「17石川県の神社」カテゴリーアーカイブ

加賀二の宮 小濱神社

小濱神社

小濱神社は、加賀国二宮加賀郷総鎮守であり、創建は不明なれど養老2(718)年小濱磯崎から黒津舟に転遷、以後五郎島(天保3(1832)年)を経て、明治22(1889)年現在地に転遷される。御祭神は大己貴神、事代主神、少彦名神である。

天正12(1584)年の末森合戦のとき、前田利家が小濱神社で必勝祈願した話は有名。ただし、その時代は黒津舟にあった時代で、その比定地は現在海の中である。

小濱神社

拝殿正面の参道の鳥居は四足門となっている。

小濱神社

鳥居を入って右側に立つ巨木がご神木。

小濱神社

社号標側面には「延喜式内」と書かれている。

小濱神社

拝殿でお参りを済ませる。

小濱神社

藩政期は利家戦勝より前田家の崇敬、庇護厚く、拝殿にはそこかしこに梅鉢紋が付けられている。

小濱神社

拝殿の蛙又にも。

小濱神社

拝殿正面の開き戸にも。

小濱神社

参道沿いに6本立つ灯籠のうち、拝殿にもっとも近い灯籠は、「寛永」の年号が残る。
(薄くなって年号までは読めない)

小濱神社

本殿の神域に入る戸にも梅鉢紋が付いている。

小濱神社

境内地には攝末社として磯崎神社が建てられている。創建の地、小濱磯崎の名を冠する神社である。

小濱神社

鳥居は側面の道路沿いにも設置されている。こちらのほうが新しい。

小濱神社

手水舎には龍神様。

小濱神社

境内の忠魂碑の前には武者騎馬の石造が建てられている。

小濱神社

最後に横にある社務所兼自宅で御朱印をお願いしました。氏子神社も多いため、日によっては御朱印いただけないこともあるようですが、今日は運良くいただけました。

小濱神社

由緒書は拝殿のご賽銭箱のところに置かれている。

〒920-0266
石川県河北郡内灘町大根布三丁目157
TEL.076-286-0012

加賀一の宮 白山比咩神社

白山比咩神社

白山比咩神社は、霊峰白山を神体山とする白山比咩大神を奉斎したのが始まり。「下白山」と称せられた白山本宮は、霊峰白山の「まつりのにわ」として、金劔宮、三宮、岩本宮と並ぶ白山四宮のひとつである。現在は「白山さん」として親しまれる加賀一宮、白山登山道のひとつ、加賀馬場の神宮寺である。創建は崇神天皇7(紀元前91)年、火災などで境内地が変わり、現在は三宮のあった地に鎮座する。

御祭神は、伊弉諾神、白山比咩大神、伊弉冉神である。白山比咩大神は、菊理媛神とも呼ばれ、縁結びの神として古くより親しまれている。

白山比咩神社

車で行く場合は北参道が便利だ。この赤い大鳥居を目印にする。

白山比咩神社

車を駐車場に停め、北参道に建つ鳥居。

白山比咩神社

北参道の鳥居の横には明治時代の社号標が立っている。

白山比咩神社

境内に入る前に表参道を下って、表参道を上る。表参道入口の大鳥居。

白山比咩神社

大鳥居の横に立つ社号標は、東郷平八郎の謹書による。

白山比咩神社

杉や欅、楓など大木が参道脇に立ち並び、厳かな雰囲気の中、参道を上る。

白山比咩神社

途中、琵琶滝という水の流れが見える。このところの好天で水は少なめ。

白山比咩神社

参道の中間に手水舎があり、そこに鳥居が立つ。手前にはご神木の老杉が立っている。

白山比咩神社

表参道最後の鳥居をくぐると神門が見える。

白山比咩神社

神門前には攝末社の荒御前神社が建つ。南参道には住吉社が建っている。

白山比咩神社

神門には神馬舎が付属している。

白山比咩神社

神門をくぐると目前に拝殿が見える。

白山比咩神社

拝殿左前にご神木の三本杉が立つ。昭和天皇がお手まきされた杉の種を植樹したものです。

白山比咩神社

境内には白山奥社遙拝所がある。

白山比咩神社

お参りの後、社務所で御朱印をいただきました。巫女さんが書いてくれるのですが、もう少し勢いある字を書いて欲しいと思うのは自分だけか。

由緒の書かれたパンフレットを頂き、略史を購入してきました。

白山比咩神社

北参道、神社庭園である白光苑の前に名水、白山霊水が水を湛えている。

白山比咩神社

神社庭園は無料で入れる。苔むした庭園地が広がっている。

白山比咩神社

池の向こう岸に旧宝物館がまだ残っている。今日はここまで。

白山比咩神社

移動して、舟岡山城跡を上っていくと「白山比咩神社創祀之地」という場所がある。ここが崇神天皇7年に初めて白山本宮が建てられた場所と伝わる。

白山比咩神社ホームページ

〒920-2114
石川県白山市三宮町
TEL.076-272-0680

加賀鶴来 金劔宮

金劔宮

金劔宮(きんけんぐう)は、崇神天皇3(紀元前95)年の創建。「劔の宮」、「金劔神社」、「金劔神宮」、「金劔明神」、「劔明神」と時期により呼び方は異なるが、「鶴来」は元は「劔」(または「剣」)と記されたため、地名が神社名となっている。平成17(2005)年鎮座2100年祭が執行される。

「白山記」、「源平盛衰記」などによると、白山七社のひとつで、白山本宮、三宮、岩本宮とともに本宮四社とされ、白山第一王子と称されたことから御朱印にもその印が押される。

御祭神は、天津彦彦穂瓊瓊杵尊、大国主命、事代主尊、猿田彦命、日本武尊、大山咋命、菅原道真公である。

金劔宮

鳥居横境内を囲むように巨木が林立するが、本殿背後の社叢(入らずの森)は「ウラジロガシ」の残る県内唯一の自然林である。

金劔宮

駐車場入口に立つ神社名標の文字は明治神宮宮司の筆による。

金劔宮

拝殿横にも大きな杉の木が立つ。

金劔宮

拝殿に架かる金劔宮の扁額。

金劔宮

狛犬は拝殿前にも対に護っているが、拝殿横にまわると、本殿前にも古い風変わりな狛犬が対で護っている。とても古そうだ。

金劔宮

社務所の授与所で御朱印を頂いた。とても勢いのある字で書いていただける。

金劔宮

授与所に由緒書が置いてあるので忘れずいただく。

金劔宮

社務所で御朱印を待っている間、飾られていた写真を見た。

そのひとつが、「見猿」「言わ猿」「聞か猿」の三猿のひとつ「聞か猿」に見える幹跡。拝殿左の杉の木で、二年前の写真だったので今はちょっと見えなくなってきたみたい。

金劔宮

もうひとつが、招魂社前手水舎右の杉の木。龍神様です。こちらは写真角度によって今でも龍神様に見えます。
ほら!見えるでしょ。

金劔宮

金劔宮境内には多くの攝末社が建っている。「金運神社」として知られる「乙剣社」。

金劔宮

「金比羅社」

金劔宮

「丈六宮」

金劔宮

「粟島神社」

金劔宮

「えびす社」の前には、天平時代から枯れることのない「天の真名井池」がある。

金劔宮

「招魂社」

金劔宮

「招魂社」の社名標は、林銑十郎元総理大臣の書によるもの。

金劔宮

拝殿前には能舞台がある。源義経が奥州に向かう途中に参詣し、神楽を奉納したと伝えられるが、

金劔宮

石川県は加賀藩の庇護下で能がさかんになった。松の絵なのでやはり能舞台。

金劔宮

拝殿前の手水舎近くに、「義経腰掛石」が残っている。他に「牛石(天忍石)」、「亀石」が残る。

10月の秋季祭で奉納される「ほうらい祭り」は白山市指定無形民俗文化財。

金劔宮
石川県白山市鶴来日詰町巳118

加賀金沢 石浦神社

石浦神社

石浦神社は、藩政時代に石浦山王、地主権現、慈光院などと呼ばれ、明治維新の神仏分離令によって氏子地の石浦の郷名をとって石浦神社と改名し、明治13年に現在地に移転した。御祭神は、大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神、天兒屋根大神、市杵島姫大神、誉田別大神の七柱である。

石浦神社

兼六園真弓坂方面から入る鳥居がある。

石浦神社

鳥居を入って左に広坂沿いに進むと古い灯籠が立っている。

石浦神社

本殿、拝殿の左には末摂社の広坂稲荷神社がある。

石浦神社

赤い鳥居をくぐって進むと拝殿に至るが本殿はどこかなー?と探すと、上の方に祀られていた。

石浦神社

稲荷神社参道脇には「すし塚」。すし職人の奉納?

石浦神社

隣には「包丁塚」。包丁職人の供養塔か?

石浦神社

多くの人は拝殿正面のこの大鳥居より境内に入る。

石浦神社

大鳥居左奥の木がご神木のようだ。

石浦神社

拝殿の右が社務所になっている。建物内に入るとお守り授与所となっていて、そこで御朱印も頂ける。

石浦神社

拝殿で詣ったときはぜひ上を見上げてみてほしい。珍しい彫刻が掲げてある。

この彫刻は加賀藩御用彫物師で獅子頭など多くの名品を残した武田友月の作品で、弁慶が力強く釣り鐘を曳く様を現している。

石浦神社

今は旧盆と新盆の間でぼんぼりが吊られている。

石浦神社

石浦神社には兼六側に1本、拝殿正面に1本、社務所斜め前に1本の3本の神社社号標が立っている。

社務所斜め前の社号標は明治33年のもので一番古く、「北方蒙 謹書」と書かれているが、達筆で世に知られた「北方心泉」のことである。

石浦神社

御朱印をいただくと1枚裏表の由緒がいただける。

金沢市本多町三丁目1-30
TEL.076-231-3314

加賀金沢 金沢神社

金沢神社

金沢神社は加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建て、その鎮守社として金城霊澤のほとりに創建した。兼六園が整備されるにあたり竹沢御殿の鎮守となったが、一般の人々が参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園の一般公開と同時である。御祭神は学問の神であり前田家の先祖である菅原道真公、前田斉広(なりなが)公、前田斉泰(なりやす)公。

金沢神社

広坂沿いの観光客にも目につく場所に立つ鳥居。兼六園の随身坂口への最短ルートである。

金沢神社

鳥居をくぐると境内入口にある「金城霊澤」

金沢神社

「金澤」のまちの名の由来ともなったとても澄んだ水を湛えている。

金沢神社

井戸の上には水の守り神である竜神が描かれる。

金沢神社

境内にある池には蓮が見頃を迎えていました。

金沢神社

好天に大輪の花を天に向けて咲かせる蓮がきれいでした。

金沢神社

拝殿正面にもうひとつ鳥居がある。

金沢神社

まっすぐの参道を進んで門をくぐると拝殿だ。

金沢神社

赤い拝殿は印象的です。

金沢神社

屋根の鳳凰も変わっていますよね。

金沢神社

拝殿には前田家始祖である菅原道真公ゆかりの能「老松」の奉納額も掛けられている。

金沢神社

暑い日でしたがお手水の水はとても冷たかった。

金沢神社

御朱印と一緒にしおりをいただけます。由緒はお守り授与所に置いてある。

御朱印は神主自らが書いてくれる。巫女が書くことも多いのでうれしい。とても達筆!

金沢神社

境内には上辰巳町にある板屋神社の遙拝所があります。祭神として祀られる板屋兵四郎は辰巳用水を設計し、金沢城まで水を引きました。兼六園も辰巳用水あっての名園です。

金沢神社

拝殿横には辰巳用水の石管が展示されている。

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

加賀金沢 尾山神社

尾山神社

尾山神社は御祭神として加賀藩藩祖の前田利家公と正室まつを祀る神社です。利家公は卯辰山麓の卯辰八幡宮に祀られていたものを、明治6年旧金谷御殿(金沢城内の藩主子女が暮らした場所)跡地に遷座されました。

尾山神社

旧北国街道の南町交差点からそれほど長くはない参道ですが、冬はここに金板が立てられ、雪景色のときはとてもいい雰囲気になります。

尾山神社

長らく金沢の観光名所のひとつになっている神門をくぐって境内に入ります。
明治8年に完成し、三層目のギヤマンと日本最古の避雷針が見所です。

尾山神社

尾山神社鳥居前を流れていた西内惣構は、車社会の到来とともに蓋をかぶせられて暗渠化されていましたが、近年開渠されました。

尾山神社

平日の境内は人気が少なく、初めて誰も居ない神門越しの拝殿を撮影できました。

尾山神社

境内には利家公の鯰尾兜のレプリカが輝いています。

尾山神社

NHK大河「利家とまつ」を記念して建立された利家の若き日の像は槍を天に突き立てて凜々しく立っています。

尾山神社

尾山神社拝殿でお参りして隣のお守り授与所で御朱印をいただきました。巫女さんが丁寧に書いてくれました。

尾山神社

尾山神社の隣に摂社の金谷神社が建っています。

尾山神社

ここに祀られているのは、加賀藩2代の利長公から14代の慶寧公までと明治以降の17代利建公までの藩主家当主とその正室(夫人)となります。

尾山神社

南の神門から入った方は東の東神門をお見逃し無いように!金沢城の二の丸の門と伝わる、金沢城の数少ない建造物遺構のひとつです。

尾山神社

御朱印をいただくときに下の案内パンフを一緒にいただけます。上の小冊子は尾山神社の歴史と境内の案内所でお守り授与所で購入できます。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

能登一の宮 気多大社

気多大社御朱印

気多大社(氣多大社)は、気多神宮とも言われ、能登国一宮である。御祭神は大国主神。社殿背後に「入らずの森」と言われる社叢が、人の手を入れていない原生林として広がっている。

気多大社

駐車場は社殿のすぐ近くにある。しかし、鳥居の前に立って振り返ると、海の方角に大鳥居が見える。まずは大鳥居から往時の姿を想像してみることにした。

気多大社

御朱印をいただくと氣多大社の「氣」の字が書かれた書をいただける。

7月、8月の2カ月間は「縁結び祭」と称して、縁結びの強化月間のようで、神門でもらう案内には縁結びのお守りの案内が、さらに名刺サイズの祭りチラシが所々に置かれている。

気多大社

さて、海沿いに下りてきて、大鳥居の前に立つ。遙か向こうの山の麓に社殿がある。しかし、この参道の一本道の両脇には民家が建ち並ぶのに、この社殿までの参道が良好に残っているのは貴重だな。

気多大社

大鳥居の横に立つ社号標のは明治34年の建立。

気多大社

ほぼ中央の県道を渡ると、大鳥居まではこのくらい。

気多大社

振り返って、社殿鳥居までは上り坂で同じくらい。

気多大社

鳥居をくぐると境内はそれほど広くはない。神門をくぐると、バイトの巫女さんが参拝順序を説明してくれる。

気多大社

正面は拝殿、その後ろに本殿。

気多大社

拝殿左側に幸せむすび所が建てられている。近年気多大社はこの縁結びに非常に力をいれている。自分の幼い頃は学業成就だったと思うけど。

気多大社

拝殿右側にはお守り授与所が立ち、前には縁結びの道が作られていました。

気多大社

拝殿前には昭和天皇御製碑が立っています。注意して見渡さないと見逃します。

気多大社

社殿の領域が出たところに、社殿背後に広がる「入らずの森」の入口があります。当然入ってはいけません!

入口には何百年もそこにあるような大きなタブが立っていました。

気多大社

境内には菅原神社も建っています。学業の神様、菅原道真公を祀っています。

入口の橋は「合格橋」と命名されて、橋を渡って合格を祈願します。自分も金沢検定合格を祈願して渡りましたよ。

気多大社ホームページ

〒925-0003
石川県羽咋市寺家町
TEL.0767-22-0602