
尾山神社の7月の御朱印をいただいてきました。7月の判子は小槌です。

裏門は旧金沢城二の丸の唐門です。

精緻な彫刻が見どころです。

今日は境内の神泉にアオサギがいて、外国観光客にも写真を撮られて人気者になっていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

尾山神社の7月の御朱印をいただいてきました。7月の判子は小槌です。

裏門は旧金沢城二の丸の唐門です。

精緻な彫刻が見どころです。

今日は境内の神泉にアオサギがいて、外国観光客にも写真を撮られて人気者になっていました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢神社の7月の天神月次祭の御朱印いただいてきました。

夏休みに入って県外からもたくさん金沢に来ているようだが、たまたま境内には人がいませんでした。

暑い日でした。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

大垣市に鎮座する常葉神社(ときわじんじゃ)。大垣城公園の大垣城の東に鎮座する。
御祭神は大垣藩初代藩主戸田一西公以下、戸田家十二代氏共公までを祀る。

旧県社であるが、空襲により焼失に再建時に縮小された。

拝殿に詣る。

境内社として八幡宮。

徳吉稲荷神社が鎮座している。
昨日から配信の始まったポケモンGOのスポットがこの神社あたりにあるらしく、普段は人気のない場所に人が次々来る異常な事態となっていると社務所で聞いた。
御朱印は濃飛護国神社の兼帯社となっていて、その社務所でいただける。
常葉神社
岐阜県大垣市郭町1丁目96

大垣市の大垣大神宮。大垣城公園の北西隅に鎮座。御祭神は天照大御神と豊受大神。
大神宮は明治維新後の国家神道の教化と神宮大麻頒布のために各地に設置された。大垣大神宮は東日本全体の元締めとして重要な位置を占め、広大な社領を擁していたという。

大垣は空襲により壊滅的被害を受け、大神宮も焼失。再建されたものの境内は大幅に縮小された。

手水舎。

小さいながらも拝殿

本殿も立派な造りとなっている。
大垣大神宮は無住で、現在は濃飛護国神社の兼帯社となっている。濃飛護国神社で御朱印をいただくときに話をしていたら、こちらもいただけるということでいただいた。が、後で確認すると朱印は「大垣大神宮印」となっているものの、墨書きは「大垣大神社」となっていた。逆に貴重かも。
大垣大神宮
岐阜県大垣市丸の内1丁目62番地

大垣市に鎮座する大垣八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神のいわゆる八幡神。
東西の交通の要所として発展した大垣にあり、大垣祭は当神社の例大祭である。

大通りに面して南鳥居が立つ。もうひとつ東側に鳥居がある。

境内に入る。

入って右側に自噴湧水がある。大垣は「水の都」と呼ばれるほど各家庭に自噴井戸があったそうで、氏子が掘削したらしい。

井戸のそばに松尾芭蕉の句碑が立っている。
「冬ごもり塚 折々に伊吹をみては 冬ごもり」

拝殿に詣る。御朱印は拝殿右の授与所でいただく。

境内社をまわる。授与所に隣接する出雲神社。
出雲大社の御祭神大国主大神と美保神社の御祭神事代主大神を祀る。

広瀬神社と龍田神社の相殿。大垣藩主であった戸田氏が大和国から勧請した。

大福稲荷神社。もともと当地の地主神で八幡神の遷座以前より鎮座していた。

大垣天満宮。御祭神は菅原道真公。
大垣八幡神社
岐阜県大垣市西外側町1丁目1

昨日に続き津島天王祭の朝祭を観ました。駐車場はパンフレットには書かれていませんでしたが、宵祭の臨時駐車場がそのまま利用できました。
9時過ぎ、迎えに行った宮司を乗せた船の先導で能人形を飾った車楽船(だんじりぶね)がゆっくりとゆっくりとその姿を現しました。

中島の横辺りまで進んで停止する。

船の先端に布鉾を持った10人の鉾持が順番に池に飛び込む。

背に布鉾を背負って飛び込んでいる。

御旅所の前まで泳いで、その後神社まで走る。

10時少し前に先頭の市江車が御旅所前に到着。近くで見ると大きいですね。

稚児が地に足を着かないように肩車され降りていく。
昔は幼児の死亡率が高く、「7つまでは神のうち」と言われ

その後も続々とだんじり船が到着しました。

拝殿の前には奉納された布鉾が立てられていました。したたるしずくを患部につけると病気や怪我が治るという言い伝えがあるそうです。
津島神社
愛知県津島市神明町1番地
津島天王祭・朝祭
8:40 迎え
9:00 車楽船出船
9:20 鉾持飛び込み
9:50 車楽船御旅所着、稚児上陸
10:30 神輿還御
11:30 稚児の神前奉楽

二回目の津島神社。御祭神は須佐之男命。

今回は念願の天王祭を見に来ました。駐車場の確保もあり、13時過ぎに到着しました。
それでも一番近い駐車場は7割埋まっていました。

まずは会場となる天王川公園を視察する。丸池のまわりには有料の桟敷が建ち並び入る隙はない。
ということはやはり上の方から遠く眺めるのが良さそうだ。

時間もまだまだあるので、津島神社に詣る。
こちらも天王祭の提灯がたくさん飾られている。天王祭のパンフレットは南鳥居脇の観光案内所で手に入った。

ちょうど夏越の祓の茅の輪もまだある。
天王祭は日本三大川祭りのひとつに数えられているが、京都八坂神社の祇園祭と同じ御祭神を祀り、疫病祓いを願う御霊会として開催されてきたものだ。

御朱印をいただいて場所取りをすることにした。
結局丸池西側の道路の上から見ることに決めた。

日も暮れかかってようやく何かが始まった。
丸池に船がたくさん出てきて回遊している。中には地元のゆるキャラを乗せた船も。
これが水上イベントということか。

水上イベントはどこか中だるみしていたけど、水上花火が始まった。
これもまたどこか単調だ。そのうち打上花火が始まったけど、西側道路からは見えない。

待つこと半日、待望のわらまき船がゆっくりとこぎ出してきた。
これは優雅である。ちっとも進まない。道路下の丸池の周りの通りは桟敷と夜店の間の狭い道にどっとあふれた人で大渋滞している。「立ち止まらないでください」と言う警備の声が連呼され、優雅さもどこかぶち壊しだ。

喧噪の中、わらまき船が4艘出てきたところで、ホテルのチェックインの都合もあり今日は帰ることにした。
やはり、有料席で楽しむのが正しい祭りの鑑賞方法らしい。
津島神社
愛知県津島市神明町1番地
津島天王祭・朝祭
18:00 水上イベント
19:40 水上花火
20:00 打上花火
21:00 まきわら船出船
21:40 まきわら船御旅所着

岐阜県の木曽川と揖斐川の間の洲島に鎮座する治水神社。御祭神は宝暦治水工事の総奉行平田靱負正輔大人命。

江戸時代中期の宝暦年間、手伝い普請を命じられた薩摩藩は多大な犠牲を払って治水工事を完成させました。

神社は南向きに鎮座する。

神社境内に沿って史跡油島千本松締切堤が道路となって残る。

神門と玉垣で囲まれた本殿、拝殿。

左手に薩摩義士の像

神門で詣る。神門左に社務所があり、御朱印をいただいた。

本殿右前に小さな祠あり。昭和34年9月26日の伊勢湾台風の犠牲者を慰霊するための治水昭和之宮。

創建当初平田氏以下86名を合祀する予定であったが、当時祭神の合祀は靖国神社以外認められなかったため、彼らの位牌を安置した宝暦治水観音堂が本殿裏にある。
治水神社
岐阜県海津市海津町油島

多度町の多度大社。御祭神は天津彦根命、相殿に面足命、惶根命。
多度山を神体山とする延喜式内社で明神大社。

南向きの大鳥居が建つ。奥に神体山の多度山が見える。

正面階段。階段の左にはGWの例大祭で神馬が駆け上がる坂がある。

振り返ると、末社の鉾立社。御祭神は天久之比乃命。

階段を上ると、摂社新宮社。御祭神は本宮御祭神の天津彦根命の幸魂と別宮御祭神の天目一箇命の幸魂。

左には神馬舎があり、実際に生きている神馬がいる。

上から望む多度祭りの坂。

神馬舎の左に末社藤波社。御祭神は建速須佐之男命、大穴牟遅命、少名彦命。

手水舎の横に末社雨宮八幡社。御祭神は天之水分神、国之水分神、品陀分命。

さあ本宮に向かいましょう。

鳥居をくぐって授与所がある。御朱印は参集殿でいただく。
絵馬掛けには神馬の描かれた八連の絵馬が掛かっていた。

階段を上って始めに見えてくるのは白馬舎。ここの神馬は人形です。

そして左に皇子社。御祭神は天忍穂耳命他5柱。多度神社の兄弟、妹が祀られている。

次に左に多度招魂社。

隣に摂社美御前社。御祭神は市杵島姫命。

御葺門をくぐり

左に末社神明社。御祭神は天照大御神。

神橋をわたると、

左手に本宮多度神社。御祭神は天津彦根命。

右手に別宮一目連神社。御祭神は天目一箇命。天津彦根命の御子神とされます。
境内には非常に摂社・末社が多い。すべて参拝したつもりだったが、豊明殿の裏に摂社一拳社があったらしく見逃した。
多度大社
三重県桑名市多度町多度1681

七尾市の大地主神社の夏祭り、七尾祇園祭に行ってきました。昼過ぎまでは雨が降ってきたが晴れたこともあり、涼しく人出も多かった。
祇園祭という名称からもわかるように、かつて牛頭天王を祀り、今は須佐之男命を神輿に乗せて悪霊退散と幸福を願う祇園会のひとつである。昨年日本遺産に認定された「灯り舞う半島 能登~熱狂のキリコ祭り~」を構成する1つの祭りでもある。

七尾祇園祭には11基の奉燈(七尾ではキリコのことは奉燈と呼ぶ)が出る。
山王町の奉燈は大地主神社の前からスタートする。

重いものは2トンにもなる奉燈を50人で力一杯担ぐ。
「サカサイ、サカサッカイ」とかけ声とともに、時々奉燈を持ち上げる。

上には囃子を奏でる子供たちが乗る。時々持ち上げられて楽しそう。

山王町の奉燈は神社前を1周、道路に出て折り返し、町内会館で小休憩。

他の奉燈を探しに出ました。辺りは暗くなり始めて、奉燈の灯りがきれい。

仮宮にやってきました。仮宮の後ろには露店も出ている。

仮宮には神輿がすでに到着している。

奉燈は町内の狭い路地も慎重に通っていく。

20時半頃から仮宮前に奉燈が1基ずつ入ってきて乱舞する。

奉燈が揃う(11基のうち1基は大きすぎて仮宮前まで来られず途中待機)と仮宮の背後に花火が上がる。
奉燈の上に花火が上がるのは景色がいい。
そこから大地主神社への還御が始まったが、今回はここで帰ってきた。
七尾祇園祭日程
開催日:7月第2土曜
15:30 大地主神社で出御祭
16:00 大地主神社から神輿出発
18:00~ 奉燈の巡行開始
18:30 山王町の奉燈が大地主神社前でまだらを披露し出発する
20:20~ 仮宮の前に奉燈が集まり始まる
21:30 奉燈の集合が完了し、清祓い神事が終わると港(仮宮後方)に花火が上がる
21:40~ 花火終了後、1番奉燈から仮宮を出発し、最後に神輿が続き大地主神社に還御する
23:30 大地主神社で還御祭。11番奉燈がまだら披露
大地主神社
石川県七尾市山王町1-13

南砺市井波の瑞泉寺に隣接して鎮座する井波八幡宮。御祭神は応神天皇、神功皇后、仲哀天皇のいわゆる八幡神。
旧瑞泉寺境内にあり、井波城跡でもある。

ゆるやかな階段を上り社殿に向かう。

鳥居をくぐり境内に入ると思いの外広い。

拝殿に詣る。

能楽の奉納額が数枚掛けられていて、戦前はさかんな時期もあったようだ。

境内社は一社。幕末に建てられた蚕堂ということで、江戸時代中期から明治にかけて盛んであった蚕種業者が、蚕神を祀り、蚕の霊を鎮めるために建てたものらしい。

社務所兼自宅は参道途中から入るが、かなり広い。宮司は綿貫という名字で、地元ではとても有名なのだが、それは政治家だった綿貫民輔氏の実家だからである。現在宮司のはずだが、直接会っていないので御朱印はどなたが書いてくれたのかはわからない。
井波八幡宮
富山県南砺市井波3053

南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大国主命、天活玉命と五十猛命を配祀している。

南側に建てられた大鳥居をくぐる。

神社に隣接して駐車場がある。

境内は高木も多く、サギが巣を作っているようであった。

因幡の白兎の逸話に因み、ウサギの作り物も多い。

ナデウサギの銅像も立っている。
高瀬神社
富山県南砺市高瀬291

加賀一宮の白山比咩神社。白山から下山して、時間もまだ早かったので帰りに寄りました。
今回いただいた御朱印は「白」が崩し字でいつもとは違った雰囲気です。

今日は麓の一の鳥居から参拝しました。

長い参道を登って社殿に向かいます。

今日は拝殿前に茅の輪くぐりが準備されていました。
そういえば、まだこの時期に訪れたことはありませんでした。茅の輪くぐりに躊躇する人たちを横目にさっさとくぐって参拝します。

今日の白山頂上は11度だったらしいですが、風もありましたので体感温度は一桁でした。
打って変わって下界は35度を越え、耐えがたいほどの気温でした。
白山比咩神社
石川県白山市 三宮町ニ105-1

3回目の白山登拝に行ってきました。週末登拝の予定をしていたところ、日曜日に向け梅雨前線にともなう低気圧が近づいてくるということで土曜日早々に登り、早く下山することにしました。

白山比咩神社奥宮の御朱印は室堂の祈願殿でいただけます。来年2017年の白山開山1300年に向けて祈願殿は建替中ですが、プレハブで開いています。営業期間は7月1日の開山祭から8月31日の閉山祭まで。
祈願殿では御朱印帳1冊につき1個のみ御朱印がいただける。書き置きや色紙は書いてもらえないので、今回も2冊持って行った。印は4種類あり、上は1、下が4となる。何も言わなければ墨書きは「霊峰白山」になる。

通行規制前なので別当出合まで自動車で上る。梅雨前線の接近で薄暗いが4時40分出発する。

途中、明るくなってきたものの、やはり雲は厚い。今年は雪が少なく、参道に雪はほぼない。花も例年に比べて2週間以上早まっているため、高山植物を楽しみながら登る。

エコーラインと南竜ヶ馬場の分岐まで来ると、霧がひどくなってきた。
さらに進むと風も強い。

室堂に到着したのは8時20分。前回よりも順調にここまで来た。トレーニングの成果が出ている。
祈祷殿も濃霧に霞んでいるが、すでに内装工事に入っている。

祈祷殿の裏にまわるとたくさんのクロユリが咲いていた。これを見ただけでも登ってきた甲斐がある。

今回は濃霧だったこともあり、ここまでにして祈祷殿に詣って下山する。

別当出合口に到着したのは12時。下山途中、天候は一時的に回復したが、数時間でやはり崩れてきた。
来年は開山1300年、良い天候に登りたい。
白山比咩神社祈祷殿
白山室堂(2450m)
白山比咩神社奥宮
白山御前峰頂上(2702m)

穴水町の平野八幡神社。御祭神は八幡神である応神天皇、神功皇后、仲哀天皇。
穴水城主長谷部信連の祈願所として創立されたという。

朱色の鳥居をくぐり

階段を上って本殿に向かう。

拝殿は閉じていたが、中を覗くと複数の絵馬が奉納されていた。

神社に隣接して社務所兼自宅があり、老夫婦が住んでいるようだったが、御朱印は授与されていなかった。
平野八幡神社
石川県鳳珠郡穴水町平野1-2

能登町の岩井戸神社。祭神は大己貴命、岩衝別命、菊理姫命。
かつて「猿鬼の宮」と呼ばれ、悪さを繰り返した猿鬼を退治して祀ってあったという。当社の御祭神が猿鬼(老ヒヒ)の目を弓矢で射て退治したところということで当地は当目(とうめ、めにあたる)となったともいう。白山神社を合祀して菊理姫命が御祭神になったようだ。
猿鬼伝説の概略はこうだ。岩井戸という洞窟に棲んでいた猿鬼(老ヒヒ)が村々を荒らし回るので、神々は氣多大社大明神を大将に(神社由緒書では当社御祭神となっている。御祭神は同じ大己貴命ではあるが、勧請の前か後か不明)、三井の大幡神杉姫(大幡神杉伊豆牟比咩神社の御祭神)を副将として退治することになった。まず、神々が兵を寄せた所が「駒寄」、猿鬼の体に漆が塗ってあり弓矢がたたず後退した所が「神和住」、神杉姫が筒矢で射よとお告げをうけた所が「歌波の浜」、毒を採取した所が「千毒(千徳)」、目に矢が当たった所が「当目」、その黒い血が流れた所が「黒川」と「五十里」、おおばこで傷の手当てをした所が「大箱」、猿鬼の首を埋めた所が「鬼塚」、その霊を祀って祠を建てた所が「猿鬼の宮」といわれる。
この伝説から推測すると、当宮は猿鬼の霊を鎮めるための社で、大己貴命は後に伝説により勧請したものと考えるのがよさそうだ。能登には他にも猿鬼伝説の残る神社は多く、村に外からの人を寄せ付けないための噂だったのかもしれない。

山あいに田畑の広がる集落の道沿いに神社は鎮座する。

鳥居をくぐり、神社は川に向かって参道が下がっていくという珍しい形だ。

階段を下りていくと第二鳥居があり、向こうに社殿が見える。

川にかかった赤い橋を渡って対岸の社殿に至る。

拝殿に詣る。

社殿の左側、山側を進むと岩が向きだしで下が窪んだ場所があった。
境内に「岩屋堂」と呼ばれた洞窟があり、そこに猿鬼が住んでいたというが、ここがその場所か。穴は埋められたのか、元々ないのか。

周辺には猿鬼伝説に由来する地名が数多く残る。
岩井戸神社の南の集落「一布」は、神杉姫が白い布を身にまとって踊り、岩井戸と呼ばれる洞窟に潜んだ猿鬼をおびきだした。その時にまとった一級品の布を献上した村に与えられた名前という。

岩井戸神社の北の集落「駒寄」は、大将を一ノ宮大明神、副将軍を大幡神杉姫とする神軍が馬をつなぎ兵を挙げた拠点の村という。旧岩井戸村の役場が置かれた里の中心地だったらしい。

駒寄のさらに北の集落「黒川」は、神杉姫に毒矢で目を射られた猿鬼が、名刀鬼切丸で首を切られ傷口から流れ出した黒い血が黒々と川となって流れた地名という。
岩井戸神社
石川県鳳珠郡能登町柳田字当目55字39番乙丙地

今月も金沢市の金沢神社の天神月次祭の御朱印をいただいてきました。
週末のためか、いつもの神職さんではなかったので、金箔の場所が少し違っています。

今日は検定前日のため、いつも以上に念入りにお祈りしてきました。
月末の夏越の大祓の準備として茅の輪が拝殿前に設置されていたので、早速くぐってきました。

放生池の蓮はきれいに咲き

境内のアジサイもちょうど盛りでした。
朝方まで暴雨と風が強かったですが、参拝の間は穏やかで帰途につくとまた風が強くなってきました。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

金沢市の尾山神社。

先月に続き、6月の御朱印をいただいてきました。

午前中は雨が降り、ようやく梅雨らしい天候でしたが、そのためか境内は人もまばらでした。

6月は車輪の真ん中に剣梅鉢紋が配置されています。4回目に初めて男性の神職に墨書きしていただきました。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市の四坊高坂町に鎮座する八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神。
往時は田近山の村々の合同地で大村だったといい、波自加彌神社の奥社とも元社とも伝えられる。

黄金清水の霊水から東に50mほど、山に向かって階段が延びる。

上っていくと杉の大木が見えてくる。

二手に大きく分かれて育ち、後世に落雷で裂けたようだ。

拝殿入り口から90度曲がって建つ本殿。地形的理由でこういう建て方になったか。

拝殿右に地蔵堂が残っている。大きな石像だった。
八幡神社
石川県金沢市四坊高坂町

金沢市四坊高坂町の黄金清水の霊水。

波自加彌神社からは数キロしか離れていないが、山を一気に上り数軒の集落に至る。

黄金清水の前には近年案内看板が立てられた。周辺は波自加彌神社の元宮跡と伝えられている。

村人により整備されたという池には大きな水芭蕉と今が見頃の蓮が植えられている。静かな村に池の蛙の鳴き声が喧しい。

池の奥に霊水のくみ取り口があった。暑い日が続いていても非常に冷たくおいしい水だった。

元宮からは西に河北潟が見える。天気が良い日は日本海まで見えそうだ。
波自加彌神社元宮跡 黄金清水
石川県金沢市四坊高坂町

津幡町竹橋の倶利伽羅神社。御祭神は木花開耶姫命、火結命、罔象女命、埴山比咩命、菊理比売命、伊弉諾命、誉田別命。

北陸道竹橋宿に鎮座する同社は、町村合併でできた旧倶利伽羅村の総鎮守として倶利伽羅神社と改称する。

鳥居をくぐり階段を上る。

階段の手前に百周年記念の石碑が建つ。平成21年9月の建立。
100年前の1909年(明治40年)、竹橋の冨士社、倶利伽羅村河内の河内社の二社を合祀する。
それまでは小白社と称していたが、小白山社の略称か?合祀で祭神が増えているためよくわからない。

階段は100段以上ある。手すりには遷座五〇年とある。小白社の場所は変わっていないので、合祀五〇年の意か。

拝殿は常にサッシに囲われている。拝殿に詣る。

拝殿裏は神橋を渡って本殿に至る。

本殿と本殿前鳥居は朱色に塗られている。
神社の麓に宮司宅があり御朱印をいただく。宮司は冗談で10年に1回とか言っていたが、今書かなかったら今度いつ頼まれるかわからないので、わざわざ参拝いただいたのでと言っていただいた。地元ということで少し話させていただいた。石川県神社庁の神社検索にある倶利伽羅神社の写真は、猿田彦命が先導する祭りの様子なのだが、神輿と獅子舞と続いている。この写真は100周年記念の特別編成だったらしく、現在の春祭りは神輿が先に、2時間ほど経って獅子舞が出発するようで並ぶことはないようです。若者の少なくなった在所では神輿を出すのも大変だそうで、今後は過疎地では規模縮小や失われていく祭りが増えそうな予感がする。
倶利伽羅神社
河北郡津幡町竹橋オ34

金沢市の波自加彌神社。日本で唯一の香辛料の神、波自加彌神を祀る神社です。
6月15日は例大祭であるはじかみ大祭の日でした。明治に一度途絶えて、20年前に120年ぶりに復活した例祭です。

初めて行ける機会を得、14時の開始に間に合うように着きましたが、臨時駐車場も車の列で年々参拝者が増えているようです。

すでに参拝者は拝殿の前に集まっていました。

座れなかった人たちの立ち見もたくさんいました。

本殿での祝詞の後、本殿前の準備の様子を見に行きました。

神事は湯釜にショウガを入れて、

笹の葉で周囲を清めます。この湯釜が神事の後に振る舞われる生姜湯になります。
今年は生産数一位の高知県と愛知県から奉納されたショウガのブレンドでした。また、水は元宮跡にある黄金清水の霊水です。

香辛料の神はかつて飢饉に見舞われたときに、唯一育ったショウガで飢えをしのいだという言い伝えによるもの。

最後に神職3人が生姜湯を飲んだのちに

容器を地面に叩きつけて割るという神事で終了しました。

生姜湯をいただいて、参拝者が少しずつ帰り始めた頃、拝殿の中を見ることができました。
生姜湯はピリッと辛口でした。

大祭用に作られた特別な神饌です。ショウガと脇にワサビも添えられています。

全国各地から香辛料を使った商品やショウガが送られて来ます。写真に写っているもので半分くらいです。
こちらも年々増えているようで、それだけ祭りの知名度が上がってきているようです。

ショウガご飯の入った小さな寿司(県内の調理師でつくる「調理研究 越路会」が奉納)もいただきました。
御朱印は拝殿隣のテントでこの日に限っては、権祢冝である宮司の奥さんが書いてくれます。(普段は宮司が書きます)
また、本日より「日本唯一香辛料之神」が印となり、ショウガの印が増えました。生姜湯の振る舞いの間は御朱印はいただけませんので、その前の神事の途中が良いでしょう。
波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165

勝山市の平泉寺白山神社。

すでに何回も訪れた場所ですが、今回は

白山開山1300年に合わせた企画で訪れました。

石川県の加賀馬場白山比咩神社、福井県の越前馬場平泉寺白山神社、岐阜県の美濃馬場長滝白山神社の三社をめぐって、御朱印スタンプを集めると、特製クリアファイル(3枚組)がもらえます。
白山開山1300年は来年の平成29年、まだまだイベントは続きます。
平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

郡上市白鳥の長滝白山神社。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊。
白山信仰の岐阜県側の中心地、もと美濃馬場の白山中宮長瀧寺でした。

長良川鉄道の白鳥長瀧駅を降りてすぐの場所に参道入口がある。

往時は参道両側に宿坊が並んでいた。

鳥居をくぐって参道を進むと中程に神橋がある。この左方向(東北方)に白山禅定道が延びる。

最後に階段を上って、正面に拝殿が見えてくる。

拝殿は開放的で広い。天井に正月6日の六日祭で花が吊られる場所が見える。

六日祭と当日奉納される延年は盛大なものだと聞くが、関連本を購入して祭りのパンフレットをいただきました。
6日固定なのでなかなか見る機会もないが、一度見てみたい。

拝殿後ろに本殿が並ぶ。

左から大将軍社。

越南智社。大汝峰のこと

白山大御前社。御前峰のこと

別山社。別山のこと

若宮社。

境内社を見ていく。
本殿左手に二社。左が兒御前社、右は竈神社。

本殿右手に二社。左が神明神社、右は稲荷神社。
ともに参道や山内に点在した社を遷座したもののようだ。

拝殿の左に天満宮。

境内は神仏分離で白山神社と長瀧寺に分かれ、おおよそ参道の西側を長瀧寺、東側・北側を白山神社としたようだ。
神仏習合時の名残がところどころに残る。
拝殿前の石灯籠。

白山瀧宝殿の横に牛王石。
御朱印は白山瀧宝殿の受付でいただける。

そして白山千蛇ヶ池の霊泉。白山山頂の千蛇ヶ池から湧き出す清水と言われる。
長滝白山神社
岐阜県郡上市白鳥町長滝138

白川郷の帰り雲神社。御祭神は国立尊。
世界遺産白川郷から鳩谷ダムのダム湖を過ぎるとすぐに見えてきます。

保木脇の地は、室町時代までは「帰雲」と呼ばれ、流れる雲が上空に昇り蒸発する(雲が帰る)地とされていたようで、昭和33年鳩谷ダムや御母衣ダム建設に伴い、家屋や田畑などを移転した地が今の保木脇集落だそうです。
天正の大地震(1585年11月29日)で帰雲城主内ヶ島兵庫頭氏理をはじめ一族と城下町がことごとく埋没したという伝説地であり、その霊を慰めるために同集落で採石業を営む田口建設の社長が昭和54年に建立したもののようです。

朱色の小祠ながら

彫り物は凝っている。

野ざらしのため少し痛んでいる。

帰雲城址の石碑や観音像が建ち、背後にある庄川右岸の帰雲山(1622m)が天正の大地震で大崩落を起こしたといい、現在でも山頂付近は大きく崩れている。昔は西方の三方崩山(2058m)が帰雲山だとされていたようだ。結局、城下町が埋没したことで地勢を理解する人がいなくなり、地形も大きく変わったことで不明になっているということか。
帰り雲神社
岐阜県大野郡白川村保木脇

世界遺産白川郷の白川八幡神社。御祭神は応神天皇。
往古萩町・戸ヶ野・島集落の産土神だったのが、白川(下白川郷)・荘川(上白川郷)の白川郷43か村の総社となる。白川郷としては北のほうに位置する。

神社は世界遺産白川郷の範囲の中では南端にあたる。道沿いに北方に茅葺き屋根が並ぶ。

鳥居をくぐり境内に入る。

西向きに3つの建物が並ぶ。

中央が八幡神社拝殿。後ろに本殿がつながる。拝殿に詣る。

境内の杉の大木はいずれも注連縄が巻かれ、ご神木となっているようだが、拝殿脇の夫婦杉が一番のようだ。

白川八幡神社はアニメの舞台となったようで、聖地巡礼に来た絵馬が多数掛けられていた。

右は釈迦堂。神仏習合時代の名残だろう。

左は白川村招魂社。

境内には社務所もあり、どぶろくの館でも御朱印をいただけるという情報は得ていた。
しかし、当日は書き置きが前日になくなり、今日は宮司は朝から用事があって昼過ぎになるという。もしかしたら飯島八幡神社にいたのかも、と後ろ髪を引かれる思いはしたが今日は縁がなかったということで次回のお楽しみに。
白川八幡神社
岐阜県大野郡白川村荻町

道の駅白川郷の正面にある神社。御祭神はおそらく応神天皇でよいかと。

鳥居と拝殿の間、両側に林立する杉が印象的な社であるが、

榎の老木が一番のご神木のようだ。

今日は総出で何かの準備をしていた。掃除の日かと重い、邪魔にならないように詣る。

本殿背後に境内社の秋葉神社。

境内にどぶろ酒蔵もある。秋にはどぶろく祭りも行われる。

参拝している間に鳥居に国旗が掲揚された。どうも例祭の日だったようだ。
飯島八幡神社
岐阜県大野郡白川村飯島

穴水町の神杉伊豆牟比咩神社。御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命。鳳至郡の延喜式内社論社のひとつ。

中居の地は鉄鍛冶が盛んだった地で、鉄釜や梵鐘で有名な宮崎寒雉も当神社の氏子でした。

社殿は丘の上に南向きに建ち、麓に別当寺が二寺残っています。日吉神社の別当寺が二寺、神社の別当寺はすべて真言宗です。他に曹洞宗寺院が二寺あります。

今日は境内、拝殿の大掃除の日だったようで、拝殿の中で参拝することができました。

石川県神社庁の由緒では、御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命の三柱となっているが、六所大明神とも呼ばれた当社に掛かる年表では、往古荒志社と呼ばれた時代は伊邪那美命、伊邪那伎命、須佐之男命、手力雄命、足名雄命、奇稲田姫命の六柱となっている。鎌倉時代に神杉伊豆牟比咩神社に六所社を合祀したという。現在は六所大明神は相殿に祀られているらしい。

弊殿に掛かる絵馬は古く、天保18年の奉納となっている。源平盛衰記の一場面のようだ。

もう一枚の絵馬は年号がわからないが攻城戦のようだ。

今回、石川県版道の駅2016夏号の御朱印特集に掲載されたので電話して訪問した。数年前に前宮司がお亡くなりになってから、次女が継いだそうだが現在不在がちということで、珠洲の須受八幡宮に嫁いだ長女に対応いただいた。須受八幡宮で御朱印をいただいてから二回目の対応となったが、そういうこともあり長話をさせていただいた。御朱印と一緒に短冊形の絵馬をいただきました。ちなみに自分が第一号だったそうです。
当社は境内に幼稚園を経営しており、そちらの手伝いもあるので電話してから訪問した方が確実です。県内では当社と七尾市の気多本宮の二社のみが幼稚園を経営していて、お寺はよく併設しているのを見ますが、神社は珍しいですね。

境内社は拝殿前に二社。

どちらか不明になっているそうですが、越前国一宮の気比神宮から勧請した気比神社と武内宿禰命を御祭神とする杉平神社。
社殿は伊勢神宮の遷宮下賜木材(何回目か不明)を使用しているそうです。拝殿玉垣を遷座一千年の昭和60年に整備しているそうなので、昭和48年の第60回式年遷宮か?

本殿隣に栄浜神社。旧樺太の栄浜に鎮座した神社で、当社宮司の次男が宮司を務め、ソ連侵攻により札幌を経て当地に遷座した。この社殿も遷座一千年に整備されたようだ。

拝殿前の灯籠は文化三年の奉納。

境内には「六所山」の石碑が建つ。揮毫は元横綱の輪島大士さんです。能登三大相撲の地で今は絶えてしまったようで、大相撲の遠藤関が中居の出身で盛り上がる地元では相撲を復活させようと計画しているそうです。ちなみに遠藤関は日吉神社の氏子だそうですが、同じ能登が郷里の輪島関が揮毫した石碑を目にしていたでしょうね。
神杉伊豆牟比咩神社
鳳珠郡穴水町中居ワ153

穴水町岩車の奈古司神社。御祭神は美麻奈比咩神、大山咋神、住吉大神。
従来美麻奈比咩神社と称していたのを奈古司社と改め、更に昭和5年5月30日、奈古司神社と改称したという。
鳳至郡延喜式内社と同名だが、旧記が失われていて詳細は不明。勧請された社か、飛び地だったのか。

ゆるやかに上りながら境内に至る。

振り向けば七尾北湾。対岸に新崎、奥に別所岳が見える。

鳥居の先に町道が横切る。

鳥居の左に祠があり、詣ろうかと空けてみると、「薬師池」という湧き水でした。

参道の右に薬師堂。

拝殿に詣る。

境内には大きな一枚岩があった。何か由来があるのか?

晴れていれば良い景色だろう。
奈古司神社
鳳珠郡穴水町岩車チ6

能登町の今蔵神社。御祭神は大穴牟遅命、須佐之男命、菅原道真。
寛政年中社殿炎上したので、輪島重蔵神社より御神体を勧請したと伝えられ、4月3日の節句祭に重蔵神社より神饌が供される。8月23日の輪島大祭には当神社より重蔵神社へ新米2升神供することにしている。

今蔵橋を渡り、集落に入る。

階段を上り、山腹の境内に向かう。

境内に入る前の階段途中に鳥居が建つ。

拝殿に詣る。
階段を上る途中からカラスがけたたましく鳴いていた。上を飛ぶ時もあり少し恐かったが、神社の森に巣があったのかもしれない。

拝殿後ろに本殿がつながっている。

今蔵神社は近郊の14社を兼務しているようだが、御朱印は授与していないとのことでした。
今蔵神社
鳳珠郡能登町字瑞穂9字1番地