「17石川県の神社」カテゴリーアーカイブ

能登小田中 能登臣御祖神社 神池

能登臣御祖神社

中能登町小田中の能登臣神社神池。現在は水は枯れている。

通りかかったときに見かけて撮影したものだが、神社の社殿はどこに?
ということで調査してみました。

能登臣祖神社は、もと親王社と呼ばれ親王塚(崇神天皇皇子大入杵命墓)上に社殿があったようだ。この塚が明治8年に、能登臣の遠祖と言われる大入杵命(崇神天皇の皇子)の御墓だと治定されてから社殿を塚の傍らに移した。その後明治41年に久志伊奈太妓比咩神社に合祀され、白久志山御祖神社と改称された。

往古、小田中に邑知潟から続く平野を挟んで、雨の宮古墳群を控える能登部あたりの一族に対抗する一族が住んでいたということだろう。

能登久江 久氐比古神社②

久氐比古神社

中能登町の久氐比古神社(くてひこじんじゃ)。「て」の字は「氏」の下に「一」。
御祭神は久延毘古神、天目一箇神、火産霊神。旧県社で延喜式内社です。
久氐比古神社の元の神は、案山子である田や山の神である久延毘古神、鉄の鋳造の神である天目一箇神の二柱といわれる。火産霊神は江戸末期に地域住民の守護神であった愛宕神社の神を合祀したものである。

久氐比古神社

夕方の神社。誰もいない境内を再び訪れたのはあらためて御朱印をいただいたからです。
旧県社ではあるが、現在は兼務社となっているため普段は誰もいない。

御朱印は兼務している天日陰比咩神社でいただけます。
という情報を「石川県版道の駅 2016春号」で知りました。

久氐比古神社

神社は集落奥の山のほうにあるため、坂を登ります。

久氐比古神社

境内の梅が咲き始めていました。

久氐比古神社

拝殿にお詣りしようと思いましたが、サッシが閉まっていました。
午前8時から午後1時まで(第2・第4水曜日休み)参拝できるそうです。

久氐比古神社

本殿はさらに一段高くなっています。

久氐比古神社

境内の社務所には、境内社として貴船神社、諏訪神社、櫛神社が祀られている。

久氐比古神社(くてひこじんじゃ)
石川県鹿島郡中能登町久江ヘ66

能登二宮 天日陰比咩神社②

天日陰比咩神社

中能登町の天日陰比咩神社。主祭神は天日陰比咩大神、屋船久久能智命の二柱。
前回の参拝は秋だったか。カメムシがたくさんいたんですよ。

天日陰比咩神社

往古は境内に天日陰比咩神社と伊須流支比古神社の二社が鎮座していたことから、集落を二宮といい神社名も二宮大明神と呼ばれたようだ。石動山の伊須流伎比古神社は当社の御分霊と伝えられ、能登国二の宮に指定された。

天日陰比咩神社

みくりやは酒造りの祖神といわれる大三輪の神が祀られ、今でもどぶろくを醸造していて12月5日の新嘗祭(どぶろく祭り)と正月三が日に参拝者に振る舞われます。

天日陰比咩神社

二本の御神木の間を通り、拝殿にお詣りします。

天日陰比咩神社

境内社の天神稲荷社は菅原道真公の天神社と宇迦御魂神の稲荷神社が合祀されている。

天日陰比咩神社

手水舎の横の鎮座石の表面には大小2つの穴があいており、天狗の足跡と伝えられています。

天日陰比咩神社

境内にはまだ雪が残っており、日陰とはいえやはり山深いところです。

天日陰比咩神社

椿のきれいな季節です。春はもうすぐ

天日陰比咩神社

御神木は立派な巨木です。

天日陰比咩神社

社務所の前の楓は「いろは楓」と呼ばれ、西と南に大枝を延ばし、別名「龍髭楓(りゅうしゅかえで)」といわれる。

天日陰比咩神社

上に向かって延びる梢が龍の髭に見えるということで、この二本それらしく見えますね。

天日陰比咩神社
石川県鹿島郡中能登町二宮子甲8

能登輪島 重蔵神社③

重蔵神社

輪島市の重蔵神社。御祭神は天冬衣命、大国主命など
以前重蔵神社単独の御朱印はいただきましたが、「石川県版 道の駅 2016春号」に八社巡りの御朱印が書かれていたので、気になって行ってきました。

重蔵神社

八社とは重蔵神社と、その境内にある子安神社、秋葉神社、金比羅神社、白山神社、稲荷神社、菅原神社(たぬき天神)、要石のこと

重蔵神社

お詣りする社のみ選択できるという話でしたが、八社すべてお詣りすることにしていただきました。

重蔵神社

3ページにわたる御朱印になります。御朱印代は千円です。
広げると重蔵神社を中心に境内社が鳥の羽のように広がっていきます。

重蔵神社

正面は南ですが、今日は街中から続く西から境内に入ります。

重蔵神社

入口に新しく看板が立てられました。由緒の案内板作ったんですね。

重蔵神社

まずは主祭神をお祀りした拝殿にお詣りします。

重蔵神社

御朱印を書いていただく間に七社巡りをします。

子安神社
安産祈願、子育て、良縁(縁結び)祈願

重蔵神社

金比羅神社
大漁祈願、海上安全、交通安全

重蔵神社

境内に咲く椿の花。小さくかわいい花です。

重蔵神社

秋葉神社
火防(鎮火)、水難、厄払(厄除)

重蔵神社

白山神社
五穀豊穣、商売繁盛

重蔵神社

稲荷神社
商売繁盛、五穀豊穣

重蔵神社

菅原神社(たぬき天神)
芸能、スポーツ、学問

重蔵神社

菅原神社になぜたぬきなんでしょうか

重蔵神社

お社の中にもたぬき
これは一度調べてみないと

重蔵神社

要石
地震除けの守護神

これで八社すべてにお詣りしました。

重蔵神社

実は重蔵神社にはもう1つ御朱印があります。
重蔵神社から朝市通りをまっすぐ進んで端まで行くと、角に産屋があります。
ここにあるんですが、朝市の開催時間のみ開いているそうで再度出直しです。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-69

能登馬蝶 春日神社②

春日神社

珠洲市馬蝶の春日神社。昨秋のキリコ祭り以来です。
御祭神は天児屋根命、武甕槌命、経津主命、比咩大神。

春日神社

前を通ったら、のぼり旗が立っていたので春祭りの準備かなと思い、寄りました。

春日神社

今日は天気悪いですが、拝殿が開いています。

春日神社

旗の重りのさるぼぼが愛らしいです。

春日神社

拝殿に上がらせていただきます。

春日神社

前回は気が付きませんでしたが、木製の狛犬が飾られています。

春日神社

文化財の神像2体です。前回は集落の方がいらしたので、ゆっくり鑑賞できませんでしたが、よく見ると彩色が所々残っています。

春日神社

そして、山上の本殿へ。最初は本殿は拝殿裏にあるものだと思っていましたが、前回祭りの途中で山上に明かりが点っているのに気が付いて、あー上にあるんだと知りました。

春日神社

本殿も開いていたので中を見せていただきました。
これまた以外にも本殿は2棟ありました。造りからすると同時代のものとは思えなかったので、おそらく2世代の本殿が納められているだと思います。

春日神社
石川県珠洲市馬緤町9-1甲

加賀寺井 奧野八幡神社

奧野八幡神社

能美市寺井の奧野八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、少彦名命、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神、高良玉垂命。

寺井には往古石清水八幡宮や南禅寺の荘園があったと言われ、土着した結城氏が寺井の奥城に奧乃社を祀ったのが始まりと言われる。明治に入り、寺井地内の少彦名命社、八幡社、春日社と合祀し、奧野八幡神社と改称されました。

ということで、御祭神の少彦名命が少彦名命社、応神天皇、神功皇后、比咩大神が八幡社、武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神が春日社の祭神ということになるでしょうか。奥乃社の御祭神は高良玉垂命ということか、合わせて八幡神も祀られていた可能性はあるが、土着した結城氏が南朝方の忠臣であったことと関係しているのか。

奧野八幡神社

旧寺井町の総社的存在であったので広い境内です。もとは町内に神職がいましたが、現在は兼務社となっています。

奧野八幡神社

境内には摂社や奉納物、祈念碑が所狭しと並んでいます。
この社は祭神が不明

奧野八幡神社

九谷彦三記功碑の横の御神木前に石祠があります。太陽と月を模した窓、中に磐座らしき石、隣県福井ではよく見かける石祠ですが、県内では珍しいものです。

奧野八幡神社

境内社天満宮。御祭神は菅原道真公
本社の御祭神一覧には菅原道真公は上がっていないが、明治41年の合祀は地内五社とあり、残りの一社が境内社の天満宮だったのか、このあたりは再調査が必要です。

奧野八幡神社

天満宮の横にまた石祠。筆塚とありますが、石祠の中はかなり風化していますが仏像のようです。
このあたりは神仏習合の名残なのかもしれません。

奧野八幡神社

境内には宝物館もあり、九谷庄三作冨士越の竜図大皿、初代善平作神苑の鳩図陶板などが納められているようです。

奧野八幡神社

社殿は寺井町一の大社らしく荘厳な建物です。

奧野八幡神社

境内には能美市指定文化財となっている七重塔があります。

朝鮮出兵のとき、前田家家臣が持ち帰ったという説と、加藤清正が持ち帰って利家に贈呈したという説があるが、当時は二基で一対だったとされ、もう一基は兼六園の海石塔だと言われています。また、海石塔と一体で十三重塔だという説もあります。

利常が小松城に移したこの塔を、廃藩置県のときに寺井村の綿屋平蔵氏が買収し、村民挙げて運搬したという記念すべき塔です。

奧野八幡神社
能美市寺井町リ15乙

加賀平加 安産日吉神社

安産日吉神社

美川の安産日吉神社(やすまるひよしじんじゃ)。御祭神は大山咋神、大巳貴命の二柱。
平加は往古「比楽(ひらか)」と呼ばれ、延喜式にも見える重要な湊でした。神社も比楽湊にあったと言われていますが、度重なる洪水に悩まされ現在地に遷座したと言われます。

安産日吉神社

西の日本海に向かって延びる参道前の第一鳥居

安産日吉神社

参道を進んで境内入口の第二鳥居

安産日吉神社

境内は北が一段低くなっていて、丘陵の北辺にあたります。

安産日吉神社

そのため風が強く砂が飛ばされるのか、境内の松は自然に根上がり松となっています。

安産日吉神社

祭神とは別に、当神社は女性の奉納品の多さから女性の神様とも言われ、本吉の藤塚神社とは雄神、雌神の関係とも伝えられ、おかえり祭りは雄神である藤塚神社から雌神である安産日吉神社のもとへ訪れる祭りだという逸話があるそうです。

安産日吉神社

「安産」は「あんざん」とも読めるため、現在は安産の神様として祈願する女性も多いそうです。

安産日吉神社
白山市平加町ル90

加賀本吉 藤塚神社

藤塚神社

美川の藤塚神社です。御祭神は大山咋神、大巳貴命、天照大神の三神。
美川は元藤塚と呼ばれ、山王社が勧請されてから藤塚山王社と称した。神仏分離により本吉日吉社、藤塚日吉社と改称し、石川県庁が移転されたから官員遙拝所となった。最終的に現在の藤塚神社となる。

神社標の「塚」の字は土偏がなく、旧字体の「冢」が正式名のようですが、御朱印も「塚」ですね。
御朱印は隣接する社務所でいただきました。

藤塚神社

社頭は現在西向きで日本海に向かっている。北前船で賑わった町らしい。その頃は本吉と呼ばれていました。

藤塚神社

鳥居脇にある案内板によると、右方の角は「山王辻」と呼ばれたようです。

藤塚神社

石垣の隅石に刻印があり、「几号水準点」というらしく、高低測量の基準点だそうです。
北陸地方では極少ないと書かれており、確かに見た記憶がありません。

藤塚神社

拝殿に詣ります。

藤塚神社

扁額の文字は前田家13代斉泰公の御染筆

藤塚神社

樹齢450年の大欅はこの地方でも最古の巨木です。

藤塚神社

境内には明治六年に造営された金比羅社

藤塚神社

少し離れた市街地にある春季例大祭おかえり祭りの御旅所である高浜宮

藤塚神社

高浜宮の境内には祭りの山車の保管庫が建っています。

藤塚神社

奥に御旅所の仮宮の建物があり、ここが最近新築されたようです。新しい建物です。

藤塚神社

仮宮だからか普段はやはり賽銭箱など詣る場所は開放されていませんね。

藤塚神社
石川県白山市美川南町ヌ167

能州鳳至柿生 像石神社 石仏山祭(例祭)

像石神社

像石神社(かたいわじんじゃ)で3月2日に行われる石仏山祭に行ってきました。
御祭神は大巳貴命、少名彦命。像石神社で調べても全く参考資料が出てきませんが、本日の祭りのなかの祝詞に入っていた神社名であり、字を神職さんに教えていただきました、

社殿がなく、磐座に対して祭祀を行う県内でも大変珍しい神社です。

像石神社

集落から太鼓を先導に神職と村人が続きます。

像石神社

雪の中、集落の山の神、田の神である石仏山に向かいます。

像石神社

石仏山は「祭祀遺跡 石仏山」として県史跡指定を受けています。

像石神社

しばらく上ると、「女人禁制」の立て看板。現在でも聖域として男性のみで祭りは行われます。

像石神社

磐座の手間で木に注連縄を張り、鳥居代わりとします。

像石神社

「前立」と呼ばれる磐座の前に着くと、注連縄をかけ、祭りの準備をします。
前立は大巳貴命の依代とされ、高さ約3メートル、幅60センチの巨石で左右に低石が立てられています。
神社名でもある像石とは磐座のことで、男性器を模しているとか。

さらに上方に「唐戸」「奥立」という巨石があり、少名彦命の依代だとか。今日は雪深いのでこちらは後日にでも。

像石神社

磐座の前には贄(米と野菜)と鏡、榊の枝にろうそくを刺し、神事が始まります。

像石神社

途中隣りに移動して、かまどとして火をおこし、やかんに米を投入して祝詞を捧げます。

像石神社

今日は神事の間だけ大雪でした。まるで神が降臨しているようで、ここ数年としては希有な年だったとか。
とても貴重な体験でした。

像石神社
石川県鳳珠郡能登町柿生(石仏山)

加賀金沢 金沢神社③

金沢神社

金沢市の兼六園に隣接する金沢神社。兼六園がまだ竹沢御殿と呼ばれた頃、前田家の祖先としていた菅原道真公を祀った城の鎮守として建てられました。

金沢神社

最近、毎月25日の天神月次祭に特別な御朱印を授与するようになったので、再度いただいてきました。
25日のみ2ページ目の朱印(朱色ではないけど)が追加されます。最初は「天神月次祭」と墨書きしていたようですが、現在はこの形式に落ち着いたようです。

金沢も北陸新幹線が開通してから御朱印の授与数が飛躍的に増えたということなので、2度、3度と訪れてもらうのには良いことかと思います。京都のように季節ごとに違う御朱印があるのはやり過ぎだと思いますが、もともとある祭りに連携したものはアリですね。

中央の印は「こちふかば にほいおこせよ うめのはな あるじなしとて はるをわするな」という道真公が詠んだ和歌です。左隅に月(今月は「如月」)と金城霊澤の印が押されています。いただいたときに神職さんからは特に説明がなかったので、先にいただいていた方も特別な日だとは思っていないでしょうから、墨書きもなくなったので天神月次祭の日くらいは補足してもよいかと思います。

実は通常の御朱印もいつの間にか変わっていました。「金」の墨書きの一部に金箔が付きました。豪華になりました!

金沢神社

2月25日は道真公の命日だとか。北野天満宮では祭りが行われているようです。
今は受験シーズン真っ只中ですから、絵馬が所狭しと並んでいました。

金沢神社では12月の終い天神と1月の初天神が中でも特別なもので、藩政期はこの間武家では天神堂を各家で飾りました。

金沢神社

朱色の鳥居は前田家鎌倉邸にあった稲荷社が、こちらの稲荷社に合祀されたときに寄付されたものです。
ちなみに稲荷社は境内社で本殿に合祀されているわけではありません。15日には稲荷月次祭が行われています。

他に1日に御祭神の白蛇大神の白蛇月次祭が行われていますが、今のところ1日、15日は特に別の御朱印があるわけではないとのことでした。

金沢神社

境内には印に押された金城霊澤があり、「金沢」の命名起源となった場所とも言われています。

金沢神社

御朱印と一緒に道真公のしおりが付いてきます。白蛇大神は金運を向上するということで、1つ頒布していただきました。白いのが300円、水晶が1000円ということで、価値はどうあれ白蛇さんが透き通っているのもどうかと思いましたので、私は白蛇さんで金運向上をお祈りします。

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

加賀一の宮 白山比咩神社③

白山比咩神社

白山市の白山比咩神社。加賀一の宮。御祭神は菊理媛神、伊弉諾尊、伊弉冉尊の三柱。
もう何度も御朱印いただきましたが、神社用の御朱印帳の最初のページは一の宮と決めているので、今年最初の参拝も兼ねて行ってきました。

白山比咩神社

今日はあいにくの大雨だったので、人もまだらだったからか、いつも御朱印は巫女さんが書いてくれるのですが、今日は神職さんが書いてくれました。いつもよりしっかりとした墨書きでうれしい。

白山比咩神社

来年は白山開山1300年の記念年ということで楽しみです。

白山比咩神社
石川県白山市三宮町

能登門前 櫛比神社

櫛比神社

輪島市門前の櫛比神社です。御祭神は大名牟持命と少名彦命。元は総持寺の関係神社だったようです。

櫛比神社

境内は階段を上り1段上になりますが、広くはありません。付近が住宅地になった時に崖地が造成されたのかもしれません。

櫛比神社

階段を上って曲がって本殿があるので、今の鳥居の位置は本来の位置ではないのかもしれません。

櫛比神社

万歳楽土という神事で有名な神社ですが、神事はやはり神仏習合的要素があります。

櫛比神社

本殿左のご神木の近くに小さな摂社がありますが、祭神がはっきりしません。赤い鳥居なので稲荷神社でしょうか。

櫛比神社

階段を上った正面はむしろこの摂社です。三社が祀られていて、左から秋葉神社、金比羅神社、菅原神社。

櫛比神社

御朱印は鳥居横の社務所兼自宅でいただけます。ただ留守なことも多く、自分は何度か空振りだったので正月三日に再訪しました。

櫛比神社
輪島市門前町門前1-甲1

能登松波 松波神社

松波神社

能都町松波に鎮座する松波神社。御祭神は松波神と気長足姫命。
松波は室町時代には松波畠山氏が居城松波城に京風の枯山水庭園を作ったりしていた地です。

松波神社

駐車場はありませんが、歩道が広いのでちょっと駐車して参拝します。

松波神社

正月なので鳥居には正月飾りが飾られています。

松波神社

少し登りながら参道を歩くと拝殿に着きます。

松波神社

拝殿と本殿は弊殿でつながり奥行きがあります。

松波神社

弊殿には古い能面が飾られていました。加賀前田家の支配下にあった時代に、能登でも能がおこなわれたようですが今は完全に廃れてしまいました。

松波神社

外から弊殿と本殿を見るとこうしてつながります。鳥居から段々に、拝殿、弊殿、本殿と高くなっています。

御朱印はちょうど帰ってこられた宮司さんに聞きましたが、授与していないということでした。

松波神社
鳳珠郡能登町字松波28-2

能登小木 御船神社

御船神社

能登町小木の海を見渡せる丘陵上にある御船神社(みふねじんじゃ)の御祭神は猿田比古神。

御船神社

春の伴旗祭り、秋の袖キリコ祭りという2つの祭礼が有名で多くの観光客が集まります。

御船神社

伴旗祭りのクライマックスで船が列をなす小木港を見下ろす位置でもあります。

御船神社

奥能登の神社では正月に旗を立てる神社がまだ複数見られました。

御船神社

昨年キリコ祭りで来たときは神社に到着したのは暗くなってからだったので、明るいときに来ると思いの外広い境内です。

御船神社

正月三日でしたが、拝殿には宮司さんが待機されていましたので御朱印のことを聞きましたが、今は授与されていないそうです。前の宮司は授与されていたのかもしれません。にしても、今は残念ながら授与されていないということでした。

御船神社
鳳珠郡能登町字小木10-97

能登七尾 宿那彦神像石神社(旧地)

宿那彦神像石神社

熊淵川の河口部にかつて宿那彦神像石神社は鎮座していました。御祭神は少名彦神。

宿那彦神像石神社

現在は少し北に行った丘の上に遷座されています。

宿那彦神像石神社

この熊淵川を遡れば阿良加志比古神社が鎮座しています。

宿那彦神像石神社

東浜の漁港からは晴れた日海越しに立山連峰が見えます。きれいに見えるのは冬の寒暖の差の少ない寒い日の午前中らしいです。

元宮なので何もないものと思っていましたが、小祠があると知り、後日再訪しました。

宿那彦神像石神社

場所は河口部の丘の上(一枚目の向かいの丘、二枚目の橋の右・北側)です。以前はこの敷地にJAの支店があったようです。

宿那彦神像石神社

1枚岩の磐座が祀られています。

宿那彦神像石神社
七尾市黒崎町

能登七尾 宿那彦神像石神社

宿那彦神像石神社

七尾市の海岸沿いの海食崖の山上に鎮座する宿那彦神像石神社です。御祭神は少彦名神、健御名方命。
名前から少彦名神の石製の神像が祀られていたのかと想像しましたが、由緒は神鏡二面を祀っていたようです。

社は兼務社となっており御朱印はありません。

宿那彦神像石神社

正面の小山に神社は鎮座しています。

宿那彦神像石神社

参道はかなり急です。

宿那彦神像石神社

坂に続いて急な階段を上ります。

宿那彦神像石神社

社殿にお詣りします。

宿那彦神像石神社

周辺を見渡すと石製の変わった奉納物があります。いつの頃のものかわかりませんが、仏教色も感じられる奉納物なので藩政期のものでしょうか。

宿那彦神像石神社

本殿のうえは整地されて見晴台となっています。

宿那彦神像石神社

今日は天気が良かったので、海越しに冠雪した立山を見ることができました。

宿那彦神像石神社
七尾市黒崎町ヘ28-3

能登七尾 阿良加志比古神社

阿良加志比古神社

七尾に鎮座する阿良加志比古神社。御祭神は阿良加志比古神。
延喜式内社の「阿良加志比古神社」の比定社で、宿那彦神像石神社の論社でもあります。

阿良加志比古神社

山里の狭い道を上ってようやく社頭に到着しました。

阿良加志比古神社

社殿には長い階段を上らなくてはいけません。

阿良加志比古神社

階段途中に末社の東枝神社があります。御祭神はわかりません。

阿良加志比古神社

階段を上り詰めて拝殿に参拝します。

阿良加志比古神社

拝殿横に杉の巨木があります。非常に立派なご神木です。

阿良加志比古神社

このご神木が、大幡神、阿良加志比古神の降臨した五本杉のようです。

阿良加志比古神社

広い境内を掃除されていた宮司さんに自宅で御朱印をいただきました。手を止めてしまって申し訳なかったです。

阿良加志比古神社
七尾市山崎町カ35

能登七尾 松尾天神社

松尾天神社

七尾にある松尾天神社です。御祭神は少名毘古神、菅原道真公。

御朱印は境内に隣接する自宅の方でいただけます。前回の参拝時は宮司が不在で、今回も不在でしたが、午後に戻られると聞いて再訪問していただきました。

鎮座する地は七尾城のあった山々から平野に延びるひとつの尾根の先端部で、湾全体を見渡せる要地です。元は薬師天神と呼ばれた寺院であり、薬師如来がご本尊だったようですが、神仏分離により神社に復飾して松尾天神社となりました。神仏習合時の薬師如来を少名毘古神と同体として病気平癒を祈願していたのかもしれません。

松尾天神社

市街地から離れた場所にあるため、現在でも広い境内と長い参道が残っています。

松尾天神社

少名毘古神、菅原道真公を御祭神としていますが、本殿には元は少名毘古神(薬師如来)のみを祀っていたものと思われます。賽銭箱の神紋は菅原道真公の北野天満宮の神紋、梅鉢紋ではなく、前田家の家紋、剣梅鉢紋です。

松尾天神社

拝殿隣に立派な筆塚があります。

松尾天神社

末社として天満宮があり、こちらに菅原道真公が祀られています。菅原道真公が末社の祭神や相殿の扱いになっていないのは、藩政期に前田家の庇護を受けていたからかもしれません。

松尾天神社
七尾市矢田町ヌ7甲

能登七尾 松尾神社

松尾神社

七尾市の松尾神社。御祭神は天照大御神と豊宇気毘売神。
松尾神社といえば酒造りの神で大山咋神なのだが、この社はかつて松尾山神明宮と称していたようで、松尾はいわゆる寺の山号ということになるのだろう。

松尾神社

途中の案内板は「神明宮松尾神社」となっており、御朱印の墨書きもそう書いていただいたのだが、社頭の神社標は「神明神社」となっている。

松尾神社

前の道路を挟んで川が流れており、その先の丘には前田利家が築城した小丸山城がある。

松尾神社

正面本殿の御祭神は天照大御神ということになるのだろう。

松尾神社

左に境内社として稲荷神社が建っており、こちらに豊宇気毘売神が祀られている。

松尾神社

何度か移転をしているようで、現在地には昭和46年に来たようだ。
御朱印は隣接する社務所兼自宅でいただいたのだが、行った時は留守だったので夕方にもう一度寄っていただきました。やはり朱印は「神明宮」となっています。

松尾神社
石川県七尾市所口町リ3

加賀金沢 尾山神社②

尾山神社

金沢市の尾山神社。御祭神は前田利家公、前田まつ。
今回は金沢お宮さんめぐりで再訪し御朱印をいただいてきました。今回も巫女さんが書きました。

尾山神社

青空です。

尾山神社

暑い昼下がり。人がほとんどいませんでした。

尾山神社

社務所前にはんこが置いてあります。

尾山神社

ちょうど境内で発掘調査が行われていました。新しい授与所を建てるみたいですが、境内は旧金谷御殿であり、金沢城の一部でもあるので屋敷か庭園の石垣が残っています。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

加賀金沢 金沢神社②

金沢神社

金沢市の金沢神社。金沢お宮さんめぐりのため、再度御朱印をいただいてきました。
今回も宮司さんが書いてくれました。やはり迫力のある見惚れる墨書きですね。

御祭神は菅原道真公、白蛇大神、そして加賀前田家12代前田斉広公、13代前田斉泰公となります。

金沢神社

真夏の暑い1日ですが、さわやかな青空です。

金沢神社

境内の放生池には蓮の花

金沢神社

では参拝に向かいましょう。

金沢神社

夏休みということもあって、参拝者もひっきりなしに来ます。

金沢神社

あらためて拝殿内を見ていると、斉広公御筆の絵馬が掛けられています。奥に「天満宮」の扁額も掛けられています。藩政期は鎮守として天満宮と呼ばれていたんでしょうね。

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

白山山頂 白山比咩神社奥宮

霊峰白山の山頂に鎮座する白山比咩神社の奥宮。今日は初めてそこを目指す。

奥宮の御朱印は室堂の祈願殿でいただける。四種類の印から選択して一冊に一つのみ授与される。墨書きは何も言わなければ「霊峰白山」になる。「白山奥宮」をお願いした場合の印は自動的に「白山比咩神社」となる。

登山シーズンに入ると、車は市ノ瀬に停めてバスで登山口の別当出合まで行く。一番バスに乗るために暗い内に到着する。月が明るく照らしている。

バス停へ行くと、すでに行列ができていた。

バスで20分ほど揺られてようやく登山口へ。まだ薄暗いが5時過ぎにスタート

砂防新道の登山道では多くの高山植物が迎えてくれた。
タカネナデシコ

ウズラバハクサンチドリ

オオバミゾホオズキ

キヌガサソウ

南竜ヶ馬場との分岐をエコーラインへ。今年はまだ登山道に残雪が残っている。

テガタチドリ

コイワカガミ

シナノキンバイ

谷間に残る残雪。ここが最後の難関のようだ。

ミヤマダイモンジソウ

カラマツソウ

延命水

黒ボコ岩までやってきた。

頂上が近づいてきた。笹の中を木道を進む。

10時過ぎ室堂に到着。5時間以上かかった。やはり体力不足のようだ。

祈祷殿は再来年2017年の白山開山1300年に向けて建て替え中。仮殿で御朱印をいただく。

祈祷殿の裏手にクロユリが咲いていた。白山を象徴する花、初めて本物を見た。

さらに奥宮に向かって登る。高度が上がっているので高山病の症状も出てきている。下山のバスの時間も気になるので、今日はここまで。高天ヶ原で引き返す。

帰りは黒ボコ岩から観光新道を下る。
ニッコウキスゲとハクサンフウロ

クルマユリ

ササユリ

別当出合には4時前に到着。市ノ瀬には4時30分前に着き、初めての白山登拝は終了した。

羽咋七塚 羽咋神社御祭神ゆかりの地めぐり

羽咋七塚

羽咋市には羽咋神社を中心に、この地方を平定した第11代垂仁天皇の皇子石衝別命、妃の三足比咩命、子の石城別王にまつわる塚が7つ点在している。

羽咋七塚

「大塚」
羽咋神社の境内にあり、神社の御祭神石衝別命の御陵墓とされる。陵墓の盛土のために唐戸山のくぼみができたと伝わり、その場所で唐戸山神事相撲が行われる。

羽咋七塚

「大谷塚」
羽咋神社の境内にあり、御祭神石衝別命の子、石城別王の御陵墓とされる。

羽咋七塚

「水犬塚」
滝崎に棲む怪鳥を石衝別命が射落とされた時、命に従った白、黒、斑の三匹の犬が怪鳥との死闘の末、羽根をくわえて現れ力尽きたことから「羽喰(はくい)」の地名が起こったと伝えら、この三匹の犬と怪鳥の墓だと伝えられる。

羽咋七塚

「宝塚」
石衝別命が亡くなった時、その遺品や埴輪などを埋めた所だと伝わる。

羽咋七塚

「姫塚」
石衝別命の妃、三足比咩命の陵墓だと伝わる。明治31年の七尾線開通工事で移転したそうなので、元の場所はもっと東の方にあったようだ。

羽咋七塚

「剣塚」
石衝別命の剣を埋めた所と伝わり、八幡の森の中にあった。八幡神社は駅前拡張工事で移転されたが、ここは石衝別命の屋敷跡だと言われている。

羽咋七塚

「痛子塚」
石衝別命の妃、三足比咩命が病気になられた時に、悲しみのあまり亡くなった王女の陵墓と伝わる。

能登羽咋 八幡神社

八幡神社

羽咋市の八幡神社。御祭神は応神天皇、三足比咩命。現在は羽咋神社の飛び地境内となっている。三足比咩命は石衝別命の妃であり、姫塚の御祭神である。別の資料を参照すると、相殿は石衝別命、三足比咩命、石城別王など羽咋神社の御祭神を祀っているとするものもある。

八幡神社

境内は長者川の西岸にあるが、もとはJR羽咋駅前の東岸に鎮座していた。

八幡神社

駅前の拡張工事により昭和37年に現在地に遷座したという。

八幡神社

八幡神社の鎮座した場所は「八幡の森」といい、石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

八幡神社

境内の御神木はその森の一部なのか、森から移されたものなのか、かなり大きな木で良い日陰となっていました。

八幡神社
石川県羽咋市川原町

能登羽咋 羽咋神社元宮

羽咋神社元宮

JR羽咋駅前はもと「八幡の森」と呼ばれ、八幡神社が建っていました。昭和37年の駅前拡張工事で移転されたそうです。八幡神社が延喜式内社の羽咋神社の論社となっているので、元宮のあったこの地が旧地と言われるようです。

羽咋神社元宮

「剣塚」は羽咋神社の御祭神、石衝別命の剣を埋めた場所と言われ古墳があったようです。

羽咋神社元宮

八幡の森はまた石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

羽咋神社元宮

羽咋と言えば、氣多大社と妙成寺、千里浜、そしてUFOです。
駅前には千里浜の砂で作った像が飾られていました。
大相撲の遠藤関に、宇宙人、そして先日飲み鉄旅で能登に来ていた六角精児さんの砂像がありました。

羽咋神社元宮(旧社)
JR羽咋駅前 剣塚

能登珠洲 柳田神社

柳田神社

珠洲市に鎮座する柳田神社です。御祭神は菅原道真公、天照大神、伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理媛神、大山咋神、天児屋根命。周辺の神社を多く合祀しているようで、天満宮、神明宮、白山神社、日吉神社、三輪神社系あたりの神社を合祀したのでしょうか。元々の神は柳田大明神と呼ばれ、在地の神だったのかもしれません。

御朱印は本殿裏の自宅のほうでいただきました。

柳田神社

道路を挟んで向かいの公園に旗を立てるようになっています。

柳田神社

拝殿に参拝します。

柳田神社

拝殿内には周辺にある曳山の模型が飾られていました。昔はこの神社でも出ていたのかもしれません。

柳田神社

向かいの公園に戻ります。公園の先にはすぐ海が広がります。昔は社頭にすぐ浜が広がっていたことでしょう。

柳田神社

これだけ海が近いにもかかわらず、住吉三神や宗像三神の海上安全や豊漁を祈るような神は御祭神となっていません。このあたりが神社の創始に係わるキーとなるのかもしれませんね。

右前方に見えるのは珠洲の観光スポットでもある見附島です。

柳田神社
珠洲市上戸町南方フ45

加賀金沢 野蛟神社

野蛟神社

野蛟神社(ぬづちじんじゃ)は、天平3年(731)に創立と言われる古社。御祭神は高皇産靈神、猿田彦神、事代主命、野椎神。加賀郡延喜式内社野蛟神社の比定社。

神社の云われについて、「当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流行し、毎日のように住民が病に倒れ、亡くなる人がでた。そうした時白髪の老人が現れ、『自分の言う通りに従えば、衆人一切を救ってしんぜよう。』と言うので、住民は老人の教える通りに行った処、不思議にも病気が治ってしまった。この老人は『ヌヅチの神である、永く祭祀(イツキマツルこと)せよ。』と言い残し“龍(アマレリ)”に乗って天上雲間に消えた。そこで住民は、その地に神社を創立して祀ったのが起りである」と伝えられている。

さて、ヌヅチとは何か?「蛟」は「みつち」と呼び、龍や蛇のような水神を指すようだ。当地が水に恵まれた地である証であろう。

野蛟神社

現在は境内のまわりを住宅地に囲まれ、窮屈な感じがある。

野蛟神社

前は道路は狭いが頻繁に車が行き来する。

野蛟神社

境内北川を川が流れる。水量も多く、流れも速い。

野蛟神社

拝殿に向かう。

野蛟神社

横に社務所を備えるが常駐はなく、御朱印は期待できない。

野蛟神社

狛犬は対で阿吽になっているが、珍しく伏せている。体の模様が周辺の祭りでさかんな獅子舞を想起させる。

野蛟神社

拝殿と社務所の間にご神木が立っている。

野蛟神社

参拝の後、拝殿を見学していると、木鼻が赤く装飾されていてこれもまた珍しい。

野蛟神社

ご本殿は一段高くなっている。

野蛟神社

境内にはツバキがちょうど見頃を迎えていた。小さな神社ながら境内には芭蕉の句碑もあり、見どころは多い。

野蛟神社
金沢市神谷内町ヘ1

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加賀金沢 郡家神社

郡家神社

郡家神社は加賀郡延喜式内社郡家神社の論社。御祭神は大巳貴命。郡支配の拠点となり郡家が置かれていたため郡家神社と名付けられる。

当地は北国街道から小原越の分岐点に位置し、現在も南砺市と金沢市を結ぶ幹線道路が通る交通の要地である。

御朱印は常駐していないのでおそらくないかと。

郡家神社

集落から神社へ延びる道。社標には「延喜式内」の文字が書かれている。

郡家神社

神社は集落よりも一段の高台に鎮座している。

郡家神社

ご神木のなっている樹齢1000年以上の欅(右)の他、高木が多い境内。

郡家神社

別名「薬師の宮」と言われ、古来清水の湧き出る地であった。

郡家神社

拝殿は雪囲いを兼ねたサッシに覆われているが、これが開かない。ということで外から参拝。

郡家神社

ご本殿

郡家神社

境内はちょうどツバキが咲き誇っていました。

郡家神社

高台にある境内からはちょうど北陸新幹線の高架が見えたので、しばらく待っていると新幹線通りました。在来線に比べるとやはり静かだ。

郡家神社
金沢市吉原町チ83

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加賀河北 小濱神社元宮跡

小濱神社 元宮跡

小濱神社は、養老2年南小濱の松林中(黒津船地内)に転遷したと伝えれている。黒津船とは「コクル船」を意味し、高句麗、つまり朝鮮製の船のことらしい。高句麗の遺臣が建国した渤海国の使節がこの地に着いたこともあり、朝廷より「黒津船大権現」を賜り、「黒津船権現が鎮座する森」から権現森と称している。主祭神は大己貴命。

小濱神社 元宮跡

入口の看板を見つける。

小濱神社 元宮跡

そこからまっすぐに海岸に向かって道が延びる。

小濱神社 元宮跡

日本海に向かって開けた場所に元宮跡がある。夕日がきれいな場所だが、荒天のときは横風が強い場所で社殿の管理が大変だったことは容易に想像できる。

小濱神社 元宮跡

権現森内でも数度の転遷があったようで、ここは正徳4年(1714)に5代藩主綱紀が修築した社殿跡だそう。

小濱神社 元宮跡

標柱1本と辺りに礎石が残っている。

小濱神社 元宮跡

礎石には柱の穴跡が残るものも多数ある。

小濱神社 元宮跡

石灯籠の傘も転がっている。転遷前に壊れて放棄されたものだろうか。

小濱神社はこの地から再度権現森で転遷し、五郎島を経て現在地の大根布に遷座した。

着弾地観測所

元宮跡から北に数十m行くと、着弾地観測所が残されています。この建物は昭和28年内灘砂丘が米軍の特需砲弾試射場として使用されていたときに、発射された砲弾の目標への的中率と着弾を確認した施設です。

着弾地観測所

建物内からは日本海がよく見えます。藩政期までの宮跡と近代遺産が同居している長く重要な地であった。

小濱神社元宮の夕日

今日は最高の夕日でした。ここは日本海を見渡す最高のロケーションですよ。
(2015/4/27追加)

小濱神社 元宮跡
石川県河北郡内灘町宮坂(権現森)
現在地 石川県河北郡内灘町大根布3丁目157

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加賀金沢 御馬神社

御馬神社

御馬神社は三馬郷の総社として古代より崇拝されてきました。祭神は保食神、天照大神、応神天皇、式内社御馬神社の比定社である。明治39年に田中社と八幡社を合祀したとされるので、応神天皇はそのときに合祀されたものか。

管理は遠く金沢北部の神社なので御朱印はないでしょう。

御馬神社

住宅街の広がる中に社叢があります。

御馬神社

現在の金沢市久安は三馬郷の一部。

御馬神社

境内には神馬像、獅子像、灯籠など奉納物が多い。

御馬神社

本殿は拝殿より一段高く建てられています。

御馬神社

境内社として稲荷社があります。中世、守護代富樫氏の崇敬も厚く、下屋敷のあった久安に御馬稲荷を勧請したとされ、その分霊をして浅野川稲荷神社を創立したとされています。この稲荷大明神が御馬稲荷でしょうか。

御馬神社
金沢市久安1丁目178

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