
魚津市に鎮座する宮津八幡宮。御祭神は誉田別命。

社殿は南向き。

拝殿に参る。

拝殿の扁額は「加積郷総社 正八幡宮」とある。加積郷は魚津市、滑川市、上市町の一部を含み、三代実録に加積神とある式外社に比定される。

境内にはチャンチャン石とバン持ち石が置かれている。チャンチャン石は昔落ちてきた隕石と伝えられ、小石で叩くと高い金属音がする。

本殿の後ろは一段低くなっていて稲田が広がる。宮津の地名はその昔、本殿の後ろまで海だったことに由来してそうだ。
宮津八幡宮
富山県魚津市宮津1520

魚津市に鎮座する宮津八幡宮。御祭神は誉田別命。

社殿は南向き。

拝殿に参る。

拝殿の扁額は「加積郷総社 正八幡宮」とある。加積郷は魚津市、滑川市、上市町の一部を含み、三代実録に加積神とある式外社に比定される。

境内にはチャンチャン石とバン持ち石が置かれている。チャンチャン石は昔落ちてきた隕石と伝えられ、小石で叩くと高い金属音がする。

本殿の後ろは一段低くなっていて稲田が広がる。宮津の地名はその昔、本殿の後ろまで海だったことに由来してそうだ。
宮津八幡宮
富山県魚津市宮津1520

魚津市西布施地区に鎮座する白山社。行基の開基と伝わる千光寺とその塔頭が建ち並んでいたという宗教都市だった。

千光寺の南に隣接する。

長い階段を上る。

白山社は千光寺の鎮守であったと思われる。

中に入れたので、拝殿内で参る。

拝殿に入ると天井と奉納額の多さに圧倒される。

天井には人物と花が描かれている。彩色が少し退色しているものの、よく残っている。三十六歌仙であろうか。

嘉永年間奉納の一枚。源平合戦が描かれ、一ノ谷の戦いから衣川の戦いまで義経の半生が描かれているようだ。

拝殿の扁額には「白山大権現 五社大権現」と書かれ、上に鰐口が吊されている。右の御祭神(御本尊)は別所薬師如来、御影大日尊、白山妙理大権現、奥院○○山大権現、○○野天海大○○、野新白山権現、左の方がにじんでいて判別できない。いずれにしても現在も神仏混淆が残っている。祭礼もまた神仏混淆のまま引き継がれているようです。
白山社
富山県魚津市小川寺2927

魚津市に鎮座する布勢神社。御祭神は五十猛命、五十日足彦命。延喜式新川郡の論社のひとつ。

場所がはっきりとは分からず、布勢川沿いの集落内を探していましたが、集落西の山越えの途中にありました。

南向きにまっすぐの参道の先に社殿が見える。

神社標の右に会所らしき建物。

中をのぞくとたくさんの石仏と

お不動さんや千手観音像。神仏習合の名残でしょうか。それにしてもこの数、信心深い土地柄のようです。

参道は長い。拝殿前の草むらに狛犬代わりの石が据えられている。

拝殿が開いていたので中に入って本殿に参る。本殿の両側に古そうな随神像がこちらを向いている。

本殿の前の狛犬は無表情で子犬のよう。ずっと見ていると愛らしく思えてくる。

奉納された黒駒像もあった。

拝殿には絵馬が複数掲げられていた。ほとんどは奉納馬だったが、安政奉納の一枚。右上の山から駆け下りる騎馬が見えるので一ノ谷の戦いのようである。
布勢神社
富山県魚津市布施爪947

魚津市に鎮座する建石勝神社。延喜式新川郡の比定社。御祭神は武甕槌命。

社殿は東向き。新しい感じがする。

天正年間までは大社であったが、越後長尾氏により兵火で焼失、長く中絶した社は天保11年に現在地で再建される。昭和9年本殿を再建、平成4年国道8号線バイパス事業により境内地を一部変更し社殿を新築する。

平成4年に再建された社殿なのでまだまだ新しいのだろう。

境内の社叢の紅葉が美しい。以前は参道がもっと東に長かったのだろう。

社前を通る国道8号線、立山連峰から昇る朝日がまぶしい。
神社は兼務社であり、本務の宮津八幡宮で御朱印をいただける。
建石勝神社
富山県魚津市吉島2972

七尾市の松尾神社。御祭神は天照大御神と豊宇気毘売神。
松尾神社といえば酒造りの神で大山咋神なのだが、この社はかつて松尾山神明宮と称していたようで、松尾はいわゆる寺の山号ということになるのだろう。

途中の案内板は「神明宮松尾神社」となっており、御朱印の墨書きもそう書いていただいたのだが、社頭の神社標は「神明神社」となっている。

前の道路を挟んで川が流れており、その先の丘には前田利家が築城した小丸山城がある。

正面本殿の御祭神は天照大御神ということになるのだろう。

左に境内社として稲荷神社が建っており、こちらに豊宇気毘売神が祀られている。

何度か移転をしているようで、現在地には昭和46年に来たようだ。
御朱印は隣接する社務所兼自宅でいただいたのだが、行った時は留守だったので夕方にもう一度寄っていただきました。やはり朱印は「神明宮」となっています。
松尾神社
石川県七尾市所口町リ3

放生津八幡宮の大祭は10月1日に曳山、10月2日に築山が行われます。
今日は一度見たいと思っていました築山を見に来ました。

拝殿前の参道には提灯が並んでいます。

毎年同じテーマかと思っていたのですが、毎年変わるようです。
中央と神様と左右の四天王は変わらず、神の前の2、3体が客人(まろうど)といって物語を表現する人形です。

今年は「文禄五年 前田利長、伏見築城にあたり放生津などの桧物師を上洛せしむ」というテーマでした。
築山の客人説明
「豊臣秀吉が伏見に新城建築を始めたことで、生活に必要な桧物器財が不足がちとなったため、文禄5年4月15日付けで前田利長は放生津をはじめ越中の桧物師を上洛させて桧物造りを命じ、不足をまかなわせました。」

左には2体の桧物師が

右に前田利長の人形は配置されています。
放生津八幡宮
富山県射水市八幡町2-2-27

射水市の道神社。御祭神は大彦命、彦屋主田心命。
延喜式内社の射水郡「道神社」の論社のひとつです。
御朱印は境内に隣接する自宅のほうでいただきました。

神社は集落のほぼ中央にあります。

社殿は西向きに建てられています。

境内には巨木の御神木があります。

西に向かって集落内に参道が通っており、集落の端に旗を立てるようになっています。
道神社
富山県射水市作道1846

射水市の十社大神です。伊勢神宮の末社ということで主祭神は天照大神となります。
この地は中世は神宮領だったようです。

隣接して真言宗の名刹蓮王寺があり、鎮守社としての十社大明神などを祀っていたところが、神仏分離により分離されたようです。十四社が合祀されたということですが、十社大明神から現社名となっているようで、相殿に外宮の豊受大神など15柱の神が祀られています。

大きな看板に誘われて参拝しました。

末社ということもあって、式年遷宮の神宮御用材で鳥居が新しくなっていました。

拝殿をはじめとして社殿も立派です。

神馬は木製で、神宮から伊勢領神明宮へ寄進されたものと伝えられます。

神宮遙拝所も玉垣に囲まれて立派です。この玉垣も式年遷宮の御用材だそうです。

白い石を敷き詰めてあります。

境内に隣接してある宮司宅で御朱印をいただきました。
十社大神
富山県射水市三ケ1753

金沢市の尾山神社。御祭神は前田利家公、前田まつ。
今回は金沢お宮さんめぐりで再訪し御朱印をいただいてきました。今回も巫女さんが書きました。

青空です。

暑い昼下がり。人がほとんどいませんでした。

社務所前にはんこが置いてあります。

ちょうど境内で発掘調査が行われていました。新しい授与所を建てるみたいですが、境内は旧金谷御殿であり、金沢城の一部でもあるので屋敷か庭園の石垣が残っています。
尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

金沢市の金沢神社。金沢お宮さんめぐりのため、再度御朱印をいただいてきました。
今回も宮司さんが書いてくれました。やはり迫力のある見惚れる墨書きですね。
御祭神は菅原道真公、白蛇大神、そして加賀前田家12代前田斉広公、13代前田斉泰公となります。

真夏の暑い1日ですが、さわやかな青空です。

境内の放生池には蓮の花

では参拝に向かいましょう。

夏休みということもあって、参拝者もひっきりなしに来ます。

あらためて拝殿内を見ていると、斉広公御筆の絵馬が掛けられています。奥に「天満宮」の扁額も掛けられています。藩政期は鎮守として天満宮と呼ばれていたんでしょうね。
金沢神社
石川県金沢市兼六町1−3
金沢市では夏休みに合わせて「かなざわ・まち博」という街全体を博覧会に見立ててイベントやサービスを行います。今年は「金沢お宮さんめぐり」という企画が加わりました。
市内36カ所の神社で各神社の神紋スタンプを集めます。
こんな感じや
こんな感じで置いてあるんですが、なんか連絡が隅々まで行っていないらしく、スタンプまだ置いてない神社もありました。
地図にもスタンプにも詳細が書いていないので企画終了後もスタンプは続きそうですが、新聞広告の内容を載せておきます。でも、応募先がよくわからないのですけど
期間:2015年7月18日(土)~8月23日(日)
全神社をめぐり終えた方の中から抽選で10名の方に尾山神社・石浦神社・安江八幡宮・金沢神社のいずれかのオリジナル朱印帳をプレゼントします。
続きを読む 金沢お宮さんめぐり

霊峰白山の山頂に鎮座する白山比咩神社の奥宮。今日は初めてそこを目指す。

奥宮の御朱印は室堂の祈願殿でいただける。四種類の印から選択して一冊に一つのみ授与される。墨書きは何も言わなければ「霊峰白山」になる。「白山奥宮」をお願いした場合の印は自動的に「白山比咩神社」となる。

登山シーズンに入ると、車は市ノ瀬に停めてバスで登山口の別当出合まで行く。一番バスに乗るために暗い内に到着する。月が明るく照らしている。

バス停へ行くと、すでに行列ができていた。

バスで20分ほど揺られてようやく登山口へ。まだ薄暗いが5時過ぎにスタート

砂防新道の登山道では多くの高山植物が迎えてくれた。
タカネナデシコ

ウズラバハクサンチドリ

オオバミゾホオズキ

キヌガサソウ

南竜ヶ馬場との分岐をエコーラインへ。今年はまだ登山道に残雪が残っている。

テガタチドリ

コイワカガミ

シナノキンバイ

谷間に残る残雪。ここが最後の難関のようだ。

ミヤマダイモンジソウ

カラマツソウ

延命水

黒ボコ岩までやってきた。

頂上が近づいてきた。笹の中を木道を進む。

10時過ぎ室堂に到着。5時間以上かかった。やはり体力不足のようだ。

祈祷殿は再来年2017年の白山開山1300年に向けて建て替え中。仮殿で御朱印をいただく。

祈祷殿の裏手にクロユリが咲いていた。白山を象徴する花、初めて本物を見た。

さらに奥宮に向かって登る。高度が上がっているので高山病の症状も出てきている。下山のバスの時間も気になるので、今日はここまで。高天ヶ原で引き返す。

帰りは黒ボコ岩から観光新道を下る。
ニッコウキスゲとハクサンフウロ

クルマユリ

ササユリ
別当出合には4時前に到着。市ノ瀬には4時30分前に着き、初めての白山登拝は終了した。

東京上野の上野東照宮。御祭神は徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公。
当地上野には津藩主の藤堂高虎公の江戸屋敷地があり、家康公の遺言で家康、高虎、天海僧正が三人で鎮魂する場所を作ってほしいという言葉に従い、屋敷神として祀ったのが始まりという。ということは最初の御祭神はこの三人ということになるのだろうか。

社殿は五年間の大修理を終えて、真新しくなりました。以前来たときは覆いの中でした。

譜代厩橋藩の酒井家から寄進された鳥居を通っていく。

鳥居には寄進した酒井忠知の銘が刻まれている。

ここより先は参拝時間にしか入ることが許されません。

社殿が見えてきました。

中でもこの唐門が目を引きます。
本来は社殿も見学するところなんですが、有料で時間もなかったので、授与所で御朱印をいただいて先を急ぎます。
以前の修理中は書き置きだったので、直接書いていただいたのは初めてです。

上野東照宮の五重塔は神仏混淆の名残でもありますが、今は隣接する上野動物園の中に建っています。
動物園に入園すればもっと近づけるのかわかりませんが、五重塔見るのに動物園に入る時間もなかったのでまたいつか。
上野東照宮
東京都上野公園内

羽咋市には羽咋神社を中心に、この地方を平定した第11代垂仁天皇の皇子石衝別命、妃の三足比咩命、子の石城別王にまつわる塚が7つ点在している。

「大塚」
羽咋神社の境内にあり、神社の御祭神石衝別命の御陵墓とされる。陵墓の盛土のために唐戸山のくぼみができたと伝わり、その場所で唐戸山神事相撲が行われる。

「大谷塚」
羽咋神社の境内にあり、御祭神石衝別命の子、石城別王の御陵墓とされる。

「水犬塚」
滝崎に棲む怪鳥を石衝別命が射落とされた時、命に従った白、黒、斑の三匹の犬が怪鳥との死闘の末、羽根をくわえて現れ力尽きたことから「羽喰(はくい)」の地名が起こったと伝えら、この三匹の犬と怪鳥の墓だと伝えられる。

「宝塚」
石衝別命が亡くなった時、その遺品や埴輪などを埋めた所だと伝わる。

「姫塚」
石衝別命の妃、三足比咩命の陵墓だと伝わる。明治31年の七尾線開通工事で移転したそうなので、元の場所はもっと東の方にあったようだ。

「剣塚」
石衝別命の剣を埋めた所と伝わり、八幡の森の中にあった。八幡神社は駅前拡張工事で移転されたが、ここは石衝別命の屋敷跡だと言われている。

「痛子塚」
石衝別命の妃、三足比咩命が病気になられた時に、悲しみのあまり亡くなった王女の陵墓と伝わる。

羽咋市の八幡神社。御祭神は応神天皇、三足比咩命。現在は羽咋神社の飛び地境内となっている。三足比咩命は石衝別命の妃であり、姫塚の御祭神である。別の資料を参照すると、相殿は石衝別命、三足比咩命、石城別王など羽咋神社の御祭神を祀っているとするものもある。

境内は長者川の西岸にあるが、もとはJR羽咋駅前の東岸に鎮座していた。

駅前の拡張工事により昭和37年に現在地に遷座したという。

八幡神社の鎮座した場所は「八幡の森」といい、石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

境内の御神木はその森の一部なのか、森から移されたものなのか、かなり大きな木で良い日陰となっていました。
八幡神社
石川県羽咋市川原町

JR羽咋駅前はもと「八幡の森」と呼ばれ、八幡神社が建っていました。昭和37年の駅前拡張工事で移転されたそうです。八幡神社が延喜式内社の羽咋神社の論社となっているので、元宮のあったこの地が旧地と言われるようです。

「剣塚」は羽咋神社の御祭神、石衝別命の剣を埋めた場所と言われ古墳があったようです。

八幡の森はまた石衝別命の屋敷跡だったとも言われています。

羽咋と言えば、氣多大社と妙成寺、千里浜、そしてUFOです。
駅前には千里浜の砂で作った像が飾られていました。
大相撲の遠藤関に、宇宙人、そして先日飲み鉄旅で能登に来ていた六角精児さんの砂像がありました。
羽咋神社元宮(旧社)
JR羽咋駅前 剣塚

射水市かつて放生津と呼ばれた地に鎮座する放生津八幡宮です。創始は天平18(746)年に越中国守の大伴家持が宇佐八幡宮より八幡神を勧請したと伝えられています。御祭神は八幡神こと応神天皇と、仁徳天皇を配神としています。御朱印には「奈呉乃浦大神」と書かれ、二柱を合わせてそう呼んでいるようです。
放生津の総社は放生津町の氣比住吉神社だったと言われていますが、現在は放生津八幡宮にその役割は移っているようです。

放生津の町中の道路に直行するように鳥居が立てられています。

大鳥居の扁額は安政4(1857)年左大臣近衛忠煕卿の揮毫によるものだそうです。

拝殿の入口に市文化財の木製の狛犬があります。
宮司さんがおいでれば参拝時に太鼓が鳴り響き、厳かな気分になれますよ。

境内には大伴家持公を祀った祖霊社

八衢比古命、八衢比売命を祀る來名戸社(右)と軻遇突智命を祀る火之宮(左)があります。

また創始のきっかけとなった景勝地、奈呉の浦。
本殿裏にあり、知らなければ見逃す方も多いと思いますが、現在はその名残を感じるのは難しい状況です。

大伴家持が奈呉の浦を詠んだ
「あゆの風いたく吹くらし奈呉の浦 人の釣する小舟こぎ隠る見ゆ」
の歌碑や

松尾芭蕉の詠んだ
「早稲の香や分け入る右は有磯海」
の句碑などが奉納されています。

御朱印は境内の社務所でいただけます。そのときに由緒書もいただきました。
大伴家持のおみくじがなんともかわいい。

例祭も多彩で、10月2日に行われる「築山」はここと二上射水神社の二社のみに残る珍しい神事です。

ちょうど今日は例祭前の休みで獅子舞を行っている町もあるということで、しばらく見学してきました。
地元の加賀では獅子を仕留める獅子殺しが主流ですが、能登や富山では獅子と戯れる形式が多いようです。こちらも陽気な雰囲気で、悪魔払いとして獅子を神獣として敬う起源からするとこちらが原型に近いのでしょうけど、新湊周辺では解散の前だけ獅子殺しを演じる地区もあるようです。
放生津八幡宮
富山県射水市八幡町2-2-27

射水市の愛宕社です。秋葉神社と呼ばれることもあります。
この社には近くの放生津八幡宮の獅子頭があるそうですが、神社庁東麓の社ではないようで、そのため正式社名も統一されていないのかもしれません。御祭神は愛宕神社系であれば火産霊命、秋葉神社系であれば火之迦具土神となりますが、同神の別名であり、八幡宮の境内社が火之迦具土神であるのでこちらで良いのかと考えられます。

境内には松が1本植えられているだけですが、立派なものです。

扁額も社名標もないので確かに判然としません。

社頭に地蔵堂が建てられています。この界隈には150カ所もあると言われ、地元の人々には「おんぞはん」と呼ばれるそうです。特にこの漆喰造りの地蔵堂は珍しいもので、立体に塗り重ねる「こて絵」は名人竹内源造が手がけたものだそうです。
参考:新湊寺社さんぽ(射水商工会議所)
愛宕社(秋葉神社)
富山県射水市八幡町

射水市の荒屋神社です。御朱印はありません。

境内地は地域の広場のような役割もあるようで、もとは放生津城の御蔵の跡であったようです。

社殿は南向きに建てられており、鳥居からは参道は左に曲がっています。

荒屋神社は三社の合祀社のようで、稲荷社の倉賀御魂神、気多社の大己貴命、神明社の天照大神が御祭神です。
荒屋神社
富山県射水市八幡町3-5-28

珠洲市に鎮座する柳田神社です。御祭神は菅原道真公、天照大神、伊邪那岐命、伊邪那美命、菊理媛神、大山咋神、天児屋根命。周辺の神社を多く合祀しているようで、天満宮、神明宮、白山神社、日吉神社、三輪神社系あたりの神社を合祀したのでしょうか。元々の神は柳田大明神と呼ばれ、在地の神だったのかもしれません。
御朱印は本殿裏の自宅のほうでいただきました。

道路を挟んで向かいの公園に旗を立てるようになっています。

拝殿に参拝します。

拝殿内には周辺にある曳山の模型が飾られていました。昔はこの神社でも出ていたのかもしれません。

向かいの公園に戻ります。公園の先にはすぐ海が広がります。昔は社頭にすぐ浜が広がっていたことでしょう。

これだけ海が近いにもかかわらず、住吉三神や宗像三神の海上安全や豊漁を祈るような神は御祭神となっていません。このあたりが神社の創始に係わるキーとなるのかもしれませんね。
右前方に見えるのは珠洲の観光スポットでもある見附島です。
柳田神社
珠洲市上戸町南方フ45
久目神社は県道64号線を久目集落に入り、上庄川を渡って山際まで行きます。川を渡る橋が細く、車で渡るのにちょっと戸惑いました。射水郡延喜式内社久目神社の比定社。御祭神は大久目命。
水仙のきれいな季節です。集落の端に鳥居が見えました。
鳥居前には上庄川からまっすぐに道があったのでしょうけど、圃場整備で段々になっていて道はありません。それとも神社前の集落はもともとなかったのかもしれませんね。
社標にも「延喜式内」とあります。
鳥居をくぐると、用水にかかる橋を渡って杉木立のなかを階段を上ります。
拝殿で参拝します。
拝殿の後ろに本殿が鎮座します。斜面を利用して一段高くなっています。
拝殿右の一角に五輪塔の上部と石仏が祀られていました。古くからの集落が存在していたのでしょうね。
久目神社
富山県氷見市久目3229
氷見市の市街地から10kmほど西に向かう。速川神社は久目川(今の上庄川)の守護神として尊崇され、川岸村落早借等八ケ村の総社として、天正年間まで早借の領主岩田采女の祈願所であったという。主祭神は瀬織津比賣命で、射水郡速川神社の延喜式内社の論社です。
入口を探すのに少し苦労しました。県道64号線からは上庄川が行方を阻んで入れず、県道300号線に入って上庄川を渡ったところの集落から入ります。
ようやく鳥居を見つけました。
脇に由緒の石碑が立てられています。
まだ雪支度の狛犬たち。
ここからは道が狭くなりそうなので徒歩で向かいます。
途中桜とツバキの共演。そしてイタチの出没
山を登ること5分。ようやく鳥居が見えてきました。
最後に上り階段。鳥居前に駐車場がありますので、軽なら頑張れば上ってこれそうです。
拝殿もやはり雪支度。
囲いの中に入れなかったので、外から参拝。
拝殿の後ろに本殿。周りにはツバキが植えられ、花まっさかりでしたが、参拝者はほとんどないようです。
本殿裏に上ってみると、遠くの山が見えます。晴れていればもっときれいに見渡せるでしょう。
集落に入ったときに渡った上庄川。右奥の山上に速川神社が鎮座しています。
川の西側には奈良時代、小窪寺という大寺があったそうです。
今は一面の田んぼが広がるのどかな風景が広がります。
速川神社
富山県氷見市早借880
日宮神社は天長5年(828)に勧請されたという古社で、古くは比美の江(富山湾)に面していたそうだ。日の出の名所として日見の宮から日宮と称した。主祭神は天照大日靈尊(天照大御神)。
当社では御朱印は授与されていないとのこと。
氷見の商店街のメインストリートに面して北側が入口となっています。昔は海岸がもっと近かったということですが、今は想像もできません。
ご神木?でしょうか。倒木の危険があるのか枝がほとんど切られていて無残です。
鳥居脇の石灯籠。
文化6年、古いです。
朱色が青空に映える拝殿。
境内の琴平社
拝殿脇にまわると桜の奥に本殿。
本殿は一段高い場所に鎮座している。
本殿前の狛犬は髪がカールしていてどこか西洋風。
本殿裏にはきれいにツバキが咲いていました。
日宮神社
富山県氷見市中央町2-47
野蛟神社(ぬづちじんじゃ)は、天平3年(731)に創立と言われる古社。御祭神は高皇産靈神、猿田彦神、事代主命、野椎神。加賀郡延喜式内社野蛟神社の比定社。
神社の云われについて、「当時神谷内を中心とした付近一帯に疫病が流行し、毎日のように住民が病に倒れ、亡くなる人がでた。そうした時白髪の老人が現れ、『自分の言う通りに従えば、衆人一切を救ってしんぜよう。』と言うので、住民は老人の教える通りに行った処、不思議にも病気が治ってしまった。この老人は『ヌヅチの神である、永く祭祀(イツキマツルこと)せよ。』と言い残し“龍(アマレリ)”に乗って天上雲間に消えた。そこで住民は、その地に神社を創立して祀ったのが起りである」と伝えられている。
さて、ヌヅチとは何か?「蛟」は「みつち」と呼び、龍や蛇のような水神を指すようだ。当地が水に恵まれた地である証であろう。
現在は境内のまわりを住宅地に囲まれ、窮屈な感じがある。
前は道路は狭いが頻繁に車が行き来する。
境内北川を川が流れる。水量も多く、流れも速い。
拝殿に向かう。
横に社務所を備えるが常駐はなく、御朱印は期待できない。
狛犬は対で阿吽になっているが、珍しく伏せている。体の模様が周辺の祭りでさかんな獅子舞を想起させる。
拝殿と社務所の間にご神木が立っている。
参拝の後、拝殿を見学していると、木鼻が赤く装飾されていてこれもまた珍しい。
ご本殿は一段高くなっている。
境内にはツバキがちょうど見頃を迎えていた。小さな神社ながら境内には芭蕉の句碑もあり、見どころは多い。
野蛟神社
金沢市神谷内町ヘ1
郡家神社は加賀郡延喜式内社郡家神社の論社。御祭神は大巳貴命。郡支配の拠点となり郡家が置かれていたため郡家神社と名付けられる。
当地は北国街道から小原越の分岐点に位置し、現在も南砺市と金沢市を結ぶ幹線道路が通る交通の要地である。
御朱印は常駐していないのでおそらくないかと。
集落から神社へ延びる道。社標には「延喜式内」の文字が書かれている。
神社は集落よりも一段の高台に鎮座している。
ご神木のなっている樹齢1000年以上の欅(右)の他、高木が多い境内。
別名「薬師の宮」と言われ、古来清水の湧き出る地であった。
拝殿は雪囲いを兼ねたサッシに覆われているが、これが開かない。ということで外から参拝。
ご本殿
境内はちょうどツバキが咲き誇っていました。
高台にある境内からはちょうど北陸新幹線の高架が見えたので、しばらく待っていると新幹線通りました。在来線に比べるとやはり静かだ。
郡家神社
金沢市吉原町チ83
小濱神社は、養老2年南小濱の松林中(黒津船地内)に転遷したと伝えれている。黒津船とは「コクル船」を意味し、高句麗、つまり朝鮮製の船のことらしい。高句麗の遺臣が建国した渤海国の使節がこの地に着いたこともあり、朝廷より「黒津船大権現」を賜り、「黒津船権現が鎮座する森」から権現森と称している。主祭神は大己貴命。
入口の看板を見つける。
そこからまっすぐに海岸に向かって道が延びる。
日本海に向かって開けた場所に元宮跡がある。夕日がきれいな場所だが、荒天のときは横風が強い場所で社殿の管理が大変だったことは容易に想像できる。
権現森内でも数度の転遷があったようで、ここは正徳4年(1714)に5代藩主綱紀が修築した社殿跡だそう。
標柱1本と辺りに礎石が残っている。
礎石には柱の穴跡が残るものも多数ある。
石灯籠の傘も転がっている。転遷前に壊れて放棄されたものだろうか。
小濱神社はこの地から再度権現森で転遷し、五郎島を経て現在地の大根布に遷座した。
元宮跡から北に数十m行くと、着弾地観測所が残されています。この建物は昭和28年内灘砂丘が米軍の特需砲弾試射場として使用されていたときに、発射された砲弾の目標への的中率と着弾を確認した施設です。
建物内からは日本海がよく見えます。藩政期までの宮跡と近代遺産が同居している長く重要な地であった。
今日は最高の夕日でした。ここは日本海を見渡す最高のロケーションですよ。
(2015/4/27追加)
小濱神社 元宮跡
石川県河北郡内灘町宮坂(権現森)
現在地 石川県河北郡内灘町大根布3丁目157
御馬神社は三馬郷の総社として古代より崇拝されてきました。祭神は保食神、天照大神、応神天皇、式内社御馬神社の比定社である。明治39年に田中社と八幡社を合祀したとされるので、応神天皇はそのときに合祀されたものか。
管理は遠く金沢北部の神社なので御朱印はないでしょう。
住宅街の広がる中に社叢があります。
現在の金沢市久安は三馬郷の一部。
境内には神馬像、獅子像、灯籠など奉納物が多い。
本殿は拝殿より一段高く建てられています。
境内社として稲荷社があります。中世、守護代富樫氏の崇敬も厚く、下屋敷のあった久安に御馬稲荷を勧請したとされ、その分霊をして浅野川稲荷神社を創立したとされています。この稲荷大明神が御馬稲荷でしょうか。
御馬神社
金沢市久安1丁目178
馬替神社は900年代の建立とされ往古より崇拝された神とされる。祭神は、伊弉名冊神、大国主命、武御名方神、保牟多和気神。御朱印はないみたいです。
元は白山神社と称していたが、明治11年現社号に変更されました。
扁額は鳥居の石製のみ。
馬替の地は、守護代富樫氏の居館があった野々市に南接し、詰めの城高尾山(高尾城)の行き来の途上、必ず社参したと言われています。
鳥居をくぐり参道を通ると、境内の入口にもう1つ社号標があります。
ご神木は本殿右に杉の大木があったようですが、倒木の恐れがあり切り倒されたようです。そうなるとこの入口左の木が今は目立ちますね。
手水舎には
珍しく絵馬が奉納されていました。
拝殿にお参り
入口脇の神馬像の裏に由緒が書かれていました。
馬替の名と通り、古代中世には馬を替える駅があったところという。
馬替神社
金沢市馬替3丁目219
少名彦神社は金沢市田上の山麓に鎮座しています。この地域は近年金沢大学の門前町として住宅地が広がってきました。祭神は少名彦神。式内社「神田神社」の論社のひとつです。
住宅に挟まれ奥まった場所に、多くの大木のある鎮守の森を形成しています。
入り口の鳥居横には石標が2本。1つは旧村社少名彦神社。
もう1つは式内神田神社です。
鳥居は2つ。それぞれに扁額が架けられています。
一の鳥居の扁額は「少名彦神社」
二の鳥居の扁額は読み取りづらくなっていますが「菅原神社」??
道真公はこの神社の祭神になっていないだろうと思いきや、調べてみると祭神になっていました。菅原性を名乗る前田家の治世となった近世以降に合祀されたのかもしれません。
杉の木がそそり立つ参道や社殿まわりの雰囲気は気持ちが引き締まります。当日は雪の風にのって吹き荒ぶような天候で、木々もミシミシと音を立てて揺れていて非常に恐ろしく、荒ぶる神が降臨という状況でしたが、帰り際にわずかな時間晴れたので、その間に写真撮影をやり直しました。神の存在を感じる参詣となりました。
拝殿横に社務所ありましたが無人でした。御朱印は本務社に他社の御朱印がなかったのでないでしょう。
少名彦神社
石川県金沢市田上本町タ23