金沢市に鎮座する尾山神社。2月の御朱印の印は、梅の季節ということで前田家の家紋剣梅鉢紋そのものです。今月から右上の印が変わった。
朝肌寒かったけど、日中はぐんぐんと気温が上がって暑いくらいでした。
2月とは思えない全く雪のない境内
とはいえ、境内の紅梅は今日の晴天にも誘われて次々と開花している。
白梅は風に揺られて花びらが開いてしまったものもある。
庭園のせせらぎでは黄色の花が咲いていた。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市に鎮座する尾山神社。2月の御朱印の印は、梅の季節ということで前田家の家紋剣梅鉢紋そのものです。今月から右上の印が変わった。
朝肌寒かったけど、日中はぐんぐんと気温が上がって暑いくらいでした。
2月とは思えない全く雪のない境内
とはいえ、境内の紅梅は今日の晴天にも誘われて次々と開花している。
白梅は風に揺られて花びらが開いてしまったものもある。
庭園のせせらぎでは黄色の花が咲いていた。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
高岡市に鎮座する射水神社。御祭神は二上神とも称される瓊瓊杵尊。
高岡城跡本丸に鎮座し、内堀の向こうに白銀の薬師岳が見える。
冬に参拝するのは初めてだ。
雪吊りしている木が夏とは違う雰囲気を醸し出している。
拝殿に参る。
酉年の大絵馬。
射水神社
富山県高岡市古城1−1
富山市の呉羽山に鎮座する豊栄稲荷神社。御祭神は宇迦乃魂神、佐太彦神、大宮乃売神。
社殿は北向き。神社は富山藩第二代前田正甫公が創建した。
拝殿の覆い屋の中に本殿を置く。
中央が稲荷大神。右に摂社薬祖社、御祭神は少彦名神、前田正甫公、前田利保公、万代常閑翁、日比野小兵衛、松井屋源右エ門、八重崎屋源六、医薬・売薬の発展に貢献した御霊。左に摂社成就天満宮、御祭神は菅原道真公、前田家の祖先神。
拝殿左に末社祖神社、御祭神は天照大御神と八百万の神々。
拝殿右に末社呉羽社、御祭神は秦伊呂具公、呉羽女、綾服女。
社務所はあるが常駐はしていない。富山市に来た時などに寄ることにして、今日で6、7回目の参拝になろうか。今日は縁あってたまたま祈祷の方がいて宮司がいらした。御朱印をお願いすると快く書いていただいた。
豊栄稲荷神社
富山県富山市茶屋町7511
南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大国主命。
大鳥居を通って神社に向かう。
社前の田はまだ一面の雪に覆われていた。
境内にも一部雪が残る。雪吊りがアクセントになって境内を彩っている。
拝殿に参る。
酉年の大絵馬を見て飛躍を誓う。
高瀬神社
富山県南砺市高瀬291
金沢市に鎮座する金沢神社。初天神となる1月の天神月次祭に行ってきました。
今年の金沢は積雪が少ないのですが、昨日からは少し積もりました。
池も半分以上氷が張っている。
歩くのに支障なければ雪景色も味わい深い。
この1年で金沢は平日でも観光客が増えた。外国の方も増え、兼六園に近い金沢神社でも見かけるようになりました。
今月で天神月次祭に通って1年が経った。一月抜けているがそこは良とする。
金沢神社では今年から佐々木泉景が描いたと言われる天井絵から十二支の絵馬を順次つくることになった。通常の絵馬より一回り大きく、地元新聞にも記事が出たことから初回分がなくなり、今日ようやく再入荷したということで運が良かった。来年から11年毎年1月に参拝することにする。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
越前町に鎮座する剱神社。御祭神は武甕槌命。延喜式丹生郡の枚井手神社の論社のひとつ。
社殿は南向き。
拝殿に参る。
拝殿の扁額は「剱大神」
本殿の大棟が瓦ではなく石製となっている。
拝殿右に境内社が並ぶ。手前より稲荷神社(保食命)、太子廟(聖徳太子)、剱神社(素戔男命)、天満宮(菅原道真公)、秋葉神社(火産霊命)
剱神社
福井県丹生郡越前町平等54-1
越前市に鎮座する雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は水波乃売命。延喜式丹生郡の論社のひとつ。
岡本山の頂上に鎮座する。
南麓の岡太神社の境内から岡本山への登り口がある。
上っていくと社がひとつと
後ろに西国三十三観音堂が立っている。
ここからは越前富士として知られる日野山がよく見える。
西国三十三観音堂の後ろに北の方へ尾根道が続いている。
途中までは全く雪もなかったが、頂上が近づいてくるに従いうっすらと雪が残っていた。
頂上には石祠が立っている。岡本山はここが行き止まりなのだが、元々はここは中央で北半分が開発で削られてしまったという。
石祠の裏には「雨夜神社 岡本山上宮 祭神水波乃売命 昭和五十一年六月建之」と書かれている。山頂から南麓の岡太神社に遷座したとされるが、祭神は異なっている。
雨夜神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する岡太神社。御祭神は大山咋命、天照皇大神。延喜式丹生郡の雨夜神社の論社のひとつ。
社殿は岡本山の南麓に鎮座する。
境内の入口に二の鳥居が立つ。
鳥居の扁額は「白山神社」、旧社名だろうか。
拝殿に参る。
本殿は拝殿と長い弊殿でつながる。
岡太神社
福井県越前市岡本町21-18
越前市に鎮座する帆山神社。本来の「帆」の文字は「火」偏に「几」であるが当用漢字がない。御祭神は別雷神を主祭神とし、天照皇大神と豊受神を合祀する。延喜式今立郡の比定社。
帆山公園に駐車し歩くことにする。帆山公園の西南隅に石碑と櫻の木が一本ある。
継体天皇お手植えの櫻で、児安神を祀った帆山神社の摂社であるという。
帆山公園の東に少し歩くと社名標はないが旗竿が立っているので。ここから山の方へやや北東方向へ歩いて行く。
やがて住宅地を抜け帆山の麓に鳥居が見えてくる。社殿は西向き。
赤い木製の四脚鳥居と奥に石製鳥居が立つ。
幸い雪が少ない。階段を上って行って振り返ると西に雪を被った端正な山が見える。鬼ヶ岳であろうか。
拝殿に参る。
拝殿右に境内社。鯉の滝登りの彫刻が施された凝った社殿。
帆山神社
福井県越前市帆山町33-6
旧押水町に鎮座する八幡神社。御祭神は誉田別尊を主祭神とし、伊邪那岐命、道反大神、軻遇突智命、表筒男命、大山咋神、天児屋根命を配祀する。
延暦年間に、宇佐八幡宮の神勅によって蝦夷征伐に出た坂上田村麻呂が、その帰途川尻湊に上陸し宝達山に登って当地に滞留、正八幡宮を奉祀して鉾一振と矢一羽を奉納したのが創祀であり、地名の上田村の起源と伝わる。明治40年、上田の秋葉神社(軻遇突智命)と春日神社(天児屋根命)、上田出の塞之神社(道反大神)、門前の日吉神社(大山咋命)、中野の白山神社(伊邪那岐命)、三日町の住吉神社(表筒男命)を合祀する。
社殿は南向き。社殿は深い森に囲まれている。
境内には高木も多い。
拝殿に参る。
注連縄は見たことのない形式。鏡餅にも添えられるウラジロとユズリハが紙垂とともに吊られている。境内のすべての注連縄がそうなっている。後で宮司にお話しを聞いたところ、昔からの風習で県内で他に例はなく、高野山の塔頭で見たとのこと。正月飾りも同様で、真言宗系の修験道の影響が残っているのかも。
というのも、拝殿の左にはどう見ても寺の建物にしか見えないものがあり、宮司によるとこの辺りには宝達山の真言宗系の修験道が盛んだった地で、いくつも寺院があったという。この建物は唯一残る真言宗修験の寺の本堂だという。寺の名前はちょっと忘れた。
この本堂と隣の参集所の裏(西)にはかつては庭園であったと思われる石塔や庭石が残っている。
拝殿の右、「古宮社おまいりください」と書いてあったので古宮社に参る。
中をのぞくと地蔵菩薩や不動明王などの石仏が飾られている。神仏分離前の御本尊であったのか、周辺の道端などの祠にいたものなのか分からないとのこと。神と仏が同居する不思議な境内です。
境内東に社務所兼自宅があり、参集所に移動して御朱印をいただき、その後少し話をさせていただきました。神社の東に少し移動すると、東に宝達山が見える。
八幡神社
羽咋郡宝達志水町上田チ189甲
大聖寺に鎮座する愛宕神社。御祭神は火之迦具都智神。大聖寺町及び江沼一郡の鎮火守護の神。
高台の境内
社殿には大聖寺川が流れる。
階段を上って境内に入る。
拝殿に参る。
拝殿に天狗の面が架かっていた。
社殿左横の社務所で御朱印をいただく。今回2回目の参拝で、前回は留守であったが、今日は正月三が日ということで社務所は開いていた。
愛宕神社
石川県加賀市大聖寺岡町イ3
旧清水町に鎮座する賀茂神社。御祭神は賀茂別雷命、賀茂玉依姫命、大国主命、伊賀古夜比売命、賀茂建角身命、神武天皇、弓矢大神(武甕槌神・経津主神)、鵜草葺不合命、八幡大神(應神天皇・神功皇后)と多い。現在は加茂町と称しているが、合併前は清水町加茂内という住所で賀茂神社を中心とした元神領だったのではないだろうか。
清水西小学校への坂道を上がり右に曲がる。
元禄期に建立された大鳥居。
「賀茂上下大明神」の扁額が架かる。
社殿は南向き。拝殿の前に平成20年に勧請された下賀茂神社の干支守護社となる。
拝殿の後ろに本殿、その右に境内社の祇園社が祀られる。
拝殿の扁額は「式内雷神社」。延喜式の丹生郡雷神社の論社のひとつ。
御朱印は拝殿に併設する授与所でいただいた。初詣でお守りを買い求める人の中で御朱印をいただく人など他にはいなかったが、巫女は忙しそうではあったが宮司は時間を持て余しているように見えました。ネットでは墨書きで「賀茂神社」と書いてあるものが多いが、「賀茂上下大明神」の印に変わっていた。
賀茂神社
福井県福井市加茂町
旧武生市に鎮座する大虫神社。主祭神は天津日高日子穂穂出見尊、延喜式の丹生郡大虫神社の比定社。
天正11年に同じく丹生郡小虫神社、丹生郡雨夜神社、丹生郡雷神社と若宮神社を合祀する。小虫神社も比定社。雨夜神社と雷神社は論社のひとつ。合祀社の御祭神、豊豐玉姫命、水波之売命、鵜鵜草葺不合尊を配祀する。
一の鳥居。北に向かってまっすぐの参道
二の鳥居をくぐって大虫川を渡る。
大虫川には大正建造のレンガ造のアーチ橋が架かる。
境内に入る前に三の鳥居をくぐる。
拝殿に参る。拝殿の後ろに本殿。本殿の左右に摂社が一社ずつ。いずれかは塩筒神社。
本殿の左方に泉水。
本殿左に末社大岩神社と後ろにお岩神といわれる磐座がある。
本殿の後ろに収蔵殿。御祭神天津日高日子穂穂出見尊と摂社の塩椎の御神像を収蔵している。平成9年の二千年大祭に合わせて本殿から遷座されたという。
拝殿左に祖霊社。宮司の岡野家の祖神が祀られている。
神社の東には長屋門も残る宮司家が建つ。今日は留守のようで御朱印はいただけなかった。
大虫神社の近郊には奈良時代に大寺院があった。
そこの塔跡が発掘で見つかり復元されている。
塔の中心の心礎の石も見つかっている。
[2019/11/16追記]
何度訪れても隣の宮司宅は不在で、祭礼に来ないと御朱印はいただけないかと思っていたら、当社は総社大神宮の兼務社になっていて、そちらの社務所でいただけることがわかったので行って来ました。
大虫神社
福井県越前市大虫町21−27-1
旧武生市に鎮座する五皇神社。御祭神は応神天皇、稚野毛二派皇子、太郎子、汗斯王、継体天皇の父彦主人大公の祖宗五柱の神霊を祀る。
継体天皇が即位以前に味真野に暮らしていた頃に、学問所、文庫を置いたところと伝わり文室という地名になった。文室は今は越前万歳の里として知られる。
その頃は五皇宮と号し、堂ノ谷にあったという。堂ノ谷ってどこだろう?
神社は集落の最奥に鎮座し、一の鳥居をくぐり、二の鳥居から先は長い階段を上る。
階段の途中、右に滝が落ちている。落差2mほどで滝行も行えそう。
大きな楼門をくぐり、さらに階段を上って拝殿に至る。
拝殿に参る。
拝殿右手に神輿殿。
本殿の右のさらに上方に境内社が一社。
下に石碑が建っている。上の境内社が大洗磯前神社、神明神社、木留神社の合祀社なのだろうか。
帰りに楼門の段にある社務所に立ち寄る。返事がないので留守のようだった。
五皇神社
福井県越前市文室町35−2
旧今立町粟田部に鎮座する岡太神社。御祭神は建角身命、國狭槌尊、大己貴命で、継体天皇を配祀する。
南向きに参道が延びる。
朱色の大鳥居をくぐって境内へ。
迎春と迎えてくれる。
両側の竹飾りはこの地方独特のものか。
拝殿に参る。
階段を上り、本殿に参る。前回の参拝は昨年2月の蓬莱祀(おらいし)のときだったので、やはり冬囲いされていた。次は違う季節に参拝したい。
本殿右に須波阿須疑神社
本殿左に貴船神社
本殿の左方に石祠が2基建っている。
本殿の右方に石碑。当地は謡曲花筐(はながたみ)ゆかりの地である。
境内社をめぐる。拝殿の右上方に神明社と石祠の稲荷神社。ともに別当寺だった粟生寺の守護神であった。
花筺会館の東にある天神社。御祭神は少彦名命、後世に菅原道真公が合祀される。佐山天神地区の氏神。境内の白樫は樹齢300年近い。
佐山姫公園の北側の秋葉神社。
秋葉神社の上方に不明の石祠。
秋葉神社の西へ進むと出雲社。
出雲社の右から琴弾山に鎮座する金刀比羅神社への入口がある。鳥居の赤い注連縄が変わっている。
10分ほど登ると金刀比羅神社に着く。拝殿右に大きな岩肌がむき出しの磐座がある。
今日は小雨で下が霞んでいたが、晴れていれば町が一望できる絶景スポットだろう。
花筺公園に隣接して佐山姫公園がある。この辺りが継体天皇が妻の佐山姫と暮らした館跡と伝えられる。
継体天皇の皇子、安閑天皇と宣化天皇の産湯の池と伝わる皇子ヶ池。六角形の玉垣は天保元年に継体天皇1300年祭を記念して地元で造営されたものらしい。
玉垣内には中央に石が据えられている。もとは宮内庁管理であった聖地で、現在は国有地となっている。
御朱印は社務所が開いていなかったので、拝殿左方の境内にある自宅でいただいた。宮司が拝殿に上がっていたので、代筆しましたと恐縮されたが、逆に心遣いさせてしまったようで申し訳なかった。
岡太神社
福井県越前市粟田部町大山19
金沢市の尾山神社。県内でも有数の初詣者が訪れる神社です。
今日2日の天候に恵まれたので、初詣に大勢の方が来ていました。
到着したときは境内の中程までの行列。御祭神の前田利家公とまつ様に今年の安寧を祈り、御朱印を探して境内の授与所をウロウロと・・・
平生は拝殿左の社務所附属の授与所でやっているのを今日は行列が長かったので、境内の中の新設された授与所の方で御朱印を探してみました。お守りとか御札とかと一緒に前に並んではいなかったけど、後ろの方をみると御朱印と書かれた箱が見えて、ようやく入手できました。書き置きの御朱印は初めていただきました。ひとまわり小さな御朱印です。
帰り際、参拝の行列は神門を過ぎて階段まで続いていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市に鎮座する金沢神社。終い天神となる今年最後の天神月次祭に参拝してきました。
冬支度で階段が板敷きになっていました。今日は絵馬やおみくじも来年に備えて今まで掛けられたものを外していました。
日曜日とあって受験を迎えた受験生がひっきりなしに参拝に来ていました。
合間を縫って御朱印をお願いしました。週末は宮司が忙しいためか他の方が墨書きするので字がいつもと全く異なります。
朝着くと、白鷺が池の底をかき回して餌を啄んでいました。
池には松や雪吊りが映り込んでとても美しかった。
来年は鳳凰のように飛躍したいものです。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
今月は少し早めに尾山神社に参拝してきました。12月の印は扇に梅鉢紋。
今日は晴れていたが、肌寒かったこともあり参拝者は少なく、巫女さんに御朱印をゆっくり書いていただけた。
今回の御朱印は墨書きも印も丁寧でとても良い。
隣接する金沢城玉泉院丸。鼠多門復元のための発掘調査が行われているが、復元されれば鼠多橋で尾山神社と玉泉院丸がつながり、新しい回遊ルートが生まれる。
金沢の庭園は雪吊りがされる冬がやはり美しい。
冬の澄み切った空と池に映り込む雪吊り。晴れの少ない金沢では数えるばかりしかないが、是非楽しみに来てほしい。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
高浜町に鎮座する青海神社。延喜式内の古社で、御祭神は椎根津彦命、八幡神と稲荷大神を合祀している。
参道の入口を国道27号線が通り、交通量も多い。
冬は夕暮れが早い。薄暗くなっていたが参拝してきた。
17代履中天皇の息女、飯豊青皇女は青海皇女とも言われる。
参道を進み第一鳥居をくぐる。境内では落ち葉を燃やしていた。
清掃中の宮司に会釈して拝殿に詣る。
時計回りに本殿をまわる。本殿に裏に禊池が残る。
青海首の御祖神である椎根津彦命を慕って拝礼される時に青葉山を仰ぎつつ潔斎をした池と伝わる。
禊池の左方からは青葉山を遙拝することができた。
本殿右に三社の合祭殿。その後ろに八幡神社と稲荷神社が建てられていた。
帰りに清掃中の宮司に御朱印を有無を尋ね、社務所で御朱印をいただいた。
石川県羽咋郡志賀町に高浜町という場所がある。ここ大飯郡高浜町の漁師が集団で移住した土地で、確かに高浜神社の由緒書にそのようなことが書かれていたような。隣県の私にも縁のある土地でした。
青海神社
福井県大飯郡高浜町青15−1
高浜町に鎮座する日置神社。御祭神は応神天皇。当地を拠点にした日置臣の御祖神らしい。
神社は丘を南に少し登る。舗装された道路が延びている。
入口の左に社。山の神ノ社とある。
杉の並木の間を参道が続き、左奥に境内が見えてきた。
森の中で少し薄暗いが、雰囲気のある社叢。
覆屋の中の本殿に詣る。
本殿左に境内社が一社。
帰り道、正面に青葉山が大きく見える。この丘は青葉山を遙拝するにも絶好の場所であっただろう。
日置神社
福井県大飯郡高浜町日置49−23
小浜市に鎮座する小浴神社。御祭神は若狭彦神、若狭姫神。現在若狭彦神社の境外末社となっている。
神社は西向きに鎮座する。
鳥居正面の道は小さな川(用水?)までで行き止まり。支柱は参道入口の印なのか、それとも手水を取る場所の印か。
鳥居に「小浴神社」の石額。社標は「末社 小浴神社」とある。
鳥居をくぐって左の建物は、拝殿でもある舞殿か。
本殿に詣る。
本殿の扁額は「小南神社」。当地は「小南」と呼ばれていたそうで、そのため国分寺近くにあった若狭国惣社、小浴神社の論社とされたようだ。
本殿左後方に境内社が一社。
小浴神社
福井県小浜市金屋
小浜市に鎮座する多田神社。延喜式内社に比定される古社。御祭神は大己貴命、応神天皇を配祀する。
多田神社から少し南に行けば多田寺がある。多田寺は多田神社の神宮寺として建立された寺で、さらに南方には役行者が修行した霊山である多田ヶ岳がある。
鳥居をくぐると参道、階段を上がる。
拝殿の後ろに本殿。本殿は拝殿よりさらに一段高くなっている。
本殿に詣る。
本殿右に三社合祀殿。左から廣嶺社、愛宕社、大神宮。
本殿左に三社。左から若宮社、六所神社、山神社。
多田神社
福井県小浜市多田16宮ノ下9
金沢市の尾山神社。11月の御朱印は雪の結晶の印です。結晶の中心が剣梅鉢紋となっている。
11月は七五三の季節。朝から冷たい雨が降った今日も綺麗な着物を着せられた子供たちが来ていました。
紅葉の季節も終盤。寒い季節が間近に迫っている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
岐阜県大垣市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主櫛甕玉命。延喜式内社の比定社。
持統天皇が神宮に行幸したときに同行した三輪朝臣が創建したという。
境内の前を伊勢街道が通る。
伊勢街道沿いに杉の並木が天を衝くようにそびえている。
冬の夕暮れは早く、薄暗い中での参拝となった。
本殿の左に稲荷神社。
本殿の右に神名神社と他境内社が2社。
春分と春分の日には境内から鳥居の真ん中に朝日が昇るという。
次は明るいうちに参拝したい。
大神神社
岐阜県大垣市上石津町宮194の1
いなべ市藤原町に鎮座する鳴谷神社。臨済宗聖寶寺の鎮守として創建された。
明治以前は日吉山王社といわれ、御祭神は大山咋神。
御朱印は2枚見開きで書いていただけます。当日は聖寶寺のもみじまつりの日で、観光客がどっと繰り出しており、御朱印も順番待ち。とても丁寧な宮司で1人10分ほどもかかるので相当待ちました。でも、かわいい三猿の印もあり女性にも人気のある御朱印です。
第一鳥居の右を進み、長い階段を上ると聖寶寺。
石橋を渡り第二鳥居をくぐると、
左右に狛猿がおわす。
猿は山王さんの神の使いとして、山王社の本社である日吉大社にもおわす。
拝殿左前に八天宮社。火産霊神、軻遇突智神、大山祇神、市杵島姫命、琴平大神、稲倉魂神、豊宇迦比売神、猿田彦命の八柱。
拝殿と本殿の間にそびえる二本の杉のご神木が立派です。
鳴谷神社
三重県いなべ市藤原町坂本松原83
揖斐川町に鎮座する三輪神社。御祭神は大物主大神。揖斐郡の総鎮守として崇敬を集めてきた。
御朱印は境内入り口の授与所でいただける。宮司は七五三で拝殿にいらしたので書き置きでした。
街中にあるため境内はそう広くはないが、鳥居横に数台の駐車場がある。
諏訪大社の御祭神建御名方富命が当地に三輪神社を造営され、三輪明神を祀られたという。
拝殿に詣る。
拝殿の後ろの高段に本殿が鎮座する。
本殿の左に神明神社と春日神社。
本殿の右に三霊神社。揖斐領主岡田家の初代善同、二代善政、三代善明を祀る。
赤い高欄が印象的な舞殿。
境内には西尾氏三万石の居館、揖斐西尾城の土居と堀の一部が残っている。
御朱印をいただいて振り返ると・・・!顔出しパネル好きにはたまらないものが
神官姿のパネル初めて見るな。
三輪神社
岐阜県揖斐郡揖斐川町三輪1322
根尾能郷に鎮座する白山神社。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱。
旧大野郡西根尾村であり、延喜式の美濃国大野郡花長神社の論社のひとつである。
元宮は奥宮として能郷白山の山頂近くにあるため、能郷白山神社とも言われる。
拝殿に掲げられた「猿楽」の看板が印象的。
というのも、「能郷の能・狂言」として国重要無形民俗文化財に指定されている。
拝殿は舞殿であり、背後の階段を上って高台にある本殿に至る。
階段を登り始めた脇に境内社が一社。
本殿は大きく、彫刻も多数施されている。
この村は古来より能郷白山への登山口となっている。現在は岐阜・福井の県境の温見峠から登山する方が多いようだ。
白山神社
岐阜県本巣市根尾能郷
おおい町に鎮座する静志神社。御祭神は少名毘古名神。
神社は父子集落の最奧に北向きに鎮座する。
鳥居をくぐって境内に入る。
拝殿の前にご神木となっているスダジイの巨樹がある。
拝殿と本殿はつながり、本殿は覆屋の中。
本殿右に境内社が一社。
昔建物があったと思われる基壇が残っている。
社前からは田畑と父子集落、その先に小浜湾、大島半島が見える。
静志神社
福井県大飯郡おおい町父子46-1
おおい町に鎮座する大飯神社。延喜式内社の比定社。
御祭神は大飯鍬立大神、大飯田郷開拓の祖神七柱と伝えられる。
森を背後に鳥居が見える。
社前には豊かな田畑が広がる。
第二鳥居の向こうに社殿が見えてくる。
参道は階段を上って建物に遮られる。左に新しく手すりのついたスロープが設けられている。
その建物は渡り廊下もあり能舞台にも見えるが、舞殿であろう。
正面は本殿を向いており、若狭地方に広く伝わる王の舞のようなものがかつては舞われた場所であろうか。
拝殿の前に2本の杉のご神木が林立する。
拝殿の後ろに本殿。拝殿に詣る。
本殿左に境内社、天満神社。
大飯神社
福井県大飯郡おおい町山田4-1