金沢市の尾山神社。10月の御朱印をいただいてきました。
10月は鈴の付け根が梅鉢紋となっている。鈴は天の岩戸の前で天鈿女命が舞ったときにも持っていた神聖な祈りの道具
来月には七五三。神社が賑わう季節になる。
平日の境内は外国からの観光客のほうが多いくらいだ。
境内には加賀藩の和算学者で西洋数学を研究・普及に尽力した関口開氏の顕彰碑が立てられている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
金沢市の尾山神社。10月の御朱印をいただいてきました。
10月は鈴の付け根が梅鉢紋となっている。鈴は天の岩戸の前で天鈿女命が舞ったときにも持っていた神聖な祈りの道具
来月には七五三。神社が賑わう季節になる。
平日の境内は外国からの観光客のほうが多いくらいだ。
境内には加賀藩の和算学者で西洋数学を研究・普及に尽力した関口開氏の顕彰碑が立てられている。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
石川県志賀町に鎮座する松尾神社。御祭神は大山咋命、玉依比売命。
承和元年(834)に山城国松尾神社(松尾大社)から勧請されたといい、茅葺きの拝殿は県内でも珍しい。
町居ほか二町の惣社として崇敬を集めてきた。
奧の丘に上には北陸観音霊場でもある松尾寺。松尾寺は松尾神社の別当寺として古来管理してきたものと思われる。
それにしても神社と寺の名前が同じ場所も珍しい。
重要文化財になっている本殿は中にあって見られなかったが、拝殿を見るだけでも一見の価値のある神社である。
松尾神社
石川県羽咋郡志賀町町居カ4
小松市に鎮座する石部神社。延喜式内社の比定社で、加賀国府があったときは府南社と言われ加賀国惣社であった。地名の古府は加賀国府があったことに由来し、国府の南に惣社があったため府南社という。御祭神は櫛日方別命。
参道入口の社標柱。「加賀国惣社府南延喜式内石部神社」と書かれている。
神社は旧加賀国府に向かって北向きに鎮座する。
鳥居をくぐると右手に由緒書がある。
階段を上っていくと、やがて参道は左に折れる。社殿は西北向き。
拝殿に参る。
社前で神社総代の方を待つ。兼務社であるため御朱印はないものと思っていたが、ある時総代の方に連絡すればいただけることを知った。こういう取得方法は初めてであったが、そういうこともあり実は神社に参拝するのは三度目である。一度目は御朱印はないと思って参拝。二度目は御朱印をいただこうと参拝して電話したものの留守。今回あらかじめ書いたものをいただいたのだが、少し大きかったので縮小して御朱印帳に貼った。総代の方と地元ということもあり、しばし話をさせていただいた。何でも今年は春頃から月に2、3人は御朱印を授与しているという。ネットにもほとんど情報がないのにどこで知ったのか。駅からも遠い交通の不便な場所であるが、なんでも小松市内から歩いてきた方もいたとか、神社参拝が目的だったのか御朱印授与が目的だったのか分からないが全く驚きである。
古府町にはもう一社白山神社がある。そちらに参拝する方はまれのようだが、私は先にそちらも参拝してきた。境内に石造の古い神明社があった。お隣の福井県ではよく見かけるが県内ではとても珍しい。
石部神社
石川県小松市古府町カ169
福井市東河原町(旧大野郡下味見村)に鎮座する八幡神社。御祭神は誉田別尊、神功皇后と武内宿禰と伊弉册尊を合祀する。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
社殿は北向き。川沿いの低地にある集落から山に向かって参道が延びる。
途中振り向くと谷間に集落と田畑が広がる。
階段を上って最初の平地に梵字の彫られた石造九重塔が立つ。
さらに長い階段を上る。
深い森の中に社殿がある。建物の間にある2本のご神木が目立つ。
後ろにまわると拝殿と本殿がある。とすると前の建物は何なのか、戸が開かなかったので中に何があるのか分からない。
拝殿に参る。扁額には「式内椛神社」とある。
拝殿左手から一段高いところに一棟の建物がある。境内には宝蔵と神輿殿があるというから不明の2棟がいずれかなのだろうか。
上から見ると境内一面が苔生してなかなか良い雰囲気の神社です。
八幡神社
福井県福井市東河原町40-11
福井市中手町(旧大野郡上味見村)に鎮座する樺八幡神社。御祭神は誉田別尊。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
永禄18年奉納の狛犬には「大野郡味美郷惣社」とある。
味見川が東西に流れ、南北に山がせり出す谷間に一面の田畑が広がる地の左岸に鎮座する。
深い森の中に鳥居が見えてきた。
石造の第一鳥居の後ろに、木製の鳥居がある。
さらに拝殿前に石造の鳥居がある。
拝殿と本殿の間には杉や銀杏の大木が林立する。
本殿に参る。
本殿右には茅葺きの神明神社が建つ。本殿も元は茅葺きであった。
境内に残る古拝殿。古拝殿も元は茅葺きであった。平安時代の息長垂姫尊坐像や大鷦鷯尊坐像の二体の神像、平安時代の大日如来坐像と多聞天王立像、広目天王立像の三体の仏像を所有し中世の神仏習合の風習を今に伝える。
古拝殿の中に缶があって、開くと御朱印がありました。自分で押す方式ですね。
御朱印料を納め、境内を後にしようと駐車場のほうに出ると、入口に社名標があった。鳥居のところではなく、駐車場のほうにあるのか。
樺八幡神社
福井県福井市中手町20-27
立山町の雄山神社中宮祈願殿。岩峅寺集落の前立社壇とともに立山登拝の中継地点となった芦峅寺集落である。
御朱印は祈願殿の中でいただける。
祈願殿に掛かる扁額はいまでも「立山大権現」
御朱印をいただく間拝殿の中の絵馬を見る。かなり剥落しているが、神話の素戔嗚尊の八俣大蛇退治の一場面のようだ。
昨年オープンしたという山岳集古未来館に初めて入った。
江戸時代に加賀藩主から寄進されたという神輿や立山の登山史料・写真などが展示されている。
今日は暑いくらいの秋晴れだった。神社前の道路からはちょうど立山を拝めた。
昨日今年の初降雪があったらしい。
少し下流の芳見橋からは常願寺川の向こうに立山が見えた。左に白く薬師岳も少し覗いている。
雄山神社中宮祈願殿
富山県中新川郡立山町芦峅寺2
立山町の雄山神社前立社壇。中宮、立山山頂奥宮とともに越中一宮雄山神社の一社。
朝早いと人が少ないので、境内の静寂に浸れます。
まずは本殿に詣ってから御朱印をいただきます。
拝殿は何かと用意が・・・
御朱印を待っているときに社務所前で発見。手を清める用意かな
としばらく待っていると結婚式が始まりました。
行列は巫女を先頭に門をくぐり、拝殿へと向かっていきました。
朝から幸せをいただきました。
雄山神社前立社壇
富山県中新川郡立山町岩峅寺1
若狭町に鎮座する石按比古比賣神社。御祭神は石按比古大神、石按比賣大神の二柱。
延喜式内社の論社のひとつ。もう1社の論社とは1キロ程しか離れていない。
境内は平野に広がる西向きに山の麓に鎮座する。
もう1社の論社とは、同じ平野で西向きと東向きに鎮座している。
参道を進むと第二鳥居
拝殿と一段高いところに本殿が建っている。
拝殿は神様に舞を納めるにはよく見える。
本殿に詣る。
本殿の右に境内社が二社。小祠は金刀比羅神社。大きな社は神武天皇社とある。
本殿の左に天満宮。
石按比古比賣神社
福井県三方上中郡若狭町小原字宮ノ腰23-42
若狭町に鎮座する石按比古比賣神社。延喜式内社の論社のひとつ。
御祭神は石按比古大神、石按比賣大神の夫婦神。
東の平野を正面に山の麓に境内が広がる。
朱色の鳥居をくぐって広い境内に入る。
中央に大きな社殿、左右に小祠がある。
中央の社殿には3つの本殿が入っており、中央に石按神社、左に稲荷神社、右に天満宮が鎮座する。
本殿に詣る。
左の小祠。
右の小祠。
境内の左端に愛宕神社があるが、社殿がない。遙拝所であろうか。
石按比古比賣神社
福井県三方上中郡若狭町大鳥羽字宮の上4-22
福井県大野市に鎮座する坂門一事神社の元社跡。
大まかな場所しか分からなかったので、農作業していた地元の方に場所を聞いて向かった。
昔は神社への参道であったと思われる道。
ゆるやかな坂を登り切ると、踏切の向こうに石積みが見えてきた。
石段の背後には神社があったことを示すご神木らしい2本の杉が残っている。
石脇に神社跡を示す案内柱。
階段の脇には狛犬代わりの石が2つ残っている。
坂門一事神社 元社跡
福井県大野市牛ケ原150号字森ヶ谷
福井県大野市に鎮座する坂門一言神社。延喜式内社の坂門一事神社の比定社。
御祭神は阪田大跨命。二六代継体天皇の妃、廣媛の父という。
境内には鳥居と拝殿と本殿が一体となった社殿が一棟。
社殿は鍵が閉まっていて本殿は見えない。
ここから詣る。
案内板がある。
社地は牛ヶ原村54番地字小林、牛ヶ原村150号字森ヶ谷から当地に遷座したという。
坂戸の地は足羽郡(福井方面)と大野盆地を結ぶ重要な峠越えの地である。
東には豊かな大野盆地が広がっている。
坂門一言神社
福井県大野市牛ヶ原75字新村下56
福井県大野市に鎮座する清瀧神社。主祭神は大国主命。
神明神社の天照皇大神、國生大野神社の大國玉命、蛭子神社の事代主命、一言神社の一言主命を合祀する。
延喜式内社の國生大野神社の論社のひとつである。
大野城の城下町から歩くこと、第一鳥居が見えてくる。
鳥居をくぐり赤根川に架かる橋を渡るとき、北に大野城が山上に建つ亀山が見える。
元は亀山の麓に鎮座していたが、金森長近が城を築くに際し現在の蛭子山に遷座したという。
境内入口の第二鳥居が見えてきた。当地は蛭子山ということもあり、合祀した蛭子神社の建つ地だったのかもしれない。
拝殿に詣る。
拝殿正面に享保17年の奉納額が掛かる。
拝殿裏にまわると、長い石段の先に本殿が見える。
拝殿右には境内社が並ぶ。手前より厳島神社、稲荷神社、菅原神社、松尾神社、八幡神社。
社務所となる自宅は境内を出たところにあり、御朱印について尋ねたが授与していませんでした。
清瀧神社
福井県大野市清瀧124−16
金沢神社の天神月次祭に行ってきました。9月の祭礼日は日曜日に重なったためか宮司は留守のようで、女性が書いていました。ということで、いつもとは違う墨書きとなっています。「天神月次祭」の文字も今日は例祭日で「秋季祭」となっています。
本殿前に旗が立っていました。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
尾山神社で9月の御朱印をいただいてきました。9月の印は菊模様で花の中央に梅鉢紋がある。
今日は判を男性神職が押していましたが、いつもより薄い。
本殿を囲む塀にも梅鉢紋がある。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
大町の若一王子神社。2回目の参拝です。
御祭神は伊弉冉尊、仁品王、妹耶姫、若一王子の4柱。
西名三十三番札所巡りの一番霊場ともなっている観音堂。本尊は十一面観音
現在でも神社と寺の建物が残り、神仏習合の名残を感じられる。
境内社も多い。鳥居をくぐり大町護国神社。
子安神社
神輿が御神体の八坂神社
手前が鹿島神社、奥が松尾神社
杜には奉納された小さな社が多数残ります。
本殿の屋根、鬼の彫り物が印象的です。
若一王子神社
長野県大町市大町2096
長野県大町市に鎮座する仁科神明宮。御祭神は天照皇大神。
国宝本殿のある古社。
参道の一の鳥居。鳥居横の社は何か?祓宮か
境内に入ると右に大きな三本杉が立つ。中央の杉は昭和54年突風で倒木したという。
90度曲がって二の鳥居をくぐり本殿に向かう。
鳥居の右側を進むと境内社の都波岐社(猿田彦命)と難胡社(金山彦命)がある。
また鳥居をくぐり両側に宝物殿があり、右手に境内社、北野社(能見宿禰命、菅原道真公)、三嶋社(大山祇命)、春日社(天児屋根命)、鹿島社(武甕槌命)、白山社(菊理媛命)、熊野社(伊弉冉命)が並んで鎮座している。
階段を上り神門が見えてくる。参拝は神門前で行う。
神門の後ろに拝殿、中門と本殿が釣屋でつながっている。本殿左の社は20年に1度の式年正遷宮の祭に神様が遷る仮宮。
神門左の3社は、八幡社(譽田別命)、伊豆社(彦火々出見命)、稲荷社(宇賀魂命)で、角にご神水の井戸がある。
さらに左に並ぶのは、上加茂社(別雷社)、下加茂社(玉依姫命、加茂建角身命)、上諏訪社(建南方冨命)、下諏訪社(事代主神)、九頭龍社(地主命)、子安社(此花咲耶姫命)。
右には神楽殿と簀社(穂高見命)、武山社(地主命)
拝殿の右には初代御神木の大杉が今は根元のみ残っている。
境内社も多く、仁科六十六郷の総社として風格の残る神社です。
仁科神明宮
長野県大町市大字社宮本1159
池田町に鎮座する鵜甘神社。延喜式の今立郡鵜甘神社の論社のひとつ。
御祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰を主祭神とする。
第一鳥居と第二鳥居の間に町道が走る。第一鳥居の前後に赤い鉄枠があって不思議に思っていたが、鳥居をくぐる高さ制限のためらしい。よく見ると第一鳥居の一部が新しくなっている。前に誰かぶつかったらしい。
第二鳥居の前に社号標が立つ。
二月十三日の田遊びは明治に合祀した賀宝五所社の御田植神事をそのまま引き継いだもので、国重要無形民俗文化財に指定されている。
拝殿に詣る。拝殿の前にはテントが干されていた。最近何かの行事が行われたようだ。
拝殿内には田遊びの写真が飾られていた。翁の面を付けて演じるらしい。
拝殿の後ろに一段上がって本殿が建つ。
本殿の敷地の隅には倒れた灯篭が変わった積み方で残っていた。
鵜甘神社
福井県今立郡池田町水海52-24
池田町に鎮座する須波阿湏疑神社。延喜式の今立郡須波阿湏疑神社三柱の論社のひとつで旧県社。御祭神は倉稲魂命、建御名方命、大野手比売命の三柱、大田命と大国主命を併祀する。
御朱印は拝殿左手の社務所でいただいた。
朱色の鳥居の先に参道が延びる。
社前には道路を挟んで道祖神を祀る一里塚神社と一里塚にご神木の欅と榎が植えられている。
鳥居をくぐると参道沿いに杉の並木が続く。
鳥居の右に田中社の旧跡が残る。御祭神の大国主命は本殿に併祀され、旧跡は祭礼の神輿渡御の御旅所となっている。
参道をしばらく進むと大きな神門が迎えてくれる。
神門を通ると階段、その先に大きな拝殿が建つ。能舞台のある珍しい型式で、古い能面も伝わる。
拝殿には絵馬が何枚も奉納されていた。神社の境内を描いた一枚もあった。
拝殿の裏に本殿。本殿に詣る。本殿は開き戸が3面ある。
本殿は正殿に倉稲魂命、右殿に建御名方命、左殿に大野手比売命を祀る。神社名の「すわあづき」は、御祭神の諏訪大神の建御名方命と、あづきの神である小豆島の姫神、大野手比売命を祀るところに由来する。
右手に進む。境内社の御魂社。池田町の英霊を祀る。後ろに神具庫がある。
御魂社の左手に大杉への登り口がある。「荒魂大杉大明神参道」の碑がある。
早足で3分ほど。稲荷の大杉が見えてきた。天を衝くような巨木。倉稲魂命の依代と伝えられ、伊弉諾命、伊弉冉命を祀る。
御魂社の右手に鳥居と登りの参道を進む。階段の上に八幡神社が鎮座する。こちらは境内社ではなく別の氏神のようだ。
階段下からは池田町が一望できる。
八幡神社の拝殿には六番の御詠歌らしき額が掛けられていた。宮司に聞いたがわからなかった。
八幡大菩薩の本地仏は阿弥陀如来または釈迦如来とされることが多いが、何かの霊場になっていたものと思われる。
御魂社の下におとの池がある。
引き返して本殿の前を社務所に向かう。境内社の市杵島姫神社。
境内社の祖霊社。平知度を祖とする宮司家の祖神を祀る。
境内社の秋葉神社。
須波阿湏疑神社
福井県今立郡池田町稲荷13-1
越前市に鎮座する鵜甘神社。御祭神は贄持命。延喜式の今立郡鵜甘神社の論社のひとつ。
境内は西向き。社号標や扁額にも式内鵜甘神社と書かれていた。
鳥居をくぐって拝殿に向かう。
社殿は左に長い変わった形だ。覆屋を兼ねた拝殿に本殿が鎮座し、左に突き出た建物は社務所となるのか。
木像の四天王像が3体残るという。
あらためて拝殿を覗いてみる。薄暗かったが、本殿の左のケースに3体の像が見えた。60センチほどで意外に小さい。
鵜甘神社
福井県越前市入谷町33-7
越前市に鎮座する小山田神社。御祭神は経津主命、武甕槌命、事代主命。延喜式の今立郡小山田神社の論社のひとつ。
集落の奥、山麓に鎮座する。雨の日は少し薄暗い。
参道を進む。
拝殿に詣る。本殿は拝殿と続く。
拝殿右に長い階段。上に境内社の不動宮が鎮座。名称にかなり無理があるが、神仏習合でお不動さまが祀られていたのだろう。
不動宮の社は石製の瓦で、もとは石祠だったか。
小山田神社
福井県越前市南小山町2-46
越前市に鎮座する日野神社。御祭神は継体天皇、安閑天皇、宣化天皇の三柱。延喜式の丹生郡兄子神社の論社のひとつ。
日野山の山麓に集落が広がり、そこに向かってまっすぐ参道が延びる。
今日は雨霧がかかり、日野山が見えなかった。
西向きの境内。
由緒書き
絵馬殿には本当にたくさんの絵馬が架かる。
日野山を書いた絵馬もあった。さすがに越前富士とも言われる霊山といえる。
拝殿に詣る。
境内の左から日野山への登山道が延びる。
日野山頂への途上には石の唐戸や長命水、山頂には奥宮(奥の院)もある。
今日は宮司がおらず御朱印はいただけなかった。常駐はしていないようだが、次は日野山への登拝も含め再訪することにしよう。
日野神社
福井県越前市中平吹町字茶端80-1
南越前町に鎮座する麻気神社。延喜式の丹生郡麻気神社の論社の一社。御祭神は奇玉饒速日命。
集落の中を通過する道路沿いに鳥居が立っている。
盆踊りが行われたような舞台とテントが残る。
拝殿に詣る。
本殿は拝殿の後ろ、覆屋に囲まれているが隙間から参拝できた。
拝殿右に境内社が一社。
休憩所かと思ったが、絵馬殿であった。
絵馬は少なく、俳句の奉納額が多い。
文久元年の俳句奉納碑。
麻気神社
福井県南条郡南越前町牧谷54-19-1
南越前町に鎮座する鵜甘神社。御祭神は鵜鵜草葺不合尊。延喜式の今立郡鵜甘神社の論社のひとつ。
集落の中、山の麓に参道がまっすぐ延びる。
杉のご神木の間を境内に入る。
入口に由緒書きがある。
立派な社務所があったが、御朱印は授与されていないとのこと。
境内に絵馬殿があった。
絵馬がたくさん掲げられていた。剥落が激しいのが少し残念。
拝殿の後ろに本殿。大きな社殿である。
拝殿の扁額は「越前国杣山総鎮守 杣山式内総社」となっている。
鵜甘神社
福井県南条郡南越前町堂宮14-9
南越前町に鎮座する白山神社。延喜式の丹生郡兄子神社の論社の一社。御祭神は伊弉那美命。
神社は南向きに鎮座。
鳥居をくぐって境内に入ると、高い杉の巨木に囲まれている。
拝殿に詣る。
拝殿右の階段を上って本殿に至る。途中、獣防止柵を開けて入る。
本殿の戸の横には鯉の滝登りの彫刻が彫られている。
境内に隣接して浄土真宗浄圓寺がある。
白山神社
福井県南条郡南越前町瀬戸26-54
新湊市に鎮座する下村加茂神社。春季例大祭に続いて秋季例大祭を見に来た。
参道の入口には旗が立てられている。今は青空だが急速に崩れる予報だった。
稚児の練り歩きを見ようとキョロキョロしていると、西の方に見学者を見つけて稚児の出発場所を見つける。
稚児は父親の肩の上に、稚児は神の使いとされるため不浄な地面には足を着かないように進む。
少し体重の重そうな子供を乗せた父親はとても辛そうだった。
拝殿の階段に陣取って待つこと数分、稚児が境内に入ってきた。
稚児は拝殿にようやく着地する。
稚児は神職の向かい側に着座し、氏子とともにお祓いを受ける。
鉾の舞
林歌
小奈曽利
賀古の舞
天の舞
胡蝶舞
先程から西の方角で雷が鳴っている。今日は中断する中入りまでにする。
稚児舞は9曲もあり見応えがあった。舞は繰り返し動作も多いが、軽快なステップで、時には優雅さもあり、続いてほしい伝統芸能であった。
下村加茂神社・稚児舞日程
本祭9月4日
12:35~ 稚児の村内練行
13:50~ 社参・修祓
14:15~ 鉾の舞
14:35~ 林歌
14:50~ 小奈曽利
15:05~ 賀古の舞
15:20~ 天の舞
15:35~ 胡蝶舞
16:00~ 中入り・例祭式
8月最終の土曜日、雨の合間を縫うように奇跡的な天候となりました。雨のおかげで暑さも一休みです。
穴水町中居に鎮座する神杉伊豆牟比咩神社の夏季例大祭として開催される中居キリコ祭りにやってきました。
夜7時過ぎ、神社の拝殿に集まった氏子の清め神事が始まりました。
祝詞も終わると、拝殿から神輿が引き出され、
神の道として提灯が並べられる。
真っ暗の中、神が神輿に遷座される。
出発前に神社前で氏子たちの直会が始まる。長い夜の始まりだ。
神輿を先頭にキリコが街中を引き回される。
当地のキリコ祭りが他地域と異なるのは、各家が道路沿いの部屋を開放して、神を迎えるために日本酒に灯籠、背後に絵屏風や金屏風を立て、生け花や盆栽を飾るということ。別名「屏風まつり」とも言われ、独特の雰囲気を醸し出す。
神職が屏風を背後に家に上がり、神輿に乗った神様を迎える。
飾りや屏風は各家によって違っており、それを見て回るだけでも楽しめる。
神輿は各家に到着すると、中居ばやしが唄われる。屏風と中居ばやし、この祭りの最大の魅力と言えよう。
10時過ぎになると町の中程まで進んできて、神輿とキリコは休憩となる。
日詰川のほとりで柱松明に火がつく。松明が海側に倒れれば豊漁、山側に倒れれば豊作という。
松明が消える頃、神輿とキリコはさらに山側へと進んでいった。
中居キリコ祭りはキリコの勇壮さはないものの、屏風と中居ばやしの醸し出す幽玄な雰囲気を感じられる祭りでした。
中居キリコ祭り日程
8月最終土曜日
19:00~ 神社で神事
19:40~ 神社前で直会
20:00~ 神輿が神社を出発、麓でキリコが合流する
20:20頃 日詰川のほとりで柱松明に点火
1:00頃 神社に帰着
金沢市の兼六園に隣接する金沢神社。今月も天神月次祭の御朱印をいただいてきました。
御朱印の構成としては定着した感じがします。
暑い日でした。
平日ということもあり、参拝者は少なかった。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
金沢市の尾山神社。8月の御朱印をいただいてきました。8月は花火の中心に剣梅鉢紋がデザインされている。
今日は暑かった。
天頂には雲一つなく、太陽を遮るものはない。
参拝者もちらほらいましたが、時間帯によっては拝殿前は無人になることもありました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
富山市に鎮座する越中稲荷神社。御祭神は倉稲魂大神、豊受大神。
三度目の参拝でようやく御朱印をいただくことができた。
神社は北向きに鎮座。社前の稲荷町通りは古い通りだそう。
あたりは昭和20年の富山大空襲で焼失しているので、建物も新しい。
第一鳥居から第二鳥居の間はきれいに石敷きされて清々しい。
拝殿に詣る。拝殿の後ろに本殿。稲荷神社らしい朱色の柱が目立つ。
境内にご神木の欅が1本。空襲に遭うまではこのあたりは欅や杉の大木で薄暗いほどだったらしい。
焼野原からこの欅が甦ったそうで、蘇りのパワースポットになっている。
第一鳥居と第二鳥居の間、右手の参集殿兼社務所でいただいた。
越中稲荷神社
富山県富山市稲荷町2丁目5−5
野洲市に鎮座する御上神社。延喜式野洲郡の比定社で明神大社。御祭神は天之御影神。
元官幣中社で、養老年間に藤原不比等の勅命で創建されたという。
神奈備である三上山。近江富士とも言われる山容秀麗な山で山頂に奥宮がある。
鳥居から楼門まで参道が一直線に延びる。
楼門は国重要文化財。
楼門から拝殿、本殿が一直線に並ぶ。拝殿は国重要文化財、本殿は国宝。
本殿に参る。境内に檜皮葺の屋根の建物が揃う様は荘厳である。
本殿の右に県重要文化財の摂社三宮神社。御祭神は瓊瓊杵命。
左の小さな社は大神宮社。御祭神は天照皇大御神。
本殿の左には国重要文化財の摂社若宮神社。御祭神は伊弉諾命を主祭神に、菅原道真命、天石戸別命、天之御桙神、野槌大神を配祀する。
神輿殿。
古い鳳輦神輿が三台入っている。中に人が乗れる構造。
楼門を出て、楼門の東方に2つの境内社の敷地があるが、社は一社のみ。愛宕神社(御祭神は火産霊神)、御鍵取神社(御祭神は天津彦根神、猿田彦神)の合祀社になっているが、御鍵取神社は本来左の敷地らしい。
鳥居から西側にも参道が延びる。その途中に橿原神宮遙拝所がある。
御上神社
滋賀県野洲市三上838