川中島の地か?
鳥居横の売店で御朱印を頂ける。といっても、あらかじめ書かれた御朱印に日付を入れてくれるだけだけど。
日曜日は定期的に上杉おもてなし武将隊が境内で演武を披露してくれる。
最後には記念撮影会も開かれて、子供たちは大はしゃぎでした。
上越市大豆1743
TEL.025-525-4614
榊神社は明治4年廃藩置県が行われた高田藩の有志が藩祖榊原康政公をまつる神社設立をめざして領内から募金をつのり、明治9年建立された。神器として康政公の鎧、冑、刀剣類等を保存している。御祭神は、榊原康政公、三代忠次公、十一代政令公、十四代政敬公である。
榊神社は高田城大手橋からほど近くでした。
境内はそれほど広くはないものの鳥居は2つある。
境内には「雙輪館」という建物が建っている。おそらく宝物館けど、いつなら中に入れるのか?
拝殿正面の鳥居。
拝殿はそこそこ立派ですね。
拝殿にかかる扁額は「正二位伯爵○高行謹○」と書かれているが、誰なのかわかりません。
拝殿に併設されて舞台が建てられ、「舞楽殿」という扁額が架かっている。石川出身だとこういう舞台は能舞台だと思ってしまうけど、確認したら神楽だということでした。5月13・14日の例祭で披露されるそうだ。
御朱印があるかどうか確認のため社務所へ。残念ながら御朱印は用意されていませんでした。旧高田市では一番大きな神社のように思ったんだけど・・・
社務所前の手水鉢の龍神様はいかにも勇ましい感じだった。
上越市大手町4-12
TEL.025-523-5276
尾山神社は御祭神として加賀藩藩祖の前田利家公と正室まつを祀る神社です。利家公は卯辰山麓の卯辰八幡宮に祀られていたものを、明治6年旧金谷御殿(金沢城内の藩主子女が暮らした場所)跡地に遷座されました。
旧北国街道の南町交差点からそれほど長くはない参道ですが、冬はここに金板が立てられ、雪景色のときはとてもいい雰囲気になります。
長らく金沢の観光名所のひとつになっている神門をくぐって境内に入ります。
明治8年に完成し、三層目のギヤマンと日本最古の避雷針が見所です。
尾山神社鳥居前を流れていた西内惣構は、車社会の到来とともに蓋をかぶせられて暗渠化されていましたが、近年開渠されました。
平日の境内は人気が少なく、初めて誰も居ない神門越しの拝殿を撮影できました。
境内には利家公の鯰尾兜のレプリカが輝いています。
NHK大河「利家とまつ」を記念して建立された利家の若き日の像は槍を天に突き立てて凜々しく立っています。
尾山神社拝殿でお参りして隣のお守り授与所で御朱印をいただきました。巫女さんが丁寧に書いてくれました。
尾山神社の隣に摂社の金谷神社が建っています。
ここに祀られているのは、加賀藩2代の利長公から14代の慶寧公までと明治以降の17代利建公までの藩主家当主とその正室(夫人)となります。
南の神門から入った方は東の東神門をお見逃し無いように!金沢城の二の丸の門と伝わる、金沢城の数少ない建造物遺構のひとつです。
御朱印をいただくときに下の案内パンフを一緒にいただけます。上の小冊子は尾山神社の歴史と境内の案内所でお守り授与所で購入できます。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1