「16富山県の神社」カテゴリーアーカイブ

越中氷見 伊勢玉神社

伊勢玉神社

氷見に鎮座する伊勢玉神社です。越中国府が伏木になった頃、国守大伴家持が社殿を造営し有磯宮と称し氷見郷総鎮守としました。その後伊勢より勧請し伊勢玉神社と改称したことで、主祭神は天照皇大御神となっています。

昭和13年に氷見高砂町の愛宕社、平成17年に朝日山大神宮を合祀し、相殿に火産霊神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、菅原道真公、事代主神、天宇受売命、楠木正成公となっています。

御朱印は境内の社務所兼自宅でいただけますが、兼務社が多く宮司は留守のことも多いのでなかなか機会に恵まれませんでした。5回目の訪問でようやく書き置きをいただきました。

伊勢玉神社

境内はJR氷見駅に近い場所にあります。周辺は住宅地となっていて道路も狭く密集している感じですが、神社の鎮守の杜は目立ちます。

伊勢玉神社

拝殿前には結界を張られた一画がありますが何でしょうか。右方に稲荷社があります。

伊勢玉神社

拝殿に参拝すると、まず目を引くのは正面の俳句額です。万葉の地らしい奉納物です。

伊勢玉神社
富山県氷見市伊勢大町1丁目9−23

越中氷見 高階社

高階社

越中国の式内社参拝も最後の社となりました。氷見市の高階社、御祭神は迦具土命。草岡神社の論社の1つです。

高階社

石川県との県境に向かってひたすら山を上っていき、もう集落の端かと思うようなところまで行くとようやく神社の旗立を見つけました。

高階社

しかし、神社はさらに山を徒歩で上った先にあります。

高階社

念のため鈴を付けて入っていくと五分ほど進んで鳥居が見えてきました。
大杉が2本並んだ間に、しめ縄を渡し「門杉」と呼ばれる形になっています。

初めて見たけど、雰囲気あります。神域へ入る気がここでピッと変わるような感じもありました。

高階社

門杉を通過しさらに上ること数分、ようやく山頂付近に社が見えてきました。

高階社

当然こんな早朝には誰もいませんが、拝殿後方の一段高い場所に本殿が囲いの中にありました。
鍵掛かっているので本殿とはご対面ならず、少し残念。

高階社
富山県氷見市一刎2075

越中氷見 磯部神社

磯部神社

氷見市に鎮座する磯部神社。延喜式内社「磯部神社」の比定社です。御祭神は磯辺氏の祖神である天日方奇日方命。
周辺に宮司宅は見当たりませんでしたので、おそらく御朱印は難しいでしょう。

磯部神社

今日は暗くうちに出発して、棚田越しに富山湾、立山から昇る朝日を見ました。実に神々しいことでした。

磯部神社

まだ薄暗い早朝に山中の磯部神社に参拝しました。

磯部神社

鳥居をくぐり参道つきあたりに杉の大木に藤が巻きついています。春にはとてもきれいに咲くそうです。

磯部神社

階段を上り、

磯部神社

正面に拝殿が建てられています。

磯部神社

それほど広い境内ではなく、大木に囲まれ昼でも薄暗い感じです。
この社叢は市天然記念物に指定されています。

磯部神社

拝殿後方に覆いをかぶされた本殿が鎮座しています。昔は吹きさらしだったとか。
小ぶりながらも細かい彫刻が施された立派な社殿です。

磯部神社
氷見市磯辺1045

越中朝日 鹿嶋神社

朝日町に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は健甕槌命が主祭神。

北に数十メートル行くとすぐ日本海。社殿は北向きに建つ。

拝殿前の狛犬は角があり、目が大きくどこかユーモラスだ。

拝殿に参る。

拝殿正面の彫刻は東洋風だが題材は何であろうか。

拝殿裏に階段があり、鳥居をくぐると木が一本。本殿への道のようだが、道は宮崎城への登山道ともなっており、その途中に本殿が建っているようだ。

階段前の狛犬は髪がカールしていてやはりユーモラスだ。

境内社は祭神不明な一社

手力男神社

隣の社務所は今日はご不在で御朱印は確認できなかった。

鹿嶋神社
富山県下新川郡朝日町宮崎1484

越中朝日 脇子八幡宮

朝日町に鎮座する脇子八幡宮。御祭神は誉田別尊、豊城入彦命、北陸宮、事代主神。

社殿は西向き。

紅葉に色付いた木々も混ざる中、階段を上っていく。

拝殿はサッシに覆われている。中に入って参る。

拝殿には絵馬が多数架かる。中の1枚、題材が不明だが社とも関係の深い源平合戦の一幕であろうか。

拝殿の右側に鳥居。階段を上ると境内社の神明社が建っている。

その神明社の背後、グラウンドとなっているが、隅に忠魂碑が建っていた。前方のひと山越えると宮崎城跡となっている城山、大宝二年に高向朝臣大足が越中越後国境鎮護の神として城山に創祀されたと伝わる。

木曽義仲が社殿(城山)近くに御所を造り、北陸宮を迎えて、当宮で平家打倒の戦勝祈願したという。

境内入口近くの社務所兼自宅のほうで御朱印をいただいた。

脇子八幡宮
富山県下新川郡朝日町横尾966

越中新川 入善神社

入善町に鎮座する入善神社。御祭神は誉田別尊、建御名方命を配祀する。

神社一帯は花月公園となっている。社殿は西向き。鳥居はこの西鳥居と北鳥居がある。

拝殿と本殿はサッシで覆われている。雪国とは言え風情がない。

拝殿左に戦没者の慰霊碑。

女神像は御祭神の母神神功皇后であろうか。

中門

背後には明治11年9月に明治天皇の北陸東海御巡幸のときに御小休所になった建物が残る。

入善神社
富山県下新川郡入善町入膳3601

越中新川 八心大市比古神社

黒部市に鎮座する八心大市比古神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は大山祇神、少彦名神、迦具土神。近郷の人たちには以前は三島明神と呼ばれ、現在でも三島神社と言われる。

神社南側に駐車場がある。駐車場に社名標と鳥居が立っている。

しかし、この鳥居をくぐっても駐車場の柵があって通り抜けられない。

北側の鳥居。

県道を挟んで向かい側に三島の大欅が立っている。その根元に地神塚、左下に三島の化藤が植わっている。いずれも市内随一の大木である。県道により現在は飛び地境内になっている。

拝殿に参る。

本殿

拝殿の右、社務所との間に黒部護国神社が建つ。

社務所兼自宅で御朱印をいただく。

社務所前に庭に境内社が二社。一社は後ろに大麻納所があるので神明社か。

八心大市比古神社
富山県黒部市三日市3185

越中魚津 魚津神社

魚津市に鎮座する魚津神社。御祭神は天照皇大神が主祭神。

商店街の間に突然現れる木製鳥居。社殿は南向き。

魚津神社は市内の郷社神明社、杵築社、稲荷神社、火之宮神社、市姫神社の五社を合祀した神社で、神明宮が元宮のようだ。

拝殿に参る。朱色の柱が目立つところは稲荷神社のよう。

後ろの本殿も朱色の柱と白壁が目立つ。

拝殿の左に合祀された市姫神社の狛犬と扁額が残る。市姫神社は下村木417-4に鎮座していた。

境内社の愛宕神社。御祭神は軻遇突知命。

境内の参集殿に併設されている授与所で御朱印をいただく。

魚津神社
富山県魚津市中央通り1-3-28

越中魚津 宮津八幡宮

魚津市に鎮座する宮津八幡宮。御祭神は誉田別命。

社殿は南向き。

拝殿に参る。

拝殿の扁額は「加積郷総社 正八幡宮」とある。加積郷は魚津市、滑川市、上市町の一部を含み、三代実録に加積神とある式外社に比定される。

境内にはチャンチャン石とバン持ち石が置かれている。チャンチャン石は昔落ちてきた隕石と伝えられ、小石で叩くと高い金属音がする。

本殿の後ろは一段低くなっていて稲田が広がる。宮津の地名はその昔、本殿の後ろまで海だったことに由来してそうだ。

宮津八幡宮
富山県魚津市宮津1520

越中魚津 白山社

魚津市西布施地区に鎮座する白山社。行基の開基と伝わる千光寺とその塔頭が建ち並んでいたという宗教都市だった。

千光寺の南に隣接する。

長い階段を上る。

白山社は千光寺の鎮守であったと思われる。

中に入れたので、拝殿内で参る。

拝殿に入ると天井と奉納額の多さに圧倒される。

天井には人物と花が描かれている。彩色が少し退色しているものの、よく残っている。三十六歌仙であろうか。

嘉永年間奉納の一枚。源平合戦が描かれ、一ノ谷の戦いから衣川の戦いまで義経の半生が描かれているようだ。

拝殿の扁額には「白山大権現 五社大権現」と書かれ、上に鰐口が吊されている。右の御祭神(御本尊)は別所薬師如来、御影大日尊、白山妙理大権現、奥院○○山大権現、○○野天海大○○、野新白山権現、左の方がにじんでいて判別できない。いずれにしても現在も神仏混淆が残っている。祭礼もまた神仏混淆のまま引き継がれているようです。

白山社
富山県魚津市小川寺2927

越前魚津 布勢神社

魚津市に鎮座する布勢神社。御祭神は五十猛命、五十日足彦命。延喜式新川郡の論社のひとつ。

場所がはっきりとは分からず、布勢川沿いの集落内を探していましたが、集落西の山越えの途中にありました。

南向きにまっすぐの参道の先に社殿が見える。

神社標の右に会所らしき建物。

中をのぞくとたくさんの石仏と

お不動さんや千手観音像。神仏習合の名残でしょうか。それにしてもこの数、信心深い土地柄のようです。

参道は長い。拝殿前の草むらに狛犬代わりの石が据えられている。

拝殿が開いていたので中に入って本殿に参る。本殿の両側に古そうな随神像がこちらを向いている。

本殿の前の狛犬は無表情で子犬のよう。ずっと見ていると愛らしく思えてくる。

奉納された黒駒像もあった。

拝殿には絵馬が複数掲げられていた。ほとんどは奉納馬だったが、安政奉納の一枚。右上の山から駆け下りる騎馬が見えるので一ノ谷の戦いのようである。

布勢神社
富山県魚津市布施爪947

越中魚津 建石勝神社

魚津市に鎮座する建石勝神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は武甕槌命。

社殿は東向き。新しい感じがする。

天正年間までは大社であったが、越後長尾氏により兵火で焼失、長く中絶した社は天保11年に現在地で再建される。昭和9年本殿を再建、平成4年国道8号線バイパス事業により境内地を一部変更し社殿を新築する。

平成4年に再建された社殿なのでまだまだ新しいのだろう。

境内の社叢の紅葉が美しい。以前は参道がもっと東に長かったのだろう。

社前を通る国道8号線、立山連峰から昇る朝日がまぶしい。
神社は兼務社であり、本務の宮津八幡宮で御朱印をいただける。

建石勝神社
富山県魚津市吉島2972

越中射水 放生津八幡宮 築山

放生津八幡宮 築山

放生津八幡宮の大祭は10月1日に曳山、10月2日に築山が行われます。
今日は一度見たいと思っていました築山を見に来ました。

放生津八幡宮 築山

拝殿前の参道には提灯が並んでいます。

放生津八幡宮 築山

毎年同じテーマかと思っていたのですが、毎年変わるようです。
中央と神様と左右の四天王は変わらず、神の前の2、3体が客人(まろうど)といって物語を表現する人形です。

放生津八幡宮 築山

今年は「文禄五年 前田利長、伏見築城にあたり放生津などの桧物師を上洛せしむ」というテーマでした。

築山の客人説明
「豊臣秀吉が伏見に新城建築を始めたことで、生活に必要な桧物器財が不足がちとなったため、文禄5年4月15日付けで前田利長は放生津をはじめ越中の桧物師を上洛させて桧物造りを命じ、不足をまかなわせました。」

放生津八幡宮 築山

左には2体の桧物師が

放生津八幡宮 築山

右に前田利長の人形は配置されています。

放生津八幡宮
富山県射水市八幡町2-2-27

越中射水 道神社

道神社

射水市の道神社。御祭神は大彦命、彦屋主田心命。
延喜式内社の射水郡「道神社」の論社のひとつです。

御朱印は境内に隣接する自宅のほうでいただきました。

道神社

神社は集落のほぼ中央にあります。

道神社

社殿は西向きに建てられています。

道神社

境内には巨木の御神木があります。

道神社

西に向かって集落内に参道が通っており、集落の端に旗を立てるようになっています。

道神社
富山県射水市作道1846

越中射水 十社大神

十社大神

射水市の十社大神です。伊勢神宮の末社ということで主祭神は天照大神となります。
この地は中世は神宮領だったようです。

十社大神

隣接して真言宗の名刹蓮王寺があり、鎮守社としての十社大明神などを祀っていたところが、神仏分離により分離されたようです。十四社が合祀されたということですが、十社大明神から現社名となっているようで、相殿に外宮の豊受大神など15柱の神が祀られています。

十社大神

大きな看板に誘われて参拝しました。

十社大神

末社ということもあって、式年遷宮の神宮御用材で鳥居が新しくなっていました。

十社大神

拝殿をはじめとして社殿も立派です。

十社大神

神馬は木製で、神宮から伊勢領神明宮へ寄進されたものと伝えられます。

十社大神

神宮遙拝所も玉垣に囲まれて立派です。この玉垣も式年遷宮の御用材だそうです。

十社大神

白い石を敷き詰めてあります。

十社大神

境内に隣接してある宮司宅で御朱印をいただきました。

十社大神
富山県射水市三ケ1753

越中射水 放生津八幡宮

放生津八幡宮

射水市かつて放生津と呼ばれた地に鎮座する放生津八幡宮です。創始は天平18(746)年に越中国守の大伴家持が宇佐八幡宮より八幡神を勧請したと伝えられています。御祭神は八幡神こと応神天皇と、仁徳天皇を配神としています。御朱印には「奈呉乃浦大神」と書かれ、二柱を合わせてそう呼んでいるようです。

放生津の総社は放生津町の氣比住吉神社だったと言われていますが、現在は放生津八幡宮にその役割は移っているようです。

放生津八幡宮

放生津の町中の道路に直行するように鳥居が立てられています。

放生津八幡宮

大鳥居の扁額は安政4(1857)年左大臣近衛忠煕卿の揮毫によるものだそうです。

放生津八幡宮

拝殿の入口に市文化財の木製の狛犬があります。
宮司さんがおいでれば参拝時に太鼓が鳴り響き、厳かな気分になれますよ。

放生津八幡宮

境内には大伴家持公を祀った祖霊社

放生津八幡宮

八衢比古命、八衢比売命を祀る來名戸社(右)と軻遇突智命を祀る火之宮(左)があります。

放生津八幡宮

また創始のきっかけとなった景勝地、奈呉の浦。
本殿裏にあり、知らなければ見逃す方も多いと思いますが、現在はその名残を感じるのは難しい状況です。

放生津八幡宮

大伴家持が奈呉の浦を詠んだ
「あゆの風いたく吹くらし奈呉の浦 人の釣する小舟こぎ隠る見ゆ」
の歌碑や

放生津八幡宮

松尾芭蕉の詠んだ
「早稲の香や分け入る右は有磯海」
の句碑などが奉納されています。

放生津八幡宮

御朱印は境内の社務所でいただけます。そのときに由緒書もいただきました。
大伴家持のおみくじがなんともかわいい。

放生津八幡宮

例祭も多彩で、10月2日に行われる「築山」はここと二上射水神社の二社のみに残る珍しい神事です。

放生津八幡宮

ちょうど今日は例祭前の休みで獅子舞を行っている町もあるということで、しばらく見学してきました。
地元の加賀では獅子を仕留める獅子殺しが主流ですが、能登や富山では獅子と戯れる形式が多いようです。こちらも陽気な雰囲気で、悪魔払いとして獅子を神獣として敬う起源からするとこちらが原型に近いのでしょうけど、新湊周辺では解散の前だけ獅子殺しを演じる地区もあるようです。

放生津八幡宮
富山県射水市八幡町2-2-27

越中射水 愛宕社

愛宕社

射水市の愛宕社です。秋葉神社と呼ばれることもあります。
この社には近くの放生津八幡宮の獅子頭があるそうですが、神社庁東麓の社ではないようで、そのため正式社名も統一されていないのかもしれません。御祭神は愛宕神社系であれば火産霊命、秋葉神社系であれば火之迦具土神となりますが、同神の別名であり、八幡宮の境内社が火之迦具土神であるのでこちらで良いのかと考えられます。

愛宕社

境内には松が1本植えられているだけですが、立派なものです。

愛宕社

扁額も社名標もないので確かに判然としません。

愛宕社

社頭に地蔵堂が建てられています。この界隈には150カ所もあると言われ、地元の人々には「おんぞはん」と呼ばれるそうです。特にこの漆喰造りの地蔵堂は珍しいもので、立体に塗り重ねる「こて絵」は名人竹内源造が手がけたものだそうです。
参考:新湊寺社さんぽ(射水商工会議所)

愛宕社(秋葉神社)
富山県射水市八幡町

越中射水 荒屋神社

荒屋神社

射水市の荒屋神社です。御朱印はありません。

荒屋神社

境内地は地域の広場のような役割もあるようで、もとは放生津城の御蔵の跡であったようです。

荒屋神社

社殿は南向きに建てられており、鳥居からは参道は左に曲がっています。

荒屋神社

荒屋神社は三社の合祀社のようで、稲荷社の倉賀御魂神、気多社の大己貴命、神明社の天照大神が御祭神です。

荒屋神社
富山県射水市八幡町3-5-28

越中氷見 久目神社

久目神社

久目神社は県道64号線を久目集落に入り、上庄川を渡って山際まで行きます。川を渡る橋が細く、車で渡るのにちょっと戸惑いました。射水郡延喜式内社久目神社の比定社。御祭神は大久目命。

久目神社

水仙のきれいな季節です。集落の端に鳥居が見えました。

久目神社

鳥居前には上庄川からまっすぐに道があったのでしょうけど、圃場整備で段々になっていて道はありません。それとも神社前の集落はもともとなかったのかもしれませんね。

久目神社

社標にも「延喜式内」とあります。

久目神社

鳥居をくぐると、用水にかかる橋を渡って杉木立のなかを階段を上ります。

久目神社

拝殿で参拝します。

久目神社

拝殿の後ろに本殿が鎮座します。斜面を利用して一段高くなっています。

久目神社

拝殿右の一角に五輪塔の上部と石仏が祀られていました。古くからの集落が存在していたのでしょうね。

久目神社
富山県氷見市久目3229

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越中氷見 速川神社

速川神社

氷見市の市街地から10kmほど西に向かう。速川神社は久目川(今の上庄川)の守護神として尊崇され、川岸村落早借等八ケ村の総社として、天正年間まで早借の領主岩田采女の祈願所であったという。主祭神は瀬織津比賣命で、射水郡速川神社の延喜式内社の論社です。

入口を探すのに少し苦労しました。県道64号線からは上庄川が行方を阻んで入れず、県道300号線に入って上庄川を渡ったところの集落から入ります。

速川神社

ようやく鳥居を見つけました。

150404h3

脇に由緒の石碑が立てられています。

速川神社

まだ雪支度の狛犬たち。

速川神社

ここからは道が狭くなりそうなので徒歩で向かいます。

速川神社

途中桜とツバキの共演。そしてイタチの出没

速川神社

山を登ること5分。ようやく鳥居が見えてきました。

速川神社

最後に上り階段。鳥居前に駐車場がありますので、軽なら頑張れば上ってこれそうです。

速川神社

拝殿もやはり雪支度。

速川神社

囲いの中に入れなかったので、外から参拝。

速川神社

拝殿の後ろに本殿。周りにはツバキが植えられ、花まっさかりでしたが、参拝者はほとんどないようです。

速川神社

本殿裏に上ってみると、遠くの山が見えます。晴れていればもっときれいに見渡せるでしょう。

速川神社

集落に入ったときに渡った上庄川。右奥の山上に速川神社が鎮座しています。

速川神社

川の西側には奈良時代、小窪寺という大寺があったそうです。

速川神社

今は一面の田んぼが広がるのどかな風景が広がります。

速川神社
富山県氷見市早借880

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越中氷見 日宮神社

日宮神社

日宮神社は天長5年(828)に勧請されたという古社で、古くは比美の江(富山湾)に面していたそうだ。日の出の名所として日見の宮から日宮と称した。主祭神は天照大日靈尊(天照大御神)。

当社では御朱印は授与されていないとのこと。

日宮神社

氷見の商店街のメインストリートに面して北側が入口となっています。昔は海岸がもっと近かったということですが、今は想像もできません。

日宮神社

ご神木?でしょうか。倒木の危険があるのか枝がほとんど切られていて無残です。

日宮神社

鳥居脇の石灯籠。

日宮神社

文化6年、古いです。

日宮神社

朱色が青空に映える拝殿。

日宮神社

境内の琴平社

日宮神社

拝殿脇にまわると桜の奥に本殿。

日宮神社

本殿は一段高い場所に鎮座している。

日宮神社

本殿前の狛犬は髪がカールしていてどこか西洋風。

日宮神社

本殿裏にはきれいにツバキが咲いていました。

日宮神社
富山県氷見市中央町2-47

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越中高岡 有礒正八幡宮

有礒正八幡宮

高岡市に鎮座する有礒正八幡宮。御祭神は有礒神、綏靖天皇、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰。

有礒正八幡宮

社殿は南向き。

有礒正八幡宮

七五三の看板の後ろに「越中古社 有礒正八幡宮」の社号標が建つ。

有礒正八幡宮

右大臣と左大臣の随神像の銅像が珍しい。

有礒正八幡宮

「御用水」、明治42年に皇太子殿下(大正天皇)が高岡に行幸されたときに、高岡一おいしい水として献上されて以来、御用のお水と呼ばれる。

有礒正八幡宮

神輿倉

有礒正八幡宮

有礒宮の旧地は高岡城小竹藪付近と言われ、築城の際、横田正八幡宮に合祀されたといい、代わりに石垣が奉納されたという。合殿により社名は有礒正八幡宮と改名する。

有礒正八幡宮

拝殿に参る。

有礒正八幡宮

本殿は3つの扉があり、中央の正座に有礒宮と横田正八幡宮が祀られる。

有礒正八幡宮

拝殿前に御神木のケヤキ。

有礒正八幡宮

拝殿右の社務所で御朱印をいただく。

有礒正八幡宮

社務所前に神饌田が作られていた。

有礒正八幡宮

ちょうど刈り取りしたところなのか、拝殿に稲藁が干してあった。

有礒正八幡宮

裏から見た本殿

有礒正八幡宮
富山県高岡市横田町3丁目1−1

越中高岡 大木白山社

大木白山社

高岡市に鎮座する大木白山社。御祭神は久々里媛尊を主祭神とし、伊弉那岐大神、伊弉那美大神、彌豆波廼女神(水上様)。

大木白山社

社殿は北向き。入口に鳥居と社号標が建つ。

大木白山社

社前にはJRの線路が引かれ、往時の参道はなくなっているものと思われる。

大木白山社

参道の右、藤棚の手前に二宮金次郎像がある。廃校でもなった学校から移設されたものだろうか。

大木白山社

拝殿に参る。

大木白山社

扁額は土方久之伯爵の揮毫。誰かと思って調べてみたが第二代宮内大臣の土方久元のことらしい。

大木白山社

本殿は弊殿でつながっている。

大木白山社

手水舎の横に変わった燈籠が建つ。火袋を持ち上げているのは2匹の狛犬か獅子か?

大木白山社

境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

大木白山社

境内社が一社。

大木白山社
富山県高岡市大工中町597

越中高岡 髙岡關野神社

髙岡關野神社

高岡市に鎮座する髙岡關野神社。御祭神は天照皇大神、國常立尊、伊弉冉尊、稲荷大神、菅原道真命、前田利長命。延喜式射水郡加久彌神社と婦負郡熊野神社の論社。

髙岡關野神社

入口は西向き。左方の坂を上ると境内北側に駐車場がある。

髙岡關野神社

鳥居と社号標

髙岡關野神社

境内の南側、道路に沿って毎年5月1日に行われる例大祭「高岡御車山祭」の山車の車庫が並ぶ。

髙岡關野神社

参道の途中、狛犬?と思ったが、どうも狐のようだ。稲荷社の神使らしい。

髙岡關野神社

拝殿に参る。

髙岡關野神社

拝殿前の狛犬は高岡らしく銅器製。高岡銅器は加賀藩二代前田利長の隠居城である高岡城築城に伴って繁栄の礎が築かれた。

髙岡關野神社

拝殿には「正一位關野社」と「關野神社」の2枚の扁額が掛かる。

髙岡關野神社

拝殿前には「髙岡關野神社」の扁額、加賀藩主家の侯爵前田利為の揮毫。

髙岡關野神社

本殿右に境内社が三社。左が大國社とわかるが、中央と右の境内社は不明。

髙岡關野神社

江戸時代までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていて、御垣の中には現在も3つの本殿が並ぶ。

髙岡關野神社

並びがよくわからないが、左の本殿は神明造なので加久彌神社、社格が上だった高岡神社が中央、右が関野神社だろうか。

髙岡關野神社

拝殿左の授与所に人がいたので御朱印をお願いした。

髙岡關野神社
富山県高岡市末広町9−56

越中射水 櫛田神社

櫛田神社

射水市に鎮座する櫛田神社。御祭神は櫛稲田姫命、武素盞嗚尊。延喜式射水郡の論社。

櫛田神社

境内は西向き。入口に鳥居と幟立て、「延喜式内 県社 櫛田神社」の社号標が建つ。

櫛田神社

朱色の鳥居が杉木立の緑に映える。

櫛田神社

鳥居にも神紋がついている。

櫛田神社

参道を進むと左に神馬厩舎。今は不在

櫛田神社

さらに進むと右手の境内隅に盤持石

櫛田神社

左手の社務所を過ぎると赤幣殿、神輿庫みたいだ。

櫛田神社

参道途中の古能久礼橋を渡ると、右に手水舎、階段を上ると社殿がある。
「古能久礼」とは、射水郡南部の丘陵地大沢山の古称という。

櫛田神社

階段を上りきると鳥居の先に社殿

櫛田神社

拝殿に参る。

櫛田神社

拝殿に掛かるのは「延喜式内 櫛田神社」と書いた国務大臣正方松太郎の謹書

櫛田神社

授与所のある拝殿左の古能久礼殿のほうで御朱印をいただく。

櫛田神社

拝殿の右前に境内社住吉社

櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838

越中一の宮 高瀬神社

高瀬神社

南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大己貴命を主祭神とし、天活玉命、五十猛命を配祀する。末社の神明宮 天照皇大神、風宮 級長戸辺命、天満宮 菅原道真公を相殿に祀る。延喜式砺波郡の比定社で、越中国一宮。

高瀬神社

社殿は南向き

高瀬神社

一の鳥居の先、拝殿前に二の鳥居が建つ。他に境内の北方に大鳥居が建つ。

高瀬神社

手水の水中には南の高瀬遺跡で発掘された1200年前の建物の柱が浸かっている。

高瀬神社

手水舎の左奥に宝物殿

高瀬神社

拝殿に参る。

高瀬神社

拝殿後方に御垣に囲まれて本殿が建つ。

高瀬神社

拝殿左方に土俵

高瀬神社

二の鳥居の左方に末社高瀬稲荷社が鎮座する。

高瀬神社

拝殿の左に功霊殿(招魂社)、砺波地方出身社の御英霊を祀る。功霊殿社殿は旧高瀬神社本殿という。

高瀬神社

境内西側の授与所にて御朱印をいただく。

高瀬神社

今日は拝殿で、出雲地方に伝わる国指定重要無形民俗文化財「大土地神楽(おおどちかぐら)」二演目の奉納が行われました。一年に一度伝統芸能の奉納がありますが、今年の神楽は特に見たいものでありました。

「野見宿禰」は相撲の起源となる話です。

高瀬神社

「荒神」は神話国譲りの話です。

間近で見る神楽は迫力があり印象深いものでした。

高瀬神社
富山県南砺市高瀬291

立山山頂 雄山神社峰本社

雄山神社峰本社

立山の雄山山頂に鎮座する雄山神社峰本社。御祭神は伊邪那岐神、天手力雄神。延喜式新川郡比定社で越中国一宮、前立社壇、中宮祈願殿、峰本社の三社で構成される。

雄山神社峰本社

峰本社の開山期間は7月1日から9月30日まで。自動車は入山できないので、金沢駅からの夏山バス直行便を利用して室堂までやってきた。自由時間は5時間とたっぷりある。

雄山神社峰本社

運良く快晴に恵まれたので、立山の初登拝は気持ちよいものとなった。

雄山神社峰本社

途中残雪が登山道にも被さっている。

雄山神社峰本社

一ノ越の看板まで来た。新緑がまぶしい。

雄山神社峰本社

登山道に祓度社。強風で倒壊しないように石に埋もれている。

雄山神社峰本社

分岐の一ノ越山荘まで来た。ここまでは比較的楽な道だった。気温も下がってきたので一枚羽織る。

雄山神社峰本社

ここからはガレ場で斜度も急になる。

雄山神社峰本社

花が咲いていた。

雄山神社峰本社

石に埋もれた祠がひとつあった。

雄山神社峰本社

眼下には大きなミクリガ池とミドリガ池が見える。きれいな藍色だ。

雄山神社峰本社

空も青い。社務所が見えてきた。

雄山神社峰本社

2時間ほどで到着。

雄山神社峰本社

山頂の峰本社は行列だ。ここから先は有料になる。

雄山神社峰本社

参拝する。

雄山神社峰本社

いい景色だ。眼下には黒部ダム湖、遠くに剱岳や穂高岳が見える。富士山は雲に隠れていた。

雄山神社峰本社

社殿の右に「雄山山頂 標高3003m」の標石

雄山神社峰本社

社務所で御朱印をいただき、景色を撮りながらウロウロしていると一等三角点を見つける。

雄山神社峰本社

室堂ターミナルビルに戻ってきて、復元されたばかりの旧社殿(~平成7年)を見る。

雄山神社峰本社

今日は室堂を散策する余裕がなかった。次回は玉殿岩屋にも行ってみたい。

雄山神社峰本社
富山県中新川郡立山町芦峅寺立山峰一番地

越中小矢部 比売神社

比売神社

小矢部市に鎮座する比売神社。御祭神は田心比売命、天照皇大神、伊邪那伎命。延喜式砺波郡の論社のひとつ。

比売神社

社殿は東向き。

比売神社

境内には高木も多く、鳥居背後に1本、拝殿前の左右各1本の杉が特に大きい。

比売神社

拝殿に参る。拝殿には鯱が上がっている。

比売神社

拝殿後ろに本殿。本殿前にも鳥居が立つ。

比売神社
富山県小矢部市宮中131

越中小矢部 埴生護国八幡宮

埴生護国八幡宮

小矢部市に鎮座する埴生護国八幡宮。御祭神は八幡大神。

埴生護国八幡宮

奈良時代に宇佐八幡宮から御分霊を勧請し、木曽義仲公が倶利伽羅合戦の前に戦勝祈願したことで知られる。

埴生護国八幡宮

社殿は南向きで、倶利伽羅山の東麓に鎮座する。

埴生護国八幡宮

社務所の前に木曽義仲公の騎馬像が立つ。

埴生護国八幡宮

手水に注ぐ水は倶利伽羅山中の「鳩清水」の滝を源とする霊水で、全国名水百選に選ばれている。
右手の授与所に書き置きの御朱印が置いてあったので帰りにいただいた。

埴生護国八幡宮

二の鳥居から社殿へ延びる階段は戦国末期に蓮沼城主の遊佐慶親公による寄進で、もとは煩悩の数である108段あったというが、現在は103段になる。

埴生護国八幡宮

拝殿に参る。

埴生護国八幡宮

拝殿、幣殿、本殿は国指定重要文化財。

埴生護国八幡宮

埴生護国八幡宮は能「木曽」の舞台になっている。

埴生護国八幡宮
富山県小矢部市埴生2992

越中富山 日枝神社

日枝神社

富山市に鎮座する日枝神社。御祭神は大山咋神、大己貴神を主祭神とし、天照皇大御神、豊受大御神を配祀する。

日枝神社

駐車場入口の北鳥居

日枝神社

少し東へ移動すると社号標と一の鳥居、正面には手水舎が建つ。

日枝神社

手水舎から左に折れると、末社麄香神社、御祭神は手置帆負神、彦狭知神。藩政期は富山藩江戸屋敷に鎮座していたものを城下の人々に崇拝させるために遷座した。

日枝神社

手水舎に戻る。横に弁慶石、源義経が奥州落ちの途中、弁慶が怪力をふるってこの石をころがし、義経の腰かけとしたと伝える。

日枝神社

右に行くと拝殿。ちょうど車の祓えの最中のようだ。

日枝神社

拝殿に参る。

日枝神社

拝殿左に三末社。中央が稲荷社、御祭神は倉稲魂命、右が水天宮、御祭神は安徳天皇、左が春日社、御祭神は天児屋根命。

日枝神社

水天宮が安産の神であることから安産犬の石像がある。犬は安産の象徴で、自分の干支を撫でて安産を祈るという。

日枝神社

拝殿横の授与所で御朱印をいただく。

日枝神社
富山県富山市山王町4−12