「都道府県別」カテゴリーアーカイブ

若狭三方 天神社

天神社

若狭町に鎮座する天神社。御祭神は菅原道真公。延喜式三方郡山都田神社の論社。

天神社

最初参道途中からアクセスしたが、集落内に参道が通り、入口に「村社 天神社」の社号標が建つ。

天神社

参道は杉並木になっているが、あまり手入れ(枝打ち)はされていない。

天神社

参道を行くと鳥居の前に鳥獣柵がある。

天神社

開けて入ると鳥居の先の石段の向こうに社殿が見えてくる。

天神社

社殿と思ったものは覆屋だった。

天神社

中に同規模の本殿が2つ並んでいる。
右に梅鉢紋が付いているのが天神社、左が山王社。

天神社

右の壁に牛の絵馬がかかる。銅像や石像ではなく絵馬で牛が奉納されているのはあまり見ない。

天神社

左の壁の絵馬は枠が壊れているが、山王社の神使、猿のようである。

天神社

境内には他に建物はないが、右手の森の中に「奉焼地」という石に囲まれた場所があった。
「奉焼」とは戦中に軍旗を燃やしたことをいうようだ。

天神社

その後ろに石像が埋もれている。2つの仏像のようだが風化していて判別できない。

天神社
福井県三方上中郡若狭町佐古22

若狭三方 彌美神社

彌美神社

美浜町に鎮座する彌美神社。御祭神は室比古王、建御雷神、天兒屋根命、布都主神、比咩大神、大山祇命。
延喜式三方郡の比定社。

彌美神社

神社からかなり西に行った所に社号標が建つ。「式内 縣社 彌美神社」と書かれている。

彌美神社

近くに建つ看板は若狭地方の数社のみに伝わる王の舞。この社では5月1日に行われる。

彌美神社

一の鳥居の前に石碑が建つ。

彌美神社

東側は六地蔵が浮き彫りされている。西側には五輪塔が掘られている。

彌美神社

鳥居の先を行くと階段を登り参道が延びる。

彌美神社

参道の右側に宮司宅、

彌美神社

社務所が並び

彌美神社

さらに行くと四脚門の二の鳥居が建つ。

彌美神社

鳥居をくぐり左方の大きな木の下に石碑が建っている。

彌美神社

「皇孫ニニギノ尊宮殿の郷」
天孫降臨神話の中にある「笠沙の御前」は常神半島と解釈して、宮代の地名が宮殿の存在を示すという説があるようです。

彌美神社

右手には神楽殿

彌美神社

階段を上ると拝殿が建つ。

彌美神社

拝殿の左に境内社が1社。

彌美神社

拝殿の左前に樹齢約700年の杉の御神木が立つ。

彌美神社

本殿は拝殿の後方に独立して建つ。右に境内社が1社ある。

彌美神社

本殿に参る。

彌美神社

本殿に書き置きの御朱印があったのでとりあえずいただく。

彌美神社

境内に南接して園林寺という寺が建っている。
もと別当寺だったか、塔頭だったかのか分からないが、

彌美神社

寺の境内にも社が数社あり、一番奥の社に雨宝童子が祀られているといい、この像が天照大神が日向に下向した姿であるとか、ニニギノ尊の姿であるとか言われている。

境内を散策している内に、宮司さんが本殿にいらしたので御朱印をお願いして書き置きは返し、入口の社務所まで戻って御朱印をいただいた。

彌美神社
福井県三方郡美浜町宮代7森下2

若狭三方 伊牟移神社

伊牟移神社

美浜町に鎮座する伊牟移神社。御祭神は國常立命を主祭神とし、伊弉册尊、誉田別命、天津兒屋根命、市姫大神、誉田別命、大日孁貴命、伊弉諾尊、建御名方命を配祀し合祀社の御祭神が多い。延喜式三方郡の論社だが、合祀した射矢神社を論社としているらしい。当地は改称前の金銀子神社の鎮座地で、射矢神社は伊屋山の山頂に鎮座していた。

伊牟移神社

美浜町役場に隣接し駐車場には困らない。
参道は西に延びていて、南にはすぐ田が広がっている。入口に「式内 村社 伊牟移神社」と書かれた社号標が建つ。

伊牟移神社

参道を行くと燈籠と鳥居が建つ。

伊牟移神社

鳥居の先、社叢に包まれるように社殿が建っている。

伊牟移神社

拝殿に参る。

伊牟移神社

拝殿前に2本の杉が高く聳える。田の中にあって社叢の森は目立つ。

伊牟移神社

拝殿背後の本殿は覆屋の中にあるようだ。

伊牟移神社

拝殿右に境内社が1社ある。

伊牟移神社

神馬舎には栗毛の馬が納められている。伏見宮家御下賜品のようだ。

伊牟移神社

到着した頃から地元の方が集まってきていましたが、境内の清掃でもするのかと思っていたら、ちょうど今から拝殿の冬支度をするところだった。お邪魔になってはいけないので帰ることにする。

伊牟移神社
福井県三方郡美浜町郷市25-16

若狭三方 木野神社

木野神社

美浜町に鎮座する木野神社。御祭神は天日方奇日方命を主祭神とし、應神天皇、二王ノ大神、大山積命を配祀する。延喜式三方郡の論社。

木野神社

集落の公民館広場の角に社号標が建っている。

木野神社

「村社 式内 木野神社」と書かれた社号標

木野神社

公民館に車を停め、少し歩く。踏切の先に鳥居が見える。

木野神社

一の鳥居と神旗ポールが1本。

木野神社

車道と平行する参道を行くと、少し車通りの多い通りに地下道があった。
どうも地下道が参道の続きらしい。

木野神社

地下道を行くと出口に鳥獣柵

木野神社

開けて入ると、もう1本神旗ポールが建っている。

木野神社

石橋を渡ると「式内 木野神社」の額がかかる二の鳥居。

木野神社

鳥居をくぐると左に大木があった。

木野神社

参道を行くと神門の前にも鳥獣柵があった。

木野神社

開けて神門をくぐると拝殿が建つ。拝殿は雪囲いがされている。

木野神社

拝殿の後ろに一段高く本殿が建っている。

木野神社

覆屋の中の本殿に参ることができた。

木野神社
福井県三方郡美浜町木野7-6

信濃上田 山家神社②

山家神社

上田市に鎮座する山家神社。御祭神は大国主神、伊邪那美神、菊理媛神を主祭神とし、日本武尊、神八井耳神を相殿に祀る。

山家神社

今日初めて四阿山を登拝し、2回目の参拝。社前からは先程までいた四阿山が見える。

山家神社

来年の四阿山開山1300年に向けて旗の奉納が始まった。

山家神社

参道を進む。

山家神社

拝殿に参拝する。

山家神社 駒形稲荷社

午の日限定の駒形稲荷社の御朱印

山家神社

拝殿の左に朱色の鳥居と社殿が一際目を引く駒形稲荷社が建つ。

山家神社 浄定社

四阿山開山の浄定坊を祀る浄定社の御朱印

山家神社

たくさんの御朱印をお願いしたので、すっかり暗くなったが、拝殿左に建つ浄定社。

山家神社

前回参拝時に撮影し忘れた金刀比羅社。大物主神を祀る。

山家神社

参拝者増を目指してスタンプが始まりました。早速前回分を含めて押印していただきました。
「月参り」が山家神社参拝12カ月分、「登拝」が四阿山登拝10回分、「参拝」は山家神社参拝15回分です。

山家神社
長野県上田市真田町長4473

信濃上田 伊勢神社

伊勢神社

上田市に鎮座する伊勢神社。御祭神は天照皇大神、豊受大神。
旧大日向村の産土神として、伊勢神宮の御分霊を祀る。源頼朝が北上州へ向かう途中ここで休息したと伝えられ、また別に善光寺参拝の途中草津湯へ行く途中にも休息し、大神宮を刻んで置いていったので、これを祀ったという。

伊勢神社

集落の道は狭かったので入口に車を停め、歩いて行くと社旗ポールが建っていた。

伊勢神社

さらに中に入っていくと、境内前にももう一対の社旗ポールが建っていた。

伊勢神社

入口に道祖神と二十三夜塔がある。二十三夜塔は月待ち講とも言われる民間信仰らしい。

伊勢神社

階段を一段上がり、鳥居の先、さらに一段上がると社殿が建つ。

伊勢神社

拝殿に参る。

伊勢神社

本殿は塀で囲まれているが、横の穴から覗くと

伊勢神社

本殿が見えた。

伊勢神社

本殿左に境内社の天満宮

伊勢神社

本殿裏に大日向の山中から遷したという愛宕神社、秋葉神社、三峯神社、蚕影神社が並ぶ。
一番奥が三峰神社で、後はわからないが、手前の地蔵もそのひとつに数えているようだ。

伊勢神社
長野県上田市真田町字宮前983

信濃上田 道光神社

道光神社

上田市に鎮座する道光神社。御祭神は山家大神、大山祇命、加藤道光命。
加藤道光は加藤清正のいとこ婿の子で、松代藩に寄食中に菅平を開発した。

道光神社

菅平高原に鎮座する。

道光神社

鳥居をくぐり、さらに階段を上って拝殿へ向かう。

道光神社

拝殿に参る。

道光神社

拝殿後ろに本殿覆屋

道光神社

本殿左の斜面に「寿喜伊山神」と書かれた石碑社。
何と読むのか初めて見るが、「すきい山神」と読むスキー発展の神様なのだとか。当て字だったのか

道光神社

さらに境内には菅平スキークラブ創設の父、矢追秀武先生と、菅平スキー場開発の先駆者、柳澤健太郎翁の石像が並ぶ。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。

道光神社
長野県上田市菅平高原字菅平1223-1578

信濃上田 山家神社奥宮 四阿山登拝・鳥居峠道

山家神社奥宮

四阿山山頂に建つ山家神社奥宮。御祭神は大己貴命、菊理姫命、伊邪那美命、日本武尊。
11月から5月までの登拝では墨書きが「白山大権現」になる。

山家神社奥宮

来年は四阿山開山千三百年であり、2年かけて複数の登拝道を行く計画。
今回は長野県と群馬県の県境になる鳥居峠(1362m)から登ることにする。

山家神社奥宮

鳥居峠口から長野側に少し行った場所に「四阿山」の扁額がかかる石鳥居が建つ。
この先は今は使われなくなった登拝道が続いていたという。

山家神社奥宮

鳥居峠口から20分ほど未舗装の道を進むと駐車場がある。
準備をして9時過ぎ登り始める。

山家神社奥宮

登拝道の途中には石祠がいくつも残っている。後で山家神社で聞いたところによると、藩政期に奉納された120社ほどあった末社群で、大明神と呼ばれたものが大部分なので神仏分離以降だんだん忘れられた存在となった。

30分ほど登ったところにある東花童子社もそのひとつ。

山家神社奥宮

「花童子宮跡」の石碑が建ち、群馬(上州)側の中宮の位置づけとなる。

山家神社奥宮

山家神社で写真を見せると、「東花童子」の御朱印がいただける。

山家神社奥宮

宮の建っていた平地とそれを囲む石積みが残る。
今日は寒波襲来直前の絶好の日和で、風が強かったことで雲も少なく青空が広がっていた。
冠雪した北アルプスがとても美しかった。

山家神社奥宮

登拝道は途中、岩が向きだしの場所もある。

山家神社奥宮

絶好の景色や登拝道をじっくり楽しみながら、やがて3時間経過しようかというところで、菅平高原からの道と合流し、木道を山頂へと向かう。

山家神社奥宮

まずは長野側の奥宮(信濃社)
南側以外を石塁に囲まれている。

山家神社奥宮

奥に群馬側の奥宮(上毛社)
北側のみ石塁が積まれている。

山家神社奥宮

今日は四方の山々がとてもきれいに見えたが、南側を凝視するとうっすらと富士山が見えた。
最大望遠で撮ったのがこの写真。遠くても流石の存在感!

山家神社奥宮

昼食をとりながら休憩後、根子岳に向かう。途中うっすらと積雪がでてきた。道も濡れていて滑りやすい。

山家神社奥宮

根子岳が見えたところで、まだまだ距離あるし、戻る体力を考えて今回は断念した。

山家神社奥宮

帰りも浅間山がきれいに見えた。

山家神社奥宮

途中分岐を登った道(東花童子経由)とは別の道を下り、的岩に出る。
岩脈が数百メートル続いているといい、修験道の修行には最高な場所だと感じる。

山家神社奥宮

午後3時駐車場に戻ってくる。最高の天候に恵まれた良い登拝になった。
山家神社に参拝し、御朱印をいただく。

山家神社奥宮(四阿山山頂)
長野県上田市真田町・群馬県吾妻郡嬬恋村

信濃上田 上洗馬神社

上洗馬神社

上田市に鎮座する上洗馬神社。御祭神は大己貴命、天照皇大神、秋葉大神、大山祇命。
旧上洗馬村の産土神で、明治42年の神社整理で田中の秋葉社、三島平の三島社、横道の皇大神社を合併したというので、主祭神は大己貴命だったか。社伝では享禄4年(1531)に諏訪大社の御分霊を遷したというが祭神からはうかがえない。

上洗馬神社

鳥居、社殿、手水舎、神倉と揃った境内

上洗馬神社

手水舎は凝った彫刻が施されている。

上洗馬神社

鳥居の先に社殿が建つ。

上洗馬神社

鳥居横に「塩竈大明神」と書かれた石碑

上洗馬神社

拝殿に参る。

上洗馬神社

拝殿には右に「黒馬と白馬」、左に「赤馬と白馬」の絵馬が掛けられている。当地には戸隠信仰があり、干ばつのとき戸隠神社から御水をいただき神前に捧げて降雨祈願する風習があったという。

上洗馬神社

拝殿から廊下でつながる本殿覆屋

上洗馬神社

本殿は組物や彫刻など非常に凝った造りになっている。

上洗馬神社

本殿前の狛犬はギョロ目が印象的な南洋的雰囲気がある。

上洗馬神社

本殿後ろに「御神木之碑」
ここに周囲9メートルの樹齢1000年の欅の巨木があったそうだ。昭和57年の台風で倒れたというが、境内には他にも大きな木が多い。

上洗馬神社
長野県上田市真田町傍陽字上平2677

信濃上田 小玉神社

小玉神社

上田市に鎮座する小玉神社。御祭神は建御名方刀美命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷し、旧上原村三集落の産土神とした。

小玉神社

畑の広がる斜面の中に鳥居と社殿が建つ。

小玉神社

鳥居前はすぐフェンスになっているが、鳥居と社殿の間は空間がある。
目前には砥石崩れで有名な砥石城が見える。

小玉神社

拝殿に参る。

小玉神社

拝殿内には祭礼の奉燈と思われるものが保管されている。

小玉神社

拝殿裏の本殿は御垣に囲まれ、中に巨石と朽ちたご神木がある。

小玉神社

本殿は巨石に挟まれるように鎮座し、割石明神と呼ばれた時期もあった。

小玉神社

本殿後ろに石祠が1基あり、中に古い木札が納められていた。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。

小玉神社
長野県上田市真田町本原字小玉3196

信濃上田 竹室神社

竹室神社

上田市に鎮座する竹室神社。御祭神は大山祇命、日本武尊命。

竹室神社

社伝によると、日本武尊が東征の帰路、四阿山を越えて当地に来た時、村人は梢を折って仮屋を建ててもてなした。その跡に宮を建て柴宮と称したといい、現在は竹室神社の奥宮になっているという。

竹室神社

正面から見ると境内四隅に木が植えてあり、開放感ある境内になっている。

竹室神社

拝殿に参る。

竹室神社

拝殿と幣殿でつながる本殿覆屋に本殿が収まる。
拝殿右に境内社が2社ある。

竹室神社

本殿には獅子の彫刻が彫られている。

竹室神社

寛政十一年銘のある石祠

竹室神社

天満宮の石祠には文化十二年の銘がある。

竹室神社

境内社の間にある木の根元には日本武尊の足跡といわれる神足石があるが、風化してよくわからない。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。

竹室神社
上田市真田町本原字竹室2323

信濃上田 表木神社

表木神社

上田市に鎮座する表木神社。御朱印は建御名方命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷し、旧中原村の産土神とした。境内にかつて周囲11メートルの樹齢1000年の欅の巨木があったという。

表木神社

諏訪上社を祀った表木神社に対し、諏訪下社を祀った裏木神社に先に参拝していたので、広い境内に驚いた。

表木神社

鳥居が建つ。

表木神社

安永七年銘の燈籠

表木神社

拝殿に参る。

表木神社

本殿

表木神社

本殿の右に境内社が3社並ぶ。

表木神社

真ん中は木製社殿

表木神社

この地域は石祠が多い。

表木神社

道路を挟んで建つ石燈籠は天保二年の奉納。
御朱印は本務社の山家神社でいただいた。

表木神社
長野県上田市真田町本原字表木1403

信濃上田 裏木神社

裏木神社

上田市に鎮座する裏木神社。御朱印は建御名方命、八坂刀売命。
信濃国一宮の諏訪大社の御分霊を遷し、旧中原村の表木に上社を、本原に下社を祀った。

裏木神社

道路沿いの小さな境内。かつては周囲13メートルの樹齢1000年の欅の巨木があり裏木と言ったという。

裏木神社

拝殿前に燈籠が2基建っている。拝殿に参る。

裏木神社

拝殿後ろに石祠の本殿がある。

裏木神社

本殿後ろの石の上に石祠が1基ある。

裏木神社

境内に由緒を書いた記念碑がある。
御朱印を本務社の山家神社でいただいた。

裏木神社
長野県上田市真田町本原字裏木958

越前丹生 金刀比羅山宮②

金刀比羅山宮

越前町に鎮座する金刀比羅山宮。御祭神は大物主大神を主祭神とし、白峯大神、猿田彦大神、大國主大神、事代主大神を配祀する。

金刀比羅山宮

前回の参拝では宮司さんが留守で御朱印をいただけなかった。
天候も悪いので足早に参拝することにした。

金刀比羅山宮

拝殿に参る。

金刀比羅山宮

天候が良ければ山頂から周囲の山々を見渡すこともできる。

金刀比羅山宮
福井県丹生郡越前町小曽原90-12

越前敦賀 金崎宮②

金崎宮

敦賀市に鎮座する金崎宮。御祭神は尊良親王、恒良親王。建武中興十五社の一社。

金崎宮

参道入口の社号標。入口に北陸三十三観音霊場や若狭観音霊場になっている金前寺が建つ。

金崎宮

階段の途中に境内社の愛宕神社が建つ。神社までの階段はさらに急になっている。

金崎宮

階段を上り鳥居をくぐると社務所

金崎宮

社務所前の神社周辺の案内図はしばらく来ていない間に新しくなったようだ。

金崎宮

拝殿前に鳥居が建つ。

金崎宮

本殿前の拝所に参る。

金崎宮

天気が良ければ絶好の風景が広がる。数分しか登らないが、敦賀市街を見渡せる良い場所だ。

金崎宮
福井県敦賀市金ヶ崎町1-4

越前一の宮 氣比神宮③

氣比神宮

敦賀市に鎮座する氣比神宮。御祭神は伊奢沙別命(氣比大神)、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、日本武尊、玉姫命、武内宿禰命の七柱。

氣比神宮

表参道の大鳥居は修復中だった。年末には終了するようだ。
氣比神宮大鳥居美装化工事 平成28年11月7日~平成29年12月31日

氣比神宮

社殿前の鳥居まで来た。雨が降りしきる中の早朝ということもあるのだろうか。
人影がまばらだった。

氣比神宮

拝殿に参る。

氣比神宮

大鳥居が修復中ということで、拝殿内に大鳥居の扁額が展示されていた。
鳥居に付いていると大きさに実感があまりないのだが、間近で見るとやはり大きい。

氣比神宮

拝殿左に並ぶ境内社

氣比神宮
福井県敦賀市曙町11−68

美濃武儀 洲原神社

洲原神社

美濃市に鎮座する洲原神社。御祭神は伊邪那美命、伊邪那岐命、大穴牟遅命。
白山信仰の美濃馬場の前宮として崇敬を集めた。

洲原神社

境内南の駐車場に駐車し、鳥居をくぐる。鳥居の先に神橋がある。

洲原神社

鳥居横の社号標は道に合わせ、鳥居とは向きが少し斜めになっている。

洲原神社

鳥居をくぐって振り向けば、南にかつて奥の院があった鶴形山

洲原神社

参道は川沿いに神社石積みと檜並木の間を進む。

洲原神社

そして楼門が見えてきた。

洲原神社

楼門の前の階段を下りていくと長良川が流れている。ちょうど川の中に島があり風光明媚な風景だ。
「神の岩」と呼ばれ、神域の一角を構成する。

洲原神社

階段の先には左右に一際大きな檜、楼門、拝殿、本殿と並び、もとはこちらが表参道か

洲原神社

階段を上り楼門をくぐると拝殿

洲原神社

拝殿の後ろに廻廊に囲まれた本殿が3つ。手前の西殿に大穴牟遅命、本殿に伊邪那岐命、東殿に伊邪那美命が祀られる。

洲原神社

拝殿と廻廊の間の建物は舞殿または能舞台か

洲原神社

廻廊の中門から参る。

洲原神社

本殿には「正一位白山大神」の扁額が掛かっている。

洲原神社

子授・安産の霊石

洲原神社

楼門の横に夫婦檜。右が男檜、左が女檜。

洲原神社
岐阜県美濃市須原468-1-1

越前丹生 高雄神社

高雄神社

福井市に鎮座する高雄神社。御祭神は高雄大権現と呼ばれる天忍穂耳命、伊弉冉尊、大己貴命の三柱。神名は異なるが仏として聖観音、十一面観音、阿弥陀の姿をしていて白山と同じ。高雄大権現は白山を開山した泰澄大師作と伝わる。

高雄神社

泰澄大師により開かれた高雄神社は白山と同じく今年1300年を迎えた。式年1300年祭行事として、33年毎に公開される高雄大権現に参拝に来た。

高雄神社

夏に越知山登拝などのとき、近くの道路を通って式年祭の看板を見てあまり時間を取れないところを参拝に向かった。

高雄神社

地区の公民館に駐車して徒歩で神社に向かう。社号標が左に建ち、参道がまっすぐ延びる。

高雄神社

少し進むと右に旧社号標が建っている。

高雄神社

神旗が高く掲げられ、地元の信仰の厚さを感じる。

高雄神社

鳥居の先、階段の上りながら正面に社殿が見える。提灯や紅白の垂れ幕が祭りを盛り上げる。

高雄神社

本日のイベント前ということもあり、まだ人はまばらだったのでゆっくり境内を巡る。

高雄神社

拝殿

高雄神社

今日は本殿にも入らせていただけるので、左手に回る。鳥居には「白山宮」と刻まれ、宵の宮に合祀された白山神社のものだろうか。

高雄神社

薬師堂。集落の薬師神社(薬師如来座像。大国主命)、向神社(釈迦如来立像。応神天皇)、春日神社(神主像。春日大神)を合祀する。これで分かる通り、高雄神社は神仏習合の名残のある神社になる。

高雄神社

鳥居左手には六地蔵灯籠

高雄神社

薬師堂の左の小祠は善光寺如来。奥の石像がそうだが、手前の仏像は阿弥陀如来のようだ。

高雄神社

本殿に入り、高雄大権現を参拝する。ここは撮影禁止なのだが正面に泰澄大師作と伝わる三仏の立像が安置されていた。
本殿の右に宵の宮。前に樹齢500年を越える栂の大木がそびえる。

高雄神社

宵の宮は宵神社(松手神社)と白山神社を合祀する。正面が宵神社の御本尊、右が白山神社の御本尊だろうか。右には高雄大権現と同じく三仏の立像だが、かなり朽ちていて形は明確でない。白山神社には高雄大権現の御前立が祀られたというので同じものであろう。

高雄神社

宵の宮の右に鎌倉末の越前では最も古い七重層塔が建っている。

高雄神社

一番右手には松谷の宮。お堂ごと松谷神社を遷座したものという。

高雄神社

御祭神は伊弉冉命で、彩色聖観音菩薩像が祀られている。

高雄神社

そうしているうちに本日の祭事が始まった。

高雄神社

稚児行列ということで数十人程度を予想していたが、鳥居の奥まで続く長い行列。かなり驚いた。

高雄神社

長い行列のため拝殿に入れる人数制限から停滞気味になっているところ、

高雄神社

参道の向かい側に地元の和菓子店が式年記念の菓子を販売していたので、ひとつ求めて次の目的地へ向かう。1時間ほどの滞在参拝であったが、来て良かったと思う。

高雄神社

帰ってきて菓子をあらためて見る。和菓子2個入りの箱と神前に特別祈祷された御朱印

高雄神社

中には市指定無形民俗文化財「オシッサマのお渡り」の獅子頭と宵宮祭を先導する天狗神(猿田彦命)の菓子が入っている。当日は1日神棚に祀る。

高雄神社

翌日、賞味期限が先に来る天狗神からいただく。

高雄神社

中は餡を中心に三重になっている。この菓子は販売店が式年祭のために初めて作ったもの

高雄神社

さらに翌日、オシッサマをいただく。

高雄神社

中には栗の入った粒あんになっている。この菓子はゆかりの旧武生の菓子店が正月の供物で作るもので、一般には販売されていないものだと聞いた。正月三が日持たせるようにかなり甘くなっている。

泰澄大師作高雄大権現御鎮座一三〇〇年御開扉式年祭
日程
10月6日(金)
午前8時~ 受付
午後1時30分 御開扉神事
午後6時 秋季例祭・閉扉
午後8時 神衣切り

10月7日(土)
午前7時 開扉神事
午前10時 子供神輿巡行
午後8時 オシッサマのお渡り
午後9時30分 民謡踊り

10月8日(日)
午前7時 開扉神事
午前9時30分 稚児行列
午前12時30分 松手の宮神事、オシッサマのお渡り
午後2時20分 式年祭式典(雅楽・浦安の舞含む)
午後4時 餅まき(手渡し)
午後4時30分 アトラクション(出店・チームモアイ)

10月9日(月)
午前7時 開扉神事
午後6時 閉扉神事

高雄神社
福井県福井市本堂町第5字光徳寺10番地

白山山頂 大汝神社

白山 大汝神社

白山登拝5回目。前回7月は濃霧だったこともあり、台風通過の次の日、紅葉と初めての大汝峰を目指して6時にスタートする。

白山 大汝神社

山頂に近づくにつれ濃霧が濃くなってくる。

白山 大汝神社

室堂には9時過ぎに到着。風も強かったため、温度は零下1度であったが体感はもっと寒く感じる。
今日は右の御前峰ではなく、左の大汝峰を目指す。

白山 大汝神社

大汝の登りに取り付く頃には強い横風にさらされ、立っているのも辛いくらいだが、さらに初めてなのに見通しの悪い登山道にかなり苦しむ。

白山 大汝神社

山頂が近づいてきた。

白山 大汝神社

大汝峰登頂。10時20分頃。

白山 大汝神社

山頂の神社は石積みの中にあり、通路に入る。

白山 大汝神社

四方を石積みに囲まれた大汝神社に参る。御祭神は大己貴命。
四方を囲まれているためか風にさらされずに済んだので、しばらく体温の上昇を待つことにする。

白山 大汝神社

社のまわりには破壊された石仏が残り、

白山 大汝神社

わずかに仏の輪郭を留める一石五輪塔も残っている。御前峰の奥宮に比べると、まだ神仏習合の名残を感じることができる場所。

白山 大汝神社

祈祷殿に戻ったのは11時40分。風のいたずらか、一時だけ祈祷殿がはっきり見えた。

白山 大汝神社

下山を開始、阿弥陀ヶ原の入口まで来たのは12時20分。

白山 大汝神社

下から雲が湧き出てきていたが、上空は晴れてきていたので山頂を見れるかもと思い、時間ギリギリまで待ってみることにし、15分後、なんとか山頂を望めた。

白山 大汝神社

今回は1回目以来の観光新道で下山する。千蛇が池とともに蛇を封じ込めたという蛇塚

白山 大汝神社

途中、紅葉をようやく楽しめた。

白山 大汝神社

仙人窟

白山 大汝神社

15時10分無事に下山する。今年は2回ともに天候に恵まれず残念だった。

白山比咩神社祈祷殿
白山室堂(2450m)
大汝神社
白山大汝峰頂上(2684m)

加賀一の宮 白山比咩神社⑧

白山比咩神社

白山市に鎮座する白山比咩神社。今年は白山開山1300年の記念年で5回目の参拝となった。

白山比咩神社

平日だったが、七五三の記念写真を撮っている親子がいました。背景に他人が写らないのがいいね。

白山比咩神社

本殿の東の参集殿のさらに東に作られている禊場。2006年に完成し40人が入れ神職が身を清める場として利用され、2012年からは参拝者向けに年4回禊研修を行ってきた。今年は記念年として観光客向けに4月~9月まで12回開催され、県外を中心に102人が参加したという。希望者が絶えないため10月、11月にも4回開催される。

その40人入れる禊場をもう一度見ようと寄ってみたが、今日は水を抜いて掃除中だった。

白山比咩神社

御朱印をお願いしている中、授与品を見ていると1つ増えていた。白山開山1300年記念として、5月に国宝吉光をモデルにした「護身刀守」ができていたがあまり食指が動かなかったが、今日見たのは「白山雷鳥鎮火木札」。縦30センチもある大きな木札で、表に小松砂丘の雷鳥の絵が描かれている。

白山比咩神社

裏は入手するまで分からなかったが、三馬場の牛王宝印が印刷されている。なぜ8月の奉祝祭に間に合わせなかっただろうか。もっと多くの人が手にしただろうに。

白山比咩神社

三馬場の牛王宝印はスタンプラリーとして好評だという。三馬場を巡ると3枚組のクリアファイルをいただける。来年3月まで続くのだが、当社のインクはすでに薄くなってきていた。きれいに押せなくて少々残念。

白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1

越中氷見 日宮神社

日宮神社

氷見市に鎮座する日宮神社。御祭神は天照皇大神を主祭神とする。往古は久目神社と称していたという言い伝えがあり、延喜式射水郡久目神社の論社の可能性を残す。

日宮神社

集落の通りに面して西向きに鎮座する。参道の入口にのぼりポールと「村社 日宮神社」の社号標

日宮神社

階段手前に鳥居と手水

日宮神社

階段の両側に杉が立ち並び、小さいながら手入れされている雰囲気がある。

日宮神社

階段を上り拝殿に参る。

日宮神社

拝殿に掛かる扁額は「日の宮」とある。崩し字のため読み取れないが、「の」の字は「乃」だろうか?

日宮神社

本殿は拝殿に続く覆屋のなかにある。

日宮神社

拝殿右手に小さな鳥居が建つ。

日宮神社

参道に社務所兼自宅があるので訪ねる。残念ながら御朱印はなかったが、しばし話を聞く。
拝殿右の鳥居について尋ねると、氷見市街(旧氷見町)のほうにあった酒造店の店主が夢見で、当地に神を祀るよう言われて祀ったものといい、鳥居の先に祠があったそうだが今は跡しかないという。つまり水の神(松尾の神か?宗像の姫神か?)だということだが、酒造店は後に薬屋に転じ、その頃病気に効く薬を占うおみくじがあり、おみくじを持ってその薬屋に行ったという。現在は代が進み参拝も祭りも途絶えたといい、そう古い社ではないものの本殿にも合祀されておらず、詳細が不明になったということで残念。

聞けば代替りした今の宮司は富山県の公文書館に勤められているということで、退職されて常住されるようになれば、もっと詳しい話が聞けるかもしれない。

日宮神社
富山県氷見市大浦1806

越中氷見 楯鉾神社

楯鉾神社

氷見市に鎮座する楯鉾神社。御祭神は不明だが、三代実録記載の楯鉾神の論社であるので楯鉾神ということになろうか。
というのも、白川集落の氏神は少し西に鎮座する八幡宮で、楯鉾神社はその境外末社になっているため情報が少ない。

楯鉾神社

白川集落の西の丘陵地の隅に建ち、

楯鉾神社

境内の入口に鳥居が建つ。

楯鉾神社

鳥居の足下に五輪塔の一部が残されている。

楯鉾神社

社殿は本殿・拝殿一体の建物。社殿に参る。

楯鉾神社

社殿の左に壊れた石祠があり、かつては仏像が入っていたのだろう。

楯鉾神社
富山県氷見市白川1288

能郷白山山頂 白山神社奥宮

白山神社奥宮

福井県と岐阜県の県境、越美山地の最高峰でもある能郷白山に登拝しました。日本二百名山にも選ばれ、花の山でもある能郷白山へは県境の温見峠の登山口を目指す。大野市から157号線を南下、温見峠まであと10キロという案内板から2キロほどは片側一車線あるが、やがて道路は狭くなり、半分の5キロを越えるところにある福井県最後の温見村(廃村)を通り過ぎる。

白山神社奥宮

幸いにも対向車なく温見峠に至る。岐阜側の案内はなく、福井のみ県境案内が立つ。峠にはすでに数台の車が停められていた。

白山神社奥宮

登山口は157号線すぐにあり、登山届を書いて8寺に登山開始

白山神社奥宮

最初からかなりの急登が続く。

白山神社奥宮

20分弱で4分の1地点に到着。登山口からは500m、頂上までは1900m

白山神社奥宮

さらに30分弱で4分の2地点に到着。頂上まであと1240m

白山神社奥宮

半分を通り過ぎると一気に視界が開けるが、あと少し上りが続く。

白山神社奥宮

振り返ると山容の印象的な山が見える。名前が判明するのは奥の院でした。

白山神社奥宮

やがて多少のアップダウンはあるものの、気持ちよい尾根歩きが始まる。

白山神社奥宮

北陸の重い雪の影響で地を這うように成長したダケカンバ。臥竜ダケカンバと呼ばれている。前日までの雨で地面がぬかるんでいた。

白山神社奥宮

さらに30分ほどで4分の3地点に到着。頂上まであと400m

白山神社奥宮

ここまでも花を見かけていたが、尾根は高い木もなくまさにお花畑であった。8月末でこれだけ花を見られたとは嬉しい誤算であった。

白山神社奥宮

ついに頂上が近づいてきた。後で分かったことだが、少し背伸びすれば右手に奥宮が見えた。

白山神社奥宮

およそ1時間40分で能郷白山頂上に到着。

白山神社奥宮

1617m山頂標の横に三角点がある。

白山神社奥宮

さらに進むと、笹の斜面の先に奥宮が見えた。奥に続く山々も美しい。

白山神社奥宮

頂上から10分で奥宮に到着。参拝する。ここは根尾の白山神社の元宮があった場所で現在は奥宮になっている。岐阜側の奥宮が建ったのは、地理的に岐阜側の村からは能郷白山は見えるが、福井側の村からは荒島岳や銀杏峰が手前に立ち塞がり、近づけば谷間に入ってやはり見えなくなるということからだろう。

伝承では白山を開山した泰澄が、白山から能郷白山にも白山権現を祀ろうと定めて、白山開山の翌年に開山したことになっており、来年開山1300年を迎える。

白山神社奥宮

神仏習合時からの通称でこの場所は「白山権現奥の院」と呼ばれている。見晴らしも良く、山座同定図が設置されている。
今年はGWの石鎚山から徒歩登拝で山頂でこれほど晴れたことはなかった。気持ちよさからしばらく四方の山を眺めていた。

ここでようやく登るとき見た山が判明する。あれが白山なのだ。いつも石川県から見ているので、福井県から見た白山三峰の並びに少し違和感があったのだが、改めてみると確かに白山である。先週の越前五山からは白山を見ることが叶わなかったので本当に嬉しい。

日野山や越知山も見えるようだがはっきり分からない。伊吹山ははっきり見える。

白山神社奥宮

南には里宮のある根尾の村が谷間に見える。

白山神社奥宮

東側の雲の上に山容が見えた。望遠で撮ったこの写真を詳細に見るまで御嶽山が見えていたのだと思っていたが、槍ヶ岳・穂高岳だったようだ。あまりの晴天に山頂に戻る頃には見えなくなった。登る途中、さらに右(南)にもうひとつ雲の上に山が見えていた。あれは恵那山だと思っていたが、そちらが御嶽山だったようだ。

白山神社奥宮

奥の院で30分休憩し、帰路に就く。山頂からもう一度白山を拝む。

白山神社奥宮

山頂から1時間半でスタートの温見峠に戻ってきた。半分が急登なので、下りるときに滑落しないように注意しながらゆっくり下りた。

白山神社奥宮

さて、今回登山を楽しませてくれた花々を載せておく。

白山神社奥宮

白山神社奥宮

白山神社奥宮

白山神社奥宮

白山神社奥宮

白山神社奥宮

白山神社奥宮

越前丹生 越知神社里宮

越知神社里宮

越前町に鎮座する越知神社里宮。本宮は越知山山頂に鎮座する。
御祭神は天照皇大神、大師像、美沙門天、観世音菩薩。もとは越知山越知神の大講堂と称し、里宮の御祭神に神仏習合の名残が残る。

越知神社里宮

境内は大谷寺に隣接する、というよりその中にあるという環境にある。
入口に鳥居か燈籠の足の部分のみ残っている。

越知神社里宮

鳥居をくぐる。

越知神社里宮

本殿に参る。

越知神社里宮

狛犬が少し変わっている。邪鬼を踏んづけているというより、邪鬼に絡まれているような感じ

越知神社里宮

本殿に宮司の言葉が置かれている。

越知神社里宮

本殿裏の大師堂の先に裏の山に登る道が続いている。この先に廃仏毀釈で移されたお堂や仏像があるのだが、今日は時間が足りないので次回にする。

越知神社里宮
福井県丹生郡越前町大谷寺42-4-1

越前鯖江 春日神社

春日神社

鯖江市に鎮座する春日神社。御祭神は天兒屋根命。延喜式今立郡加多志波神社の論社。

春日神社

神社前の道路は狭かったので、近くの公民館らしき建物の前に駐車し、山の麓に建つ鳥居へと向かう。

春日神社

参道入口に神旗ポールと「春日神社」の社号標が建つ。

春日神社

階段の前に一の鳥居。

春日神社

階段をのぼると広い平場があり、二の鳥居の先は向きが変わる。

春日神社

二の鳥居をくぐり、階段が折れる踊り場の左手に由緒碑が建っている。

春日神社

碑には「式内加多志波神社」と書いてある。

春日神社

階段を上り終えると

春日神社

左手に境内社が一社。

春日神社

拝殿に参る。

春日神社

拝殿には大正七年に奉納された俳句の奉納額が掛かっている。

春日神社

本殿や拝殿はパイプで支えられているが、冬場の備えが常時になっているようだ。
本殿には「春日社」の扁額が掛かる。

春日神社
福井県鯖江市吉谷町48-1

越前今立 國中神社

國中神社

越前市に鎮座する國中神社。御祭神は越比古神、越比賣神、彦火火出見尊。延喜式今立郡國中神社二座の論社。

國中神社

西に参道が延びる。道路脇に「式内 國中神社」の社号標が建つ。

國中神社

この社号標の元に「国中の要石」が残っている。
この要石は、太閤検地の総検地奉行を務めた長束正家が、越前国の検地の中心になる石として定めたと言い伝えられている石で、越前国の中央にあたるため國中の地名由来となっている。

國中神社

車道となっている参道を進むと、階段となっている。

國中神社

新しい「式内 國中神社」の社号標が建ち、赤い鳥居が建っている。

國中神社

階段を上ると広場となっていて、東にもうひとつ鳥居があり、こちらから車を入れることができる。

國中神社

一段高い場所に社務所(参集殿?)が建っている。

國中神社

社殿に続く階段は長い。途中の斜面に鳥獣除けの金網が張り巡らされていて、階段にも戸が付いている。
鹿か猿か猪か?何が出てくるのか分からない恐怖もあったが開けて中に入る。

國中神社

階段の両側に笠のみの燈籠がずらりと並んでいる。

國中神社

拝殿に参る。
雪対策だろうか、コンクリート製の社殿になっている。

國中神社

拝殿を覗いてみる。随神があり、その上に黒駒と白駒の絵馬がかかり、なかなか立派な拝殿である。

國中神社

本殿は弊殿でつながり、やはりコンクリート製。

國中神社
福井県越前市国中町58-27

越前今立 國中神社

國中神社

越前市に鎮座する國中神社。御祭神は越國霊彦神、越國霊姫神を主祭神とし、天照皇大神と松葉大神を合祀する。延喜式今立郡國中神社二座の論社。

國中神社

集落の中を通っていく途中、高台の上に「郷社 國中神社」の社号標が建っている。

國中神社

前の細い路地を進み、公民館の前に駐車して境内に入る。
入口に「式内 國中神社」の社号標。鳥居や拝殿社号額にも「式内」の文字が入っていた。

國中神社

赤い鳥居をくぐると社殿までは階段が続く。

國中神社

階段の途中左手に社務所(参集殿?)が建つ。

國中神社

拝殿前の石段にはたくさんの燈籠が奉納されている。

國中神社

拝殿に参る。

國中神社

拝殿と本殿は弊殿でつながる。

國中神社

拝殿の左に日露戦没戦利品記念碑が建っているが、上の戦利品がないようだ。おそらく砲弾だったのだろう。

國中神社

拝殿の右、記念碑とは対をなすように招魂社が建っている。

國中神社

右手の斜面に文化財の石造層塔がある。

國中神社

四層の石塔で、もとは中津山と国中の境界線にあり、明治にここへ移転されたという。旧地付近に2、3枚分の笠が散乱していることから七重または九重だったと考えられている。

國中神社
福井県越前市中津山町1-23

越前丹生 越知神社

越知神社

越前町と福井市にまたがって聳える越知山に鎮座する越知神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神、火産霊神、大山祇神。延喜式丹生郡大山御板神社の論社。

泰澄大師によって開かれ、越知山三所権現を祀っていた。里宮が麓の大谷寺に隣接してある。

越知神社

越知山山頂へは車で近くまで行けるようだが、初めての越知山は泰澄も通ったという小口登山口から始める。

越知神社

越知山修行道コース約2.5時間。

越知神社

今回は越前町が発行したパンフレットや、今年泰澄・白山開山1300年で作成された越前五山案内を参考に登る。

越知神社

7時過ぎにスタートする。

越知神社

夏の低山は蚊が多い。払いながら10分ほどで1合目。

越知神社

さらに10分ほどで2合目。本道はハシゴを登って右手の丘を上るが、藪が深そうなので左手の車道をまわり道する。

越知神社

舗装はすぐ終わり、下草の伸びた道が続き、右手の登りに入る。

越知神社

2合目から10分ほどで3合目

越知神社

左手に「泰澄大師修行地 明日の岩屋」の案内板。しかし、周辺を見渡してもどこかわからない。登山道は尾根だし、右は切れているので、左の斜面のどこかかと思い、斜めに藪を進む。

越知神社

藪と崩れる斜面と格闘しながら5分。目の前に大岩が見えてきた。横に穴らしきものも見える。

越知神社

前に回り込むと間違いなかった。今は斜面には木々も大きくなっているので朝日も見えないだろうな。
この場所は夏に来る場所ではなかった。

越知神社

元に戻るのも嫌だったので急な斜面を直登して登山道に戻り、15分ほどで4合目。

越知神社

10分ほどで5合目

越知神社

途中木の実谷との分岐。帰りに寄ってみることにする。

越知神社

5合目から10分ほどで地蔵堂休憩所

越知神社

分岐を左に下ると独鈷水。泰澄大師が独鈷で岩を突き刺すと水が湧き出たという伝説があり、岩間から水が湧き出ている。湧水の横に頭部の欠けている不動明王石像が祀られている。

越知神社

地蔵堂から5分ほどで6合目

越知神社

さらに10分ほどで7合目。

越知神社

このあたりから参道脇に石仏が見られるようになる。

越知神社

参道沿いの美しいブナ林を抜けてゆく。10分ほどで8合目。

越知神社

さらに10分ほどで9合目。

越知神社

階段をのぼると分岐で、左に進むと別山、右に進むと越知神社となる。

越知神社

先に別山に登り、別山神社に参る。御祭神は天忍穂耳尊で、かつての越知山三所権現の聖観音を祀っていた。
別山は標高616.5mで越知山山頂よりも高い。

越知神社

別山神社の前には白山妙理大権現、日吉山王七社権現、竹生嶋辨財天、天照皇太神、日野山大権現など別山碑と呼ばれる石碑が集められている。

越知神社

越知神社に参る。明治43年に二ツ屋の宮谷神社を合祀した。

越知神社

拝殿に越知山大権現の扁額が掛かる。見にくいが下に御詠歌らしきものが書かれている。

越知神社

後ろに単独で本殿が建っている。

越知神社

室堂に建つ日宮神社と社務所。

越知神社

日宮神社はかつて護摩堂と呼ばれ、今も不動明王を祀る。

越知神社

室堂には御神木である栃の大木がある。

越知神社

室堂から尾根を北に向かう。

越知神社

泰澄大師坐像を祀る大師堂

越知神社

お堂の周囲には石仏がたくさん集まっている。

越知神社

続く千体地蔵堂には

越知神社

たくさんの地蔵が並んでいる。

越知神社

神宝庫のあるピークは610.8m。観世音菩薩を祀り、泰澄大師開闢の霊所という。右に縁結びの松のようだが枯れている。

越知神社

越知山山頂の奥の院。御祭神は大己貴神。

越知神社

標高612.8mの10合目。10時に到着

越知神社

伝・臥行者の旧跡。泰澄の弟子であった小沙弥の行場という。

越知神社

ここから晴れていれば白山を望めるのだが、残念ながら雲の中。

越知神社

室堂に戻って殿池。車でこの少し下まで来ることができる。
織田信長公が池に落馬し、馬の鞍が池の中に落ちているという伝説から名が付いたという。

越知神社

その畔にあるのは若返りの御膳水の井戸。

越知神社

御朱印はないと思って御朱印帳を持って来なかったが、社務所の神職に尋ねるとあるというので書き置きでいただいた。聞いたところによると、雪期は里宮にいるが、雪のない3月~11月の日中は毎日来ているという。

40分ほど戻って木の実谷コースを下ることにする。

越知神社

少し下って後悔した。ほとんど人が入らないのか深い藪で登山道がわからない。
川に沿ってなんとか15分進むと、かまが谷ノ滝

越知神社

滝ってどこ?と思ったが水音はする。

越知神社

さらに15分、お題目岩

越知神社

登ってくる面に「南無妙法蓮華経」と彫られている。木の実(芽)谷は江戸時代には多くの参詣者が行き交い、道中安全祈願や休憩所になっていたというが、今は人気が全くない。

越知神社

さらに下って1合目まで15分、かなん滝

越知神社

周囲を見渡すと遠くに滝が見えたが、さらに藪が深く近くまで行くのは断念した。

越知神社

12時過ぎ登山口に到着。25分車道を歩いて駐車場に戻る。

越知神社
福井県丹生郡越前町大谷寺(越知山)

加賀一の宮 白山比咩神社 白山開山1300年記念奉祝大祭

白山比咩神社

白山市に鎮座する白山比咩神社。

白山比咩神社

2017年は泰澄大師が白山を開山してから1300年の節目を迎え、石川県、福井県、岐阜県の三馬場を中心に多くの記念行事が開催されています。ここ加賀馬場の白山比咩神社では8月9日から11日まで奉祝大祭が開催されている。

白山比咩神社

今日は最終日であるが、山の日で祝日ということで日中も奉祝行事が披露されるので観覧することにする。

白山比咩神社

まずは白山大神に参って、御朱印をいただく。

白山比咩神社

北参道駐車場ではどんじゃら市が開かれ、テントが並んでいる。早速昼ご飯をしようと思ったら13時から!?って、午前の参拝者は眼中にないと感じだったけど、フライングで始めていた店で昼を済ませる。

白山比咩神社

13時から披露される高山市千鳥白山神社の徳兵衛獅子舞が北口鳥居で練習を始めたので見ていた。

白山比咩神社

その流れのまま拝殿前へ進み、舞台で披露された。先に同じく千鳥白山神社の闘鶏楽と言われる芸能が披露される。

白山比咩神社

獅子舞は舞台が狭いためか、鳥居前や拝殿前で披露された踊りとは少し違っていた。

白山比咩神社

14時から拝殿で白山開山1300年奉祝慶賀祭が斎行されたようだが、見学できないので宝物館の国宝と重要文化財の特別公開を見る。

白山比咩神社

15時から舞台では常滑市の小鈴谷白山神社の獅子舞が披露された。青年団より伝承される獅子舞は3パターンあり、始めに女獅子。2人1組で獅子を舞い、舞い終わるまで舞手は顔を見せないという決まりがあるらしい。

白山比咩神社

次に男獅子

白山比咩神社

最後に扇の舞と言われる雨乞いに使用された舞で、この舞では獅子は龍神と見なされたようだ。

白山比咩神社

悪魔払いと曲に乗せ舞台を下りる。獅子に噛まれると縁起が良いと言われ、各戸をまわる時などにされたというが、ここでも行列になっていた。

白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1

美濃白鳥 長瀧白山神社 白山開山1300年大祭

長瀧白山神社

旧白鳥町に鎮座する長瀧白山神社。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊。

長瀧白山神社

白山開山1300年大祭に参拝するため、ちょっと早めに到着しました。
大祭が始まる前に御朱印をいただいた。いつもは宝物館受付で書いていただくが、今日は拝殿横の社務所?に大勢いらした。いつもは手書きの墨書きだが、今年新しく奉製したのだろうか、墨書き部分も判になり少し味気なくなった。

長瀧白山神社

阿名院から僧の行列が出発することで大祭は始まった。
天台宗本山の延暦寺ほか、中尊寺、毛越寺、那谷寺や、周辺の僧侶が多数参列していた。

長瀧白山神社

拝殿に入り、三馬場の神社宮司らも参列する中、祝詞奏上など神事が執り行われ、

長瀧白山神社

その後、僧侶による声明奉納が行われた。明治以前には当たり前であったであろう光景を目の当たりにし、少し感動すら憶えた。

白山開山1300年大祭・相応和尚1100年大法会・護摩祈祷法要
12:40 阿名院から行列出発
13:00 長瀧白山神社拝殿 神事・声明奉納
13:50 長瀧寺本堂 法楽
15:00 金剛童子堂前 護摩祈祷
16:30 終了

長瀧白山神社
岐阜県郡上市白鳥町長滝138