
越前町に鎮座していた雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は雨夜神、保食神。

道路沿いの坂を上り

階段を上る。

階段の先をUターンすると旧境内。眼下には集落、平野が広がる。

反対側から境内を見る。あまり広くないが社殿がここに建っていたのか。

真ん中ほどに石碑がひとつ。正面に「雨夜神社鎮座址」、右に「明治四十三年四月廾五日 八坂神社境内ニ移転ス」とある。
雨夜神社旧地
福井県丹生郡越前町天王

越前町に鎮座していた雨夜神社の旧鎮座地。御祭神は雨夜神、保食神。

道路沿いの坂を上り

階段を上る。

階段の先をUターンすると旧境内。眼下には集落、平野が広がる。

反対側から境内を見る。あまり広くないが社殿がここに建っていたのか。

真ん中ほどに石碑がひとつ。正面に「雨夜神社鎮座址」、右に「明治四十三年四月廾五日 八坂神社境内ニ移転ス」とある。
雨夜神社旧地
福井県丹生郡越前町天王

越前町に鎮座する麻氣神社。御祭神は少彦名命、藥師如來。延喜式丹生郡麻氣神社の論社。

集落の北端、民家と田の間を歩いて行く。社殿は東向き。

社殿の前、神旗を立てる石が埋められている。

本殿に参る。

中は祭り道具か倉庫のようになっている。社号がわかるのは提灯の「麻氣神社」ぐらいだが、武者絵などの絵馬が前、左右に掛けられている。

本殿の左前に地蔵堂があり、三体の石仏が祀られている。

集落は山に囲まれていて、携帯電話は通じない。

神社へと向かう途中、向こうに猪が走って行った。こちらに向かって来ないかとドキドキした。
麻氣神社
福井県丹生郡越前町真木1-1

福井市に鎮座する八幡神社。御祭神は應神天皇を主祭神とし、仲哀天皇、神功皇后を配祀する。延喜式敦賀郡丹生神社の論社。

社殿は南向き。集落の北、日本海へと延びる丘陵の南麓に鎮座する。

鳥居から社殿への参道は左に少し曲がっている。

手水舎の手水は大きな貝殻。日頃手入れはされていないようだが珍しい。

左手に神輿殿

社殿の左手にも蔵のような建物

その下には一代前の鳥居の礎石(中央)と扁額、二代前の鳥居の礎石(左)が飾られている。

拝殿に参る。
大丹生八幡神社
福井県福井市大丹生町46-2

福井市に鎮座する加茂廼神社。御祭神は別雷神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、少奈彦命、違提希。延喜式丹羽郡雷神社の論社。

海岸沿いに集落が広がり、集落の山手に鎮座する。鳥居の扁額は「加茂神社」

階段を上っていくと、集落の先に海が見える。

階段を上ると境内入口に鳥居と社号標。社号標は「村社 加茂神社」、鳥居の扁額は「加茂廼神社」。正式名の加茂廼神社はここだけで他はすべて加茂神社になっている。地元では加茂神社で通っているようだ。

鳥居の脇にイチョウの大木

参道右の階段を上ると聖徳太子社

拝殿は開いていたので中で参らせていただく。

非常に絵馬が多い。地元の信仰心の強さがうかがえる。

海に近く漁師が多かったのか、やはり舟絵馬が多い。

正面には浮き出しの絵馬もある。

拝殿左に神輿殿

本殿右に境内社が二社。

その左に男山八幡神社

神社の背後(北)には三本木川が流れる。
加茂廼神社
福井県福井市鮎川町87-10

福井市に鎮座する鉾島神社。越前加賀海岸国定公園の鉾島を御神体とする。

鉾島園地の駐車場から鉾島への入口に鳥居が建つ。

鉾島は柱状節理を見ることができ、岩が鉾を立てたように並んでいることから命名された。

柱状節理が絶景を生み出している。

無風で天候も良かったことから鉾島に上ってみる。

頂上に祠が建っている。

頂上には漁師が海から拾い上げた不動明王が安置されているというが、不動明王は欠損しており、中央には観音様が祀られている。

頂上からは北東方向に亀島、後方の西側にうっすらと雄島が見える。

海岸に下りてみる。
鉾島神社
福井県福井市南菅生町28−1

福井市に鎮座する天満神社。御祭神は菅原道真公。延喜式坂井郡糸前神社の論社。

海岸沿いに広がる糸崎集落から山手へ。境内は海に向かって北西向き

鳥居をくぐってまっすぐ参道が延び、階段を上る。

拝殿に参る。

鳥居が建つ平地には育王山糸崎寺が建つ。位置関係からして天満神社はもと糸崎寺の鎮守でしょうね。

石舞台では一年おきの4月18日に仏舞が奉納される。左のやぐらの上に舞い楽手が座り、手前に楽人、奥で仏舞が舞われる。出演者はすべて男性で、糸崎で産湯を使った者に限られるということで保存会があるとはいえ、継続は大変でしょうね。

本尊は唐渡千手観世音菩薩。中国の育王山の高層禅海が安置したという。

境内からは眼下に日本海を見下ろせる。右手に亀島が海に泳ぎ出す亀のように見える。

海岸沿いの小山の上に禅海上人之墓があり、当地が禅海上人のお墓松の跡地という。

海岸近くまで下りてくると亀島は亀のように見えない。
天満神社
福井県福井市糸崎町22-14

福井市に鎮座する味坂神社。御祭神は味坂比売命。延喜式坂井郡の論社。

社殿は北東向き。朝倉山の麓に鎮座し、集落が道路沿いに広がる。

鳥居の先は階段

拝殿に参る。

拝殿は幣殿で本殿につながる。
味坂神社
福井県福井市深坂町 20-21

福井市に鎮座する硲神社。御祭神は大日孁貴尊、天津児屋根命。

境内は南向き。集落北の丘の中腹に鎮座する。

朱色の鳥居の先に石鳥居

石鳥居からの眺望。手前の集落が中山町、道路を挟んで正面奥の山裾が田ノ頭町、左奥が石畠町となる。硲神社には一時期石畠町の春日神社(式内社論社)が合祀されていた。

階段の先に社殿。社殿のまわりは木に囲まれて薄暗い。
拝殿に参る。

本殿は弊殿で拝殿とつながる。拝殿に小さい鐘が吊られていた。

拝殿の右手に本堂。「大斐閣」の扁額が掛かる。観音堂か?
日当たりのいい場所に建つ本堂は集落からはこちらのほうがよく見える。
硲神社
福井県福井市中山町4-35

福井市に鎮座する春日神社。御祭神は春日大神。
式内社論社の春日神社(石畠町)を訪ねたはずが、隣の集落に行ってしまいました。

山裾に広がる集落

そのほとんどが段になった田になっていて、水を張れば美しい景色になるでしょう。

境内の入口に地蔵堂。ここから見える建物は倉庫のようでした

平地の奥に社殿。手前には倒壊した鳥居の石材が転がり

社殿前には崩れた五輪塔が残っていました。
拝殿に参る。
田ノ頭春日神社
福井県福井市田ノ頭町

坂井市に鎮座する春日神社。御祭神は天児屋根命、姫大神、武甕槌命、経津主命、彦太命。

社殿は北東向き。社前から数十メートルで九頭竜川が流れる河口にある。

境内は広く開放的だ。

参道左に厳島神社

参道左に金刀比羅神社

拝殿に参る。

本殿

拝殿左に神輿殿

本殿左に石祠

本殿右に八幡社

拝殿右に磯前神社、前に石祠

磯前神社に祀られているのは石像。地蔵というより僧に見える。

拝殿右に事代主神社

今日は春祭りの準備か社務所が開いていた。床の間に北前船の絵馬が飾られていた。

境内の西隅に屋根付きで片岸神社の遺物が置かれている。延喜式坂井郡の論社で、現在は春日神社に合祀されている。

阿古江新保浦字片岸岡燎火山に天平勝宝年間に片岸神社を建立して、三国水戸開闢の王(継体天皇)をお祀りしたという。
新保春日神社
福井県坂井市三国町新保18-16

坂井市に鎮座する鵜森神社。御祭神は伊弉册尊を主祭神とし、天津児屋根命、天照皇大神、大日靈貴尊を合祀する。延喜式坂井郡鵜屎神社の論社。

社殿は北西向き。

境内の背後には九頭竜川が流れ、境内は川筋に沿って作られているとも言える。
鵜森神社と改称する前は白山神社と称していたという。今の社殿向きからすると三霊山の白山ではなく、能郷白山を遙拝しているようにも見えるが、九頭竜川河口ということを考えると平泉寺白山神社の影響下にあるものか。

神幟を立てるポールが多いが、鳥居は参道途中にひとつ。

参道中程まで来ると両側に灯籠が並ぶ。

神社の木にサギが巣作りをしていた。鵜森という名も社叢に鳥がたくさん住み着いたことによるものか。

拝殿の右に社務所、左に石祠が並ぶ。

拝殿に参る。

拝殿の木鼻には狛犬がしがみついている。

本殿左の石祠には千手観音や恵比須、布袋、毘沙門天などが祀られ、周辺にあったお堂が集められたもののようだ。
鵜森神社
福井県坂井郡三国町川崎13-11-1

坂井市に鎮座する加奈井神社。御祭神は日本武尊。延喜式坂井郡坂名井神社の論社のひとつ。

社殿は西向き。隣に金井区民館が建つ。

社殿右前の建物

中には石像の釈迦三尊や子守地蔵などが祀られている。

左前の建物。屋根は石造りになっている。

やはり中には地蔵が祀られている。

拝殿に参る。

扁額は「不動尊」。不動明王が祀られているようだ。

社号は拝殿内に吊られた提灯にしか見当たらない。
加奈井神社
福井県坂井市三国町楽円2-10-1

坂井市に鎮座する氷川神社。御祭神は素盞嗚尊。延喜式坂井郡枚岡神社と比古奈神社の論社。

社殿は南西向き。後ろにJR三国駅がある。

今週春祭りが終わったところのようだ。今日は修繕に数人が来ていた。

拝殿に参る。拝殿に書き置きの御朱印が置いてあった。

中央の扁額は「氷川神社」だが、左右に旧社号の「牛頭天王宮」の扁額が掛かる。

三国湊に近いとあって北前船の絵馬も奉納されている。

拝殿背後に本殿。古そうな社殿だが覆屋に入らず間近に見ることができる。通路脇の右の狛犬は失われている。

拝殿の右の建物。小ぶりだが舞殿であろうか。

本殿右に○匠神社。崩し字のため一文字目が読めない。

その右に稲荷社

その右に不動社。石の不動明王が祀られている。

参道右手に社務所。社務所前に御神木が立つ。

井戸も残る。

神社裏手に三国祭の貴宝区の山車が収納されている。
氷川神社
福井県坂井市三国町北本町1-4-30

坂井市に鎮座する神明神社。御祭神は天照大神、継体天皇。継体天皇が越前国河川開拓のとき枚岡を行在所とし、王が越前を離れた跡、民が徳を偲んで旧行在所に遷座して枚岡神社と称したという。のち神明社に改称した。延喜式坂井郡枚岡神社と坂名井神社の論社のひとつ。

神社は南向き。周囲の道路は狭い。境内入口に三国祭の四の部地区山車が収蔵されている。

参道上に鳥居、「神明社」の扁額が掛かる。

拝殿に参る。

本殿の前には中門があり、御垣に囲まれている。

本殿左に合祀社。延喜式坂井郡比古奈神社(御祭神は少彦名命)を合祀しているとする。

左に舞殿付きの社務所

境内の西端に境内社味坂神社。延喜式坂井郡の論社で、伊邪那岐命を祀る。

味坂神社の社殿横に鬼瓦、狛犬、組物などが展示されている。福井大地震で倒壊した社殿のものだろうか。

本殿の右、北向きに辰巳川神社が建つ。辰巳川不動明王と呼ばれた北受け不動尊を祀る。

本殿の御垣北口の前にも狛犬が設置される。

境内の隅に旧社号標が立つ。
神明神社
福井県坂井市三国町神明2-2-3

坂井市に鎮座する伊岐神社。御祭神は由緒碑によれば、日本武尊、継体天皇、安閑天皇。延喜式坂井郡の論社のひとつ。

坂井丘陵の南端に鎮座し、社前は坂になっている。

社号標と鳥居の先に階段。社殿は南向き。

参道の右に境内社が二社。手前に「帝釈天」、奥に「毘沙門天」の扁額が掛かる。

毘沙門天社の木鼻は狛犬になっていて、柱に抱きついたような姿勢が愛らしい。

拝殿に参る。

幣殿とつながる本殿。境内は土塁状の高まりに囲まれている。

拝殿下に「白」と書かれた石製鬼瓦。伊岐神社は移転、廃絶。再興という流転の歴史を経て、白山神社に合祀され、社名を白山神社から伊岐神社に改称したという。社殿改築前の屋根に上がっていたものだろうか。白山神社の御祭神は伊邪那美神、速須佐之男神、大山津見神。

社殿は樫の木のような木に囲まれている。大木が多く、原生林の残りだろうか。おかげで境内は神域として隔絶した空間となっている。
伊岐神社
福井県坂井市三国町池上25

あわら市に鎮座する八雲神社。御祭神は速須佐之雄尊を主祭神とし、罔象女命、安徳天皇を合祀している。延喜式坂井郡布久漏神社の論社のひとつ。

坂井丘陵にあり、北潟集落の北、経塚山に鎮座する。周辺は風力発電の風車が無数に立つ。

参道は東向き。杉の間を境内へ

入口に社号標。石橋を渡ると一の鳥居

参道の途中に朱色の大鳥居

階段を上っていく。

最初に西向きの境内社

その左に西向きに境内社磯﨑神社

出雲神社の社殿は南向き

本殿の右にお堂

中には薬師如来と仁王像。江戸時代は牛頭天王と呼ばれていて、薬師如来はかつての本尊だろうか。仁王像は仁王門があったのだろう。いずれも神仏分離で神社から撤収されてこの建物に集められたと思われる。

出雲神社に参る。

拝殿後ろに幣殿とつながる本殿は一段高い場所にある。

本殿とお堂の間に梵字の書かれた石塔と石祠が残っている。
八雲神社
福井県あわら市北潟46-30

高岡市に鎮座する中川熊野神社。御祭神は伊弉冉命、事解男命、速玉男命、彦屋主田心命。延喜式射水郡加久彌神社の論社のひとつ。

社殿は東向き

社号標には「村社 熊野社」とある。

拝殿に参る。
拝殿は新しい。「熊野神社」の扁額が掛かる。

拝殿前に、下が高岡城の石垣石で、上が雨晴海岸の石という神社自慢の石燈籠。

拝殿後ろに本殿

本殿左に神輿殿、間に御神木の白樫

本殿右に御神木のウラジロガシ

鳥居の左には御神木の杉

参道右に御神木のイチョウ

拝殿左手に御神木のモミ。多種類の御神木が立つ。

本殿裏、西側に南向きに神明社の鳥居と社号標。しかし、社殿は見当たらない。

神明社の境内に御神木のウラジロガシ

社務所の前に御神木のイチョウ。稲荷社の御神木とある。

社務所前には2基の燈籠と鳥居と

手水鉢、そして井戸がある。
昼食時間だったが社務所で御朱印を尋ねると快く書いて頂けた。折角なので拝殿で祈願して行ってください、と言われたので拝殿に入らせて頂いた。聞いたところ、神社では火事で社殿を喪失し、5年ほど前に新築したという。拝殿が新しかった謎が解けた。
拝殿の天井には2匹の龍(昇り龍と下り龍)が描かれている。神明社と稲荷社も合祀され、拝殿中央に稲荷社、右に稲荷社、左に水の宮(神明社)が祀られている。
中川熊野神社
富山県高岡市中川本町7-3

氷見市に鎮座する御田神社。御祭神は誉田別命、御年大神、大年大神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、天児屋根命。入口の由緒には氏神は大年様とある。
三代実録に記載のある御田神(式外社)とされる。

境内は南向き。

参道入口に社号標、中程に鳥居が建つ。

拝殿前の参道には雪除け。大屋根から落ちる雪で参道が埋まるのを防ぐ。

拝殿に参る。拝殿には額が4枚。読めるものを見ると明治期に境内で奉納された神事相撲の大関の名前が書いてある。
しかし、現在の境内には土俵は見当たらない。入口の由緒によれば、中世飯久保城主が祈雨祈願のお礼として感謝祭を執行後に青年相撲を奉納し現在まで続く、とある。

拝殿の後ろ渡り廊下のような幣殿の前に本殿がある。

本殿は檜皮葺

本殿前の扉や本殿の吊り燈籠には、小槌が3つ合わされた変わった紋が付いている。

参道の右側に社務所があるが、窓ガラスは割れ、中も荒れ放題で使用できた状態ではない。

境内は杉が多いが、中に一本大きなイチョウの木がある。

参道の左隅、上がったところに境内社が一社。

集落は仏生寺川を中心にした谷間に広がる。
御田神社
富山県氷見市仏生寺496

氷見市に鎮座する石武雄神社。御祭神は猿田彦大神。三代実録に記載のある石武雄神(式外社)の論社とされる。

道路に面して西向きに参道。鳥居の北東の小山に社殿がある。

入口に社号標と鳥居。階段の手前に二の鳥居が立つ。

階段を上っていくと、社殿は南向き。拝殿の前に風雪除けのブルーシートが張ってある。

拝殿に参る。「石武雄神」という扁額

拝殿と幣殿とつながる本殿。本殿は見えそうで見えない。

拝殿左前に朽ちているがかつては大木だったと思われる御神木

境内から西方向。麓の集落と田が広がる。
石武雄神社
富山県氷見市堀田1370

氷見市に鎮座する手向神社。御祭神は猿田彦神、大物主神を主祭神とし、天照大神、建御名方神、少彦名神を配祀する。

境内は社前の道路を正面にして南西向き。

鳥居から拝殿までまっすぐ参道が延びる。

現在の鳥居の前に礎石が残る。以前は四脚鳥居が建っていたようだ。

拝殿に参る。

「手向神社熊野宮」の扁額が掛かる。

拝殿右前に一際高い老木が立つ。

参道左に境内社が一社。

境内左手に社務所がある。住んでいる様子はあるが留守だったので御朱印は確認できなかった。
[追加情報 2017/9/18]
今日社務所の方に会えた。御朱印は授与していなかった。
手向神社
富山県氷見市柳田2926

氷見市に鎮座する朝日丘八幡神社。御祭神は應神天皇を主祭神とし、神功皇后、比売神を配祀する。三代実録に記載の楯桙神の論社(式外社)。

高規格道路の交差する北東角の小丘に鎮座する。干拓前の布勢湖の入口に位置し、かつての社地はもっと広かったのかもしれない。

東向きの鳥居をくぐり、階段を西へ、そして北に折れる。

上の平地になった境内は南向き。周囲を竹と椿に覆われているが明るく開けた空間だ。

拝殿に参る。扁額には「八幡宮」と書かれている。

拝殿の屋根を見ると剣のような飾り、鳩除けだろうか。両側には狛犬が乗っている。

椿がちょうど見頃になっていた。
朝日丘八幡神社
富山県氷見市朝日丘15

氷見市に鎮座する一刎八幡宮。御祭神は応神天皇、玉依姫命。延喜式射水郡草岡神社の論社のひとつ。

一刎集落の中央の高い場所に鎮座する。

鳥居と社号標。上り階段の右側の木が伐採されたらしく木株が多数残る。

拝殿前にも狛犬一組。拝殿に参る。

拝殿を回り込むと裏の拝殿下に神輿車が納められていた。もう使用しないのだろうか。

拝殿裏の一段高い場所に本殿。

本殿前には狛犬ならぬ鯱瓦。昔は建物に上げられていたのだろうか。
一刎八幡宮
富山県氷見市一刎2619

三条市に鎮座する小布勢神社。御祭神は大比古命、誉田別命。延喜式蒲原郡の論社のひとつ。

集落は谷あいにあり、用水化された川沿いに車1台がやっと通れる道に面して神社がある。

社殿は西向き。谷あいのため日の入り前とはいえ薄暗い。

鳥居の注連縄が特徴がある。

社殿には雪囲いがしてある。

拝殿の彫刻が凝っている。拝殿に参る。

拝殿左の御神木の杉が大きい。

境内の前面にも道に沿って杉が植えられている。

参道の右に境内社の琴平社

参道左の高床の建物。社務所と屋根が掛かっていて、橋も架けられるようだ。祭日には三條神楽が奉納されるようなので、その舞台であろうか。

車道が狭いので、境内右奥に停めたところ、角に神社の案内板が立っていた。周辺には社が多い。

雪深かったので奥の壱萬度宮までは行けなかったが、手前の十二大山祇神社に参拝してきた。

集落の北には田が広がり、ちょうど夕陽が沈む中、右手に弥彦山が見えた。
小布勢神社
新潟県三条市上保内丙1288

三条市に鎮座する伊久礼神社。御祭神は埴安神、誉田別尊、闇御津羽神。延喜式蒲原郡の比定社。

社殿は東向き。夕陽に照らされて眩しい。

朱色の鳥居をくぐり参道を進む。拝殿は雪囲いされている。

拝殿に参る。今でも秋季例祭で俳句が奉納されているようだ。

参道左の藤棚の中に、万葉の歌碑がある。井栗村の大庄屋の松川重行が明和元年に建立したものいい、地名の「伊久里」が「井栗」だと伝えているが、大和と越中とする説もある。

参道の右には松川辨之助顕彰碑。井栗の大庄屋に生まれ、函館に渡り、北洋漁業の礎を築いた偉人とされる。万葉の歌碑の建立者は翁の曾祖父。

左に隣接する真言宗福楽寺には

入口脇に辨之助翁の墓がある。
伊久礼神社
新潟県三条市井栗1丁目24-2

三条市に鎮座する槻田神社。御祭神は誉田別尊。延喜式蒲原郡の論社のひとつ。

境内地は非常に狭い。南に鳥居と社号標、社殿は東向き。

社殿の前に槻田碑という神社由緒の石碑が立つ。

社殿は足場が組まれていて真新しい。どうやら周辺地区の再開発のため境内地を削られた代わりに社殿を新築できたのだろう。

狛犬は小柄だが、位置が変わっているものの以前のままのようだ。

拝殿に参る。扁額は「延喜式内社」あまりに直接すぎて「槻田神社」のほうがいいかも

左に新しい参集殿
槻田神社
新潟県三条市荒町1丁目11

三条市に鎮座する八幡宮。御祭神は誉田別尊、気長足姫命、比売大神。三条の総鎮守・産土神。

社殿は南向き。本殿の裏側に駐車場がある。

拝殿に参る。拝殿と本殿には雪囲いがしてある。今日は新潟市中心部は雪がなかったが、三条まで来ると雪が残っていた。

拝殿右手に舞殿。

神宝に大太刀と文明3年の鰐口がある。大太刀は銘 信国といい、室町初期の作。元は小丹生神社(新潟県見附市)に奉納されたものを、神官の養子縁組をしたときに三条市荒町に鎮座する槻田神社に譲られ、明治期の神社合祀のときに当社が所有することになったという。槻田神社は延喜式蒲原郡の論社で、後に氏子の要望により復社されている。

参道の左方の社務所で御朱印をいただく。まだ木の香りの残る新しい建物で、聞いたところ昨年12月に竣工したばかりだという。

拝殿左方社務所に近いほうから参る。合祭殿、左から、金刀比羅神社・熊野神社・秋葉神社の三社、古峯神社・菅原神社の二社、神明宮・春日神社の二社、水神社・伊夜比子神社・三條神社の三社、松尾神社・粟島神社の二社の5つの社。おそらく明治期の神社整理により、近郊の神社を合祀したものだろう。

その右に稲荷神社

池の島の中に厳島神社

社殿の右に良寛乞食の詩碑
「十字街頭 食を乞い了り 八幡宮辺 方に徘徊す 児童相見て共に相語る 去年の痴僧 今また来ると」
三条には良寛様を敬慕する町人が多く、亡くなられてまもなく詩碑が建てられたが、文久大火で破損し、大正十三年に再建された。

池の右(北)に「僧良寛歌集」の編者である村山半牧の頌徳碑

境内北に金山神社、御祭神は金山毘古命、石凝姥命、天目一之命。

境内の西側は八幡公園となっており、入口付近に「刀匠 栗原筑前守謙司信秀師之碑」が建っている。

金山神社の右に飼育小屋のような建物が二棟。何かいるのかと見に行くと右の建物に

孔雀のオスが二羽飼われていた。孔雀は寒くないのか?
八幡宮
新潟県三条市八幡町12−18

新潟市に鎮座する大通神社。御祭神は猿田彦大神、天照皇大神、豊受大神。御朱印にはよく質問のある御祭神を印で押している。

住宅地の中にあり、社殿は東向きで横に社務所が建っている。

拝殿に参る。

社殿は拝殿に本殿が重なるように建つ。
社務所前で授与品を見ていたところ、宮司がちょうど帰ってきて御朱印をいただいた。
大通神社
新潟県新潟市南区大通南1-49

新潟市に鎮座する新潟大神宮。御祭神は天照皇大神、豊受大神。

社殿は南向き。ゆるやかな上り坂の参道

近くには白壁通りがあり、藩政期の風情が残る。

参道途中に木製の二の鳥居、三の鳥居

二の鳥居の脇に坂口安吾生誕碑が建つ。

拝殿に参る。

拝殿にかかる「敬神崇祖」の扁額。神宮大宮司の揮毫。

本殿左に境内社

会津藩士殉節之碑。戊辰の役で越後の地で亡くなった会津藩士の慰霊碑。
新潟大神宮
新潟県新潟市中央区西大畑町5195

新潟市に鎮座する金刀比羅神社。御祭神は大物主大神、船玉大神。

神社はこんぴら通りにある。もとは古町十一番町にあった大楽院という寺の中にあった鎮守で、明治二年に遷座した。

神社は通りに面して東向きに建つ。

参道右に収蔵庫

収蔵庫には幕末から明治期に船主らが奉納した模型和船が収蔵されている。かつては帆をたたんで拝殿に吊されていたという。見学には予約が必要。

収蔵庫の横に龍王殿という二階建ての建物

参道左に注連縄のかかる石。境内には陰陽石があるというがこれのことか?

拝殿に参る。

拝殿には「金殿」の扁額がかかり、絵馬も多い。拝殿の右を回り込むと自宅があり、そちらで御朱印をいただく。
金刀比羅神社
新潟県新潟市中央区西厩島町2337

新潟市に鎮座する三社神社。御祭神は大日孁貴命、誉田別命、武甕槌命の三柱。神明宮、八幡宮、鹿島社の三社の神様を祀ることからの名称だろうか。

神社は南向きに鎮座。延享四年(1747)、附寄嶋と呼ばれた信濃川の中洲にあった当地、後の流作場新田の鎮守として開拓者の安倍玄的が創建し、最初は「神明宮」と呼ばれたということで、三社のうち最初に大日孁貴命が祀られたようだ。

鳥居は一の鳥居の前に二の鳥居

左方に神輿庫

少し進むと右方に神輿殿

境内には蛙がたくさんいる。中洲だったこともあって洪水に何度も襲われ廃村を決めたところ、そんな惨状のなかでも青蛙が力強く生きている姿に村人が奮起して村を再建したと伝えられ、「玄的の青蛙」を村繁栄の象徴としたという。

蛙おみくじもあり、奉納所がありたくさんの蛙が奉納されている。

拝殿に参る。

境内社の石宮神社、ツツガムシ除けの神を祀る。

不明の境内社

1878年の明治天皇北陸御巡幸の流作場御小休所跡碑や

御着船聖跡碑がある。

昭和初期まで旧新潟ホテル付近にあったと伝わる嘉永7年(1854)の道標と古そうな燈籠

沼垂町長安倍九二造撰文による初代萬代橋の記念碑「創架萬代橋碑」
三社神社
新潟県新潟市中央区三和町1−1