越後新発田 諏訪神社

新発田 諏訪神社

新発田市に鎮座する諏訪神社。御祭神は建御名方命を主祭神とし、八坂刀賣命を配祀する。また相殿に藩祖溝口大祖源秀勝朝臣命(新発田藩 初代藩主)を祀る。

新発田 諏訪神社

大化4年(648)に聖籠町諏訪山に鎮座したのを創祀とし、新発田藩初代溝口秀勝公が新発田城内に遷座したという。その後、三代宣直公が鍛治町へ、四代重雄公が現在地に遷座した。

新発田 諏訪神社

神門の先に鳥居、社殿が一直線に並ぶ。

新発田 諏訪神社

朱色の四足鳥居

新発田 諏訪神社

社殿の右に御柱が立っている。

新発田 諏訪神社

御柱は6年毎の例祭に合わせ建て替えられ、現在の御柱は平成28年8月に諏訪大社下社春宮から一之柱を下賜された。

新発田 諏訪神社

拝殿に参る。拝殿には「諏方神社」と「溝口太祖神」2枚の扁額がかかる。

新発田 諏訪神社

本殿とは幣殿でつながる。

新発田 諏訪神社

拝殿の左手に社務所があり、ここで御朱印をいただく。

新発田 諏訪神社

参道右の御柱の右手に神輿殿があり、

新発田 諏訪神社

2基の神輿が納められている。左に見える石鳥居は大成建設やサッポロビール、ホテルオークラなどを創業した新発田市出身の財閥家、大倉喜八郎が奉納したものだそうだ。

新発田 諏訪神社

神輿殿の手前の参道右手に境内末社があり、古峰大神(日本武尊)と猿田彦大神を祀る。

新発田 諏訪神社

参道の左手の一番奥には末社大若稲荷神社があり、

新発田 諏訪神社

ひとつ手前には五十志霊神社が建つ。当社には新発田藩に功績にあった人々を祀り、義民大竹与茂七を合祀している。

新発田 諏訪神社

大竹与茂七は中之島の名主で百姓一揆を扇動したという罪で首を刎ねられたが、後に名誉回復が図られたという。
左の碑に使われる石は天明の大飢饉で新発田藩から仙台藩へ千俵の救援米を送ったお礼にもらった2枚の内の1枚で、

新発田 諏訪神社

もう1枚は社務所の横に昭和天皇在位六〇年奉祝記念碑として、昭和天皇の御製が記されている。

新発田 諏訪神社

一番手前に末社厳島神社が建つ。

新発田 諏訪神社
新潟県新発田市諏訪町1丁目8-9

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