
現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。

住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。

境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。

若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。
真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町

現在城南宮に摂社として鎮座する真幡寸神社の旧鎮座地は、竹田真幡木町にある若宮八幡宮だと言われる。
当地は平安京遷都以前から秦氏の勢力圏で、秦氏の氏神と考えられている。

住宅街に鎮座し、扁額には「若宮宮」、社号標には「若宮社」と書かれている。

境内隅に「史蹟 式内真幡寸神社の跡」と書かれた石碑が建つ。竹田史蹟保存会により昭和49年に建てられた。

若宮宮だと御祭神はわからないが、正式名は若宮八幡宮だというので御祭神は応神天皇か。
真幡寸神社旧地(若宮八幡宮)
京都府伏見区竹田真幡木町

京都市伏見区に鎮座する城南宮。御祭神は城南大神(国常立尊、八千矛神、息長帯日売尊)。方除の神として平安京の南に鎮座された。

正月・5月・9月は特別朱印がある。銀色のインクで押されるので画像修正がうまくいかなかったが、雰囲気は分かるだろうか。詳細は後ほど

駐車場の関係で東鳥居より入る。鳥居には「城南離宮」と書かれている。
白河上皇や鳥羽上皇が城南宮を取り囲むように鳥羽離宮(城南離宮)が造営され院政の拠点となった。

しばらく参道を行くと社務所と貴賓館が左手にある。

さらに進むと右手に摂社真幡寸神社。御祭神は真幡寸大神、応神天皇。延喜式紀伊郡眞幡寸神社の論社。

竹田地区に氏子を持ち、神紋は「三葉葵」

真幡寸神社の御朱印は昨年、官社列格1200年を記念して覆刻された。書き置きのみ。

左手には神苑(城南離宮の庭)への入口があり、中のギャラリーでは鳥羽伏見の戦い展が開催されているようだったが、時間も限られているので今回は入らなかった。
来年は鳥羽伏見の戦い150年の節目で、城南宮は薩摩軍による開戦地として有名。

さらに右手に芹川神社。中には「唐渡天満宮」の社号碑が建っているが同じ社を指している。御祭神は菅原道真公。左に小祠があるが御祭神は不明。

その隣に絵馬舎

本社前の鳥居までやってきた。「城南宮」の社号標が建つ。入る前に周囲を回ることにする。

その鳥居と正対して三照宮社。御祭神は天照大御神。

本社と同じ三光紋が付いている。

入った東鳥居とは反対側に建つ西鳥居。扁額にはやはり「城南離宮」と書かれている。
国道1号線に面し、大型駐車場や車修祓所がある。

修祓所に隣接して斎館が建つ。

本社に向かうことにする。鳥居、拝殿、本殿と一直線に並んでいる。

開放的な拝殿

右には神輿舎。五色の布が風に揺られて風情が漂う。

本殿は残念ながら改修工事中で見えなかった。

周囲の境内社にはお参りできたが、撮影禁止だったので写真はない。
本殿の左に、稲荷社、厳島社・住吉社・兵主社の三社合祀社、粟島社の三社、右に春日社、大国主社、庚申社、天満宮社・妙見社・金刀比羅社の三社合祀社の四社が本殿に向かって鎮座する。

拝殿左の授与所で御朱印をいただく。

城南宮では正月、5月、9月は神様と特にご縁が深い月とされ、重ねてお参りする「正五九参り」の信仰がある。
今年からその期間は特別御朱印のみ朱印帳にいただけ、通常の御朱印は書き置きとなる。

参道を戻る途中、宿り木の案内板を見つけた。行きは気づかなかったが天気も良くよく見えた。
城南宮
京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町7番地

金沢市に鎮座する大野湊神社。御祭神は護国八幡大神、天照坐皇大神、猿田彦大神(佐那武大神)。
今日は大野湊神社の兼務社となっている大野日吉神社で御朱印をいただける機会について尋ねるために参拝した。

今週15日の月曜日に春季大祭の神事能が終了したところで、静まりかえる神域が返って珍しく、晴天とあってゆっくり散策してきた。

旧拝殿や絵馬堂、境内社も再度ゆっくりとまわる。

拝殿に参る。

背後の御垣の中に3つの本殿が並ぶ。中央が八幡社、右に神明社、左に佐那武社。

拝殿前の御神木のたぶんケヤキ。主幹は大きく空洞になって枯死しているが、脇から枝が大きく伸びている。
大野湊神社
石川県金沢市寺中町ハ163

かほく市に鎮座する瀬戸菅原神社。御祭神は速秋津比古神、天滿天神、少彦名命。

過去2回参拝し、前回門前の宮司宅がわかったが留守だったので、近くに行った機会に再訪する。今日は宮司が境内で仕事中であったが、御朱印に対応いただいた。御朱印後少し話をさせていただくと河北郡市の宮司家は6軒ということで、今回の参拝ですべての本務社で御朱印をいただいたことになった。

今日は社殿裏から甲高い音が響いていたが、聞いたところによると、社叢の樹木の中で社殿に倒れる危険が出てきたものがあるので伐採しているということであった。社叢の景観と社殿の護持、地方の一神社には厳しい課題になってきていると感じる。
瀬戸菅原神社
石川県かほく市瀬戸町ル90

五泉市にある瀧谷慈光寺。その白山堂が蒲原郡宇都良波志神社の論社だったというが、どういう経緯だろうか。御祭神は伊弉諾神、伊弉冉神だろうか。

瀧谷慈光寺は曹洞宗寺院。本山永平寺や金沢大乗寺は白山とつながりがあるが、慈光寺も白山(標高1012m)の麓にある。

境内には「天狗の清水」と呼ばれる白山水が流れる。

前を白山への登山道が続く。

さて、問題の白山堂がどこにあるのかということだが、慈光寺で御朱印をいただくときに尋ねてみた。
詳しくは分からなかったのだが、白山堂という建物は現在はなく、白山頂上への登山道の3合目に元白山と言われる平場があるという。調べてみると、今も尾根線の3合目に白山明神祠という石祠があるらしい。
瀧谷慈光寺白山堂
新潟県五泉市蛭野870

五泉市に鎮座する矢津八幡宮。御祭神は誉田別命を主祭神とし、息長足比賣命、玉依比賣命を配祀する。延喜式蒲原郡長瀬神社の論社。
坂上田村麻呂が東夷征伐の際に戦勝祈願のために勧請したと伝えられ、古くから菅名荘の惣社であったという。

入る場所がなかなか分からず苦労したが、道路から小さな川沿いに入ると参道を見つけた。

「正八幡宮」と書かれた鳥居が建つ。拝殿にかかる扁額も「正八幡宮」であった。

拝殿前に建つ2基の灯籠は「弘化三年」の銘が入っていた。

拝殿は少し荒れていた。社叢が深く昼間でも少し薄暗い。

拝殿も暗かったが、拝所のまわりには多くの絵馬がかかっているのが見えた。

本殿は一段高くなっており、神事のときは拝殿から橋が架けられるようだ。

大正時代に造られたという覆屋の中に本殿がある。

本殿は江戸時代初期に村松藩2代堀直吉が造営したもので文化財指定されている。

その文化財指定の記念として社前に仙見川石が据えられている。

社前からは広い田の向こうに山並みがきれいに広がる。
矢津八幡宮
新潟県五泉市矢津1896

阿賀野市に鎮座する旦飯野神社。御祭神は誉田別命を主祭神とし、豊受姫命を配祀する。延喜式蒲原郡旦飯野神社と蒲原郡中山神社の論社。

朱色の鳥居が鮮やか。鳥居前を右に行くと駐車場になっている。

鳥居の右に「延喜式内社 旦飯野神社」の社号標、左に「常磐石」がある。

階段を上ると、途中に神門

神門正面に龍や鷹の彫刻の他に、中段に鼠や牛の彫刻がある。ぐるりと囲むように十二支の彫刻がされている。

神門の右手奥に参道が分かれていて

その先に稲荷社など石祠が5つある。

階段は長く、先に鳥居と社殿が見える。

拝殿に参る。今日は参拝者が多い。

拝殿内の扁額には「式内 旦飯野神社」と書かれている。

拝殿に御朱印を自分で押せるように印が準備されている。兼務社が多く留守の多い社ではこのような心遣いは有難い。

拝殿の前にしいたけを栽培しているようだが全く残っていなかった。しかし、よく見ると鳥居の笠木部分を利用しているようだ。古くなった鳥居の再利用だろうか。

拝殿右に2社。新しい社は伊夜彦神社と薬神社の合祀社。右が山神社

本殿の裏に御神霊石

幣殿左に三峰神社。粟嶋神社、三輪神社、香椎宮の合祀社のようだ。

拝殿左に雷神社。

耳の悪い人を助け守るといい、耳を表すお椀がたくさんぶら下がっている。

神社から西に数百メートル。何やら車が数台停まっているなーと思っていたら、今日は御田植祭の日だったようだ。
旦飯野神社
新潟県阿賀野市宮下195

五泉市に鎮座する五泉八幡宮。御祭神は誉田和気命、気長足姫命、田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命を主祭神とする。延喜式蒲原郡宇都良波志神社と蒲原郡小布勢神社の論社。宇都良波志神社は合祀された白山神社が論社だとする。

商店街の車道に面して赤い鳥居。ここから本殿横の駐車場に入る。

鳥居を入って左に舞殿

右に授与所がある。

五泉市の無形文化財の帛帯踊発祥之地の碑が建っている。調べてみると、「帛の帯(はくのび)」の踊り手は男性で、白紙一枚の上で踊るものらしい。

社殿正面の鳥居は石鳥居。横に「鎮守 八幡宮」の社号標が建つ。

拝殿に参る。いつもそうなのかわからないが、拝殿から少し離れた場所に賽銭箱が用意されていて、椅子が並べられていた。近々神事があるのかどうか不明だが、離れた場所から参拝する。

参拝後、手水舎の後ろの社務所で御朱印をいただく。

拝殿の右に境内社が並んでいる。
宝物倉(神輿庫か?)の隣に服部神社

古峰神社。御祭神は日本武尊。

「稲荷大明神」の鳥居の先に石祠の稲荷神社。3つの石祠の中央がそれで、左が水神社、右は青麻社か?

その隣に石祠が並べられている。

亀に乗った珍しい祠も。薬神社だろうか。

本殿の後ろに一区域をあてられて天満宮が建つ。
五泉八幡宮
新潟県五泉市宮町5-46

新潟市に鎮座する旦飯野神社。御祭神は誉田別命を主祭神とし、建御名方命、事代主命、倉稲魂命、石動彦命、大山祇命。延喜式蒲原郡の論社。

細い路地を通り神社表口に出る。ここから右斜めの道路を入っていくと社務所兼自宅がある。参拝後に訪ねたが御朱印は授与されていなかった。

石橋を渡ると、鳥居が2つ。手前は四脚門

鳥居をくぐると階段の先に社殿が見える。

鳥居から社殿まで参道はまっすぐ延びる。丘の上は思ったより広い。裏手は金津中学校となっている。

拝殿に参る。扁額には「旦飯野神社 諏訪神社」と併記されている。当地は諏訪神社の鎮座地で、もと若宮八幡宮と呼ばれた旦飯野神社が合祀されたという。

拝殿の左に舞殿

拝殿と本殿は弊殿でつながる。

本殿左に境内社。御祭神は不明

さらに左に「金毘羅大権現」「大山祇神」「伊夜日子大明神」と書かれた石神。
丘伝いに裏手に回ると中学校校庭に向かって忠魂碑があった。
旦飯野神社
新潟県新潟市秋葉区朝日535

五泉市に鎮座する中山神社。御祭神は大名牟遅命、大山咋命。延喜式蒲原郡の論社。

南向きの鳥居、北に向かって参道が延びる。

鳥居を入ってすぐ右に隣接する社務所兼自宅への入口がある。

しばらく進むと階段を上る。

踊り場に手水があり、左に折れる。

さらに階段が続く。長い階段だが緩やかなのでそれ程疲れない。

登り終えると正面に御神木の大杉が天を衝くように存在感を示している。

社殿は右側だが、左側へ進むと忠魂碑が建つ。

戻って階段の先に社殿が見える。

ここまで参道沿いにも杉が並び、社叢も杉が林立しておりとても雰囲気が良い。

拝殿に参る。

拝殿には凝った彫刻が多く施されているが、正面戸口上部の鯉の彫刻は珍しい。

本殿は拝殿と幣殿でつながる・・・

と思ったが外は覆屋であり、中に独立して本殿がある。ということは幣殿ではなくて渡り廊下?
二柱なのだが、なぜか扉は3つある。

拝殿の右に3社の境内社が並ぶ。
手前より神明社、諏訪社・稲荷社・八幡社・舛箕社の四社殿、須賀社。

拝殿の左手前に参道向きに天神宮が建つ。
延喜式蒲原郡宇都良波志神社の論社で、御祭神は少名彦名命、穂日命。

下へ下りてご自宅で御朱印をいただく。
その後周辺を歩いていると、東の231号線沿いに案内板が立っていた。多くは五泉市街の東方向より参拝するらしく、当日は西から入ったので最初分からなかった。

鳥居まで道路沿いに神旗ポールを見つけた。
中山神社
新潟県五泉市橋田字中山戊398

田上町に鎮座する土生田神社。御祭神は埴安姫命。延喜式蒲原郡の比定社。

車通りの多い道路に「延喜式内 土生田神社」の社号標が建つ。

ここから50メートルほど入り右に折れると、境内に出る。

鳥居から社殿まで参道がまっすぐ延びる。

境内に「羽生田校旧址」の碑が建つ。境内に小学校でもあったのだろうか。

拝殿前に灯籠が2基

拝殿が開いたので中で参らせていただく。

社号扁額が奉納されているが、「土」や「神」「社」に付いている点は何だろうか。

拝殿の裏に本殿がある。

本殿そのものかと思った建物は覆屋で、中に茅葺きの本殿が見える。

境内を散策していると、一角に石祠が並んでいた。
土生田神社
新潟県南蒲原郡田上町羽生田乙629

加茂市に鎮座する長瀬神社。御祭神は瀬織津姫命、言代主命、気長足姫命、誉田別命、玉依姫命の五柱。延喜式蒲原郡の論社。

神社の西側の鳥居から入る。

後でこちらは裏参道だと分かった。

鳥居をくぐると、階段途中の脇に「式内 長瀬神社」の社号標が建つ。

参道の右側に境内社が並ぶ。最初の社には「琴平神社 松尾大神 天満天神」の石額が掛かる。

次の分岐先には伊勢皇大神宮

左側には社務所らしき建物。

右の分岐先に4つの鳥居と4つの石祠が並ぶ。左から二社目は「古峰神社」という社号標が建つ。

右に石祠が複数並べられた場所

左に「住吉太神宮」の扁額がかかる住吉神社

そして南向きの社殿前に出る。社殿正面にも参道が延び、今来た道が裏参道だとわかる。

拝殿に参る。「八幡宮」の扁額がかかる。

本殿は透塀に囲まれている。中門には「長瀬神社」の扁額がかかる。

拝殿前には舞殿

表参道を行くと右側(拝殿に向かうと左側)に稲荷神社

舞殿の裏に諏訪神社が建つ。

表参道口に出る。こちらにも「式内 長瀬神社」の社号標が建つ。

鳥居の横には樹齢約千年のケヤキの御神木。社頭には加茂川が流れる。

表参道近くの民家で宮司家を尋ねて、裏参道口の家だと分かる。今日は残念ながら宮司は留守であった。
長瀬神社
新潟県加茂市大字上条895

加茂市に鎮座する青海神社。御祭神は椎根津彦命、大國魂命を主祭神とし、賀茂別雷命、多多須玉依姫命、賀茂建角身命を配祀する。延喜式蒲原郡の論社。

駐車場が一杯でギリギリ停めることができたのだが、朱色の一の鳥居をくぐると大勢の人だかりができていた。
今日は「加茂山古道ハイキング」の開催日でちょうど受付時間だったようだ。

参道を進むと白の二の鳥居が建っている。

長い階段の先に社殿が見えるが、階段前に賽銭箱が置いてある。鎮座する加茂山は公園にもなっており、別の目的で来た人や上まで行くのが厳しい人もここでお参りできる。

階段の途中の両側に平場があり、右手に伊勢両宮が祀られている。

左手に天明7年建立の青海神社由緒碑が建っており、今は本殿に配祀された賀茂神社がこのあたりに建っていたらしい。

左手にも伊勢両宮と相対するように社が建てられているが、扁額がなくわからない。猿田彦社だろうか。

その社の右に広瀬社

社の後方には稲荷社が建っている。扁額は「稲荷宮」

戻って階段を上って社殿の前に出る。

拝殿に参る。
入口の扁額は「加茂大神」、中央に「天垂博愛」、奥に「青海神社」「賀茂神社」「御祖神社」が掛かる。

背後の本殿には3つの扉があり、拝殿の扁額どおりだとすると、左から青海神社、賀茂神社、御祖神社の順になるのだが、配祀された賀茂神社が中央で、主祭神で青海首の祖である青海神社が右というのは少し違和感がある。
もとは賀茂神社が由緒碑の位置に、御祖神社は伊勢両宮の位置にあったという。

社殿の右手に社務所が建つ。

社務所で御朱印をいただく間、周辺を見学する。社務所の右手に舞殿

左手に社務所と社殿をつなぐ廊下がある。神社には珍しい鶯張廊下で、有料だが一般でも渡ることができる。

加茂山に散在する境内社を参る。最初に山神社

次に諏訪社

諏訪社の左手に秋葉社。社は喪われている。

その横に石祠が3つ残っている。

そこから神苑を通ってさらに登っていくと、御神木の翁杉(じじすぎ)がある。道が狭くて全景が撮れないが、樹齢1000年を越える巨木だ。媼杉(ばばすぎ)と一対の御神木だったそうだが、昭和36年の第二室戸台風で倒れてしまったそうだ。

下りてきて神社の西口近くに貴船社

神池の前に建物があり、水を流すことができるようになっている。中に掛けられた奉納物などから考えると、かつては不動堂だったのかもしれない。

一周して二の鳥居近くに戻ってきた。勅使手植の欅跡は天文14年の勅使が植えた欅だったというが、こちらも昭和36年の第二室戸台風で倒れ、現在は二代目が植えられている。

参道の脇に境内社が並ぶ。手前より下諏訪社、北野社、石祠を一社挟んで、春日社。

一の鳥居を入ったところに神社用水という池がある。

参道の反対側に厳島社が建っている。

静寂を取り戻した社頭。加茂山には砦跡など見どころがたくさんあり、一時間では回りきれない。
青海神社
新潟県加茂市大字加茂229

三条市の万葉の藤。延喜式蒲原郡伊久礼神社の旧鎮座地だと言われている。

開けた田畑の一角にその大藤はある。道路沿いに駐車場が設けられているが、場所が少しわかりにくい。

毎年、ゴールデンウィーク後にちょうど見頃になる。
昔はもっと大きな藤の木だったというが、現状でもその幹の太さには圧倒される。万葉集の「井栗の藤」の比定地のひとつであり、昔から藤の名所であったことは間違いないようだ。

しかし、今年は花の付き方が少し悪かったようだ。満開を期待して来たのだが、上方にいくつか花が見える程度であった。白の花びらに紫が少し混ざる上品な色合い。

西隣に小さな祠が祀られている。由緒がなく御祭神がわからない。

参拝する。地域の方に大事にされているのだろう。中もきれいに掃除されている。

少し残念だった万葉の藤を後にして、2カ月前に参拝した伊久礼神社に寄る。前回は夕方で薄暗い時で、かつ逆光だったので、朝日に照らされて明るい境内はまた印象が違う。

雪囲いの外された拝殿に参る。

境内の一角に藤が植えられている。

こちらのほうが藤の花がきれいに咲いていた。その分アブが多くて写真を撮るのも大変だった。
伊久礼神社旧地(藤ノ木権現・万葉の藤)
新潟県三条市井栗

四国中央市に鎮座する村山神社。御祭神は天照皇大神、斉明天皇(天豊財重日足姫命)、天智天皇(天命開別命)、天児屋根命。延喜式宇摩郡の比定社。

境内への入口は南向きだが、社殿は東向き。社前の道は讃岐街道。入口に「縣社村山神社」と「延喜式内明神大社村山神社」の2つの社号標が建つ。

少し坂を下ると鳥居

中間に神門が建つ。

神門には木造の随神が収められている。

神門をくぐると拝殿前にお宝塚がある。

石垣に囲まれた小山で、天皇の御陵所とも言われる。神域は斉明天皇が百済救援の道中滞在した磐瀬の行宮と伝えられ、その後長津と地名を改称したため長津宮と別称される。

御神木のホルト

拝殿に参る。

神明造の本殿

本殿左に境内社。脇に石鎚神社の石標があるが別のようだ。

拝殿右に3つの境内社。一番奥が諏訪社だけ読み取れる。

本殿右に一社と石祠

お宝塚と拝殿の間にも一社ある。いただいた神社由緒によれば、境内社は出雲社、合祀社、天満宮、八坂社、愛宕社、諏訪社、水神社、慰霊社の八社あるというが、石祠を覗くとすべては見ていない。
宮司宅が北隣にあり、訪ねて御朱印をいただいた。
村山神社
愛媛県四国中央市土居町津根1865

四国中央市に鎮座する土居神社。三代実録記載の井河神の論社のひとつ。
御祭神は明治の神社合併で、入野の住吉神社、浦山の奥姫神社、畑野の大元神社の三村社を合祀し、表筒之男神、中筒之男神、底筒之男神、神功皇后、大山積神、高龗神、大雷神、多岐理比売命、天之御中主神の九柱。

駐車場はないので近くの四国中央市土居庁舎に停め、歩くと境内入口だった。まだ参道は東に長く延びていたので、参道入口まで戻る。入口に鳥居と社号標。

社殿は東向き。

境内前や中にたくさんの歌碑が奉納されている。

境内の南に整備された神苑、その先に聳えるのは二ツ嶽。そこに源を発する浦山川の下流に広がる「すすぎが原」は、往古「入野のはら」に鎮座する歌神住吉明神として崇敬を集めてきた。明和2年に入野の俳人関卜と、その子時風らによって名所「入野のはら」が「歌枕の入野」として顕彰されると、多くの文人、墨客の立ち寄る俳諧の苑となったという。

拝殿に参る。

拝殿内に入ることもでき、中に住吉明神の頃の絵馬が掛かっていた。

本殿

拝殿右に旧本殿の合祀殿。祀られるのは元宮の住吉大明神四柱の他境内末社の、三嶋神社、喜之戸神社、荒神社、七福神、十二社権現、辨天社、風留神社、神之木神社、国吉神社、今霊神社、三大妙現、天神宮。

また旧拝殿も改修されて参集殿として残っている。
境内の北隣に宮司宅がある。御朱印をお願いすると神事の準備中だったというお忙しい中対応していただいた。待つ間に、境内の歌碑を一回りする。
土居神社
愛媛県四国中央市土居町入野196

新居浜市に鎮座する黒嶋神宮。御祭神は大山祇神、木花咲耶姫命、天御中主神。延喜式新居郡黒嶋神社の比定社。

現在は地続きになっている黒島だが、西側を工業地域として埋め立てした結果であり、東には大島が沖に浮かんでいる。

港沿いに路地を入っていくと道はだんだん狭くなっていく。神社前の参道に「式内 黒嶋神宮」の社号標が建つ。

境内へは階段を上っていく。

一区切り階段を上ると右手に社務所がある。参拝後に寄ってみたが留守だった。ちょうど境内の掃除を始める氏子の方がいたので、お話を聞くと数年前に宮司が亡くなったそうだ。今は氏子の方が交替で管理しているという。

鳥居の先、階段の向こうに社殿が見える。鳥居の扁額は「黒嶋神社」。
平成13年3月の芸予地震で鳥居が崩壊し、1年で復興したようだ。

階段を上がると社殿まで意外に広い空間が広がる。境内には天然記念物のツバキの群生林が広がる。

拝殿に参る。

賽銭箱の上に三色之宝珠

拝殿左に鰐石。初め陰陽石かと思っていたが、秀吉の朝鮮出兵のときに黒島から参加した3名の水夫が持ち帰ったものという。

本殿左に境内社の若宮神社

本殿には凝った彫刻が施されている。

参道右に境内社が並ぶ。

天神社

稲荷神社

松尾神社

石長姫神社

本殿裏には猿田彦神社他、陶器の社がたくさん並んでいる。

帰り、参道の先に三角形の秀麗な山が見えた。赤星山のようだ。
黒嶋神宮
愛媛県新居浜市黒島107

東温市に鎮座する徳威三嶋宮。御祭神は鹿屋野比賣神、大山積神、雷神、高龗神。三代実録記載の徳威神の論社。

内川にかかる由流宜橋を渡り、ゆるぎ公園の中を参道が延びる。橋を渡ったところに社号標

公園を抜けると、境内入口に鳥居と社号標

境内に入ると、左手に社務所。普段は無人のようで、宮司宅が裏にあるらしい。御朱印について尋ねたかったが、朝早かったので遠慮する。

参道の先、小さな神橋を渡り、社殿に至る。

拝殿はサッシで囲まれているが、開いたので中で参る。

木をそのまま割ったような扁額。拝殿の上には何枚もの絵馬が飾られている。

中に数枚、三十六歌仙がある。神社には明治34年に奉納され、文化財指定されている三輪田米山筆、藤田先蔵画の三十六歌仙絵馬が35枚あるというが、その一部だろうか。

御垣の中に本殿が建つ。

見ると左右に一社ずつ社が建っている。この2社は神社案内では境内社にカウントされていない。

神社は慶雲三年国司越智玉興が大三島から三神を勧請して上津社・中津社・下津社の三社を祀って「徳威三島神」と崇めたのを、寛永四年に松山藩主蒲生忠知が上津社・中津社を下津社に合祀したという。
よく見れば、この配置は大三島の大山祇神社と同じ配置であり、本殿の右に上津社、左に下津社ということであろう。

境内社は拝殿左にいずれも建つ。夷子神社

夷子神社の左奥に行くと十二社神社

境内の西端に五社の境内社が並ぶ。左から2番目には「祓戸四柱大神」と書かれているが、他は読めない。神社案内によると、残る境内社は龍神社、市之宮神社、和霊神社、荒神社、野田神社のいずれかとなる。

境内の東側に歌碑が奉納されている。
徳威三嶋宮
愛媛県東温市野田1丁目20番地11

松山市に鎮座する波賀部神社。御祭神は大山積命、雷神、高龗神を主祭神とし、寛王命を配祀する。
聖武天皇の御代に伊予の豪族越智玉純が大三島から勧請し石井郷一宮三島大明神と称す。後に嵯峨天皇の皇子寛王が、伊予国司として赴任しこの地で亡くなった折、神社の傍らに遺骸を葬り神霊を合祀したことから、社号を墓邉神社と改称したが、墓の字を忌み波賀部神社と改めたという。

神社への参道、社殿ともに南向き。参道入口に鳥居、社号標「國史見在 波賀部神社」。三代実録記載の墓邊神の論社。

参道沿いに並ぶ木は丸くきれいに剪定されている。

社殿裏の森は松山市内最大の前方後円墳であり、古墳時代後期の首長墓である。

拝殿に参る。

拝殿左に境内社の生目神社(左)と金刀比羅神社(右)が並ぶ。

本殿左には朝日社(左)と床浦神社(右)が並ぶ。

拝殿後ろ御垣内に本殿

本殿右には神輿庫

拝殿右には一事神社(左)と太刀打神社(右)が並ぶ。
波賀部神社
愛媛県松山市高井町1067

松山市に鎮座する天一神社。御祭神は天之御中主神、奈賀神、水波之女命、伊邪那岐命、速開都姫命、 天吉葛命、少童命、比女神。三代実録記載の井河神の論社。

今治から松山への山越えになる国道317号線沿いに「天一神社」の社号標が建つ。

山の方に歩いて行くと途中に灯籠が建っている。

集落の端に鳥居が建ち、階段を上っていく。

深い杉の森の中、時間帯によっては薄暗い境内。入口に狛犬が建っている。

拝殿に参る。

戸がなく開放的拝殿。扁額は「天一神宮」となっていて地元には神宮と呼ばれているようだ。

武家からの崇敬が篤かったいい、絵馬は武者絵が多い。

祈雨に霊験があるとされ、祈雨祭が幾度と行われたといい、平成6年にも祈雨祭が行われたようだ。

三十六歌仙の奉納額も掛かっている。

本殿

拝殿右に小さな池がある。湧き水であろうか。

境内社は龍神社、御祭神は闇龗神。

一段下には伊予十三佛の圓福寺がある。
天一神社
愛媛県松山市藤野町91

今治市に鎮座する大野神社。御祭神は大山積命、上津姫命、下津姫命を主祭神とし、大穴牟遲命、少毘古那命を配祀する。延喜式越智郡大野神社の論社。

今治市街から松山へ向かい、山の方へ進むと、集落の中に鎮座する。道路の左(南)側には川が流れる。山手の斜面を利用して境内が広がる。

階段を上らなければいけないが、結構急な階段だ。

階段の途中の段に社号標が建つ。「式内明神 大野神社」

階段途中の鳥居をくぐる。

拝殿に参る。

左方に境内社が一社。扉は7つあり右から大山積神、大山咋神、天満宮、大己貴神社、幸神社、とまつられる神が書かれているが一番左だけ書かれていない。

本殿左には水は流れていないが神苑のような雰囲気が残る。
大野神社
愛媛県今治市玉川町大野字森37

今治市に鎮座する大須伎神社。御祭神は少那毘古那命、阿遅鋤高日子根命、伊邪那美命、熊野忍隅命、品陀和気命、息長帯姫命。延喜式越智郡大湏伎神社の比定社。

集落の中、山麓に階段が続き、社号標が建つ。由緒書もあるが植木が大きくなって埋もれている。

少し上ると伊予熊野社の社号標。伊予熊野社は初代藩主久松定房公以来祈祷所として崇敬篤く、明治44年に合祀する。

小林八幡神社は国司玉純公の崇敬篤く、やはり明治44年に合祀される。

参道の途中「河上安固の腰掛岩」という霊石あり。河上安固は宝暦年間、権現山のこの岩の上に座って蒼社川の流れを調査し蒼社川治水を成し遂げた方という。

鳥居をくぐってまだまだ参道は続く。

ようやく階段の先に社殿が見えてきた。

と階段の左方に神門が建っている。参道に建っていないので見逃しそうになるが、中の奉納額を見ると、神仏習合時の仁王門であったらしい。

正面上部に3枚の神様の奉納額。三宝大荒神と書かれた中央の神は阿修羅のようだ。左の貴船神社は千手観音、右の出世毘沙門天は左手に仏塔を持っている。

現在仁王はいないが、暗がりに目を凝らすと三十六歌仙の奉納額が並んでいる。

注連縄鳥居の先に狛犬、社殿が建つ。

狛犬は目と口と爪が彩色されていて独特な雰囲気がある。

拝殿に参る。
拝殿に宮司宅の電話番号が書いてあったが、時間があまりなかったので御朱印を確認していない。

拝殿の鬼瓦は龍の上に獅子が逆立ちしているようだが、非常に凝った彫刻になっている。

屋根下の彫刻も獅子と、下は「瓢箪から駒」の故事のようだ。

石橋で渡る本殿は独立している。

本殿左からさらに参道が延び、赤い鳥居が建っている。

右に無数の石祠が並べられている。

山頂付近に稲荷神社が建っている。藤堂高虎公が伏見稲荷神社から勧請し今治城内に祀ったが、久松定房公がここに遷座したという。社殿近くに雨乞石が祀られている。
大須伎神社
愛媛県今治市高橋乙358-3

今治市に鎮座する大浜八幡大神社。御祭神は乎致命、饒速日命、天道日女命、仲哀天皇、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、市杵島姫命、大穴牟遅神。三代実録記載の門島神の論社。

港に向かって延びる参道に2つの鳥居が建つ。一の鳥居の扁額は「八幡宮」、石清水八幡宮の扁額の写しで鳩八になっている。二の鳥居の扁額は「大濱八幡宮」

社前には来島海峡が広がり、しまなみ海道が見える。

参道を進むと、階段を上って境内に入る。

正面に建つのは「大濱八幡神社」の社号標

その横に伊予地方開拓の祖神、乎致命の像が建つ。

右に一段上がって社殿が建つ。

拝殿に参る。

貫や木鼻には波の彫刻がある。海に近いということもあろうが珍しい。

拝殿にはたくさんの奉納額が掲げられている。

境内に隣接して大きな溜池がある。中央の木に止まるのは海鵜か

境内社の杵築神社、御祭神は大穴牟遅神。

その左に潮富貴神社、御祭神は瀬織津姫神、速開津姫神、気吹戸主神、大宮能売神。

神輿庫には

大小の神輿や獅子頭が収納されていた。

境内には伊藤博文公の像も建つ。伊藤博文公は越智氏族に連なるらしい。

溜池を挟んで対岸に建てられている「越智氏族発祥之地」の石碑

参道口の社務所は留守であり、もう一軒手前の宮司宅を訪れて御朱印をいただいた。
大浜八幡大神社
愛媛県今治市大浜町3-1-9

今治市の今治城内に鎮座する吹揚神社。御祭神は天照大神、八幡大神、事代主神、大己貴神、厳島大神、藤堂高虎公、久松定房公。
今治市内に鎮座していた神明宮、蔵敷八幡宮、厳島神社、夷宮の四社を明治5年に合祀した。今治藩初代の藤堂高虎公と続く松平久松家祖神を後に奉還する。

駐車場のある鉄御門に続く北側の道の入口に社号標が建つ。

場内の東南に神社は鎮座する。鳥居をくぐり階段を上ると復元された城門をくぐる。

昭和20年の空襲と昭和55年の放火の二度焼失し、再建された社殿はまだまだ新しい。

拝殿に参る。

本殿

本殿右に鹿香神社。建築業の祖神を祀る。

拝殿右に土居神社。祀るのは住吉大神か。

本殿左には稲荷神社。宇迦之御魂神を祀る。

境内の東端には住吉神社。入口には「猿田彦神社」と「交通守護 住吉神社 海神社 猿田彦神社 天満宮」の二本の社号標が建つ。住吉大神、猿田彦大神、菅原道真公を祀る。

境内には授与所がある。授与所で御朱印を尋ねると、城内に社務所があるという。確かに案内図には今治城天守を挟んで西側に社務所が記載されている。城内に建つ少し不釣り合いな住宅が社務所。今治城に来て訪ねる方はほぼいないと思うが、伺って御朱印をいただく。

天守にも上り、眼下に神社を見る。
吹揚神社
愛媛県今治市通町3丁目1-4

今治市に鎮座する姫坂神社。延喜式越智郡の論社。御祭神は市杵嶋比賣命。

浅川に赤い高欄の橋が架かる。宮前橋とされているようだ。

参道沿いは公園になっており、大鳥居が建っている。右手に藤棚があり、ちょうど見頃だった。

社号碑には「式内大社」の銘

公園の隅に大きな石灯籠が両側に建ち、境内が見えてきた。

鳥居のそばに「明神大」と入った社号標。明神大社だったとする写本もあるが、そうでないものもあり不確定なようだ。

階段を上ると右に折れて社殿が建っている。

拝殿に参る。

本殿は御垣に囲まれている。

本殿の後ろにまわると、裏にも拝所が設けられている。

本殿の左に大己貴神社、大山祇神社、山王神社の合祭境内社。
当宮は日吉郷(市制施行当時の今治市)の一の宮であったそうで、山王神社は産土神だったようだ。

反対側には陶器製の小祠が並ぶ。狐が置かれているので稲荷社だろうか。

入口に戻り、右に青木神社。御祭神は少彦名神で、もとは青木通りに鎮座していたという。

咳の守護神として草履を納めて祈願するのが風習という。

境内に隣接して社務所兼自宅が建っている。ここで当宮と多伎神社の御朱印をいただく。

社務所の横に稲荷神社が建つ。
姫坂神社
愛媛県今治市宮下町3

今治市に鎮座する樟本神社。延喜式越智郡の比定社。御祭神は素盞嗚命を主祭神とし、皇女神を合祀する。

住宅地の中に境内を見つける。

社前に建つ社号標には「式内明神」と書かれているが、明神は誤記か?

境内に入ると参道に鳥居がいくつも建っている。最初の鳥居の横の右に樟本神社の社号碑が建つが、

左の石碑は何と書かれているのか?読める部分は「○飛堂宮」だろうか。

さらに進むと柑子女神社の石碑。明治以前は樟本神社は柑子女神社の末社であったといい、当地の産土神は柑子女神社のほうだったらしい。明治に入り、式内社の知名度に頼った(幣帛のためだろうか)のか本末が逆転したのか。

手水の中には天保三年の銘のものもある。

拝殿に参る。

本殿

本殿の左に境内社が一社。
樟本神社
愛媛県今治市八町西2-5-1

今治市に鎮座する多岐神社。延喜式越智郡の比定社で明神大社。御祭神は多伎都比賣命、須佐之男命、多伎都比古命、大己貴命。

山へと向かう集落の途中。祭りのようだ。

上り坂を行くと赤い鳥居が見えてくる。神旗も立てられている。

赤い鳥居をくぐると左手に杯状穴(性穴)遺構。陰陽石のひとつ。

さらに禰宜屋敷古墳群。案内板の建つ1号墳は半分道路により欠けており、石室の石積みが露わになっている。

道路右手に社務所か参集殿らしき建物。この広い場所がかつて禰宜屋敷のあった所だろうか。

車道の左に狭い道路がもう1本通り、鳥居が建っている。

振り返ると倉庫のような建物の脇に続いて集落へ下りていく。かつての参道だろうか。車道は途中から旧参道とは違うルートで通されたようだ。

鳥居から数十メートル上ると川を挟んで左手に境内が広がる。

橋を渡って境内に入ると松茸石という陰陽石がある。先の杯状穴遺構と対になっているものか。

拝殿に参る。

拝殿に貼り紙がしてあった。昨日今日と祭礼日だったようだ。昨日は神輿と獅子舞、今日は午後から神楽があるようだ。

本殿

参道の右手(山手)に境内社が並ぶ。入口から一番奥から天満神社

越智神社

境内を横切る小川を渡り、一宮神社

小さな石祠がたくさん並んでいる。

清水神社。奥には多伎神社古墳群への入口がある。拝殿裏手から山手に15基ほどの古墳があるという。

帰り道。集落の違う道を行くと途中、お旅所のひとつを見つけた。上と下の2つの内いずれかは分からない。
多伎神社は次に向かう姫坂神社の兼務社なので、そちらで御朱印をいただいた。
多岐神社
愛媛県今治市古谷乙47

今治市に鎮座する伊加奈志神社。延喜式越智郡の比定社。御祭神は五柱命、五十日足彦命、伊迦賀色許男命。

広い道沿いに鳥居を見つける。付近を見渡してみたところ神社は見当たらない。鳥居は目印として道路沿いに建てられたもののようで、右奥の狭い道路を進むと入口を見つけた。

道路は狭く駐車できないので、近くの空き地に停め境内に入る。

社号標にも「延喜式内」と入る。

境内内の鳥居の前に狛犬

長い階段を上ると少し広くなった場所に出て、奥に社殿が見える。

手水には「天保三年」の銘が入る。

拝殿は開いたので中で参拝する。

正面に社号の扁額が掛かる。右に絵馬は僧のようで、左は女性の足下に猫か犬か?いずれも退色して画題がよく分からない。

本殿

本殿の左に境内社が並んでいる祠が建つ。

左から山神社、厳島神社、荒神社。
伊加奈志神社
愛媛県今治市五十嵐字上ノ山甲634

今治市に鎮座する野間神社。延喜式野間郡唯一の式内社で明神大社。御祭神は飽速玉命、若彌尾命、須佐之男命、野間姫命。

橋を渡ると鳥居が建ち、駐車場となっている。

鳥居をくぐると左手に猿田彦大神社。

右に社務所があるが無人で、向かいに自宅がある。今日は宮司が不在で御朱印はいただけなかったが、3日前が例祭日だったそうだ。当宮の継ぎ獅子は県内でも有名だと聞く。

神門。随神と禍を直す神が祀られている。

右に神直日神と豊磐間戸神

左に大直日神と櫛磐間戸神が祀られている。

神門をくぐると小さな境内社がある。当宮の境内社に厳島神社とあるが、他に宮が見当たらないのでここなのか?
でも位置的には祓宮だろうか。

階段を上っていく。

拝殿が開いたので中で参拝する。

社号扁額には「権中教正末井忠見謹書」とある。権中教正は明治初期の教導職の階位なので、県内の神職だろうか。

明治三九年奉納の「乃万八景」という絵馬が興味深い。
1.乗禅寺櫻
2.学校
3.延命寺杜鵑花(とけんか。サツキツツジのこと)
4.野間神社古松
5.地福寺銀杏
6.瑞泉寺萩
7.金剛寺はし紅○(最後が読めなかった)
8.野間寺寒紅梅
当宮は古松で有名だったようだが、今はほとんど見られない。

本殿の後ろに宝篋印塔がある。かつて下方の谷間にあったものを移したもの一部後補だが、鎌倉期の作とされる。

宝篋印塔のとなりには九社権現と十二社権現の二社が祀られている。
野間神社
愛媛県今治市神宮699

旧北条市に鎮座する櫛玉比売命神社。御祭神は天道姫命を主祭神とし、御炊屋姫命を配祀する。延喜式風早郡の論社。

國津比古命神社の向かいに階段があり、前に「延喜式内 櫛玉比売命神社」の社号標が建つ。

参道の途中左手に和霊神社が建つ。

短い階段の先に手水舎と社殿が見える。

拝殿に参る。

本殿は玉垣に囲まれている。後方には前方後円墳があるという。

拝殿右に素鵞社、素盞嗚尊が祀られている。

境内に入ってすぐ右手に社務所が建つ。参拝後に訪ねて二社の御朱印をいただいた。

帰る頃に雨が少し小降りになってきた。鳥居を出ると参道の先に瀬戸内海に浮かぶ秀麗な鹿島が見えた。
櫛玉比売命神社
愛媛県松山市高田702