「17石川県の神社」カテゴリーアーカイブ

能登羽咋 八幡神社

八幡神社

羽咋市の八幡神社。御祭神は応神天皇、三足比咩命。現在は羽咋神社の飛び地境内となっている。三足比咩命は石衝別命の妃であり、姫塚の御祭神である。別の資料を参照すると、相殿は石衝別命、三足比咩命、石城別王など羽咋神社の御祭神を祀っているとするものもある。

八幡神社

境内は長者川の西岸にあるが、もとはJR羽咋駅前の東岸に鎮座していた。

八幡神社

駅前の拡張工事により昭和37年に現在地に遷座したという。

八幡神社

八幡神社の鎮座した場所は「八幡の森」といい、石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

八幡神社

境内の御神木はその森の一部なのか、森から移されたものなのか、かなり大きな木で良い日陰となっていました。

八幡神社
石川県羽咋市川原町

能登羽咋 羽咋神社元宮

羽咋神社元宮

JR羽咋駅前はもと「八幡の森」と呼ばれ、八幡神社が建っていました。昭和37年の駅前拡張工事で移転されたそうです。八幡神社が延喜式内社の羽咋神社の論社となっているので、元宮のあったこの地が旧地と言われるようです。

羽咋神社元宮

「剣塚」は羽咋神社の御祭神、石衝別命の剣を埋めた場所と言われ古墳があったようです。

羽咋神社元宮

八幡の森はまた石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

羽咋神社元宮

羽咋と言えば、氣多大社と妙成寺、千里浜、そしてUFOです。
駅前には千里浜の砂で作った像が飾られていました。
大相撲の遠藤関に、宇宙人、そして先日飲み鉄旅で能登に来ていた六角精児さんの砂像がありました。

羽咋神社元宮(旧社)
JR羽咋駅前 剣塚

能登珠洲 柳田神社

柳田神社

珠洲市に鎮座する柳田神社です。御祭神は菅原道真公、天照大神、伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理媛神、大山咋神、天児屋根命。周辺の神社を多く合祀しているようで、天満宮、神明宮、白山神社、日吉神社、三輪神社系あたりの神社を合祀したのでしょうか。元々の神は柳田大明神と呼ばれ、在地の神だったのかもしれません。

御朱印は本殿裏の自宅のほうでいただきました。

柳田神社

道路を挟んで向かいの公園に旗を立てるようになっています。

柳田神社

拝殿に参拝します。

柳田神社

拝殿内には周辺にある曳山の模型が飾られていました。昔はこの神社でも出ていたのかもしれません。

柳田神社

向かいの公園に戻ります。公園の先にはすぐ海が広がります。昔は社頭にすぐ浜が広がっていたことでしょう。

柳田神社

これだけ海が近いにもかかわらず、住吉三神や宗像三神の海上安全や豊漁を祈るような神は御祭神となっていません。このあたりが神社の創始に係わるキーとなるのかもしれませんね。

右前方に見えるのは珠洲の観光スポットでもある見附島です。

柳田神社
珠洲市上戸町南方フ45

加賀金沢 野蛟神社

野蛟神社

野蛟神社(ぬづちじんじゃ)は、天平3年(731)に創立と言われる古社。御祭神は高皇産靈神、猿田彦神、事代主命、野椎神。加賀郡延喜式内社野蛟神社の比定社。

神社の云われについて、「当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流行し、毎日のように住民が病に倒れ、亡くなる人がでた。そうした時白髪の老人が現れ、『自分の言う通りに従えば、衆人一切を救ってしんぜよう。』と言うので、住民は老人の教える通りに行った処、不思議にも病気が治ってしまった。この老人は『ヌヅチの神である、永く祭祀(イツキマツルこと)せよ。』と言い残し“龍(アマレリ)”に乗って天上雲間に消えた。そこで住民は、その地に神社を創立して祀ったのが起りである」と伝えられている。

さて、ヌヅチとは何か?「蛟」は「みつち」と呼び、龍や蛇のような水神を指すようだ。当地が水に恵まれた地である証であろう。

野蛟神社

現在は境内のまわりを住宅地に囲まれ、窮屈な感じがある。

野蛟神社

前は道路は狭いが頻繁に車が行き来する。

野蛟神社

境内北川を川が流れる。水量も多く、流れも速い。

野蛟神社

拝殿に向かう。

野蛟神社

横に社務所を備えるが常駐はなく、御朱印は期待できない。

野蛟神社

狛犬は対で阿吽になっているが、珍しく伏せている。体の模様が周辺の祭りでさかんな獅子舞を想起させる。

野蛟神社

拝殿と社務所の間にご神木が立っている。

野蛟神社

参拝の後、拝殿を見学していると、木鼻が赤く装飾されていてこれもまた珍しい。

野蛟神社

ご本殿は一段高くなっている。

野蛟神社

境内にはツバキがちょうど見頃を迎えていた。小さな神社ながら境内には芭蕉の句碑もあり、見どころは多い。

野蛟神社
金沢市神谷内町ヘ1

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加賀金沢 郡家神社

郡家神社

郡家神社は加賀郡延喜式内社郡家神社の論社。御祭神は大巳貴命。郡支配の拠点となり郡家が置かれていたため郡家神社と名付けられる。

当地は北国街道から小原越の分岐点に位置し、現在も南砺市と金沢市を結ぶ幹線道路が通る交通の要地である。

御朱印は常駐していないのでおそらくないかと。

郡家神社

集落から神社へ延びる道。社標には「延喜式内」の文字が書かれている。

郡家神社

神社は集落よりも一段の高台に鎮座している。

郡家神社

ご神木のなっている樹齢1000年以上の欅(右)の他、高木が多い境内。

郡家神社

別名「薬師の宮」と言われ、古来清水の湧き出る地であった。

郡家神社

拝殿は雪囲いを兼ねたサッシに覆われているが、これが開かない。ということで外から参拝。

郡家神社

ご本殿

郡家神社

境内はちょうどツバキが咲き誇っていました。

郡家神社

高台にある境内からはちょうど北陸新幹線の高架が見えたので、しばらく待っていると新幹線通りました。在来線に比べるとやはり静かだ。

郡家神社
金沢市吉原町チ83

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加賀河北 小濱神社元宮跡

小濱神社 元宮跡

小濱神社は、養老2年南小濱の松林中(黒津船地内)に転遷したと伝えれている。黒津船とは「コクル船」を意味し、高句麗、つまり朝鮮製の船のことらしい。高句麗の遺臣が建国した渤海国の使節がこの地に着いたこともあり、朝廷より「黒津船大権現」を賜り、「黒津船権現が鎮座する森」から権現森と称している。主祭神は大己貴命。

小濱神社 元宮跡

入口の看板を見つける。

小濱神社 元宮跡

そこからまっすぐに海岸に向かって道が延びる。

小濱神社 元宮跡

日本海に向かって開けた場所に元宮跡がある。夕日がきれいな場所だが、荒天のときは横風が強い場所で社殿の管理が大変だったことは容易に想像できる。

小濱神社 元宮跡

権現森内でも数度の転遷があったようで、ここは正徳4年(1714)に5代藩主綱紀が修築した社殿跡だそう。

小濱神社 元宮跡

標柱1本と辺りに礎石が残っている。

小濱神社 元宮跡

礎石には柱の穴跡が残るものも多数ある。

小濱神社 元宮跡

石灯籠の傘も転がっている。転遷前に壊れて放棄されたものだろうか。

小濱神社はこの地から再度権現森で転遷し、五郎島を経て現在地の大根布に遷座した。

着弾地観測所

元宮跡から北に数十m行くと、着弾地観測所が残されています。この建物は昭和28年内灘砂丘が米軍の特需砲弾試射場として使用されていたときに、発射された砲弾の目標への的中率と着弾を確認した施設です。

着弾地観測所

建物内からは日本海がよく見えます。藩政期までの宮跡と近代遺産が同居している長く重要な地であった。

小濱神社元宮の夕日

今日は最高の夕日でした。ここは日本海を見渡す最高のロケーションですよ。
(2015/4/27追加)

小濱神社 元宮跡
石川県河北郡内灘町宮坂(権現森)
現在地 石川県河北郡内灘町大根布3丁目157

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加賀金沢 御馬神社

御馬神社

御馬神社は三馬郷の総社として古代より崇拝されてきました。祭神は保食神、天照大神、応神天皇、式内社御馬神社の比定社である。明治39年に田中社と八幡社を合祀したとされるので、応神天皇はそのときに合祀されたものか。

管理は遠く金沢北部の神社なので御朱印はないでしょう。

御馬神社

住宅街の広がる中に社叢があります。

御馬神社

現在の金沢市久安は三馬郷の一部。

御馬神社

境内には神馬像、獅子像、灯籠など奉納物が多い。

御馬神社

本殿は拝殿より一段高く建てられています。

御馬神社

境内社として稲荷社があります。中世、守護代富樫氏の崇敬も厚く、下屋敷のあった久安に御馬稲荷を勧請したとされ、その分霊をして浅野川稲荷神社を創立したとされています。この稲荷大明神が御馬稲荷でしょうか。

御馬神社
金沢市久安1丁目178

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加賀金沢 馬替神社

馬替神社

馬替神社は900年代の建立とされ往古より崇拝された神とされる。祭神は、伊弉名冊神、大国主命、武御名方神、保牟多和気神。御朱印はないみたいです。

馬替神社

元は白山神社と称していたが、明治11年現社号に変更されました。

馬替神社

扁額は鳥居の石製のみ。

馬替の地は、守護代富樫氏の居館があった野々市に南接し、詰めの城高尾山(高尾城)の行き来の途上、必ず社参したと言われています。

馬替神社

鳥居をくぐり参道を通ると、境内の入口にもう1つ社号標があります。

馬替神社

ご神木は本殿右に杉の大木があったようですが、倒木の恐れがあり切り倒されたようです。そうなるとこの入口左の木が今は目立ちますね。

馬替神社

手水舎には

馬替神社

珍しく絵馬が奉納されていました。

馬替神社

拝殿にお参り

馬替神社

入口脇の神馬像の裏に由緒が書かれていました。

馬替神社

馬替の名と通り、古代中世には馬を替える駅があったところという。

馬替神社
金沢市馬替3丁目219

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加賀金沢 少名彦神社

少名彦神社

少名彦神社は金沢市田上の山麓に鎮座しています。この地域は近年金沢大学の門前町として住宅地が広がってきました。祭神は少名彦神。式内社「神田神社」の論社のひとつです。

少名彦神社

住宅に挟まれ奥まった場所に、多くの大木のある鎮守の森を形成しています。

少名彦神社

入り口の鳥居横には石標が2本。1つは旧村社少名彦神社。

少名彦神社

もう1つは式内神田神社です。

少名彦神社

鳥居は2つ。それぞれに扁額が架けられています。

少名彦神社

一の鳥居の扁額は「少名彦神社」

少名彦神社

二の鳥居の扁額は読み取りづらくなっていますが「菅原神社」??
道真公はこの神社の祭神になっていないだろうと思いきや、調べてみると祭神になっていました。菅原性を名乗る前田家の治世となった近世以降に合祀されたのかもしれません。

少名彦神社

杉の木がそそり立つ参道や社殿まわりの雰囲気は気持ちが引き締まります。当日は雪の風にのって吹き荒ぶような天候で、木々もミシミシと音を立てて揺れていて非常に恐ろしく、荒ぶる神が降臨という状況でしたが、帰り際にわずかな時間晴れたので、その間に写真撮影をやり直しました。神の存在を感じる参詣となりました。

少名彦神社

拝殿横に社務所ありましたが無人でした。御朱印は本務社に他社の御朱印がなかったのでないでしょう。

少名彦神社
石川県金沢市田上本町タ23

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加賀金沢 郡家神社

郡家神社

郡家神社は金沢市鈴見町にある式内社「郡家神社」の論社のひとつです。御祭神は菊理姫命です。

目印は郡家山公園で、すぐ隣りに神社が見えるのですが、境内にはぐるっとまわらないと行けません。

郡家神社

一度公園から階段を少し降りてまた上ります。小高い場所にありますので景色はいいです。今日は終始雪模様だったので、晴れた日の景色はまた格別だと思います。

郡家神社

階段の奥に鳥居が見えます。

郡家神社

階段を上ると鳥居脇に手水舎、前に拝殿が見えます。

郡家神社

参拝を済ませ、境内を散歩しました。拝殿の両側に高い木がそびえ立ち、隣りに社務所もありますが無人でした。本務社は他の御朱印はなかったので御朱印はありません。

郡家神社

拝殿左の小山に階段があったので上っていくと、

郡家神社

石廟がありました。年代はわかりませんでしたが、古くからの信仰の地だったようです。

郡家神社

反対側の大木には注連縄が巻かれたご神木が、幹周り3メートルはあろうかという立派な木でした。

郡家神社
石川県金沢市鈴見町ニ145

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加賀金沢 長田菅原神社

長田菅原神社

長田菅原神社は、延久元年(1069)諸国に一国一社宛天満宮を造営する旨の勅宣が下り、加賀国において長田に天神社が建立されたと伝えられる。祭神は菅原道真公、社号を「長田天満宮」と称したが、明治6年に「長田菅原神社」と改め、村社に列せられました。

長田菅原神社は城めぐりをする人にはちょっと知られた存在であり、その理由は拝殿が金沢城の東照宮護摩堂を移築したものであり、数少ない建築遺構となっています。平成3年補修作業により、鮮やかな朱塗りの社殿が蘇りました。

長田菅原神社

道路に面した一の鳥居。実は4回目です。最初は修復後の拝殿を見るために、2回目以降は御朱印をいただきに来たのですが、なかなかご縁がありませんでした。御朱印は境内のご自宅でいただけます。以前は社号は墨書きでしたが、宮司さんが手を煩ったということで判に変わっています。

長田菅原神社

一の鳥居をくぐると参道右にご神木があります。境内は広いとは言えませんが、大木が数本あります。

長田菅原神社

拝殿前に二の鳥居があります。鳥居前に灯籠2基、拝殿前に狛犬が対になっています。社号標は「長田天満宮」となっています。

長田菅原神社

灯籠の建立は安政年間。

長田菅原神社

冬期は風雪から拝殿を守るため雪囲いされた拝殿に入ると「天満宮」の扁額を見ることができます。

長田菅原神社

拝殿内に「長田菅原神社」の扁額。

長田菅原神社

拝殿前に天満宮といえば牛。道真公?が背中に乗っています。

長田菅原神社

境内に小松砂丘謹書の石碑が建立されています。裏書きを読むと氏子の方の古希記念で建てられたようです。

長田菅原神社

境内にはもう一社。稲荷社があります。

長田菅原神社

その隣には神輿舎。ガラス越しに神輿が見えるのは珍しいですね。

長田菅原神社

拝殿脇にも大木。隅に・・・・

長田菅原神社

石祠と対の狛犬が残っています。詳細はよくわからないのですが、神仏混淆時代には七堂伽藍が建ち並んでいた頃もあったようで、その名残かもしれません。

長田菅原神社

狛犬はかなり崩れてしまっていますが、左は足のほうがまだ判別できます。

長田菅原神社

石祠の中央の穴には何があったのか?なかったのか?正面の仏像も崩れて判別できませんが、この場所は特別な雰囲気がします。

訪れるなら雪囲いのない春から秋にかけてがよいと思いますが、道真公といえば学問の神様。忙しいのはやはり冬かな?

金沢市長田1丁目5番3号

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加賀能美 狭野神社②

狭野神社

狭野神社は加賀国能美郡の式内社に比定される古社です。地域一帯は九谷焼の盛んな地域であり、境内に陶工を祀る神社も建てられています。

旧県社という社格なので無住ということはないと思い、正月に再訪問しました。ちょうど社務所から当番のかたが出ていらしたので話を聞いてみました。

狭野神社

一の鳥居と境内までの参道脇が駐車場となっています。

狭野神社

境内は鳥居の連続です。

狭野神社

前回はなかったのですが、拝殿入り口に御朱印所が設置されていました。聞いたところによると、ディアゴスティーニの「週刊日本の神社」に掲載されてから参拝者が増えて、御朱印の問い合わせも増えたということらしいのです。

狭野神社

旧県社だけあって扁額は立派です。

狭野神社

御朱印は自分で社名印、神紋印、社印の3つを押印します。

狭野神社

順序がわからなかったのですが、後片付けをしていると蓋の下に押印例がありました。

狭野神社

違う順序で押してしまいましたが、自分の順のほうが見栄えいいと思いますが。

狭野神社

もうひとつ、境内の陶器製の神馬を三回なでながら願い事を唱えると願いが叶うと教えていただいたので願ってきました。触ってはいけないところが多いですからね。

能美市佐野町ノ88-2
須天熊野神社兼務社

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加賀金沢 石浦神社②

石浦神社

金沢市に鎮座する石浦神社。御祭神は大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神、天兒屋根大神、市杵島姫大神、誉田別大神。

石浦神社

西日を背に受け境内に入る。

石浦神社

拝殿に参る。

石浦神社

武田友月の彫刻はやはり目立つ。

石浦神社

社務所で御朱印をいただく。兼務社の泉野菅原神社の御朱印も一緒にいただく。
マスコットキャラきまちゃんの未年バージョンファイルを購入した。

石浦神社
石川県金沢市本多町3丁目1−30

加賀金沢 尾崎神社

尾崎神社

金沢市に鎮座する尾崎神社。御祭神は天照大神、徳川家康公、前田利常公。

尾崎神社

社殿は金沢城跡の北に西向きに鎮座する。徳川家康の孫でもある加賀藩四代前田光高が、金沢城北の丸に東照大権現を祀ったのが創始。

尾崎神社

本殿・拝殿は東照宮の建物を移築したもので、彫刻も凝っている。冬の間は風雪から守るため朱色の雪囲いがされる。

尾崎神社

拝殿に参る。拝殿の戸には葵紋が付いている。

尾崎神社

拝殿右手の社務所兼自宅で御朱印をいただく。留守のことも多く、今回5度目の参拝でようやくいただけた。

尾崎神社
石川県金沢市丸の内5−5

加賀金沢 小橋菅原神社

小橋菅原神社

金沢市に鎮座する小橋菅原神社。御祭神は菅原道真公。

小橋菅原神社

片町のビル街の中に埋もれて存在する。入口に社号標が立つが、ビル下のトンネルが参道になる。

小橋菅原神社

拝殿に参る。

小橋菅原神社

天満宮といえば牛

小橋菅原神社

扁額には菅原道真公の他、稲荷神と金比羅神を配祀することが書かれている。

小橋菅原神社
石川県金沢市片町2丁目23−6

加賀金沢 泉野菅原神社(泉野天満宮)

泉野菅原神社

金沢市に鎮座する泉野菅原神社。加賀藩2代藩主前田利長の正室永姫の菩提寺玉泉院の鎮守であり、前田家の始祖菅原道真公を祀る天満宮であったことから、泉野天満宮とも呼ばれる。御祭神は菅原道真公を主祭神としているが、永姫が織田信長公の4女(5女とも)であったことから元主家の織田信長公を秘かに祀った。

泉野菅原神社

社殿は北北東向き。社前は寺町寺院群の六斗の広見。

泉野菅原神社

2000年に火災により社殿を焼失し、2012年に新築された本殿と拝殿一体の社殿。

泉野菅原神社

拝殿に参る。
泉野菅原神社は兼務社となっており、石浦神社で御朱印をいただいた。

泉野菅原神社(泉野天満宮)
石川県金沢市野町3丁目15-8

加賀金沢 泉八幡神社

泉八幡神社

金沢市に鎮座する泉八幡神社。御祭神は応神天皇を主祭神とし、大山咋命を配祀する。

泉八幡神社

社殿は東向き。

泉八幡神社

社前には旧北陸街道が通る。

泉八幡神社

鳥居をくぐると参道沿いにイチョウが植えられている。秋には境内が黄色に彩られる。

泉八幡神社

拝殿に参る。

泉八幡神社

拝殿には「泉八幡神社」の他に「日吉神社」の扁額が二枚掛かる。昭和38年犀川ダム建設に伴い、見定町の日吉神社、倉谷町の日吉神社、二又新町の多賀神社を合祀しており、その日吉神社二社のものか。

泉八幡神社

拝殿入口には大きな絵馬が掛けられている。

泉八幡神社

拝殿左に境内末社。桃畠天満宮の菅原道真公、石坂角場の稲荷神、芦中町の金毘羅神、泉町の恵比須・大黒天を祀る合祭殿となっている。

泉八幡神社

拝殿右の社務所兼自宅で御朱印をいただく。御朱印をお願いすると、印を2つ持ってこられて自由に押してくださいと言われ、社号印を中央に、参拝記念印を右上に押してみた。

泉八幡神社
石川県金沢市泉1丁目3-8

加賀金沢 泉野桜木神社

泉野桜木神社

金沢市に鎮座する泉野櫻木神社。御祭神は応神天皇を主祭神とし、天照大神を相殿に祀る。

泉野桜木神社

社殿は東向き。社号標は東のみだが、鳥居は南北にもある。

泉野桜木神社

参道を行くと、拝殿前に御神木の大イチョウ。

泉野桜木神社

拝殿に参る。

泉野桜木神社

拝殿には多くの絵馬が掛けられている。この絵馬は11面に分かれているが、何かの由緒を絵馬にしたものか。

泉野桜木神社

二枚組の絵馬も。題材はよくわからない。
境内の宮司宅で御朱印を尋ねたが授与していなかった。

泉野桜木神社
石川県金沢市泉野町3丁目15−14

加賀金沢 牛坂八幡神社

牛坂八幡神社

金沢市に鎮座する牛坂八幡神社。御祭神は応神天皇、大山咋命、少彦名之命。

牛坂八幡神社

社殿は南向き。鳥居と社号標が境内入口に建つ。

牛坂八幡神社

拝殿前に狛犬一対が奉安されている。

牛坂八幡神社

拝殿に参る。社殿は昭和50年に新築されて、まだ新しい感じが残る。

牛坂八幡神社

拝殿右手の手水舎の横に盤持石が奉納されている。
境内に宮司宅があり、御朱印をいただいた。

牛坂八幡神社
石川県金沢市旭町1-17-50

能登珠洲 須須神社奥宮遙拝所

須須神社奥宮遙拝所

珠洲市に鎮座する須須神社奥宮遙拝所。

須須神社奥宮遙拝所

須須神社の奥宮は山伏山山頂に鎮座する。本宮の髙座宮・金分宮は三崎町の管理、奥宮は狼煙町の管理ということで、狼煙町にある道の駅狼煙に隣接して鎮座している。社殿は東向きであり、南の山伏山の方角を向いていないのは少し気になる。

須須神社奥宮遙拝所

拝殿に参る。扁額と社号標には「式内 須須神社奥宮遙拝所」と書かれている。

須須神社奥宮遙拝所
石川県珠洲市狼煙町ヘ

能登珠洲 須須神社奥宮

須須神社奥宮

珠洲市の山伏山山頂に鎮座する須須神社奥宮。御祭神は美穗須須見命、武甕槌命、經津主命、天兒屋根命、姫大神。延喜式珠洲郡湏湏神社の論社。

須須神社奥宮

ランプの宿入口のバス停の向かい側に奥宮への入口の鳥居が建つ。

須須神社奥宮

鳥居の横には社号標「式内 須須神社奥宮」

須須神社奥宮

鳥居の下に奥宮まで0.8キロの案内板

須須神社奥宮

晩秋の参道は紅葉も終盤であった。

須須神社奥宮

中間にまた鳥居が建っている。

須須神社奥宮

森の中に社殿が見えてきた。

須須神社奥宮

拝殿に参る。

須須神社奥宮

拝殿の後ろに本殿が建つ。

須須神社奥宮
石川県珠洲市三崎町寺家10-11-2

能登珠洲 須須神社金分宮

須須神社金分宮

珠洲市に鎮座する須須神社金分宮。御祭神は木花咲耶姫命。延喜式珠洲郡湏湏神社の論社。

須須神社金分宮

少し集落の中に入ると鳥居が見えてくる。金分宮は姫神を、髙座宮は男神を祀ると言われる。

須須神社金分宮

鳥居と社号標、狛犬と基本的な構成の境内入口。

須須神社金分宮

一歩入ると、火袋を失った燈籠。入口付近はイチョウが多く、参道もこの時期は銀杏の実で埋め尽くされ、踏まずに進むのが大変だった。

須須神社金分宮

緩やかな上りの参道を進むと、拝殿が見えてくる。多くの根がむき出しになっていて、地を這う蛇かムカデのようだ。

須須神社金分宮

拝殿に参る。

須須神社金分宮

拝殿後ろに御垣に囲まれて本殿が建つ。

須須神社金分宮
石川県珠洲市三崎町寺家ツ105

能登珠洲 須須神社高座宮

須須神社高座宮

珠洲市に鎮座する須須神社高座宮。御祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊、美穗須須見命。延喜式珠洲郡湏湏神社の論社。近くの金分宮と合わせて須須神社を構成する。

須須神社高座宮

海に面して大鳥居が建つ。

須須神社高座宮

大鳥居の先に一の鳥居

須須神社高座宮

参道は右に曲がって二の鳥居。二の鳥居前が駐車場となっている。一の鳥居横に「縣社 須須神社」の社号標が建つ。

須須神社高座宮

二の鳥居をくぐると神橋があるが、参道は横を行く。

須須神社高座宮

参道は社叢に囲まれ、少し薄暗い。

須須神社高座宮

参道の途中、社務所がある。

須須神社高座宮

階段の先に社殿が見えてきた。

須須神社高座宮

階段途中、左に境内社の白山社。

須須神社高座宮

拝殿に参る。

須須神社高座宮

拝殿右に宝物殿。木造男神像や源義経寄進の蝉折れの笛、弁慶寄進の守刀などの宝物が収蔵される。見学は事前予約が必要。

須須神社高座宮

拝殿と宝物殿の間から本殿が見える。帰りに社務所で御朱印をいただく。

須須神社高座宮
石川県珠洲市三崎町寺家4-2

能登珠洲 須受八幡宮

須受八幡宮

珠洲市に鎮座する須受八幡宮。御祭神は品陀和気命、息長帯比売命、比売大神を主祭神とする。

須受八幡宮

社殿は南向き。境内入口に鳥居と社号標

須受八幡宮

鳥居をくぐると左に額殿と神輿殿が合わさった建物が建っている。

須受八幡宮

左手に手水舎。その後ろ、右に須受八幡宮の宮司宅、左に羽黒神社の宮司宅が並ぶ。

須受八幡宮

右に能舞台。明治初め頃までは薪能が行われていたが、今は例祭に人形を飾るのみになっている。県内ではこの能舞台を含め、明治以前の能舞台は2つしかない。

須受八幡宮

右手に社務所

須受八幡宮

拝殿に参る。

須受八幡宮

拝殿右に境内社が一社。

須受八幡宮

拝殿左に宝物殿

須受八幡宮

宮司は外出中だが昼前には戻ると言われ、近くの正院川尻城跡を見学して再訪する。
御朱印をいただいたときに、残り部数が少なくなったという貴重な能面の載った神社案内をいただいた。その後、能舞台の中も見せていただく。

須受八幡宮

境内入口の鳥居は二の鳥居で、一の鳥居はまっすぐ海に出るところに建っているというので見に来た。

須受八幡宮

鳥居の前に幟立てがある。一の鳥居からのまっすぐな参道が残っているのは貴重だ。

須受八幡宮
石川県珠洲市正院町正院20−3甲

能登珠洲 羽黒神社

羽黒神社

珠洲市に鎮座する羽黒神社。御祭神は倉稲魂命を主祭神とし、菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冊命を相殿に祀る。

羽黒神社

住宅地の中を進むと南向きに鎮座する。入口に鳥居と社号標

羽黒神社

拝殿に参る。

羽黒神社

拝殿は開放されていて、中は清涼としている。

羽黒神社

左の絵馬

羽黒神社

右の絵馬

羽黒神社

拝殿左に斎館、その左に祭具庫と神輿庫が建っている。
宮司宅は少し南に行ったところの須受八幡宮の宮司宅隣。今日は残念ながら外出中であった。

羽黒神社
石川県珠洲市正院町小路16-102

能登珠洲 春日神社

春日神社

珠洲市に鎮座する春日神社。御祭神は武甕槌大神、経津主大神、天児屋根大神、比咩大神を主祭神とする。

春日神社

社殿は南向き。鳥居と社号標、鳥居の前に神橋がある。

春日神社

参道の途中、右手に社務所が建つ。

春日神社

階段途中に大伴家持の歌碑が建っている。天平20年に越中国司として能登(その時代は越中国に含まれる)を巡回したときに珠洲から船出するときに詠んだ歌という。

春日神社

拝殿に参る。

春日神社

鈴がとても大きい。

春日神社

拝殿の左手に末社愛宕神社への参道

春日神社

愛宕神社の前に鳥居。両側に大きな杉が立つ。

春日神社

拝殿から右手、宮司宅に続く小道。境内は清浄が保たれ、常に手をかけている雰囲気がある。

春日神社

小道途中の御神木の杉。宮司宅で御朱印をいただく。

春日神社
石川県珠洲市飯田町17−50

能登輪島 石倉比古神社

石倉比古神社

輪島市に鎮座する石倉比古神社。御祭神は天手力男命、天石門別神。延喜式鳳至郡の論社。

石倉比古神社

岩倉寺の車道参道の入口に「式内 郷社石倉比古神社」の社号標が建つ。

石倉比古神社

駐車場に車を停め、階段を上る。

石倉比古神社

岩倉寺本殿

石倉比古神社

本殿裏の庭園にまわりこみ、背後の斜面を見上げると

石倉比古神社

そこに社殿が建っている。

石倉比古神社

参拝後に岩倉山山頂まで登ってみたが、山頂は視界が開けていなかった。写真は途中、西側に視界が開けたところの景色

石倉比古神社
石川県輪島市町野町西時国16-8-乙

能登輪島 白山神社

白山神社

輪島市に鎮座する白山神社。御祭神は菊理媛命。延喜式鳳至郡辺津比咩神社の論社。

白山神社

海岸沿いの集落の中、北向きに鎮座。階段両側に「村社 白山神社」と「奥津姫神社」の社号標が建つ。最近消防の放水訓練が行われたらしく、階段にホースが干してある。奥津姫神社のある舳倉島と七ツ島は藩政期名舟村の領有で、白山神社は奥津姫神社の遙拝所でもあった。

白山神社

社前の海岸には鳥居が建っている。7月31日・8月1日の例祭では沖の鳥居まで奥津姫神社の神様を送迎する。また、名舟村は中世上杉謙信軍の侵攻に由来する御陣乗太鼓の地でもある。

白山神社

急な階段を上る。

白山神社

拝殿に参る。

白山神社

拝殿の背後の斜面上に本殿が見える。

白山神社

さらに急な階段を上る。

白山神社

本殿に参る。

白山神社

拝殿前からは眼下に名舟漁港が見え、その先に岩倉山が見える。

白山神社

拝殿からは木が邪魔になるが、階段途中からは鳥居の先に日本海と、天気が良ければ七ツ島が見える。

白山神社

拡大すると地平線に七ツ島が見える。

白山神社
石川県輪島市名舟町ト64乙

能登輪島 櫟原北代比古神社

櫟原北代比古神社

輪島市に鎮座する櫟原北代比古神社。御祭神は天照大神、大日本彦耜友尊、湍津姫神、氣長足姫命を主祭神とする。延喜式鳳至郡鳳至比古神社と美麻奈比古神社の論社。

櫟原北代比古神社

社殿、参道は南向き。日本海に突き出た岬がまるごと社叢となり、中に社殿が建つ。参道入口に社号標が建つ。

櫟原北代比古神社

社叢の前に鳥居が建っている。

櫟原北代比古神社

拝殿に参る。

櫟原北代比古神社

拝殿をのぞいてみると広々と、また整然としている。

櫟原北代比古神社

拝殿裏にまわると、階段の先に本殿が見える。

櫟原北代比古神社

本殿覆屋

櫟原北代比古神社

社前は海岸沿いに県道が走り、すぐ南に山の斜面が迫ってきている。

櫟原北代比古神社
石川県輪島市深見町40-60乙町

能登輪島 住吉神社

住吉神社

輪島市に鎮座する住吉神社。御祭神は底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后。延喜式鳳至郡鳳至比古神社の論社。

住吉神社

社殿は東向き。入口に鳥居と社号標

住吉神社

境内の隅に「前田中納言殿御休跡」という平石がある。説明がないので詳細がわからないが、前田利家が能登国領主となったときに輪島に来たのか?

住吉神社

拝殿に参る。拝殿は平成23年に火事で焼失し、平成26年に再建されたので新しい。

住吉神社

狛犬は勇ましい姿

住吉神社

拝殿右に市姫社。社殿が石製で石臼の上に燈籠の笠が乗っている。

住吉神社

境内の右方の社務所兼自宅で御朱印をいただく。

住吉神社
石川県輪島市鳳至町鳳至丁1