「18福井県の神社」カテゴリーアーカイブ

越前武生 総社大神宮②

総社大神宮

越前市に鎮座する総社大神宮。御祭神は大己貴命、孝謙天皇。
武生にはかつて越前国国府があって、当社には越前国中官社百二十六座が相殿に祀られている。

総社大神宮

今日の参拝は、今まで御朱印の授与方法がわからなかった大虫神社が、当社の兼務社でこちらの社務所で御朱印をいただけることがわかったことから来ました。

総社大神宮

社殿は東向きなので、早朝だと太陽が順光になって良い。

総社大神宮

拝殿に参る。

総社大神宮

境内の銀杏がちょうど良く色付いていた。

総社大神宮

まだ準備中のところ、御朱印をいただいた。

総社大神宮
福井県越前市京町1丁目4−35

越前福井 杉社白髭神社②

杉社白髭神社

福井市に鎮座する杉社白髭神社。猿田彦大神を主祭神とし、伊弉冉尊、倉稲魂命を配祀する。

杉社白髭神社

境内へは北と南の鳥居から入られるが、北鳥居のほうが正門のようだ。
北鳥居は大通りに近く、南鳥居は社務所に近い。

杉社白髭神社

手水舎の横に宝暦十一年寄進の庚申灯籠がある。胴の申の彫物が印象的だ。

杉社白髭神社

鳥居を入ってくると手水舎のところで参道は西に折れ、社殿は東向きに建つ。
中央に本殿・拝殿、右に境内社宮比神社、左は参集殿だろうか。

杉社白髭神社

境内の北隅に亀の石像がある。

杉社白髭神社

拝殿に参る。
福の神めぐりスタンプは拝殿の下足箱に置いてあった。

杉社白髭神社

拝殿裏の本殿

杉社白髭神社

拝殿右に境内社の宮比神社。天鈿売命を主祭神とし、迦具突知尊を配祀する。
宮比神社の社殿は平成8年の御鎮座千三百年記念事業以前の旧本殿を移築したもの。

杉社白髭神社

拝殿前に方位石。御祭神の猿田彦大神が導きの神であることから方位を司ることになる。
わかりやすい案内板が境内に増えた。

杉社白髭神社

南鳥居を出たところのお宅が社務所で、声掛けをして御朱印を拝殿でいただいた。
いただいた後少し話をさせていただいた。前回の御朱印は境内の東のお宅でいただいたのだが、二年ほど前に父親から宮司を継承したということで、その後氏子の声を反映して境内の案内板を増やしたそうだ。御朱印も変わった。
福の神めぐりは今のところの期限なく続く予定だそうだが、達成の神紋手ぬぐいは昨年の金沢市神職会のキャンペーンも参考にしているそうだ。

杉社白髭神社
福井県福井市勝見2丁目1−2

越前福井 和田八幡宮②

和田八幡宮

福井市に鎮座する和田八幡宮。御祭神は足仲彦命、誉田別命、息長帯比売命。
参拝は2度目だが、御朱印が変わっていた。

和田八幡宮

ちょうどひな祭りの限定御朱印もあったのでいただいた。

和田八幡宮

朱色が鮮やかな大鳥居

和田八幡宮

石橋の左手に弁財天社が建つ。

和田八幡宮

二の鳥居をくぐると左手に御祓所として天之磐座降臨処がある。

和田八幡宮

境内の左手に厄割の石

和田八幡宮

社殿前に源満仲公像がある。越前守護職だった源満仲公が洪水、疫病の退散を祈願して摂津より東北に矢を放ち、落ちた場所に創建されたお宮が当宮という。

和田八幡宮

拝殿に参る。

和田八幡宮

社務所で御朱印をいただく。

和田八幡宮

背負い餅神事の案内。当宮は珍しい祭事も少なくない。

和田八幡宮

ひな祭りの限定御朱印は3月3日から4月3日まで。守り雛が付く。

和田八幡宮

境内社の日吉山王社。御祭神は大山咋神、大己貴神。

和田八幡宮

開運稲荷大明神

和田八幡宮

境内社の厳島神社

和田八幡宮
福井県福井市和田3-1113

越前福井 白瀧神社

白瀧神社

福井市の一乗谷を川に沿って上流へ。一乗滝に鎮座する白瀧神社。
泰澄大師が不動明王を祀って開いたとされている。神社庁に所属しておらず、御祭神がはっきりしないが火産霊命だろうか。

白瀧神社

落差12mの一乗滝。安波賀春日神社の滝殿社に参拝した縁もあり、今回初めて来た。

白瀧神社

ここは佐々木小次郎が燕返しを編み出した場所としても有名

白瀧神社

一乗滝の右上方にブルーシートのかかった建物が見える。

白瀧神社

小次郎像のほうから迂回して向かう。滝の上流に砂防ダムがあり、その前に橋が架かっている。

白瀧神社

一乗滝の落ち口を上から見ることもできる。

白瀧神社

社殿は滝の方を向いており落雪に備えてブルーシートが掛けられているようだった。
脇に川へ下りる階段がある。(通行はできない)

白瀧神社

社殿の手前に古い燈籠が残っていた。
両脇が越知山開運講中により寄進された慶応元年の燈籠。中央の左右、不動明王と書かれているのは文化五年。中央は安政三年寄進のものとなる。

白瀧神社

本殿に参拝する。
「白瀧神社」の扁額が掛かるが、鈴ではなくがま口なのが印象的。もしかしたら今でも不動明王を祀っているのだろうか。

白瀧神社
福井県福井市浄教寺町

越前福井 安波賀春日神社

安波賀春日神社

福井市に鎮座する安波賀春日神社。御祭神は天兒屋根命、武甕槌尊、経津主命、比売大神。
帝都東北鬼門鎮護のため、治暦4年(1068)に創建された古社。

安波賀春日神社

越前朝倉氏の一乗谷の下城戸(町の北側出入口)の

安波賀春日神社

すぐ北にできた集落が安波賀である。つまり城外

安波賀春日神社

その通りの途中に春日神社への入口がある。入口に「縣社 春日神社」の標柱
標柱辺りに石鳥居があったような痕跡が残る。

安波賀春日神社

入ると一の鳥居が建つ。
手前にも鳥居があったような痕跡

安波賀春日神社

用水を跨ぐ石橋を渡ると階段が続く。
「福の神めぐり」の旗を左に曲がると社務所がある。まずはそのまま上る。

安波賀春日神社

手前の階段を上ると鳥居が建つが、奥にも石段があり平場が広がっている。

安波賀春日神社

かつて何かがあったような平場だが、見渡す限り基礎の石積み以外は何もない。
後で宮司さんに伺ったところ、社務所が建っていたそうだ。背後の山崩れにより倒壊した。

安波賀春日神社

奥の方に竹藪の山裾に景石のような石が2つあった。斜面の岩盤の一部のように見えないこともないと思っていたが、これも宮司さんに伺ったところ、社務所裏にあった庭園の一部だそうだ。

安波賀春日神社

二の鳥居の先に社殿が見えてきた。

安波賀春日神社

福井市文化財に指定されている社殿。
拝殿に参る。

安波賀春日神社

本殿の背後に銀杏の大木があった。紅葉がきれいかもしれない。

安波賀春日神社

本殿、拝殿ともに「春日大明神」の扁額が掛かっている。

安波賀春日神社

社殿の一段上の平場に境内社が2社鎮座している。

安波賀春日神社

最初滝殿社だと思っていた境内社。大国主神を祀る大地神社。

安波賀春日神社

現在銅板葺きに改装されているが、かつての屋根瓦と思われるものが社の下に置かれていた。
松平家の葵紋が付いている。

安波賀春日神社

もう1社は宇迦魂神を祀る稲荷神社。

安波賀春日神社

境内社の平場からさらに上に階段が続くが「行くな」という看板を見て引き返す。

安波賀春日神社

社務所兼自宅の前に置かれた福の神めぐりスタンプを押していると、人の気配がしたので尋ねて御朱印をいただいた。

安波賀春日神社

宮司さんに話を聞いて滝殿社が勘違いだと分かって、再び階段を上り始めた。
登山道によくある木段の脇に石が積まれている。滝殿社までかつてはこの石が並べられた石段だったのだろう。やはり地滑りで一部が崩壊して今の状態になったのか。

安波賀春日神社

滝殿社。越前松平家七代吉品が一乗谷朝倉氏歴代を祀った。御神体として最後の領主義景常用の馬具の一部を社地中に埋めたという。名前は一乗谷を流れる一乗谷川の中流にある一乗滝に由来するのだろう。

安波賀春日神社
福井県福井市安波賀町15−13

越前福井 佐佳枝廼社②

佐佳枝廼社

福井市に鎮座する佐佳枝廼社。御祭神は福井藩初代藩主結城秀康公、幕府初代徳川家康公、福井藩16代藩主
松平慶永(春嶽)公を祀る。

佐佳枝廼社

昨年も限定御朱印あったようですが、今年初めて知りました。

佐佳枝廼社

3日になっても多くの人が参拝に来ている。
拝殿に参る。

佐佳枝廼社

御朱印は祈祷受付の横に置かれていた。
正月限定と思っていた限定御朱印は、正月祭・節分祭限定御朱印ということで、元旦から節分の2月3日までの頒布。
三葉葵の御紋の赤を秀康公、紫を家康公、緑を春嶽公にあてている。

佐佳枝廼社

参道の階段を上がってすぐ左手にある境内社、榮稲荷神社。

佐佳枝廼社

元旦から御朱印を授与することになった。神使の狐は手書き?なのか。
初詣期間の15日までは書き置きの頒布になるが、御朱印帳にも書いてもらえるのか

佐佳枝廼社

正月の神饌は境内社とはいえ立派なものです。

佐佳枝廼社
福井県福井市大手3丁目12−3

越前今立 大瀧神社 権現山登拝

大瀧神社

越前市に鎮座する大瀧神社。御祭神は國常立尊、伊弉諾尊、伊弉那美尊。
今年鎮座1300年を迎え、GWに千三百年大祭が行われた。

大瀧神社

二の鳥居と「縣社 大瀧神社」の社号標が建つ。

大瀧神社

鳥居には「岡太神社 大瀧神社」の扁額が掛かる。
というのも、ここ下宮の社殿は遥拝所で、神様はGWの例祭で上宮から下りてくる間だけ鎮まる。

大瀧神社

十一面観音坐像を祀る観音堂。かつては下宮の拝殿であったが、現在の社殿に建て替えるときに移動されたもの。

大瀧神社

中で千三百年大祭記念事業として、「よみがえる別山堂」を開催している。
奥の院割拝殿の改築により屋根から見つかった部材に、新材を組み合わせて建てられた別山堂。いずれ元の場所に再建されるようだ。

大瀧神社

拝殿に参る。

大瀧神社

社殿には凝った彫刻が四方に飾られている。

大瀧神社

社殿右方の神輿殿がちょうど開かれた。

大瀧神社

例祭で神様が上宮と下宮を行き来する神輿が四基。六角形の煌びやかな神輿。

大瀧神社

今年の千三百年大祭は「日本の祭り」の撮影があったようだ。地元は早々に放送されるが、BSで放送されるまで気長に待とう。

大瀧神社

今日は午後のイベントまで時間があるので、上宮に登ってみた。
大徳山とも呼ばれる権現山。上宮は山頂とは少し方角が違うので、今日は山頂には向かわない。

大瀧神社

奥の院まで神仏習合の遺跡が残る。
「山伏岩の跡」
女人禁制の奥の院への密入者を取り締まるため、大岩のあるこの場所に毎日数人の山伏が見張り検問にあたっていたという。

大瀧神社

「神馬・神くらの化石」
神馬に乗った神がいつもこの場所に立ち里山を守っていたので、いつの間にか神馬が化石になったと伝えられている。数年前までその面影が残っていたが、現在は石が砕け落ち、一部しか残っていないのでその姿は確認できない。

大瀧神社

「神馬の足跡」
神代の昔、この山をめぐって神争いがあった時に、日野山上より神が馬にまたがり飛来されたその馬の足跡という。
落ち葉を除けるとそれらしい窪みがあった。

大瀧神社

途中鳥居をくぐって先に進む。

大瀧神社

「み火たき所の跡」
石に囲まれた場所が残る。

大瀧神社

「十善寺の跡」
大瀧児権現の別当であった大徳山大瀧寺の奥の院の中心寺が建っていた場所という。

大瀧神社

「ひじり堂の跡」

大瀧神社

奥の院の手水。ほとりに不動石像が立っている。

大瀧神社

改築された奥の院割拝殿

大瀧神社

背後に3社の本殿が並ぶ。

大瀧神社

中央が大瀧神社本殿。

大瀧神社

右に岡太神社。御祭神は川上御前。延喜式今立郡の比定社。
「式内 岡太神社」の扁額がかかる。

大瀧神社

左に八幡社。

大瀧神社

八幡社の左にわかりにくいが上に登る道が続く。権現山山頂への登山道を兼ねる。

大瀧神社

5分ほど歩くと鳥居が見えてきた。

大瀧神社

「おんなじの跡」
「越南知」とも「大己貴」とも書かれ、大国主命のこと。
白山を開山した泰澄大師が開山したと伝わる権現山は、白山の御前峰、大汝峰、別山に対応するように、白山伏拝、おんなじ跡、別山堂の3つの峰がある。

大瀧神社

権現山一の大杉が目印。御神木

大瀧神社

「大瀧城本丸跡」
おんなじの跡にあたり、大瀧児権現を守護する城であったという。おんなじの跡、白山伏拝を含めた4つの主郭とその間に5つの堀切がある。

大瀧神社

城跡を散策しながら別山へ向かう。主郭を断ち切るように掘られた大きな堀切。

大瀧神社

3つめの主郭には弐の杉と呼ばれる大杉が、やはり御神木としてある。

大瀧神社

「法花堂の跡」

大瀧神社

4つの主郭を通り、最後にもう一度登ると

大瀧神社

「別山堂の跡」
加工された石や瓦が散乱している。観音堂に復元された別山堂が、いつかここに再検される日が楽しみだ。

大瀧神社

別山堂の奥に「ざぜん石」と呼ばれる大岩がある。ここに座ると白山が正面に見えたというが、今日は雲と前を遮る木々でわからなかった。

大瀧神社

ざぜん石の背後にも巨石がむき出しになっていて、特別な空間だと感じた。
奥の院から大瀧城跡をめぐり、別山から奥の院へ戻るのに40分ほどかかった。

大瀧神社

下山し、紙の文化博物館に行く。

大瀧神社の至宝

月末まで、千三百年大祭を記念し「大瀧神社の至宝」が開催されている。

大瀧神社

その特別展を記念して、大瀧神社宮司の講演会がパピルス館で開かれ参加してきた。とても興味深い話であった。

千三百年大祭を記念した特別御朱印が年末まで頒布されていて、神社近くの氏子宅とここパピルス館で入手できる。
地元産の越前和紙を使い、社号も特別なものになっている。

大瀧神社

一の鳥居と社号標

大瀧神社

横山大観による揮毫の社号標の文字。特別御朱印はこの社号標の文字を元にしている。

大瀧神社

宮司の話を聞き、あらためて下宮を訪ねる。
大型バスで大勢の観光客が来ていた。境内で大勢の人に会ったことはなかったので少し驚いた。

拝殿を正面から見る。複雑な屋根の構造だが、正面から見ても屋根の妻の頂点が一直線に並ばないのだそうだ。完全な形にしない、いわゆる「未完の美」なんだそうで、わざと少しずれている。

大瀧神社

拝殿の基台の石積みは、上が青石、下が赤石とツートンカラーになっている。

大瀧神社

また地震により石がずれないように、角石は一つの石になっている。

大瀧神社 千三百年大祭

大瀧神社 千三百年大祭
岡太神社・大瀧神社 千三百年大祭

大瀧神社
福井県越前市大滝町13-1

越前今立 岡太神社②

岡太神社

旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。

岡太神社

朱色の鳥居をくぐり境内に入る。

岡太神社

拝殿に参る。

岡太神社

上って本殿前の拝所に参る。

岡太神社

玉垣に囲まれて本殿と2社の境内社が並ぶ。
参拝後に宮司宅で御朱印をいただいたが、宮司が留守で書き置きをいただいた。
書き置きの紙はどこかの和紙を使っているようだ。今回は宮司直筆の御朱印をいただけた。

岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19

越前今立 荒樫神社

荒樫神社

越前市に鎮座する荒樫神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とし、仲哀天皇、神功皇后、表筒男神、中筒男神、底筒男神を相殿に祀る。男大迹皇子(継体天皇)の創祀と伝わる。

荒樫神社

集落入口に「荒樫神社」の社号標が建つ。

荒樫神社

集落の奥に少しわかりにくいが、鳥居と社号標が建つ。社号標は地元の笏谷石だろうか、柔らかい石なので風化している。

荒樫神社

階段は車が上がれるように2本の坂が付いているが、現在では段差もできて上がれそうにない。
階段を上がると、広い空間の先に社殿が見える。

荒樫神社

階段の右手に何か石碑が建っている。調べると裏手に古墳があるようだが、場所や規模は確認できなかった。

荒樫神社

社殿は一段高い場所にあり、階段前に鳥居、社殿前に2本の大きな杉が立っている。

荒樫神社

十一面観音立像が2体伝わっているという。

荒樫神社

背後の本殿は入口に板で止められている。以前は幣殿で拝殿とつながっていたようだが、幣殿は老化で取り払われたのだろうか。

荒樫神社

本殿左に境内社の麻氣神社。かつては僧形の泰澄大師坐像が祀ってあったようだ。
泰澄大師像と十一面観音像がともにあることからみて、中世には白山信仰の影響下にあったらしい。

荒樫神社

麻氣神社の左のほうから本殿背後の山に上る。

荒樫神社

途中、鳥獣柵を開けて行く。幸い先に続く道はわかりやすかった。

荒樫神社

しばらく上ると、本殿の真後ろの平坦地に境内社の鵜甘神社が建っていた。

荒樫神社

応神天皇を祀り、延喜式今立郡の論社のひとつ。武内宿禰、繼軆天皇、安閑天皇、宣化天皇、國中主神を合わせ祀る。

荒樫神社

帰りにもう一度拝殿内を見ると、随神像が左右にあり、絵馬も数枚掛かっているようだった。

荒樫神社

手水は瓢箪形にくり抜かれている。

荒樫神社
福井県越前市西樫尾町28-5

若狭大飯 青葉山登拝

青葉山登拝

青葉山は福井県高浜町と京都府舞鶴市にまたがる山で、高浜町の市街を走っていると秀麗な裾野をひく山容を見ることができる。若狭富士と呼ばれるが、元修験の山で東峰と西峰の2つのピークをもつ双耳峰。

青葉山登拝

今日は中山口から登ることにする。

青葉山登拝

中山寺に到着。東峰まで3.1キロ。9時16分にスタートする。

青葉山登拝

5分で中山集落の青葉神社に到着。登山の無事を祈る。
青葉神社は東峰山頂に祀られる神で、東峰三十三所の神々を祀る。その里宮としての位置づけか?
拝殿左に境内社が1社ある。

青葉山登拝

青葉山青少年旅行村に駐車した場合の登山口に到着。9時28分
ここで案内板を確認する。

青葉山登拝

今日のコースは、中山寺コースを上り、東峰、西峰と縦走し、松尾寺コースを下る。松尾寺からは麓の今寺集落、高野集落の氏神を回って帰ってくる。

青葉山登拝

上り初めてすぐ斜面に大岩をチラホラ見るようになる。初めからかなりきつい急登になる。

青葉山登拝

中山寺コースと高野コースの合流点。9時41分

青葉山登拝

TV中継アンテナを過ぎて展望台に到着。9時59分

青葉山登拝

若狭湾の眺めが絶景だが、午前中なので少し逆光

青葉山登拝

10時1分、金比羅神社(金比羅大権現)に到着

青葉山登拝

馬の背に立つ。10時25分
両側に切れ落ちる岩塊が尾根に横たわり、西に西峰が見える。

青葉山登拝

南の眼下には高浜の村々と山並みが広がる。風が心地よいが、強風や雨の日は厳しそうだ。
東峰と西峰の間はまさに修験の修行場だ。

青葉山登拝

東峰に到着。10時37分
青葉神社。前に燈籠が2基と、左に磐座のような岩塊がある。本殿は覆屋の中で見えなかった。

青葉山登拝

本殿裏に「青葉山 東峰山頂 標高693m」の表示

青葉山登拝

10分ほど行くと初めての梯子が出てくる。

青葉山登拝

梯子を登ってすぐ縄につながって、すれ違いできない狭い道を行く。
ここからいくつも梯子と縄が出てくることになる。

青葉山登拝

東峰から20分ほどのところ、笹が覆い茂りちょっとした藪漕ぎに入る。
夏以降は道も見えづらくなりそうで大変だ。

青葉山登拝

11時8分、大師洞を通過。泰澄大師参篭の伝説がある場所。

青葉山登拝

11時16分、西峰に到着。西青葉神社(西権現)、西峰三十三所の神々を祀る。
本殿後方に岩塊があり、登ることができる。

青葉山登拝

神社の背後にあるのは通常磐座だが、頂上が削られており現在はそういう位置づけではないらしい。
「青葉山 西峰山頂 標高692m」と建っている。ここはまだ福井県

青葉山登拝

眼下に美しい若狭湾の眺望が広がっている。
西峰で20分ほど休憩兼補給を行う。

青葉山登拝

西峰を出発して3分ほどで松尾寺コースと高野コースの分岐点に至る。
わかりにくいが右の木の下をくぐって進む。どうもこの辺りが県境のようだ。

青葉山登拝

分岐から1分、11時38分松尾寺奥の院(青葉山権現)に到着。周辺に燈籠が2基ある。

青葉山登拝

12時10分、平場に出る。ここに崩れた鳥居があった。西青葉神社のものか、松尾寺奥の院のものかははっきりしない。

青葉山登拝

12時19分、松尾寺口に到着。

青葉山登拝

西国観音三十三所第29番札所で、草創1300年イベントもしているので、御朱印をもらい、宝物殿を見学する。
松尾寺の由緒譚に青葉山の双耳峰が中国の馬耳山に似ているという話が出てくる。本尊の馬頭観世音菩薩は、松尾寺、中山寺、馬居寺と青葉山周辺三ヶ寺で本尊とされ、何か関連があるのだろう。

13時45分松尾寺を後にして帰途につく。

青葉山登拝

14時3分、今寺口に到着。

青葉山登拝

登山口は今寺集落の最奥部であり、ここに熊野神社が鎮座する。
左右に境内社が1社ずつあり3社が並ぶ。

青葉山登拝

手前に名前がわからない寺が建つ。もとは熊野神社と一体のものだろう。
中を覗くと、左に十一面観世音菩薩、右の朽ちているのもおそらく同じであろう。
松尾寺奥の院の元本尊は十一面観世音菩薩で宝物殿に納められていた。十一面観世音菩薩を主峰とする白山を開山した泰澄大師の伝説とともに非常に興味深い事例である。

青葉山登拝

今寺口から歩くこと10分ほどで、田の中に岩を見つける。
大成の大岩と呼ばれるもので

青葉山登拝

上に道標が立っている。

青葉山登拝

さらに歩くこと10分、隣の高野集落の金剱神社に到着。
ここも3社並ぶ形式で、中央に金剱神社、左に稲荷神社、右は不明だった。

青葉山登拝

14時44分、7分ほど歩いて高野集落の東の外れにある高野口に至る。

青葉山登拝

最終的に中山寺に到着したのは15時4分。寄り道しながら約6時間の行程、19000歩の登拝の旅でした。

青葉山
福井県大飯郡高浜町・京都府舞鶴市

若狭大飯 伊弉諾神社

伊弉諾神社

高浜町に鎮座する伊弉諾神社。延喜式大飯郡伊射奈伎神社の論社。御祭神は伊弉諾命、伊弉冉命、阿遲鋤高日子根命、宇津志国玉命、綿津海三柱命ほか。

伊弉諾神社

青葉山の南麓に鎮座する。若狭富士と言われる青葉山だが、南から見ると東峰と西峰の2つのピークが見える。

伊弉諾神社

一の鳥居は東向きだが、社殿は南向き

伊弉諾神社

二の鳥居の先に神楽殿が建つ。

伊弉諾神社

神楽殿の後方に社殿が建つ。

伊弉諾神社

階段を上り拝殿に参る。

伊弉諾神社

本殿は弊殿で拝殿とつながる。

伊弉諾神社

拝殿の左に境内社が2社並ぶ。
左が元本社奥宮西青葉神社遙拝社。西青葉神社は青葉山西峰山頂に建ち、西峰三十三所の神々を祀る。
右が金剱神社、国常立尊を祀り、南麓高野集落と同じ神を祀る。金剱山の金剱明神を祀るというが山の位置がよくわからない。

伊弉諾神社

拝殿の右に八所荒神神社、敷地・社殿の守り神を祀り遷座祭仮宮だという。
左奥に境内社3社が並ぶ。

伊弉諾神社

右が恵比須神社、蛭子命を祀る。
中央が青葉神社遙拝社。青葉神社は青葉山東峰山頂に建ち、東峰三十三所の神々を祀る。
左が稲荷神社、倉稲魂命を祀る。

伊弉諾神社

桂(不動)神社遙拝所

伊弉諾神社

社前には田が広がり、畦には芝桜がきれいに咲いている。

伊弉諾神社
福井県大飯郡高浜町小和田51-14

若狭三方 闇見神社②

闇見神社

若狭町に鎮座する闇見神社。御祭神は沙本之大闇見戸賣命を主祭神とし、菅原道眞公、天照大神を配祀する。

闇見神社

昨年に続き2回目の参拝。

闇見神社

この御神木は2回目でも圧倒される霊気が漂う。

闇見神社

境内はやけに清掃が行き届いていると思ったが、5日に例大祭(王の舞など)があったようだ。

闇見神社

本殿に参る。中央が「闇見神社」、右に「天満大神」、左に「天照皇大神」の扁額がかかる。

闇見神社

御祈祷所と書かれた建物の中に、お札や書き置きの御朱印がある。
前回は御朱印が切れていたのだが、今日はまだ残っていた。良かった。

闇見神社
福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水12-7

若狭三方 宇波西神社 宇波西まつり

宇波西神社

若狭町の宇波西神社。御祭神は鵜草葺不合尊。
今日は違う方角から向かったら、JR小浜線をまたいだところに社号標が建っていた。
「式内 明神大 月次新嘗 宇波西神社」

宇波西神社

鉄橋をくぐると参道がまっすぐに神社まで延びているが、今日は駐車場ないので停めても良さそうな場所を見つけて歩いていくことにした。

宇波西神社

神橋を渡ると神社が見えてくる。境内は神橋から少し下がっている。

宇波西神社

神社前の道路には路駐の列。片側半分ずつ占領して一車線道路のようになっているが、いつもこうなんだろう。

宇波西神社

太鼓の音も響き、祭りの盛り上がりを感じる。

宇波西神社

拝殿まで行くと、まだ巫女舞が終わっていなかったので見る。

宇波西神社

普段は閉まっている建物も開放され、氏子らが集っている。

宇波西神社

拝殿に至る階段左に子供神輿があった。桜と合わせていい景色だ。

宇波西神社

祭礼神事が終わり休憩に入って拝殿が空になった後で、本殿に参る。

宇波西神社

午後1時になると拝殿に上がる階段に、裃など正装した方々が並び、中央の人が何かを掲げた。

宇波西神社

王の舞はなかなか始まらなかった。氏子の代表が神橋まで迎えに出る。

宇波西神社

15分ほど過ぎてようやく出てきた。社務所前に陣取っていたが、ここには笛が並ぶので前を遮られてしまった。
初めて来たのでベストポジションが分からなかったが、ここはハズレだった。

宇波西神社

それでも間から王の舞を鑑賞した。

宇波西神社

鳥居の前を同じような動作を繰り返しながら何周か回る。
結局最後まで農耕儀礼に由来するという王の舞の所作がよくわからなかった。

宇波西神社

王の舞の間に、中に飛び出そうとする人と、それを一所懸命止める人のやり取りが何度かあった。
王の舞に全く集中できないこの出来事の由来は、かつて王の舞を止めた人がおり、その村はその年豊作になったということがあったそうで、担当しない地区は豊作を願って突入するのだと聞いた。

宇波西神社

王の舞に続き獅子舞

宇波西神社

田楽舞

宇波西神社

最後に子供神輿が境内を賑やかに回って祭礼は終了した。
王の舞の後は少し人が減ったのでゆっくり見れた。

宇波西まつり 4月8日
午前3時~ 各区参拝神事
午前10時30分 例祭神事・式典
午前11時 浦安の舞
午前12時30分頃~ 王の舞
午後1時頃~ 田楽舞・獅子舞・子供神輿

宇波西神社
福井県三方上中郡若狭町気山

越前福井 藤島神社②

藤島神社

福井市に鎮座する藤島神社。御祭神は新田義貞公と弟、子ら。建武中興十五社のひとつ。

藤島神社

駐車場から少し戻り、二の鳥居から入る。

藤島神社

拝殿前で御神酒のふるまいが行われていた。

藤島神社

拝殿に参る。

藤島神社

前回の参拝が5年前なので、その間に随分変わったようだ。第61回神宮式年遷宮の神宝の徹下が当宮と福井県護国神社にあり、

藤島神社

その一部が拝殿左の神社会館に展示されている。今回は靴を脱がなくてはいけなかったので観覧は止めた。

藤島神社

本殿右にある境内社は摂社野神神社。

藤島神社

平成27年に第62回神宮式年遷宮の徹下材で建てられたもので、御祭神は義貞公の妻勾当内侍。平成21年に大津市の野神神社から分霊し、本殿に配祀されていた。

授与所で御朱印をいただく。正月期間は書き置きだったが、社紋以外に神紋が2つ増え、御朱印の配置が変わっている。

藤島神社
福井県福井市毛矢3丁目8−21

越前福井 毛谷黒龍神社②

毛谷黒龍神社

福井市に鎮座する毛谷黒龍神社。御祭神は高龗神、闇龗神、男大迹天皇。

毛谷黒龍神社

昨年より正月限定の御朱印ができたようだったので参拝する。

毛谷黒龍神社

3日になっても地元ナンバーを中心に多くの参拝者が来ていた。

毛谷黒龍神社

今年は明治維新150年の節目の年で各地で事業が予定されているが、当宮は越前藩士由利公正の氏神であったらしい。

毛谷黒龍神社

大絵馬は干支ではなく龍神。本殿前に参拝する行列ができていた。

毛谷黒龍神社

授与所も行列になっていた。

毛谷黒龍神社

拝殿前におみくじと破魔矢、御朱印のみの臨時授与所ができている。御朱印は見開き(500円)と通常(300円)の2種類で、記帳と書き置きの両方選べる。見開きは御朱印帳だと中央が少し欠ける。

御朱印に時間がかかるので、その間に拝殿に参る。

毛谷黒龍神社

拝殿前の扁額は当地の国会議員で内閣総理大臣になった岡田啓介氏による揮毫。

毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3丁目8−1

越前武生 日野神社②

日野神社

越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。

日野神社

何度か参拝しに来たが、やはり宮司に会うことができなかったので正月なら会えるかと参拝した。

日野神社

境内には藁にくるまれたものが・・・左義長の準備?

日野神社

冬支度された拝殿に参る。

日野神社

鏡餅が供えられた拝殿に氏子の方がいらしたので話を聞いてみた。

聞いたところによると、先代宮司が3年前に亡くなり役所勤めの後継ぎが宮司とならなかったため、それ以来氏子総代が神事を代行しているという。定年後に宮司となるかどうかも分からず、御朱印は難しいそうだ。氏子も年老いたものが多くなったので、正月飾りや供物も今日の13時から下げてしまうそうだ。

作業まで少し時間があったのでさらに少し話をしてきた。地元石川では初詣は、住んでいる場所が加賀なら白山比咩神社、能登なら氣多大社、つまり一宮が一番だと思っている方が多いのだが、ここでは氣比神宮へ行くこともあるのか疑問だった。聞くと、二宮となる劔神社なら行くこともあるという。滋賀の多賀神社や伊勢神宮に遠出することもあるといい、石川でも厄年には行くこともあるので同じだった。越前一宮は敦賀市で南の端で山越えになるためどうなのだろうか?と思っていたが、越前市でそうなら、福井市や坂井市ならなおさらであろう。

と話をしている間に氏子の方が集まってきたので邪魔にならないように退散してきた。

日野神社

普段戸が閉まっていてよく見えなかった拝殿内の扁額が見えた。龍の彫刻で縁取りされたもので、社名は越前藩16代藩主の松平慶永(春嶽)公の揮毫による。

日野神社

帰りに破魔矢をいただいた。

日野神社

紙の裏に朱印が押されていた。

地方の神社では神職のみで生計を立てることが難しいことが多く、以前より兼職として教員や役所勤めする人が多い。ただ、戦後公務員は兼業禁止が原則となり後継を断念することも増え、神事の継続や神域の整備が困難になってきている。今回の参拝はこうした事例をまた再認識させられる出来事だった。

日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1

越前勝山 平泉寺白山神社⑥

平泉寺白山神社

勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。

平泉寺白山神社

降りしきる雪の中の参拝。正月の参拝はもう何年目になるか。

平泉寺白山神社

今年はさらに雪が少ない。降ればどっと積もるのだろうが、今日は高い段差の階段が一部見えるほどだ。

平泉寺白山神社

三社の本殿に参る。昨年白山開山1300年の記念年で賑わった境内は静寂を取り戻した。

平泉寺白山神社

社務所で御朱印をいただき、最終周となる白山三馬場めぐりのクリアファイルをいただく。
御朱印からは「白山開山1300年」の印が消え、元に戻った。

平泉寺白山神社

クリアファイルは最後の1組だった。三馬場めぐりは3月末まで続くが、予定数が白山比咩神社、長瀧白山神社はすでに終わり、平泉寺白山神社でも自分で終了した。いただけて良かった。

平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

越前永平寺 明神社②

明神社

永平寺町に鎮座する明神社。主祭神は天照皇大神。

明神社

正月なら御朱印を授与しているか確認できると思い参拝し、授与してないことを確認した。

明神社

正月らしく飾り付けられた境内。

明神社

左手の境内社、河濯神社(瀬織津比売神)と稲荷神社(豊受神)も扉が開けられているのも正月ならでは。

明神社

拝殿前には無人授与所が設けられている。

明神社

拝殿に参る。正月なので拝殿の扉も少し開いていた。
正面の本殿。神社の由緒書きによると、秋葉社(火産霊神)、菅原社(菅原道真公)、庚申社(猿田彦神)、白山社(伊弉諾神)の四社を合祀したとしている。

明神社

しかし、拝殿をよく見ると、本殿右に「八幡社」と「毘沙門天宮」

明神社

本殿左に「秋葉社」と「神明宮」と書かれた扁額がかかる。
こういう場合、合祀社を別々に祀っていることが多いのだが、江戸時代は「毘沙門堂」、明治時代は「神明社」と呼ばれていたというので、「毘沙門天宮」「神明宮」は主祭神と同じものか?「秋葉神社」は合祀社の一社だが、「八幡宮」は書かれていない。「菅原社」と「白山社」はどこにもないと何だか不思議な配置だ。

明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12

越前二の宮 劔神社②

劔神社

旧織田町に鎮座する劔神社。御祭神は素盞嗚大神、氣比大神、忍熊王。
越前二の宮で延喜式敦賀郡剱神社の論社。

劔神社

今日は雨の中の参拝となりました。新しくなった北口から参ります。

劔神社

拝殿に参る。

劔神社

御朱印をいただき、境内を散策していると、表鳥居近くの庚申宮で紅葉を見つけた。

劔神社

晩秋の静かな境内でした。

劔神社
福井県丹生郡越前町織田金栄山

若狭三方 常神社

常神社

若狭町に鎮座する常神社。御祭神は神功皇后を主祭神とする。延喜式三方郡の比定社。

常神社

常神半島を通る道路以外は深い森の広がる中、一番奥の集落より手前に鎮座する。

常神社

入口に「式内 常神社」の社号標が建ち、鳥居と手水舎が並んで建つ。

常神社

鳥居をくぐると、右手に社務所?が建つ。屋根の隅に据えられた波を表現したような鬼瓦は手水舎にも同じものが上がっていた。

常神社

二の鳥居には「常神社」の扁額がかかり、階段の先に社殿が建つ。

常神社

階段を上るとギリギリに拝殿が建つ。

常神社

拝殿に参る。鈴の紐が多い。

常神社

拝殿と本殿前に「常神社」の扁額がかかる。

常神社

奥行きギリギリに建てられた拝殿と本殿

常神社

下の境内には宝物殿が建つ。

常神社

宝物殿前にコンクリート製の倉庫か何か?と思ったら

常神社

中に五輪塔や宝篋印塔が数基納められていた。もともと境内にあったものか、周辺から集められたものか、いずれにしても信仰の深さを感じる。道路から見ると反対側なので気づきにくい。

常神社

常神社は常神半島の先端に浮かぶ御神島にもともと鎮座していたという。御祭神の降臨地として旧来信仰対象となってきた。

常神社

実は常神社に向かう途中、行き過ぎて先端まで行ってしまった。

常神社

折角行ったので狭い路地を抜け「常神のソテツ」を見に行った。

常神社

樹齢千年以上と言われる大蘇鉄で、日本北限にあたる。自生か植栽かははっきりしないというが、常神社の信仰にも関係していたのかと想像が膨らむ。

常神社
福井県三方上中郡若狭町常神10-2

若狭小浜 彌和神社

彌和神社

小浜市に鎮座する彌和神社。御祭神は三輪大歳彦明神。延喜式遠敷郡の論社。

彌和神社

旧上中町に隣接する小浜市宮川地区にあり、六地蔵堂の横に「式内 彌和神社」の社号標が建つ。

彌和神社

神社は拝所があるのみ

彌和神社

裏手にまわると地区の氏神の八幡神社が鎮座する。彌和神社も八幡神社の氏子により整備されている。

彌和神社

階段の最初の踊り場に境内社が1社と、「権現の神」と書かれた宝篋印塔がある。

彌和神社

次の踊り場には「愛宕神社遥拝所」と書かれた小祠。

彌和神社

中腹の平場には八幡神社本殿の入った覆屋。

彌和神社

八幡神社本殿

彌和神社

帰りにあらためて拝所を見る。山の麓に山に向かって設けられている。

彌和神社

野木山という343.6mの山だが、地元では大戸山とも呼び彌和神社の御神体山のようだ。

彌和神社
福井県小浜市加茂19-11

若狭上中 波古神社

波古神社

若狭町に鎮座する波古神社。御祭神は波邇夜須毘古命を主祭神とし、、天照大御神、伊弉册尊を配祀する。延喜式遠敷郡の比定社。

波古神社

参道に神旗ポールが建っている。

波古神社

境内入口に「波古神社」の扁額がかかる鳥居と「式内村社 波古神社」と書かれた社号標が建つ。

波古神社

鳥居をくぐりまっすぐ進むと拝殿が建つ。

波古神社

拝殿は冬囲いがされ、後ろに本殿が建っている。

波古神社

拝殿左に不動宮が建つ。かつては御神木の根元に祀られていたようだが、今は倒れてしまったのか?または祀る場所が変わったのか。

波古神社

一段高い場所に建つ本殿に参る。

波古神社

庇付き覆屋に本殿が入っている。

波古神社

本殿には「箱大明神」の扁額がかかる。
波邇夜須毘古ノ神(社主宮、式内波古社)、天照大御神(神明宮)、伊弉冊尊(大将宮)の三社が合祀されている。

波古神社

本殿左後ろには「祇園神社」の扁額がかかる祇園社(左)と「天満大神」の扁額がかかる天満宮。

波古神社

本殿左後ろには奥ノ院が建つ。奥ノ院には波邇夜須毘売ノ神が祀られている。主祭神と奥の院祭神が夫婦というのが珍しい。

波古神社

本殿左に六所大明神を祀る田中権現社と、手前に山神社

波古神社
福井県三方上中郡若狭町堤18森脇16

若狭三方 恵比須神社

恵比須神社

若狭町に鎮座する恵比須神社。蛭子大神を主祭神とし、陶津耳命、大國主命を配祀する。延喜式三方郡須部神社の論社。

恵比須神社

国道から北の集落へ入る道路に燈籠が建っている。

恵比須神社

進むと明治五年の燈籠と昭和三年の社号標。須部神社と書かれている。

恵比須神社

その燈籠から神社は西へ曲がる。途中の道ばたに石仏や五輪塔を集めた場所があった。

恵比須神社

神旗ポールを過ぎると一の鳥居が建つ。

恵比須神社

さらに進むと境内入口に二の鳥居が建ち、「恵比須大神」の扁額がかかる。

恵比須神社

鳥居の裏に「寿命石」と書かれた巨石と覆い被さるような巨木がある。

恵比須神社

表参道は鳥居から左に折れ、さらに右に折れる。

恵比須神社

朱色が鮮やかな三の鳥居は正保二年(1645)に若狭藩主酒井忠勝公が寄進したもの。
階段の先に割拝殿が建つ。

恵比須神社

割拝殿をくぐると屋根付き廊下を通り拝殿で参る。

恵比須神社

割拝殿の左には神輿

恵比須神社

右は授与所になっている。

恵比須神社

本殿は拝殿と幣殿でつながる。

恵比須神社

拝殿横に鎮座する狛犬は少し潰れた顔だが、見ていると段々愛らしく見えてくる。

恵比須神社

本殿の周りを時計回りに境内社などに参拝する。
恵比須さんということもあってか、鯛の銅像が奉納されている。

恵比須神社

「少彦名命」の扁額がかかる少彦名社。

恵比須神社

天満宮。以上二社が本殿の左に鎮座する。

恵比須神社

階段の途中に「倉稲魂命」の扁額のかかる稲荷社

恵比須神社

階段の上には皇大神宮

恵比須神社

本殿右後ろ角に日枝社が建つ。

恵比須神社

その裏に宮司宅があり、その途上に「西神社 是ヨリ三丁」という燈籠がある。文化三年の銘が入っているので藩政期はやはり「えびすじんじゃ」のほうが通称として通っていたようだ。

恵比須神社

本殿の右に八幡宮

恵比須神社

「大國主命」の扁額がかかる大國主社の二社が建つ。

恵比須神社

一段下に養老年間から残っているという井戸がある。

恵比須神社

井戸近くの境内社には扁額がないが水神だろうか

恵比須神社

授与所で御朱印をいただく。かつては「須部神社」の朱印を押していたこともあったようだが、現在は「恵比須神社」に変わっている。
えびす飴が売っていたので袋を買ってきた。おいしい飴だった。樽のほうも気になるなー

恵比須神社

境内入口に建つ建物はなんだろうか?と思っていたが

恵比須神社

廊下と建物の形状から能舞台かとも思ったが、中をのぞくと松の絵もあるしやはり能舞台のようだ。

恵比須神社
福井県三方上中郡若狭町末野字神ヶ谷36-11

若狭三方 闇見神社

闇見神社

若狭町に鎮座する闇見神社。御祭神は沙本之大闇見戸賣命を主祭神とし、菅原道眞公と天照大神を配祀する。境内の御由緒には沙本之大闇見戸売命、菅原道真公、上下宮が祭神で、明治42年に近隣の六社を合祀したと書かれている。上下宮とは賀茂の上下神のことだろう。延喜式三方郡の比定社。

闇見神社

参道が東の山手に延びる。

闇見神社

振り向くと西にも参道が続いているようだったので、参拝後に行ってみた。

闇見神社

集落内に「郷社 式内 闇見神社」という社号標が建つ。

闇見神社

近くには若狭天神と呼ばれる当社に牛の石像が奉納されている。

闇見神社

闇見神社から滋賀県高島市の酒波寺若剱神社への峠道「近江坂古道」の起点となっているようだ。

闇見神社

鳥居の脇に大きな木がたっている。社叢は深い。

闇見神社

鳥居の先には階段が続く。

闇見神社

階段の途中、左手に中はほとんど空洞となっているが、御神木が霊気を放っている。

闇見神社

階段を上がると正面に拝殿。ここで4月5日王の舞が奉納される。

闇見神社

左手に社務所

闇見神社

右手に祈祷所と書かれた旧社務所が建つ。

闇見神社

祈祷所の中に、木像の大きな牛が奉納され、授与品も置いてある。御朱印も書き置きがあるはずだったが、今日は売り切れ。神職に電話したが、今日は用事があるということでまたの機会にする。

闇見神社

拝殿の後ろ、一段高い場所に本殿が建つ。

闇見神社

拝所付きの覆屋の中に本殿が鎮座する。

闇見神社

中央に「闇見神社」、右に「天満大神」、左に「天照皇大神」の扁額がかかる。
本殿に参る。

闇見神社
福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水12-7

若狭三方 能登神社

能登神社

若狭町に鎮座する能登神社。御祭神は大入杵命を主祭神とし、誉田別命を配祀、大山祇命、大山咋命、加茂大神、大鷦鷯命を合祀する。延喜式三方郡の比定社。

主祭神の大入杵命は、第10代崇神天皇の皇子で能登臣の祖とされる。彌美神社の主祭神の室毘古王とは、従兄弟になるという。

能登神社

参道は西から東へ延びる。集落の中に「村社 式内 能登神社」の社号標と燈籠が建つ。

能登神社

参道途中に国道27号線が横切っているが集落内を通る道路がかつてのメイン道路なのだろう。

能登神社

参道を進むと神旗ポールが国道の手前と奥に2組ある。

能登神社

社叢の入口に鳥居が建ち、鳥居の前を八幡川が流れ、八幡橋がかかっている。橋名からわかるように配祀された八幡神のほうが表に出た時代があった。

能登神社

社叢は深く、大きな木も多い。

能登神社

鳥居の先には広い境内がひろがる。

能登神社

境内右手に手水舎、社務所が建つ。

能登神社

社殿は西向き。階段をのぼると拝殿が建つ。

能登神社

4月15日の春季例祭には王の舞が舞われる拝殿

能登神社

本殿も拝殿同様、常時雪除けのトタンを付けたままになっている。

能登神社
福井県三方上中郡若狭町能登野字森ノ本19-3

若狭三方 天神社

天神社

若狭町に鎮座する天神社。御祭神は菅原道真公。延喜式三方郡山都田神社の論社。

天神社

最初参道途中からアクセスしたが、集落内に参道が通り、入口に「村社 天神社」の社号標が建つ。

天神社

参道は杉並木になっているが、あまり手入れ(枝打ち)はされていない。

天神社

参道を行くと鳥居の前に鳥獣柵がある。

天神社

開けて入ると鳥居の先の石段の向こうに社殿が見えてくる。

天神社

社殿と思ったものは覆屋だった。

天神社

中に同規模の本殿が2つ並んでいる。
右に梅鉢紋が付いているのが天神社、左が山王社。

天神社

右の壁に牛の絵馬がかかる。銅像や石像ではなく絵馬で牛が奉納されているのはあまり見ない。

天神社

左の壁の絵馬は枠が壊れているが、山王社の神使、猿のようである。

天神社

境内には他に建物はないが、右手の森の中に「奉焼地」という石に囲まれた場所があった。
「奉焼」とは戦中に軍旗を燃やしたことをいうようだ。

天神社

その後ろに石像が埋もれている。2つの仏像のようだが風化していて判別できない。

天神社
福井県三方上中郡若狭町佐古22

若狭三方 彌美神社

彌美神社

美浜町に鎮座する彌美神社。御祭神は室比古王、建御雷神、天兒屋根命、布都主神、比咩大神、大山祇命。
延喜式三方郡の比定社。

彌美神社

神社からかなり西に行った所に社号標が建つ。「式内 縣社 彌美神社」と書かれている。

彌美神社

近くに建つ看板は若狭地方の数社のみに伝わる王の舞。この社では5月1日に行われる。

彌美神社

一の鳥居の前に石碑が建つ。

彌美神社

東側は六地蔵が浮き彫りされている。西側には五輪塔が掘られている。

彌美神社

鳥居の先を行くと階段を登り参道が延びる。

彌美神社

参道の右側に宮司宅、

彌美神社

社務所が並び

彌美神社

さらに行くと四脚門の二の鳥居が建つ。

彌美神社

鳥居をくぐり左方の大きな木の下に石碑が建っている。

彌美神社

「皇孫ニニギノ尊宮殿の郷」
天孫降臨神話の中にある「笠沙の御前」は常神半島と解釈して、宮代の地名が宮殿の存在を示すという説があるようです。

彌美神社

右手には神楽殿

彌美神社

階段を上ると拝殿が建つ。

彌美神社

拝殿の左に境内社が1社。

彌美神社

拝殿の左前に樹齢約700年の杉の御神木が立つ。

彌美神社

本殿は拝殿の後方に独立して建つ。右に境内社が1社ある。

彌美神社

本殿に参る。

彌美神社

本殿に書き置きの御朱印があったのでとりあえずいただく。

彌美神社

境内に南接して園林寺という寺が建っている。
もと別当寺だったか、塔頭だったかのか分からないが、

彌美神社

寺の境内にも社が数社あり、一番奥の社に雨宝童子が祀られているといい、この像が天照大神が日向に下向した姿であるとか、ニニギノ尊の姿であるとか言われている。

境内を散策している内に、宮司さんが本殿にいらしたので御朱印をお願いして書き置きは返し、入口の社務所まで戻って御朱印をいただいた。

彌美神社
福井県三方郡美浜町宮代7森下2

若狭三方 伊牟移神社

伊牟移神社

美浜町に鎮座する伊牟移神社。御祭神は國常立命を主祭神とし、伊弉册尊、誉田別命、天津兒屋根命、市姫大神、誉田別命、大日孁貴命、伊弉諾尊、建御名方命を配祀し合祀社の御祭神が多い。延喜式三方郡の論社だが、合祀した射矢神社を論社としているらしい。当地は改称前の金銀子神社の鎮座地で、射矢神社は伊屋山の山頂に鎮座していた。

伊牟移神社

美浜町役場に隣接し駐車場には困らない。
参道は西に延びていて、南にはすぐ田が広がっている。入口に「式内 村社 伊牟移神社」と書かれた社号標が建つ。

伊牟移神社

参道を行くと燈籠と鳥居が建つ。

伊牟移神社

鳥居の先、社叢に包まれるように社殿が建っている。

伊牟移神社

拝殿に参る。

伊牟移神社

拝殿前に2本の杉が高く聳える。田の中にあって社叢の森は目立つ。

伊牟移神社

拝殿背後の本殿は覆屋の中にあるようだ。

伊牟移神社

拝殿右に境内社が1社ある。

伊牟移神社

神馬舎には栗毛の馬が納められている。伏見宮家御下賜品のようだ。

伊牟移神社

到着した頃から地元の方が集まってきていましたが、境内の清掃でもするのかと思っていたら、ちょうど今から拝殿の冬支度をするところだった。お邪魔になってはいけないので帰ることにする。

伊牟移神社
福井県三方郡美浜町郷市25-16

若狭三方 木野神社

木野神社

美浜町に鎮座する木野神社。御祭神は天日方奇日方命を主祭神とし、應神天皇、二王ノ大神、大山積命を配祀する。延喜式三方郡の論社。

木野神社

集落の公民館広場の角に社号標が建っている。

木野神社

「村社 式内 木野神社」と書かれた社号標

木野神社

公民館に車を停め、少し歩く。踏切の先に鳥居が見える。

木野神社

一の鳥居と神旗ポールが1本。

木野神社

車道と平行する参道を行くと、少し車通りの多い通りに地下道があった。
どうも地下道が参道の続きらしい。

木野神社

地下道を行くと出口に鳥獣柵

木野神社

開けて入ると、もう1本神旗ポールが建っている。

木野神社

石橋を渡ると「式内 木野神社」の額がかかる二の鳥居。

木野神社

鳥居をくぐると左に大木があった。

木野神社

参道を行くと神門の前にも鳥獣柵があった。

木野神社

開けて神門をくぐると拝殿が建つ。拝殿は雪囲いがされている。

木野神社

拝殿の後ろに一段高く本殿が建っている。

木野神社

覆屋の中の本殿に参ることができた。

木野神社
福井県三方郡美浜町木野7-6

越前丹生 金刀比羅山宮②

金刀比羅山宮

越前町に鎮座する金刀比羅山宮。御祭神は大物主大神を主祭神とし、白峯大神、猿田彦大神、大國主大神、事代主大神を配祀する。

金刀比羅山宮

前回の参拝では宮司さんが留守で御朱印をいただけなかった。
天候も悪いので足早に参拝することにした。

金刀比羅山宮

拝殿に参る。

金刀比羅山宮

天候が良ければ山頂から周囲の山々を見渡すこともできる。

金刀比羅山宮
福井県丹生郡越前町小曽原90-12