「17石川県の神社」カテゴリーアーカイブ

加賀金沢 尾山神社④

尾山神社

金沢市の尾山神社。

尾山神社

先月に続き、6月の御朱印をいただいてきました。

尾山神社

午前中は雨が降り、ようやく梅雨らしい天候でしたが、そのためか境内は人もまばらでした。

尾山神社

6月は車輪の真ん中に剣梅鉢紋が配置されています。4回目に初めて男性の神職に墨書きしていただきました。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

加賀金沢 八幡神社(四坊高坂町)

八幡神社

金沢市の四坊高坂町に鎮座する八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神。
往時は田近山の村々の合同地で大村だったといい、波自加彌神社の奥社とも元社とも伝えられる。

八幡神社

黄金清水の霊水から東に50mほど、山に向かって階段が延びる。

八幡神社

上っていくと杉の大木が見えてくる。

八幡神社

二手に大きく分かれて育ち、後世に落雷で裂けたようだ。

八幡神社

拝殿入り口から90度曲がって建つ本殿。地形的理由でこういう建て方になったか。

八幡神社

拝殿右に地蔵堂が残っている。大きな石像だった。

八幡神社
石川県金沢市四坊高坂町

加賀金沢 波自加彌神社元宮跡 黄金清水

波自加彌神社元宮跡

金沢市四坊高坂町の黄金清水の霊水。

波自加彌神社元宮跡

波自加彌神社からは数キロしか離れていないが、山を一気に上り数軒の集落に至る。

波自加彌神社元宮跡

黄金清水の前には近年案内看板が立てられた。周辺は波自加彌神社の元宮跡と伝えられている。

波自加彌神社元宮跡

村人により整備されたという池には大きな水芭蕉と今が見頃の蓮が植えられている。静かな村に池の蛙の鳴き声が喧しい。

波自加彌神社元宮跡

池の奥に霊水のくみ取り口があった。暑い日が続いていても非常に冷たくおいしい水だった。

波自加彌神社元宮跡

元宮からは西に河北潟が見える。天気が良い日は日本海まで見えそうだ。

波自加彌神社元宮跡 黄金清水
石川県金沢市四坊高坂町

加賀竹橋 倶利伽羅神社

倶利伽羅神社

津幡町竹橋の倶利伽羅神社。御祭神は木花開耶姫命、火結命、罔象女命、埴山比咩命、菊理比売命、伊弉諾命、誉田別命。

倶利伽羅神社

北陸道竹橋宿に鎮座する同社は、町村合併でできた旧倶利伽羅村の総鎮守として倶利伽羅神社と改称する。

倶利伽羅神社

鳥居をくぐり階段を上る。

倶利伽羅神社

階段の手前に百周年記念の石碑が建つ。平成21年9月の建立。
100年前の1909年(明治40年)、竹橋の冨士社、倶利伽羅村河内の河内社の二社を合祀する。
それまでは小白社と称していたが、小白山社の略称か?合祀で祭神が増えているためよくわからない。

倶利伽羅神社

階段は100段以上ある。手すりには遷座五〇年とある。小白社の場所は変わっていないので、合祀五〇年の意か。

倶利伽羅神社

拝殿は常にサッシに囲われている。拝殿に詣る。

倶利伽羅神社

拝殿裏は神橋を渡って本殿に至る。

倶利伽羅神社

本殿と本殿前鳥居は朱色に塗られている。

神社の麓に宮司宅があり御朱印をいただく。宮司は冗談で10年に1回とか言っていたが、今書かなかったら今度いつ頼まれるかわからないので、わざわざ参拝いただいたのでと言っていただいた。地元ということで少し話させていただいた。石川県神社庁の神社検索にある倶利伽羅神社の写真は、猿田彦命が先導する祭りの様子なのだが、神輿と獅子舞と続いている。この写真は100周年記念の特別編成だったらしく、現在の春祭りは神輿が先に、2時間ほど経って獅子舞が出発するようで並ぶことはないようです。若者の少なくなった在所では神輿を出すのも大変だそうで、今後は過疎地では規模縮小や失われていく祭りが増えそうな予感がする。

倶利伽羅神社
河北郡津幡町竹橋オ34

加賀金沢 波自加彌神社③ はじかみ大祭

波自加彌神社

金沢市の波自加彌神社。日本で唯一の香辛料の神、波自加彌神を祀る神社です。
6月15日は例大祭であるはじかみ大祭の日でした。明治に一度途絶えて、20年前に120年ぶりに復活した例祭です。

波自加彌神社

初めて行ける機会を得、14時の開始に間に合うように着きましたが、臨時駐車場も車の列で年々参拝者が増えているようです。

波自加彌神社

すでに参拝者は拝殿の前に集まっていました。

波自加彌神社

座れなかった人たちの立ち見もたくさんいました。

波自加彌神社

本殿での祝詞の後、本殿前の準備の様子を見に行きました。

波自加彌神社

神事は湯釜にショウガを入れて、

波自加彌神社

笹の葉で周囲を清めます。この湯釜が神事の後に振る舞われる生姜湯になります。
今年は生産数一位の高知県と愛知県から奉納されたショウガのブレンドでした。また、水は元宮跡にある黄金清水の霊水です。

波自加彌神社

香辛料の神はかつて飢饉に見舞われたときに、唯一育ったショウガで飢えをしのいだという言い伝えによるもの。

波自加彌神社

最後に神職3人が生姜湯を飲んだのちに

波自加彌神社

容器を地面に叩きつけて割るという神事で終了しました。

波自加彌神社

生姜湯をいただいて、参拝者が少しずつ帰り始めた頃、拝殿の中を見ることができました。
生姜湯はピリッと辛口でした。

波自加彌神社

大祭用に作られた特別な神饌です。ショウガと脇にワサビも添えられています。

波自加彌神社

全国各地から香辛料を使った商品やショウガが送られて来ます。写真に写っているもので半分くらいです。
こちらも年々増えているようで、それだけ祭りの知名度が上がってきているようです。

波自加彌神社

ショウガご飯の入った小さな寿司(県内の調理師でつくる「調理研究 越路会」が奉納)もいただきました。
御朱印は拝殿隣のテントでこの日に限っては、権祢冝である宮司の奥さんが書いてくれます。(普段は宮司が書きます)
また、本日より「日本唯一香辛料之神」が印となり、ショウガの印が増えました。生姜湯の振る舞いの間は御朱印はいただけませんので、その前の神事の途中が良いでしょう。

波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165

能登穴水 神杉伊豆牟比咩神社②

神杉伊豆牟比咩神社

穴水町の神杉伊豆牟比咩神社。御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命。鳳至郡の延喜式内社論社のひとつ。

神杉伊豆牟比咩神社

中居の地は鉄鍛冶が盛んだった地で、鉄釜や梵鐘で有名な宮崎寒雉も当神社の氏子でした。

神杉伊豆牟比咩神社

社殿は丘の上に南向きに建ち、麓に別当寺が二寺残っています。日吉神社の別当寺が二寺、神社の別当寺はすべて真言宗です。他に曹洞宗寺院が二寺あります。

神杉伊豆牟比咩神社

今日は境内、拝殿の大掃除の日だったようで、拝殿の中で参拝することができました。

神杉伊豆牟比咩神社

石川県神社庁の由緒では、御祭神は伊豆牟比咩命、大名持命、三穂津比咩命の三柱となっているが、六所大明神とも呼ばれた当社に掛かる年表では、往古荒志社と呼ばれた時代は伊邪那美命、伊邪那伎命、須佐之男命、手力雄命、足名雄命、奇稲田姫命の六柱となっている。鎌倉時代に神杉伊豆牟比咩神社に六所社を合祀したという。現在は六所大明神は相殿に祀られているらしい。

神杉伊豆牟比咩神社

弊殿に掛かる絵馬は古く、天保18年の奉納となっている。源平盛衰記の一場面のようだ。

神杉伊豆牟比咩神社

もう一枚の絵馬は年号がわからないが攻城戦のようだ。

神杉伊豆牟比咩神社

今回、石川県版道の駅2016夏号の御朱印特集に掲載されたので電話して訪問した。数年前に前宮司がお亡くなりになってから、次女が継いだそうだが現在不在がちということで、珠洲の須受八幡宮に嫁いだ長女に対応いただいた。須受八幡宮で御朱印をいただいてから二回目の対応となったが、そういうこともあり長話をさせていただいた。御朱印と一緒に短冊形の絵馬をいただきました。ちなみに自分が第一号だったそうです。

当社は境内に幼稚園を経営しており、そちらの手伝いもあるので電話してから訪問した方が確実です。県内では当社と七尾市の気多本宮の二社のみが幼稚園を経営していて、お寺はよく併設しているのを見ますが、神社は珍しいですね。

神杉伊豆牟比咩神社

境内社は拝殿前に二社。

神杉伊豆牟比咩神社

どちらか不明になっているそうですが、越前国一宮の気比神宮から勧請した気比神社と武内宿禰命を御祭神とする杉平神社。
社殿は伊勢神宮の遷宮下賜木材(何回目か不明)を使用しているそうです。拝殿玉垣を遷座一千年の昭和60年に整備しているそうなので、昭和48年の第60回式年遷宮か?

神杉伊豆牟比咩神社

本殿隣に栄浜神社。旧樺太の栄浜に鎮座した神社で、当社宮司の次男が宮司を務め、ソ連侵攻により札幌を経て当地に遷座した。この社殿も遷座一千年に整備されたようだ。

神杉伊豆牟比咩神社

拝殿前の灯籠は文化三年の奉納。

神杉伊豆牟比咩神社

境内には「六所山」の石碑が建つ。揮毫は元横綱の輪島大士さんです。能登三大相撲の地で今は絶えてしまったようで、大相撲の遠藤関が中居の出身で盛り上がる地元では相撲を復活させようと計画しているそうです。ちなみに遠藤関は日吉神社の氏子だそうですが、同じ能登が郷里の輪島関が揮毫した石碑を目にしていたでしょうね。

神杉伊豆牟比咩神社
鳳珠郡穴水町中居ワ153

能登穴水 奈古司神社

奈古司神社

穴水町岩車の奈古司神社。御祭神は美麻奈比咩神、大山咋神、住吉大神。
従来美麻奈比咩神社と称していたのを奈古司社と改め、更に昭和5年5月30日、奈古司神社と改称したという。
鳳至郡延喜式内社と同名だが、旧記が失われていて詳細は不明。勧請された社か、飛び地だったのか。

奈古司神社

ゆるやかに上りながら境内に至る。

奈古司神社

振り向けば七尾北湾。対岸に新崎、奥に別所岳が見える。

奈古司神社

鳥居の先に町道が横切る。

奈古司神社

鳥居の左に祠があり、詣ろうかと空けてみると、「薬師池」という湧き水でした。

奈古司神社

参道の右に薬師堂。

奈古司神社

拝殿に詣る。

奈古司神社

境内には大きな一枚岩があった。何か由来があるのか?

奈古司神社

晴れていれば良い景色だろう。

奈古司神社
鳳珠郡穴水町岩車チ6

能登鳳至 今蔵神社

今蔵神社

能登町の今蔵神社。御祭神は大穴牟遅命、須佐之男命、菅原道真。
寛政年中社殿炎上したので、輪島重蔵神社より御神体を勧請したと伝えられ、4月3日の節句祭に重蔵神社より神饌が供される。8月23日の輪島大祭には当神社より重蔵神社へ新米2升神供することにしている。

今蔵神社

今蔵橋を渡り、集落に入る。

今蔵神社

階段を上り、山腹の境内に向かう。

今蔵神社

境内に入る前の階段途中に鳥居が建つ。

今蔵神社

拝殿に詣る。
階段を上る途中からカラスがけたたましく鳴いていた。上を飛ぶ時もあり少し恐かったが、神社の森に巣があったのかもしれない。

今蔵神社

拝殿後ろに本殿がつながっている。

今蔵神社

今蔵神社は近郊の14社を兼務しているようだが、御朱印は授与していないとのことでした。

今蔵神社
鳳珠郡能登町字瑞穂9字1番地

能登富来 機具岩(能登二見)

機具岩

機具岩(はたごいわ)は、機織り(はたおり)の神様の伝説を生んだ夫婦岩。

機具岩

機具(機織りの道具)のような岩から命名され、高さが16メートルと12メートルの2つの岩からなる。伊勢の二見岩によく似ていることから、別名「能登二見」と呼ばれる。伊勢の二見岩は、高さ9メートルの岩が男岩、高さ4メートルの方が女岩に対して、能登の機具岩は、高さ16メートルの方が女岩、高さ12メートルの方が男岩。

機具岩

女岩のほうに小祠が建っている。その昔、能登の地に織物の業を広めた、鹿島郡能登部の能登比咩神社のご祭神である渟名木入比咩命が、織機を背負って山越した折、途中で山賊に遭い、思わず織機を海中に投げたところ、こつぜんとしてそれが岩に変じたといわれている。

機具岩

機具岩は夕日のビュースポットであり、2つの岩にかかる注連縄とその間に落ちる夕日がきれい。

機具岩

夏に近づくと夕日は水平線ではなく、少し突き出た高岩岬のほうに沈んでいく。

機具岩

今日は夕日を見る予定になかったので広角レンズを持っていなかった。無理やりつなげてみた。

機具岩(能登二見)
石川県羽咋郡志賀町七海

能登羽咋 千里浜神社

千里浜神社

羽咋市の千里浜神社。御祭神は天照大御神、豊受大神。
塵浜村の氏神として創始。昭和4年の村名改称に合わせて神社名も現在の名称となる。

千里浜神社

東向きに鎮座。西日がまぶしい。周辺は細い路地が続き、運転は大変。

千里浜神社

境内は広々としている。千里浜と同じ砂地の境内。
拝殿に詣る。

千里浜神社

拝殿前の灯籠は天保二年の奉納。

千里浜神社

境内社が一社あったが、詳細は不明。

千里浜神社

Googleマップで「千里浜神社」と検索すると、「高井歯科医院」が表示される。なぜかと思っていたが、境内で掃除中だった総代さんにお聞きすると宮司さんは高井歯科医院だと言う。

今は診療中時間だったので、翌日診療前に伺う。宮司さんは歯科医という初めてのことだったが、今はほとんど引退している状態ということで平日日中に訪問しても問題なさそう。自宅は右の門をくぐり二階が玄関になっている。

千里浜神社
石川県羽咋市千里浜町ロ47

能登穴水 日吉神社

日吉神社

穴水町中居の日吉神社。御祭神は大山咋命、田心比咩命、市杵島姫命、端津比咩命、天照大神、豊受大神。
明治41年に奥津比咩神社(釜中神社)、神明社を合祀したといことで、本来の御祭神は大山咋命のみであろう。

日吉神社

海岸沿いの鳥居から上る。

日吉神社

鳥居前はすぐに海になっている。穴水城主長谷部氏からの崇敬が篤く、御祈願所となっていたようで、穴水城からは船で近い場所にある。

日吉神社

天正年間に上杉謙信の兵火にあって焼失し、古くは「日吉山王権現」と呼ばれていたようだ。
坂の左手に真言宗、日吉山医王院があり、天台宗日吉山安養寺の一院で、神仏分離までは日吉山王権現(日吉神社)の別当をつとめていた。木像薬師如来座像は合祀された奥津比咩神社の本地仏だった。

日吉神社

階段を上り、

日吉神社

拝殿に詣る。

日吉神社

覆屋が新しく感じたが平成10年に新築工事が行われたようだ。

日吉神社

拝殿に掛かる扁額は「日吉山」。もとは安養寺の御鎮守であろうから山号がかかっているのだろう。

[6/4追加]
参道途中に見つけた宮司宅で御朱印は書かれていないことを確認する。

日吉神社
鳳珠郡穴水町中居南2-58甲

能登鵜川 菅原神社

菅原神社

能登町鵜川の菅原神社。御祭神は菅原道真公、猿田彦大神、少彦名神、饒速日命。道真公以外は合祀社の御祭神かもしれない。

11月7日に行われる例祭「いどり祭り」は、当番町の奉納した大鏡餅を他町がいどる(酷評、けなすの方言)という変わった祭礼が行われる。また8月に近くの海瀬神社の例大祭「にわか祭り」のにわか(袖きりこ)は菅原神社の前からスタートする。

菅原神社

海の近くに海に向かって鳥居が立つ。今日はちょうど草刈りの日だった。

菅原神社

鳥居前の灯籠。天保九年の銘がある。

菅原神社

拝殿に詣る。

菅原神社

拝殿前には二対の狛犬が奉納されているが、この古い狛犬は珍しく平たい顔をしている。

菅原神社

本殿裏に社務所があり、そちらで御朱印をいただく。今日はちょうど出かけていて、帰ってきたばかりだったということで運が良かった。

鵜川は七尾湾(内海)に南面していて、陸路を使うとやや不便な土地だが、往古は陸路より海路がメインであり、海路を使用すれば能登島まで20分という近さらしい。そうすると鹿嶋津と呼ばれた七尾港までは40分ほどで行けそうだ。陸路を車でいけば大きく迂回して1時間半ほどかかるか。鵜川の地が栄えた理由がそのあたりにヒントがありそうだ。

菅原神社
石川県鳳珠郡能登町字鵜川18-155

加賀金沢 金沢神社⑤

金沢神社

金沢神社の天神月次祭の御朱印いただいてきました。
先月は忘れていたので、2月、3月に続き3回目です。

金沢神社

境内の池には蓮の花が咲いていました。

金沢神社

今日は平日で天候もあまり良くなかったですが、次々と参拝客が訪れていました。
このブログで天神月次祭の御朱印も少しは有名になったかな?

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3

加賀金沢 尾山神社③

尾山神社

久しぶりに尾山神社に行って御朱印いただいてきました。
御祭神は前田利家公と正室お松の方。

尾山神社

境内にある鯰尾兜の煌びやかです。

尾山神社

利家公の若い武者姿の像が凛々しい。

尾山神社

来週末に例大祭の百万石まつりが行われるとあって、拝殿にもポスターが貼られている。

尾山神社

拝殿の中に神輿もあった。

尾山神社

いつも間にか御朱印に印が1つ増えていました。印は月替わりで、今月は藤がモチーフ。どの月にも前田家の家紋である剣梅鉢紋が入っている。なかなかお洒落な柄ですね。また来いということですな。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

加賀本吉 藤塚神社 春季例大祭・おかえり祭り

おかえり祭り

白山市美川のおかえり祭りを見てきました。着いたところ、ちょうど神輿が出たばかりでした。

おかえり祭り

旗の合図でラッパが鳴り響き、神輿が進みます。
先導の青年団は紋付袴姿で大変珍しいですが、神輿を招くようにバックで進むので大変です。

おかえり祭り

北陸線の線路を渡るところ。
行列の先に扇が立つのですが、しばらく意味がわかりませんでした。ここまで神輿が進むという目印です。

おかえり祭り

神輿が線路を渡ったところで、ここから神輿巡行が始まるようで鳳凰が取り付けられました。

おかえり祭り

神輿には台が付いていますが、車は付いていないので持ち上げて進みます。肩にかついで進みますが、時折、両手で持ち上げて進みます。

おかえり祭り

狭い通路も進んでいきます。水の張られた田に映る姿も良いですね。

おかえり祭り

今日は長い時間地元テレビ局のMROの取材が入っていました。
後でわかったことですが、BS12の「日本の祭り」の取材が入っていたようです。

おかえり祭り

1周して線路を渡り戻ってくると、山車が並んでいました。

おかえり祭り

先頭は剣の前立ちに藤塚神社の鳥居。あとは毎年くじを引いて順番を決めるようです。
笠と太鼓のみの初期の形態を残す山車もあれば、鏡を乗せる山車もある中、やはり見どころは人形です。

おかえり祭り

日本武尊や

おかえり祭り

武内宿禰など神話の世界の人形もあれば

おかえり祭り

豊臣秀吉公

おかえり祭り

楊貴妃などもあります。どれも見事です。

おかえり祭り

美川駅前まで行列が進んで、獅子舞の演舞が始まりました。7人の棒振りが獅子殺しをするという内容でした。人数も多いので迫力がありました。

おかえり祭り

神輿も駅前まで進むと持ち上げたまま10分以上練り歩くという、見ている方もちょっと疲れる演技もあります。

おかえり祭り

山車の後ろに子供たちがつながっている町会もあり、参加する方も楽しそうでした。
ここまで4時間見どころたっぷりでしたが、次の予定があるので帰りました。

藤塚神社
白山市美川南町ヌ167

おかえり祭り
神幸祭 2016年5月21日(土)
5:20 出輿式 藤塚神社
6:30 神輿巡行
7:30 台車巡行
9:45頃 獅子舞演舞 美川駅前
9:55頃 神輿演技 美川駅前
20:30 台車御旅所着
22:30 神輿御旅所着
23:30 着輿式 御旅所

還幸祭 2016年5月22日(日)
13:00 春季大祭式 御旅所
19:00 台車巡行
19:45 出輿式 御旅所
20:30 神輿巡行
1:35 神輿神社着
2:00 着輿式
2:30 終了 

加賀小松 菟橋神社・本折日吉大社 春季例大祭・お旅まつり 

お旅まつり

曳山250年の記念すべき年となった小松市のお旅まつり。その年を祝うかのような晴天の中、曳山八基曳揃えされた細工町交差点に到着しました。すでに大勢の人です。

曳山は手前から八日市町、寺町、龍助町、西町、材木町、大文字町、中町、京町と並んでいます。

お旅まつり

15時から式典の後、30分過ぎから初めての昼の部の子供歌舞伎が始まりました。
毎年二町が当番町として歌舞伎が行われますが、今年は材木町と西町となります。

最初に曳山三番叟が舞われました。軽快な音楽の所々に歌舞伎の所作が入り楽しいものでした。

お旅まつり

続けて同じく材木町の子供歌舞伎、「仮名手本忠臣蔵七段目 一力茶屋」が上演されました。

お旅まつり

西町は「辰巳用水命光輝 稲葉左近館之場」を上演しました。この演目は辰巳用水を引いた設計士板屋兵四郎の物語で、ここ小松でしか上演しないものらしいですが、物語はわかりやすいものでした。

お旅まつり

二町の上演が終了するともう夕方になっていましたが、しばらく曳山スタンプラリーを楽しみながら町を歩きました。
再び戻ってくると夕暮れ時、曳山の提灯にも灯火が入り幻想的になってきました。

お旅まつり

昨年まではこの夕方から始まる夜の部のみでしたが、役者に光があたり、昼の部より遠くからも見やすいですね。

お旅まつり

町全体が子供歌舞伎一色になる5月です。

お旅まつり・曳山子供歌舞伎
5月13日~15日

菟橋神社
石川県小松市浜田町イ−233
小松日吉大社
石川県小松市本折町1

加賀金沢 淺野神社③ 魔除けの猿面

淺野神社

金沢市の淺野神社。御朱印をいただくは今回が3回目。
ただ、前回は書き置きだったので、久しぶりに宮司さんに直接書いていただきました。

淺野神社

5月の10日から12日まで春の例祭が行われていました。昔は獅子舞も出ていたようですが、今は神社前に露店が数軒並んでいるので少し賑わいがあります。

淺野神社

今年は地元新聞やNHK金沢で大きく特集されたので、私みたいに氏子以外の方も訪れたようですね。

淺野神社

今日の目的は、初公開となる「魔除けの猿面」です。申年の今年、記念として例祭の期間公開されることになりました。
面といっても鋳物です。鋳物師の氏子、釜屋弥吉氏が奉納しました。魔除けといってもなんとなくひょうきんな顔をしています。

なぜ猿なのか?それは淺野神社は山王さんと呼ばれていたことと関係あるのでしょう。山王さんの本社は比叡山の鎮守であった日吉大社です。日吉大社の神使といえば猿ですね。山王と猿(申)は切っても切れない関係です。

淺野神社

連動企画といれば、厄除開運の「さるぱん」というものがありました。食べるのがもったいないほど、かわいい顔のお猿さんのパンでしたが、最終日で残り1個だったのを購入してきました。「残り物には福がある」と信じましょう。

淺野神社

拝殿に入って振り返ると、大きな奉納額がかかっていました。今まで気が付きませんでした。

淺野神社

弘化四年の奉納で、ひらがな盛衰記(源平合戦)を題材に、源義経の木曽義仲討伐から一の谷合戦まで17の場面を描いているそうです。

淺野神社

この額の奉納者に釜屋弥吉氏もいます。ということは幕末の方なんですね。

淺野神社
石川県金沢市浅野本町1丁目6−1

能登宇出津 白山神社・酒垂神社春季例祭 曳山祭

曳山祭

海越しにうっすらと立山が見えるほどの良い天候に恵まれて、能登町の曳山祭宵山を見てきました。

曳山祭

曳山祭は約470年前に畠山七尾城主が五穀豊穣を祈願して神事を執り行った際の出し物で、畠山氏から分家した白山宮司が受け継いだ春祭りの行事で、宇出津では白山神社、酒垂神社が1台ずつ曳山を出す。曳山を人形で飾り、太鼓やシャギリで囃し立て、木遣りに合わせて進む。

曳山祭

出発を待つ酒垂神社の曳山です。今年のテーマは源平合戦壇ノ浦。
源義経の八艘跳びと平知盛の人形が飾られている。

曳山祭

曳山の浦は七福神。

曳山祭

先に神事が始まる白山神社前に移動しました。

曳山祭

白山神社の曳山のテーマは高尾の身請話。
高尾太夫と島田重三郎の人形が飾られている。

曳山祭

1時を少し過ぎて神事が始まりました。五穀豊穣と祭事の安全を祈って祝詞が読まれます。

曳山祭

神事を終了して、シャギリと木遣りを唄う方を3人前に乗せ、まずは白山神社の神に木遣りを奉納するため、白山神社鳥居前に向かいます。

曳山祭

木遣りが終わると再び今度はバックして、元の位置に戻り、子供たちをのせ街中へ進む。

曳山祭

酒垂神社の曳山はお旅所を出発し、あばれ祭でキリコが通る酒垂神社前通りを進む。
写真では伝わりにくいですが、太鼓のシャギリの早い調子、木遣りのゆったりした調子の繰り返しで祭り気分は最高潮に達します。あばれ祭に比べると観客が少なく知名度はまだ低いようです。

曳山祭日程(2016年)
15日(金) 人形見 18:00~21:00
16日(土) 宵山 13:00~21:00
 白山神社曳山
  13:00 神事
  14:00 白山神社前出発
  15:00 梶川橋
  16:30 数馬タバコ店前
  18:00 梶川橋
  21:00 白山神社前
 酒垂神社曳山
  14:00 お旅所(天保島)出発
  15:00 北國銀行前
  16:30 数馬タバコ店前
  18:00 北國銀行前
  21:00 お旅所(天保島)
17日(日) 朝山 2:00~8:00
 本山(戻り山) 13:30~22:00

能登七尾 西宮神社

西宮神社

七尾市の西宮神社。御祭神は事代主神、気長足姫尊、金山彦神。

西宮神社

嘉永2年6月、西地子町(現富岡町)浜地に於て社殿を再興し、明治元年奧夷社と称するという。
明治5年10月西宮神社と改称した。これは恵比寿本社の社名を称したのであろう。改称前の奥えびすはどこの恵比寿社に対しての奥社だったのだろうか。

西宮神社

社殿は南向きで旗立てが拝殿前に立っている。

西宮神社

拝殿の扉には社紋が掘られている。

西宮神社

境内に一社小祠があったが、詳細は不明。

西宮神社
七尾市富岡町70

能登七尾 金刀比羅神社

金刀比羅神社

七尾市の金刀比羅神社。御祭神は大物主神、猿田彦神。

金刀比羅神社

およそ180年余前、旧七尾町富岡町(今の魚町)の和倉屋佶兵衛(小島和三郎の祖)が、讃岐の金刀比羅神社より勧請したという。

金刀比羅神社

港に近く、当地船乗業者の守護神と仰がれたようで。

金刀比羅神社

帰りに鳥居が文政十二年と刻まれていて、先ほど見た印鑰神社の灯籠も文政十二年だったので、七尾町はこの年大変賑わっていたのかな、と想像しました。

本殿には弘化4年狛犬や、赤と黒の朱塗りの巨大な天狗面があるようで見てみたかった。

金刀比羅神社
七尾市三島町69

能登七尾 印鑰神社

印鑰神社

七尾市の印鑰神社(いんにゃくじんじゃ)。御祭神は市杵嶋姫命ということになっているが、もとは能登国府の国津であった香島津(今の七尾港付近)に近く、印璽と倉鍵を管理した施設で、印と鍵を神格化して祀っていたと言われる。

印鑰神社

境内には物が散乱していますが、

印鑰神社

来月3日から開催される青柏祭に向けて、府中町の山車の組立てが始まっていました。大きいので、総出で一斉に組み立てます。

印鑰神社

拝殿に詣ります。写真を撮っていると、組み立てを中断して昼休みに入った地元の方に声をかけていただき、由来や拝殿内を案内していただきました。

印鑰神社

県歴史博物館に寄託されている神道曼荼羅や、こちらの歌舞伎開催の奉納額。明治のものですが、県内では能楽や相撲が盛んで同様の奉納額が見られますが、歌舞伎のものは珍しいですね。

印鑰神社

俳句の奉納額もありました。文政十二年の奉納灯籠もあり、古くから信仰を集めていたことがわかる。

印鑰神社

境内に末社が三社あったようだが、一社参り忘れました。
拝殿左側に不動尊堂。御祭神は天手力男命になるのかな、よくわからない。

印鑰神社

もう一社本殿左横に鎮座する西宮神社。かつて印鑰前通りにあった恵比寿堂を遷座したという。恵比寿、つまり事代主命になるのか。
恵比寿さんということで、総本社と同じ西宮神社という名称にしたのか、本殿の西に鎮座するので西宮神社としたのか、命名の経緯は不明。

印鑰神社

最後に昼休みに入って、人がすべて降りたでか山をしばし見上げていた。

印鑰神社
七尾市府中町223

能登七尾 能登國玉比古神社(旧地)

能登國玉比古神社

七尾市所口町に鎮座する能登國玉比古神社。

能登國玉比古神社

かつては七尾町の御古跡山に鎮座していたという。現在の小丸山一帯で

能登國玉比古神社

前田利家が入封のとき、山上の七尾城から港に近い小丸山に城を移すにあたり、神社を現在地に遷座したという。

能登國玉比古神社

上から眺める七尾の市街ほぼ一帯が現在でも氏子になっている。

能登國玉比古神社

一本杉通りの御祓川にかかる橋、仙対橋は架け替えられているが玉橋(勅使橋)といい、境内の名残という。

能登國玉比古神社(旧地)
石川県七尾市馬出町レ59-2(小丸山城址公園)

能登七尾 火司神社

火司神社

七尾市の火司神社(ひづかじんじゃ)。御祭神は軻具都知神、天照皇大神、豊受姫大神。
社号標などは「火司神社」となっているが、神社庁登録名は「火司社」か

火司神社

鳥居横の桜が満開でとてもきれいだった。

火司神社

鳥居をくぐり参道を少し進むと階段になる。

火司神社

鳥居横に力石らしい石が転がっていた。

火司神社

階段を上って境内に向かう。

火司神社

社殿は西向き。拝殿とつながって本殿が後ろにある。

火司神社

社殿の右のほうに薬師堂が建っている。国分寺にあった薬師堂を移築したと伝えられるが、時期は不明。

火司神社

薬師堂には「国分寺薬師殿」という扁額が掲げられている。

火司神社

境内からは眼下に能登国分寺が見える。当地は能登国府の西の丘陵地に位置し、周辺には古墳も多い。

火司神社
七尾市国分町オ1丙

能登珠洲 愛宕神社

愛宕神社

珠洲市宝立町の愛宕神社。別名「高井の地蔵杉」と言われる大杉に寄り添うように建立された小祠。
神社庁管下の神社ではないため、由緒や御祭神は不詳。

当地にはかつて法住寺へ行く道標として地蔵堂があった。地蔵堂が壊れたため、地蔵様を杉の枝の又に置いたところが巻き込まれたという伝説がある。

愛宕神社

当地は平地から法住寺へ向かって上り始める場所であり、参詣道の途中というより、入口ということになろうか。

愛宕神社

現在は宝立町春日野のキリコが宿神社と愛宕神社を往復する。宿神社は水の神を祀るので、火の神を祀る愛宕神社としたのか、それとも法住寺の地蔵堂を引き継ぎ地蔵の化身とされる愛宕神を祀ったのか、いずれにしても明治になって神社として分離独立されたものと考えられる。

愛宕神社

御神木の大杉は樹高17メートル、幹周り7メートル、樹齢は約700年と言われる。最近8年間で枝が2本大きく裂け落ちたらしい(2009年までは枝が折れていなかったことを確認)。枝が左右に大きく伸び広がる様はお不動の火炎のようだと言う人もいる。

愛宕神社
石川県珠洲市宝立町春日野高井

能登珠洲 二本松神社

二本松神社

珠洲市三崎町の二本松神社。御祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊。

社名は在地の三崎町二本松から来ている。由緒を調べてみたが全く不詳であった。
集落の成り立ちを調べてみると、もとは珠洲郡本村であって、昭和22年に何らかの理由で分離して独立した大字となっている。神社はその後集落の鎮守として建立されたものと考えられる。

二本松神社

今日は別の用事で珠洲へ行ったのだが、道路に面して境内の桜があまりにきれいだったので参拝した。

二本松神社

社殿に向かって右に桜、左に椿が植えられている。

二本松神社

能登は金沢より数日満開が遅れるので、ちょうど九分咲きくらいで見頃だった。

二本松神社

社殿は拝殿の後ろに本殿が少しはみ出る形式のもの。

二本松神社
珠洲市三崎町二本松い部6-2

能登藤波 神目神社祭礼 酒樽がえし

酒樽がえし

能登町藤波の神目神社の祭礼、酒樽がえしを見てきました。

源義経が奥州に渡るときに供の女3人とともに7つの樽に乗って流れ着いたという伝承をもとに、旧暦3月2日に八王子神社の祭礼として樽祭りを行っていたという。八王子神社氏子の上組と大宮神社の氏子の下組に分かれ、それぞれ五升樽を供え、ひとつの樽にあけて奪い合い、その勝負により大漁を占ったという。八王子神社と大宮神社は明治41年に神目神社に合祀され、神目神社の祭礼となる。

酒樽がえし

社頭には山車が1台。

酒樽がえし

しばらくすると、もう1台向こうの集落からやってきました。かつては3台あったそうですが、人出不足で出ませんでした。

酒樽がえし

本殿には鯨の頭の骨が奉納されていて、拝殿内にも鯨漁の様子を描いた絵馬が2枚飾られている。

酒樽がえし

七尾湾内に迷い込んできた弱った鯨を捕ることがあったのでしょう。やはり大物ですから、豊漁の印だったのでしょうね。

酒樽がえし

14時少し前に揃ったということで神事が始まる。今年は下帯姿の男性は11人。全体的に若返ったそうです。

酒樽がえし

神事が終わると、一升樽に酒を詰める。

酒樽がえし

酒樽をかついで階段を駆け下り、鳥居のところで最初の回し飲みが始まる。

酒樽がえし

交代しながら酒樽をかついで、神事を行う田に向けて走ります。かなり全速力です。

酒樽がえし

田に着くと、回し飲みして気勢を上げて田に入り、酒樽を奪い合う。
奪い合うというより、酒樽を皆で抱え上げるという感じです。酒樽を神様とみなせば、同町のあばれ祭りのように神を喜ばせるために、皆でワッショイしたり、投げ飛ばしたりしているようにも見える。

酒樽がえし

3回田で奪い合った後は、また全速力で海に向かいます。
観客もとても疲れる祭りです。

酒樽がえし

海に入り、同じく酒樽を奪い合う。田で汚れた樽や体もきれいに清められていく。

酒樽がえし

田で酒樽を奪い合っている間に、社頭にあった山車は海のほうに移動してあった。
晴れていて良かった。

神目神社 酒樽がえし
石川県鳳珠郡能登町藤波

4月2日
14:00頃~ 拝殿内で神事
14:30頃~ 酒樽をかついで田へ向かい、酒樽を奪い合う
15:00頃~ 酒樽をかついで海へ向かい、酒樽を奪い合う

能登輪島 市姫社

市姫社

輪島市河井町の市姫社。御祭神の市姫神は宗像三神の市杵島姫命と考えられる。

市姫社

輪島朝市で店が立ち並ぶ朝市通りから市姫参道を進む。

市姫社

祠のないが、朝市の守り神様

市姫社

よく見ると塔の台は臼のようだ。能登はかつて素麺の山地であった。人々は感謝の意を表すのに、素麺の原料である小麦の挽臼を祠の代わりにお供えした姿だという。

市姫社
石川県輪島市河井町

能登輪島 重蔵神社産屋

重蔵神社産屋

輪島市の輪島朝市通りにある重蔵神社産屋。

重蔵神社産屋

輪島の朝市。地元にいてもなかなか来る機会はない。

重蔵神社産屋

朝市通りの突きあたりに産屋はある。

重蔵神社産屋

ここは例祭のときに神輿の御旅所となる。

重蔵神社産屋

重蔵神社の男神様が舳倉島の女神様のために建てた産屋がモチーフになっている。

重蔵神社産屋

中に入ると御柱が立っていて、一人の場合は右手を触れて右回りに1周、二人の場合は男が右回り、女が左回りに同時に回って半周して見つめ合う。そのあとに奥の社に詣る。

重蔵神社産屋

お守りや絵馬もいろいろあるけど、花御札がきれいです。1月から12月まで、本来は月ごとに替えるものだろうけど、誕生月の加護を願って9月の菊を求めました。

産屋は朝市の開催と連動して開くので参拝には注意してください。

重蔵神社産屋
石川県輪島市河井町1-87
拝観時間:午前8時~午後3時、第二、四水曜日午前9時~

能登二宮 天日陰比咩神社③

天日陰比咩神社

中能登町の天日陰比咩神社。先日二社の御朱印をいただいたところですが、ホームページを見るとあと2つあることがわかりましたので、また参拝してきました。

天日陰比咩神社と伊須流支比古神社の二社があったことから集落名が「二宮」となり、神社も二宮大明神と呼ばれたことに由来する「二宮神社」の御朱印です。

天日陰比咩神社

相殿の伊須流支比古神の鎮座する伊須流支比古神社の御朱印。
伊須流支比古神社は石動山鎮座が有名ですが、石動山はこちらの神社の御分霊を勧請したと伝わります。

天日陰比咩神社

今日は晴天の昼に参拝したので、前回とはまた違った雰囲気でした。

天日陰比咩神社

授与所前には御朱印の案内板。前はなかったけど、これが出ていれば。

天日陰比咩神社

社務所前にはショウジョウバカマがきれいに咲いていました。

天日陰比咩神社

御朱印を待つ間、前回見れなかった鶏舎から神鶏が散歩に出ていたので見ていました。

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3、4羽かなと思っていましたが、想像以上の数です。和鶏だけではなく、大陸系もいるようです。
鶏にはあまり詳しくないですが、この鶏が一番神鶏らしいですね。

天日陰比咩神社

鶏冠のない若い鶏かと思っていたら、これが烏骨鶏だと。人慣れせず、近づくと遠いところに行ってしまいました。

天日陰比咩神社

境内図には神奈備に「大御前峰社」「中御前社」「船木社」と三社かかれているので、道筋を尋ねてみました。
かなり以前は地元の氏子が道を整備していたらしいですが、今は雑木林で全く道がわかりません。ということで簡単には行けそうにありません。残念。

天日陰比咩神社
石川県鹿島郡中能登町二宮子甲8

加賀金沢 金沢神社④

金沢神社

金沢市兼六園の金沢神社。25日天神月次祭の日に先月に引き続き行ってきました。
御朱印は印の位置は変更ありませんが、「天神月次祭」の文字が入りました。先月は数名行列だったので省略されたのか?

金沢神社

北野天満宮の印象でしょうか、天神さんと言ったら梅ですね。
金沢は7分咲きくらいでしょうか。

金沢神社

今日は肌寒く、雨が降ったりやんだりするあいにくの天気だったためか、境内には最初人はいませんでした。

金沢神社

受験シーズンが終わりました。

金沢神社

放生池では鴨2羽がなかよく泳いでいました。近づくと遠くにいってしまう。

金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3