千代田区に鎮座する東京大神宮。御祭神は天照皇大神、豊受大神を主祭神とし、天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神の造化三神、倭比売命を相殿に祀る。
カメラの電池切れで写真はない。
東京大神宮
東京都千代田区富士見2丁目4−1
千代田区に鎮座する東京大神宮。御祭神は天照皇大神、豊受大神を主祭神とし、天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神の造化三神、倭比売命を相殿に祀る。
カメラの電池切れで写真はない。
東京大神宮
東京都千代田区富士見2丁目4−1
羽咋市に鎮座する深江八幡神社。御祭神は應神天皇、神功皇后を主祭神とし、磐衝別命、石城別王命、活目帝、弟苅羽田刀弁命、三足比咩命、道反神を配祀し、飛地境内の八坂社の御祭神素戔嗚尊を合祀する。
深江村は羽喰村から文永年間に分村し、羽咋神社神主が摂社八幡社を遷座したのが創始。
境内は南向き。鳥居から社殿までまっすぐ参道が延びる。
拝殿に参る。
拝殿の左の忠魂社に村出身の戦没者を祀る。
境内には椎の老木が多い。
境内に隣接する社務所兼自宅で御朱印をいただく。
集落の北には邑知潟を干拓した田が広がり、そこに近頃は佐渡島から放鳥された朱鷺が現れるらしい。
深江八幡神社
石川県羽咋市深江町ト148
羽咋市に鎮座する羽咋神社。御祭神は道反大神、磐衝別命、磐城別王命、弟苅羽田刀弁命。磐衝別命は垂仁天皇の皇子、磐城別王命は磐衝別命の子。延喜式羽咋郡の論社。
境内は南向き。鳥居には「式内 羽咋神社」の扁額、社号標には「延喜式内 羽咋神社」と刻まれる。
鳥居をくぐると右にケヤキの御神木
拝殿に参る。
拝殿には唐戸山神事相撲の大関の奉納額が多数掛けられている。
拝殿左に神倉
境内の西にはコンクリート製の社務所が建つ。
羽咋神社の周囲には磐衝別命にゆかりの塚が7つあり、「羽咋の七塚」と呼ばれる。境内にも大塚と大谷塚の2つの塚がある。
羽咋神社
石川県羽咋市川原町エ164-2
中能登町に鎮座する天日陰比咩神社。御祭神は屋船久久能智命を主祭神とし、大己貴命と應神天を相殿に祀る。延喜式能登郡の論社。
神社は石動山への参道である西麓に鎮座し、南向きに鎮座する。往古境内には天日陰比咩神社と伊須流支比古神社の2社が祀られていたため、集落名を二宮と称し、石動山開山にあたり、山頂に伊須流支比古神社の御分霊を勧請したと伝える。能登国二宮の伊須流支比古神社の元宮として能登国二宮を称する。
境内入口に町天然記念物の楓。枝振りが龍の髭のようにウネウネと二方に延びる。
参道入口の一の鳥居の先に二の鳥居が見える。
一の鳥居の後ろには左右両方が逆立ち狛犬という珍しい狛犬がある。左方の狛犬の上に楓の枝が伸びてきている。
参道を進むと左にみくりや。毎年どぶろくが作られる。
左には鎮座石。表面に天狗の足跡といわれる窪みが2つある。
拝殿の前の2本の御神木の大杉が何とも神々しい。
拝殿に参る。
拝殿右手に天神稲荷社。天満様と稲荷様が合祀されている。
拝殿の左手に授与所があるが無人だったので、入口付近の社務所のほうで御朱印をいただく。
天日陰比咩神社
石川県鹿島郡中能登町二宮子甲8
七尾市に鎮座する久麻加夫都阿良加志比古神社。御祭神は阿良加志比古神、都奴加阿良斯止神。延喜式羽咋郡の論社。
境内は南向き。鳥居と社号標
鳥居と境内の間には広い空間が空き、9月20日のお熊甲祭では猿田彦が乱舞し、神輿が練り歩く。
建物が東西に並び、拝殿と本殿は弊殿でつながる。
拝殿に参る。
拝殿右に校倉造の宝物殿が建ち、神仏習合の名残をとどめる。
宝物殿の左奥に木立に囲まれて加茂社が鎮座する。
宝物殿の右に薬師社。戸がなく御簾が掛けられているのが趣がある。平安時代とされる熊甲薬師如来座像が安置される。
境内に隣接して建つ社務所兼自宅の建物は東建ちの立派な屋敷である。
久麻加夫都阿良加志比古神社
石川県七尾市中島町宮前ホ部68-1-1
高岡市に鎮座する有礒正八幡宮。御祭神は有礒神、綏靖天皇、応神天皇、仁徳天皇、神功皇后、武内宿禰。
社殿は南向き。
七五三の看板の後ろに「越中古社 有礒正八幡宮」の社号標が建つ。
右大臣と左大臣の随神像の銅像が珍しい。
「御用水」、明治42年に皇太子殿下(大正天皇)が高岡に行幸されたときに、高岡一おいしい水として献上されて以来、御用のお水と呼ばれる。
神輿倉
有礒宮の旧地は高岡城小竹藪付近と言われ、築城の際、横田正八幡宮に合祀されたといい、代わりに石垣が奉納されたという。合殿により社名は有礒正八幡宮と改名する。
拝殿に参る。
本殿は3つの扉があり、中央の正座に有礒宮と横田正八幡宮が祀られる。
拝殿前に御神木のケヤキ。
拝殿右の社務所で御朱印をいただく。
社務所前に神饌田が作られていた。
ちょうど刈り取りしたところなのか、拝殿に稲藁が干してあった。
裏から見た本殿
有礒正八幡宮
富山県高岡市横田町3丁目1−1
高岡市に鎮座する大木白山社。御祭神は久々里媛尊を主祭神とし、伊弉那岐大神、伊弉那美大神、彌豆波廼女神(水上様)。
社殿は北向き。入口に鳥居と社号標が建つ。
社前にはJRの線路が引かれ、往時の参道はなくなっているものと思われる。
参道の右、藤棚の手前に二宮金次郎像がある。廃校でもなった学校から移設されたものだろうか。
拝殿に参る。
扁額は土方久之伯爵の揮毫。誰かと思って調べてみたが第二代宮内大臣の土方久元のことらしい。
本殿は弊殿でつながっている。
手水舎の横に変わった燈籠が建つ。火袋を持ち上げているのは2匹の狛犬か獅子か?
境内の社務所兼自宅で御朱印をいただく。
境内社が一社。
大木白山社
富山県高岡市大工中町597
高岡市に鎮座する髙岡關野神社。御祭神は天照皇大神、國常立尊、伊弉冉尊、稲荷大神、菅原道真命、前田利長命。延喜式射水郡加久彌神社と婦負郡熊野神社の論社。
入口は西向き。左方の坂を上ると境内北側に駐車場がある。
鳥居と社号標
境内の南側、道路に沿って毎年5月1日に行われる例大祭「高岡御車山祭」の山車の車庫が並ぶ。
参道の途中、狛犬?と思ったが、どうも狐のようだ。稲荷社の神使らしい。
拝殿に参る。
拝殿前の狛犬は高岡らしく銅器製。高岡銅器は加賀藩二代前田利長の隠居城である高岡城築城に伴って繁栄の礎が築かれた。
拝殿には「正一位關野社」と「關野神社」の2枚の扁額が掛かる。
拝殿前には「髙岡關野神社」の扁額、加賀藩主家の侯爵前田利為の揮毫。
本殿右に境内社が三社。左が大國社とわかるが、中央と右の境内社は不明。
江戸時代までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)の3社を合わせて関野三社と呼ばれていて、御垣の中には現在も3つの本殿が並ぶ。
並びがよくわからないが、左の本殿は神明造なので加久彌神社、社格が上だった高岡神社が中央、右が関野神社だろうか。
拝殿左の授与所に人がいたので御朱印をお願いした。
髙岡關野神社
富山県高岡市末広町9−56
射水市に鎮座する櫛田神社。御祭神は櫛稲田姫命、武素盞嗚尊。延喜式射水郡の論社。
境内は西向き。入口に鳥居と幟立て、「延喜式内 県社 櫛田神社」の社号標が建つ。
朱色の鳥居が杉木立の緑に映える。
鳥居にも神紋がついている。
参道を進むと左に神馬厩舎。今は不在
さらに進むと右手の境内隅に盤持石
左手の社務所を過ぎると赤幣殿、神輿庫みたいだ。
参道途中の古能久礼橋を渡ると、右に手水舎、階段を上ると社殿がある。
「古能久礼」とは、射水郡南部の丘陵地大沢山の古称という。
階段を上りきると鳥居の先に社殿
拝殿に参る。
拝殿に掛かるのは「延喜式内 櫛田神社」と書いた国務大臣正方松太郎の謹書
授与所のある拝殿左の古能久礼殿のほうで御朱印をいただく。
拝殿の右前に境内社住吉社
櫛田神社
富山県射水市串田字大沢6838
富岡市に鎮座する一之宮貫前神社。御祭神は経津主神、比売大神。延喜式甘楽郡の比定社で明神大社、上野国一宮。
境内の南方、徒歩による表参道入口に社号標
坂を上っていくと、階段の先に大鳥居
大鳥居をくぐると先に総門が見える。
総門の前には唐銅製燈籠。幕末の慶応元年製作で市指定重要文化財。
総門前の狛犬は頭が小さくシャープな姿であるが足が太く、下に重心のある感じだ。
総門をくぐると長い階段を下りていく。本殿へ行くのに下りていく神社は珍しい。
総門の左に西門があり、
仮殿敷地の大きな平地と、左と奥に境内社が並ぶ。
二十二末社。竈神社、菅原神社、沓脱神社、速玉男神社、粟島神社、春日神社、奇八玉神社、諏訪神社、八幡宮、事解男神社、咲前神社、浅間神社、高靇神社、少彦名神社、長田神社、伊邪那岐神社、八坂神社、白山比咩神社、熊野神社、水分神社、熱田神社、扣神社の22社で、社領内各地に鎮座していた末社を寛永12年に一棟の社殿に祀った。
末社日枝神社。社殿は寛永12年以前の旧本殿と伝わる。明治42年に近在の田島和合神社、宇田諏訪神社、坂井大臣神社を合祀し、大山咋神の他17柱を祀る。社殿の上部に朱色の塗料が残っている。
末社伊勢内宮、御祭神は天照大神。
末社伊勢外宮、御祭神は豊受大神。内宮、外宮は境内の天狗沢峰通り字伊勢屋敷に鎮座していたのを寛永12年に遷座したという。
下り階段の途中、左に末社月読神社。社殿は寛永12年以前の旧拝殿という。明治41年に近在の秋畑琵琶澤社久司神社、秋畑二ツ石雷電神社、秋畑裏根湯前神社、野上近戸神社を合祀し、月夜見命の他17柱を祀る。
階段を下りると左右に廻廊がつく楼門
手水舎後方に井戸がある。囲まれた場所は何に使用するところか?
楼門に参る。
拝殿と本殿は彩り豊かな彫物や組物がたくさん付いている。
塗り直しされて新しい状態なので、しばし見入ってしまった。
本殿の妻には「雷神小窓」という緑色の雷神を描いた窓があり、南方の稲含山(稲含神社)の方向を向いているという。
本殿左に摂社抜鉾若御子神社。
楼門右前の社務所で御朱印をいただく。
神楽殿
宝物殿の前に勅額鳥居。清和天皇の御宸筆による額が掲げられ、もとは田島にあったという。
現在の額は有栖川宮幟仁親王の御染筆の神号額が掲げられている。
勅額鳥居の前には勅使門。勅使参向の時のみ開かれることから「不明門」と呼ばれていたが、現在は春と冬の御戸開祭と流鏑馬祭の年三回開門される。
宝物館の裏には三重塔の礎石が残る。
帰りは境内の東方、車道参道の大鳥居をくぐる。
一之宮貫前神社
群馬県富岡市一ノ宮1535
下仁田町に鎮座する中之嶽神社。御祭神は日本武尊を主祭神とし、他十六柱を祀る。
妙義公園駐車場からは妙義山の金洞山がよく見える。夕方は背後から日が差すので、朝の方が良いかもしれません。それにしても奇岩の山容に圧倒される。
南麓に赤鳥居が見える。
中之嶽神社の一の鳥居
狛犬は「甲子講」の寄進で、同じく境内に祀られる甲子大國神社の講中のようだ。関東を中心に甲子講が広がっていた。狛犬は目の周りや口、足の爪が塗られていて、まるで化粧しているみたいだ。
社務所の左に日本一のだいこく様が祀られている。小槌を持っている大国様が多い中、剣を持っている大国様は珍しい。平成17年に製作し、高さ20メートル、重さ8.5トンあるという。
甲子大國神社、御祭神は大国主命を主祭神とし、他十柱を祀る。
鳥居は中之嶽神社と甲子大國神社共通のものらしいが、扁額は「中之嶽神社」となっている。社号標は「妙義山大國神社」となっている。
鳥居の直線上には甲子大國神社の拝殿
右に中之嶽神社への参道となる長い上り階段が延びる。
中之嶽神社拝殿の背後には御神体の轟岩が聳える。神社名からすると金洞山の中之岳が神体山で、轟岩が御神体ということでいいのだろうか。
拝殿の後ろの幣殿が轟岩に食い込むように社殿が建ち、本殿はない。
拝殿の左、岩の窪みに石祠が祀られ、石玉垣が見える。
石玉垣の向こうにも石に埋もれるように石祠が祀られている。
石玉垣の中には文字の書かれた石板が祀られているが、何かは不明。
拝殿の左手に妙義山への登山口がある。
中之嶽神社・甲子大國神社
群馬県甘楽郡下仁田町上小坂1248
富岡市に鎮座する妙義神社。御祭神は日本武尊、豊受大神、菅原道真公、権大納言長親卿。
道の駅のみやげ店の間に一の鳥居が立つ。境内まで一直線の参道、後方に神体山の白雲山(妙義山の一山)が見える。
社号標
総門は別当であった白雲山高顕院石塔寺の仁王門であり、「高顕院」の扁額が掛かる。
総門をくぐると階段の先に鳥居が見える。
青銅製燈籠は元治元年の製作。一之宮貫前神社にも同じような燈籠が立っていた。
青銅製燈籠と同じ段の左方に稲荷社と
和歌三社
銅鳥居には「白雲山」の扁額が掛かる。
銅鳥居の根元には獅子の彫刻が付いている。
銅鳥居をくぐると波己曽社
波己曽社は旧御本社で、昭和44年に上部神域より現在地に遷座した。
左の境内社は池に浮かぶので厳島神社か市杵島神社か?
石造の太鼓橋の前に165段の石段が延びる。
石段は途中かなり歪んでいる。
随神門の前面左右に随神。虎の皮に坐っている。
後面左右には赤鬼と青鬼。虎のパンツを履いている。
唐門
唐門の彫刻。龍の頭で体には羽根が生えていて見たことがない。その動物が川上りしている。
拝殿と本殿
拝殿の彫刻は浮き彫りとなっていてとても手が込んでいる。
拝殿の格天井には一枚一枚絵が描かれている。
本殿の裏に天狗社。天狗の面が祀られている。
本殿の右に石がいくつか置かれている。
帰りに総門を入ってところの授与所で御朱印をいただいた。
妙義神社
群馬県富岡市妙義町妙義3
南砺市に鎮座する高瀬神社。御祭神は大己貴命を主祭神とし、天活玉命、五十猛命を配祀する。末社の神明宮 天照皇大神、風宮 級長戸辺命、天満宮 菅原道真公を相殿に祀る。延喜式砺波郡の比定社で、越中国一宮。
社殿は南向き
一の鳥居の先、拝殿前に二の鳥居が建つ。他に境内の北方に大鳥居が建つ。
手水の水中には南の高瀬遺跡で発掘された1200年前の建物の柱が浸かっている。
手水舎の左奥に宝物殿
拝殿に参る。
拝殿後方に御垣に囲まれて本殿が建つ。
拝殿左方に土俵
二の鳥居の左方に末社高瀬稲荷社が鎮座する。
拝殿の左に功霊殿(招魂社)、砺波地方出身社の御英霊を祀る。功霊殿社殿は旧高瀬神社本殿という。
境内西側の授与所にて御朱印をいただく。
今日は拝殿で、出雲地方に伝わる国指定重要無形民俗文化財「大土地神楽(おおどちかぐら)」二演目の奉納が行われました。一年に一度伝統芸能の奉納がありますが、今年の神楽は特に見たいものでありました。
「野見宿禰」は相撲の起源となる話です。
「荒神」は神話国譲りの話です。
間近で見る神楽は迫力があり印象深いものでした。
高瀬神社
富山県南砺市高瀬291
津幡町に鎮座する清水八幡神社。御祭神は応神天皇、大己貴命、吾田鹿葦津姫命、市姫神、建御名方神。市姫神と建御名方神は明治41年に合祀した市姫社と諏訪社の祭神。
商店街沿いに建つ社号標
北へ住宅の間の路地を進むと境内が見えてくる。
深い社叢に覆われた参道
拝殿前に二の鳥居
逆さ狛犬が愛らしい
拝殿に参る。拝殿には「清水八幡神社」の扁額とともに「笠野神社」「市姫神社」が掛かる。
当社は延喜式加賀郡笠野神社の論社として、吉倉に創建した後、寿永2年に大白山に遷座、慶長年中に当地に遷座したとする。
本殿の覆屋
本殿の下に神使狐の像。御朱印をいただくときに稲荷社も合祀しているのか尋ねたが、今となってはなぜ置かれているのか理由も分からなくなっているらしい。
近くには応仁の乱で荒れた京から能登畠山家に身を寄せ亡くなった、冷泉為広卿の塚がある。
清水八幡神社
石川県河北郡津幡町清水リ115
金沢市に鎮座する平岡野神社。御祭神は大山咋神、伊弉冊尊、大国主尊。
金沢駅西口から出て近い場所に建つ東鳥居。
表参道は南向き。社号標と奥に鳥居が建つ。往古は山王社と呼ばれ、石川郡豊田郷の総社として崇敬を集めたという。
鳥居の前に拝殿
拝殿に参る。
扁額の「野」が変わった文字を使用している。
拝殿左に社務所。まだ新しいが当社は兼務社であり、普段は無人。
境内に古蹟碑と石祠が2つ。石像はかなり風化していてわかりにくいが地蔵のようだ。1つの祠には嘉永二年の銘があった。
平岡野神社
石川県金沢市広岡町1-11-1
金沢市に鎮座する安江住吉神社。御祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命、武甕槌命。
社殿は住宅地にあり東向き。
参道沿いに箱燈籠が並べて吊られている。
拝殿前にも提灯を吊す屋根。拝殿も幕を張る作業をしている。ちょっとお邪魔して横から参る。
境内では子供みこしや車が準備されている。
西側の裏参道。ああ2日後から秋季祭のようです。
一緒に準備していた宮司に御朱印尋ねると授与していないという返事でした。
安江住吉神社
石川県金沢市北安江2丁目15−37
金沢市に鎮座する淺野神社。御祭神は大山咋神を主祭神とし、天照大御神、春日四柱神、天満天神。
社殿は南向き。用水沿いに参道があり、参道入口付近に数台の駐車場がある。
鳥居と社号標
北川洗耳句碑
「水音に 火伏せ太鼓も ぬるみてん」
室生犀星句碑。第13代宮司が室生犀星に師事し、句碑を建立した。
「竹むらや やゝにしぐるる 軒ひさし」
拝殿に参る。
拝殿前には逆立ち狛犬。金沢ではよく見る。
拝殿右に疫塚。病気と災いを除くため疫豆を患部にさすり疫塚に投げ入れるという。
拝殿右に摂社若宮白山社、御祭神は菊理媛神。
厄除稲荷
参道左に摂社淺野稲荷社、御祭神は倉稲魂神。
紙製の一眼成就の白きつねがかわいい。
淺野神社
石川県金沢市浅野本町1丁目6−1
加賀市に鎮座する菅生石部神社。御祭神は菅生石部神。延喜式江沼郡の比定社で、加賀国二の宮。
社殿は南向き。
道路沿いに鳥居が立つ。
階段を上ると神門
神門をくぐり境内に入ると、右手に舞殿。7月の敷地天神講では稚児舞が舞われる。
正面の拝殿に参る。拝殿の右前には御神木が立つ。
拝殿の右を進むと白山社と事比羅社の二社殿。前には牛の像があり、昔は隣に菅原社もあったようだ。
黄色い紙垂が変わっている。夏越の祓をする敷地天神講で黄色に変わり、12月の年越の祓で白色に戻るようだ。
横には本殿を背後から見ることができる。
拝殿の左、渡り廊下の前には敷地稲荷社の社号標と鳥居
下をくぐって本殿の横に鎮座する。
境内末社は春日社、八幡社、白山社、稲荷社、事比羅社、菅原社、藤森社と7社あるというが、多くが見当たらない。
授与所で御朱印をいただく。
例大祭は2月の御願神事、竹割りまつりと呼ばれ、境内で竹を次々を割っていく勇壮さが有名。
能の「敷地物狂」の舞台であり、来月580年の時を経て公演される。
それを記念して加賀市美術館で「菅生石部神社の文化財展」を開催していたので帰りに観覧した。
菅生石部神社
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81
加賀市に鎮座する振橋神社。御祭神は菊理媛神、天照皇大神、大己貴神。
社殿は西向き。境内の背後に動橋川が流れる。
二の鳥居は玉垣に囲まれた境内のなかに立つ。参道は少し左に曲がる。曲がった後の参道が真西を向いているようだ。
二の鳥居の扁額は龍の彫刻が付いている。能美郡や江沼郡の神社でよく見かける。
参道の左、境内の北側は大きく開けており、奇祭ぐず焼きまつりのぐずが最後にここで焼かれる。
神社は昔鬱蒼とした森の中にあり、奥に化けぐずが住むというぐず池と呼ばれる大池があったという。
拝殿に参る。
拝殿後ろの本殿は一段高くなっている。
拝殿左の振橋稲荷神社
振橋稲荷神社社殿は拝殿と横に並ぶ。
拝殿の右には社務所があるが無人。境内で松の剪定をしていた職人に宮司について伺ったところ、自宅は少し離れているので案内してくれるというのでお願いした。自宅で御朱印について尋ねたところ授与されていないということだった。
振橋神社
石川県加賀市動橋町ワ180
小松市に鎮座する葭島神社。御祭神は倉稲魂神、大田神、大宮女神、火結神、宇加神、八坂之神、前田利常と多い。
社殿は東向き。
二の鳥居は朱色。というのも小松城の鎮守で葭島に鎮座していた稲荷大明神を合祀したからだろう。
拝殿に参る。初詣の小松七社めぐりの一社。小松七社は安宅住吉神社、菟橋神社、小松天満宮、須天熊野神社、多太神社、本折日吉神社、葭島神社の七社。
拝殿の中を見ると折上格天井の折上部に絵が描かれている。社号の書は十三代藩主前田斉泰公の筆である。
本殿は土壁の覆屋になっている。
拝殿右に宝物庫のような建物がある。
拝殿左に境内社が一社。様式から神明社か?
境内に社務所があるが無人。掃除中だった隣人に宮司を訪ねたところ、少し先に自宅があるというのでお宅に伺って御朱印をいただく。
葭島神社
石川県小松市大川町2丁目120
小松市に鎮座する小松天満宮。御祭神は菅原道真公、前田利常公。寛永十六年に小松城に隠居していた三代藩主前田利常公が祖神の菅原道真公を祀る社として創建した。小松城の鬼門鎮護のためでもあった。
神社は梯川の北岸にあるが、かつては浮島(輪中)に鎮座していた。
現在梯川の改修工事でかつての姿が甦ることになる。
一の鳥居は東向きに立つ。
鳥居をくぐると筆塚。学問の神らしい。
そこから参道は南へ折れ、神門を通って西へ折れる。
四脚門の朱色の神門
正面には「天満宮」の扁額
後ろには漢詩の額が掛かっている。
全国的にも珍しい十五重の石塔が立つ。石材は金沢の坪野石という黒灰色で硬く、藩政期は藩石として独占された石を使用する。
拝殿に参る。初詣の小松七社めぐりの一社。
帰りに社務所で御朱印をいただく。
小松天満宮
石川県小松市天神町1
金沢市に鎮座する野間神社。御祭神は草野比売大神を主祭神とし、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩大神を配祀する。延喜式加賀郡の論社のひとつ。
藩政期は河北郡の総社であったといい、今は住宅地の中に鎮座する。
社殿は西向き。鳥居をくぐって階段を上る。
拝殿に参る。
境内は社叢が鬱蒼としていて、夏真っ盛りで蝉の鳴き声がかしましい。拝殿前の狛犬の足には蝉の抜け殻が付いている。よく見るといくつも付いている。
拝殿左に末社水神社
その左手に末社稲荷社
拝殿の右に社務所、その奥に宮司宅がある。宮司宅で御朱印をいただく。
野間神社
石川県金沢市小坂町東ツ1番地
七尾市に鎮座する大地主神社。御祭神は大山咋神、素盞嗚尊、伊許保止命。
春の青柏祭、夏の祇園祭は大地主神社の祭礼になる。
拝殿に参る。
拝殿右手に参集殿の山王閣と宮司宅がある。御朱印をいただく。
参道右に末社登口神社。川原町の氏神
拝殿左に末社菅原神社。塗師町の氏神
本殿の左に末社金刀比羅神社と火宮神社の合祀殿。
手水舎の隣に、背後に池があり水に関係する末社だろう。
本殿右は道知神社か?
大地主神社
石川県七尾市山王町1−13
立山の雄山山頂に鎮座する雄山神社峰本社。御祭神は伊邪那岐神、天手力雄神。延喜式新川郡比定社で越中国一宮、前立社壇、中宮祈願殿、峰本社の三社で構成される。
峰本社の開山期間は7月1日から9月30日まで。自動車は入山できないので、金沢駅からの夏山バス直行便を利用して室堂までやってきた。自由時間は5時間とたっぷりある。
運良く快晴に恵まれたので、立山の初登拝は気持ちよいものとなった。
途中残雪が登山道にも被さっている。
一ノ越の看板まで来た。新緑がまぶしい。
登山道に祓度社。強風で倒壊しないように石に埋もれている。
分岐の一ノ越山荘まで来た。ここまでは比較的楽な道だった。気温も下がってきたので一枚羽織る。
ここからはガレ場で斜度も急になる。
花が咲いていた。
石に埋もれた祠がひとつあった。
眼下には大きなミクリガ池とミドリガ池が見える。きれいな藍色だ。
空も青い。社務所が見えてきた。
2時間ほどで到着。
山頂の峰本社は行列だ。ここから先は有料になる。
参拝する。
いい景色だ。眼下には黒部ダム湖、遠くに剱岳や穂高岳が見える。富士山は雲に隠れていた。
社殿の右に「雄山山頂 標高3003m」の標石
社務所で御朱印をいただき、景色を撮りながらウロウロしていると一等三角点を見つける。
室堂ターミナルビルに戻ってきて、復元されたばかりの旧社殿(~平成7年)を見る。
今日は室堂を散策する余裕がなかった。次回は玉殿岩屋にも行ってみたい。
雄山神社峰本社
富山県中新川郡立山町芦峅寺立山峰一番地
小松市に鎮座する安宅住吉神社。御祭神は底筒男命、中筒男命、上筒男命を主祭神とし、少彦名命、別雷神を相殿に祀る。
表参道。社殿は社前を流れる梯川に向かって北東方向に向いている。
参道の途中に鳥居が立つ。
参道の左に神輿倉
神輿倉の手前に弁慶逆植松
拝殿に参る。初詣の小松七社めぐりの一社。
拝殿の右手前に神亀石。どうも頭が欠けているようだ。
拝殿左手前に稲荷社
稲荷社の前に勧進帳を読む弁慶像が立つ。
拝殿左に金刀比羅社
社殿の背後は史跡安宅の関址になっている。関乃宮、右に源義経公、左に関守富樫左衛門泰家公を祀る。
歌舞伎勧進帳の舞台として、義経・弁慶・富樫泰家の像がある。
安宅住吉神社
石川県小松市安宅町タ17
小松市に鎮座する菟橋神社。御祭神は菟橋大神と諏訪大神、菟橋大神は産土神。延喜式能美郡の比定社。
参道は東向きからやや南に傾いている。入口に石鳥居
参道を進むと木製の鳥居
拝殿に参る。初詣の小松七社めぐりの一社。
拝殿手前に末社粟嶋神社
本殿の左に末社巌之御魂神社(神明宮)
菟橋神社には本殿の背後に樹齢数百年をかぞえる老松二本があり古くからこれを牛若松、弁慶松という。今は牛若松のみ残るというが、神明宮の後ろの一際高い松の木がそれらしい。
拝殿右前に御神木の「昇龍の松」
本殿の右には複数の境内社が並ぶ。左より金刀比羅神社、須納谷白山社、稲荷神社、少彦名神社、荒御魂社、杖白山社。天神地祇神霊社もどこかにあるようだが分からなかった。
参集殿の菟橋会館では結婚式場にもなっているが、この中で御朱印をいただく。
今月は秋季大祭の西瓜祭が開催される。春季大祭は本折日吉神社と二社でお旅まつりとして子供歌舞伎が行われる。
西瓜祭にはかつて松尾芭蕉も立ち寄ったという。「しほらしき 名や小松ふく 萩すすき」の句碑が神社入口にある。
菟橋神社
石川県小松市浜田町イ-233
小松市に鎮座する本折日吉神社。御祭神は大山咋神。初詣の小松七社めぐりの一社。子供歌舞伎で有名な小松お旅まつりは菟橋神社と二社による春祭りである。
一の鳥居から二の鳥居、社殿と東向き
二の鳥居になる山王鳥居の右に参拝者用駐車場がある。
提灯の掛かる門をくぐれば境内に入る。
境内左に見ざる聞かざる言わざるの三猿。山王社の神使である猿が境内いたるところにいる。
屋根の上にも猿
三猿の前にも神猿
拝殿に参る。
境内社は四社。参道左手に日吉稲荷社
拝殿左に磐座と下照比咩社
その左に市杵島社(弁財天社)
拝殿右に金比羅社
最後に授与所で御朱印をいただく。
本折日吉神社
石川県小松市本折町1
加賀市に鎮座する加賀神明宮。御祭神は天照大神。
社号標には「山下神社」とある。山の下寺院群の一角に鎮座するので通称としてそう呼ばれているそうです。
大鳥居をくぐる。
境内入口に一の鳥居
階段を上りまっすぐ進むと神明宮の社殿が建つ。拝殿に参る。
拝殿左に鳥居と階段
入口に「白山五院 白山宮」とある。当社の創始は白山寺(白山比咩神社)の勢力下の白山五院のひとつ大聖寺の鎮守として白山妙理大権現を勧請した白山宮といい、
階段を上った一番高い平地に末社白山宮が鎮座する。
階段の途中から神明宮の本殿の屋根や境内が一望できる。
拝殿の右には旧御神木
その右に末社琴平神社
さらに右に末社松尾神社
一番右に末社橋姫神社が鎮座する。橋姫神社は明治32年に大聖寺織物業組合(現在の加賀市織物協同組合)によって京都から勧請したものという。
境内隅に「神龍山大聖寺 慈光院跡地」という碑が立つ。大聖寺が天文年間の兵乱で焼失したのち、慈光院として再建した。町名の由来ともなった大聖寺をもとにする同神社は大聖寺総氏神(守護神)を称しているようだ。
授与所に社務所の電話番号が書いてあったので御朱印について尋ねるとあるというので待っていた。加賀神明宮は大聖寺三社として正月には三社参りする風習が地元にあると聞いた。
加賀神明宮
石川県加賀市大聖寺神明町16甲
大野市に鎮座する春日神社。御祭神は天兒屋根尊。
社殿は西向き。春日通り商店街通りに面して一の鳥居。
境内入口に二の鳥居
拝殿に参る。
幣殿と本殿
拝殿の右前に良縁の樹が立つ。
杉と欅の根が何かの縁でつながっている御神木で、大野市の恋愛パワースポットで有名になった。
拝殿左に面谷神社
不明の境内社が一社。
拝殿右に春日不動
入口の宮司宅で御朱印をいただく。
春日神社
福井県大野市春日221-1
大野市に鎮座する篠座神社。御祭神は大己貴大神を主祭神とし、豊受姫神、少彦名命、木花開耶姫命を相殿に祀る。
延喜式大野郡の比定社で、かつて境内にあった大野郡糀神社の論社を合祀している。
篠座の「座」の「人人」の部分は「口ヌ」となっていて、旧字体でもないようだ。境内社の磐坐の「坐」も同じ。
社殿・境内は東向き。
一の鳥居から二の鳥居まで参道がまっすぐに延びる。
二の鳥居の背後には福井市では最高峰の飯降山が秀麗な姿を見せる。神奈備でもあるのだろう。
参道右に神馬堂と御神木堂。
神馬堂には黒い木馬と絵馬がたくさん掛けられている。
参道左に授与所。後ろに社務所兼自宅があり、帰りに御朱印をいただいた。
拝殿に参る。
拝殿には「篠座宮」の扁額が掛かる。
拝殿右の赤い鳥居をくぐると磐坐神社、御祭神は市杵島比売命。延喜式大野郡の論社のひとつ。
磐坐神社の鎮座する天女ヶ池には御霊水があり、眼病に霊験があるという。
本殿裏手を左にまわる。
若生子神社。真名川ダム建設のため移住した上若生子白山神社と下若生子白山神社、下若生子八幡神社を合祀する。
最左に温見白山神社。岐阜県との県境手前の温見村の鎮守で、集中豪雨による全村移住で遷座。
温見白山神社の前には神池があり、木々に囲まれて鬱蒼としている。
本殿のすぐ左に秋生神社。笹生川ダム建設のため移住した上秋生白山神社と下秋生八幡神社を合祀している。
最右に官祭大野招魂社、戊辰の役のご英霊の大野藩士十一柱を祀る。
篠座神社
福井県大野市篠座42−5