紀伊熊野 花窟神社

花窟神社

熊野市に鎮座する花窟神社。御祭神は伊弉冉尊、軻遇突智尊。

花窟神社

花窟神社は史跡花の窟として、日本書紀に記される伊弉冉尊の御葬所と伝わり、花を供えて祀ったことが神号の由来。

花窟神社

参道の左に境内社、龍神神社と稲荷神社へ向かう参道

花窟神社

手水舎と参籠殿。神社に拝殿はない。

花窟神社

御神体の岩盤は45メートルと見上げるほどに高い。

花窟神社

その前に伊弉冉尊の拝所がある。拝所に参る。

花窟神社

挟んで向かい側の王子ノ窟と呼ばれる磐座(軻遇突智尊)の前に拝所。

花窟神社

御神体から綱が上空にかけられている。綱は2月と10月の例大祭で新しく掛け替えられる。今日の日中に新しく掛け替えられたばかりだ。

花窟神社

御綱掛け神事は7本の縄を束ねて上空を渡し、三神を意味する縄を下げる。
7本の縄は伊弉冉尊の子である七神の自然神を表す。
風の神 級長戸辺命
海の神 少童命
木の神 句句廼馳
草の神 草野姫
火の神 軻遇突智尊
土の神 埴安神
水の神 罔象女
三神は宇宙を基本構成する伊弉冉尊の子を表す。
太陽の神 天照大神
月の神 月読尊
暗黒の神 素戔嗚尊

花窟神社

参籠殿がすでに閉まっていたので駐車場になっているお休み処の売店で御朱印をいただく。17時30分の閉店間際だったが、書き置きをいただく間、展示資料を見る。

花窟神社

薄暗くなってきたが、外から綱の全体を見てみる。御神体からの縄の長さは170メートルにも及ぶという。

花窟神社

最後は左回りに七回半回り、残りを右回りで巻き付ける。国生み神話がもとになっているという。

花窟神社

神前には熊野の七里御浜が広がる。

花窟神社
三重県熊野市有馬町上地130

紀伊牟婁 熊野那智大社

熊野那智大社

那智勝浦町に鎮座する熊野那智大社。御祭神は熊野夫須美大神を主祭神とし、熊野十三神を祀る。

熊野那智大社

土産物屋の建ち並ぶ表参道を上ってくると一の鳥居

熊野那智大社

振り返ると正面に霊峰光ヶ峰が見える。

熊野那智大社

鳥居をくぐると右に児宮多富気皇子神社

熊野那智大社

階段の先に二の鳥居が見える。

熊野那智大社

二の鳥居の先に社殿が並ぶ。

熊野那智大社

右手に宝物殿

熊野那智大社

明日の節分祭を控え、福豆などが頒布されていた。

熊野那智大社

宝物殿の右、拝殿左に、手前に御縣彦社と奥に八社殿。第六殿八社殿には中四社と下四社が祀られる。
中四社
禅児宮、御祭神は忍穂耳尊
聖宮、御祭神は瓊々杵尊
児宮、御祭神は彦火火出見尊
子守宮、御祭神は鵜葺草葺不合命
下四社
一万宮・十万宮、御祭神は国狭槌尊、豊斟渟尊
米持金剛、御祭神は泥土煮尊
飛行夜叉、御祭神は大戸道尊
勧請十五所、御祭神は面足尊

熊野那智大社

拝殿に参る。

熊野那智大社

拝殿の後ろに上五社が鎮座する。
第一殿滝宮、御祭神は大己貴命
第二殿證証殿、御祭神は家津御子大神、国常立尊
第三殿中御前、御祭神は御子速玉大神
第四殿西御前、御祭神は熊野夫須美大神
第五殿若宮、御祭神は天照大神

熊野那智大社

拝殿右の授与所の前には御神木の樟

熊野那智大社

樟霊社胎内くぐりとして根幹の空洞を通り抜けて祈願する。

熊野那智大社

右手には展望所が設けられ

熊野那智大社

眼下を一望できる。

熊野那智大社

隣接する青岸渡寺との間の東門には「那智山熊野権現」の扁額が掛かる。

熊野那智大社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

紀伊牟婁 飛瀧神社

飛瀧神社

那智勝浦町に鎮座する飛瀧神社。御祭神は大己貴神。

飛瀧神社

参道の入口に鳥居が立つ。

飛瀧神社

扁額には「熊野那智大社別宮 飛瀧神社」と書かれている。

飛瀧神社

参道は徐々に下っていく。

飛瀧神社

階段を下りると光ヶ峰遙拝石。神武天皇が熊野に上陸したとき、神光に導かれて大瀧を発見したという伝説にちなみ光ヶ峰と名付けられ、那智三峰の一山で山頂には社殿もあるという。

飛瀧神社

那智の滝が御神体なので社殿はなく、滝前の拝所で参る。

飛瀧神社

現在滝下では災害復旧工事中であったが、滝を間近に拝むと霊験を感じる。

飛瀧神社

滝の上には注連縄が張られている。

飛瀧神社
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1

紀伊新宮 阿須賀神社

阿須賀神社

新宮市に鎮座する阿須賀神社。御祭神は家津美御子大神、事解男命、熊野夫須美大神、熊野速玉大神を主祭神とし、黄泉道守命、建角身命を配祀する。

阿須賀神社

社殿は南向き。参道に大幟がたなびく。

阿須賀神社

参道に「神武天皇聖蹟熊野神邑顕彰碑」が立つ。

阿須賀神社

そして「祖先禅師徐福の祠に香を献ずる詩」碑、当地は徐福伝説の地である。

阿須賀神社

鳥居の先に社殿、背後に蓬莱山(飛鳥山)が見える。蓬莱山は古代祭祀の磐座があった地で禁足地となっていた聖地である。

阿須賀神社

境内では弥生時代の住居遺跡も発掘され、古代より人が住んでいた場所であることを伝える。

阿須賀神社

拝殿に参る。

阿須賀神社

拝殿の左に御神木か?

阿須賀神社

子安の宮

阿須賀神社

拝殿の右に阿須賀稲荷神社

阿須賀神社

氏子地区は徐福の子孫が住んだ地とされ、徐福宮に徐福が祀られている。

阿須賀神社
和歌山県新宮市阿須賀1-2-25

紀伊新宮 熊野速玉大社

熊野速玉大社

新宮市に鎮座する熊野速玉大社。御祭神は熊野速玉大神を主祭神とし、多くの大神を祀る。延喜式牟婁郡熊野早玉神社の比定社で明神大社。

熊野速玉大社

新宮とも呼ばれ、神社では降臨地の摂社神倉神社から遷座したからとしている。

熊野速玉大社

「熊野権現」の扁額の掛かる一の鳥居

熊野速玉大社

鳥居をくぐると右に鑰宮手力男神社と八咫烏神社。鑰宮手力男神社は延喜式牟婁郡の論社のひとつとされる。

熊野速玉大社

右手に熊野神宝館

熊野速玉大社

参道を挟んで右に御神木ナギの巨樹

熊野速玉大社

正面に神門が見えてくる。

熊野速玉大社

神門をくぐると右前に拝殿

熊野速玉大社

拝殿には「日本第一大霊験所 根本熊野権現拝殿」の扁額がかかり、結宮、速玉宮の拝所となっている。
第一殿結霊宮、御祭神は熊野結大神(いざなみの命)
第二殿速霊宮、御祭神は熊野速玉大神(いざなぎの命)

熊野速玉大社

その右に奥御殿三神殿、上三殿、八社殿が並ぶ。
奥御殿三神殿、御祭神は天之御中主神、高皇産靈神、神皇産靈神
上三殿には
第三殿証誠殿、御祭神は家津美御子命、国常立命
第四殿若宮、御祭神は天照大神
第五殿神倉宮、御祭神は高倉下命
八社殿には
第六殿禅地宮、御祭神は天忍穂耳命
第七殿聖宮、御祭神は瓊瓊杵命
第八殿児宮、御祭神は彦火々出見命
第九殿子守宮、御祭神は鸕鷀草葺不合命
第十殿一万宮十万宮、御祭神は国狭槌命、豊斟渟命
第十一殿勧請宮、御祭神は泥土煮命
第十二殿飛行宮、御祭神は大斗之道命
第十三殿米持宮、御祭神は面足命
が祀られている。

熊野速玉大社

神門のすぐ左に授与所があり、御朱印をいただく。ここで摂社神倉神社の御朱印をいただける。
熊野三山にはそれぞれに熊野牛王法印が頒布されている。八咫烏を絵文字化した護符で、中世までは起請文や血判書など強く誓約するために使用されていた。

熊野速玉大社

境内の右方に新宮神社、御祭神は新宮市内の末社を合祀している。
下本町鎮座太上宮、御祭神は大己貴命
日和山鎮座谷ノ子守神社、御祭神は菊理媛命
船町鎮座石神社、御祭神は素戔嗚尊
権現山麓鎮座今神倉神社、御祭神は天村雲命
山際地鎮座渡御前社、御祭神は神倭磐余彦命
権現山鎮座満山神社、御祭神は八百万神
矢倉町鎮座高倉神社、御祭神は熊野樟日神
雑賀町鎮座火之神社、御祭神は軻具土神
神倉山麓鎮座猿田彦神社、御祭神は猿田彦神
丹鶴山鎮座鳥坂小守社、御祭神は埴山姫命
丹鶴山西麓鎮座八幡宮、御祭神は誉田別命
相筋鎮座小飛神社、御祭神は稲倉魂命
相筋鎮座妙見社、御祭神は少彦名命
と神社案内には書かれているが、猿田彦神社は合祀の後再建されている。

熊野速玉大社

熊野恵比須神社、御祭神は蛭児大神

熊野速玉大社

手水舎の背後に熊野稲荷社

熊野速玉大社
和歌山県新宮市新宮1番地

紀伊新宮 神倉神社

神倉神社

新宮市に鎮座する神倉神社。御祭神は高倉下命、天照大神。

神倉神社

神倉山(権現山)の頂に朱色の社殿が見える。

神倉神社

神倉神社は熊野速玉大社の摂社で、日本書紀にある神武天皇が登った天岩楯と伝えられ、熊野三所大神が天降った聖地とされる。

神倉神社

境内に入ると猿田彦神社、神倉三宝荒神社の合祭殿

神倉神社

麓の登り口に鳥居が立つ。

神倉神社

急な階段は500段以上続き、無理のないように鳥居の前に拝所が設けられている。

神倉神社

男坂と女坂の別れ口に火神社と中ノ地蔵堂

神倉神社

上り詰めると朱色の玉垣に囲まれ鳥居が立っている。

神倉神社

玉垣の右上に境内社が一社。

神倉神社

玉垣の中には大きな岩盤がむき出しになっている。

神倉神社

その中を進むと磐座の横に拝殿が立っている。磐座のゴトビキ岩の迫力が息をのむばかりだ。

神倉神社

眼下には新宮市の町並みが広がる。

神倉神社

下から見ると大きな磐座は2つ並んでいるように見える。

神倉神社

2つの岩の間には拝所が設けられ、古くは岩陰で祭祀を行ったのであろう。

神倉神社

麓の社務所は無人だったので、熊野速玉大社のほうで御朱印をいただく。

神倉神社
和歌山県新宮市神倉1丁目13-8

紀伊田辺 熊野本宮大社

熊野本宮大社

田辺市に鎮座する熊野本宮大社。延喜式牟婁郡熊野坐神社の比定社で明神大社。御祭神は家津御子大神を主祭神とし、上中下各四社に多くの神を祀る。

熊野本宮大社

かつては熊野川の中州にあった大斎原に鎮座していた。

熊野本宮大社

明治22年6月の大水害で上四社を除き流出し、上四社が現在地に遷座する。平成23年9月にも熊野川は大氾濫した。新宮から大斎原までの途中でもまだまだその傷跡が残っていた。

熊野本宮大社

大斎原に入る。

熊野本宮大社

熊野は能「巻絹」の舞台という

熊野本宮大社

元鎮座の地には現在石祠が二社並んで建つのみ。左に流出した中下各四社を、右に境内摂末社を祀るという。
中四社には
第五殿禅児宮、御祭神は忍穂耳命
第六殿聖宮、御祭神は瓊々杵尊命
第七殿児宮、御祭神は彦穂々出見尊
第八殿子守宮、御祭神は鵜葺屋葺不合命
下四社には
第九殿一万宮十万宮、御祭神は軻遇突智命
第十殿米持金剛、御祭神は埴山姫命
第十一殿飛行夜叉、御祭神は弥都波能売命
第十二殿勧請十五所、御祭神は稚産霊命
摂末社には
摂社底海神社、御祭神は住吉三神。延喜式牟婁郡海神社の論社
摂社御戸開神社、御祭神は手力男神。延喜式牟婁郡天手力男神社の論社
摂社滝姫神社、御祭神は瀬織姫命
摂社市杵島神社、御祭神は市杵島姫命
摂社八咫烏社、御祭神は武角見命
摂社高倉下神社(地主社)、御祭神は高倉下命、穂屋姫命
摂社大國主神社、御祭神は大國主命
摂社須勢理姫神社、御祭神は須勢理姫命
末社音無天神社、御祭神は少彦名命
末社素戔嗚社、御祭神は素戔嗚尊
末社天神社、御祭神は菅丞相
末社水戸社、御祭神は罔象女
が祀られるという

熊野本宮大社

大斎原に立つ大鳥居を正面に拝み、大斎原を出て本宮神社へ向かう。

熊野本宮大社

境内入口の一の鳥居

熊野本宮大社

参道沿いには奉納された大幟がずらりと並ぶ。

熊野本宮大社

入口に境内社功霊社、地元出身者の英霊を祀る。

熊野本宮大社

階段途中に祓戸社

熊野本宮大社

階段を上ると、右手に授与所、正面に神門がある。神門は工事中であった。

熊野本宮大社

神門左の拝殿

熊野本宮大社

神門の注連縄、両端の上にも初めて見る縄細工が飾られている。

熊野本宮大社

上四社
第一殿西御前、御祭神は熊野牟須美大神(伊邪那美大神)
第二殿中御前、御祭神は速玉之男神(伊邪那岐大神)、第一殿と第二殿は結宮の左右に祀られる
第三殿證証殿(本宮)、御祭神は家津美御子大神(素戔嗚尊)
第四殿東御前(若宮)、御祭神は天照大神

熊野本宮大社

上四社の右に境内社満山社、御祭神は祓いの神、結ひの神。八百万の神を祀るといい、大斎原にあった八百万神社であろうか。

熊野本宮大社

社前の和歌山県世界遺産センターに入る。

熊野本宮大社

かつての大斎原の模型が飾られている。右から下四社、中四社、若宮、本宮、?、結宮が並ぶ。これで見ると上流の方が流出してしまったようだ。本宮と結宮の間に一社多いのは「熊野三山絵図」に残る姿である。

熊野本宮大社
和歌山県田辺市本宮町本宮1110