尾張一の宮 大神神社

大神神社

一宮市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主神。延喜式中島郡の比定社で明神大社、尾張国一宮。

大神神社

社殿は南向き。

大神神社

鳥居を入ってすぐのところに御神木が立つ。

大神神社

前回参拝時には見逃した番塀。尾張地域に特徴的なもの

大神神社

拝殿に参る。

大神神社

拝殿には入れないが、前回見ていなかった中を覗いて、掛けられた額から不明であった本殿左右の境内社が判明した。本殿左に左から神明社、白山社、本殿右に左から三島社、六所社である。由緒書きの順番から拝殿右の一社は招魂社、素戔嗚社が境外末社であろうか。

大神神社

大神神社は一の宮ではあるが本務社ではなく、兼務社である。本務は大神社であり、電話予約してから訪問して御朱印をいただくことになる。当日授与はしていないので、私も2度目の参拝になる。

大神神社
愛知県一宮市花池2-15-28

尾張一宮 大神社

大神社

一宮市に鎮座する大神社。御祭神は神八井耳命。延喜式中島郡の太神神社の比定社で明神大社。

大神社

境内は南向き。鳥居の前に車を停める。

大神社

社殿は番塀、拝殿、幣殿、本殿と並ぶ。番塀前に祓所がある。

大神社

拝殿に参る。

大神社

拝殿、幣殿の先に本殿が見える。

大神社

本殿は幣殿と塀に囲まれている。中が見えないが境内社の大明神社と神明社も中にあるようだ。

大神社

参道の途中に社務所兼自宅があり、御朱印をいただく。宮司は兼務社も多く、留守なことも多いので予め予約が必要。予約してあったので尾張国一宮の大神神社の御朱印もいただく。御朱印をいただいたときにお話を聞く。一の宮巡礼で御朱印の予約もとても多いそうだが、中には急に来る人もいるといい、特にひどい人は朝6時とか夜10時とかいう人が一部いるらしい。御朱印いただくのにも常識が必要で、宮司だけでなく周囲の一般宅にも迷惑かけるのはいかがかと思います。

大神社
愛知県一宮市大和町於保郷神2311

尾張海部 漆部神社

漆部神社

あま市に鎮座する漆部神社。御祭神は三見宿禰を主祭神とし、木花開耶姫命を配祀、八大明神を合祀する。延喜式海部郡の比定社。隣接して甚目寺が建ち、漆部神社が甚目連公の氏神、甚目寺が氏寺とされる。

漆部神社

社殿は南向き。

漆部神社

鳥居をくぐって参道を進むと朱色の神橋。

漆部神社

拝殿の前にはコンクリート製の番塀が立っている。

漆部神社

拝殿に参る。

漆部神社

拝殿の右に境内社が一社。

漆部神社

社務所で御朱印をいただく。

漆部神社

甚目寺の境内が拡張されて現在地に遷座する前は、東隣の日吉神社に鎮座していたという。

漆部神社

甚目寺のお堂の屋根の下で神鶏が雨宿りしていました。

漆部神社
愛知県あま市甚目寺東門前11

尾張津島 津島神社

津島神社

津島市に鎮座する津島神社。御祭神は建速須佐之男命を主祭神とし、大穴牟遅命を相殿に祀る。全国の津島神社・天王社の総本社。

津島神社

津島天王祭の行われる天王川公園に車を停める。

津島神社

天王川公園の東に鎮座する御嶽神社。

津島神社

津島神社とは関係ないようだが拝殿に参る。

津島神社

天王川公園の北にある津島神社御旅所。

津島神社

津島天王祭で神輿が奉斎される場所になる。天王川はかつては川として海につながっていたが、現在は埋め立てによって池になっている。

津島神社

南鳥居の向かいにある秋葉神社。やはり津島神社とは関係ないようだ。

津島神社

南鳥居

津島神社

摂社居森社、御祭神は須佐之男命幸御魂。延喜式海部郡の国玉神社の旧鎮座地で論社のひとつとなっている。

津島神社

末社菅原社。受験シーズンには学生で賑わうという。

津島神社

末社照魂社、津島出身者の御英霊1170柱を祀る。

津島神社

南門の先に番塀が見える。尾張造という社殿形式の特徴で尾張国によく見られる。

津島神社

南門を入ると、左右に境内末社が並ぶ。

津島神社

正面に拝殿。後ろの回廊が左右に延び、均整のとれた社殿。社殿は南向き。

津島神社

拝殿に参る。

津島神社

津島神社の表参道は東の鳥居。南鳥居に比べてもこちらがやはり大きい。

津島神社

神橋と楼門が建つ。

津島神社

本殿の右、授与所の裏にも境内社が並ぶ。手前が摂社荒御魂社、須佐之男命荒御魂を祀る。

津島神社

境内の南西隅に鎮座する摂社弥五郎殿社、御祭神は武内宿禰命。延喜式海部郡国玉神社の論社で、居森社の場所から遷座した、論社としての御祭神は大国霊神、大己貴命で武内宿禰命を相殿に祀る。

津島神社
愛知県津島市神明町1

伊賀白樫 岡八幡宮

岡八幡宮

伊賀市に鎮座する岡八幡宮。御祭神は誉田別尊、神功皇后、仲津姫命。

源頼朝公が全国六十余国に鶴岡八幡宮の末社を建立する祈願をし、神意により伊賀国に第一番を建てる。岡八幡宮は鶴岡八幡宮の末社の略称であったが、頼朝公の没後計画は中止となり、最初で最後の末社となったという。

岡八幡宮

社殿はやや南東方向向き。

岡八幡宮

鳥居と社号標

岡八幡宮

旧社号標も残る。明治37年合祀令に治田地区との二郷神社と改称し、戦後岡八幡神社と改称されたが、平成2年御鎮座800年を記念し旧称の岡八幡宮に戻されたという。

岡八幡宮

鳥居左の池に末社鈴鳴弁財天社

岡八幡宮

木製の二の鳥居をくぐると参道は階段となる。

岡八幡宮

階段を上り詰めたところの両側に大木が立つ。正月とあってか狛犬にも注連縄が掛けられている。

岡八幡宮

拝殿に参る。

岡八幡宮

本殿左に末社礎社

岡八幡宮

拝殿右に神馬舎の白馬社

岡八幡宮

拝殿右方に山の神尺殿明神が祀られている。

岡八幡宮

本殿の塀の中にも数社末社が祀られているようだ。

岡八幡宮

帰りに二の鳥居右の社務所で御朱印をいただく。

岡八幡宮
三重県伊賀市白樫3638

伊賀阿拝 陽夫多神社

陽夫多神社

伊賀市に鎮座する陽夫多神社。御祭神は健速須佐之男命を主祭神とし、五男三女神を配祀する。延喜式阿拝郡の比定社。伊賀河合郷の総社であり、河合天王とも呼ばれ8月に祇園祭が催行される。

陽夫多神社

東の参道より入る。

陽夫多神社

神橋を渡って境内に入る。社殿が東向きなのでこちらが表参道かと思ったが、表参道は御旅所古墳のある南側のようだ。

陽夫多神社

入って右に神井と鐘楼がある。

陽夫多神社

梵鐘は伊賀で3番目に古い寛文7年の製作。

陽夫多神社

社殿は背後の宮山の麓に鎮座する。宮山には古墳や中世の城跡があり、地域の中心地だったことを物語る。

陽夫多神社

拝殿は横に長い。

陽夫多神社

拝殿と一段上の幣殿に至る階段の両側に高い木が林立する。鳥居又は狛犬の替わりだろうが、伊賀地域ではこの形をよく見る。陽夫多神社は中世、高松神と呼ばれることもあり、この御神木は松であろうか。

陽夫多神社

階段を上って幣殿へ。本殿に参る。

陽夫多神社

幣殿には絵馬が掛けられているが、主祭神の須佐之男命に関するものが多い。

陽夫多神社

そういえば境内に須佐之男命が須賀の地で詠んだ歌碑が建っていた。

陽夫多神社

三重県は明治期に神社合祀が盛んに行われた地域であり、陽夫多神社も合祀された神社の御祭神は多い。

陽夫多神社

本殿左に境内社八柱神社、御祭神は大山祇神、火之迦具土神、五男三女神、金山比売神を祀る。

陽夫多神社

社務所らしい木造建物は無人で、境内の参集殿兼授与所に立ち寄る。地域の公民館的存在でもあるようだが、運良く宮司が居られた。実は3回目の訪問で今まではこちらも無人であった。御朱印をいただく間にお話を聞くと、宮司を継いだ息子さんが去年突然亡くなられて、前宮司が再び勤めることになったという。伝統ある行事も続く神社であるので氏子の方々は心配が絶えないであろうが、遠くなく兼務社になるのかもしれない。

陽夫多神社
三重県伊賀市馬場951

伊賀阿拝 手力神社

手力神社

伊賀市に鎮座する手力神社。御祭神は天手力男神。信濃の戸隠神社から勧請され、伊賀忍者の藤林家の氏神だったという。

手力神社

神社が北向きに鎮座。南へ参道が延びる。

手力神社

鳥居と拝殿の間に一本の御神木が立ち、一際目立つ。

手力神社

内陸の伊賀は手水の水は凍結し、龍の口も冬支度でまるで服を着ているようです。

手力神社

鳥居をくぐって拝殿に参る。

手力神社

手力神社には日本一という鈴の緒があります。確かに太すぎて振ることはもちろん揺することも難しい。

手力神社

拝殿の後ろ一段高い場所に本殿が鎮座する。

手力神社
三重県伊賀市東湯舟1025

近江甲賀 油日神社

油日神社

甲賀市に鎮座する油日神社。御祭神は油日大神。延喜式甲賀郡川枯神社の論社のひとつ。

油日神社

JR油日駅から少し南に行き、東へ油日交差点へ向かう途中に大鳥居が立つ。

油日神社

そこからさらに東へ進むと途中御神田がある。

油日神社

最後に北に折れると鳥居と社号標が立つ。隣に駐車場がある。

油日神社

参道を進むと雰囲気のある楼門が建つ。油日神社は周辺に近代的建物が見えにくい立地でもあるので映画やドラマのロケ地としてよく知られる。最近はNHK大河「平清盛」で使用された。

油日神社

楼門を入ると正面に拝殿。正月なので立派な門松が飾られている。

油日神社

拝殿は常に開いている形式だが、中に三十六歌仙の額が架かる。少し風化しているがしばらく見ていても飽きない。

油日神社

拝殿の裏に本殿。本殿前の中門で参る。

油日神社

本殿の塀の中にコウヤマキの巨木が立つ。

油日神社

本殿左に境内社が一社。

油日神社

本殿右に境内社が二社。

油日神社

楼門の両側の廻廊も見応えあり

油日神社

油日神社は唯一の油の祖神でもあるので、油の業界からの崇敬は篤く、酒樽の代わりに油の缶が並ぶ。

油日神社

拝殿右手の社務所。実は今日は2回目の参拝で、社務所はふだん無人である。今日は隣の参集殿で賑やかな声がしたので尋ねてみた。聞くと、昨日消防出初め式があり、今日は慰労会だという。運良く御朱印をいただく。

油日神社
滋賀県甲賀市甲賀町油日1042

近江甲賀 大鳥神社

大鳥神社

甲賀市に鎮座する大鳥神社。御祭神は素戔嗚尊を主祭神とし、大己貴命と奇稲田姫命を相殿に祀る。

大鳥神社

長い参道には両側にずらりと灯籠が並ぶ。

大鳥神社

参道を進むと鳥居と社号標

大鳥神社

少し下がって川を渡る。

大鳥神社

朱色の橋の隣に石造の太鼓橋

大鳥神社

鳥居の向こうに朱色の楼門が見えてくる。鳥居には中程に注連縄が張られているが、とても低い。低姿勢にならないと鳥居をくぐることもできない。

大鳥神社

楼門の両側には透塀がめぐり、とても印象深い。正月なので楼門の前に門松が飾られている。

大鳥神社

楼門をくぐると拝殿

大鳥神社

拝殿の左に神饌所

大鳥神社

神饌所の隣に御輿蔵

大鳥神社

本殿前の中門は祝詞殿と呼ばれる。本殿に参る。

大鳥神社

本殿の左に境内社が一社。

大鳥神社

本殿の右に境内社が二社。いずれがそうか分からないが、八幡神社、日吉神社、西宮神社の三社。

大鳥神社

拝殿右に神楽殿

大鳥神社

社務所と参集殿。かつては宮寺として河合寺があり、社務所は寺のような造り。社務所の一画にある授与所で御朱印をいただく。

大鳥神社
滋賀県甲賀市甲賀町鳥居野782

近江日野 馬見岡綿向神社

馬見岡綿向神社

日野町に鎮座する馬見岡綿向神社。御祭神は天穂日命、天夷鳥命、武三熊大人命。延喜式蒲生郡の馬見岡神社の論社のひとつ。

馬見岡綿向神社

社殿は南向き。綿向山山頂に奥之宮が鎮座する。

馬見岡綿向神社

入口の大木に大注連縄が掛けられている。珍しい形だ。後で気づいたことだが、昨日、大勧請縄吊りという神事で掛けられたばかりだった。

馬見岡綿向神社

境内は広い。

馬見岡綿向神社

参道左に社務所。

馬見岡綿向神社

社務所右に神輿庫

馬見岡綿向神社

神輿は三台あって日野祭で担ぎ出されるそうだ。

馬見岡綿向神社

拝殿前に神様の渡る神橋。

馬見岡綿向神社

拝殿に参る。

馬見岡綿向神社

拝殿左に神馬舎

馬見岡綿向神社

絵馬殿

馬見岡綿向神社

絵馬殿には多くの絵馬が掛けられていた。中に日野祭の奉納額があった。

馬見岡綿向神社

本殿を囲むように回廊がめぐっている。

馬見岡綿向神社

ふと賽銭箱を見るとイノシシの彫刻

馬見岡綿向神社

横に猪像。猟の途中で大雪になり、大きな猪の足跡を追って綿向山頂上へ導かれると、神の化身である白髪の老人にご神託を受けたという。猪は綿向大神の神使である。

馬見岡綿向神社

末社は多い。本殿右に榊御前社

馬見岡綿向神社

本殿左に村井御前社

馬見岡綿向神社

本殿手前右に八幡社

馬見岡綿向神社

安平稲荷神社

馬見岡綿向神社

富士浅間神社

馬見岡綿向神社

三社並ぶ。竈之社、玉椿神社、稲置三麿神社

馬見岡綿向神社

池の中に池之社・出雲神社

馬見岡綿向神社

拝殿の右に琴平神社。社には事比羅神社と書かれている。

馬見岡綿向神社

神明神社

馬見岡綿向神社

授与所にはおみくじがたくさん並んでいる。神使の猪のおみくじが人気だ。

馬見岡綿向神社

授与所の隣は神楽殿

馬見岡綿向神社

天満宮、左に神使の牛の象がある。

馬見岡綿向神社

楠木正成・正行親子の「桜井の別れの像」。神社に直接関係ないが、日野小学校校庭に戦前あったものをGHQの要請により境内に移されたままになっているという。

馬見岡綿向神社

橋を渡って鳥居の右に玉影神社(祖霊社)

馬見岡綿向神社

境内の一番手前右に蛭子神社がある。
神社入口前に宮司宅があり、書き置きであったが御朱印をいただいた。

馬見岡綿向神社
滋賀県蒲生郡日野町村井711

越前勝山 神明神社

神明神社

勝山市に鎮座する神明神社。御祭神は天照皇大神、豊受比売神を主祭神とし、誉田別尊、小笠原貞宗公を合祀する。奇祭勝山左義長には当神社が深く関わっている。

神明神社

商店街の並ぶ雲平通りに面して南向きに表参道の鳥居が立つ。

神明神社

参道は右に折れて階段を上る。

神明神社

さらに180度回転して社殿は東向きに鎮座する。

神明神社

拝殿に参る。

神明神社

拝殿右に境内社が1社。

神明神社

拝殿左に境内社が2社。

神明神社

扁額がなくて境内社が分からないかと思ったが、一番左は朱色の社殿で稲荷神社だとわかるので、入口にある案内板の並び順どおりだと分かった。つまり、右が白山神社、左が市姫神社ということになる。

神明神社

境内には幕末の勝山藩の藩校成器堂の講堂が移築されている。

神明神社

旧成器堂講堂横に社務所兼自宅があったので御朱印について尋ねたが授与していないという。
ツッパリのような雪帽子を被る狛犬を見て黄昏れる。

神明神社
福井県勝山市元町1丁目19

越前勝山 平泉寺白山神社

平泉寺白山神社

勝山市に鎮座する平泉寺白山神社。

平泉寺白山神社

社殿は南向き。今年はこれでも雪が少ないらしいが、一面の深い雪に覆われている。

平泉寺白山神社

踏み固められた一本道を通り。一の鳥居へ

平泉寺白山神社

鳥居をくぐって左に社務所が建っている。旧玄成院で帰りにここで御朱印をいただいた。

平泉寺白山神社

一面の雪の中を二の鳥居へ

平泉寺白山神社

二の鳥居は中央に屋根のつく神仏習合の名残を残すものであり、「白山三所大権現」の大額が掛かる。

平泉寺白山神社

拝殿には「中宮平泉寺」の扁額が掛かる。平泉寺は白山信仰越前馬場の中心地であった。

平泉寺白山神社

拝殿裏の本社への階段も雪に覆われている。急な階段なので滑りやすい。

平泉寺白山神社

本社には「白山妙理大権現」の扁額が掛かる。白山の御前峰の神。

平泉寺白山神社

左の大汝社には「越南知大権現」の扁額が掛かる。白山の大汝山の神。

平泉寺白山神社

右の別山社には「別山大権現」の扁額が掛かる。白山の別山の神。

平泉寺白山神社

別山社の右、さらに奥へ三宮への道が続く。こちらは踏み跡もない。

平泉寺白山神社

一番乗り気分で三宮へ。三宮の手前左に楠木正成供養塔がある。

平泉寺白山神社

三宮の御祭神は栲幡千々姫尊。後ろから越前禅定道の登山口となっている。

平泉寺白山神社

境内社

平泉寺白山神社

平泉寺の名称の由来となっている御手洗池、別名平泉。

平泉寺白山神社

駐車場からは経ヶ岳が真っ白になっているのが見えた。

平泉寺白山神社
福井県勝山市平泉寺町平泉寺

越前丸岡 国神神社

国神神社

坂井市に鎮座する国神神社。御雄祭神は椀子皇子、振姫命と應神天皇を合祀する。椀子皇子は第26代継体天皇の第二皇子。延喜式坂井郡の比定社。

国神神社

丸岡城の南麓に鎮座する。社殿は西向き。

国神神社

社前に道路にはみ出して御神木のタブの木が大きく茂っている。タブは神社が当地に遷座する以前よりあったという。

国神神社

年越の祓で設置されたであろう茅の輪をくぐって、拝殿に参る。境内は一面の雪に覆われ、今も降り続いている。

国神神社

狛犬の白い雪帽子を被っている。

国神神社

境内社は拝殿右に稲荷社。帰りに社務所で御朱印をいただく。

国神神社
福井県坂井市丸岡町石城戸町1丁目2

加賀金沢 田井菅原神社 献上鏡餅

田井菅原神社

正月に田井菅原神社にやってきた。

田井菅原神社

境内社にも正月らしい供物が供えられている。

田井菅原神社

今日の目的は拝殿の中に

田井菅原神社

第12代藩主前田斉広公の初めてのお国入りを祝って献上された鏡餅が飾られている。鏡餅は三点セットで、中央が床飾り餅、右が蓬莱飾り、左が櫓餅といい、米俵約5個半使用される。現在は蠟製の模倣品で、年末に氏子の協力で設置される。全国的には白のみの鏡餅であるが、金沢近郊では紅白2色が一般的で、上が紅、下が白である。献上された鏡餅はその逆なので、藩主に遠慮して民は逆に飾ったともいう。通常小正月の15日までに徹下される鏡餅であるが、当神社では縁起物に広く触れてほしいという意図から1月末頃まで飾られている。

田井菅原神社
石川県金沢市天神町1丁目3−20

大和橿原 橿原神宮

橿原神宮

橿原市に鎮座する橿原神宮。御祭神は初代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命。畝傍山の麓に鎮座する。

橿原神宮

北参道より入る。冬の夕暮れは早い。すでに薄暗くなっている。

橿原神宮

北神門が見えてきた。

橿原神宮

外拝殿は大きい。大きさにやや圧倒される。

橿原神宮

外拝殿に参る。その先には内拝殿と本殿がある。社殿は東向き。

橿原神宮

すでに来年の干支の絵馬が飾られている。

橿原神宮

南神門授与所で御朱印をいただく。

橿原神宮

南神門を出て南の深田池沿いに進む。

橿原神宮

末社長山稲荷社

橿原神宮

帰りは表参道より出る。

橿原神宮

北にある神武天皇御陵に行く。

橿原神宮

御陵前の拝所にて参る。いつかは皇陵巡礼もしたい。

橿原神宮
奈良県橿原市久米町934

大和橿原 鷺栖神社

鷺栖神社

橿原市に鎮座する鷺栖神社。御祭神は右殿に天児屋根命、中殿に誉田別命、左殿に天照皇太神の三柱。延喜式高市郡の鷺栖神社靫の比定社。

鷺栖神社

藤原宮跡の西に西向きに鎮座。

鷺栖神社

社前には飛鳥川が流れる。

鷺栖神社

境内に入ると左手に社務所らしき建物があるが無人であった。

鷺栖神社

柿本人麻呂の歌碑

鷺栖神社

鳥居をくぐって参道を進むと拝殿。その前に二の鳥居が立つ。

鷺栖神社

拝殿の先に本殿が見える。

鷺栖神社

本殿は塀垣に囲まれる。前の拝所に参る。

鷺栖神社
奈良県橿原市四分町305

大和飛鳥 飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

明日香村に鎮座する飛鳥坐神社。御祭神は八重事代主神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神、高皇産霊神。延喜式高市郡の比定社で明神大社。

飛鳥坐神社

元伊勢笠縫邑の伝承地のひとつでもある。

飛鳥坐神社

変わった形状の手水

飛鳥坐神社

鳥居をくぐって左に社務所

飛鳥坐神社

祓戸社

飛鳥坐神社

階段を上ると右に折れ、そこに境内社が並ぶ。

飛鳥坐神社

さらに階段を上って進むと授与所のような建物があり、次は左に曲がる。

飛鳥坐神社

突き当たりに西良殿と神楽殿。

飛鳥坐神社

西良殿の束に仮面のような彫物がしてある。笑い顔のようで面白い。

飛鳥坐神社

西良殿の前に拝殿が南向きにある。

飛鳥坐神社

拝殿に参る。御簾が途中まで上げられ、本殿が見えるようで見えない。

飛鳥坐神社

拝殿の近くに寒桜が咲いていた。

飛鳥坐神社

拝殿から東へ進むと境内には多くの境内社が鎮座する。

飛鳥坐神社

境内社は合祭社もあれば一社単独のものもある。

飛鳥坐神社

末社白鬚神社

飛鳥坐神社

末社八阪神社と金比羅神社。間に男根と女陰の陰陽石が祀られている。境内には他にも陰陽石が祀られ、社務所にはちんちん鈴という授与品も頒布されている。

飛鳥坐神社

奥の社、御祭神は天照皇大神と豊受大神で、この社が元伊勢の根拠となっているようだ。

飛鳥坐神社

末社飛鳥山口坐神社、御祭神は大山津見乃神、久久乃知之神、猿田彦乃神。延喜式高市郡の比定社。

飛鳥坐神社
奈良県高市郡明日香村飛鳥707

大和御所 葛城一言主神社

葛城一言主神社

御所市に鎮座する葛城一言主神社。御祭神は葛城一言主大神で、幼武尊を配祀する。延喜式葛上郡の比定社で明神大社。葛城山の西麓に鎮座する。

葛城一言主神社

北から神社へ向かう道路

葛城一言主神社

途中鳥居がある。

葛城一言主神社

社殿は東向き。階段を上って境内に入る。

葛城一言主神社

階段下に手水と祓戸社がある。

葛城一言主神社

階段を上ると左に樹齢1200年を越えるという御神木の大イチョウ。

葛城一言主神社

拝殿に参る。

葛城一言主神社

境内に立つ旗や看板でさかんに見る「一陽来復守り」

葛城一言主神社

自分にはなじみがないが、冬至の2日前から節分までに限り授与されるお守りで、魔を滅し福に転ずるという無事息災のお守り。今年の冬至は昨日だったので、今日も参拝者は多い。

葛城一言主神社

拝殿右に蜘蛛塚。謡曲土蜘蛛の題材ともなった供養塔

葛城一言主神社

本殿右に境内社が並ぶ。一言稲荷神社

葛城一言主神社

その右に四社並ぶ。市杵島社、天満社、住吉社、一番奥が八幡社と神功皇后社の合祭社となっている。

葛城一言主神社

帰りに社務所で御朱印をいただき、東の国道24号線へ向かう途中に鳥居が立っている。
御朱印には参拝日が書かれていない、という意味では神札のような体裁だ。

葛城一言主神社
奈良県御所市森脇432

近江犬上 胡宮神社

胡宮神社

多賀町に鎮座する胡宮神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

胡宮神社

裏参道入口の駐車場に停め、境内に入る。左に歴史民俗資料館は平成12年に閉館している。

胡宮神社

胡宮神社と名神高速多賀SAの一帯は中世の大寺院敏満寺のあったところで、胡宮神社は胡宮大明神と呼ばれ、敏満寺の守護神として祀られていた。織田信長により焼き討ちにあった後、神社境内として整備されたときに井戸に散乱していた焼石や五輪塔を投げ込んだといい、この古井戸と井戸を掘り返して出てきた石塚が旧敏満寺を偲ばせる。

胡宮神社

境内のすぐ南を名神高速が走り、平野が琵琶湖まで広がる。

胡宮神社

絵馬殿

胡宮神社

まさしく絵馬が架かる。

胡宮神社

福祉会館と重源上人のレリーフが建つ。

胡宮神社

拝殿へと続く道があるが、ひとまず表参道へ向かう。

胡宮神社

高速高架下から表参道が延びる。高架下あたりにかつて仁王門があったという。

胡宮神社

表参道の階段は広い。

胡宮神社

階段を上ったところに神輿倉。

胡宮神社

拝殿下の平地にはかつて敏満寺の金堂が建っていたという。

胡宮神社

胡宮神社のかつての別当福寿院へ続く参道。階段の脇には石垣が積まれ、砦機能を持った敏満寺の姿を想像させる。

胡宮神社

旧福寿院、現在は社務所となっている。

胡宮神社

社務所の東に名勝となった庭園があり、書院から鑑賞するように池と奥の築山につつじなどが植えられた鑑賞式林泉園の庭園である。

胡宮神社

庭園から一段上がったところに観音堂、本尊は石像楊枝観世音菩薩

胡宮神社

隣に無数の石仏群が祈りの世界を広げる。

胡宮神社

大日堂

胡宮神社

大日堂と本殿の出入口門の両側に塀が建つが、老朽化でかなり痛んでいる。

胡宮神社

門をくぐると奥にむかって参道が続く。胡宮神社の奥宮の磐座への参道。胡宮神社の神体山の青龍山の頂上には大きな磐座があり、その遙拝所として奥宮があるという。

胡宮神社

本殿右に境内社が二社。

胡宮神社

拝殿に参る。といっても本殿は現在屋根を修復中で、境内の熊野神社へ遷座中という。

胡宮神社

寿命石・枕石。重源上人は東大寺再興を願い延寿を胡宮神社で祈ったという。

胡宮神社

拝殿左に斎館。授与所らしき窓口もあるがこちらも無人。

胡宮神社

遷座中の熊野神社

胡宮神社
滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49

近江犬上 多賀大社

多賀大社

多賀町に鎮座する多賀大社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

多賀大社

社前にはみやげ店が並ぶ。

多賀大社

社殿は西向き。社前には堀が巡る。

多賀大社

御神門の前に石橋の太閤橋が架かる。本来は形状から太鼓橋であるが、太閤秀吉の崇敬が篤かったことから太閤橋と呼ばれるようになったという。

多賀大社

太閤橋を渡ると右に境内社の愛宕神社と秋葉神社。

多賀大社

左に境内社の天満神社。

多賀大社

御神門からまっすぐ参道が延び、拝殿が見える。

多賀大社

御神門をくぐると右に神馬舎。

多賀大社

拝殿に参る。

多賀大社

拝殿の左に授与所があり、御朱印をいただいた。

多賀大社

社務所前に絵馬殿

多賀大社

絵馬殿にたがゆいちゃんの看板がある。多賀町のゆるキャラだ。

多賀大社

拝殿右に能舞台がある。

多賀大社

能舞台後ろに寿命石。重源上人が二十年の延命を感得する霊験をいただいた際のゆかりの石という。

多賀大社

境内社年神神社と竈神社。

多賀大社

右が三宮神社と聖神社。左が天神神社、熊野神社、熊野新宮。

多賀大社

一番奥に金咲稲荷神社が鎮座する。

多賀大社

次に社務所より北を行く。文庫は幕末の大祢冝車戸宗攻の邸内にあって、長州や土佐の志士らと密議を行った場所という。

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

大和桜井 狭井神社

狭井神社

桜井市に鎮座する狭井神社。御祭神は大物主大神の荒魂を主祭神とする。延喜式城上郡の狭井坐大神荒魂神社の比定社。

狭井神社

大神神社摂社で、拝殿北のくすり道から向かう。

狭井神社

摂社だが社号標がある。

狭井神社

階段を上り、大神神社と同じような木々の間に注連縄を掛けた鳥居をくぐって境内に入る。

狭井神社

拝殿に参る。拝殿の屋根は苔生している。

狭井神社

拝殿左にご神水があり、多くの人が水を汲んでいる。狭井神社には本殿がある。

狭井神社

ご神水は三輪山から湧き出た霊水である。

狭井神社

拝殿右から大神神社の神体山の三輪山への登山口がある。許可が必要でこの先は撮影禁止である。

狭井神社
奈良県桜井市三輪

大和桜井 久延彦神社

久延彦神社

桜井市に鎮座する久延彦神社。御祭神は久延毘古命。

久延彦神社

大神神社末社で、拝殿の北、くすり道から向かう。

久延彦神社

途中西に分岐する。

久延彦神社

大美和の杜展望台からの眺望、奥に金剛山と葛城山、その手前に畝傍山と耳成山、大鳥居も見える。右端に二上山、左端に香久山が見える。

久延彦神社

社殿に着いた。社殿は南向き。

久延彦神社

本殿に参る。左の授与所で御朱印をいただく。

久延彦神社

表参道は三輪山の麓から長い階段を上る。

久延彦神社
奈良県桜井市三輪

大和一の宮 大神神社

大神神社

桜井市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主大神を主祭神とし、大己貴神と少彦名神を配祀する。延喜式城上郡大神大物主神社の比定社で明神大社、大和国一宮。

大神神社

日本三大鳥居に数えられる大鳥居。背後に神体山の三輪山がそびえる。

大神神社

社叢の入口に社号標と二の鳥居が立つ。

大神神社

参道の左、初めに鎮座するのは末社祓戸神社。

大神神社

次に夫婦岩、この磐座は大物主大神と活玉依姫の恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされる。

大神神社

階段の先に拝殿が見えてきた。

大神神社

衣掛杉、謡曲三輪で知られる玄賓僧都の衣を掛けたという御神木。

大神神社

最後に木々の間に注連縄を掛けた鳥居をくぐって拝殿に参る。

大神神社

大神神社は本殿がなく、三輪山を詣るための拝殿のみがある。御朱印は拝殿左の参集殿の中でいただく。

大神神社

狭井神社へ向かう途中に三社の摂末社がある。
摂社活日神社、御祭神は高橋活日命。杜氏の祖神として酒造関係者に崇敬される。

大神神社

摂社磐座神社、御祭神は少彦名神。

大神神社

末社市杵嶋姫神社、御祭神は市杵嶋姫命。

大神神社
奈良県桜井市三輪1422

大和天理 石上神宮

石上神宮

天理市に鎮座する石上神宮。物部氏の総氏神として創建される。御祭神は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神を主祭神とし、宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命を配祀する。延喜式山辺郡石上坐布都御魂神社の比定社。

石上神宮

社号標と大鳥居。

石上神宮

参道を進むと神鶏が参道で遊んでいる。

石上神宮

廻廊と楼門が見えてきた。社殿は参道を90度曲がって南向きになる。

石上神宮

拝殿に参る。まだ9時前だったので朝の祈りが捧げられている最中だった。

石上神宮

楼門前の一段高い場所に摂末社が祀られている。

石上神宮

摂社出雲建雄神社の拝殿。もとは神仏分離令で廃絶した内山永久寺の住吉社の拝殿だった。

石上神宮

左に二社。

石上神宮

摂社天神社、御祭神は高皇産霊神、神皇産霊神。

石上神宮

摂社七座社、御祭神は生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神の七座を祀る。

石上神宮

右に二社。左が摂社出雲建雄神社、御祭神は布都斯魂大神の御子神、延喜式山辺郡の論社。右が末社猿田彦神社、御祭神は猿田彦神を主祭神とし、底筒男神、中筒男神、上筒男神、息長帯比売命、高靇神を配祀する。

石上神宮

境内に戻ってくると祭壇ができていた。8日はお火焚祭が行われる日のようだ。

石上神宮

神鶏は休憩所に集まっている。

石上神宮

授与所で御朱印をいただく。神鶏のおみくじが愛らしい。

石上神宮
奈良県天理市布留町384

武蔵江戸 芝東照宮

芝東照宮

東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。

芝東照宮

社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。

芝東照宮

参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。

芝東照宮

拝殿に参る。

芝東照宮

芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。

芝東照宮

境内に井戸がある。

芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10

武蔵江戸 神田神社

神田神社

東京都千代田区に鎮座する神田神社。御祭神は大己貴命、少彦名命、平将門命。江戸総鎮守と称して東京の守護神として崇敬される。

神田神社

社殿は東向き

神田神社

随神門

神田神社

神馬のポニーは人気者

神田神社

鳳凰殿は参拝受付と授与所、参拝者休憩所を兼ねた建物になる。

神田神社

拝殿に参って、社務所で御朱印をいただく。

神田神社

拝殿右に獅子の子落としを彫刻した獅子石

神田神社

拝殿の横から本殿裏にかけて境内社が並ぶ。魚河岸水神社

神田神社

小舟町八雲神社

神田神社

大伝馬町八雲神社

神田神社

江戸神社

神田神社

浦安稲荷神社

神田神社

鳳れん・神輿奉安殿

神田神社

三宿稲荷・金刀比羅神社

神田神社

末廣稲荷神社

神田神社

籠祖神社

神田神社

祖霊社・顕忠碑

神田神社

明神男坂は急な階段だ。

神田神社
東京都千代田区外神田2−16−2

信濃一の宮 諏訪大社下社秋宮

諏訪大社下社秋宮

下諏訪町に鎮座する諏訪大社の下社秋宮。御祭神は建御名方神と八坂刀売神。

諏訪大社下社秋宮

春宮より駐車場が広い。参道は西向きだが、境内は南西に向いている。

諏訪大社下社秋宮

鳥居を入ると大きな御神木、根入りの杉と呼ばれ、樹齢600年を越え丑三つ時には寝入りいびきが聞こえるという。

諏訪大社下社秋宮

杉を過ぎると神楽殿が見えてくる。

諏訪大社下社秋宮

神楽殿の左、神宮遙拝所がある。諏訪大社の四社では初めて見た。

諏訪大社下社秋宮

拝殿左に境内社四社。末社鹿島社、御祭神は武甕槌命。

諏訪大社下社秋宮

中央が末社賀茂上下社、御祭神は上賀茂大神と下鴨大神。右が末社八坂社、御祭神は素戔嗚尊、八柱御子神、奇稲田姫命。左は末社子安社、御祭神は高志奴奈河姫命。

諏訪大社下社秋宮

右片拝殿の隅に二之御柱。

諏訪大社下社秋宮

奥に三之御柱。

諏訪大社下社秋宮

幣拝殿に参る。前にそびえるのは三葉の松で、昭和天皇・皇后が参拝した展覧の白松とも言われる。

諏訪大社下社秋宮

左片拝殿の隅に一之御柱。

諏訪大社下社秋宮

奥に四之御柱。

諏訪大社下社秋宮

拝殿の右に境内社三社。中央が摂社若宮社、御祭神は建御名方彦神別命、他12神。右が末社稲荷社、御祭神は倉稲魂神、佐田彦命、大宮売命。左が末社皇大神宮社、御祭神は天照大神、豊受大神。

諏訪大社下社秋宮

社務所の前に龍の口から出る御神湯。

諏訪大社下社秋宮

入口の鳥居の左に千尋池と末社千尋社。

諏訪大社下社秋宮

社前の八幡山に末社八幡社と

諏訪大社下社秋宮

末社恵比寿社、御祭神は諏訪大神の父神大国主神と兄神事代主神を祀る。

諏訪大社下社秋宮

斎館前の駐車場に入る長生橋

諏訪大社下社秋宮

入口の案内板には「霞ヶ城跡(手塚城)」が説明されている。当地は下社の神官金刺氏の居城跡で、金刺光盛は木曽義仲に従って倶利伽羅峠の戦い、篠原の戦いと奮戦したという。

諏訪大社下社秋宮

この辺りから東に諏訪湖が見える。

諏訪大社下社秋宮

駐車場には金刺光盛の兄、大祝金刺盛澄の像がある。弓馬の達人だったということで流鏑馬の像となっている。

諏訪大社下社秋宮

当社で諏訪大社四社の御朱印をいただいたことになるが、四社すべて御朱印を集めた参拝者は家紋入りの干菓子をいただける。

諏訪大社下社秋宮
長野県諏訪郡下諏訪町5828

信濃一の宮 諏訪大社下社春宮

諏訪大社下社春宮

下諏訪町に鎮座する諏訪大社の下社春宮。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。

諏訪大社下社春宮

社前の駐車場に車を停め、神社へ向かう。

諏訪大社下社春宮

入口は工事中だった。

諏訪大社下社春宮

少し回り込んで入ると、鳥居の修復中だろうか。

諏訪大社下社春宮

少し坂を上って社殿に向かう。

諏訪大社下社春宮

正面は神楽殿。

諏訪大社下社春宮

右に結びの杉という大杉がそびえる。

諏訪大社下社春宮

杉と拝殿の間に二社並んでいる。末社上諏訪社、御祭神は建御名方神。

諏訪大社下社春宮

摂社若宮社、御祭神は建御名方彦神別命、他12神。

諏訪大社下社春宮

左片拝殿片拝殿の隅に一之御柱。

諏訪大社下社春宮

奥に四之御柱が見える。

諏訪大社下社春宮

幣拝殿に参る。

諏訪大社下社春宮

右片拝殿片拝殿の隅に二之御柱。

諏訪大社下社春宮

奥に三之御柱。

諏訪大社下社春宮

左に二社並んでいる。末社児安社、御祭神は高志奴河姫命。

諏訪大社下社春宮

筒粥殿、特殊神事のひとつ筒粥神事が行われる建物

諏訪大社下社春宮

境内の西を流れる砥川の中州に末社浮島社が建つ。大祓、夏越の祓が行われる。

諏訪大社下社春宮

さらに西岸に渡ると、万治の石仏がある。

諏訪大社下社春宮

春宮の鳥居を造るためにノミを入れたところ、傷口から血が流れ出したという伝説のある石仏。とても穏やかな顔と風貌だ。

諏訪大社下社春宮

社前から南へ800m延びる道路は馬場だったという。中間から神社寄りに下馬橋がある。

諏訪大社下社春宮

国道20号線、旧中山道との交差点に大鳥居が立つ。

諏訪大社下社春宮

下社春宮を参拝した後、もう一度回ったところがある。大鳥居の少し南に立つ大灯籠。

諏訪大社下社春宮

春宮から秋宮の間に矢除石と龍の口がある。矢除石は慈雲寺の天桂和尚が矢除けの霊力がある石として、武田信玄に念力のこもった矢除札を授けたという伝説がある。

諏訪大社下社春宮

龍の口は慈雲寺の門前にあり、中山道を往来した旅人ののどを潤したという。

諏訪大社下社春宮
長野県諏訪郡下諏訪町193

信濃一の宮 諏訪大社上社前宮

諏訪大社上社前宮

茅野市に鎮座する諏訪大社の上社前宮。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。

諏訪大社上社前宮

社殿の駐車場に車を停める。

諏訪大社上社前宮

鳥居の先に階段が見える。社殿は北向き。

諏訪大社上社前宮

鳥居をくぐって右手の森の中に溝上社、御祭神は高志奴奈河比売命。御射山へ出発する際に最初に参詣された社という。

諏訪大社上社前宮

二の鳥居の左右に建物が見える。

諏訪大社上社前宮

前宮の周辺には史跡が点在するらしい。

諏訪大社上社前宮

階段の右手に若御子社、建御名方神の御子神を祀る。

諏訪大社上社前宮

鳥居をくぐると左に十間廊、中世まで祭政を行った政庁。

諏訪大社上社前宮

右には内御玉殿、諏訪大神の祖霊が宿る御神宝を安置していた御殿。

諏訪大社上社前宮

御室社。中世まで半地下式の土室が作られ、神官らが蛇形の御体と称する大小のミシャグジ神とともに冬ごもりした遺跡という。

諏訪大社上社前宮

ようやく拝殿が見えてきた。

諏訪大社上社前宮

振り返ると南方は開けて、とても景色がいい。

諏訪大社上社前宮

拝殿に参る。

諏訪大社上社前宮

拝殿左に水眼(すいが)と呼ばれる清流が流れる。その先に二之御柱が立っている。ここから時計回りに回ってみる。

諏訪大社上社前宮

拝殿の左後方に三之御柱が立っている。

諏訪大社上社前宮

前宮には本殿がある。その後方をまわる。

諏訪大社上社前宮

拝殿右後方の四之御柱

諏訪大社上社前宮

拝殿右前方の一之御柱

諏訪大社上社前宮

下りてきて社務所で御朱印をいただく。本宮と比べると参拝者は圧倒的に少ないが、神域の雰囲気はよい。

諏訪大社上社前宮

社務所から西に少し回り込む。諏訪照雲頼重の供養塔

諏訪大社上社前宮

前宮は中世まで大祝の居館があり、神殿(ごうどの)と呼ばれていた。その居館に附属する社殿が元になっている。

諏訪大社上社前宮

弓立石、別名矢立石と呼ばれる烏帽子状の立石で、周辺に的場や馬場があったと言われる。

諏訪大社上社前宮

駐車場に戻る。駐車場の一画には摂社荒玉社が鎮座する。稲の御霊を祀るという。

諏訪大社上社前宮
長野県茅野市宮川2030

信濃一の宮 諏訪大社上社本宮

諏訪大社上社本宮

諏訪市に鎮座する諏訪大社の上社本宮。御祭神は建御名方神、八坂刀売神。上社の本宮・前宮、下社の秋宮・春宮の四社で延喜式諏訪郡南方刀美神社の比定社で明神大社、信濃国一宮。

諏訪大社上社本宮

上川に架かる橋の北側に鳥居が立つ。

諏訪大社上社本宮

北参道沿いにはみやげ店が並ぶ。

諏訪大社上社本宮

北参道の鳥居より境内に入る。

諏訪大社上社本宮

右手に社務所がある。通常は参拝後に御朱印をいただくのだが、大勢の参拝者が来る神社では先に預けることもある。諏訪大社は一社500円。

諏訪大社上社本宮

末社高島神社、御祭神は諏訪頼忠公、諏訪頼水公、諏訪忠恒公。上社神職大祝家の祖先で諏訪藩、高島藩の藩主。

諏訪大社上社本宮

交通安全祈祷殿

諏訪大社上社本宮

北参道鳥居の正面に堀重門が階段の先に見える。右には御柱。

諏訪大社上社本宮

一之御柱。拝殿を囲むように四方に四本の御柱が立つ。

諏訪大社上社本宮

神楽殿

諏訪大社上社本宮

天流水舎、雨乞いの水としてお天水と称される。

諏訪大社上社本宮

神楽殿の横には土俵がある。

諏訪大社上社本宮

駒形屋と呼ばれる神馬舎。明治以降は銅製と木製の二頭の神馬が安置される。

諏訪大社上社本宮

東参道の入口門、右に二之御柱が立つ。

諏訪大社上社本宮

入口門の左に摂社出早社、御祭神は出早雄命。諏訪大神の御子神で門番神として崇敬される。

諏訪大社上社本宮

布橋を通る。左に絵馬堂

諏訪大社上社本宮

次に摂末社遙拝所、かつては39社を遙拝する処であったが、現在は摂末社が約百社ある。

諏訪大社上社本宮

摂社大国主社、御祭神は大国主命。諏訪大神の父神。

諏訪大社上社本宮

振り返れば布橋の右に東御宝殿、左に五間廊、勅使殿がある。

諏訪大社上社本宮

四脚門。かつては大祝だけが通れた門だった。

諏訪大社上社本宮

入口門をくぐって拝殿前に入る。勅願殿は私事の祈祷を行うところ。

諏訪大社上社本宮

拝殿は西向き。上社本宮には本殿はなく、左右に片拝殿がつく。拝殿に参る。

諏訪大社上社本宮

社務所で御朱印帳を受け取る。社務所裏の西参道には境内唯一の木造鳥居である浪除鳥居。

諏訪大社上社本宮

次に参拝する途中、旧大祝邸跡の案内板が立っていたので行ってみる。

諏訪大社上社本宮

門塀に囲まれた屋敷

諏訪大社上社本宮

門も屋敷も朱色の屋根で印象的だ。

諏訪大社上社本宮
長野県諏訪市中洲宮山1

39歳を目前にして御朱印デビュー! 日本全国の神社の御朱印や参拝記録