大和橿原 橿原神宮

橿原神宮

橿原市に鎮座する橿原神宮。御祭神は初代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命。畝傍山の麓に鎮座する。

橿原神宮

北参道より入る。冬の夕暮れは早い。すでに薄暗くなっている。

橿原神宮

北神門が見えてきた。

橿原神宮

外拝殿は大きい。大きさにやや圧倒される。

橿原神宮

外拝殿に参る。その先には内拝殿と本殿がある。社殿は東向き。

橿原神宮

すでに来年の干支の絵馬が飾られている。

橿原神宮

南神門授与所で御朱印をいただく。

橿原神宮

南神門を出て南の深田池沿いに進む。

橿原神宮

末社長山稲荷社

橿原神宮

帰りは表参道より出る。

橿原神宮

北にある神武天皇御陵に行く。

橿原神宮

御陵前の拝所にて参る。いつかは皇陵巡礼もしたい。

橿原神宮
奈良県橿原市久米町934

大和橿原 鷺栖神社

鷺栖神社

橿原市に鎮座する鷺栖神社。御祭神は右殿に天児屋根命、中殿に誉田別命、左殿に天照皇太神の三柱。延喜式高市郡の鷺栖神社靫の比定社。

鷺栖神社

藤原宮跡の西に西向きに鎮座。

鷺栖神社

社前には飛鳥川が流れる。

鷺栖神社

境内に入ると左手に社務所らしき建物があるが無人であった。

鷺栖神社

柿本人麻呂の歌碑

鷺栖神社

鳥居をくぐって参道を進むと拝殿。その前に二の鳥居が立つ。

鷺栖神社

拝殿の先に本殿が見える。

鷺栖神社

本殿は塀垣に囲まれる。前の拝所に参る。

鷺栖神社
奈良県橿原市四分町305

大和飛鳥 飛鳥坐神社

飛鳥坐神社

明日香村に鎮座する飛鳥坐神社。御祭神は八重事代主神、飛鳥神奈備三日女神、大物主神、高皇産霊神。延喜式高市郡の比定社で明神大社。

飛鳥坐神社

元伊勢笠縫邑の伝承地のひとつでもある。

飛鳥坐神社

変わった形状の手水

飛鳥坐神社

鳥居をくぐって左に社務所

飛鳥坐神社

祓戸社

飛鳥坐神社

階段を上ると右に折れ、そこに境内社が並ぶ。

飛鳥坐神社

さらに階段を上って進むと授与所のような建物があり、次は左に曲がる。

飛鳥坐神社

突き当たりに西良殿と神楽殿。

飛鳥坐神社

西良殿の束に仮面のような彫物がしてある。笑い顔のようで面白い。

飛鳥坐神社

西良殿の前に拝殿が南向きにある。

飛鳥坐神社

拝殿に参る。御簾が途中まで上げられ、本殿が見えるようで見えない。

飛鳥坐神社

拝殿の近くに寒桜が咲いていた。

飛鳥坐神社

拝殿から東へ進むと境内には多くの境内社が鎮座する。

飛鳥坐神社

境内社は合祭社もあれば一社単独のものもある。

飛鳥坐神社

末社白鬚神社

飛鳥坐神社

末社八阪神社と金比羅神社。間に男根と女陰の陰陽石が祀られている。境内には他にも陰陽石が祀られ、社務所にはちんちん鈴という授与品も頒布されている。

飛鳥坐神社

奥の社、御祭神は天照皇大神と豊受大神で、この社が元伊勢の根拠となっているようだ。

飛鳥坐神社

末社飛鳥山口坐神社、御祭神は大山津見乃神、久久乃知之神、猿田彦乃神。延喜式高市郡の比定社。

飛鳥坐神社
奈良県高市郡明日香村飛鳥707

大和御所 葛城一言主神社

葛城一言主神社

御所市に鎮座する葛城一言主神社。御祭神は葛城一言主大神で、幼武尊を配祀する。延喜式葛上郡の比定社で明神大社。葛城山の西麓に鎮座する。

葛城一言主神社

北から神社へ向かう道路

葛城一言主神社

途中鳥居がある。

葛城一言主神社

社殿は東向き。階段を上って境内に入る。

葛城一言主神社

階段下に手水と祓戸社がある。

葛城一言主神社

階段を上ると左に樹齢1200年を越えるという御神木の大イチョウ。

葛城一言主神社

拝殿に参る。

葛城一言主神社

境内に立つ旗や看板でさかんに見る「一陽来復守り」

葛城一言主神社

自分にはなじみがないが、冬至の2日前から節分までに限り授与されるお守りで、魔を滅し福に転ずるという無事息災のお守り。今年の冬至は昨日だったので、今日も参拝者は多い。

葛城一言主神社

拝殿右に蜘蛛塚。謡曲土蜘蛛の題材ともなった供養塔

葛城一言主神社

本殿右に境内社が並ぶ。一言稲荷神社

葛城一言主神社

その右に四社並ぶ。市杵島社、天満社、住吉社、一番奥が八幡社と神功皇后社の合祭社となっている。

葛城一言主神社

帰りに社務所で御朱印をいただき、東の国道24号線へ向かう途中に鳥居が立っている。
御朱印には参拝日が書かれていない、という意味では神札のような体裁だ。

葛城一言主神社
奈良県御所市森脇432

近江犬上 胡宮神社

胡宮神社

多賀町に鎮座する胡宮神社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

胡宮神社

裏参道入口の駐車場に停め、境内に入る。左に歴史民俗資料館は平成12年に閉館している。

胡宮神社

胡宮神社と名神高速多賀SAの一帯は中世の大寺院敏満寺のあったところで、胡宮神社は胡宮大明神と呼ばれ、敏満寺の守護神として祀られていた。織田信長により焼き討ちにあった後、神社境内として整備されたときに井戸に散乱していた焼石や五輪塔を投げ込んだといい、この古井戸と井戸を掘り返して出てきた石塚が旧敏満寺を偲ばせる。

胡宮神社

境内のすぐ南を名神高速が走り、平野が琵琶湖まで広がる。

胡宮神社

絵馬殿

胡宮神社

まさしく絵馬が架かる。

胡宮神社

福祉会館と重源上人のレリーフが建つ。

胡宮神社

拝殿へと続く道があるが、ひとまず表参道へ向かう。

胡宮神社

高速高架下から表参道が延びる。高架下あたりにかつて仁王門があったという。

胡宮神社

表参道の階段は広い。

胡宮神社

階段を上ったところに神輿倉。

胡宮神社

拝殿下の平地にはかつて敏満寺の金堂が建っていたという。

胡宮神社

胡宮神社のかつての別当福寿院へ続く参道。階段の脇には石垣が積まれ、砦機能を持った敏満寺の姿を想像させる。

胡宮神社

旧福寿院、現在は社務所となっている。

胡宮神社

社務所の東に名勝となった庭園があり、書院から鑑賞するように池と奥の築山につつじなどが植えられた鑑賞式林泉園の庭園である。

胡宮神社

庭園から一段上がったところに観音堂、本尊は石像楊枝観世音菩薩

胡宮神社

隣に無数の石仏群が祈りの世界を広げる。

胡宮神社

大日堂

胡宮神社

大日堂と本殿の出入口門の両側に塀が建つが、老朽化でかなり痛んでいる。

胡宮神社

門をくぐると奥にむかって参道が続く。胡宮神社の奥宮の磐座への参道。胡宮神社の神体山の青龍山の頂上には大きな磐座があり、その遙拝所として奥宮があるという。

胡宮神社

本殿右に境内社が二社。

胡宮神社

拝殿に参る。といっても本殿は現在屋根を修復中で、境内の熊野神社へ遷座中という。

胡宮神社

寿命石・枕石。重源上人は東大寺再興を願い延寿を胡宮神社で祈ったという。

胡宮神社

拝殿左に斎館。授与所らしき窓口もあるがこちらも無人。

胡宮神社

遷座中の熊野神社

胡宮神社
滋賀県犬上郡多賀町敏満寺49

近江犬上 多賀大社

多賀大社

多賀町に鎮座する多賀大社。御祭神は伊邪那岐大神、伊邪那美大神の二柱。延喜式犬上郡の多何神社の論社。

多賀大社

社前にはみやげ店が並ぶ。

多賀大社

社殿は西向き。社前には堀が巡る。

多賀大社

御神門の前に石橋の太閤橋が架かる。本来は形状から太鼓橋であるが、太閤秀吉の崇敬が篤かったことから太閤橋と呼ばれるようになったという。

多賀大社

太閤橋を渡ると右に境内社の愛宕神社と秋葉神社。

多賀大社

左に境内社の天満神社。

多賀大社

御神門からまっすぐ参道が延び、拝殿が見える。

多賀大社

御神門をくぐると右に神馬舎。

多賀大社

拝殿に参る。

多賀大社

拝殿の左に授与所があり、御朱印をいただいた。

多賀大社

社務所前に絵馬殿

多賀大社

絵馬殿にたがゆいちゃんの看板がある。多賀町のゆるキャラだ。

多賀大社

拝殿右に能舞台がある。

多賀大社

能舞台後ろに寿命石。重源上人が二十年の延命を感得する霊験をいただいた際のゆかりの石という。

多賀大社

境内社年神神社と竈神社。

多賀大社

右が三宮神社と聖神社。左が天神神社、熊野神社、熊野新宮。

多賀大社

一番奥に金咲稲荷神社が鎮座する。

多賀大社

次に社務所より北を行く。文庫は幕末の大祢冝車戸宗攻の邸内にあって、長州や土佐の志士らと密議を行った場所という。

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

多賀大社

大釜。徳川幕府から寛永11年と元禄11年の正遷宮を記念して奉納された御湯神事の調度という。

多賀大社

神輿庫と鐘楼

多賀大社

太閤蔵。太閤秀吉公が生母大政所の病気平癒を祈願し、全快のお礼として米一万石を奉納したといい、その寄進により築造された一つという。

多賀大社

参集殿

多賀大社

夷神社、御祭神は事代主神。この辺りは境内にあった不動院、般若院、成就院、観音院の四つの神宮寺のうちの、般若院があったところという。

多賀大社

西参道の入口には神明両宮、子安神社、日向神社。

多賀大社

摂社日向神社、御祭神は瓊瓊杵尊。延喜式犬上郡日向神社の比定社。

多賀大社
滋賀県犬上郡多賀町多賀604

大和桜井 狭井神社

狭井神社

桜井市に鎮座する狭井神社。御祭神は大物主大神の荒魂を主祭神とする。延喜式城上郡の狭井坐大神荒魂神社の比定社。

狭井神社

大神神社摂社で、拝殿北のくすり道から向かう。

狭井神社

摂社だが社号標がある。

狭井神社

階段を上り、大神神社と同じような木々の間に注連縄を掛けた鳥居をくぐって境内に入る。

狭井神社

拝殿に参る。拝殿の屋根は苔生している。

狭井神社

拝殿左にご神水があり、多くの人が水を汲んでいる。狭井神社には本殿がある。

狭井神社

ご神水は三輪山から湧き出た霊水である。

狭井神社

拝殿右から大神神社の神体山の三輪山への登山口がある。許可が必要でこの先は撮影禁止である。

狭井神社
奈良県桜井市三輪

大和桜井 久延彦神社

久延彦神社

桜井市に鎮座する久延彦神社。御祭神は久延毘古命。

久延彦神社

大神神社末社で、拝殿の北、くすり道から向かう。

久延彦神社

途中西に分岐する。

久延彦神社

大美和の杜展望台からの眺望、奥に金剛山と葛城山、その手前に畝傍山と耳成山、大鳥居も見える。右端に二上山、左端に香久山が見える。

久延彦神社

社殿に着いた。社殿は南向き。

久延彦神社

本殿に参る。左の授与所で御朱印をいただく。

久延彦神社

表参道は三輪山の麓から長い階段を上る。

久延彦神社
奈良県桜井市三輪

大和一の宮 大神神社

大神神社

桜井市に鎮座する大神神社。御祭神は大物主大神を主祭神とし、大己貴神と少彦名神を配祀する。延喜式城上郡大神大物主神社の比定社で明神大社、大和国一宮。

大神神社

日本三大鳥居に数えられる大鳥居。背後に神体山の三輪山がそびえる。

大神神社

社叢の入口に社号標と二の鳥居が立つ。

大神神社

参道の左、初めに鎮座するのは末社祓戸神社。

大神神社

次に夫婦岩、この磐座は大物主大神と活玉依姫の恋の物語である三輪山説話を伝える古蹟とされる。

大神神社

階段の先に拝殿が見えてきた。

大神神社

衣掛杉、謡曲三輪で知られる玄賓僧都の衣を掛けたという御神木。

大神神社

最後に木々の間に注連縄を掛けた鳥居をくぐって拝殿に参る。

大神神社

大神神社は本殿がなく、三輪山を詣るための拝殿のみがある。御朱印は拝殿左の参集殿の中でいただく。

大神神社

狭井神社へ向かう途中に三社の摂末社がある。
摂社活日神社、御祭神は高橋活日命。杜氏の祖神として酒造関係者に崇敬される。

大神神社

摂社磐座神社、御祭神は少彦名神。

大神神社

末社市杵嶋姫神社、御祭神は市杵嶋姫命。

大神神社
奈良県桜井市三輪1422

大和天理 石上神宮

石上神宮

天理市に鎮座する石上神宮。物部氏の総氏神として創建される。御祭神は布都御魂大神、布留御魂大神、布都斯魂大神を主祭神とし、宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命を配祀する。延喜式山辺郡石上坐布都御魂神社の比定社。

石上神宮

社号標と大鳥居。

石上神宮

参道を進むと神鶏が参道で遊んでいる。

石上神宮

廻廊と楼門が見えてきた。社殿は参道を90度曲がって南向きになる。

石上神宮

拝殿に参る。まだ9時前だったので朝の祈りが捧げられている最中だった。

石上神宮

楼門前の一段高い場所に摂末社が祀られている。

石上神宮

摂社出雲建雄神社の拝殿。もとは神仏分離令で廃絶した内山永久寺の住吉社の拝殿だった。

石上神宮

左に二社。

石上神宮

摂社天神社、御祭神は高皇産霊神、神皇産霊神。

石上神宮

摂社七座社、御祭神は生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神の七座を祀る。

石上神宮

右に二社。左が摂社出雲建雄神社、御祭神は布都斯魂大神の御子神、延喜式山辺郡の論社。右が末社猿田彦神社、御祭神は猿田彦神を主祭神とし、底筒男神、中筒男神、上筒男神、息長帯比売命、高靇神を配祀する。

石上神宮

境内に戻ってくると祭壇ができていた。8日はお火焚祭が行われる日のようだ。

石上神宮

神鶏は休憩所に集まっている。

石上神宮

授与所で御朱印をいただく。神鶏のおみくじが愛らしい。

石上神宮
奈良県天理市布留町384

武蔵江戸 芝東照宮

芝東照宮

東京都港区に鎮座する芝東照宮。御祭神は徳川家康公。

芝東照宮

社殿は東向き。もとは増上寺安国殿であり、御祭神は徳川家康公の御神像、生きている間に作った寿像である。現在も増上寺の南に鎮座する。

芝東照宮

参道を進み鳥居をくぐって一段上がると、鳥居の礎石らしきものだけが残る。

芝東照宮

拝殿に参る。

芝東照宮

芝東照宮は戦災によりほとんどが焼失し、この家光公お手植えの公孫樹(大イチョウ)と、家康公の寿像のみが残った。

芝東照宮

境内に井戸がある。

芝東照宮
東京都港区芝公園4丁目8−10