発行所:金沢市神職会
発行日:1932年5月(非売品)
各神社一枚ずつ表に写真、裏に解説(社格、祭神、祭日、由緒)を挙げる。今は存在しない神社もあり、当時の写真は貴重。巻頭に掲載神社の社印(朱印)表がついており、現在授与のない神社もあるため、これも貴重な資料である。全47社掲載。
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発行所:金沢市神職会
発行日:1932年5月(非売品)
各神社一枚ずつ表に写真、裏に解説(社格、祭神、祭日、由緒)を挙げる。今は存在しない神社もあり、当時の写真は貴重。巻頭に掲載神社の社印(朱印)表がついており、現在授与のない神社もあるため、これも貴重な資料である。全47社掲載。
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糸魚川市に鎮座する天津神社。延喜式の頸城郡大神社の論社のひとつ。御祭神は瓊瓊杵尊、天児屋根命と太玉命を配祀する。

市民会館の駐車場隅に立つ社名標。参道は東に向かって延びる。

表参道の橋を渡る。境内に入ると参道は南に折れる。

橋の左に弁天社。

参道を進むと突き当たりに社務所がある。普段は無人のようだ。

社務所前で東に折れ、境内の南西部から入る。鳥居は南と東にもあるが、表参道はなぜこれほど曲がるのだろうか。

境内に入ると右手に衣紋所

左手に宝蔵

南鳥居から入って、楽屋、舞台、拝殿、本殿と並ぶ。社殿は南向き。

春大祭では舞台に朱色の高欄が付けられて舞楽が舞われる。

舞台は神様に奉納するため、拝殿方向を向いている。

拝殿に参る。賽銭箱の上の扁額は「天津社」

拝殿内。中央の扁額は「天津社」、左に「奴奈川神社」、これは背後の本殿の並びと同じ。右に合祀された「住吉」神社の扁額が架かる。

拝殿の左の部屋に白い神馬像と平成5年に枯れて伐採されたご神木が納められている。

本殿の左に奴奈川神社。延喜式頸城郡の論社のひとつで、御祭神は奴奈川姫命、八千矛神を配祀する。

拝殿の背後に天津神社の本殿

本殿右に子聖社。

子聖社と天津神社本殿の間に石祠や石像が集められている。石の仁王像もある。

境内の宮司宅で御朱印をいただく。御朱印をいただく間に神社のパンフレットを読む。パンフレットにはかつて境内にあった神宮寺について書いてあった。残っているものもあるということで、場所を聞いて行ってみることにした。

宮司宅前の藤棚、その奧の井戸が神宮寺の名残のひとつ。

社名標の前、宝伝寺の門前に並ぶ石仏群。これも神宮寺の名残という。

そして、北西へ線路を渡り、塩の道(松本街道)沿いにある寺院群のひとつ、経王寺。

経王寺の梵鐘は神宮寺の梵鐘を移したもので

梵鐘を見ると、確かに「奉建立天津社神宮寺鐘一口」とある。
天津神社
糸魚川市一の宮1-3-34

糸魚川市に鎮座する青海神社。その元の鎮座地が現在の青海地区公民館東町支館の場所。

文政4年に現在地に遷座された後も、旧社殿は古宮跡としてしばらくの間残っていたが、慶応3年大火で焼失。

石祠を建立して、公民館の建設、再建に伴って現在の敷地西隅に移動したという。

石祠に参る。石祠には御神体の鏡も祀られている。

南西方向、JR青海駅の向こうに見える丘に遷座した青海神社が鎮座する。
新潟県糸魚川市青海281
青海神社(旧地)

糸魚川市に鎮座する青海神社。延喜式の頸城郡青海神社の論社のひとつ。御祭神は青海首の祖、椎根津彦命。

社名標は線路近くに立つ。神社への入口の阪は車を停めた辺りでかなり距離がある。

というのも、すぐ右に元神宮寺であった清源寺が建つからであろうか。

坂を上ると駐車できるスペースが有り、社殿に向かって階段を上る。

境内は広い。社殿は日本海に向かって北向きに建つ。

拝殿に参る。

本殿は拝殿の後ろ一段高い場所に鎮座する。

拝殿右に境内社が多数。

ひとつ前にある石祠には石像が残る。天神様であるらしい。

境内の落ち葉を掃除していた氏子の方に少しお話を聞く。青海の地は昔は漁業で大変賑わった土地であったという。確かに広い境内と大きな社殿はその面影を偲ばせる。何でも本殿裏に展望台があり、昔は景色が良かったという。案内されたからには行ってきた。道はなんとかわかるものの休憩所も立入禁止になっていて、周囲の高木に遮られ景色も臨めない。残念だがこれが地方の現状というところか。
青海神社
新潟県糸魚川市青海762

糸魚川市に鎮座する靑澤神社。延喜式の頸城郡青海神社の論社のひとつで創建当時は当地にあったという。御祭神は沼河比売命。

海沿いの国道8号線を山の方へ南下、工場地帯を抜けると小さな集落に入る。

道路沿いに西鳥居が立つが境内脇から入るので、もう少し集落を進んで南より入る。

鳥居の扁額は「日連神社」。どういう由来でここに架かっているだろうか。

拝殿の後ろに本殿が建つ。拝殿は寺の本堂のような造り。

拝殿に参る。拝殿の扁額は「靑澤神社」

境内社は鳥居をくぐって境内右に一社。
靑澤神社
新潟県糸魚川市青海2696番地

朝日町に鎮座する鹿嶋神社。御祭神は健甕槌命が主祭神。

北に数十メートル行くとすぐ日本海。社殿は北向きに建つ。

拝殿前の狛犬は角があり、目が大きくどこかユーモラスだ。

拝殿に参る。

拝殿正面の彫刻は東洋風だが題材は何であろうか。

拝殿裏に階段があり、鳥居をくぐると木が一本。本殿への道のようだが、道は宮崎城への登山道ともなっており、その途中に本殿が建っているようだ。

階段前の狛犬は髪がカールしていてやはりユーモラスだ。

境内社は祭神不明な一社

手力男神社

隣の社務所は今日はご不在で御朱印は確認できなかった。
鹿嶋神社
富山県下新川郡朝日町宮崎1484

朝日町に鎮座する脇子八幡宮。御祭神は誉田別尊、豊城入彦命、北陸宮、事代主神。

社殿は西向き。

紅葉に色付いた木々も混ざる中、階段を上っていく。

拝殿はサッシに覆われている。中に入って参る。

拝殿には絵馬が多数架かる。中の1枚、題材が不明だが社とも関係の深い源平合戦の一幕であろうか。

拝殿の右側に鳥居。階段を上ると境内社の神明社が建っている。

その神明社の背後、グラウンドとなっているが、隅に忠魂碑が建っていた。前方のひと山越えると宮崎城跡となっている城山、大宝二年に高向朝臣大足が越中越後国境鎮護の神として城山に創祀されたと伝わる。
木曽義仲が社殿(城山)近くに御所を造り、北陸宮を迎えて、当宮で平家打倒の戦勝祈願したという。

境内入口近くの社務所兼自宅のほうで御朱印をいただいた。
脇子八幡宮
富山県下新川郡朝日町横尾966

入善町に鎮座する入善神社。御祭神は誉田別尊、建御名方命を配祀する。

神社一帯は花月公園となっている。社殿は西向き。鳥居はこの西鳥居と北鳥居がある。

拝殿と本殿はサッシで覆われている。雪国とは言え風情がない。

拝殿左に戦没者の慰霊碑。

女神像は御祭神の母神神功皇后であろうか。

中門

背後には明治11年9月に明治天皇の北陸東海御巡幸のときに御小休所になった建物が残る。
入善神社
富山県下新川郡入善町入膳3601

黒部市に鎮座する八心大市比古神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は大山祇神、少彦名神、迦具土神。近郷の人たちには以前は三島明神と呼ばれ、現在でも三島神社と言われる。

神社南側に駐車場がある。駐車場に社名標と鳥居が立っている。

しかし、この鳥居をくぐっても駐車場の柵があって通り抜けられない。

北側の鳥居。

県道を挟んで向かい側に三島の大欅が立っている。その根元に地神塚、左下に三島の化藤が植わっている。いずれも市内随一の大木である。県道により現在は飛び地境内になっている。

拝殿に参る。

本殿

拝殿の右、社務所との間に黒部護国神社が建つ。

社務所兼自宅で御朱印をいただく。

社務所前に庭に境内社が二社。一社は後ろに大麻納所があるので神明社か。
八心大市比古神社
富山県黒部市三日市3185

魚津市に鎮座する魚津神社。御祭神は天照皇大神が主祭神。

商店街の間に突然現れる木製鳥居。社殿は南向き。

魚津神社は市内の郷社神明社、杵築社、稲荷神社、火之宮神社、市姫神社の五社を合祀した神社で、神明宮が元宮のようだ。

拝殿に参る。朱色の柱が目立つところは稲荷神社のよう。

後ろの本殿も朱色の柱と白壁が目立つ。

拝殿の左に合祀された市姫神社の狛犬と扁額が残る。市姫神社は下村木417-4に鎮座していた。

境内社の愛宕神社。御祭神は軻遇突知命。

境内の参集殿に併設されている授与所で御朱印をいただく。
魚津神社
富山県魚津市中央通り1-3-28

魚津市に鎮座する宮津八幡宮。御祭神は誉田別命。

社殿は南向き。

拝殿に参る。

拝殿の扁額は「加積郷総社 正八幡宮」とある。加積郷は魚津市、滑川市、上市町の一部を含み、三代実録に加積神とある式外社に比定される。

境内にはチャンチャン石とバン持ち石が置かれている。チャンチャン石は昔落ちてきた隕石と伝えられ、小石で叩くと高い金属音がする。

本殿の後ろは一段低くなっていて稲田が広がる。宮津の地名はその昔、本殿の後ろまで海だったことに由来してそうだ。
宮津八幡宮
富山県魚津市宮津1520

魚津市西布施地区に鎮座する白山社。行基の開基と伝わる千光寺とその塔頭が建ち並んでいたという宗教都市だった。

千光寺の南に隣接する。

長い階段を上る。

白山社は千光寺の鎮守であったと思われる。

中に入れたので、拝殿内で参る。

拝殿に入ると天井と奉納額の多さに圧倒される。

天井には人物と花が描かれている。彩色が少し退色しているものの、よく残っている。三十六歌仙であろうか。

嘉永年間奉納の一枚。源平合戦が描かれ、一ノ谷の戦いから衣川の戦いまで義経の半生が描かれているようだ。

拝殿の扁額には「白山大権現 五社大権現」と書かれ、上に鰐口が吊されている。右の御祭神(御本尊)は別所薬師如来、御影大日尊、白山妙理大権現、奥院○○山大権現、○○野天海大○○、野新白山権現、左の方がにじんでいて判別できない。いずれにしても現在も神仏混淆が残っている。祭礼もまた神仏混淆のまま引き継がれているようです。
白山社
富山県魚津市小川寺2927

魚津市に鎮座する布勢神社。御祭神は五十猛命、五十日足彦命。延喜式新川郡の論社のひとつ。

場所がはっきりとは分からず、布勢川沿いの集落内を探していましたが、集落西の山越えの途中にありました。

南向きにまっすぐの参道の先に社殿が見える。

神社標の右に会所らしき建物。

中をのぞくとたくさんの石仏と

お不動さんや千手観音像。神仏習合の名残でしょうか。それにしてもこの数、信心深い土地柄のようです。

参道は長い。拝殿前の草むらに狛犬代わりの石が据えられている。

拝殿が開いていたので中に入って本殿に参る。本殿の両側に古そうな随神像がこちらを向いている。

本殿の前の狛犬は無表情で子犬のよう。ずっと見ていると愛らしく思えてくる。

奉納された黒駒像もあった。

拝殿には絵馬が複数掲げられていた。ほとんどは奉納馬だったが、安政奉納の一枚。右上の山から駆け下りる騎馬が見えるので一ノ谷の戦いのようである。
布勢神社
富山県魚津市布施爪947

魚津市に鎮座する建石勝神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は武甕槌命。

社殿は東向き。新しい感じがする。

天正年間までは大社であったが、越後長尾氏により兵火で焼失、長く中絶した社は天保11年に現在地で再建される。昭和9年本殿を再建、平成4年国道8号線バイパス事業により境内地を一部変更し社殿を新築する。

平成4年に再建された社殿なのでまだまだ新しいのだろう。

境内の社叢の紅葉が美しい。以前は参道がもっと東に長かったのだろう。

社前を通る国道8号線、立山連峰から昇る朝日がまぶしい。
神社は兼務社であり、本務の宮津八幡宮で御朱印をいただける。
建石勝神社
富山県魚津市吉島2972

七尾市の松尾神社。御祭神は天照大御神と豊宇気毘売神。
松尾神社といえば酒造りの神で大山咋神なのだが、この社はかつて松尾山神明宮と称していたようで、松尾はいわゆる寺の山号ということになるのだろう。

途中の案内板は「神明宮松尾神社」となっており、御朱印の墨書きもそう書いていただいたのだが、社頭の神社標は「神明神社」となっている。

前の道路を挟んで川が流れており、その先の丘には前田利家が築城した小丸山城がある。

正面本殿の御祭神は天照大御神ということになるのだろう。

左に境内社として稲荷神社が建っており、こちらに豊宇気毘売神が祀られている。

何度か移転をしているようで、現在地には昭和46年に来たようだ。
御朱印は隣接する社務所兼自宅でいただいたのだが、行った時は留守だったので夕方にもう一度寄っていただきました。やはり朱印は「神明宮」となっています。
松尾神社
石川県七尾市所口町リ3

放生津八幡宮の大祭は10月1日に曳山、10月2日に築山が行われます。
今日は一度見たいと思っていました築山を見に来ました。

拝殿前の参道には提灯が並んでいます。

毎年同じテーマかと思っていたのですが、毎年変わるようです。
中央と神様と左右の四天王は変わらず、神の前の2、3体が客人(まろうど)といって物語を表現する人形です。

今年は「文禄五年 前田利長、伏見築城にあたり放生津などの桧物師を上洛せしむ」というテーマでした。
築山の客人説明
「豊臣秀吉が伏見に新城建築を始めたことで、生活に必要な桧物器財が不足がちとなったため、文禄5年4月15日付けで前田利長は放生津をはじめ越中の桧物師を上洛させて桧物造りを命じ、不足をまかなわせました。」

左には2体の桧物師が

右に前田利長の人形は配置されています。
放生津八幡宮
富山県射水市八幡町2-2-27

射水市の道神社。御祭神は大彦命、彦屋主田心命。
延喜式内社の射水郡「道神社」の論社のひとつです。
御朱印は境内に隣接する自宅のほうでいただきました。

神社は集落のほぼ中央にあります。

社殿は西向きに建てられています。

境内には巨木の御神木があります。

西に向かって集落内に参道が通っており、集落の端に旗を立てるようになっています。
道神社
富山県射水市作道1846

射水市の十社大神です。伊勢神宮の末社ということで主祭神は天照大神となります。
この地は中世は神宮領だったようです。

隣接して真言宗の名刹蓮王寺があり、鎮守社としての十社大明神などを祀っていたところが、神仏分離により分離されたようです。十四社が合祀されたということですが、十社大明神から現社名となっているようで、相殿に外宮の豊受大神など15柱の神が祀られています。

大きな看板に誘われて参拝しました。

末社ということもあって、式年遷宮の神宮御用材で鳥居が新しくなっていました。

拝殿をはじめとして社殿も立派です。

神馬は木製で、神宮から伊勢領神明宮へ寄進されたものと伝えられます。

神宮遙拝所も玉垣に囲まれて立派です。この玉垣も式年遷宮の御用材だそうです。

白い石を敷き詰めてあります。

境内に隣接してある宮司宅で御朱印をいただきました。
十社大神
富山県射水市三ケ1753

金沢市の尾山神社。御祭神は前田利家公、前田まつ。
今回は金沢お宮さんめぐりで再訪し御朱印をいただいてきました。今回も巫女さんが書きました。

青空です。

暑い昼下がり。人がほとんどいませんでした。

社務所前にはんこが置いてあります。

ちょうど境内で発掘調査が行われていました。新しい授与所を建てるみたいですが、境内は旧金谷御殿であり、金沢城の一部でもあるので屋敷か庭園の石垣が残っています。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市の金沢神社。金沢お宮さんめぐりのため、再度御朱印をいただいてきました。
今回も宮司さんが書いてくれました。やはり迫力のある見惚れる墨書きですね。
御祭神は菅原道真公、白蛇大神、そして加賀前田家12代前田斉広公、13代前田斉泰公となります。

真夏の暑い1日ですが、さわやかな青空です。

境内の放生池には蓮の花

では参拝に向かいましょう。

夏休みということもあって、参拝者もひっきりなしに来ます。

あらためて拝殿内を見ていると、斉広公御筆の絵馬が掛けられています。奥に「天満宮」の扁額も掛けられています。藩政期は鎮守として天満宮と呼ばれていたんでしょうね。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
金沢市では夏休みに合わせて「かなざわ・まち博」という街全体を博覧会に見立ててイベントやサービスを行います。今年は「金沢お宮さんめぐり」という企画が加わりました。
市内36カ所の神社で各神社の神紋スタンプを集めます。
こんな感じや
こんな感じで置いてあるんですが、なんか連絡が隅々まで行っていないらしく、スタンプまだ置いてない神社もありました。
地図にもスタンプにも詳細が書いていないので企画終了後もスタンプは続きそうですが、新聞広告の内容を載せておきます。でも、応募先がよくわからないのですけど
期間:2015年7月18日(土)~8月23日(日)
全神社をめぐり終えた方の中から抽選で10名の方に尾山神社・石浦神社・安江八幡宮・金沢神社のいずれかのオリジナル朱印帳をプレゼントします。
続きを読む 金沢お宮さんめぐり

霊峰白山の山頂に鎮座する白山比咩神社の奥宮。今日は初めてそこを目指す。

奥宮の御朱印は室堂の祈願殿でいただける。四種類の印から選択して一冊に一つのみ授与される。墨書きは何も言わなければ「霊峰白山」になる。「白山奥宮」をお願いした場合の印は自動的に「白山比咩神社」となる。

登山シーズンに入ると、車は市ノ瀬に停めてバスで登山口の別当出合まで行く。一番バスに乗るために暗い内に到着する。月が明るく照らしている。

バス停へ行くと、すでに行列ができていた。

バスで20分ほど揺られてようやく登山口へ。まだ薄暗いが5時過ぎにスタート

砂防新道の登山道では多くの高山植物が迎えてくれた。
タカネナデシコ

ウズラバハクサンチドリ

オオバミゾホオズキ

キヌガサソウ

南竜ヶ馬場との分岐をエコーラインへ。今年はまだ登山道に残雪が残っている。

テガタチドリ

コイワカガミ

シナノキンバイ

谷間に残る残雪。ここが最後の難関のようだ。

ミヤマダイモンジソウ

カラマツソウ

延命水

黒ボコ岩までやってきた。

頂上が近づいてきた。笹の中を木道を進む。

10時過ぎ室堂に到着。5時間以上かかった。やはり体力不足のようだ。

祈祷殿は再来年2017年の白山開山1300年に向けて建て替え中。仮殿で御朱印をいただく。

祈祷殿の裏手にクロユリが咲いていた。白山を象徴する花、初めて本物を見た。

さらに奥宮に向かって登る。高度が上がっているので高山病の症状も出てきている。下山のバスの時間も気になるので、今日はここまで。高天ヶ原で引き返す。

帰りは黒ボコ岩から観光新道を下る。
ニッコウキスゲとハクサンフウロ

クルマユリ

ササユリ
別当出合には4時前に到着。市ノ瀬には4時30分前に着き、初めての白山登拝は終了した。

東京上野の上野東照宮。御祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
当地上野には津藩主の藤堂高虎公の江戸屋敷地があり、家康公の遺言で家康、高虎、天海僧正が三人で鎮魂する場所を作ってほしいという言葉に従い、屋敷神として祀ったのが始まりという。ということは最初の御祭神はこの三人ということになるのだろうか。

社殿は五年間の大修理を終えて、真新しくなりました。以前来たときは覆いの中でした。

譜代厩橋藩の酒井家から寄進された鳥居を通っていく。

鳥居には寄進した酒井忠知の銘が刻まれている。

ここより先は参拝時間にしか入ることが許されません。

社殿が見えてきました。

中でもこの唐門が目を引きます。
本来は社殿も見学するところなんですが、有料で時間もなかったので、授与所で御朱印をいただいて先を急ぎます。
以前の修理中は書き置きだったので、直接書いていただいたのは初めてです。

上野東照宮の五重塔は神仏混淆の名残でもありますが、今は隣接する上野動物園の中に建っています。
動物園に入園すればもっと近づけるのかわかりませんが、五重塔見るのに動物園に入る時間もなかったのでまたいつか。
上野東照宮
東京都上野公園内

羽咋市には羽咋神社を中心に、この地方を平定した第11代垂仁天皇の皇子石衝別命、妃の三足比咩命、子の石城別王にまつわる塚が7つ点在している。

「大塚」
羽咋神社の境内にあり、神社の御祭神石衝別命の御陵墓とされる。陵墓の盛土のために唐戸山のくぼみができたと伝わり、その場所で唐戸山神事相撲が行われる。

「大谷塚」
羽咋神社の境内にあり、御祭神石衝別命の子、石城別王の御陵墓とされる。

「水犬塚」
滝崎に棲む怪鳥を石衝別命が射落とされた時、命に従った白、黒、斑の三匹の犬が怪鳥との死闘の末、羽根をくわえて現れ力尽きたことから「羽喰(はくい)」の地名が起こったと伝えら、この三匹の犬と怪鳥の墓だと伝えられる。

「宝塚」
石衝別命が亡くなった時、その遺品や埴輪などを埋めた所だと伝わる。

「姫塚」
石衝別命の妃、三足比咩命の陵墓だと伝わる。明治31年の七尾線開通工事で移転したそうなので、元の場所はもっと東の方にあったようだ。

「剣塚」
石衝別命の剣を埋めた所と伝わり、八幡の森の中にあった。八幡神社は駅前拡張工事で移転されたが、ここは石衝別命の屋敷跡だと言われている。

「痛子塚」
石衝別命の妃、三足比咩命が病気になられた時に、悲しみのあまり亡くなった王女の陵墓と伝わる。

羽咋市の八幡神社。御祭神は応神天皇、三足比咩命。現在は羽咋神社の飛び地境内となっている。三足比咩命は石衝別命の妃であり、姫塚の御祭神である。別の資料を参照すると、相殿は石衝別命、三足比咩命、石城別王など羽咋神社の御祭神を祀っているとするものもある。

境内は長者川の西岸にあるが、もとはJR羽咋駅前の東岸に鎮座していた。

駅前の拡張工事により昭和37年に現在地に遷座したという。

八幡神社の鎮座した場所は「八幡の森」といい、石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

境内の御神木はその森の一部なのか、森から移されたものなのか、かなり大きな木で良い日陰となっていました。
八幡神社
石川県羽咋市川原町

JR羽咋駅前はもと「八幡の森」と呼ばれ、八幡神社が建っていました。昭和37年の駅前拡張工事で移転されたそうです。八幡神社が延喜式内社の羽咋神社の論社となっているので、元宮のあったこの地が旧地と言われるようです。

「剣塚」は羽咋神社の御祭神、石衝別命の剣を埋めた場所と言われ古墳があったようです。

八幡の森はまた石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

羽咋と言えば、氣多大社と妙成寺、千里浜、そしてUFOです。
駅前には千里浜の砂で作った像が飾られていました。
大相撲の遠藤関に、宇宙人、そして先日飲み鉄旅で能登に来ていた六角精児さんの砂像がありました。
羽咋神社元宮(旧社)
JR羽咋駅前 剣塚

射水市かつて放生津と呼ばれた地に鎮座する放生津八幡宮です。創始は天平18(746)年に越中国守の大伴家持が宇佐八幡宮より八幡神を勧請したと伝えられています。御祭神は八幡神こと応神天皇と、仁徳天皇を配神としています。御朱印には「奈呉乃浦大神」と書かれ、二柱を合わせてそう呼んでいるようです。
放生津の総社は放生津町の氣比住吉神社だったと言われていますが、現在は放生津八幡宮にその役割は移っているようです。

放生津の町中の道路に直行するように鳥居が立てられています。

大鳥居の扁額は安政4(1857)年左大臣近衛忠煕卿の揮毫によるものだそうです。

拝殿の入口に市文化財の木製の狛犬があります。
宮司さんがおいでれば参拝時に太鼓が鳴り響き、厳かな気分になれますよ。

境内には大伴家持公を祀った祖霊社

八衢比古命、八衢比売命を祀る來名戸社(右)と軻遇突智命を祀る火之宮(左)があります。

また創始のきっかけとなった景勝地、奈呉の浦。
本殿裏にあり、知らなければ見逃す方も多いと思いますが、現在はその名残を感じるのは難しい状況です。

大伴家持が奈呉の浦を詠んだ
「あゆの風いたく吹くらし奈呉の浦 人の釣する小舟こぎ隠る見ゆ」
の歌碑や

松尾芭蕉の詠んだ
「早稲の香や分け入る右は有磯海」
の句碑などが奉納されています。

御朱印は境内の社務所でいただけます。そのときに由緒書もいただきました。
大伴家持のおみくじがなんともかわいい。

例祭も多彩で、10月2日に行われる「築山」はここと二上射水神社の二社のみに残る珍しい神事です。

ちょうど今日は例祭前の休みで獅子舞を行っている町もあるということで、しばらく見学してきました。
地元の加賀では獅子を仕留める獅子殺しが主流ですが、能登や富山では獅子と戯れる形式が多いようです。こちらも陽気な雰囲気で、悪魔払いとして獅子を神獣として敬う起源からするとこちらが原型に近いのでしょうけど、新湊周辺では解散の前だけ獅子殺しを演じる地区もあるようです。
放生津八幡宮
富山県射水市八幡町2-2-27

射水市の愛宕社です。秋葉神社と呼ばれることもあります。
この社には近くの放生津八幡宮の獅子頭があるそうですが、神社庁東麓の社ではないようで、そのため正式社名も統一されていないのかもしれません。御祭神は愛宕神社系であれば火産霊命、秋葉神社系であれば火之迦具土神となりますが、同神の別名であり、八幡宮の境内社が火之迦具土神であるのでこちらで良いのかと考えられます。

境内には松が1本植えられているだけですが、立派なものです。

扁額も社名標もないので確かに判然としません。

社頭に地蔵堂が建てられています。この界隈には150カ所もあると言われ、地元の人々には「おんぞはん」と呼ばれるそうです。特にこの漆喰造りの地蔵堂は珍しいもので、立体に塗り重ねる「こて絵」は名人竹内源造が手がけたものだそうです。
参考:新湊寺社さんぽ(射水商工会議所)
愛宕社(秋葉神社)
富山県射水市八幡町

射水市の荒屋神社です。御朱印はありません。

境内地は地域の広場のような役割もあるようで、もとは放生津城の御蔵の跡であったようです。

社殿は南向きに建てられており、鳥居からは参道は左に曲がっています。

荒屋神社は三社の合祀社のようで、稲荷社の倉賀御魂神、気多社の大己貴命、神明社の天照大神が御祭神です。
荒屋神社
富山県射水市八幡町3-5-28