「都道府県別」カテゴリーアーカイブ

越前今庄 鹿蒜田口神社

鹿蒜田口神社

今庄の鹿蒜田口神社。御祭神は誉田別尊で、大山住命と大山咋命を配祀。
敦賀から今庄へ至る木ノ芽峠越えの途上に鎮座する。敦賀郡の延喜式内社の比定社である。

鹿蒜田口神社

集落から田畑の間を参道が通る。

鹿蒜田口神社

二つの鳥居を結んでまっすぐ延びる。

鹿蒜田口神社

二の鳥居をくぐると境内に入り、拝殿が建つ。

鹿蒜田口神社

拝殿に詣る。

鹿蒜田口神社

拝殿の後ろに本殿が鎮座する。

鹿蒜田口神社
福井県南条郡南越前町新道11-1

越前疋田 気比神社

気比神社

敦賀市の気比神社。御祭神は仲哀天皇、神功皇后、日本武尊、素佐之男尊、大山祇命。
もと伊多伎夜谷にあった山神神社を合祀しているが、敦賀郡の延喜式内社の論社である。

気比神社

国道8号線から刀根の集落に入り気比神社は鎮座している。ここより東に進むと、現在も交互通行の一方通行トンネルの柳ヶ瀬トンネル。そのトンネルの尾根筋に賤ヶ岳合戦で柴田勝家が本陣を置いた玄蕃尾城跡がある。

気比神社

印象的な赤い鳥居をくぐる。

気比神社

鐘楼がある。福井には神社境内に鐘楼の残る所も多い。

気比神社

拝殿の後ろに一段上がって本殿がある。拝殿には絵馬が数枚掛けられていた、

気比神社

本殿に詣る。

気比神社

本殿前には三対の狛犬が奉納されている。

気比神社

本殿右に境内社が一社。天照皇大神宮と常宮神社の相殿。

気比神社

本殿左に境内社が一社。愛宕神社と不明の一宮の相殿。

気比神社

さらに左にひとまわり大きな社は金比羅神社。

気比神社

さらに左に稲荷大明神。
こちらの神社は榊も新しく地元の方々にしっかりと管理されているようです。

気比神社
福井県敦賀市刀根21-8

越前敦賀 志比前神社

志比前神社

敦賀市の志比前神社。御祭神は経津主命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。
志比前神社は気比神宮の四方鎮護の一社で、敦賀郡の南方鎮守社であった。

志比前神社

国道8号線から集落に入ると道が狭くなるので、入ってすぐのところの集会場にとめて歩いて向かう。
一本線路をわたり、もう一本はガード下をくぐる。

志比前神社

すぐに神社が鎮座している。

志比前神社

階段を上ると鳥居をくぐり、拝殿、本殿と続く。

志比前神社

拝殿をくぐる。

志比前神社

正面に本殿、右に境内社が並んでいる。

志比前神社

本殿前には灯籠が3基。寄進年を見ると、明和、宝暦、元禄と江戸時代のもの。

志比前神社

本殿、境内社を詣る。境内社には扁額もなく、詳細は不明。右に石祠がもう一社ある。宝形造のあまり見ない屋根の形。

志比前神社

境内社の裏に社がもう1つあり、前に石像や石碑が並べられている。ということは庚申堂か地蔵堂のたぐいだったのか?

志比前神社

戻ってくると、集会場の近くに案内板を見つけた。
道ノ口は、疋田(近江方面)、佐柿(若狭方面)、木ノ芽峠(加賀方面)、敦賀の分岐点であり、ここに式内社が存在する意義を認めることができた。

また、当地一体は往古武生郷と呼ばれ、条里遺構も見つかっていることから、古代のある時期にここに越前国国府があったという伝承もある。古代三関の不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)と並ぶ愛発関(越前国)が疋田付近に推定されていることから、他の二関が関の後方に国府があったことから当地に国府があったとしても不思議はない。

志比前神社
福井県敦賀市道ノ口榊林2

加賀金沢 金沢神社⑤

金沢神社

金沢神社の天神月次祭の御朱印いただいてきました。
先月は忘れていたので、2月、3月に続き3回目です。

金沢神社

境内の池には蓮の花が咲いていました。

金沢神社

今日は平日で天候もあまり良くなかったですが、次々と参拝客が訪れていました。
このブログで天神月次祭の御朱印も少しは有名になったかな?

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

加賀金沢 尾山神社③

尾山神社

久しぶりに尾山神社に行って御朱印いただいてきました。
御祭神は前田利家公と正室お松の方。

尾山神社

境内にある鯰尾兜の煌びやかです。

尾山神社

利家公の若い武者姿の像が凛々しい。

尾山神社

来週末に例大祭の百万石まつりが行われるとあって、拝殿にもポスターが貼られている。

尾山神社

拝殿の中に神輿もあった。

尾山神社

いつも間にか御朱印に印が1つ増えていました。印は月替わりで、今月は藤がモチーフ。どの月にも前田家の家紋である剣梅鉢紋が入っている。なかなかお洒落な柄ですね。また来いということですな。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

加賀本吉 藤塚神社 春季例大祭・おかえり祭り

おかえり祭り

白山市美川のおかえり祭りを見てきました。着いたところ、ちょうど神輿が出たばかりでした。

おかえり祭り

旗の合図でラッパが鳴り響き、神輿が進みます。
先導の青年団は紋付袴姿で大変珍しいですが、神輿を招くようにバックで進むので大変です。

おかえり祭り

北陸線の線路を渡るところ。
行列の先に扇が立つのですが、しばらく意味がわかりませんでした。ここまで神輿が進むという目印です。

おかえり祭り

神輿が線路を渡ったところで、ここから神輿巡行が始まるようで鳳凰が取り付けられました。

おかえり祭り

神輿には台が付いていますが、車は付いていないので持ち上げて進みます。肩にかついで進みますが、時折、両手で持ち上げて進みます。

おかえり祭り

狭い通路も進んでいきます。水の張られた田に映る姿も良いですね。

おかえり祭り

今日は長い時間地元テレビ局のMROの取材が入っていました。
後でわかったことですが、BS12の「日本の祭り」の取材が入っていたようです。

おかえり祭り

1周して線路を渡り戻ってくると、山車が並んでいました。

おかえり祭り

先頭は剣の前立ちに藤塚神社の鳥居。あとは毎年くじを引いて順番を決めるようです。
笠と太鼓のみの初期の形態を残す山車もあれば、鏡を乗せる山車もある中、やはり見どころは人形です。

おかえり祭り

日本武尊や

おかえり祭り

武内宿禰など神話の世界の人形もあれば

おかえり祭り

豊臣秀吉公

おかえり祭り

楊貴妃などもあります。どれも見事です。

おかえり祭り

美川駅前まで行列が進んで、獅子舞の演舞が始まりました。7人の棒振りが獅子殺しをするという内容でした。人数も多いので迫力がありました。

おかえり祭り

神輿も駅前まで進むと持ち上げたまま10分以上練り歩くという、見ている方もちょっと疲れる演技もあります。

おかえり祭り

山車の後ろに子供たちがつながっている町会もあり、参加する方も楽しそうでした。
ここまで4時間見どころたっぷりでしたが、次の予定があるので帰りました。

藤塚神社
白山市美川南町ヌ167

おかえり祭り
神幸祭 2016年5月21日(土)
5:20 出輿式 藤塚神社
6:30 神輿巡行
7:30 台車巡行
9:45頃 獅子舞演舞 美川駅前
9:55頃 神輿演技 美川駅前
20:30 台車御旅所着
22:30 神輿御旅所着
23:30 着輿式 御旅所

還幸祭 2016年5月22日(日)
13:00 春季大祭式 御旅所
19:00 台車巡行
19:45 出輿式 御旅所
20:30 神輿巡行
1:35 神輿神社着
2:00 着輿式
2:30 終了 

加賀小松 菟橋神社・本折日吉大社 春季例大祭・お旅まつり 

お旅まつり

曳山250年の記念すべき年となった小松市のお旅まつり。その年を祝うかのような晴天の中、曳山八基曳揃えされた細工町交差点に到着しました。すでに大勢の人です。

曳山は手前から八日市町、寺町、龍助町、西町、材木町、大文字町、中町、京町と並んでいます。

お旅まつり

15時から式典の後、30分過ぎから初めての昼の部の子供歌舞伎が始まりました。
毎年二町が当番町として歌舞伎が行われますが、今年は材木町と西町となります。

最初に曳山三番叟が舞われました。軽快な音楽の所々に歌舞伎の所作が入り楽しいものでした。

お旅まつり

続けて同じく材木町の子供歌舞伎、「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋」が上演されました。

お旅まつり

西町は「辰巳用水命光輝 稲葉左近館之場」を上演しました。この演目は辰巳用水を引いた設計士板屋兵四郎の物語で、ここ小松でしか上演しないものらしいですが、物語はわかりやすいものでした。

お旅まつり

二町の上演が終了するともう夕方になっていましたが、しばらく曳山スタンプラリーを楽しみながら町を歩きました。
再び戻ってくると夕暮れ時、曳山の提灯にも灯火が入り幻想的になってきました。

お旅まつり

昨年まではこの夕方から始まる夜の部のみでしたが、役者に光があたり、昼の部より遠くからも見やすいですね。

お旅まつり

町全体が子供歌舞伎一色になる5月です。

お旅まつり・曳山子供歌舞伎
5月13日~15日

菟橋神社
石川県小松市浜田町イ−233
小松日吉大社
石川県小松市本折町1

加賀金沢 淺野神社③ 魔除けの猿面

淺野神社

金沢市の淺野神社。御朱印をいただくは今回が3回目。
ただ、前回は書き置きだったので、久しぶりに宮司さんに直接書いていただきました。

淺野神社

5月の10日から12日まで春の例祭が行われていました。昔は獅子舞も出ていたようですが、今は神社前に露店が数軒並んでいるので少し賑わいがあります。

淺野神社

今年は地元新聞やNHK金沢で大きく特集されたので、私みたいに氏子以外の方も訪れたようですね。

淺野神社

今日の目的は、初公開となる「魔除けの猿面」です。申年の今年、記念として例祭の期間公開されることになりました。
面といっても鋳物です。鋳物師の氏子、釜屋弥吉氏が奉納しました。魔除けといってもなんとなくひょうきんな顔をしています。

なぜ猿なのか?それは淺野神社は山王さんと呼ばれていたことと関係あるのでしょう。山王さんの本社は比叡山の鎮守であった日吉大社です。日吉大社の神使といえば猿ですね。山王と猿(申)は切っても切れない関係です。

淺野神社

連動企画といれば、厄除開運の「さるぱん」というものがありました。食べるのがもったいないほど、かわいい顔のお猿さんのパンでしたが、最終日で残り1個だったのを購入してきました。「残り物には福がある」と信じましょう。

淺野神社

拝殿に入って振り返ると、大きな奉納額がかかっていました。今まで気が付きませんでした。

淺野神社

弘化四年の奉納で、ひらがな盛衰記(源平合戦)を題材に、源義経の木曽義仲討伐から一の谷合戦まで17の場面を描いているそうです。

淺野神社

この額の奉納者に釜屋弥吉氏もいます。ということは幕末の方なんですね。

淺野神社
石川県金沢市浅野本町1丁目6−1

越中氷見 磯部神社・田子浦藤波神社 藤の花巡り

磯部神社

今日は天気も良かったので、氷見市の藤で有名な神社を巡ってきました。
まずは磯部神社。朝10時半、地元ナンバーの車が何台も続々とやってきます。

磯部神社

鳥居の向こうに、紫の藤の花が見えてきました。

磯部神社

この時間は東側がきれいに見えます。麓の人と比べるとその大きさがわかりますね。
他の観光客も大きさに驚いていました。

磯部神社

近くから見ると薄い紫の花です。今年は雪も少なく例年より速く咲いたようです。
氷見ではこちらのほうが今は有名なのかもしれませんね。

田子浦藤波神社

続いて、田子浦藤波神社へ。
先日も一度見に来ましたが、その時も鳥居に掛かっている部分は花が少なかったですが、老木で東向きで日当たりも悪いので、この場所にはほとんど咲かないようです。

田子浦藤波神社

上を見上げると、上の方では満開のようでした。白に少し紫が入る花が咲いていました。

田子浦藤波神社

田子浦藤波神社は、万葉集に詠まれた「田子の白藤」の地です。
もとは白藤だったようで、藤棚では若い白藤が満開でした。

田子浦藤波神社

こちらも例年より速く咲いたようですね。

磯部神社
富山県氷見市磯辺1045

田子浦藤波神社
富山県氷見市下田子1429

越前敦賀 野坂神社

野坂神社

敦賀市の野坂神社。御祭神は大山祇命、天津彦火瓊瓊杵尊、木花開耶姫命。
延喜式内社の野坂神社の比定社であるが、織田神社の論社のひとつにもなっている。織田神社については、合祀された織田神社が対象のもののようだ。

野坂神社

今日は例祭日だったようだが、そのような様子は感じられなかった。

野坂神社

社殿は東向き、夕方の参拝はやはりまぶしい。

野坂神社

鳥居と社殿の間に楼門がひとつ。ただ本殿が覆いに入れられているので、拝殿なのか。

野坂神社

太鼓が吊り下げられている。

野坂神社

本殿は戸を開けて参拝できた。

野坂神社

古い本殿のようだ。参拝して中を回る。

野坂神社

左側に水速女命(左)と皇大神宮。

野坂神社

左奥に金比羅大神。

野坂神社

右側に稲荷大神(右)と豊受大神。

野坂神社

右奥に天満宮。

野坂神社

本殿にはカラフルな狛犬が奉納されている。

野坂神社

境内には池に1社。おそらくは厳島神社か宗像神社か?

野坂神社

石垣のみの境内社跡。かつて神明神社があったようなのでこれか?

野坂神社

境内の隣に公民館があり、背後の南方に野坂岳が見える。野坂神社はかつて野坂岳に対する山岳信仰の社だったようだ。

野坂神社
福井県敦賀市野坂30-7

越前敦賀 高岡神社

高岡神社

敦賀市の高岡神社。主祭神は菅原道真公。敦賀郡の延喜式内社の論社のひとつ。
周辺は住宅地のほかは田んぼが広がる。

高岡神社

社殿は東向きで、夕方の参拝にはまぶしかった。

高岡神社

昨日例祭日だったようで、ちょうど旗が立てられていた。

高岡神社

鳥居をくぐり参道を進む。

高岡神社

社殿に入ると本殿があった。建物は本殿の覆いのようだ。

高岡神社

本殿にかかる扁額は「天満宮」

高岡神社

境内の鳥居横には「申タ彦(猿田彦)」や「庚申」の塔が並んでいる。

高岡神社
福井県敦賀市砂流26-9

越前敦賀 久豆彌神社・信露貴彦神社 例大祭・王の舞

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

敦賀市の久豆彌神社と信露貴彦神社の例大祭を見てきました。ともに沓見に鎮座する久豆彌神社を女宮、信露貴彦神社を男宮とみなし豊作を祈願して、王の舞などが奉納される。若狭地方には現在でも王の舞が数多く残り、その起源は京都にあるというが、各神社ごとに特徴があるという。ただ、実際の舞は見たことがなく初めて見た。

駐車場は沓見小学校のグラウンドが準備されており見学も容易だが、GW中の晴天の日だったのに見物人は少なかった。その分地元の祭りの雰囲気を十二分に味わえる。

出発には少し間に合わなかった。ちょうど女宮の行列が久豆彌神社に到着するところだった。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

行列はまず本殿に参拝する。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

そこからしばらく空き時間があり、男宮の行列が久豆彌神社に到着する。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮の行列が本殿に参拝後に、下の拝殿で芸能奉納となる。

最初は男宮の王の舞。王の舞は1人で行う舞であるが、もっと勇ましいものを想像していたが、動作はゆっくりとしたもので、猿田彦が神と語り合うような部分も見られた。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

続けて女宮の王の舞。帽子が女性らしい。
沓見では王の舞は子供が舞うことになっているようだ。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮の獅子舞。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

女宮の獅子舞。
獅子は邪気を喰うように拝殿を動き回り、最後に大人しくなる(力尽きている?)。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

両宮で田植え歌を唄う。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮、女宮の順にエブリ差し。田を耕す様子を奉納。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

男宮、女宮の順に苗うち。杉の枝を稲藁に見立てて田植えの様子を奉納。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

神饌のお下がりで直会。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

久豆彌神社を出発し、地区をまわって信露貴彦神社に向かう。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

出発する行列を宮司が見送る。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

行列は「来年もトーヤ、再来年もトーヤ」と豊作を祈願しながら進む。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

信露貴彦神社の少し手前で宮司が行列を迎え、

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

行列に入って神社に入る。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

女宮の行列が本殿に参拝する。

久豆彌神社・信露貴彦神社 王の舞

この後、女宮のみ王の舞などを奉納するが、私はここで帰った。

久豆彌神社・信露貴彦神社 例大祭・王の舞
5月5日日程
12:00 男宮の行列が当屋(御旅所である沓見公民館)を出発し、男宮の拝殿で芸能奉納
12:30 女宮の行列が当屋を出発し、女宮に向かう
14:00 男宮の行列が女宮に到着し、両宮の芸能奉納
15:30 両宮の行列が女宮を出発し、男宮に向かう
16:00 男宮で女宮の芸能奉納
17:00 両宮の行列が男宮を出発し、馬場で御幣を合わせ祭りを終える。このとき、村人は御幣紙を奪い取り、家に持ち帰る 

越前敦賀 信露貴彦神社

信露貴彦神社

敦賀市の信露貴彦神社。敦賀郡延喜式内社の比定社。御祭神は迩迩藝命、日本武尊。
祭り当日ということもあり、御朱印については確認していない。

信露貴彦神社

本日5月5日に久豆彌神社とともに例大祭が行われるため、旗が立っている。

信露貴彦神社

旗の下に重しのさるぼぼがついているが、よく見ると珍しく顔が描いてある。

信露貴彦神社

鳥居をくぐって進む。

信露貴彦神社

下に例大祭で本日、王の舞などが奉納される拝殿。階段を上って本殿がある。

信露貴彦神社

本殿は覆いがかけられ、

信露貴彦神社

今日は神饌が供えられ、扉が開いている。

信露貴彦神社

本殿のまわりに境内社が複数あり、こちらは山神社。

信露貴彦神社

その横に金刀比良神社。

信露貴彦神社

反対側に神明社。

信露貴彦神社

御神木の下に猿田彦神社の石祠。

信露貴彦神社

神仏習合の名残でろうそくを立てる燈明舎がある。

信露貴彦神社
福井県敦賀市沓見12-12

越前敦賀 久豆彌神社

久豆彌神社

敦賀市の久豆彌神社(くつみじんじゃ)。地名の沓見と同じ「くつみ」と読みます。
御祭神は木花咲耶姫命、瓊瓊杵命、大山祇命。敦賀郡の延喜式内社の比定社。

例大祭当日のため御朱印については未調査。

久豆彌神社

社号標から鳥居まで距離があるが、ここが神域と村の境で、祭りでもこの場所が重要な意味を持つようであった。

久豆彌神社

例大祭当日ということで旗が立てられていた。

久豆彌神社

鳥居の両脇に天然記念物の大杉が立っている。

久豆彌神社

鳥居をくぐると例大祭で王の舞などが奉納される拝殿。階段を上ると本殿となる。

久豆彌神社

本殿は覆いがかかっている。

久豆彌神社

今日は例大祭のため扉が開かれている。

久豆彌神社

本殿の周りに境内社、右側に神明社と十禅寺社。

久豆彌神社

反対側に常宮神社。

久豆彌神社

後方に猿田彦神社の石祠。

久豆彌神社

信露貴彦神社と同じ燈明舎のように見えたが、これが宝殿神社か。

久豆彌神社

下の拝殿と同じ境内に松岡社がある。

久豆彌神社
福井県敦賀市沓見75-8

若狭遠敷 権現神社

権現神社

福井県と京都府の県境にある頭巾山、その頂上に権現神社が鎮座している。延喜式内社の遠敷郡許波伎神社の論社のひとつ。
御祭神や由緒は不明。現在の住所は京都府となっている。

権現神社

今回は上りやすい福井県側から登る。名田庄の集落を次々と過ぎて奥に進むと途中に野鹿の滝がある。このあたりまで来ると川も急流になってくる。

権現神社

頭巾山の登山口まで来る。

権現神社

家族向けと聞いていたが、意外なほど急登が続く。

権現神社

1時間ほどでようやく山頂に到着する。

権現神社

山頂は広くない。南向きに社殿と前に手水石がある。付近に倒壊した灯籠や小屋も見えるが、社殿前に石が積んである。ちょうど登山口あたりに広く分布していた石のようだが、登拝するために持ってきたものだろうか。

権現神社

GW前に登山道の清掃をしながら登山が行われるので、ちょうどこの時期が登りやすい。

権現神社

社殿裏に頭巾山の三角点がある。頭巾山870mの山頂のしるし。

権現神社

山頂からは山々の向こうに日本海も見渡せる。

権現神社

実は頭巾山は自生のシャクナゲの群生地でもある。ことしはGW前に強風が吹いたり、雪が少なく花の時期が早かったためか、登山道沿いのシャクナゲは終わっていた。帰り道、日当たりの悪い北側斜面にようやく見つけた。

権現神社
京都府北桑田郡美山町山森

越中射水 下村加茂神社 春季例大祭・加茂祭

下村加茂神社 賀茂祭

強風の1日でしたが、晴れましたので射水市の下村加茂神社の加茂祭を見てきました。
富山県内で流鏑馬が行われる唯一の神社です。

1時間前に到着すると、すでに多くの人だかりでしたが、授与所前が日当たりが良く、まだ場所が空いていたのでそこに陣取りました。

下村加茂神社 賀茂祭

「走馬」
神馬の足慣らしといったところでしょうか。境内では走りません。どうやら鳥居を出てから県道を走るようです。

下村加茂神社 賀茂祭

かなり空き時間があり、ようやく猿田彦の先導で、獅子舞が拝殿に入り、

下村加茂神社 賀茂祭

馬が続く。

下村加茂神社 賀茂祭

「神幸式」
拝殿で神事が行われた後、御旅所に神様のやどった御幣の玉が渡御されます。

下村加茂神社 賀茂祭

「神馬式」
口取りが手に矢を持ち、巡路を駆ける。

下村加茂神社 賀茂祭

御旅所着御の後、「牛乗式」が始まる。
牛は止まると座り込むので、何度も乗り直して時間もかかる。

下村加茂神社 賀茂祭

「神楽の儀」
御旅所の前で獅子舞が奉納され、

下村加茂神社 賀茂祭

「還御」
神様は本殿に還っていく。

下村加茂神社 賀茂祭

拝殿では例祭式が執り行われるのでまた待つ。

「久遍式」
拝殿前で馬は止まった状態で弓矢を射る。

下村加茂神社 賀茂祭

「流鏑馬式」
クライマックスに3頭が3往復します。拝殿前から鳥居をくぐるとき(往路)に、鳥居横に移動した的に弓矢を射る。
弓矢は本物ではなく、祭礼用の竹に紙の羽が付いたものなので、的に刺さるということはありません。射る方も大変そうでした。

大変珍しい神事が続くので一見の価値はありますよ。

下村加茂神社 加茂祭 5月4日
走馬 14:00~
神幸式 15:00~
神馬式 15:20~
御旅所着御 15:30~
牛乗式 15:30~(※このあたりから30分遅れ)
御旅所神楽の儀(獅子舞奉納) 15:50~
還御 15:55~
例祭式 16:05~
久遍式 16:25~
流鏑馬式 16:50~

越中朝日 鹿嶋神社

朝日町に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は健甕槌命。

前回の参拝ではご不在だった社務所に宮司がいらしたので、御朱印をいただきました。

何度見ても立派な彫刻です。

次回は本殿への参拝と宮崎城跡を攻城しましょう。

鹿嶋神社
富山県下新川郡朝日町宮崎1484

越後頸城 奴奈川神社

奴奈川神社

糸魚川の奴奈川神社。主祭神は奴奈川比売命、配祀として大日霊尊、八千矛命。
延喜式内社の奴奈川神社の論社のひとつ。

奴奈川神社

社殿は南向き。

奴奈川神社

境内は広く、公園となっている部分もある。

奴奈川神社

拝殿に詣る。

奴奈川神社

弊殿を通って本殿が見える。

奴奈川神社

拝殿の西側に複数の石祠が並ぶ。

奴奈川神社

本殿裏にも石碑が並び、合祀殿風もある。本殿裏の東西に石が立っている。

奴奈川神社

本殿東側にも石祠がある。

奴奈川神社

注連縄を掛けられた神域に大きい石がある。かつての磐座なのか。

奴奈川神社

境内社として天満宮が鎮座する。

奴奈川神社
新潟県糸魚川市田伏569

越後頸城 大神社

大神社

糸魚川の大神社。御祭神は高皇産靈尊、大己貴命、少彦名命。延喜式内社の大神社の論社のひとつ。
室町時代作といわれる男神・女神坐像一対が伝わり、管相公(男神)と吉祥女(女神)の御神像といわれ、菅原道真公、吉祥女が配祀されている。

大神社

小山に神社は鎮座する。

大神社

階段を上る。

大神社

階段の途中に3つの石祠が祀られている。

大神社

階段を上がると社務所兼自宅があるが、留守だったので御朱印の有無は不明。

大神社

さらに進むと神社正面の鳥居をくぐって境内に入る。

大神社

拝殿に詣る。

大神社

社務所に近い鳥居は上部が直線ではなく、少し反り上がっている。

大神社
新潟県糸魚川市平1345

越中糸魚川 能生白山神社

能生白山神社

糸魚川能生の白山神社。御祭神は奴奈川姫命、伊佐奈岐命、大己貴命。
古代奴奈川族の首長、奴奈川姫を祀って産土神としたのが始まりといわれており、かつては権現岳にあったという。
延喜式内社の奴奈川神社の論社のひとつで、白山信仰の布教拠点として神仏習合した際に白山権現と改称された。

平安後期の木像聖観音立像が伝わり、越後三十三観音霊場を始めるにあたり、まずは白山神社に詣ることがしきたりだったということで、書き置きの御朱印は「聖観音菩薩」となっている。宮司が常駐しておらず、総代さんがこれだと言われていましたが、神社名の墨書きも本務社のほうではしているようです。

能生白山神社

鳥居をくぐり、階段を上ります。

能生白山神社

境内に入ると左手に社務所、奥に檜皮葺の拝殿が建つ。

能生白山神社

拝殿右手に御旅所がある。拝殿後方の山が尾山で、旧社殿は山中にあった。

能生白山神社

拝殿に詣る。

能生白山神社

後方の本殿は国重量文化財。

能生白山神社

本殿横には神仏習合時代の石祠が複数ある。

能生白山神社

境内には旧講堂だった建物が、境内社の秋葉神社となっている。

能生白山神社
新潟県糸魚川市大字能生7238

越後頸城 藤崎神社

藤崎神社

糸魚川の藤崎神社。御祭神は大己貴命、天照皇大神、豊受大神、品陀別命。合祀なのでもとの主祭神は不明。
江戸時代に「大社神社」と称し、頸城郡の延喜式内社の大神社の論社であるが大社という名称からと思われる。地元では式内社とは称していないようだ。

藤崎神社

田と畑の広がる丘陵の中に鎮座する。

藤崎神社

田んぼの先に日本海が広がる。

藤崎神社

短い階段を上り、畑の横の参道を進む。

藤崎神社

鳥居をくぐると、参道は急角度にUターンして拝殿に至る。
参道が付け替えられたのか、社殿の向きが変わったのか、ちょっと不可思議な位置関係です。

藤崎神社

杜に囲まれた社殿は昼間でも薄暗く、小さな虫も飛んでいるのでお詣りして早々に帰ります。

藤崎神社
新潟県糸魚川市藤崎2124

越後頸城 水嶋磯部神社

水嶋磯部神社

糸魚川の水嶋磯部神社。御祭神は健御名方命、天照皇大神、豊受大神、奇日方命、船玉神。
江戸時代は諏訪大明神と呼ばれていたそうで、健御名方命が主祭神というところか。

水嶋磯部神社

神社は高台に東向きに建っている。

水嶋磯部神社

頸城郡の延喜式内社の論社。

水嶋磯部神社

拝殿に入る。この辺りの記名奉納額は写真入りで、たくさん並んでいた。

水嶋磯部神社

本殿後ろには彫刻入り板塀が左右に3枚ずつ奉納されていた。

水嶋磯部神社

境内からは眼下に筒石漁港が見える。海岸沿いに国道8号線が通り、神社のある台地まで一気に標高が上がる。

水嶋磯部神社

海に向けて境内社が建っている。

水嶋磯部神社

中の石祠の横に恵比寿らしい像があるので、事代主命か蛭子命か。

水嶋磯部神社

神社の背後には南向きに観音堂が建っている。神仏習合の名残なんだろう。

水嶋磯部神社
新潟県糸魚川市筒石463

越後頸城 江野神社

江野神社

上越市名立の江野神社。旧県社で延喜式内社の論社。
御祭神は、建御名方命、事代主命、大己貴命、素佐能男命、稻田比賣命、屋主忍男武雄心命、影姫命、武内宿禰命と多いが、明治の神社整理による合祀の影響のようだ。
(御朱印はあったようだが、あらかじめ連絡が必要なようだ。)

江野神社

入口の社号石碑があり、後方の小山に鎮座する。

江野神社

一端西に上って、鳥居をくぐり東から南へ折れて社殿に至る。

江野神社

社務所前に手水舎、その横に境内社として稲荷社がある。

江野神社

拝殿は銅板葺きで新しく感じたのだが、後で調べてみると数年前までは茅葺きだったようだ。

江野神社

彫刻は珍しいもの。布袋と恵比寿だろうか。

江野神社

木鼻の彫刻は鯛と海老で、こちらも珍しいが日本海が近いので豊漁祈願の意味があるようだ。

江野神社

拝殿の中で詣る。

江野神社

入口鳥居の参道とは反対方角にも境内社が建っている。
鳥居前には「琴平神社」の石碑があるが、社殿に入ると「秋葉神社」の扁額がかかっていた。

江野神社

とすると、山の斜面にあるこの石祠が琴平神社なのか?

江野神社
新潟県上越市名立区名立大町字明神山1335

越後頸城 圓田神社

圓田神社

上越市名立の山中に鎮座する圓田神社。御祭神は道臣命、大己貴命、少彦名命。
頸城郡の延喜式内社の論社。

圓田神社

日本海沿いの8号線から南に5キロ、どんどん山の中に入っていくが、集落に入ってまた山を上る。
上りの途中に正面参道の階段があるが、車を停める場所もないので、もう少し上って背後に回る。

圓田神社

社殿は高い木々に囲まれていて麓からは全く見えない。

圓田神社

鳥居をくぐって境内に拝殿が建つ。平坦地はそれほど広くはない。

圓田神社

拝殿は開いたので、中で詣る。

圓田神社

壁には全国各地の絵馬がかかっていた。地元の方が奉納したものでしょうか。

圓田神社

境内には石祠が1社あったが詳細は不明。

圓田神社

大木は御神木の役割と同時に、社殿を守っているようだ。

圓田神社

南方には雪をかぶった、たぶん火打岳と新潟焼山が見える。

圓田神社
新潟県上越市名立区丸田字宮ノ下476

越後頸城 阿比多神社

阿比多神社

上越市の8号線沿いに鎮座する阿比多神社。御祭神は少彦名命、相殿に菅原道真公。
頸城郡延喜式内社の論社で、古くは高志山に鎮座していたという。順徳上皇が佐渡に流罪となったとき、越の長浜は名所であるとして参拝されたと伝わる。その時、北野天神の御神像を当社に納められて以来、菅公を合祀することになった。

長浜天神と称された祭神は少彦名命であったが、天満宮と混同されたという説もある。

阿比多神社

8号線沿いに鳥居が建つ。

阿比多神社

参道は線路をまたぐ。8号線は交通量が多いので車はこちら側に止めたほうが無難です。

阿比多神社

小さな川沿いの道を進んで橋を渡る。

阿比多神社

鳥居をくぐると階段を上って社殿に向かう。

阿比多神社

社殿に詣る。

阿比多神社

拝殿は細かい彫刻があり、正面の龍だけでなく、外壁に鶏、鶴、梅や波が彫られている。

阿比多神社

社殿北に境内が並んでいる。山中にあってもきれいにされていた。

阿比多神社
新潟県上越市長浜904

越後高田 直江八幡宮

直江八幡宮

高田市街に鎮座する直江八幡宮。御祭神は誉田別命、息長帶姫命、玉依姫命。
元は直江津福島に鎮座していたといい、延喜式内社の江野神社の論社となっている。

御朱印は授与していないということだった。

直江八幡宮

南向きの境内。

直江八幡宮

印象的な朱色の鳥居をくぐる。

直江八幡宮

鳥居をくぐってすぐ右手の杉?の木は途中で折れているが、横から見ると元は夫婦杉だったようだ。

直江八幡宮

拝殿に詣る。

直江八幡宮

拝殿内には複数の額が掲げられていた。八幡宮額の手前には和算額、奥の本殿手前には「江野神社」の揮毫額が掲げられている。

直江八幡宮

拝殿前には桶を重ねたものも。水の信仰もあるようだ。

直江八幡宮

境内には石祠が複数ある。詳細がよくわからないものも多いが、稲荷社が多いようだ。

直江八幡宮

反対側にも稲荷社。

直江八幡宮

入口鳥居脇からももうひとつ鳥居をくぐり、稲荷神社が建つ。

直江八幡宮

拝殿横に庚申堂が連なる。

直江八幡宮

その横に小ぶりの建物。社務所で尋ねると舞殿ということであった。

直江八幡宮
新潟県上越市東本町4-21

越後頸城 斐太神社

斐太神社

妙高市の斐太神社。御祭神は八千矛神が主祭神、積羽八重事代主神と建御名方命をが相殿に祀られる。八千矛神は大国主命、積羽八重事代主神は事代主命とされている。戦国時代は後方の山上に築かれた鮫ヶ尾城の鬼門鎮守として上杉氏の篤い庇護を受けたという。

斐太神社

旧社格は郷社で、頸城郡の延喜式内社とされる古社でもある。

斐太神社

鳥居をくぐり参道を進むと、杉が両脇に林立する階段を上る。

斐太神社

風格のある拝殿に詣る。

斐太神社

地域の大社だけあって、拝殿には新潟県知事の揮毫額が複数掲げられている。

斐太神社

境内社は階段を上ったところすぐに稲荷社。

斐太神社

拝殿左方に雁田神社と石祠が見える。

斐太神社

雁田神社の御祭神は奉納額からも伊弉諾尊、伊弉冉尊とわかる。

斐太神社

子宝・安産祈願の社のようで、奉納物もそれらしいものがある。

斐太神社

石祠は調べると八幡社のようだが、3つあるので後方の祠はまた違うものかもしれない。

斐太神社

参道脇の社務所兼自宅で御朱印のことを伺いましたが、書く人が不在ということで今日は縁がありませんでした。

斐太神社
新潟県妙高市宮内字屋敷連241

越中射水 二上射水神社春季例大祭 築山神事

二上射水神社春季例大祭 築山神事

高岡の延喜式内社、二上射水神社春季例大祭である築山神事を見てきました。
4月23日に開催され、今年は土曜日となりました。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

神事は午後2時からでしたが、初めてだったので早めの12時過ぎに到着しました。
三本杉の前に舞台が組まれていました。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

四天王の後ろ、天狗面の神様が最上段。
築山は県内では二上射水神社と放生津八幡宮の2社のみに残る祭礼です。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

まだ閑散とした拝殿では

二上射水神社春季例大祭 築山神事

すでに供物が供えられていました。

160423i6二上射水神社春季例大祭 築山神事

時間があったので、来る途中に見た獅子舞を探して上二上公民館まで移動し、昼休みが終わって出発した行列について、再び二上射水神社まで

二上射水神社春季例大祭 築山神事

先頭は現代獅子、後ろに獅子舞が続きます。
上二上の獅子舞は最近は土日に行われるようなので、築山神事と同時に行われる機会は珍しくなったようです。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

最初に拝殿前、木像男神座像社前、忠魂碑前と獅子舞が舞われる中で

二上射水神社春季例大祭 築山神事

築山神事のために舟形神輿が拝殿前に移動されます。
獅子舞にはいくつかの舞があり、どれも軽快な音と踊りで楽しげでした。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

舟形神輿が移動され、拝殿で祭礼が始まった頃、木像男神座像の御開帳と

二上射水神社春季例大祭 築山神事

資料館の公開が神事終了の4時までの時間限定で始まりました。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

さて、築山神事が始まります。
舟形神輿への神遷しの神事が行われ、現代獅子を先頭に行列が進みます。
獅子舞は町内へ戻っていきました。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

舟形神輿は山車の原型とも言われており、神様を乗せて進みます。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

舞台の前に舟形神輿が到着し、築山に神様を遷して神事が執り行われます。
現代獅子、巫女舞、祝詞などが行われ、

二上射水神社春季例大祭 築山神事

最後は神様を舟形神輿に遷して本殿に帰ります。
築山はあっという間に元に戻ります。神様を怒らせないように神事の間のつかの間の祭壇となります。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

神事が終わった後の供物です。はべん(かまぼこ)の鯛が富山らしいです。

二上射水神社春季例大祭 築山神事

拝殿前で舟形神輿から本殿に神遷しの神事が行われ、神様は帰っていきました。
今日は見物客も多かったし、獅子舞も同日に行われ、とても興味深い祭礼でした。

越中氷見 田子浦藤波神社

田子浦藤波神社

氷見市の田子浦藤波神社。御祭神は天照大神。

田子浦藤波神社

「藤波の 影なす海の 底清み 沈く石も 珠とそわが見る」
越中国司として赴任した大伴家持が詠んだ、この付近の和歌が残っている。

田子浦藤波神社

また能の「藤」はこの神社を舞台としており、藤の精のモデルとなった藤がとてもきれいな神社でもある。
階段の脇から鳥居に乗りかかるように植わっている藤の木が一番古い。

田子浦藤波神社

5月中旬が見頃ということであるが、今日の状態はこのくらい。まだ早かった。

田子浦藤波神社

階段を登って拝殿に詣る。

田子浦藤波神社

本殿の裏には「大伴家持卿歌碑」が立っている。
今度は藤が満開の頃にもう一度来てみたい。

田子浦藤波神社
富山県氷見市下田子1429

能登宇出津 白山神社・酒垂神社春季例祭 曳山祭

曳山祭

海越しにうっすらと立山が見えるほどの良い天候に恵まれて、能登町の曳山祭宵山を見てきました。

曳山祭

曳山祭は約470年前に畠山七尾城主が五穀豊穣を祈願して神事を執り行った際の出し物で、畠山氏から分家した白山宮司が受け継いだ春祭りの行事で、宇出津では白山神社、酒垂神社が1台ずつ曳山を出す。曳山を人形で飾り、太鼓やシャギリで囃し立て、木遣りに合わせて進む。

曳山祭

出発を待つ酒垂神社の曳山です。今年のテーマは源平合戦壇ノ浦。
源義経の八艘跳びと平知盛の人形が飾られている。

曳山祭

曳山の浦は七福神。

曳山祭

先に神事が始まる白山神社前に移動しました。

曳山祭

白山神社の曳山のテーマは高尾の身請話。
高尾太夫と島田重三郎の人形が飾られている。

曳山祭

1時を少し過ぎて神事が始まりました。五穀豊穣と祭事の安全を祈って祝詞が読まれます。

曳山祭

神事を終了して、シャギリと木遣りを唄う方を3人前に乗せ、まずは白山神社の神に木遣りを奉納するため、白山神社鳥居前に向かいます。

曳山祭

木遣りが終わると再び今度はバックして、元の位置に戻り、子供たちをのせ街中へ進む。

曳山祭

酒垂神社の曳山はお旅所を出発し、あばれ祭でキリコが通る酒垂神社前通りを進む。
写真では伝わりにくいですが、太鼓のシャギリの早い調子、木遣りのゆったりした調子の繰り返しで祭り気分は最高潮に達します。あばれ祭に比べると観客が少なく知名度はまだ低いようです。

曳山祭日程(2016年)
15日(金) 人形見 18:00~21:00
16日(土) 宵山 13:00~21:00
 白山神社曳山
  13:00 神事
  14:00 白山神社前出発
  15:00 梶川橋
  16:30 数馬タバコ店前
  18:00 梶川橋
  21:00 白山神社前
 酒垂神社曳山
  14:00 お旅所(天保島)出発
  15:00 北國銀行前
  16:30 数馬タバコ店前
  18:00 北國銀行前
  21:00 お旅所(天保島)
17日(日) 朝山 2:00~8:00
 本山(戻り山) 13:30~22:00