
金沢市に鎮座する中村神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩大神の春日大神。

社殿は南向き。社叢の中の参道を拝殿へと向かう。

拝殿に参る。

拝殿は金沢城二の丸御殿の能舞台の遺構で、卯辰山の招魂社社殿として放置されていた建物を移築した。

剣梅鉢紋の彫物もあり、能舞台であった頃を偲ばせる。隣の社務所兼自宅で宮司の奥さんに御朱印をいただく。
中村神社
石川県金沢市中村町16-1

金沢市に鎮座する中村神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩大神の春日大神。

社殿は南向き。社叢の中の参道を拝殿へと向かう。

拝殿に参る。

拝殿は金沢城二の丸御殿の能舞台の遺構で、卯辰山の招魂社社殿として放置されていた建物を移築した。

剣梅鉢紋の彫物もあり、能舞台であった頃を偲ばせる。隣の社務所兼自宅で宮司の奥さんに御朱印をいただく。
中村神社
石川県金沢市中村町16-1

金沢市に鎮座する犀川神社。御祭神は天児屋根命、比咩大神、武甕槌命、経津主命の四柱でいわゆる春日大神。
中村神社の別社として以前は「宝久寺の春日」と呼ばれ、宝久寺が別当を務めた。

犀川の右岸沿いに桜並木が続き、犀川神社の鳥居が見えてくる。

境内を避けるように道路は左右に分かれる。

社殿は東向き。拝殿に参る。

拝殿には大きな絵馬が架かっている。拝殿左の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

拝殿右に境内社の稲荷神社が鎮座する。
犀川神社
金沢市中央通町16-1

鳥取市に鎮座する長田神社。御祭神は事代主神、猿田彦神、誉田別尊、菅原道真命。

鳥取城のあった久松山の麓に鎮座する。

鳥居をくぐると右手に社務所、右にカーブして橋を渡り西向きの社殿へ向かう。

森に囲まれた境内、池に架かる橋、少しずつ階段を上って門をくぐる、落ち着く環境です。

池には白い蓮の花が咲いている。

門をくぐる。

門のそばに樹齢三百年といわれるケヤキのご神木が立つ。

拝殿に参る。ちょうど拝殿内でお祓いされていたので静かに周辺を見学する。奉納額は奉祝能に関するものが3枚。宝生流と喜多流の二流。

拝殿後ろに本殿。本殿の玉垣に絵馬掛けがある。

本殿左に建物一棟。宝蔵か神輿蔵か

境内隅にお食い初めの固め石があった。これだけ用意しているのを見るのは初めてだ。
宮司が拝殿に上がっていたので、ゆっくりと境内を回った後で社務所で御朱印をいただいた。
長田神社
鳥取県鳥取市東町1丁目宮内谷

鳥取市に鎮座する樗谿神社(おうちだにじんじゃ)。御祭神は徳川家康公。日光東照宮の御分霊を祀ることから因幡の東照宮とも言われる。

鳥居をくぐる。

境内は樗谿公園の一部となっている。

社務所と案内される場所には鳥取県神社庁。樗谿神社の社務所を兼ねているようだが、すでに17時近かったためか休みだったのか閉まっていた。

社務所近くの御中門をくぐる。拝殿までの道のりは公園として整備されたためか石畳が葺かれている。

大きな神門が見えてきた。昔は両側に仁王像が立っていたのかもしれないが今は空っぽ。

門をくぐると両側に灯籠が立ち並び、階段の上に拝殿が見える。神威を感じる風景である。

階段を上り、拝殿に参る。

拝殿背後に唐門付きの本殿。拝殿、弊殿、唐門、本殿と並び、すべて檜皮葺の屋根で重要文化財になっている。

階段とは別ルートの参拝道に井戸がある。「探幽の井戸」と名付けられている。神社には狩野探幽の画、青蓮院門主尊純親王の歌の三十六歌仙の額と鷹の絵があり、それを伝えれるための命名とも伝えられる。
樗谿神社
鳥取県鳥取市 上町87

鳥取市に鎮座する宇倍神社。御祭神は武内宿禰命。五円紙幣にも描かれた古社は、延喜式内社で明神大社であった。

鳥取藩主池田家墓所もある稲葉山の南麓に鎮座する宇倍神社への参道は北へと続く。

鳥居をくぐると道路を横切って深い森の中に入る。

階段の手前左に池がある。亀金池と名付けられ、池に浮かぶ石には亀の銅像が乗っている。

池の横の階段を上ると、左に折れ長い階段が続く。

拝殿が見えてきた。

社殿は東向き。左に木造の社務所、右にコンクリート製の参集殿がある。御朱印は参集殿でいただく。

拝殿右に飛翔の鳥

拝殿左に福徳亀

拝殿・本殿は弊殿でつながり、ともに檜皮葺の屋根。拝殿に参る。

当地は御祭神の武内宿禰命の終焉の地であると伝えられる。

亀金岡に双履を遺して三百六十余歳で亡くなったとされ、双履石という霊石が祀られている。

拝殿左奥に國府神社、御祭神は建御雷神、日本武尊、速佐須良比咩神、武内宿禰命、伊弉諾尊、菊理姫命、土御祖神、奧津彦命、奧津姫命、宇迦之御魂命の10柱で、近在の神社の合祀社となっている。
宇倍神社
鳥取県鳥取市国府町宮下651

鳥取市に鎮座する白兎神社。因幡の白兎の神話の舞台となった地である。御祭神は白兎神を主祭神とし、保食神を合祀する。

鳥居は日本海に向かって北向きに立つ。

階段を上がると大国主神と八上姫、そして白兎の砂像。近郊の鳥取砂丘の砂像は観光資源になっている。

手水舎の前に御身洗池がある。不増不減の池とも言われ、干ばつや豪雨にも水の増減がないという。神話ではこの池で白兎が身体を洗ったという。

池の前に拝殿。社殿は西向き。拝殿に参る。

拝殿後ろに本殿。

本殿の礎石は皇室と同じ菊の紋章が彫刻してある菊座石となっていて珍しい。

拝殿左の社務所で御朱印をいただく。兎のおみくじなど、兎の授与物がたくさんある。

社前は道の駅神話の里白うさぎ

駐車場には因幡の白兎をモチーフにした石像が立つ。

道の駅前には山陰海岸ジオパークに登録された白兎海岸の砂浜が広がる。

海岸に突き出た岬が気多之前、沖に浮かぶのが淤岐ノ島、その間に波蝕棚が飛び石状に連なり、物語の世界を彷彿とさせる。
白兎神社
鳥取県鳥取市白兎603

朝来市に鎮座する粟鹿神社。但馬国一の宮で延喜式の比定社であり明神大社。御祭神は彦火々出見尊とも日子坐王とも言われる。

深い森に囲まれている。鳥居をくぐってもまだしばらく木々の間の参道を歩いて行く。

開けると2つの門が見えてくる。

手前は勅使門で、朝廷の勅使のみが通れる門。記録では過去に4回開いたことがあるという。

奧の門が随神門で、こちらから入って拝殿に向かう。

随神門には正面に随神が門番をし、裏の狛犬が中に入った者を監視しているようだ。

拝殿に参る。

拝殿からは渡り廊下でつながった本殿。

境内社も多い。随神門をくぐって左に天満宮、御祭神は菅原道真公。

拝殿の左の池の中に厳島神社、御祭神は市杵島姫命。

その右の丘を上ると稲荷神社、御祭神は保食神。

稲荷神社の下には四角の池(井戸?)の中に茗荷神社、御祭神は草野姫命。

拝殿左には床浦神社、御祭神は大己貴命。

拝殿に右に猿田彦神社、御祭神は猿田彦神。

猿田彦神社の中には白馬像が祀られている。
粟鹿神社
兵庫県朝来市山東町粟鹿2152

金沢市に鎮座する安江八幡宮。御祭神は誉田別尊(応神天皇)、気長足姫尊(神功皇后)、玉依姫命。

此花町は旧町名を鍛治町といい、多くの刀鍛冶が住んでいたといい、現在も鍛冶に関係する神事が行われる。

鳥居をくぐって右側に境内社が並ぶ。右奥はむすびの社、御祭神は伊弉諾命、伊弉冉尊。

正面の社には石に彫られた剣を持った像が、詳細はよくわからない。

左に稲荷社。

拝殿に進む。

参道左に加賀八幡起きあがりの像がある。八幡大神の誕生の折の真紅の産衣を着けた姿を写したといい、氏子の一老翁が毎年正月に神前に献じたものを、社参の人々が愛児への健康祈願、厄払い、病気平癒のお守りとして大切したのが由来で、現在は金沢の郷土玩具のひとつとなっている。

拝殿に参る。右手に社務所があるが、普段は無人のため、左手の自宅を訪ねて御朱印をいただく。

相殿には天御中主命、安徳天皇を祀る金沢水天宮が鎮座。拝殿内には13代藩主前田斉泰公真筆の「水天宮」の額が掛かり、久留米水天宮の分霊を祀っている。
安江八幡宮
石川県金沢市此花町11-27

金沢市に鎮座する市姫神社。御祭神は大市比売神、事代主神、大国主神。神社の道路向かい側には近江町市場があり、市場の氏神になっている。

境内は南向き。周辺環境の変化のせいか境内はかなり手狭になっている。

拝殿に参る。

拝殿背後の本殿。拝殿右の社務所兼自宅で御朱印をいただく。
市姫神社
石川県金沢市尾張町2丁目2−22

豊国神社をはじめとした三社が卯辰山の中腹に鎮座する。

花菖蒲苑から参道が延びる。入口の鳥居の社名標は「愛宕神社」、扁額は「卯辰山三社」

千杵坂を上ると参道は右に折れる。その角に日暮ヶ丘という見晴らしの良い場所があり、遠く金沢城も臨める。藩政期、凶作で米買い占めが起こった際、町人が二晩にわたって金沢城に向かい「米よこせ」と叫んだ安政の泣き一揆の場所と推定されている。

三之坂を上ると瀧ヶ丘、右手に安達幸之助の碑。

二之坂を上ると威泉ヶ丘、右手に北越戦争戦死者の碑が連なって建つ。

最後の一之坂を上ると景雲台と呼ばれる境内。

境内に入ると左手に「業平の井筒」がある。謡曲「井筒」に由来する井戸であり、本来は奈良県の在原寺にあったものだが、幕末にこの地に移されたという。

階段を上った正面の社は卯辰神社。拝殿に架かる扁額は「天満宮」。御祭神は菅原道真公。

左手の奥に愛宕神社。御祭神は火の神愛宕大神。

右手に豊国神社が鎮座。御祭神は豊臣秀吉公。卯辰山王と称して秘かに豊臣秀吉公を祀った。表向きは卯辰観音と呼ばれ、藩政期は観音院の神事能が催された。神仏分離により幾度かの遷座で現在地に至る。
由緒ある社なので御朱印があるかと思っていたが、現在は市姫神社の兼務社であり、尋ねたところ授与していないと確認した。
豊国神社・卯辰神社・愛宕神社(卯辰山三社)
金沢市東御影町93

金沢市に鎮座する宇多須神社。御祭神は高御産巣日神、大国主神、八重事代主神、市杵嶋姫神、大山祇神、豊受大神、武甕槌神、少彦名神、宇迦之御魂神、毘沙門天、崇徳天皇、前田利家公と多い。

東山茶屋街の奥、卯辰山の麓に鎮座する。社殿は西向き。

右の狛犬は金沢でよく見られる逆立ち狛犬になっている。

拝殿に参る。

拝殿右の社務所で御朱印をいただく。
宇多須神社は卯辰村にあったという治田多聞天の流れを組み、現在も毘沙門天を祀り、御朱印にも毘沙門天の神使というムカデが押される。藩政期には藩祖前田利家公を祀るために高岡守山の物部八幡社を遷座し、卯辰八幡宮と称し、尾山神社に利家公が遷座さてから卯辰神社と称した。平成16年に再び尾山神社から利家公の御分霊を遷座した。

拝殿の左側から裏に回る。

本殿の左には前田利常公の酒湯をとった井戸。藩政期の藩主前田家の崇敬の名残は今も残る。
宇多須神社
石川県金沢市東山1丁目30−8

金沢市に鎮座する小坂神社。御祭神は天兒屋根命、武甕槌神、比咩大神、經津主神。

卯辰山への北西の上り道の麓に鎮座する。

一の鳥居は車道側に建つが、二の鳥居、三の鳥居は階段の途中に建つ。

長い階段の途中、拝殿の一段下の平場に、左側に稲荷社

右に天神社

黒澤社がある。

拝殿に参る。

拝殿前の右の狛犬は金沢市内でよく見られる逆立ち狛犬になっている。

拝殿の後ろに本殿。金沢の春日さんと言われるだけある朱色の社殿。

本殿の狛犬は犬のようなかわいい顔をしている。
小坂神社
石川県金沢市山の上町42−1

福井市に鎮座する佐佳枝廼社。御祭神は福井藩初代藩主結城秀康公、幕府初代徳川家康公、福井藩16代藩主
松平慶永(春嶽)公を祀る。社名は明治六年に春嶽公の命名。

明治維新後の創建で新しい神社だが、福井大空襲、福井地震により社殿は焼失した。新しい神社の表参道は南向き。地階が駐車場となっており、階段を上って境内に入る。

鳥居は福井城跡の東側にもある。

階段を上ると、広い境内、一直線に延びる白い参道。青い空が臨めれば清々しい神域です。

拝殿に参る。左の社務所で御朱印をいただく。

拝殿後ろの本殿。家康公を祀ることから福井の東照宮とも言われる。
佐佳枝廼社
福井県福井市大手3丁目12−3

福井市に鎮座する福井神社。御祭神は福井藩16代藩主松平慶永(春嶽)公。

神社は福井城跡の内堀の西北隅に鎮座する。

鳥居をくぐる旧社名標が立つ。元は内堀北南隅に立っていて、内堀の西側が神社参道だったという。社名標は昭和23年の福井地震で内堀に落ちて失われた。昭和58年の堀浚渫により引き上げられ設置された。

参道は鳥居をくぐると左に折れ、社殿は東向きに建つ。拝殿に参る。

拝殿の左側に御祭神の春嶽公の銅像が設置されている。

拝殿への参道左に摂社恒道神社には、幕末の福井藩士として活躍した中根靱負(雪江)、鈴木主税(純渕)、橋本左内(景岳)が祀られている。

福井神社は幕末の福井藩藩主と藩士を祀った旧別格官幣社である。

今日は社務所が無人であった。
福井神社
福井県福井市大手3-16-1

福井県に鎮座する柴田神社。御祭神は柴田勝家公、お市の方。

大通り沿いのため駐車場は少し離れた場所にある。

柴田神社は柴田勝家公創建の北の庄城址に建つ。境内には堀などが復元されている。

境内の隅、北の庄城址資料館が整備されている。

中には発掘により出土した遺物や北の庄城の歴史パネルなどが展示されている。

二階からは境内を展望できる。

NHK大河「江」の放映に合わせて北の庄城のミニチュア天守が期間限定で復元されている。

神社への表参道は北の商店街通りになる。二つ目の鳥居は東向き。社殿も東向き。鳥居をくぐると境内社の稲荷神社。

放映を記念して三姉妹の銅像も新設された。

お市の方と三姉妹の銅像の前、本殿の右に境内社の三姉妹神社に鎮座する。

拝殿に参る。

拝殿から見える柴田神社本殿

社務所で御朱印をいただく。
柴田神社
福井県福井市中央1丁目21-17

福井市に鎮座する藤島神社。御祭神は新田義貞公。

神社は足羽山の中腹に鎮座し、麓に朱色の大鳥居が立つ。徒歩は階段を上るが、駐車場は社殿近くにあり、そこまで上がれる。

建武中興十五社の一社で、旧別格官幣社である。

社殿は東南向き。石畳の参道を拝殿へと進む。

拝殿に参る。

拝殿右の社務所で御朱印をいただく。
藤島神社
福井県福井市毛矢3丁目8−21

福井市に鎮座する毛谷黒龍神社。延喜式の坂井郡毛谷神社の論社のひとつ。御祭神は高龗神、闇龗神、男大迹天皇。

足羽山の麓、東向きに社殿は鎮座する。

階段を上る。

黒龍の絵がなんとも勇ましい。

拝殿に参る。

拝殿の左に境内社の石渡八幡神社が鎮座。

その脇に願かけ石がある。願い事をかけて3回石をたたく。

一段下りて境内の左、西宮恵比須神社が鎮座。

御朱印を境内の社務所兼自宅でいただく。境内の隅、草に覆われて灯籠があった。側面に剣(または棒)をもった仏像が彫られている。
毛谷黒龍神社
福井県福井市毛矢3丁目8−1

福井市に鎮座する足羽神社。御祭神は第二六代継体天皇、大宮地之霊(坐摩神)五柱神の生井神、福井神、綱長井神、阿須波神、波比岐神。延喜式足羽郡の比定社で、土輪神社、山方神社、御門神社、於神社、都那高志神社を合祀したとして論社のひとつである。

神社は足羽山の中腹にある。

福井の地開拓の神として継体天皇を祀っている。

拝殿に進む前に境内を散策する。六地蔵宝塔、元禄期のもので神仏混淆の名残でもある。

石祠が3つ。

亀の祈念碑が2つある。長寿の象徴である。

こちらの亀は首が落ちてなくなっている。

拝殿に参る。

拝殿の横の社務所で御朱印をいただく。

さらに足羽山を上り、継体天皇像を見てきた。像は北の福井市街を向き、今も開拓の地を守っている。
足羽神社
福井県福井市足羽1丁目8−25
賀茂神社は、京都の中賀茂社を北陸道越前・越中・越後の層鎮守として、御所村に遷座したと伝わる。孝謙天皇の世に英田郷加茂村に遷座、平城天皇の世に、金津庄鉢伏、続けて現在の横山の地へ遷座される。平城天皇の勅願所として境内地を給わる。延喜式内社で、御祭神は賀茂別雷神、貴布根神、天照大神である。
今は夏祭りの季節で週末は忙しいらしい。日曜日から3日間通ってようやく御朱印を入手した。よって、以下の紹介写真は日曜日のもの。
平成10年に社殿と大鳥居を新調したので新しい。
社号標は若槻禮次郎元総理大臣。どういう関係だったのか?
鳥居をくぐって石の敷き詰められた参道を歩く。
手水舎の近くに「平城天皇勅願所」の碑が立っている。
新調された拝殿と境内はとてもきれいである。境内を囲む社叢が外界の雑音を遮ってくれる。
ふと絵馬が目に入る。「となりのテレ金ちゃん」とのタイアップの開運招福絵馬。残念ながら入手できず。
参拝のあと、隣の社務所による。しかし、誰もいない。正月くらいしか開けていないのかも。
敷地内の自宅で御朱印をお願いすると、社務所まで移動して書いて頂ける。
由緒書は拝殿の賽銭箱のところに置かれている。
境内を見渡すと社はもうひとつ。攝末社かと思いきや、なんと平成10年に建て替えられる前の本殿だそうだ。
龍神の彫り物もすばらしい。
狛犬も大変古い形式で、間近に本殿を見学できるのは貴重だ。
石川県かほく市横山リ119-1
TEL.076-285-0365
加賀神社は、津幡町内最高社格(県社)の神社であり、御祭神として加賀前田家五代藩主の綱紀公を祀っています。綱紀公の命日である5月9日を現在の暦に直した6月9日には、成巽閣館長も参拝され今でも前田家とつながりが深い神社です。
旧北陸道沿いの潟端バス停から西へ一直線に参道が延びる。
バス停の横には、公爵前田利為揮毫による社号標が立っている。
境内は思っていたよりも広くはない。
鳥居も道路からすぐで、その先に拝殿がある。こうして見ると他の郷社とほとんど変わらない規模です。
拝殿もとりわけ立派なわけでもないが、中には前田家に由来する寄贈品の写真が飾られている。
拝殿に掛けられた扁額は今は珍しい逆方向。
扁額の横には県社昇格に際して、前田家より献金があったことを示す額が掛けられている。
参詣後、横から裏にまわると本殿がある。今の建物は大正3年に改築されたものか。
裏口には諏訪神社跡が残っている。寛文12(1672)年に新開村された潟端新村の氏神として創祀されたのが「潟端諏訪神社」。御祭神は建御名方神と八坂刀売命。現在は加賀神社に合祀されている。
拝殿横に社務所があるが、入ろうかどうかと迷っているときにちょうど拝殿をおばあさんが掃除するために出てきました。御朱印ありますか?と尋ねると、朱印はある(つまり判子のみ)という答え。それでも良かったが、他の御朱印と並べると釣り合い取れないと考えていると、他の御朱印を参考に、筆ペンで神社名と参拝日を書いてくださりました。普段はほとんど書いていないようなので、とてもレアな一点となりました。
待っている間にいただいた由緒書を読んでいました。神社には綱紀公ゆかりの絵画や手紙が残っています。この規模の神社にしてはやはり社宝はすごいですね。
鳥居を入ってすぐのところに攝末社の稲荷神社が建っている。日曜日の昼下がりにしては静かな神社でした。
石川県河北郡津幡町潟端新ト10
TEL.076-288-2562
小濱神社は、加賀国二宮加賀郷総鎮守であり、創建は不明なれど養老2(718)年小濱磯崎から黒津舟に転遷、以後五郎島(天保3(1832)年)を経て、明治22(1889)年現在地に転遷される。御祭神は大己貴神、事代主神、少彦名神である。
天正12(1584)年の末森合戦のとき、前田利家が小濱神社で必勝祈願した話は有名。ただし、その時代は黒津舟にあった時代で、その比定地は現在海の中である。
拝殿正面の参道の鳥居は四足門となっている。
鳥居を入って右側に立つ巨木がご神木。
社号標側面には「延喜式内」と書かれている。
拝殿でお参りを済ませる。
藩政期は利家戦勝より前田家の崇敬、庇護厚く、拝殿にはそこかしこに梅鉢紋が付けられている。
拝殿の蛙又にも。
拝殿正面の開き戸にも。
参道沿いに6本立つ灯籠のうち、拝殿にもっとも近い灯籠は、「寛永」の年号が残る。
(薄くなって年号までは読めない)
本殿の神域に入る戸にも梅鉢紋が付いている。
境内地には攝末社として磯崎神社が建てられている。創建の地、小濱磯崎の名を冠する神社である。
鳥居は側面の道路沿いにも設置されている。こちらのほうが新しい。
手水舎には龍神様。
境内の忠魂碑の前には武者騎馬の石造が建てられている。
最後に横にある社務所兼自宅で御朱印をお願いしました。氏子神社も多いため、日によっては御朱印いただけないこともあるようですが、今日は運良くいただけました。
由緒書は拝殿のご賽銭箱のところに置かれている。
〒920-0266
石川県河北郡内灘町大根布三丁目157
TEL.076-286-0012
白山比咩神社は、霊峰白山を神体山とする白山比咩大神を奉斎したのが始まり。「下白山」と称せられた白山本宮は、霊峰白山の「まつりのにわ」として、金劔宮、三宮、岩本宮と並ぶ白山四宮のひとつである。現在は「白山さん」として親しまれる加賀一宮、白山登山道のひとつ、加賀馬場の神宮寺である。創建は崇神天皇7(紀元前91)年、火災などで境内地が変わり、現在は三宮のあった地に鎮座する。
御祭神は、伊弉諾神、白山比咩大神、伊弉冉神である。白山比咩大神は、菊理媛神とも呼ばれ、縁結びの神として古くより親しまれている。
車で行く場合は北参道が便利だ。この赤い大鳥居を目印にする。
車を駐車場に停め、北参道に建つ鳥居。
北参道の鳥居の横には明治時代の社号標が立っている。
境内に入る前に表参道を下って、表参道を上る。表参道入口の大鳥居。
大鳥居の横に立つ社号標は、東郷平八郎の謹書による。
杉や欅、楓など大木が参道脇に立ち並び、厳かな雰囲気の中、参道を上る。
途中、琵琶滝という水の流れが見える。このところの好天で水は少なめ。
参道の中間に手水舎があり、そこに鳥居が立つ。手前にはご神木の老杉が立っている。
表参道最後の鳥居をくぐると神門が見える。
神門前には攝末社の荒御前神社が建つ。南参道には住吉社が建っている。
神門には神馬舎が付属している。
神門をくぐると目前に拝殿が見える。
拝殿左前にご神木の三本杉が立つ。昭和天皇がお手まきされた杉の種を植樹したものです。
境内には白山奥社遙拝所がある。
お参りの後、社務所で御朱印をいただきました。巫女さんが書いてくれるのですが、もう少し勢いある字を書いて欲しいと思うのは自分だけか。
由緒の書かれたパンフレットを頂き、略史を購入してきました。
北参道、神社庭園である白光苑の前に名水、白山霊水が水を湛えている。
神社庭園は無料で入れる。苔むした庭園地が広がっている。
池の向こう岸に旧宝物館がまだ残っている。今日はここまで。
移動して、舟岡山城跡を上っていくと「白山比咩神社創祀之地」という場所がある。ここが崇神天皇7年に初めて白山本宮が建てられた場所と伝わる。
〒920-2114
石川県白山市三宮町
TEL.076-272-0680
金劔宮(きんけんぐう)は、崇神天皇3(紀元前95)年の創建。「劔の宮」、「金劔神社」、「金劔神宮」、「金劔明神」、「劔明神」と時期により呼び方は異なるが、「鶴来」は元は「劔」(または「剣」)と記されたため、地名が神社名となっている。平成17(2005)年鎮座2100年祭が執行される。
「白山記」、「源平盛衰記」などによると、白山七社のひとつで、白山本宮、三宮、岩本宮とともに本宮四社とされ、白山第一王子と称されたことから御朱印にもその印が押される。
御祭神は、天津彦彦穂瓊瓊杵尊、大国主命、事代主尊、猿田彦命、日本武尊、大山咋命、菅原道真公である。
鳥居横境内を囲むように巨木が林立するが、本殿背後の社叢(入らずの森)は「ウラジロガシ」の残る県内唯一の自然林である。
駐車場入口に立つ神社名標の文字は明治神宮宮司の筆による。
拝殿横にも大きな杉の木が立つ。
拝殿に架かる金劔宮の扁額。
狛犬は拝殿前にも対に護っているが、拝殿横にまわると、本殿前にも古い風変わりな狛犬が対で護っている。とても古そうだ。
社務所の授与所で御朱印を頂いた。とても勢いのある字で書いていただける。
授与所に由緒書が置いてあるので忘れずいただく。
社務所で御朱印を待っている間、飾られていた写真を見た。
そのひとつが、「見猿」「言わ猿」「聞か猿」の三猿のひとつ「聞か猿」に見える幹跡。拝殿左の杉の木で、二年前の写真だったので今はちょっと見えなくなってきたみたい。
もうひとつが、招魂社前手水舎右の杉の木。龍神様です。こちらは写真角度によって今でも龍神様に見えます。
ほら!見えるでしょ。
金劔宮境内には多くの攝末社が建っている。「金運神社」として知られる「乙剣社」。
「金比羅社」
「丈六宮」
「粟島神社」
「えびす社」の前には、天平時代から枯れることのない「天の真名井池」がある。
「招魂社」
「招魂社」の社名標は、林銑十郎元総理大臣の書によるもの。
拝殿前には能舞台がある。源義経が奥州に向かう途中に参詣し、神楽を奉納したと伝えられるが、
石川県は加賀藩の庇護下で能がさかんになった。松の絵なのでやはり能舞台。
拝殿前の手水舎近くに、「義経腰掛石」が残っている。他に「牛石(天忍石)」、「亀石」が残る。
10月の秋季祭で奉納される「ほうらい祭り」は白山市指定無形民俗文化財。
金劔宮
石川県白山市鶴来日詰町巳118
春日山城跡に建つ春日山神社の御祭神は上杉謙信公である。童話作家の小川未明の父、澄晴が昔のままに謙信公にお住まい願おうと建立した。併せて、菅原道真公と岩屋大黒天を祀っている。
参道は駐車場から長い階段を上って続く。もうひとつは謙信公銅像前からの平坦路。
階段前の「大義名分」「公明正大」の2本の碑は地元の陸軍大将から送られたようだ。軍神と慕われた謙信公らしい。
階段を上ると境内が広がる。休日の境内は賑わっている。
鳥居横に立つ社号標の揮毫は東郷平八郎氏によるもの。
拝殿は本殿とともに明治34年に建てられた。
境内の社務所は小川未明の実家を移築したものである。
末攝社として境内奥に稲荷神社が建てられている。
春日山城のシンボルとして観光用パンフレットにも載っている「上杉謙信公銅像」
謙信公が臨むのは、武田信玄と争った川中島の地か?
鳥居横の売店で御朱印を頂ける。といっても、あらかじめ書かれた御朱印に日付を入れてくれるだけだけど。
日曜日は定期的に上杉おもてなし武将隊が境内で演武を披露してくれる。
最後には記念撮影会も開かれて、子供たちは大はしゃぎでした。
上越市大豆1743
TEL.025-525-4614
榊神社は明治4年廃藩置県が行われた高田藩の有志が藩祖榊原康政公をまつる神社設立をめざして領内から募金をつのり、明治9年建立された。神器として康政公の鎧、冑、刀剣類等を保存している。御祭神は、榊原康政公、三代忠次公、十一代政令公、十四代政敬公である。
榊神社は高田城大手橋からほど近くでした。
境内はそれほど広くはないものの鳥居は2つある。
境内には「雙輪館」という建物が建っている。おそらく宝物館けど、いつなら中に入れるのか?
拝殿正面の鳥居。
拝殿はそこそこ立派ですね。
拝殿にかかる扁額は「正二位伯爵○高行謹○」と書かれているが、誰なのかわかりません。
拝殿に併設されて舞台が建てられ、「舞楽殿」という扁額が架かっている。石川出身だとこういう舞台は能舞台だと思ってしまうけど、確認したら神楽だということでした。5月13・14日の例祭で披露されるそうだ。
御朱印があるかどうか確認のため社務所へ。残念ながら御朱印は用意されていませんでした。旧高田市では一番大きな神社のように思ったんだけど・・・
社務所前の手水鉢の龍神様はいかにも勇ましい感じだった。
上越市大手町4-12
TEL.025-523-5276
居多神社は、越後一宮であり、越後国司や守護上杉家、上杉謙信の厚い保護を受けた。承元元年(1207)、親鸞聖人が越後国府に配流となり、居多ケ浜に上陸すると居多神社にまず参拝したと伝えられている。
神社前駐車場に車を停め、神社に入る。
鳥居前に越後七不思議のひとつ「片葉の葦」が群生している。神社に参拝した親鸞聖人が念仏が盛んになるように祈願すると、一夜にして境内の葦が片葉になったと伝わる。
本当に片葉なのか?と見てみると、そうは見えないもののあったが確かにこれなんかは片葉だった。
階段を登り鳥居をくぐって境内に入る。
拝殿は立替えされきれいになっている。
拝殿にかかる扁額は「居多神社」ではなく、「居多大明神」となっている。
拝殿の右側に古い石造りの祠が2つ建っている。末摂社の稲荷神社。狐はいるけど赤い鳥居がないので少し違和感がある。
そして末摂社の雁田神社。子宝・安産の神様です。
拝殿にお札は置いてあったものの御朱印が見当たらなかったので、境内にあったご自宅らしき家に向かった。
表札はなかったものの玄関口に御朱印が置かれていました。少し眺めていると奥から神主さんが出て来られました。休日の朝早かったのでご在宅だったようで、御朱印が欲しい旨を申し出ると直筆で書いて頂けました。おそらくは上杉謙信や直江兼続など歴史著書も多い花ケ前盛明さんだったのだと思います。感動っーー!
墨が濃く乾くのに時間がかかったよー
順序は逆になってしまったが、鳥居から五智国分寺へ続く参道を歩くことにする。
参道は越後国府の中心地五智国分寺への参道と分かれ道になっている。一の宮参道の入口の鳥居は大鳥居であることも多いが、この鳥居はむしろ境内入口の鳥居より小さい。
とはいえ侮れない!鳥居柱に刻まれた文字には「天明」の文字が・・・とても古い由緒ある鳥居です。
境内の拝殿前の観光ポスト、またはご自宅の玄関で神社の由緒が書かれたパンフレットを入手できる。
居多神社に行く途中の愛宕神社の門前に蓮池が広がっていた。
ちょうど大輪の蓮がきれいに咲いていた。
〒942-0081
新潟県上越市五智6丁目1の11
TEL.025-543-4354
石浦神社は、藩政時代に石浦山王、地主権現、慈光院などと呼ばれ、明治維新の神仏分離令によって氏子地の石浦の郷名をとって石浦神社と改名し、明治13年に現在地に移転した。御祭神は、大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神、天兒屋根大神、市杵島姫大神、誉田別大神の七柱である。
兼六園真弓坂方面から入る鳥居がある。
鳥居を入って左に広坂沿いに進むと古い灯籠が立っている。
本殿、拝殿の左には末摂社の広坂稲荷神社がある。
赤い鳥居をくぐって進むと拝殿に至るが本殿はどこかなー?と探すと、上の方に祀られていた。
稲荷神社参道脇には「すし塚」。すし職人の奉納?
隣には「包丁塚」。包丁職人の供養塔か?
多くの人は拝殿正面のこの大鳥居より境内に入る。
大鳥居左奥の木がご神木のようだ。
拝殿の右が社務所になっている。建物内に入るとお守り授与所となっていて、そこで御朱印も頂ける。
拝殿で詣ったときはぜひ上を見上げてみてほしい。珍しい彫刻が掲げてある。
この彫刻は加賀藩御用彫物師で獅子頭など多くの名品を残した武田友月の作品で、弁慶が力強く釣り鐘を曳く様を現している。
今は旧盆と新盆の間でぼんぼりが吊られている。
石浦神社には兼六側に1本、拝殿正面に1本、社務所斜め前に1本の3本の神社社号標が立っている。
社務所斜め前の社号標は明治33年のもので一番古く、「北方蒙 謹書」と書かれているが、達筆で世に知られた「北方心泉」のことである。
御朱印をいただくと1枚裏表の由緒がいただける。
金沢市本多町三丁目1-30
TEL.076-231-3314
金沢神社は加賀藩11代藩主前田治脩(はるなが)が寛政6年(1794)に、兼六園の現在の梅林の地に藩校明倫堂を建て、その鎮守社として金城霊澤のほとりに創建した。兼六園が整備されるにあたり竹沢御殿の鎮守となったが、一般の人々が参拝できるようになったのは明治7年5月7日、兼六園の一般公開と同時である。御祭神は学問の神であり前田家の先祖である菅原道真公、前田斉広(なりなが)公、前田斉泰(なりやす)公。
広坂沿いの観光客にも目につく場所に立つ鳥居。兼六園の随身坂口への最短ルートである。
鳥居をくぐると境内入口にある「金城霊澤」
「金澤」のまちの名の由来ともなったとても澄んだ水を湛えている。
井戸の上には水の守り神である竜神が描かれる。
境内にある池には蓮が見頃を迎えていました。
好天に大輪の花を天に向けて咲かせる蓮がきれいでした。
拝殿正面にもうひとつ鳥居がある。
まっすぐの参道を進んで門をくぐると拝殿だ。
赤い拝殿は印象的です。
屋根の鳳凰も変わっていますよね。
拝殿には前田家始祖である菅原道真公ゆかりの能「老松」の奉納額も掛けられている。
暑い日でしたがお手水の水はとても冷たかった。
御朱印と一緒にしおりをいただけます。由緒はお守り授与所に置いてある。
御朱印は神主自らが書いてくれる。巫女が書くことも多いのでうれしい。とても達筆!
境内には上辰巳町にある板屋神社の遙拝所があります。祭神として祀られる板屋兵四郎は辰巳用水を設計し、金沢城まで水を引きました。兼六園も辰巳用水あっての名園です。
拝殿横には辰巳用水の石管が展示されている。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
尾山神社は御祭神として加賀藩藩祖の前田利家公と正室まつを祀る神社です。利家公は卯辰山麓の卯辰八幡宮に祀られていたものを、明治6年旧金谷御殿(金沢城内の藩主子女が暮らした場所)跡地に遷座されました。
旧北国街道の南町交差点からそれほど長くはない参道ですが、冬はここに金板が立てられ、雪景色のときはとてもいい雰囲気になります。
長らく金沢の観光名所のひとつになっている神門をくぐって境内に入ります。
明治8年に完成し、三層目のギヤマンと日本最古の避雷針が見所です。
尾山神社鳥居前を流れていた西内惣構は、車社会の到来とともに蓋をかぶせられて暗渠化されていましたが、近年開渠されました。
平日の境内は人気が少なく、初めて誰も居ない神門越しの拝殿を撮影できました。
境内には利家公の鯰尾兜のレプリカが輝いています。
NHK大河「利家とまつ」を記念して建立された利家の若き日の像は槍を天に突き立てて凜々しく立っています。
尾山神社拝殿でお参りして隣のお守り授与所で御朱印をいただきました。巫女さんが丁寧に書いてくれました。
尾山神社の隣に摂社の金谷神社が建っています。
ここに祀られているのは、加賀藩2代の利長公から14代の慶寧公までと明治以降の17代利建公までの藩主家当主とその正室(夫人)となります。
南の神門から入った方は東の東神門をお見逃し無いように!金沢城の二の丸の門と伝わる、金沢城の数少ない建造物遺構のひとつです。
御朱印をいただくときに下の案内パンフを一緒にいただけます。上の小冊子は尾山神社の歴史と境内の案内所でお守り授与所で購入できます。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1
気多大社(氣多大社)は、気多神宮とも言われ、能登国一宮である。御祭神は大国主神。社殿背後に「入らずの森」と言われる社叢が、人の手を入れていない原生林として広がっている。
駐車場は社殿のすぐ近くにある。しかし、鳥居の前に立って振り返ると、海の方角に大鳥居が見える。まずは大鳥居から往時の姿を想像してみることにした。
御朱印をいただくと氣多大社の「氣」の字が書かれた書をいただける。
7月、8月の2カ月間は「縁結び祭」と称して、縁結びの強化月間のようで、神門でもらう案内には縁結びのお守りの案内が、さらに名刺サイズの祭りチラシが所々に置かれている。
さて、海沿いに下りてきて、大鳥居の前に立つ。遙か向こうの山の麓に社殿がある。しかし、この参道の一本道の両脇には民家が建ち並ぶのに、この社殿までの参道が良好に残っているのは貴重だな。
大鳥居の横に立つ社号標のは明治34年の建立。
ほぼ中央の県道を渡ると、大鳥居まではこのくらい。
振り返って、社殿鳥居までは上り坂で同じくらい。
鳥居をくぐると境内はそれほど広くはない。神門をくぐると、バイトの巫女さんが参拝順序を説明してくれる。
正面は拝殿、その後ろに本殿。
拝殿左側に幸せむすび所が建てられている。近年気多大社はこの縁結びに非常に力をいれている。自分の幼い頃は学業成就だったと思うけど。
拝殿右側にはお守り授与所が立ち、前には縁結びの道が作られていました。
拝殿前には昭和天皇御製碑が立っています。注意して見渡さないと見逃します。
社殿の領域が出たところに、社殿背後に広がる「入らずの森」の入口があります。当然入ってはいけません!
入口には何百年もそこにあるような大きなタブが立っていました。
境内には菅原神社も建っています。学業の神様、菅原道真公を祀っています。
入口の橋は「合格橋」と命名されて、橋を渡って合格を祈願します。自分も金沢検定合格を祈願して渡りましたよ。
〒925-0003
石川県羽咋市寺家町
TEL.0767-22-0602