著者:田岡香逸
発行所:民俗文化研究会
発行日:1971年12月1日
ページ数:107ページ
西宮の延喜式内社4社に関する論考を載せる。「日本上古史研究」に投稿された論考に再検討を加えた前・後編と再録の別編二考を掲載する。
続きを読む 日本神信仰史の研究 西宮の延喜式内社の歴史 甲陽文庫ノート(2)
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神社百景DVDコレクション29 阿蘇神社・藤崎八旛宮
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2017年6月20日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の中から「阿蘇神社」(#32)、「藤崎八旛宮」(#31)を収録している。ナレーションは堤真一氏。熊本地震で甚大な被害を受けた阿蘇神社、藤崎八旛宮では熊本城を紹介している。
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信濃上田 眞田神社
上田市の上田城内に鎮座する眞田神社。御祭神は上田城の歴代城主である真田氏二代、千石氏三代、松平氏七代を祀る。
御朱印の六文銭の中央の文字は月によって変わる。6月は「智」
本丸東虎口の櫓門をくぐるとすぐに鳥居が建つ。
社号標には真田氏の家紋六文銭が描かれているが、神社の創祀は明治12年に旧藩主の松平氏の初代から三代(上田入封初代)を祀った松平神社になる。昭和28年に歴代城主を合祀して上田神社と改称、市内の同名他社と紛らわしいために昭和38年に再改称して現社名となる。
参道の右に大きな眞田赤備え兜が飾られている。
参道左の城跡の土塁の上に御神木の切り株が残る。倒木の恐れがあって伐られたが樹齢450年を越え、真田氏の頃からここに植わっていたようです。今は屋根がかかるが、以前は眞田赤備え兜が被せられていたようで話がつながりました。
拝殿に参る。
拝殿の後ろには渡り廊下の先に本殿。左に抜け穴の伝説が残る眞田井戸が残る。
拝殿の右に社務所が建ち、御朱印をいただく。もう何年前になるのか、以前来た時は左側にあったような。
社務所の表札は「眞田幸村」。洒落ているなー
眞田神社
長野縣上田市二の丸(上田公園内)
信濃上田 上田大神宮
上田市に鎮座する上田大神宮。御祭神は天照皇大御神。明治19年に伊勢の皇大神宮(内宮)の末社として、長野・新潟・群馬三県の教化及び大麻頒布の拠点として建てられる。
玉垣に囲まれた境内の入口に鳥居。
拝殿に参る。拝殿には「光華明彩」の扁額がかかる。
拝殿前には左右に大きな竈が置かれている。
拝殿前左手に境内社の三峯神社。御祭神は伊弉諾大神と伊弉冉大神。
拝殿左に境内社の上田恵比須神社。御祭神は恵比須神と大国主神。
拝殿横は通り抜けできないが、間から神明造の本殿が見える。御垣の中にあり、横に小さい境内社があるようだ。
拝殿右に社務所があるが、今日は留守だった。
上田大神宮
長野県上田市中央北2-5-5
信濃上田 山家神社 真田相伝六神社御朱印巡り一
上田市に鎮座する山家神社。御祭神は大国主神、伊邪那美神、菊理媛神を主祭神とし、日本武尊、神八井耳神を相殿に祀る。延喜式小縣郡の比定社で、日本百名山にも選ばれている四阿山に奥宮が建つ。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社ですべていただく。
1 山家神社
2 真田神社(山家神社境内社)
3 皇大神社(真田氏館跡)
3 諏訪神社(真田氏本城)
4 安智羅神社(松尾古城)
5 北赤井神社(天白城)
普段御朱印帳はひとまわり大きい市販品を使用していて、神社では購入しないのだが、山家神社では御朱印帳限定朱印があり、兼務社など種類も多種類なるので購入した。ちなみに御朱印帳は二種類あり、今回は山家神社のもの。裏表紙に十一面観音の後ろ姿が描かれていて、お気に入りの一冊。もう1つは真田神社のもので、六文銭が描かれ、御祭神の真田家四公から御朱印を選ぶ。
山家神社御朱印帳の扉ページ(初め)に書いていただける神宮寺の御本尊だった「白山大権現」
そして、今年は霊峰白山開山1300年であり、その奉祝御朱印(見開き)もいただいた。来年奥宮のある四阿山が開山1300年ということで、開山1299年印も押される。来年は四阿山開山1300年御朱印があるのかな?
北西向きに参道が延び、社殿が建つ。社号標には「延喜式内 縣社山家神社」と書かれている。
社前の道路の先に奥宮が鎮座する四阿山を望むことができる。
一の鳥居
二の鳥居
拝殿に参る。拝殿には有栖川宮殿下揮毫の扁額がかかる。
手水舎の横に御神泉。「日本武尊お手洗いの神泉」と書かれている。
拝殿本殿のまわりに境内社が並んでいる。左から回る。
嘉永7年の般若供養塔
駒形稲荷社、御祭神は保食神。真田郷の馬守護神
諏訪社、御祭神は建御名方神
北野社、御祭神は菅原道真命
浄定社、御祭神は藤原浄定命。四阿嶽開山の祖。霊峰白山開山1300年奉祝御朱印に押される修験者が浄定のようです。
七家明神、七氏族の祖先を祀ったというが祠は7基以上あり、氏族も不明という。奥の屋根のかかる松の木には戦時中に油を取ろうとした跡が残っているようだが見忘れた。
山の神の石祠、御祭神は大山祇神。右にもう1基は祠側面に彫物が残る。
健雄社(須佐之男神)、日枝社(大山咋神)、大歳御祖社(大歳御祖神)の三社合祭殿
子安社、御祭神は木花咲耶姫神。真田信幸公の正室小松姫が寄進し、その後松平忠愛公の奥方が修造されたという。
子安社の左後ろに男石
子安社の右後ろの木の洞の中に女石
阿夫利社、御祭神は大山祇神。石には保食神と書いてあるけど、明治3年の奉斎。
蚕養大神。後ろに金比羅社が写っているが、本殿背後の森の中の社や石像をいくつか参り忘れた。
社務所と横に宝物庫。ちょうど車のお祓いをされていて、少し待っていた。昼の時間だったが、お祓い終了後に対応していただいた。
山家神社
長野県上田市真田町長4473
信濃上田 真田神社 真田相伝六神社御朱印巡り二
上田市に鎮座する真田神社。御祭神は真田幸隆大人命、真田昌幸大人命、真田信幸大人命、真田信繁大人命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
山家神社の境内社として鎮座。明治に入り真田氏発祥の地に創建、真田家十代幸民公に許可を得て、真田本家から神璽を奉斎される。現在地には大正8年に遷座される。
赤い鳥居をくぐって参道を進む。
真田神社の鎮座する場所は、山家神社の神宮寺であった白山寺があったところで、明治の神仏分離令により廃寺となったという。
拝殿に参る。
拝殿にかかる扁額は真田家十四代幸俊公の謹書で、真田本家公認の唯一の神社という。
拝殿には宮司揮毫の「白山大権現」の掛け軸がかかる。
神明造の本殿
拝殿前の参道中央に「真田の碁盤石」が置かれている。松尾古城に信繁の碁盤石の伝説があるといい、碁盤には五円玉で六文銭が作られている。
拝殿の階段横に松根油抽出の跡の残る松がある。というのも、昭和25年新たに招魂社を立てる余力がなかったため、旧長村の戦没者の英霊149柱が合祀されている。
拝殿前に建つ明治41年の日露戦役記念碑
同じく明治41年の忠魂碑
昭和46年の平和塔。由緒を知らないとなぜここに建っているか分からないが、つながった。
真田神社
長野県上田市真田町長4473
信濃上田 安智羅神社 真田相伝六神社御朱印巡り五
上田市に鎮座する安智羅神社。御祭神は安智羅明神。
松尾古城を道しるべに神社へ向かう。真田氏本城(松尾城)に移る前に本拠があった場所で、新しい松尾城に対し松尾古城と呼ばれる。北上州からの侵攻を監視できる場所で、本拠を移した後も物見砦として利用されたと考えられている。
石段で一段上に上がる。南向きに鎮座。角間集落の産土神。
神社のあたりだけ杉が一際高い。
赤い鳥居の先に社殿。
社殿に参る。
中には写真が一枚。安智羅は薬師如来に仕える十二神将の一人安智羅大将と考えられているが、真田幸隆公の幼少の姿を写した像を祀り、写真がその像らしい。地元の人は幸隆公を安智羅大将の姿(生れ変わり)を見ていたのかもしれない。
社殿右に石祠が1基。
参道左手に阿弥陀堂。
その前に石像があり、かなり風化しているが、右膝を立てて甲冑のようなものを着ているように見える。もしかしたらこれも幸隆公だったのだろうか。
段の西側に日向畑遺跡がある。真田氏館跡へ移動する前に真田氏の館があった場所と推定されている。
遺跡から松尾古城への登城道が続く。
遺跡には五輪塔や宝篋印塔が並び、墓標とした墳墓跡群とされる。
安智羅神社
長野県上田市真田町長 3057
信濃上田 諏訪神社 真田相伝六神社御朱印巡り四
上田市に鎮座する諏訪神社。御祭神は建御名方命、八坂刀売命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
神社のあたりだけ鬱蒼としている。南向きに鎮座。
旧上原村十林寺集落の産土神として諏訪大社から分霊された。
鳥居に「諏訪神社」の扁額がかかる。斜面に鎮座するため、石垣で境内を一段上げている。
拝殿に参る。
本殿は檜皮葺きかと思ったが板葺だろうか。脇の松が天に昇る龍のようにも見える。
拝殿右に「八幡宮」と書かれた鳥居
奥に石祠が3基並ぶ。中央は八幡宮。左は石祠の屋根に梅鉢が付いているので天満宮か。
右のみは中に石像が残る。左手に壺のようなものを持っているので薬師様の薬師堂か。
拝殿右手にも石祠があり、中に像らしきものがあるが何かは不明。
神社からは上田平がよく見える。
神社の鎮座する山頂に真田氏本城が築造された。別名松尾城、真田本城。
城跡からは北東に四阿山が遠望できる。
山頂を利用した南端の土塁。
北に向かって本郭、二の郭、三の郭が続く。神社創祀の別説として、真田幸隆公が松尾城を築城するにあたり、城の守護神として城の弱点となる南側(搦手)に主家武田家の崇敬する諏訪明神を祀ったとも言われる。
諏訪神社
長野県上田市真田町長字十林寺5008
信濃上田 北赤井神社 真田相伝六神社御朱印巡り六
上田市に鎮座する北赤井神社。御祭神は須佐之男命。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
神社は真田昌幸公が築いた天白城(天箱城)の麓にあり、天白城への登城道を通る。
かつては天箱社(天白社)と称し旧上原村赤井、下塚両集落の氏神であり、天白城の守護神として崇敬された。
鳥居前にいくつもの五輪塔が並ぶ。
鳥居の先、拝殿に詣る。
拝殿の背後に本殿はなく、1本の御神木が神様の依代のようだ。
背後に石祠が1基残る。
拝殿前の右手から柵を開けて天白城に通じる。
北赤井神社
長野県上田市真田町本原字北赤井3912
信濃上田 皇大神社 真田相伝六神社御朱印巡り三
上田市に鎮座する皇大神社。御祭神は天照皇大神。
式内山家神社とその兼務社で真田氏にゆかりの深い地に鎮座する神社を巡る旅。御朱印は山家神社でいただく。
神社は真田氏居館(御屋敷)跡の東郭に鎮座する。真田昌幸公が上田城を築城し居を移すときに、居館跡の保存のため神宮の御分霊を祀ったと言われ、旧上原村の総鎮守。
大手門跡の入口に木製の社号標。見えにくくなっているが「真田御屋敷皇大神社」と書かれている。
社殿は西向きに鎮座
鳥居の注連縄がゆったりと掛かっている。
階段をのぼっていくと、右手に手水鉢。「御手洗石」と呼ばれ、寛永6年(1629)か宝永6年(1709)か明確ではないが、正面の立葵紋、右面の剣にて千切の紋、左面の稲穂紋が彫られていて、小松姫の実家の本多家から真田家に贈られたものと伝わる。
平入りの拝殿に参る。
拝殿左手に「御北の松」、長篠合戦で戦死した真田家二代信綱の正室が亡き夫を忍んで植えたものと伝えられる。
拝殿の後ろに拝所と玉垣に囲まれた本殿が建っている。
小さいながら茅葺きの神明造の本殿
社殿右側にいくつか石祠が点在する。保存のため周辺の村から集められたものだろうか。
拝殿右裏の石祠に石像が残る。右手に剣、左手に金剛杵か?仁王像だろうか。
2基の不明な石祠
庚申信仰の青面金剛像
天神宮
八幡宮
三峯神社
社前、西曲輪の先には砥石崩れで有名な砥石城が見える。
皇大神社
長野県上田市真田町本原字御屋敷2964
加賀金沢 波自加彌神社④ はじかみ大祭
金沢市に鎮座する波自加彌神社。御祭神は波自加彌神と正八幡神を祀る。
今年の御朱印には「はじかみ大祭」の文言が入るようになりました。
毎年6月15日に全国の香辛料メーカーや生産者からの奉納及び参拝をいただき、はじかみ大祭が斎行される。20年ほど前に復活した祭りですが、近年はだんだんと知名度が上がり、奉納品や参拝者が増えてきている。
境内社にもショウガが供えてあった。
元宮近くの黄金清水の霊水の中にショウガを投入し、
笹でかき混ぜるという湯立神事も今年は間近で見ることができた。
地元のテレビ局や新聞社がすべて取材にやってきて、祝詞奏上や玉串奉奠ではこんな状態になる。夕方のニュースをチェックすると片隅に映ってました。
ショウガ湯は神事の後、参拝者に振る舞われる。
大祭のための特殊神饌は、山盛りのショウガと、真ん中にワサビ、後ろの葉っぱのようなのがサンショウ、その手前の白く細いのが金時ショウガということです。
波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165
富山新川 新治神社
黒部市に鎮座する新治神社。御祭神は譽田別尊、建御名方命、少彦名命。三代実録記載の新治神の比定社。
境内はとても広い。往古は少し北方にあったというが、今は海の中。
境内に入ると左手に駐車場、右手に社務所と宮司宅が建つ。ちょうど出かける準備をしていた方に御朱印を尋ねると、授与しているが今は書く人が外出中ということだった。
社号標は旧富山藩主の前田利男伯爵の揮毫。
参道の途中に一の鳥居、玉垣の中に二の鳥居が建つ。
拝殿に参る。
拝殿右手に宝物殿。前の道や社叢の中はフンで白くなっている。
というのも、入るときから「グァー」という鳴き声が響いていた。多くは冬に葉を落とす高い広葉樹の枝の間に巣を作るサギが、ここでは松しかないためか、松の木の上に巣作りをしていた。
宝物殿の入口の左右には神馬が奉納されている。佐渡の文学士矢浪淑次郎氏からの奉納で、右に白馬、左に鹿毛馬。
白馬の上にどこにあったものだろうか、猪の木像が置かれている。
神社の左方、池に浮かぶ島がある。「月見嶋の清水」というとやまの名水で、地下水が自噴している場所という。
ふと見上げるとこの付近には鷹(隼?)が数羽いて、サギなど神社に集まる鳥を狙っているようだ。神社でバードウォッチングも楽しそうだ。
新治神社
富山県黒部市生地716
越中滑川 加積神社
滑川市に鎮座する加積神社。御祭神は素盞嗚命。三代実録記載の賀積神がこの辺りと言われる。
社叢西の車道沿いに社号標が建つ。
社前には小川(用水か)が流れているが、元の参道は南向きか?
境内に「加積神社八百年祭記念」碑。昭和53年なので、1178年創祀ということになっているようだ。
平成5年には社殿建立百周年を迎えている。
拝殿はサッシで囲われている。
中に入り拝殿に参る。
幣殿・本殿は覆屋に覆われる。
右手に倉。祭具や神輿が中に入っているのか。
左手に境内社で「薬師堂」の扁額が掛かる。神仏習合時は薬師如来が祀られていたのだろうが、おそらく今は少名彦名命を祀る。
加積神社
富山県滑川市上小泉1362
覆刻 郷社青麻神社誌
発行者:青麻神社宮司 鈴木裕昭
発行日:1997年1月1日 非売品
原書:1926年編纂
鎮座1145年を迎えて宮司祖父の編纂した神社誌を覆刻。宮城県に鎮座する青麻神社の大正期の様子がわかる写真も巻頭に掲載されるが、カナ交じり文で少々読みづらい。
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滋賀県神社庁六十年のあゆみ
編集・発行:滋賀県神社庁
発行日:2006年10月23日
ページ数:67ページ
滋賀県神社庁の設立から六十年間の歴史を概観し、神社関係者の紀行文を掲載する。
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山形縣神社要覧
発行日:1923年12月 非売品
ページ数:46ページ
山形県内の神社概要をまとめたもの。「会報付録」という判子が押してあるので神社関係の会報に付属していたものと思われる。大正12年現在の無格社以上の神社数や神職数、宝物が載せられ参考になる。
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神社百景DVDコレクション28 日光二荒山神社
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2017年6月6日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「GRACE of JAPAN 自然の中の神々」(第1シリーズ)の中から「日光二荒山神社・前篇」(#43)、「日光二荒山神社・後篇」(#44)を収録している。ナレーションは堤真一氏。
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越中砺波 級長戸辺神社
南砺市に鎮座する級長戸辺神社。御祭神は級長戸辺命、天照皇大神、誉田別命、天児屋根命、罔象女神。
境内入口に鳥居と社号標
社号標には「風宮 不吹堂 級長戸辺神社(かぜのみや ふかんどう しなとべじんじゃ)」。読みが難しい。
鳥居から社殿の参道沿いにはつつじやドウダンツツジ、紅葉などが植えられている。
広くない境内だが、杉の大木も多い。
拝殿に参る。
拝殿の貫の間には十二支の彫刻が彫られている。
本殿は立派だが、氏子がなく、崇敬者によって護持されているという。
本殿右方の宮司宅で御朱印をいただく。
級長戸辺神社
富山県南砺市是安5726
越中砺波 大森神社
南砺市に鎮座する大森神社。御祭神は誉田別命。井波八幡宮の旧鎮座地とされ、延喜式礪波郡荊波神社の論社。
神社の正面には通りから個人宅の横を通っていく。鳥居と右に社号標
振り返ると個人宅の裏を参道が延び、のぼりポールが建っている。
鳥居の左には不動明王を彫った石が置かれている。
境内に入ると右に「谷公民館」と書かれた建物。注連縄が張られているので、参集殿としても使われているのだろう。
拝殿に参る。
拝殿、幣殿、本殿と建物はつながっているが、地震対策かパイプで支えている。左に建物があったが倉庫のようだ。
大森神社
富山県南砺市谷724
越中砺波 栴谷神社
砺波市に鎮座する栴谷神社(せんたにじんじゃ)。御祭神は天照皇大神、誉田別尊、神功皇后 。
境内は南向き。
入口に鳥居と社号標。鳥居の前の石はのぼりポールを立てるものか。
社号標の横に万葉歌碑が建っている。
「いもが家に いくりの杜の藤の花 今こむ春も 常かくし見む」
伊久里の杜の候補地になっている3箇所のひとつで、地名も井栗谷となっている。
境内には本願寺五世綽如上人のお手植えと伝わる大杉が御神木になっている。鎮座地は栴檀山の一角らしく最近センダンが植えられたという。
拝殿に参る。
扁額は「神明宮 八幡宮」となっており、2社を合祀して現社名に改称した元の社名を書いている。
本殿の覆い、前には風除けにサッシ戸が付けられている。
開けて本殿に参る。
境内をくまなく探してみたが、肝心の藤が見つからない。境内の保存樹林は杉とウラジロガシであり、綽如杉の案内板にも「この神社の境内は、古くから藤の花の名称所としても親しまれている。」とあり、境内に藤があるような記載はない。、元は境内地がもっと広かったことも考えられ、周辺には藤があるのかもしれない。
栴谷神社
富山県砺波市井栗谷6585
越中富山 吉倉八幡宮
富山市に鎮座する吉倉八幡宮。御祭神は誉田別尊、息長定姫命、玉依比賣命、武内宿禰。延喜式婦負郡杉原神社の論社になっている三社の創建の地に建つ神社と言える。
社号標が田んぼの畦に建てられていて、どうやっても正面から撮れない。
玉垣に囲まれた境内に入ると鳥居と狛犬。拝殿前の狛犬は古そうだ。
拝殿に参る。
本殿
本殿の左に五輪塔に挟まれた石碑が建っているが、風化していて読めない。
「二十六神社奉賛会社務所」と書かれた社務所の建物。訪ねると御朱印はなかった(作ろうと議論したことはあるらしい)が、二十六神社とは本務社である当社の他、兼務社25社を合わせた総称といい、社務所に入ると正面に26社の写真が掲げられていた。
吉倉八幡宮
富山県富山市吉倉649
越中富山 神明社
富山市に鎮座する神明社。御祭神は天照皇大神、豊受皇大神、倉稻魂神。三代実録記載の杉田神の論社。
境内入口に鳥居と「村社 神明社」と書かれた社号標
道路を挟んでのぼりポールが建っている。
拝殿に参る。
拝殿と本殿は石橋でつながっている。本殿が大岩の上に乗っているのは、平野の中にある神社としてはとても違和感を感じるが、故に威厳を感じる。
神明社
富山県富山市八尾町杉田字平岩2833
美濃加茂 神田神社
東白川村に鎮座する神田神社。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、大国主命、少彦名命、速玉男命。延喜式賀茂郡の論社。
東白川村役場の横の通りに「郷社 式内 神田神社」の社号標が建ち、北方に鳥居が見える。
一の鳥居の先に石橋、そして長い階段が続いている。
やはり上まで上るのは大変だったのだろう。階段下の右の「郷社 式内 神田神社」の社号標の後ろに拝所が設けられている。
車で通りを上がると、駐車場に入る入口に「式内 金幣社 神田神社」の社号標が建つ。
駐車場から入る場所に祖霊社が建つ。まだ新しい。後方の丘は杉の植樹が今も整然と管理されていて、切り株も見えるので一部は自給自足しているのかもしれない。
階段を上った平地に二の鳥居が建つ。
一段上がると右手に幣使殿。戦後金幣社に指定され、幣帛の他に金幣を奉っていたというのでその使者の待機所か。
左手には神田殿。二階建ての大きな参集殿で二階から渡廊下で拝殿につながっている。
三の鳥居をくぐり階段を上るとようやく拝殿に入る。
階段右には途中伐られているが、大木だったと思われる御神木のスギ。
拝殿に入り参る。
拝殿後方の本殿。中世以降は白山妙理大権現と呼ばれ、明治に入る直前に神田神社に改称した。
神田神社
岐阜県加茂郡東白川村神土604
美濃加茂 大山白山神社
白川町に鎮座する大山白山神社。御祭神は菊理比売命、伊弉諾尊、伊弉冉尊。延喜式賀茂郡大山神社の論社。
ひたすら山を上ってくる。車道は舗装されているもののすれ違いが難しい場所も多く、本当に神社があるのか不安になったが、着いてみると広い駐車場が広がっていた。
鳥居の右手奥、北東方に女夫杉があるというので行ってみた。
樹齢300年以上という2本の杉は途中枝が1つになり、仲の良い夫婦のようにも見える。斜面に立つので撮影するのも難しい。
一の鳥居から
長い階段が続いている。今年は鎮座一三〇〇年を迎え、秋に奉祝祭が開かれるのに向けて境内では修復工事がされている場所もあった。
階段の途中、振り向くと晴天であれば名古屋市内が望めるというが、今日は南には雲がかかっていて残念ながらよく見えない。
階段を上ると、二の鳥居、三の鳥居が建っている。
拝殿は寛政年間に修築されたものというが、とても大きい。
拝殿に参る。中を覗くと3社が並んでいる。中央に白山神社、右に本社中興の祖、野原城主安江中務尉基政公を祀る光巻神社、左に大黒天(大己貴命)と恵比須神(事代主命)が祀られている。
天井には、洞雲寺の青年僧眉毛が描いた32枚の色彩画が張られている。
拝殿の階段は一段一段がとても高い。「正一位大山白山権現」の扁額がかかる。
拝殿の右側に山頂の奥殿に向かう階段がある。麓に鳥居
石段は町指定の有形文化財。隣に新しい階段が作られているが、石段は不規則な並びで上りにくい。
階段の途中左手に国指定天然記念物になっている大スギが立つ。幹周り9m余り、樹齢700年にもなる大木で、昭和34年9月の伊勢湾台風でも被害を免れた霊木。
奥殿神門の奥に社殿3社が並ぶ。神仏習合時は奥の院や大峰様と呼ばれ、海抜862mの大山山頂に鎮座し、泰澄大師により創建されたと伝わる。
中央に白山神社本殿、御祭神は菊理比売命、伊弉諾尊、伊弉冉尊。右に脇殿熊野神社、御祭神は家津御子大神他熊野神社の諸神。脇殿風神社・洲原社、御祭神は級長津彦命、級長津比女命、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀る。三殿は拝殿と同じく寛政年間に修築された。
今日は風が強かったこともあり、北の空は晴れ渡っていた。
北の空にはまだ噴煙が上がる御嶽山が見える。
西の空は少し雲がかかっていたが、遠く白山を見ることができた。
大山白山神社
岐阜県加茂郡白川町水戸野1096
美濃加茂 妙見神社(岩屋神社)
下呂市に鎮座する妙見神社、別名岩屋神社。御祭神は不明だが、天之御中主神だろう。
現在は岩屋岩陰遺跡の巨石群として観光スポットになっている。
階段の途中鳥居が建つ。
折り重なるような巨石に圧倒される。
中央の巨石の岩陰に本殿。昭和47年の岩屋ダム建設に伴い、6キロ下流の祖師野八幡宮に合祀され、飛地境内地となっているといい、御神体は遷されているのか。
左手に境内社が一社。
右の巨石の側面には北斗七星が描かれているという。
麓の巨石からこの巨石群を見上げると、ちょうど北極星がみえるといい、北斗七星を観測して時刻を知ったという。
右側の巨石群は線刻線のある巨石群と呼ばれ、巨石には夏至を示す線刻が残る。
また巨石の間に入ると、線刻に沿って差し込む光の位置によって夏至を正確に知ることができたという。
圧倒される巨石群の中で古代人の英知を感じる遺跡です。
妙見神社(岩屋神社)
岐阜県下呂市金山町岩瀬
続京都の社寺文化 丹波・丹後
編集兼発行者:財団法人京都府文化財保護基金
発行日:1972年5月25日
ページ数:266ページ
「京都の社寺文化」の続編として、京都府北部の文化財として貴重な神社と寺院を載せる。
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京都の社寺文化
編集兼発行者:財団法人京都府文化財保護基金
発行日:1971年9月15日
ページ数:325ページ
文化財保護を目的に京都市内と近郊の神社と寺院を載せている。モノクロ写真が数枚、説明の後に掲載される。
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照国神社誌
著者:三輪磐根
発行所:照国神社社務所
発行日:1994年10月28日
ページ数:423ページ
敢国神社宮司の三輪磐根氏が、約十年奉仕した照国神社の神社誌について、奉仕を離れた後もコツコツと資料を集めて編集した。
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加賀一の宮 白山比咩神社⑥
白山市に鎮座する白山比咩神社。
北口の鳥居は現在修理中
拝殿に参る。
この夏の白山登拝の安全を奥宮遙拝所に祈願する。
開山1300年の看板が付き、少し記念年らしくなった授与所。昨今の刀女子ブームの波に乗ってか、名刀吉光のキーホルダーお守りが登場していました。
白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1
越前吉田 明神社
永平寺町に鎮座する明神社。御祭神は天照皇大神。延喜式坂井郡意加美神社の論社と言われる。
丘陵の中腹に鎮座する。入口右手に宮司宅が建つ。今日は留守だったので御朱印は確認していない。
明治後年までは麓のえちぜん鉄道の松岡駅あたりに鎮座していたという。
階段を上がると広い境内。替地で遷座した場所ゆえに広々としているのかもしれない。
藩政期には毘沙門堂、明治期は神明社と呼ばれ、遷座の折、元々当地に祀られていた七面山明神堂から明神社と改称した。
本殿に秋葉社、菅原社、庚申社、白山社を合祀する。
鳥居をくぐり左手に境内社が二社。右が河濯神社(瀬織津比売神)、左が稲荷神社(豊受神)。
拝殿前には御神木のツガ
拝殿に参る。
幣殿と本殿はトタンの覆屋の中に収められている。
明神社
福井県吉田郡永平寺町松岡椚57-12