
東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。

社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。

参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。

拝殿に参る。

芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。

境内に井戸がある。
芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10

東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。

社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。

参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。

拝殿に参る。

芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。

境内に井戸がある。
芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10

金沢市に鎮座する泉野菅原神社。六斗の広見では野町街道まつりが開催されていた。

主祭神は菅原道真公だが、県内では唯一織田信長公を祀る。というのも、泉野菅原神社は隣にあった玉泉寺の鎮守社で、玉泉寺は2代藩主前田利長の正室であった永姫の菩提寺。永姫は信長の四女とも五女とも言われる。利長の死去にともない高岡から金沢へ越してくる。江戸幕府がまだ盤石とは言えない情勢の中、信長を公に祀るのは憚れたため菅原道真公を主祭神とし、秘かに祀ったと考えられている。

本殿は平成12年に焼失、昨年再建が叶い、春に還座祭が行われて以降初めての信長公祭となる。人が集まってきている。

新築の真新しい社殿で、浦安舞の神事から祭りが始まる。

拝殿と本殿が一体となった社殿で神事が続く。

一通り神事が終わって社殿に入ることができた。神前に供えられた供物。

織田信長画像は滅多に公開されない宝物。祭りに合わせて公開された。

再建叶って氏子の方々のご苦労も報われただろう。

続けて四條流の包丁式が行われた。包丁式は包丁と箸を使って一切手を触れないように鯉や鶴をさばく儀式。

包丁式でさばかれた鯉も神前に供えられた。
泉野菅原神社
金沢市野町3丁目15-8

大阪城内に鎮座する豊国神社。御祭神は豊臣秀吉公。

豊臣大坂城は徳川大坂城によって徹底的に隠されてしまい、今見る場所は徳川時代のものなのだが、東照宮ではなく豊国神社が城内にあるとは、大阪市民の秀吉人気は凄いものです。裏門の西門から入る。

本殿脇からぐるりと回り、拝殿に参る。

秀石庭という奉納された庭がある。

境内社の白玉神社、御祭神は宇迦御魂神。中之島字山崎の鼻の藩蔵屋敷に祀られていた元白玉稲荷神社。

他に七夕神社、玉繁神社の扁額が架かるが、白玉神社に合祀されたのだろうか。

境内社の若永神社、御祭神は宇迦御魂神。元淀屋辰五郎邸の鎮守社だったと伝えられる。

境内をまわっている間に正鳥居をくぐって新郎新婦の行列が来た。

拝殿正面の鳥居前には秀吉像が立っている。

東の正鳥居をくぐると茅の輪。時期ではないので年中あるようです。
豊国神社
大阪府大阪市中央区大阪城2−1

鳥取市に鎮座する樗谿神社(おうちだにじんじゃ)。御祭神は徳川家康公。日光東照宮の御分霊を祀ることから因幡の東照宮とも言われる。

鳥居をくぐる。

境内は樗谿公園の一部となっている。

社務所と案内される場所には鳥取県神社庁。樗谿神社の社務所を兼ねているようだが、すでに17時近かったためか休みだったのか閉まっていた。

社務所近くの御中門をくぐる。拝殿までの道のりは公園として整備されたためか石畳が葺かれている。

大きな神門が見えてきた。昔は両側に仁王像が立っていたのかもしれないが今は空っぽ。

門をくぐると両側に灯籠が立ち並び、階段の上に拝殿が見える。神威を感じる風景である。

階段を上り、拝殿に参る。

拝殿背後に唐門付きの本殿。拝殿、弊殿、唐門、本殿と並び、すべて檜皮葺の屋根で重要文化財になっている。

階段とは別ルートの参拝道に井戸がある。「探幽の井戸」と名付けられている。神社には狩野探幽の画、青蓮院門主尊純親王の歌の三十六歌仙の額と鷹の絵があり、それを伝えれるための命名とも伝えられる。
樗谿神社
鳥取県鳥取市 上町87

豊国神社をはじめとした三社が卯辰山の中腹に鎮座する。

花菖蒲苑から参道が延びる。入口の鳥居の社名標は「愛宕神社」、扁額は「卯辰山三社」

千杵坂を上ると参道は右に折れる。その角に日暮ヶ丘という見晴らしの良い場所があり、遠く金沢城も臨める。藩政期、凶作で米買い占めが起こった際、町人が二晩にわたって金沢城に向かい「米よこせ」と叫んだ安政の泣き一揆の場所と推定されている。

三之坂を上ると瀧ヶ丘、右手に安達幸之助の碑。

二之坂を上ると威泉ヶ丘、右手に北越戦争戦死者の碑が連なって建つ。

最後の一之坂を上ると景雲台と呼ばれる境内。

境内に入ると左手に「業平の井筒」がある。謡曲「井筒」に由来する井戸であり、本来は奈良県の在原寺にあったものだが、幕末にこの地に移されたという。

階段を上った正面の社は卯辰神社。拝殿に架かる扁額は「天満宮」。御祭神は菅原道真公。

左手の奥に愛宕神社。御祭神は火の神愛宕大神。

右手に豊国神社が鎮座。御祭神は豊臣秀吉公。卯辰山王と称して秘かに豊臣秀吉公を祀った。表向きは卯辰観音と呼ばれ、藩政期は観音院の神事能が催された。神仏分離により幾度かの遷座で現在地に至る。
由緒ある社なので御朱印があるかと思っていたが、現在は市姫神社の兼務社であり、尋ねたところ授与していないと確認した。
豊国神社・卯辰神社・愛宕神社(卯辰山三社)
金沢市東御影町93

金沢市に鎮座する宇多須神社。御祭神は高御産巣日神、大国主神、八重事代主神、市杵嶋姫神、大山祇神、豊受大神、武甕槌神、少彦名神、宇迦之御魂神、毘沙門天、崇徳天皇、前田利家公と多い。

東山茶屋街の奥、卯辰山の麓に鎮座する。社殿は西向き。

右の狛犬は金沢でよく見られる逆立ち狛犬になっている。

拝殿に参る。

拝殿右の社務所で御朱印をいただく。
宇多須神社は卯辰村にあったという治田多聞天の流れを組み、現在も毘沙門天を祀り、御朱印にも毘沙門天の神使というムカデが押される。藩政期には藩祖前田利家公を祀るために高岡守山の物部八幡社を遷座し、卯辰八幡宮と称し、尾山神社に利家公が遷座さてから卯辰神社と称した。平成16年に再び尾山神社から利家公の御分霊を遷座した。

拝殿の左側から裏に回る。

本殿の左には前田利常公の酒湯をとった井戸。藩政期の藩主前田家の崇敬の名残は今も残る。
宇多須神社
石川県金沢市東山1丁目30−8

福井市に鎮座する佐佳枝廼社。御祭神は福井藩初代藩主結城秀康公、幕府初代徳川家康公、福井藩16代藩主
松平慶永(春嶽)公を祀る。社名は明治六年に春嶽公の命名。

明治維新後の創建で新しい神社だが、福井大空襲、福井地震により社殿は焼失した。新しい神社の表参道は南向き。地階が駐車場となっており、階段を上って境内に入る。

鳥居は福井城跡の東側にもある。

階段を上ると、広い境内、一直線に延びる白い参道。青い空が臨めれば清々しい神域です。

拝殿に参る。左の社務所で御朱印をいただく。

拝殿後ろの本殿。家康公を祀ることから福井の東照宮とも言われる。
佐佳枝廼社
福井県福井市大手3丁目12−3

福井県に鎮座する柴田神社。御祭神は柴田勝家公、お市の方。

大通り沿いのため駐車場は少し離れた場所にある。

柴田神社は柴田勝家公創建の北の庄城址に建つ。境内には堀などが復元されている。

境内の隅、北の庄城址資料館が整備されている。

中には発掘により出土した遺物や北の庄城の歴史パネルなどが展示されている。

二階からは境内を展望できる。

NHK大河「江」の放映に合わせて北の庄城のミニチュア天守が期間限定で復元されている。

神社への表参道は北の商店街通りになる。二つ目の鳥居は東向き。社殿も東向き。鳥居をくぐると境内社の稲荷神社。

放映を記念して三姉妹の銅像も新設された。

お市の方と三姉妹の銅像の前、本殿の右に境内社の三姉妹神社に鎮座する。

拝殿に参る。

拝殿から見える柴田神社本殿

社務所で御朱印をいただく。
柴田神社
福井県福井市中央1丁目21-17
加賀神社は、津幡町内最高社格(県社)の神社であり、御祭神として加賀前田家五代藩主の綱紀公を祀っています。綱紀公の命日である5月9日を現在の暦に直した6月9日には、成巽閣館長も参拝され今でも前田家とつながりが深い神社です。
旧北陸道沿いの潟端バス停から西へ一直線に参道が延びる。
バス停の横には、公爵前田利為揮毫による社号標が立っている。
境内は思っていたよりも広くはない。
鳥居も道路からすぐで、その先に拝殿がある。こうして見ると他の郷社とほとんど変わらない規模です。
拝殿もとりわけ立派なわけでもないが、中には前田家に由来する寄贈品の写真が飾られている。
拝殿に掛けられた扁額は今は珍しい逆方向。
扁額の横には県社昇格に際して、前田家より献金があったことを示す額が掛けられている。
参詣後、横から裏にまわると本殿がある。今の建物は大正3年に改築されたものか。
裏口には諏訪神社跡が残っている。寛文12(1672)年に新開村された潟端新村の氏神として創祀されたのが「潟端諏訪神社」。御祭神は建御名方神と八坂刀売命。現在は加賀神社に合祀されている。
拝殿横に社務所があるが、入ろうかどうかと迷っているときにちょうど拝殿をおばあさんが掃除するために出てきました。御朱印ありますか?と尋ねると、朱印はある(つまり判子のみ)という答え。それでも良かったが、他の御朱印と並べると釣り合い取れないと考えていると、他の御朱印を参考に、筆ペンで神社名と参拝日を書いてくださりました。普段はほとんど書いていないようなので、とてもレアな一点となりました。
待っている間にいただいた由緒書を読んでいました。神社には綱紀公ゆかりの絵画や手紙が残っています。この規模の神社にしてはやはり社宝はすごいですね。
鳥居を入ってすぐのところに攝末社の稲荷神社が建っている。日曜日の昼下がりにしては静かな神社でした。
石川県河北郡津幡町潟端新ト10
TEL.076-288-2562
春日山城跡に建つ春日山神社の御祭神は上杉謙信公である。童話作家の小川未明の父、澄晴が昔のままに謙信公にお住まい願おうと建立した。併せて、菅原道真公と岩屋大黒天を祀っている。
参道は駐車場から長い階段を上って続く。もうひとつは謙信公銅像前からの平坦路。
階段前の「大義名分」「公明正大」の2本の碑は地元の陸軍大将から送られたようだ。軍神と慕われた謙信公らしい。
階段を上ると境内が広がる。休日の境内は賑わっている。
鳥居横に立つ社号標の揮毫は東郷平八郎氏によるもの。
拝殿は本殿とともに明治34年に建てられた。
境内の社務所は小川未明の実家を移築したものである。
末攝社として境内奥に稲荷神社が建てられている。
春日山城のシンボルとして観光用パンフレットにも載っている「上杉謙信公銅像」
謙信公が臨むのは、武田信玄と争った川中島の地か?
鳥居横の売店で御朱印を頂ける。といっても、あらかじめ書かれた御朱印に日付を入れてくれるだけだけど。
日曜日は定期的に上杉おもてなし武将隊が境内で演武を披露してくれる。
最後には記念撮影会も開かれて、子供たちは大はしゃぎでした。
上越市大豆1743
TEL.025-525-4614
榊神社は明治4年廃藩置県が行われた高田藩の有志が藩祖榊原康政公をまつる神社設立をめざして領内から募金をつのり、明治9年建立された。神器として康政公の鎧、冑、刀剣類等を保存している。御祭神は、榊原康政公、三代忠次公、十一代政令公、十四代政敬公である。
榊神社は高田城大手橋からほど近くでした。
境内はそれほど広くはないものの鳥居は2つある。
境内には「雙輪館」という建物が建っている。おそらく宝物館けど、いつなら中に入れるのか?
拝殿正面の鳥居。
拝殿はそこそこ立派ですね。
拝殿にかかる扁額は「正二位伯爵○高行謹○」と書かれているが、誰なのかわかりません。
拝殿に併設されて舞台が建てられ、「舞楽殿」という扁額が架かっている。石川出身だとこういう舞台は能舞台だと思ってしまうけど、確認したら神楽だということでした。5月13・14日の例祭で披露されるそうだ。
御朱印があるかどうか確認のため社務所へ。残念ながら御朱印は用意されていませんでした。旧高田市では一番大きな神社のように思ったんだけど・・・
社務所前の手水鉢の龍神様はいかにも勇ましい感じだった。
上越市大手町4-12
TEL.025-523-5276
尾山神社は御祭神として加賀藩藩祖の前田利家公と正室まつを祀る神社です。利家公は卯辰山麓の卯辰八幡宮に祀られていたものを、明治6年旧金谷御殿(金沢城内の藩主子女が暮らした場所)跡地に遷座されました。
旧北国街道の南町交差点からそれほど長くはない参道ですが、冬はここに金板が立てられ、雪景色のときはとてもいい雰囲気になります。
長らく金沢の観光名所のひとつになっている神門をくぐって境内に入ります。
明治8年に完成し、三層目のギヤマンと日本最古の避雷針が見所です。
尾山神社鳥居前を流れていた西内惣構は、車社会の到来とともに蓋をかぶせられて暗渠化されていましたが、近年開渠されました。
平日の境内は人気が少なく、初めて誰も居ない神門越しの拝殿を撮影できました。
境内には利家公の鯰尾兜のレプリカが輝いています。
NHK大河「利家とまつ」を記念して建立された利家の若き日の像は槍を天に突き立てて凜々しく立っています。
尾山神社拝殿でお参りして隣のお守り授与所で御朱印をいただきました。巫女さんが丁寧に書いてくれました。
尾山神社の隣に摂社の金谷神社が建っています。
ここに祀られているのは、加賀藩2代の利長公から14代の慶寧公までと明治以降の17代利建公までの藩主家当主とその正室(夫人)となります。
南の神門から入った方は東の東神門をお見逃し無いように!金沢城の二の丸の門と伝わる、金沢城の数少ない建造物遺構のひとつです。
御朱印をいただくときに下の案内パンフを一緒にいただけます。上の小冊子は尾山神社の歴史と境内の案内所でお守り授与所で購入できます。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1