
金沢市に鎮座する尾山神社に行ってきた。今年は初詣に行っていなかったので利家公にご挨拶。
1月は書き置きのみで御朱印帳に御朱印をいただいていなかったので、御朱印もいただいてきた。

今週は先週ほどの大雪にはならなかったが、低温が続き根雪が残っている。

拝殿前の狛犬も雪帽子を被っている。

拝殿に参る。

来年度(再来年度か?)は境内で工事が行われる。場所は裏参道を入った本殿横

ここに金沢城の玉泉院丸に渡る鼠多門橋が架かりスロープが設けられる。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市に鎮座する尾山神社に行ってきた。今年は初詣に行っていなかったので利家公にご挨拶。
1月は書き置きのみで御朱印帳に御朱印をいただいていなかったので、御朱印もいただいてきた。

今週は先週ほどの大雪にはならなかったが、低温が続き根雪が残っている。

拝殿前の狛犬も雪帽子を被っている。

拝殿に参る。

来年度(再来年度か?)は境内で工事が行われる。場所は裏参道を入った本殿横

ここに金沢城の玉泉院丸に渡る鼠多門橋が架かりスロープが設けられる。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市に鎮座する金沢神社。御祭神は菅原道真公、白蛇龍神。

1年ぶりの参拝ですが、今日は初天神(天神月次祭)の日です。今年一年の学業の精進を神様にお伝えに来ました。

金沢は今季最低気温を更新し零度近く、素肌だと痛いくらいです。放生池も少し凍っているように見える。

ここまで気温が下がると雪はさらさらなのだが、消雪装置の水も凍り、屋根のツララも長いですね。

寒さの影響もあって観光客も少ない。

雪景色の神社もいいですね。吹雪の間の晴れ間を狙ってきた。

拝殿に参ったあと、御朱印をいただいた。

今日参拝した目的は今年の絵馬をいただくことだった。昨年の酉年から始まった神社拝殿の天井に描かれている干支を絵馬として頒布している。戌(犬)なんだけど狼のようだな。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

福井市に鎮座する藤島神社。御祭神は新田義貞公と弟、子ら。建武中興十五社のひとつ。

駐車場から少し戻り、二の鳥居から入る。

拝殿前で御神酒のふるまいが行われていた。

拝殿に参る。

前回の参拝が5年前なので、その間に随分変わったようだ。第61回神宮式年遷宮の神宝の徹下が当宮と福井県護国神社にあり、

その一部が拝殿左の神社会館に展示されている。今回は靴を脱がなくてはいけなかったので観覧は止めた。

本殿右にある境内社は摂社野神神社。

平成27年に第62回神宮式年遷宮の徹下材で建てられたもので、御祭神は義貞公の妻勾当内侍。平成21年に大津市の野神神社から分霊し、本殿に配祀されていた。
授与所で御朱印をいただく。正月期間は書き置きだったが、社紋以外に神紋が2つ増え、御朱印の配置が変わっている。
藤島神社
福井県福井市毛矢3丁目8−21

福井市に鎮座する毛谷黒龍神社。御祭神は高龗神、闇龗神、男大迹天皇。

昨年より正月限定の御朱印ができたようだったので参拝する。

3日になっても地元ナンバーを中心に多くの参拝者が来ていた。

今年は明治維新150年の節目の年で各地で事業が予定されているが、当宮は越前藩士由利公正の氏神であったらしい。

大絵馬は干支ではなく龍神。本殿前に参拝する行列ができていた。

授与所も行列になっていた。

拝殿前におみくじと破魔矢、御朱印のみの臨時授与所ができている。御朱印は見開き(500円)と通常(300円)の2種類で、記帳と書き置きの両方選べる。見開きは御朱印帳だと中央が少し欠ける。
御朱印に時間がかかるので、その間に拝殿に参る。

拝殿前の扁額は当地の国会議員で内閣総理大臣になった岡田啓介氏による揮毫。
毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3丁目8−1

越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。

何度か参拝しに来たが、やはり宮司に会うことができなかったので正月なら会えるかと参拝した。

境内には藁にくるまれたものが・・・左義長の準備?

冬支度された拝殿に参る。

鏡餅が供えられた拝殿に氏子の方がいらしたので話を聞いてみた。
聞いたところによると、先代宮司が3年前に亡くなり役所勤めの後継ぎが宮司とならなかったため、それ以来氏子総代が神事を代行しているという。定年後に宮司となるかどうかも分からず、御朱印は難しいそうだ。氏子も年老いたものが多くなったので、正月飾りや供物も今日の13時から下げてしまうそうだ。
作業まで少し時間があったのでさらに少し話をしてきた。地元石川では初詣は、住んでいる場所が加賀なら白山比咩神社、能登なら氣多大社、つまり一宮が一番だと思っている方が多いのだが、ここでは氣比神宮へ行くこともあるのか疑問だった。聞くと、二宮となる劔神社なら行くこともあるという。滋賀の多賀神社や伊勢神宮に遠出することもあるといい、石川でも厄年には行くこともあるので同じだった。越前一宮は敦賀市で南の端で山越えになるためどうなのだろうか?と思っていたが、越前市でそうなら、福井市や坂井市ならなおさらであろう。
と話をしている間に氏子の方が集まってきたので邪魔にならないように退散してきた。

普段戸が閉まっていてよく見えなかった拝殿内の扁額が見えた。龍の彫刻で縁取りされたもので、社名は越前藩16代藩主の松平慶永(春嶽)公の揮毫による。

帰りに破魔矢をいただいた。

紙の裏に朱印が押されていた。
地方の神社では神職のみで生計を立てることが難しいことが多く、以前より兼職として教員や役所勤めする人が多い。ただ、戦後公務員は兼業禁止が原則となり後継を断念することも増え、神事の継続や神域の整備が困難になってきている。今回の参拝はこうした事例をまた再認識させられる出来事だった。
日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1

勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。

降りしきる雪の中の参拝。正月の参拝はもう何年目になるか。

今年はさらに雪が少ない。降ればどっと積もるのだろうが、今日は高い段差の階段が一部見えるほどだ。

三社の本殿に参る。昨年白山開山1300年の記念年で賑わった境内は静寂を取り戻した。

社務所で御朱印をいただき、最終周となる白山三馬場めぐりのクリアファイルをいただく。
御朱印からは「白山開山1300年」の印が消え、元に戻った。

クリアファイルは最後の1組だった。三馬場めぐりは3月末まで続くが、予定数が白山比咩神社、長瀧白山神社はすでに終わり、平泉寺白山神社でも自分で終了した。いただけて良かった。
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

永平寺町に鎮座する明神社。主祭神は天照皇大神。

正月なら御朱印を授与しているか確認できると思い参拝し、授与してないことを確認した。

正月らしく飾り付けられた境内。

左手の境内社、河濯神社(瀬織津比売神)と稲荷神社(豊受神)も扉が開けられているのも正月ならでは。

拝殿前には無人授与所が設けられている。

拝殿に参る。正月なので拝殿の扉も少し開いていた。
正面の本殿。神社の由緒書きによると、秋葉社(火産霊神)、菅原社(菅原道真公)、庚申社(猿田彦神)、白山社(伊弉諾神)の四社を合祀したとしている。

しかし、拝殿をよく見ると、本殿右に「八幡社」と「毘沙門天宮」

本殿左に「秋葉社」と「神明宮」と書かれた扁額がかかる。
こういう場合、合祀社を別々に祀っていることが多いのだが、江戸時代は「毘沙門堂」、明治時代は「神明社」と呼ばれていたというので、「毘沙門天宮」「神明宮」は主祭神と同じものか?「秋葉神社」は合祀社の一社だが、「八幡宮」は書かれていない。「菅原社」と「白山社」はどこにもないと何だか不思議な配置だ。
明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12

金沢市に鎮座する神明宮。御祭神は天照大御神と豊受大神。
藩政期に別当等を置かずに神官が奉仕した金沢五社のひとつです。

長い間年末に翌年の干支土鈴をいただいていたので、今年も来ました。
たらよう願い?って最近当宮はおみくじ類が増えましたね。

今年の無事を感謝して参拝します。

拝殿前には花みくじ願いが華やかに飾られている。

御朱印をいただく間、授与品を見たり境内をめぐっていると、授与所前に「願かけねがい石」
こんなのもあったのか。何度も来ていても気づかないものも多い。

干支土鈴は昨年(酉)は気に入った色がなかったので、久保市乙剣宮でいただくことになったのだが、今年はその購入していたバージョンが置いてなかった。
そこで、今年も久保市さんに参拝していただくことにした。今年は金沢らしく金色バージョンが初めて登場した。
愛らしいのでそれをいただいてきた。来年からは定番になるのか?
神明宮
金沢市野町2-1-8

旧松任市に鎮座する守郷白山神社。御祭神は菊理媛命。

玉垣に囲まれた境内の入口に鳥居と横に社号標が建つ。

拝殿に参る。

当宮は拝殿に注目が集まる。

というのも、当宮拝殿は白山寺(現在の白山比咩神社)の本地堂を明治2年に移築したものであり、

境内に建つ社記にも本地堂移築の件を含めた由緒が記載されている。

拝殿内には一緒に移された「白山本地堂」の扁額も架かっている。

拝殿を横から見ると、本来の本地堂の正面(または裏)となり、確かに雰囲気が伝わる。

拝殿と右の社務所の間には御神木の大きな木(イチョウか?)が立っている。

その手前には「木津の大松跡地」と碑が建ち、大松があったようだ。
ちなみに地名の「木津」は「こうづ」と読む。

周囲は住宅地で見えづらいが、冠雪した白山が見え、白山の遙拝所としても良い場所であったのだろう。
守郷白山神社
白山市木津町100

旧松任市に鎮座する八幡神社。御祭神は大鞆和気命、菅原大神。
椋部郷の総社と伝えられ、式内社の神田神社とする説もある。

集落の奥、海岸近くに境内がある。

社前に川が流れ、海まで砂丘が広がる中を道路が横切っている。

社前に変わった形の井戸かと思ったら、地下式の手水だった。
水はすでに枯れているが、砂が飛ぶので地下式にしたのだろうか

鳥居の横に社号標。鳥居をくぐり境内に入る。

振り返ると、一段高い境内からは集落の向こうに冠雪した白山が見える。

拝殿に参る。中に入ろうとしたが、サッシは閉じていたので前で参る。

本殿は拝殿、幣殿とつながる覆屋の中。
拝殿内には県内で4点確認されている石山軍記絵馬があるはずのだが、当宮のものは一番新しい明治9年の奉納。

社殿左手に末社稲荷社が海を背にして建っている。
倉部八幡神社
白山市倉部町1

旧松任市に鎮座する大松神社。御祭神は品陀和気命、天照大神、蛭児命、菅原大神、事代主命。
文徳実録に記される治田若御子神(式外社)と伝えられるが不詳とされる。俗に八田社と呼ばれ八幡神社と称していたといい、八田(はった)という地名が治田と結びつけられたようだ。

境内の先に一の鳥居が建つ。参道に対しては少し斜めだが、鳥居前の広場に向いているようだ。

鳥居をくぐり家々の間の参道を進むと社名標が2本建っている。前のは明治、後のは昭和の皇紀二千六百年記念のときの建立。後の揮毫は陸軍大将で総理大臣となった林銑十郎氏によるもの。
大松神社への改称は八幡神社の境内地に大松がそびえていたからという。
現在も大きな松が立っている。

参道沿いには灯籠など多くの奉納物が建っている。

中にひとつ気になるものが。
「日露戦役記念」とあるが、台の上に飾られているのは何か?

正面を向いていないのでわかりにくいが、どうやら象のようだ。
よく見ると背中が平らになっていて、前は何か上に乗っていたのか?確かに象だけだとバランスが悪い。
戦役記念ということは先年問題とされた砲弾が飾られていたのかも

拝殿に参る。

本殿は拝殿、幣殿とつながる覆屋の中

境内から東に目をやると冠雪した白山や奥の山々がきれいに見えた。
大松神社
白山市八田町290

金沢市に鎮座する子安神社。御祭神は豊玉姫神、武御名方神、誉田別神。
延暦年間の創建と伝えられ、藩政期には三代前田利常公以降、前田家に出産のある時は歴代祈願したといい、産土の八州原の藁を産後に用いるのを例とした。子安の藁が転じて「安藁」となり安原の地名の由来となっている。
明治40年に諏訪社と八幡社を合祀したということで、元の主祭神は豊玉姫神となる。

境内の背後には畑が広がり、前には工場や会社が建ち並ぶ。

玉垣に囲まれた境内入口には鳥居の前に神橋の手すりが奉納されている。他の奉納物をみてもとても信心深い氏子が多いようだ。

鳥居をくぐり、右手に日露戦争から大東亜戦争までの出征記念碑だろうか

左手には力石が並んでいる。

拝殿に参る。

社殿の左に末社の稲荷社が建っている。

本殿は拝殿、弊殿とつながる覆屋の中。
子安神社
金沢市下安原町東467

金沢市に鎮座する須々幾神社。御祭神は味耜高彦根神、伊弉諾神、伊弉册神、蛭児神。
天正15年に小濱神社の境内社であった多賀神社を遷座し、明治元年に多賀神社相殿の蛭児神を分祀して比留児神社を創建、三社あったものを大正14年に合祀した。

神社は住宅街の中にあり、境内をぐるりと囲んでいるため参道は境内以外にはない。

鳥居をくぐり拝殿に参る。

拝殿にかかる社号扁額は司法大臣小川平吉氏の書とあるが、当宮との関係を見いだせなかった。

当宮は養老2年当地に魚取部がおかれ、味耜高彦根神を開墾、農業の神として祀って治田の宮と称したと伝えられ、文徳実録に記載されている治田若御子神(式外社)とされている。やはり地名の「八田」(はった)を治田が由来としているようだ。
魚取部が置かれたところに由来するのか、拝殿には大正期に奉納された金沢市魚市場の扁額がかかる。

拝殿の右には五重の石塔

本殿は覆屋の中になるが、左にかつて庭園が作られていたようだ。

由緒書は編年形式で変わっている。
須々幾神社
金沢市八田町丁57甲

金沢市に鎮座する土清水八幡神社。御祭神は応神天皇。

万治元年8月に五代前田綱紀公が塩硝調合所を土清水村に移してより、初代利家公から三代利常公までを合わせ祀ったと言われ、明治初めに尾山神社に合祀されるまで祀っていた。
といえ、当宮は小立野台地の北の端に建っており、塩硝調合所があった南の台地下とは距離がある。

鳥居の横に大木があり、イチョウだろうか。周辺は住宅地になっているため整備されているが、かつてはもっと森が深かったのだろう。

拝殿に参る。

社殿は拝殿と本殿が一体となっている。
土清水八幡神社
金沢市土清水町6-80

小松市に鎮座する岩上神社。御祭神は大日霊貴尊、天児屋根命、八千矛神。

岩上村は古来岩神村とも呼ばれ、岩神を祀ってきたという

鳥居をくぐり拝殿に参る。

小振りが社殿だが、当宮の古さは後方の山に聳える巨木が物語る。

神社の後方に岩神さまと崇められた大岩がそびえる。巨石の上に乗る岩が烏帽子に見えることから烏帽子岩と呼ばれる御神体だ。

社号や村名もこの岩神さまに由来するものだが、一説では白山信仰に関係する岩神社とも伝えられる。
岩上神社
小松市岩上町ロ158

下呂市に鎮座する森水無八幡神社。御祭神は須佐之男命、猿田彦、応神天皇、御食津神、倉稲魂命、事解男命、早玉男命、大山祇神、火産霊神、大己貴命、埴山姫命、興津彦命。

神社は下呂温泉街の中に鎮座する。温泉街では目立つ鎮守の森です。

神社の収蔵庫には10体の木造神像が保管されているといい、2月の祭事は田の神祭と称し、古来からの民俗芸能だそうです。

社号標や鳥居の扁額は「水無八幡神社」となっており、「森八幡神社」「水無八幡神社」といろいろ呼ばれているが、正式名は「八幡神社」だろうか。

階段の右に大きな社務所が建っている。

境内は巨木に囲まれ、雰囲気のあるたたずまいだ。

拝殿に参る。

拝殿の右に金比羅神社。前に願い石が置かれている。

その右、収蔵庫の横の神社は何だろうか。

神社には不在だが、御朱印は門前の下呂装飾でいただけると情報を入手していた。社前の道路を探していると、近くに見つけたが、会社はすでに廃業しているようで社名が外されていたので最初わからなかった。ご自宅を訪ねて、御朱印について尋ねるとまだあるということでいただいた。金箔を散らした和紙に書かれた御朱印で、とても装飾会社らしく珍しいものだ。
森水無八幡神社
岐阜県下呂市森1321

白川町に鎮座する大山白山神社。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊。
泰澄により養老2年に開かれた北陸七白山のひとつと伝えられ、延喜式賀茂郡大山神社とされる。

今日は秋季大祭の日ですが、今年は鎮座千三百年記念奉祝祭として特別祭事も開催されるとあって、800mを越える山頂駐車場も多くの車が停めてあります。

神旗も空高く掲げられている。

鎮座千三百年を記念した石碑も建てられた。

祭礼の始まりも近かったので階段を急いで登る。

今日は多くの人が来ていて賑やかだ。
始まるわずかな時間に、拝殿の授与所で御朱印について尋ねると書き置きをいただけた。
存在をあまり知られていないためか、他にいただいた方はいなかったようだ。

神事が始まった。

続けて仏事の祭事として経が読まれました。
長瀧白山神社でもそうでしたが、拝殿でお経を読むという祭事は神仏習合の雰囲気を感じることができてよい祭礼でした。

普段無人の拝殿にはめったに入ることはできないので、この機会に天井や扁額などを見学しました。
中央の天井には植物が描かれている。

右の天井には動物(想像上の動物もいる)が

左の天井には人物が描かれている。

よく見ると天井に一番近い壁に三十六歌仙の絵が掲げられている。

本殿の右には光菴神社。中興の祖野原城主安江中務尉基政公と安江一族が祀られている。
上には寛政十二年奉納之絵馬が掲げられている。

左には大黒天と恵比須天が祀られている。
上には明治三十六年奉納の第九師団第十九聯隊の絵馬が掲げられている。日露戦争に出征する前に奉納されたようだ。

外の舞台に移って、子供たちの巫女舞が演じられた。
地元の方は遠慮深いのか、いつも見慣れているのか最前列が空いていたので、最前列で見せていただいた。
今日は来る途中も北陸は雨だったが、祭礼中は上空が晴れて良かった。

伊勢大神楽の流れをくむという獅子舞

稚児舞

神楽陵王の演舞。女性による神楽は初めて見ましたが、女性らしいしなやかな動きでした。

拝殿から餅投げが始まり、氏子たちが餅を取り合います。
自分は景品はいいので3個だけいただきました。
よい祭りでした。

最後に奥宮に参ります。

三棟の社殿を囲む玉垣も完成し、

こちらも完成した展望台からは絶景が望めます。

今日は残念ながら地平線沿いに雲がかかっていたので、白山や御嶽山は見えませんでした。
鎮座千三百年記念奉祝祭
12:00 祭事(神事)
12:45 祭事(仏事)
13:30 巫女舞
13:45 獅子舞
13:55 稚児舞
14:15 神楽演奏
14:25 景品付き餅投げ
大山白山神社
岐阜県加茂郡白川町水戸野1096

下呂市の上呂という地に鎮座する久津八幡宮。御祭神は応神天皇を主祭神とし、相殿に天照皇大神、春日大神を祀る。古くは飛騨国に属し、飛騨二の宮南飛騨総鎮守と称されたといい、先代宮司まで17代に渡り久津家が社家をつとめていたという。

神社に隣接して広い駐車場が整備されている。

社前に線路が通り、鳥居の前に踏切がある。

七五三詣りで祈祷している間に電車が通りました。

鳥居をくぐると外拝殿が建っている。桃山時代の建立。

八幡宮の扁額がかかり、内部は戸がなく吹きさらしになっている。

中央を4本の柱で支えている。

軒下に鯉と矢が対に描かれている。逆光だと少し見にくい。

拝殿の右手に久津八幡神社と称していた戦前の社号標が建っている。

内拝殿で参る。

祈祷を待つ間にゆっくりと社殿を見学する。
室町時代に再建された本殿

伝説の残る鳴き鶯の蛙股

社殿の左に美魂神社。地元出身のご英霊を祀る。

美魂神社の左右に夫婦杉と呼ばれる御神木がそびえる。
祈祷が終了したところで、宮司に尋ねて御朱印をいただく。

拝殿、本殿以外にも神社には宝物が多数残る。
久津八幡宮
岐阜県下呂市萩原町上呂2345-1

白山開山1300年で今年は何度も訪れた白山市に鎮座する白山比咩神社。今年最後の祈願に行ってきました。

冷たい雨の降る中、晩秋の紅葉ももうしばらくでしょう。

今月は七五三で神社が賑わう一月です。

境内には七五三に合わせた案内が多く設置されていた。

ポケットモンスター?

ドラゴンボール

ハローキティ

アンパンマン
とどれも子供が喜びそうですね。

平日の雨降る境内は人もまばら。今年一年を感謝し御朱印をいただいて神社を後にします。

今日の参拝は門前の白山市観光連盟事務局で来年3月の白山検定の申込みが始まったことに合わせたものでした。
この白山検定も白山開山1300年を記念したもので、今回1回限りとなるのか、来年度以降も続くのかはまだ決まっていないそうですが、合格できるように頑張ります。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1

旧織田町に鎮座する劔神社。御祭神は素盞嗚大神、氣比大神、忍熊王。
越前二の宮で延喜式敦賀郡剱神社の論社。

今日は雨の中の参拝となりました。新しくなった北口から参ります。

拝殿に参る。

御朱印をいただき、境内を散策していると、表鳥居近くの庚申宮で紅葉を見つけた。

晩秋の静かな境内でした。
劔神社
福井県丹生郡越前町織田金栄山

小松市に鎮座する小松天満宮。御祭神は菅原道真公、前田利常公。
小松城の鬼門に建てられ、小松城と金沢城の各本丸をつなぐ一直線上にあることから、両城鎮護の神とされた。ちなみに前田家は菅原道真公を先祖としています。

今日は新聞報道があり、小松天満宮に隣接する梯川の環境工事が完了したことから、宝物殿が特別公開されると見て行ってきました。小松城の築城された時代のように梯川の中に浮かぶ浮島のようにするため、分水路を通す工事をしてきました。氾濫する危険もあるため、かなり重厚に防水堤が造られている。

分水路の見学会は終了していたが、宝物特別公開には間に合った。新聞には記載がなかったが、三時まででギリギリだった。

鳥居をくぐり参道を進むと、以前は木造の社務所があった場所にコンクリート造の授与所と

宝物館が建っていた。様変わりしていて少し驚く。
宝物館は氏子らが受付をしていて、中をゆっくり見学させていただく。

授与所も三時までだったので先に御朱印をいただき、参拝に向かう。
分水路完成記念と創建360年記念として漢詩碑が新しく建てられた。

拝殿に参拝する。

拝殿前には今年創建360記念として建てられた能舞台。夏に記念上演もあったが、その時は来ることができなかった。

拝殿と能舞台の距離はこんな感じです。
小松天満宮
石川県小松市天神町1

若狭町に鎮座する常神社。御祭神は神功皇后を主祭神とする。延喜式三方郡の比定社。

常神半島を通る道路以外は深い森の広がる中、一番奥の集落より手前に鎮座する。

入口に「式内 常神社」の社号標が建ち、鳥居と手水舎が並んで建つ。

鳥居をくぐると、右手に社務所?が建つ。屋根の隅に据えられた波を表現したような鬼瓦は手水舎にも同じものが上がっていた。

二の鳥居には「常神社」の扁額がかかり、階段の先に社殿が建つ。

階段を上るとギリギリに拝殿が建つ。

拝殿に参る。鈴の紐が多い。

拝殿と本殿前に「常神社」の扁額がかかる。

奥行きギリギリに建てられた拝殿と本殿

下の境内には宝物殿が建つ。

宝物殿前にコンクリート製の倉庫か何か?と思ったら

中に五輪塔や宝篋印塔が数基納められていた。もともと境内にあったものか、周辺から集められたものか、いずれにしても信仰の深さを感じる。道路から見ると反対側なので気づきにくい。

常神社は常神半島の先端に浮かぶ御神島にもともと鎮座していたという。御祭神の降臨地として旧来信仰対象となってきた。

実は常神社に向かう途中、行き過ぎて先端まで行ってしまった。

折角行ったので狭い路地を抜け「常神のソテツ」を見に行った。

樹齢千年以上と言われる大蘇鉄で、日本北限にあたる。自生か植栽かははっきりしないというが、常神社の信仰にも関係していたのかと想像が膨らむ。
常神社
福井県三方上中郡若狭町常神10-2

小浜市に鎮座する彌和神社。御祭神は三輪大歳彦明神。延喜式遠敷郡の論社。

旧上中町に隣接する小浜市宮川地区にあり、六地蔵堂の横に「式内 彌和神社」の社号標が建つ。

神社は拝所があるのみ

裏手にまわると地区の氏神の八幡神社が鎮座する。彌和神社も八幡神社の氏子により整備されている。

階段の最初の踊り場に境内社が1社と、「権現の神」と書かれた宝篋印塔がある。

次の踊り場には「愛宕神社遥拝所」と書かれた小祠。

中腹の平場には八幡神社本殿の入った覆屋。

八幡神社本殿

帰りにあらためて拝所を見る。山の麓に山に向かって設けられている。

野木山という343.6mの山だが、地元では大戸山とも呼び彌和神社の御神体山のようだ。
彌和神社
福井県小浜市加茂19-11

若狭町に鎮座する波古神社。御祭神は波邇夜須毘古命を主祭神とし、、天照大御神、伊弉册尊を配祀する。延喜式遠敷郡の比定社。

参道に神旗ポールが建っている。

境内入口に「波古神社」の扁額がかかる鳥居と「式内村社 波古神社」と書かれた社号標が建つ。

鳥居をくぐりまっすぐ進むと拝殿が建つ。

拝殿は冬囲いがされ、後ろに本殿が建っている。

拝殿左に不動宮が建つ。かつては御神木の根元に祀られていたようだが、今は倒れてしまったのか?または祀る場所が変わったのか。

一段高い場所に建つ本殿に参る。

庇付き覆屋に本殿が入っている。

本殿には「箱大明神」の扁額がかかる。
波邇夜須毘古ノ神(社主宮、式内波古社)、天照大御神(神明宮)、伊弉冊尊(大将宮)の三社が合祀されている。

本殿左後ろには「祇園神社」の扁額がかかる祇園社(左)と「天満大神」の扁額がかかる天満宮。

本殿左後ろには奥ノ院が建つ。奥ノ院には波邇夜須毘売ノ神が祀られている。主祭神と奥の院祭神が夫婦というのが珍しい。

本殿左に六所大明神を祀る田中権現社と、手前に山神社
波古神社
福井県三方上中郡若狭町堤18森脇16

若狭町に鎮座する恵比須神社。蛭子大神を主祭神とし、陶津耳命、大國主命を配祀する。延喜式三方郡須部神社の論社。

国道から北の集落へ入る道路に燈籠が建っている。

進むと明治五年の燈籠と昭和三年の社号標。須部神社と書かれている。

その燈籠から神社は西へ曲がる。途中の道ばたに石仏や五輪塔を集めた場所があった。

神旗ポールを過ぎると一の鳥居が建つ。

さらに進むと境内入口に二の鳥居が建ち、「恵比須大神」の扁額がかかる。

鳥居の裏に「寿命石」と書かれた巨石と覆い被さるような巨木がある。

表参道は鳥居から左に折れ、さらに右に折れる。

朱色が鮮やかな三の鳥居は正保二年(1645)に若狭藩主酒井忠勝公が寄進したもの。
階段の先に割拝殿が建つ。

割拝殿をくぐると屋根付き廊下を通り拝殿で参る。

割拝殿の左には神輿

右は授与所になっている。

本殿は拝殿と幣殿でつながる。

拝殿横に鎮座する狛犬は少し潰れた顔だが、見ていると段々愛らしく見えてくる。

本殿の周りを時計回りに境内社などに参拝する。
恵比須さんということもあってか、鯛の銅像が奉納されている。

「少彦名命」の扁額がかかる少彦名社。

天満宮。以上二社が本殿の左に鎮座する。

階段の途中に「倉稲魂命」の扁額のかかる稲荷社

階段の上には皇大神宮

本殿右後ろ角に日枝社が建つ。

その裏に宮司宅があり、その途上に「西神社 是ヨリ三丁」という燈籠がある。文化三年の銘が入っているので藩政期はやはり「えびすじんじゃ」のほうが通称として通っていたようだ。

本殿の右に八幡宮

「大國主命」の扁額がかかる大國主社の二社が建つ。

一段下に養老年間から残っているという井戸がある。

井戸近くの境内社には扁額がないが水神だろうか

授与所で御朱印をいただく。かつては「須部神社」の朱印を押していたこともあったようだが、現在は「恵比須神社」に変わっている。
えびす飴が売っていたので袋を買ってきた。おいしい飴だった。樽のほうも気になるなー

境内入口に建つ建物はなんだろうか?と思っていたが

廊下と建物の形状から能舞台かとも思ったが、中をのぞくと松の絵もあるしやはり能舞台のようだ。
恵比須神社
福井県三方上中郡若狭町末野字神ヶ谷36-11

若狭町に鎮座する闇見神社。御祭神は沙本之大闇見戸賣命を主祭神とし、菅原道眞公と天照大神を配祀する。境内の御由緒には沙本之大闇見戸売命、菅原道真公、上下宮が祭神で、明治42年に近隣の六社を合祀したと書かれている。上下宮とは賀茂の上下神のことだろう。延喜式三方郡の比定社。

参道が東の山手に延びる。

振り向くと西にも参道が続いているようだったので、参拝後に行ってみた。

集落内に「郷社 式内 闇見神社」という社号標が建つ。

近くには若狭天神と呼ばれる当社に牛の石像が奉納されている。

闇見神社から滋賀県高島市の酒波寺若剱神社への峠道「近江坂古道」の起点となっているようだ。

鳥居の脇に大きな木がたっている。社叢は深い。

鳥居の先には階段が続く。

階段の途中、左手に中はほとんど空洞となっているが、御神木が霊気を放っている。

階段を上がると正面に拝殿。ここで4月5日王の舞が奉納される。

左手に社務所

右手に祈祷所と書かれた旧社務所が建つ。

祈祷所の中に、木像の大きな牛が奉納され、授与品も置いてある。御朱印も書き置きがあるはずだったが、今日は売り切れ。神職に電話したが、今日は用事があるということでまたの機会にする。

拝殿の後ろ、一段高い場所に本殿が建つ。

拝所付きの覆屋の中に本殿が鎮座する。

中央に「闇見神社」、右に「天満大神」、左に「天照皇大神」の扁額がかかる。
本殿に参る。
闇見神社
福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水12-7

若狭町に鎮座する能登神社。御祭神は大入杵命を主祭神とし、誉田別命を配祀、大山祇命、大山咋命、加茂大神、大鷦鷯命を合祀する。延喜式三方郡の比定社。
主祭神の大入杵命は、第10代崇神天皇の皇子で能登臣の祖とされる。彌美神社の主祭神の室毘古王とは、従兄弟になるという。

参道は西から東へ延びる。集落の中に「村社 式内 能登神社」の社号標と燈籠が建つ。

参道途中に国道27号線が横切っているが集落内を通る道路がかつてのメイン道路なのだろう。

参道を進むと神旗ポールが国道の手前と奥に2組ある。

社叢の入口に鳥居が建ち、鳥居の前を八幡川が流れ、八幡橋がかかっている。橋名からわかるように配祀された八幡神のほうが表に出た時代があった。

社叢は深く、大きな木も多い。

鳥居の先には広い境内がひろがる。

境内右手に手水舎、社務所が建つ。

社殿は西向き。階段をのぼると拝殿が建つ。

4月15日の春季例祭には王の舞が舞われる拝殿

本殿も拝殿同様、常時雪除けのトタンを付けたままになっている。
能登神社
福井県三方上中郡若狭町能登野字森ノ本19-3

若狭町に鎮座する天神社。御祭神は菅原道真公。延喜式三方郡山都田神社の論社。

最初参道途中からアクセスしたが、集落内に参道が通り、入口に「村社 天神社」の社号標が建つ。

参道は杉並木になっているが、あまり手入れ(枝打ち)はされていない。

参道を行くと鳥居の前に鳥獣柵がある。

開けて入ると鳥居の先の石段の向こうに社殿が見えてくる。

社殿と思ったものは覆屋だった。

中に同規模の本殿が2つ並んでいる。
右に梅鉢紋が付いているのが天神社、左が山王社。

右の壁に牛の絵馬がかかる。銅像や石像ではなく絵馬で牛が奉納されているのはあまり見ない。

左の壁の絵馬は枠が壊れているが、山王社の神使、猿のようである。

境内には他に建物はないが、右手の森の中に「奉焼地」という石に囲まれた場所があった。
「奉焼」とは戦中に軍旗を燃やしたことをいうようだ。

その後ろに石像が埋もれている。2つの仏像のようだが風化していて判別できない。
天神社
福井県三方上中郡若狭町佐古22

美浜町に鎮座する彌美神社。御祭神は室比古王、建御雷神、天兒屋根命、布都主神、比咩大神、大山祇命。
延喜式三方郡の比定社。

神社からかなり西に行った所に社号標が建つ。「式内 縣社 彌美神社」と書かれている。

近くに建つ看板は若狭地方の数社のみに伝わる王の舞。この社では5月1日に行われる。

一の鳥居の前に石碑が建つ。

東側は六地蔵が浮き彫りされている。西側には五輪塔が掘られている。

鳥居の先を行くと階段を登り参道が延びる。

参道の右側に宮司宅、

社務所が並び

さらに行くと四脚門の二の鳥居が建つ。

鳥居をくぐり左方の大きな木の下に石碑が建っている。

「皇孫ニニギノ尊宮殿の郷」
天孫降臨神話の中にある「笠沙の御前」は常神半島と解釈して、宮代の地名が宮殿の存在を示すという説があるようです。

右手には神楽殿

階段を上ると拝殿が建つ。

拝殿の左に境内社が1社。

拝殿の左前に樹齢約700年の杉の御神木が立つ。

本殿は拝殿の後方に独立して建つ。右に境内社が1社ある。

本殿に参る。

本殿に書き置きの御朱印があったのでとりあえずいただく。

境内に南接して園林寺という寺が建っている。
もと別当寺だったか、塔頭だったかのか分からないが、

寺の境内にも社が数社あり、一番奥の社に雨宝童子が祀られているといい、この像が天照大神が日向に下向した姿であるとか、ニニギノ尊の姿であるとか言われている。
境内を散策している内に、宮司さんが本殿にいらしたので御朱印をお願いして書き置きは返し、入口の社務所まで戻って御朱印をいただいた。
彌美神社
福井県三方郡美浜町宮代7森下2

美浜町に鎮座する伊牟移神社。御祭神は國常立命を主祭神とし、伊弉册尊、誉田別命、天津兒屋根命、市姫大神、誉田別命、大日孁貴命、伊弉諾尊、建御名方命を配祀し合祀社の御祭神が多い。延喜式三方郡の論社だが、合祀した射矢神社を論社としているらしい。当地は改称前の金銀子神社の鎮座地で、射矢神社は伊屋山の山頂に鎮座していた。

美浜町役場に隣接し駐車場には困らない。
参道は西に延びていて、南にはすぐ田が広がっている。入口に「式内 村社 伊牟移神社」と書かれた社号標が建つ。

参道を行くと燈籠と鳥居が建つ。

鳥居の先、社叢に包まれるように社殿が建っている。

拝殿に参る。

拝殿前に2本の杉が高く聳える。田の中にあって社叢の森は目立つ。

拝殿背後の本殿は覆屋の中にあるようだ。

拝殿右に境内社が1社ある。

神馬舎には栗毛の馬が納められている。伏見宮家御下賜品のようだ。

到着した頃から地元の方が集まってきていましたが、境内の清掃でもするのかと思っていたら、ちょうど今から拝殿の冬支度をするところだった。お邪魔になってはいけないので帰ることにする。
伊牟移神社
福井県三方郡美浜町郷市25-16