丹波園部 城崎神社

城崎神社

旧園部町に鎮座する城崎神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神。
日本三代実録に神階従五位を授けられたと記載される城崎神とされる。いわゆる式外社。

城崎神社

境内を南から見る。境内の灯籠には「春日社」の銘が入り、古代には城崎神と呼ばれたが、中世以降は春日大明神と呼ばれた。

城崎神社

鳥居の右に「式内 城崎神社」の社号標が建つ。式外じゃないんですよね。

城崎神社

木崎庄の総氏神として江戸時代には園部藩主の崇敬も厚かったといい、拝殿も大きい。

城崎神社

拝殿背後の本殿には覆い屋が掛けられている。

城崎神社

中の本殿は檜皮葺で拝殿にも増して大きい。

城崎神社

本殿に参る。

城崎神社

本殿の右には摂社蛭子神社

城崎神社

境内の左には摂社稲荷社

城崎神社

本殿前の由緒書には摂社が3社書かれている。境内を探したがここが若宮社遙拝所だろうか。

城崎神社
京都府南丹市園部町上木崎町岩崎27

丹波園部 生身天満宮

生身天満宮

旧園部町に鎮座する生身天満宮。御祭神は菅原道真公。
園部には菅原道真公の別邸があり、全国の天満宮で唯一生きている間に祀られた社だといい、そこから「日本最古の天満宮」と言われる。

生身天満宮

道路向かいの駐車場に石灯籠が建っている。

生身天満宮

鳥居から階段を上り本殿へと向かう。

生身天満宮

階段右の斜面には梅林が広がっている。

生身天満宮

梅林の反対側の左の方に武部源蔵社が建つ。当社の始祖で園部の代官として道真公に仕えていた。

生身天満宮

階段の途中に厳島神社

生身天満宮

その上に国定国光稲荷神社が建つ。

生身天満宮

階段を上り終えると正面に大神宮

生身天満宮

大神宮の脇に塞神社と白山姫神社がある。

生身天満宮

大神宮の右上に秋葉愛宕神社が建つ。ここが境内の中では最高所になる。

生身天満宮

階段を上り左に曲がると鳥居の先に社殿がある。

生身天満宮

右手には神楽殿。来月竣工する予定という。

生身天満宮

拝殿に参る。

生身天満宮

拝殿には三十六歌仙が並んでいる。

生身天満宮

本殿右後ろに境内社、右に紅梅神社、白太夫神社、若松神社の3社、左に稲荷神社、金比羅神社の2社が合殿となっている。

生身天満宮

社務所の左には八坂神社、西宮神社、八幡宮が並ぶ。

生身天満宮

社務所前には使いの牛像があった。

生身天満宮

生身天満宮は別邸のあった小麦山に祀られたが、園部藩が園部城を当地に築城することとなり、現在の天神山へと遷座したという。小麦山は園部公園となっており、「生身天満宮跡」の石碑が建っている。

生身天満宮
京都府南丹市園部町美園町1号67番地

丹波亀岡 宮川神社

宮川神社

亀岡市に鎮座する宮川神社。御祭神は伊賀古夜姫命と譽田別命の二柱。
延喜式桑田郡神野神社の論社のひとつ。

神野神社の創建は文武天皇大宝年間に神野山山上と伝えられる。それ以前の欽明天皇32年に宇佐八幡宮から勧請し神野山山中に奉斎、その社地を八幡平という。正保4年に二社を合祀して山麓に宮川神社として再興されたという。

宮川神社

山上への道路も狭かったが、山麓の宮川神社への道も集落の細い道を奥へ、山裾まで進んでようやく着く。
そこは半国山へのハイキングコースのひとつである宮川コースの入口になっている。

宮川神社

階段を少し上ると左手に境内がある。まっすぐフェンスの先がハイキングコースだ。

宮川神社

入口に「延喜式内 宮川神社」の社号標。由緒書もある。

宮川神社

参道を進むと、両側に塀が続くが、漆喰が落ちている部分も多い。山麓北側とあって湿気も多いのだろう。

宮川神社

伐採された木もある。ここでも平成30年9月の台風21号の被害があったのだろうか。

宮川神社

さらに進むと正面に拝殿、右手に本殿が見えてくる。

宮川神社

右に曲がって階段を上ると本殿。本殿に参る。

宮川神社

本殿は覆い屋の中だが、横に回り込むと本殿に食い込むように大岩が背後に現われた。
この大岩を磐座として本殿を建てたものと考えられる。

宮川神社

本殿の左に道が続いているので行ってみる。

宮川神社

途中、玉依姫命を祀る小祠。御祭神の伊賀古夜姫命は玉依姫命の母神となる。

宮川神社

少し下がったところに貴船大神を祀る小祠。
ここは神社に隣接して築庭された神苑のようだが、やはり災害により荒れている感じがする。

宮川神社

磐座を祀るような場所もある。

宮川神社

道は拝殿に続いている。神苑は拝殿と本殿の比高くらいの高低差がある。

宮川神社
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山2

丹波亀岡 宮川神社旧地

宮川神社

亀岡市に鎮座する宮川神社の旧鎮座地は神尾山山上。

宮川神社

神尾山、古くは神野山と呼ばれる。

宮川神社

すれ違いも難しい山道をどんどん上っていくと突き当たりに神尾山金輪寺がある。
神野神社の神宮寺だった。

宮川神社

金輪寺の裏を山頂に進むと神尾山城がある。尾根沿いに曲輪が幾重にも連なっている。

宮川神社

山上にはまず宇佐八幡宮から勧請された八幡宮が祀られ、後に神野神社が祀られる。
八幡宮が祀られたことから八幡平と呼ばれたようだが、この看板以降案内が全くなくなる。

宮川神社

方角の案内ある辺りが展望台だろうか。全く視界も開けず山頂付近に至っても城跡などの案内板を見つけることができなかった。
神尾山城は本目城とも呼ばれ、明智光秀が丹波攻略のために築城した城のひとつだった。

宮川神社旧鎮座地
京都府亀岡市宮前町宮川神尾山山頂

丹波亀岡 小幡神社②

小幡神社

亀岡市に鎮座する小幡神社。御祭神は開化天皇を主祭神とし、皇子の彦坐王、孫の小俣王の三代を祀る。
延喜式桑田郡の比定社。

小幡神社

入口の社号標から一段下がって境内が広がる。

小幡神社

鳥居の先に左に社務所、右に自宅が建つ。後で自宅の方を訪ねて御朱印をいただいた。

小幡神社

開放的な拝殿

小幡神社

拝殿の後ろや本殿のまわりに境内が複数建っている。

小幡神社

拝殿左後ろに愛宕社

小幡神社

拝殿右後ろに百太夫社

小幡神社

本殿に参る。本殿には「正一位小野大明神」の扁額が架かる。

小幡神社

本殿左前に大原社

小幡神社

本殿の左に朱色の鳥居が立ち並び、その先に稲荷社

小幡神社

本殿の左後に遷之宮。地蔵が多く並んでいる。

小幡神社

本殿の屋根が苔生して雰囲気がある。

小幡神社

本殿右後に地主社

小幡神社

上田正昭宮司の歌碑。小幡神社宮司で元京大教授、前大阪女子大学長の文学博士だそうです。
氏子には大本教の出口王仁三郎、本名上田喜三郎がいるそうです。

小幡神社

愛宕社の前にある石柱は社日というらしい。ぱっと見ると四角に見えるのだが、実は五角形。
それぞれの面に神名が刻まれていて、「農業祖神 天照大神」「五穀祖神 倉稲魂命」「五穀守神 大己貴命」「
五穀護神 少彦名命」「土御祖神 埴安媛命」の五神。

小幡神社

社の東には犬飼川。神社の裏山は穴太城址だそうです。

小幡神社
京都府亀岡市曽我部町穴太宮垣内1

丹波亀岡 走田神社②

走田神社

亀岡市に鎮座する走田神社。御祭神は彦火火出見命、豊玉姫命、彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊。
延喜式桑田郡の比定社。

走田神社

社前鳥居。一部地域は参拝管理が終わっていないところもあり、当社も来てみて2度目だと分かった。

走田神社

参道に入るとすぐ左手に百大夫社。

走田神社

さらに進むと右に馬のチェーンソーアート。

走田神社

こんなに空の開けた神社だったかと歩きながら思っていたのだが、平成30年9月の台風20号で境内の大木の多くが倒れてしまったようだ。

走田神社

参道右に稲荷社。鳥居の復興は終わっているようだが

走田神社

社殿のほうはまだ未着手のまま

走田神社

さらに参道を進むと右に本殿が建ち、前に灯籠が並ぶ。

走田神社

本殿の前に境内社。右に経津主社、左に大国主社。

走田神社

本殿に参る。

走田神社

参道突き当たりに弁財天社が建つ。

走田神社

本殿前に倉、神輿倉なのか単なる倉庫なのか

走田神社

その前に台風前と後の写真が貼ってあった。台風前は境内参道も見えないほどの社叢、台風で倒木を除去した後は7割ほどが開けてしまった。被害状況は想像を絶する。

走田神社

社務所兼自宅が境内に隣接して鳥居左にある。茅葺きの歴史を感じる建物。
お昼時に申し訳なかったが御朱印をお願いすると快く応じていただけた。

走田神社
京都府亀岡市余部町走田1

丹波亀岡 鍬山神社

鍬山神社

亀岡市に鎮座する鍬山神社。御祭神は大巳貴神、誉田別尊。延喜式桑田郡の比定社。

鍬山神社

国道9号線から南に入ると大鳥居が建つ。その右を進む。

鍬山神社

駐車場に着くと入口に境内社百太夫社が建つ。御祭神は豊磐間戸命、櫛磐間戸命、猿田彦命。御神徳に道祖神とあるので元はそういうものだったのだろう。

鍬山神社

駐車場から歩くと右に朱色の鳥居が建つ。正面には絵馬堂が建っている。

鍬山神社

鳥居をくぐると左手に社務所。参拝後で御朱印をいただくことにする。

鍬山神社

一段上がると拝殿、さらに1段上に本殿が建つ。

鍬山神社

拝殿の左側に山手に向かう道と鳥居が建つ。通行止めになっていて奥宮でもあるのかと後で授与所で尋ねると滝があるのだそうだ。

鍬山神社

拝殿の裏に本殿が2棟並んで建っている。

鍬山神社

その前に拝殿右側に行くと池があり厳島神社がある。御祭神は市杵島姫命。

鍬山神社

本殿に参る。右に客神として八幡宮。御祭神は誉田別尊。

鍬山神社

左に主神として鍬山宮が建つ。御祭神は大巳貴命。

鍬山神社

社務所前に複数の境内社が並んでいる。
合殿になっているのは左から金山神社(金山姫命)、樫船神社(猿田彦命)、高樹神社(山雷大神)、左に日吉神社(大山咋神)、一番右に熊野神社(豊宇気大神、伊弉諾尊、天児屋根命)。

鍬山神社

その右に稲荷神社(倉稲魂神)、疱瘡神社(大国主命)。

鍬山神社

さらに右に安産石。八幡宮の御祭神誉田別尊が降臨したと伝えられる天岡山に天岡山トンネルを開通させたときに拾った貫通石だそうです。安産の祈願をされる方は触ってもいいようです。

鍬山神社

一番奥に正面右に天満宮(菅原道真公)、左に愛宕神社(火産霊神)。

鍬山神社
京都府亀岡市上矢田町上垣内22−2

丹波亀岡 篠村八幡宮

篠村八幡宮

亀岡市に鎮座する篠村八幡宮。御祭神は誉田別命、仲哀天皇、神功皇后。
河内守源頼義が河内国応神天皇陵に祀られた誉田八幡宮から御祭神を勧請して創建されたという。
明智光秀が本能寺の変に向けて丹波亀山城を出発した軍を集結させ戦勝祈願したということで参拝した。

篠村八幡宮

境内の南が表参道

篠村八幡宮

参道を北へ、突き当たりを左に曲がると右に手水舎、左に社務所、正面に社殿がある。
社務所に人がいなかったので御朱印は諦めたが、宮司さんに連絡することができればいただけたようだ。

篠村八幡宮

手水舎の横に祓戸社

篠村八幡宮

その後ろに土俵がある。

篠村八幡宮

拝殿と本殿

篠村八幡宮

本殿に参る。

篠村八幡宮

本殿の左に祖霊社が建つ。

篠村八幡宮

祖霊社の前には矢塚がある。

篠村八幡宮

当地は足利高氏が倒幕のため旗揚げした地で、当社に参り矢を奉納。他の部将も矢を奉納しうずたかく積まれた矢を埋納した場所が矢塚という。

篠村八幡宮

本殿左には乾疫神社と小宮社4社。
疫神社は御霊信仰で畿内十カ所に設けられた疫神社のひとつで、山城国と丹後国の国境に設けられた社。
小宮社は明治に合祀された神社で、秋葉神社、天満宮、地主神、春日神社・住吉神社の4社となっている。

篠村八幡宮

境内北の裏参道鳥居を出ると、旧山陰街道が境内に沿って通っている。

篠村八幡宮

境内の西北角に足利高氏の史跡旗揚楊がある。
高氏が味方にわかりやすいように源氏の旗を掲げた場所だという。

篠村八幡宮
京都府亀岡市篠町篠八幡裏4

丹波一の宮 出雲大神宮③

出雲大神宮

亀岡市に鎮座する出雲大神宮。御祭神は大国主命、三穂津姫命。

出雲大神宮

大河ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの地として、京都亀岡大河ドラマ館など訪問のため参拝する。
今年は雪が少なかったため峠越えは全く問題なかったものの、朝からひどい濃霧だった。

出雲大神宮

弁財天社の建つ神池は水が抜かれメンテナンス中

出雲大神宮

檜皮葺の趣ある本拝殿。霧によってさらに幻想的

出雲大神宮

本殿前の拝所から参る。

出雲大神宮

背後の御神体山には磐座がある。御影山の御祭神は国常立神。
山頂には丹波守護代内藤氏の家臣であった柳本氏が築いた山城跡があるが、こちらからは神域を通るので通行止め。険しい別ルートを探る必要がありそう。

出雲大神宮

最後に御朱印をいただく。今日の墨書きは独特だなー

出雲大神宮
京都府亀岡市千歳町出雲無番地