「17石川県の神社」カテゴリーアーカイブ

加賀金沢 神明宮③

神明宮

金沢市に鎮座する神明宮。御祭神は天照皇大神と豊受姫神。

神明宮

拝殿に詣る。

神明宮

大けやきは葉がすっかり落ちてその幹の大きさが一層際立つ。

神明宮

先日、寺町寺院群の眞長寺(野町1-2-2)を参拝したとき、金沢城から遷座した城内鎮守の稲荷社があって、明治の神仏分離に泉野神社に移され、御神体が残ったと知った。現在は眞長寺本堂に御神体を祀った金沢稲荷が復興されている。また、その移された先の泉野神社というのが神明宮である。

今日は地元テレビの取材が入っていて邪魔しないように少し待っていた。
その間に境内を散策していると裏口に残っていた「郷社 泉野神社」の社標柱を見つけた。

神明宮

神社パンフレットによると、末社は蛭子社と稲荷社と書かれている。
当宮に神明蛭子像が安置されており、拝殿左の社殿前に「蛭児太神宮」の石燈籠があることから、この社殿は末社蛭子社と思っていた。

神明宮

今回宮司さんに稲荷社の所在を確認してみた。
するとこの社殿が眞長寺からそのまま移された稲荷社そのものだと聞いた。現在は蛭子社と稲荷社の末社合祀殿となっているようだ。貴重な建物なので、できれば修復したいと言われていた。

神明宮

色あせているがよく見ると稲荷社としての朱色が残っていて、正面蟇股には桐紋の一種が彫られている。

神明宮
金沢市野町2-1-8

能登輪島 重蔵神社⑪

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社に行ってきました。

重蔵神社

今月の花御札は椿です。

重蔵神社

拝殿に参る。
今朝にかけて平地でもうっすら雪が積もった場所も多かったが、輪島には雪はなかった。

重蔵神社

脇に立つ子安社

重蔵神社

賽銭箱の横で猫が番をしている。
寒い日だから風を凌げる屋内は有難そうだ。

重蔵神社

社務所に寄ると「花守」という厄除のハーバリュームが新しく頒布されていた。

重蔵神社

境内の椿は10月から咲いていたが、花御札には今月登場。

重蔵神社

手前の赤いのが綺麗に咲いていた。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

能登輪島 重蔵神社⑩

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社に行ってきました。
今月の花御札は南天(なんてん)です。

重蔵神社

拝殿に参る。

重蔵神社

境内の銀杏は色付いている。

重蔵神社

紅葉もようやく色付いた。

重蔵神社

社務所前の椿が咲いている。

重蔵神社

桃色のものが多いが白が混ざるものがある。

今月は社務所が留守だったので、翌月参拝時にいただいた。
境内で南天を探したがないようだ。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

加賀一の宮 白山比咩神社⑪

白山比咩神社

白山市に鎮座する白山比咩神社。

白山比咩神社

今日は旧鎮座だった古宮公園横の発掘調査現場説明会がありました。

白山比咩神社

時折雨の降るあいにくの天候でしたが、大勢の方が参加しました。

白山比咩神社

テントには発掘調査で見つかった遺物が並べられ、信仰施設なのでかわらけが圧倒的に多いものの、平安時代の椀や

白山比咩神社

鎌倉時代の焼き物のかけらが見つかっている。

白山比咩神社

発掘場所は古宮公園として整備されている横の旧線路が引かれていた場所で、自転車道として整備する事前調査ということになります。

白山比咩神社

礎石跡やかわらけ

白山比咩神社

敷地を分けたような石積み列や通路と思われる石敷が見られた。

旧鎮座地は古宮公園の東側三分の一ほどであり、公園の状況から考えるともっと西にも広がっていると思っていたのだが、水戸明神から手取川七ヶ用水管理センターの場所まで広がっていたようだ。

白山比咩神社

説明会の後、白山比咩神社に参拝した。

白山比咩神社

今年の初穂米がたくさん奉献されていた。

白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1

加賀江沼 江沼神社②

江沼神社

加賀市に鎮座する江沼神社。御祭神は菅原道真公、大聖寺藩祖前田利治公。

江沼神社

駐車場は境内中程にあり、東側の鳥居まで戻って参拝を始める。

江沼神社

拝殿に参る。

江沼神社

今日は境内の梅花庵の一般公開があった。

江沼神社

幕末の絵師吉田公均が描いた「四季草花図」という天井の一枚絵が見応え十分。この建物は城下にあったもので大聖寺藩とは関係ないものだが、建物の保存先として江沼神社が引き受けたそうだ。
今日はここで神職に御朱印の対応をしていただいた。

江沼神社

江沼神社が建つ地は三代利直公が宝永6年(1709)に作庭した大聖寺藩藩邸の一部であり、大聖寺川沿いに建つ長流亭がそのシンボルと言える。

江沼神社

ひさご池に浮かぶ中島に八ッ橋がかかる。神職に聞いたところ昔はやはり木橋だったそうだが、腐食したためコンクリート造になったそうだ。

江沼神社

中島の反対側にかかる石の反り橋は往時のものかもしれない。

江沼神社

庭園の案内板には庭園の見どころとして「八ッ橋」とともに「石組の間から湧き出る清水」が紹介されている。
神職に聞くと清水は残念ながら今は枯れていると言っていたので、おそらく池東端の斜面に石が並ぶこの辺りなのだろう。

江沼神社

その先に枯れた井戸組もあり、かつてはここも水で満たされていたに違いない。

江沼神社
石川県加賀市大聖寺八間道55

能登輪島 重蔵神社⑨

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社に参拝しました。
10月の花御札を受けました。絵柄は紅葉です。

重蔵神社

拝殿に参る。

重蔵神社

えんむすびの木の銀杏は色付いていました。

重蔵神社

その下に紅葉が植えられていてまだ小さい木でしたが、まだ色付いていませんでした。

重蔵神社

社務所前の椿が一輪咲いていました。

重蔵神社

今日は10月の第三週で「いしかわ文化の日」ということで県民無料の日だったので、輪島キリコ会館を見てきました。

重蔵神社

中には輪島大祭に出るキリコを中心に展示されています。
重蔵神社の氏子地区のキリコもたくさんありました。

重蔵神社

NHKの朝ドラ「まれ」の放映時に重蔵神社で実際に担がれた「まれキリコ」も展示されていました。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

能登羽咋 菅原神社②

菅原神社

宝達志水町に鎮座する菅原神社。御祭神は菅原道真公、応神天皇、武甕槌命、前田利家公。
前田利家公が能登に入封する前から当地に鎮座し、菅原道真公を祖とする前田家の崇敬が篤かった。

菅原神社

能登立国1300年の節目に二度目の参拝。

菅原神社

拝殿に参る。

菅原神社

渡り廊下で本殿に渡る。

菅原神社

本殿

菅原神社

拝殿左に筆塚がある。

菅原神社

境内の自宅兼社務所で御朱印をいただくと、拝殿の中で参っていってくださいというので中に入らせていただく。

菅原神社

菅原神社では三十三年式年大祭というのがあるようで、御祭神四柱(のおそらく神像)と杉野屋の観音が御開帳されるという。もとは五日間盛大に行なわれたようだが、現在は三日間になっている。

菅原神社

藩政期は式年大祭ごとに多くの奉納があったようで、拝殿には嘉永二年の式年大祭で奉納された俳句額が残る。

菅原神社
羽咋郡宝達志水町菅原フ2

能登羽咋 羽咋神社②

羽咋神社

羽咋市に鎮座する羽咋神社。御祭神は道反大神、磐衝別命、磐城別王命、弟苅羽田刀弁命。

羽咋神社

青空の下の参拝。

羽咋神社

2日前に例大祭があり、夜には唐戸山神事相撲が行なわれた。

羽咋神社

拝殿に参る。

羽咋神社

拝殿に入ると軒下に毎年の唐戸山神事相撲の奉納額がかかる。
神事相撲では最高位が大関となる。

羽咋神社

今日は神職さんがおられたからか、拝殿の戸が開いていたので中で参拝させていただいた。

羽咋神社

拝殿には奉納品があり、

羽咋神社

左右に大きな絵馬が架かっていた。弘化の年号が見えた。

羽咋神社
石川県羽咋市川原町エ164-2

能登輪島 重蔵神社⑧

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社に参拝しました。
誕生月なので能登立国千三百年御朱印帳に通常の御朱印をいただきました。

重蔵神社

8月の輪島大祭の限定御朱印がまだ残っていたのでいただきました。
先月はやはり参拝が早かったようです。

重蔵神社

9月の花御札は菊です。

重蔵神社

拝殿に参る。

重蔵神社

今日は境内が賑やかでした。
毎年秋分の日に太鼓打ち競技会が開催され、子供の部が第33回、一般の部が第69回にもなるようです。
御朱印はちょうど昼休みで、忙しそうでしたが対応していただきました。

重蔵神社

拝殿の前の戸が祭礼日で開いていたので中が見えました。
扁額の両側に三十六歌仙額が飾られています。絵馬もあるようで、ゆっくり見てみたいものです。

重蔵神社

先月工事中だった要石と手水舎の間には「なでうさぎ」が造られていました。
早速沢山撫でてきました。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

能登二宮 天日陰比咩神社⑤

天日陰比咩神社

中能登町に鎮座する天日陰比咩神社。

天日陰比咩神社

前日から未明にかけての大雨で能登に被害が出ている時だったが、神社までの道のりは問題なかった。
早朝6時半頃に到着する。

天日陰比咩神社

本日から毎月1日の月次祭後に限定御朱印が授与されることになった。
月次祭は午前6時から、到着したときにちょうど終了したようで、授与所の前に列が出来はじめていた。

天日陰比咩神社

未明までの大雨で拝殿右に土砂の山ができていた。

天日陰比咩神社

右の斜面に普段はない小さな川ができていて、水がどんどん流れてきていた。
前日の大雨で土砂を運んできたらしい。

天日陰比咩神社

今日は初めて拝殿に入って参らせていただいた。
拝殿内の狂言面。これも初めてみた。

天日陰比咩神社

授与所に並んで御朱印をいただく。月次祭御朱印は午前7時半まで約1時間ほどの授与になる。
大雨の影響もあり、参拝者は少ないと予想していたが、それでも20人ほどはいただろうか。

天日陰比咩神社

滅多に見ることはない能登の山々が雨霧に包まれた姿が、能登の被害の大きさを物語っている。

天日陰比咩神社
石川県鹿島郡中能登町二宮子甲8

能登二宮 天日陰比咩神社④

天日陰比咩神社

中能登町に鎮座する天日陰比咩神社。
能登立国1300年の今年にもう一度参拝してきた。一度押さなくなっていた拝殿の印が復活している。

天日陰比咩神社

道路を挟んだ向かいにあった林が伐採されて広い平地ができたので、社前がより明るく感じられるようになった。

天日陰比咩神社

当宮ではどぶろくを作っている。神社に杉玉、この組み合わせが印象的。

天日陰比咩神社

鎮座石に日陰のない時間帯に参拝するのは初めてか。天狗の足跡と呼ばれる2つの凹みもくっきり見える。

天日陰比咩神社

拝殿に詣る。
御朱印をいただくとき、偶然同じ能登立国1300年記念御朱印帳を持っている方にお会いした。

天日陰比咩神社
石川県鹿島郡中能登町二宮子甲8

能登輪島 重蔵神社⑦

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社に今月も行ってきました。8月の花御札はナデシコです。

重蔵神社

輪島大祭まで一週間ですが、境内は静かです。
拝殿に参る。

重蔵神社

拝殿前の要石と手水舎の間に何かできるようです。

重蔵神社

輪島大祭限定の御朱印があるかと思っていましたが、早かったようです。
今月は花御札がよく出たようで、品切れでした。ということで、9月の参拝時に授与していただきました。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

能登一の宮 氣多大社 能登立国1300年記念・光の競演

氣多大社

羽咋市に鎮座する氣多大社。13日・14日と心むすび大祭に合わせる形で

氣多大社

能登立国1300年を記念して、境内に約500本のろうそくを灯し、拝殿にプロジェクションマッピングを投影するという光の競演が行なわれました。

氣多大社

神門前にプロジェクションマッピングの機器が置かれ、スタンバイしています。
拝殿と神門は屋根が葺き替えられ新しくなっている。

氣多大社

7時日没は過ぎたがまだ明るい。

氣多大社

10分ほど過ぎて、暗くなってきてからプロジェクションマッピングが始まった。

氣多大社

5分ほど投影が過ぎた頃に2人の巫女による舞が行なわれた。

氣多大社

30分過ぎから拝殿内で胡弓と琴の演奏が始まったが、斜めからだと全く中が見えないので場所を少し移動して正面近くに移動したが、まだ人が多かった。

氣多大社

胡弓と琴の演奏が終わった頃、ようやく人が帰り始めたので正面近くの最前列を確保できた。

氣多大社

プロジェクションマッピングで投影されるのは、宮司が撮影した神道をテーマにした写真という。

氣多大社
石川県羽咋市寺家町ク1−1

加賀一の宮 白山比咩神社⑩

白山比咩神社

白山市に鎮座する白山比咩神社。

白山比咩神社

大きな重機が境内に入っていました。

白山比咩神社

拝殿・幣殿の屋根の改修工事が行われています。

白山比咩神社

宝物殿に入って、企画展示を見てきました。
森田柿園は幕末の加賀藩士で、明治に入って天領だった白山麓18ヶ村を石川県・福井県のどちらの帰属にするかにあたり、石川県側の調査を担当しました。白山比咩神社の古文書を書き写して残し、石川県や白山比咩神社の歴史に重要な足跡を残しました。

1年前の白山開山1300年展を見たときは冷房が壊れていて暑かったですが、今日は涼しかった。人もまばらだったので、ゆっくりと鑑賞しました。

白山比咩神社
石川県白山市三宮町ニ105−1

能登穴水 穴水大宮②

穴水大宮

穴水町に鎮座する穴水大宮。御祭神は田心姫命、湍津姫命、市杵嶋姫命、正一位稲荷大明神を主祭神とする。

穴水大宮

近くまで来たので久しぶりに参拝する。

穴水大宮

拝殿に参る。

穴水大宮

夏越の大祓が終わったばかりなので、茅の輪をくぐる。今シーズン3回目

穴水大宮

左奥の社務所(大宮会館)で御朱印をいただく。
前回は奥の平地になっている部分にも建物が建っていて、左右の建物がつながっていたのだが

穴水大宮

帰り、拝殿前のおみくじが結んであった木に実が残っているのに気が付いた。
梅かな?

穴水大宮

当宮は最近はパワースポットとして売り出しているらしい。

穴水大宮

拝殿前にある「のとひめ鏡」
干支の刻石の真ん中に子沢山で安産の犬が座っている。

穴水大宮
石川県鳳珠郡穴水町字大町ホ−1

能登珠洲 北嶋荒御前神社②

北嶋荒御前神社

珠洲市に鎮座する北嶋荒御前神社。
今回は御朱印ではないけれども、社号印と墨書きは参考になるので掲載する。

北嶋荒御前神社

今年は越前国から能登国が分立して1300年となり、「能登立国1300年のおもてなし」というチラシ(道の駅千里浜)の企画で行ってきた。

北嶋荒御前神社

場所は道の駅すず塩田村

北嶋荒御前神社

塩の資料館では製塩の方法などを学習できる。

北嶋荒御前神社

資料館横で揚浜式という日本で唯一の製塩方式で塩を作っている。
作られた塩は道の駅でも販売されている。

北嶋荒御前神社

チラシを持参すると清め塩をいただける。

能登珠洲 須須神社高座宮②

須須神社高座宮

珠洲市に鎮座する須須神社高座宮。御祭神は天津彦彦火瓊瓊杵尊、美穗須須見命。

須須神社高座宮

能登ふるさと博の秘宝めぐりという企画で、境内にある寺家の大奉燈収蔵庫を見学させていただいた。

須須神社高座宮

4基ある大奉燈は能登に無数にあるキリコの中でも最大級のもので、9月の第2週土曜日の夜に実際に使用される。
これだけ大きいと組み立てはクレーンを使用しないといけないようで、バラすよりはこうして収蔵庫に入れたほうが管理しやすいとのこと。

須須神社高座宮

文字の部分が白かったが、キリコに灯りがともると黒く浮き上がるのだそうだ。実際に見てみたい気分になった。

須須神社高座宮

さすがにこれだけ大きいと人が担ぐというわけにはいかず、車が付けて引く。
それでもかなり大変だろう。

須須神社高座宮

キリコが8mくらいだった以前は大鳥居の前の砂浜から海に入っていたそうだ。
今は道路ができて段差ができたので、浜の方には下りられない。

須須神社高座宮

そのまま案内を受けながら拝殿の方へ向かう。

須須神社高座宮

社業は800年を越える貴重な原生林が残されている。
大木も多いため、最近の強風では枝折れや倒木があったようだ。

須須神社高座宮

まずは拝殿に参る。

須須神社高座宮

その後、もうひとつお願いしていた拝殿横の宝物殿の中も見学させていただいた。
五体の男神像は思っていたよりも大きなものであった。四体には顎髭があるが、一体はなく若々しい感じ。
また義経伝説の残る能登ならではの、源義経ゆかりの蝉折の笛、弁慶の左銘入り守刀がある。
ほかには藩政期のものと思われる古い絵図が二枚あった。山伏山の奥宮、高座宮、金分宮、そして高勝寺と神仏習合していた頃の須須神社の様子が描かれていてとても興味深かった。

最後に拝殿横で御朱印をいただいた。
今日は雨予報であったが、案内されている間はなんとか天気が崩れなかった。境内を後にするとともに降り出し、神様に歓待された気持ちになった。

須須神社高座宮
石川県珠洲市三崎町寺家4-2

能登七尾 大地主神社②

大地主神社

七尾市に鎮座する大地主神社。御祭神は大山咋神、素盞嗚尊、伊許保止命。

大地主神社

能登立国1300年と神社創建1300年を記念して再建された二の鳥居。日吉大社を本社とし、山王鳥居とする。

大地主神社

能登国立国の旧暦5月2日である6月4日に千三百年慶賀祭が行われ、二の鳥居のくぐり初めの儀が執り行われた。

大地主神社

大地主神社は青柏祭が有名。鍛冶町、魚町、府中町の三台の山車が繰り出す。

大地主神社

境内には鍛治町の山車庫がある。丸に山の鍛治町の印が付いている。

大地主神社

山車庫の端には、鍛治町の氏神である鍛冶神社が祀られている。

大地主神社

拝殿に参る。
授与所で御朱印をいただいた。「能登國千三百年」の特別印が入る特別バージョンになっている。

大地主神社
石川県七尾市山王町1−13

加賀金沢 波自加彌神社⑤ はじかみ大祭

波自加彌神社

金沢市に鎮座する波自加彌神社。御祭神は波自加彌神と正八幡神を祀る。
今年はショウガの印が金色になり、ショウガ色に近くなりました。

波自加彌神社

今年もはじかみ大祭に行ってきました。

波自加彌神社

今日は朝から風が強かったこともあってか、昨年よりも若干参拝者が少なく感じる。

波自加彌神社

ふるまいテントで

波自加彌神社

ショウガ味のご飯の入った寿司と、ショウガ入天かすの入ったうどんをいただいた。

波自加彌神社

奉納者の玉串奉奠が終わった後、神職らによりショウガ湯が

波自加彌神社

小皿に注がれ

波自加彌神社

ショウガ湯を飲み干して

波自加彌神社

小皿を地面に叩き割って、厄払いをする。

波自加彌神社

その後、参拝者にもショウガ湯が振る舞われた。一年の無病息災を願い、ショウガ湯を飲んできた。
今年は例年の高知産と愛知産に加えて、和歌山産のショウガが加わり、ピリリと甘辛い味でした。

波自加彌神社
石川県金沢市花園八幡町ハ165

加賀金沢 石浦神社③

石浦神社

金沢市に鎮座する石浦神社。御祭神は大物主大神、大山咋大神、菊理媛大神、天照皇大神などを祀る。

石浦神社

北陸新幹線の金沢開業から境内が一番変わった神社かもしれません。

石浦神社

鳥居をくぐると右手に臨時の授与所。週末や休日以外は閉まっているようだ。

石浦神社

鳥居の左手に「HASE HOUSE」の文字?

石浦神社

中にウサギちゃんを飼っているようだ。こんな場所に大丈夫なのか

石浦神社

神社のイメージキャラクタは「きまちゃん」
今年は戌戌年ということで「きまる年」らしい。

石浦神社

境内にはビールを販売したり、

石浦神社

いなり寿司を販売する露店もあり、休日には営業しているようだ。
休日は年中お祭りということらしい。

石浦神社

拝殿に参る。

石浦神社

社務所で御朱印をいただく。判子が参拝の度に増える。またレイアウトが変わったようだ。
由緒や御朱印に付属するしおり(裏面に御祭神名)も新調された。

石浦神社

兼務社の泉野菅原神社の御朱印は以前は自分から依頼しないと書かない御朱印だったのだが、

現在は社務所に表示している。書き置きに日付入れるタイプだが、「玉泉院天満宮」とは如何に!
泉野菅原神社は玉泉院(加賀藩二代藩主前田利長公の室で、織田信長公の四女永姫)の菩提寺である玉泉寺にあった天満宮で、前田氏の祖神である菅原道真公を祀るとして、隠れて義父の織田信長公を祀っていた。「玉泉寺天満宮」ならまだしも、「玉泉院天満宮」はおかしいだろう。

石浦神社
石川県金沢市本多町3丁目1−30

能登輪島 重蔵神社④

重蔵神社

輪島市に鎮座する重蔵神社。御祭神は天冬衣命、大国主命。

重蔵神社

境内西の入口が商店街や朝市通りに近く、こちらから参拝に訪れる方が多い。

重蔵神社

入口に御祭神の案内が新しく立っていた。

重蔵神社

今日参拝に来たのは、ゴールデンウィーク前の地元新聞に載ったノトキリシマツツジ限定御朱印をいただくため。
ノトキリシマツツジが咲く4月中旬から5月中旬まで授与するとのこと。

重蔵神社

拝殿に参って社務所に向かう。

重蔵神社

社務所前に一木で三色の花が咲くという珍しいキリシマツツジがあるということだったが、ゴールデンウィーク中の荒天によりすでに終盤だった、残念。

重蔵神社

重蔵神社には花御札というのがあり、月替わりで12カ月分ある。
5月はノトキリシマツツジが描かれ、朝市通りに面する重蔵神社産屋では12カ月すべての花御札が頒布されているが、神社では基本的にその月の花御札のみ授与される。神社で授与されたものには花の図柄の下に社号と参拝日が印字される。

重蔵神社

今日は4月の八重桜を描いた花御札もいただいた。

重蔵神社では能登地震の復興を進めていて、7月には拝殿や境内社の修復を記念した御朱印、8月には輪島大祭を記念した御朱印を授与するそうです。

重蔵神社
石川県輪島市河井町4-68

加賀石川 吉野神社

吉野神社

旧吉野谷村に鎮座する吉野神社。御祭神は菊理姫命、大穴牟遅尊、素盞嗚命、天児屋根命。
明治41年に同村内に鎮座していた白山神社、大国主神社、素戔嗚神社、春日社を合祀したというのでそれぞれの御祭神が列記される。
延喜式石川郡味知神社の鎮座地を付近の「ミチゴ」と呼ばれた場所にある遺跡に比定し、合祀社のいずれかが味知神社の継承社でないかと言われる。白山麓の河内村、鳥越村、吉野谷村のあたりは味知郷と呼ばれた地域で、戦国時代には山内庄と呼ばれ加賀一向一揆の屈強地域であった。

吉野神社

参道入口に「吉野神社」の社号標が建つ。

吉野神社

3月7日に来た時はまだ雪に埋もれていて参拝できなかった。

吉野神社

神旗ポールの先は剣形になっている。

吉野神社

鳥居をくぐる。

吉野神社

拝殿の前にはケヤキの大木が立っている。

吉野神社

拝殿に参る。

吉野神社

拝殿と本殿は弊殿でつながる。
参拝後に「ミチゴ」の場所を探っていたのだが分からなかった。調査して再訪したい。

吉野神社
石川県白山市吉野ク223

加賀金沢 神田神社

神田神社

金沢市に鎮座する神田神社。御祭神は武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩神。延喜式加賀郡神田神社の論社。

戦前は春日社と称し、小坂神社の別宮として知られていたという。当時から小坂神社の兼務社であり、小坂神社が神田神社の論社を主張した初めは当社だと考えられる。いつの頃からか小坂神社自らが論社と主張されるようになったようだ。

神田神社

西向きに社殿は鎮座する。昭和40年代の区画整理事業で周辺の環境は大きく変わっている。

神田神社

社殿前に狛犬

神田神社

拝殿に参る。

神田神社

本殿は幣殿で拝殿とつながっている。

神田神社
石川県金沢市神宮寺1丁目7-18

加賀鶴来 日御子神社

日御子神社

旧鶴来町に鎮座する日御子神社。御祭神は彦穂穂出見命。
もと火御子社と称する白山中宮の下七社の一社であった。

日御子神社

社前に忠魂碑が建っている。

日御子神社

斜め向かいには「蔵山郷土誌発刊記念碑」が立ち、蔵山村役場が建っていた集落の中心地であった。

日御子神社

鳥居と「郷社 日御子神社」と書かれた社号標が建つ。

日御子神社

参道の途中に一対の燈籠と一対の狛犬が奉納されている。

日御子神社

拝殿に参る。

日御子神社

拝殿の左側に社務所がつながっている。

日御子神社

本殿と拝殿は幣殿でつながる。

日御子神社

境内は「日御子の森」と呼ばれた場所で、今は大木は少ないが大きな切株が残っている。

日御子神社
石川県白山市日御子町ホ98

加賀能美 八幡神社

八幡神社

能美市に鎮座する八幡神社。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、菊理媛尊。

古代の豪族和気公と江沼臣春日部の先祖が集落をつくり、各々の祖神と、白山比咩神、蟹淵の神、水無谷の風の神などを祀ったのが始まりという。天平勝宝元年(749)興福寺領となる。その後八幡神を勧請し、明治40年に七社を合祀する。

合祀した社のひとつに滓谷神社があり、能美郡滓上神社の論社になっている。

八幡神社

矛のついた旗ポールが建ち、それよりも高く境内の杉が並ぶ。
入口に鳥居と「村社 八幡神社」と書かれた社号標。奉納された燈籠は大きい。

八幡神社

一の鳥居の先に二の鳥居、その先に社殿が建つ。

八幡神社

二の鳥居が建つ右手に

八幡神社

手水舎と、「村社八幡神社」と書かれた村社指定時に奉納された先代の社号標が残っている。

八幡神社

階段の先に拝殿

八幡神社

サッシに覆われた拝殿には入ることができた。
拝殿に参る。

八幡神社

サッシ下の隙間から鳥が一羽迷い込んでいた。出してあげようと入口をしばらく開けていたが出る様子がない。

八幡神社

拝殿のまわりにはまだ雪が残り、一段高い場所に本殿が建つ。

八幡神社

社殿の左に藩政期に肝煎だった杉本庄兵衛翁碑が建っている。
山間地で水田の少なかった村の家々を日当たりの良い山の南斜面に移し、耕地とする場所を確保するという家立ちという大事業を15年かけて成し遂げたとして、鍋谷の祖霊として祀られた。

八幡神社

隣に境内社が1社。

八幡神社

社名が分からなかったが、境内由緒にある「安政四年家立神として肝煎庄兵衛の生祠を建立する」に該当する社だろうか。随神像の土人形が古びて、信仰の長さを感じる。

八幡神社

奥にばんぶち石(力石)が5個集められている。

八幡神社

何より珍しいのは、石に「八斗石」(120kg)「九斗石」(135kg)「一石いし」(150kg)「一石二斗石」(180kg)と4個に重量が書かれている。ひとつ書かれていないのは「一石一斗石」(165kg)で、ちょうど一斗ずつ重量が増している。

八幡神社
石川県能美市鍋谷町ツ72

加賀江沼 菅生石部神社 御願神事(竹割まつり)

菅生石部神社

加賀市に鎮座する菅生石部神社。御祭神は菅生石部神。
春を呼ぶという例大祭御願神事(ごんがんしんじ)が今日を行われました。

菅生石部神社

今週の大雪がまだ道路脇にうずたかく残る中、国道も片側2車線の1車線が埋まってノロノロ運転になり、30分前にようやく到着しました。

菅生石部神社

旧暦正月のこの日に祈願をすれば願いがかなうと言われ、境内には大勢の地元や観光者で賑わっています。
鳥居前に青竹が積まれている。

菅生石部神社

始まる前に社務所で御朱印をいただきました。

菅生石部神社

社務所横で御願まんじゅうとごんがん寿司が売られていました。縁起ものであるので御願まんじゅうを買ってきました。後でわかったことですが、まんじゅうは御願神事限定の販売で、祭りが終了するまでに売り切れるほどいつも人気なんだそうです。

菅生石部神社

神門から拝殿までの参道横で火が焚かれ、藁で編まれた櫓(アズマヤと呼ばれる)が組まれている。

菅生石部神社

11時に社務所前で祭典が始まり、宮司などが拝殿へ入っていく。
しばらく待っていると、神を迎える警蹕が拝殿外まで響いてくる。

菅生石部神社

鳥居前で竹を割る音が響き始め、竹を担いだ若衆が「ワッショイ」のかけ声で盛り上げる。
先頭の2人が拝殿に駆け込むと同時に、

菅生石部神社

アズマヤに火が付けられ、続く若衆が下をくぐって神門前や社務所前で竹を割り始める。

菅生石部神社

太い竹は2回、3回と投げないと割れないことも多いが、割れたカケラが周囲に散らばり、投げた竹が飛んでくることもあり(警備の警察官や保存会の方が一生懸命止めてくれる)本当に迫力がある。

菅生石部神社

用意された竹(約300本)をすべて割り終えると、拝殿から長縄の大蛇を引きずり出す。

菅生石部神社

神門から鳥居前へ、

菅生石部神社

また社務所側の参道から境内に戻り、拝殿へ。

菅生石部神社

3回拝殿へ戻った大蛇は、4回目敷地橋へ向かう。

菅生石部神社

橋の上から大蛇は大聖寺川に投げ込まれ退治される。

菅生石部神社

流れる大聖寺川の真っ白の河川敷に報道陣がスタンバイ
というのも、今日はBS12の「日本の祭り」の取材が入り、地元MROが密着していました。MROで3月21日に放送されるということで楽しみです。

菅生石部神社

今年は寒いこともあり、大聖寺川には飛び込まないという情報も噂される中、2名の若衆が川に飛び込みました。

菅生石部神社

大蛇が退治された後、割られた青竹を持ち帰る人々。
(1)天井裏に置くと雷避けになる
(2)玄関先に置くと魔除けになる
(3)箸にすれば身体健康、病気平癒、虫歯予防になる
といろいろ言い伝えがあるようですが、地元の方は何本も持って帰る人もいました。

菅生石部神社

帰宅して御願まんじゅうをいただきます。
竹の切り口に「御願」と書かれた印を押され、加賀特産丸芋、加賀の清酒と酒粕を使った風味豊かな味わい。
表皮の黒いシミは中のあんこをはみ出ているのではなく、無病息災を願って竹炭エキス(食用)で付けた跡です。

御願神事 2月10日
11:00 祭典(境内→拝殿)
11:15 竹割開始
11:45 長縄大蛇お練り
12:00 敷地橋から大聖寺川に長縄大蛇を投げ入れ
    祭典(拝殿)

菅生石部神社
石川県加賀市大聖寺敷地ル乙81