近江草津 鞭嵜八幡宮

草津市に鎮座する鞭嵜八幡宮。

南の鳥居から入る。

社殿は西向き。開放的な拝殿の後ろに本殿がある。

本殿の苔生した檜皮葺の屋根が趣がある。本殿に参る。

御祭神は応神天皇、聖母大神、高良大神、住吉大神。聖母大神は神功皇后だと言われる。

境内社を拝殿を時計回りに参る。拝殿左に二社。
大山咋神と蛭子大神

金比羅大権現と貴船大神

拝殿の右に二社。神功皇后と應神天皇

稲荷大明神

宗源殿。地元の祖神が祀られる。

表の鳥居は北側になる。

社前を横切る道路は東海道からの脇道で矢橋道となる。矢橋道は近江八景のひとつ矢橋の渡しにつながる道で、瀬田の唐橋を通らずに京へ入る琵琶湖を行く近道であった。

鯱をいただく表門は膳所城の南大手門で、明治四年の廃藩置県で移築された貴重な遺構である。

鳥居と表門の間に難除水がある。八方厄除の水ということだろうか。

鞭嵜八幡宮
滋賀県草津市矢橋町1463

山城洛南 伏見稲荷大社 お山めぐり

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。その神奈備である稲荷山を一周することを「お山めぐり」という。

奥社奉拝所に参り、千本鳥居を進むとやがて熊鷹大神の扁額の掛かる鳥居が混ざってくる。

新池に張り出すように鎮座する熊鷹社、祭神は熊鷹大神。

さらに進み、三ツ辻を曲がって階段を上っていくと、途中に三徳社がある。

さらに階段を上る。この鳥居をくぐると四ツ辻になり、稲荷山一周が始まる。

三ノ峰下社、祭神は白菊大神。

間ノ峰荷田社、祭神は伊勢大神。ここまで来ると汗が噴き出してくる。

二ノ峰中社、祭神は青木大神。

そして稲荷山山頂233m、一ノ峰上社、祭神は末広大神。
奥社奉拝所から30分ほど経っていた。

ゆるやかに下る。春繁社、祭神は春繁大神。

長者社、祭神は御劔石という霊石で、別名御劔社ともいう。

おせき社、祭神はおせき大神。

石井社、祭神は石井大神。

薬力社、祭神は薬力大神。

山上祈祷所、三ヶ峰の北背後にあたり、かつて御饗殿と御竈殿があり供物をするところだった。

御膳谷奉拝所、ここで稲荷山の御朱印がいただける。奥社奉拝所からやがて一時間が過ぎようとしていた。

眼力社、祭神は眼力大神。

大杉社、大杉を祀る。

ようやく四ツ辻に戻り、北の荒神峰に上る。祭神は権太夫大神。

荒神峰の背後を谷に下り、白滝社に至る。祭神は白滝大神。

白滝のご霊水。

磐境を祀る社が並ぶ御幸奉拝所。

四ツ辻からは京都南部の町並みがくっきりと見えた。やがて一時間半を過ぎようとしていた。
すべて回ってきたつもりだったが、御膳谷奉拝所の北方の谷に三社ほどあったようだ。

山城洛南 伏見神宝神社

京都市に鎮座する伏見神宝神社。御祭神は天照大御神を主祭神とし、稲荷大明神を配祀する。

神社へは伏見稲荷大社の奥社奉拝所から稲荷山へ向かう千本鳥居の途中から右の山道へ入る。

本殿に参る。狛犬ならぬ狛龍が拝殿前に控える。

社名の「神宝」は奉安されている十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)をいう。物部氏の祖神、饒速日尊が天上よりもたらしたとされる。

御朱印は伏見稲荷大社と同じ8時30分からだったので帰りにいただく。

伏見神宝神社
京都府京都市伏見区深草笹山町15

山城洛南 伏見稲荷大社 奥社奉拝所

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。本殿の上にある奥社に向かう。

権殿右の鳥居より階段を上がっていく。

階段の左に境内社が並ぶ。末社長者社、祭神は旧社家秦氏の祖神。

末社荷田社、祭神は旧社家荷田氏の祖神。

末社5つの五社相殿。
末社八幡宮社、祭神は応神天皇。
末社日吉社、祭神は大山咋神。
末社若王子社、祭神は若王子大神。
末社猛尾社、祭神は須佐之男命。
末社蛭子社、祭神は事代主神。

末社両宮社、祭神は天照皇大神、豊受皇大神。

階段上に二社。供物所、稲荷山に供物をする場所。階段にネコが一匹、まるで眠り猫のように目を閉じ、社を守っていた。

末社玉山稲荷社、祭神は玉山稲荷大神。

奥社と反対方向に少し歩く。末社大八嶋社、祭神は大八嶋大神。古来磐境を祀る。

神馬舎。

一段上がってくる。奥宮、本殿と同じ稲荷大神を祀り、摂社でも末社でもなく別格扱いの社。

末社白狐社、祭神は命婦専女神。

そして奥宮から千本鳥居が始まる。初めは大鳥居。

千本鳥居の脇に変わった灯籠が立っている。二匹の狐が輪を作り、和合を願うものか。

大鳥居を抜けると小さい鳥居が立ち並ぶ、有名な場所が始まる。右側通行。

外国人にも人気の千本鳥居。

千本鳥居を抜けると奥社奉拝所に出る。奥社奉拝所に参る。
御朱印は8時30分からだったので帰りにいただく。9時半を過ぎると大勢の観光客のため手書きはしておらず、書き置きの授与のみだった。

山城洛南 伏見稲荷大社

京都市に鎮座する伏見稲荷大社。関西で最も初詣の多い神社。
御祭神は宇迦之御魂大神、大宮能売大神、佐田彦大神と摂社田中社の田中大神、摂社四大神の四大神の五柱。延喜式の紀伊郡稲荷神社の比定社であり、摂社田中社が飛鳥田神社の論社、摂社四大神が御諸神社の論社となっている。

社殿は西向き。参拝客のまだ少ない時間帯を狙って朝早く参拝に来た。朝日がまぶしい。

社名標の横に稲荷の神使キツネの銅像。境内ではたくさんのキツネに会うことになる。

参道を進むと左に境内社が三社。右より
霊魂社、祭神は瑞穂講社、講務本庁の特別崇敬者、当社に係り深い物故者の御魂。
末社藤尾社、祭神は舎人親王。
末社熊野社、祭神は伊邪那美大神。

二つ目の大鳥居の後ろには楼門。

天正期に秀吉が寄進した楼門。南北の廻廊が江戸中期に拡張された。

楼門をくぐると右手に末社東丸神社。社家に生まれた荷田春満を祀る。春葉殿と荷田社の2つの境内社がある。

本殿は前に拝殿がつく型式。正面や真横からの撮影はできなかったのでやや斜めから。
本殿に参る。

本殿後ろの左に権殿。

本殿の真後ろには奥宮と稲荷山の遙拝所。

鳥居型の珍しい絵馬。これだけたくさんあると朱がまぶしい。
御朱印は8時30分からということでお山めぐりの帰りにいただいた。

伏見稲荷大社
京都府京都市伏見区深草藪之内町68

山城八幡 石清水八幡宮

八幡市男山に鎮座する石清水八幡宮。全国八幡神社本社のひとつ。御祭神は応神天皇、神功皇后、比咩大神、比咩大神は宗像三女神とされる。

御朱印は拝殿前の授与所でいただく。本社と摂社三社の四種類ある。本社の墨書きが鳩でなかったのが少々残念。

ロープウェーはあるが、初めての参拝でもあるので山麓から歩いていく。

一の鳥居、扁額の八は鳩になっている。書は社僧であった松花堂昭乗の筆による。

頓宮殿入口、左に筒井がある。

頓宮殿

頓宮殿の出口。塗り替えられた朱色が鮮やか。

頓宮殿を出ると初めに鎮座する摂社が高良社。

高良社、御祭神は高良玉垂命。

二の鳥居を通るといよいよ上りが始まる。

分岐に鎮座する大扉稲荷社

その前にある影清塚。参拝前に心身を清めた場所。

階段は長いが、緩いので比較的上りやすい。

階段の終点に神馬舎。彌櫻号という神馬は今日は不在。

三の鳥居。ここから社殿は一直線。社殿は南向きに鎮座する。

三の鳥居をくぐるとかつて競馬の出発地点だった一ツ石。お百度参りの始点でもある。

南総門前まで来た。

手水舎にはたくさんの柄杓が並ぶ。

南総門をくぐると特徴的な拝殿が見えた。今日は非公開文化財公開日なのでいつもより多いかもしれない。

左にご神木の楠。楠木正成奉納で樹齢700年を越えるという。

時計回りに本殿まわりの境内社をまわる。廣田社、生田社、長田社の三社殿。

摂社武内社、御祭神は武内宿禰命。社殿は本殿の北西隅に鎮座する。今回廻廊内に入ってお詣りできたが、廻廊内は撮影禁止のため写真はない。御朱印中の熊笹は、武内宿禰命の御神紋である熊笹紋をもとにしている。

校倉

住吉社

一童社

北総門

貴船社と龍田社の二社殿。

若宮社と若宮殿社

気比社

水若宮社

来たときと別ルートで下りる。東総門の下、右手に伊勢神宮遙拝所がある。

摂社石清水社、御祭神は天之御中主神。御朱印中の霊泉とかかれたひょうたんは、松花堂昭乗の使用した印がもとになっている。

八幡大神が勧請される以前から祀られている産土神

石清水井、八幡五水のひとつで、往古より皇室及び将軍家の御祈祷に当たってはこの霊水を山上の八幡宮に献納していたという。

社僧であった松花堂昭乗の晩年の庵があった場所

石清水八幡宮
京都府八幡市八幡高坊30

山城乙訓 離宮八幡宮

大山崎町に鎮座する離宮八幡宮。御祭神は応神天皇、田心姫命、市杵島姫命、端津姫命、酒解大神。

正門の高麗門。社殿は南向き。

鳥居は境内内に立つ。

油祖の像。山崎の地は製油発祥の地であった。

拝殿に参る。

本殿の左にたくさんの境内が並ぶ。武内社

天照皇太神社

蛭子神社

鹿島神社

気比宮

高天宮神社

右が小禅師宮、左が勝手神社

腰掛天神社と道真腰掛石

高良社

不明の境内社

本殿の右に若宮神社

社務所で御朱印をいただく。兼務社の酒解神社の分もこちらでいただける。

石清水八幡宮創建の地であり、それ以前は酒解神社が鎮座した地という。境内には「石清水八幡宮」「大山崎八幡宮」「八幡宮」と様々な名の灯籠が立つ。現社名はここに嵯峨天皇の離宮があったところに由来する。

かつては広大な神領を有していたが、明治に入り東海道本線開通のため北側の大半の社領が削られ、南側の築地塀、正門の高麗門、そしてこの東門がそれ以前の面影を伝える。

離宮八幡宮
京都府乙訓郡大山崎町大山崎西谷21-1

山城乙訓 自玉手祭來酒解神社

大山崎の天王山に鎮座する自玉手祭來酒解神社。御祭神は自玉手祭來酒解神とも言われる大山祇神、素戔嗚尊を配祀する。

延喜式の乙訓郡自玉手祭來酒解神に比定される神社で明神大社、元は山崎社といい麓の離宮八幡宮の場所にあったという。離宮八幡宮の勢力が強くなるにつれ、山崎山に遷座し、天王社と呼ばれたところから天王山と呼ばれるようになった。

JR山崎駅から宝積寺の登山口を目指す。

しばらく登ると白い大きな一の鳥居が見えてきた。

鳥居脇に展望台があり、山崎合戦の古戦場が眼下に広がっている。

またしばらく登ると、三社宮が見えてきた。御祭神は天照大神、月読大神、蛭子神。高い木に囲まれた社が印象的。

三社宮から登山口は右に行く。左に少し行くと厳島社がある。

さらに登っていくと、酒解神社が見えてきた。社殿は山腹にあるとしては大きい。

拝殿に入り、本殿に参る。

振り返ると崖のほうに木が見える。

この一本はおそらくご神木なのだろう。

左に境内社が一社。

その左に神輿蔵がある。板倉造という鎌倉時代中期のころの珍しいものらしい。国重要文化財に指定されている。

本殿の右には後見社が拝殿に向かって建つ。祭神は大己貴命。

現在酒解神社は離宮八幡宮の兼務社となっているため、下山後、離宮八幡宮で御朱印をいただいた。

自玉手祭來酒解神社
京都府乙訓郡大山崎町大山崎天王46

摂津三島 水無瀬神宮

島本町に鎮座する水無瀬神宮。御祭神は第82代後鳥羽天皇、第83代土御門天皇、第84代順徳天皇。

承久の乱で隠岐、土佐、土佐に遷御され、いずれもその地でなくなり、菩提を弔うために、後鳥羽上皇が造営した水無瀬離宮のあった地に創建されたのが当神宮である。

社殿は北向き。鳥居横に駐車場がある。

神門

拝殿に参る。前に順徳天皇が佐渡で愛した「都忘れの菊」を移植したもの。

拝殿左の客殿は福島正則が秀吉の命で造営したもの。

後水尾上皇がご遺愛されて茶室、燈心席が庭園の奥に見える。

境内から名水百選の「離宮の水」が湧き出ていて、今日も行列ができていた。

境内社は境内の西側に並ぶ。稲荷神社

星阪神社

柿本神社

春日神社

水無瀬神宮
大阪府三島郡島本町広瀬三丁目10-24

山城乙訓 御谷神社

長岡京市に鎮座する御谷神社。明治に延喜式乙訓郡の比定社とされた。御祭神は天兒屋根命、應神天皇、別雷神、倉稻魂神とされ五社神社と称していたが、明治に比定社となり改称した。

鎮座する浄土谷は天王山の西側の山あいで道路も狭い。集落も数軒と乗願寺があるだけである。携帯電話も通じない。

乗願寺の裏に神社がある。鳥居をくぐると奥に本殿が見える。

かつては鳥居と本殿の間に拝殿があり、そこに本殿があったという。

本殿を覗くと社殿と朽ちた狛犬がある。

浄土宗乗願寺

西山の大仏といわれ、洛西観音霊場の番外霊場ともなっている。

御谷神社
京都府長岡京市浄土谷宮ノ谷3

山城乙訓 小倉神社

大山崎町の小倉山の麓に鎮座する小倉神社。乙訓郡の延喜式内社で明神大社。御祭神は武甕槌神、斎主神、天児屋命、比売大神。

平安京の鬼門除けとして祈願され、方除祖神として崇敬を集める。

参道は阪急西山天王寺駅の線路を渡るところから始まる。社名標と灯籠が立つ。

車で3分、社前に到着する。神社は天王山への登山口のひとつとなっていて、当日も支度を調えた家族連れに会った。

一の鳥居、参道を進み二の鳥居をくぐると広い場所に出る。

階段を上がり割拝殿をくぐる。

割拝殿には絵馬が掲げられていた。享保二年の祭礼絵馬。割拝殿、拝殿、本殿は今の位置だが、他に割拝殿の左前に能舞台が描かれる。小倉能として近郷に知られていたという。

もう1枚は相撲奉納の様子を描いた絵馬。文政十年の奉納である。

拝殿と本殿。本殿に参る。

手水には亀が二匹、どことなく愛らしい。

本殿の後ろに磐座が残り、地磁波が出ているという。

境内社も多い。拝殿右に三社神社、右より若宮、天照皇大宮、八幡宮。

やちまた宮とある熊野神社

二の鳥居右に四社並ぶ。天満宮

若宮神社

稲荷神社

龍王神社

11月3日の秋祭りも近いので社務所に人がいるかと思って訪ね、御朱印をいただいた。

小倉神社
京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83鳥居

山城乙訓 神足神社

長岡京市に鎮座する神足神社。乙訓郡の延喜式内社の比定社。

神足村の産土神で、祭神は不詳となっているが、境内の案内板では舎人親王といわれている。

社殿は南向き。ここは勝龍寺城の縄張りの北端になるが、かつての原生林の一部または屋敷林が社叢として残っているものと思われる。

拝殿に参る。

本殿が後ろに鎮座する。

本殿の右に境内社が一社。

境内の一部に勝龍寺城の空堀と土塁、土橋が残る。神社は東海道本線の線路敷設のため現在地に遷座されたといい、本来の場所がはっきりしないが西のほうにあったようだ。

御朱印を境内の社務所でいただく。

神足神社
京都府長岡京市東神足2丁目5

山城洛南 宇賀神社

京都市に鎮座する宇賀神社。御祭神は宇迦之御魂神、天照大御神。

宇賀神社参道、かつての宇賀の辻子跡。ここから東へ100mほどが参道であった。

参道を左に曲がると狭い道に挟まれた境内に到着する。本殿まわりの銀杏の大木が目立つ。

社殿は南向き。境内に入る。

拝殿の後ろに塀垣に囲まれた本殿がある。本殿に参る。

宇賀神社の地は藤原鎌足がこの辺りに遷都され子孫が繁栄することを予知して金璽を埋めた伝説の残る宇賀塚の場所であり、本殿には雷が石になったという雷石が祀られているという。東九条唯一の産土神である。

境内のムクのご神木は樹齢500年を越える。

宇賀神社
京都府京都市南区東九条東札ノ辻町33

山城洛南 田中神社

京都市に鎮座する田中神社。延喜式の紀伊郡飛鳥田神社の論社のひとつ。御祭神は田中大神。

鳥羽街道に面して東向きに鎮座する。裏に京阪鳥羽街道駅がある。

境内は一軒分くらいの狭い範囲。

現在は伏見稲荷大社の境外摂社になっている。

本殿に参る。

本殿は本社である伏見稲荷大社の境内にある末社とおなじ程度で造りも似ている。

田中神社
京都府京都市東山区本町20丁目

近江信楽 神山神社

甲賀市に鎮座する神山神社。御祭神は素戔嗚尊。

参道の左に駐車場がある。

参道は東西に延びる。

かつて信楽を総称して大原山と言ったころからの氏神であった。

社殿は南向き。拝殿の後ろに本殿がある。本殿右のご神木がとても高い。

本殿に参る。陶器製の狛犬が信楽らしい。

本殿

本殿の右に末社として山之神神社がある。御祭神は大山津見神。

社務所前の傘入れが狸になっていて、これはまた信楽らしい。社務所に人が戻ってきたので御朱印をお願いすると、宮司は入院中で留守番だという。またの機会とする。

神山神社
滋賀県甲賀市信楽町神山1994

伊賀阿拝 真木山神社

伊賀市に鎮座する真木山神社。延喜式阿拝郡の比定社。御祭神は天児屋根命を主祭神とする。

社殿は南向き。道は狭いが境内の西側に駐車場があった。

参道に第一鳥居、第二鳥居が立つ。

長い参道の途中、左手に梵鐘がある。ここも神仏習合の雰囲気が残る。

拝殿は檜皮葺で趣がある。かつては本殿も檜皮葺であった。拝殿に参る。

神社合祀により御祭神も多い。

拝殿前の狛犬。毛がフサフサとしてどこか大陸風の雰囲気を醸し出している。

拝殿の後ろの本殿。左右に境内社が一社ずつある。

拝殿左の宝蔵前の釜らしきもの。神事に使用するものだろうか。

帰りに境内を清掃中だった宮司に御朱印をお願いしたが、ここでは授与していなかった。

真木山神社
三重県伊賀市槙山3237

伊賀阿拝 宇都可神社

伊賀市に鎮座する宇都可神社。延喜式内社の比定社。御祭神は天忍日命。

横にある集落の公民館に車を停める。参道が尾根伝いに延びる。ここは集落内でも見晴らしのきく場所だ。

途中梵鐘がある。神仏習合の雰囲気を残す神社である。

ふと梵鐘の脇に仏像とも神像とも言えない石造が一体。

本殿に参る。本殿の裏に一際高い木。ご神木だろうか。

本殿右に境内社が一社。

社前に戻り、左手の公民館を奥に進むと、別当寺であった安楽寺の跡。別当の墓が並ぶ。

朱色の鳥居をくぐると稲荷社があった。

また社前に戻り、今度は反対の南側、西音寺へ。

西音寺の薬師堂はもと安楽寺の本堂。中のもとご本尊だった薬師如来坐像とともに西音寺に移された。

宇都可神社
三重県伊賀市内保1312

近江甲南 檜尾神社

甲賀市に鎮座する檜尾神社。御祭神は天津彦彦火瓊々杵尊を主祭神とする。元伊勢甲可日雲宮の数多ある候補地のひとつ。

田の隅に異様な短さの鳥居。檜尾神社の社前でもあり、元は一の鳥居だったか。根元が朽ちたか、地震か大風で折れてしまったのか。

社殿は東向き。山麓に鎮座する。

檜尾神社は檜尾寺と隣り合っている。左手に入ると檜尾寺。

檜尾大明神と言われた檜尾神社。檜尾寺は最澄開祖と言われ、檜尾神社の神宮寺だった。

鳥居をくぐり階段を上ると拝殿がある。

本殿は現在修理中だった。御祭神は宝蔵に遷座されていたのでそちらに参る。

隣の宮司宅で御朱印をいただく。有形文化財の本殿にお詣りできなかったので、また再拝を誓う。

檜尾寺のほうから境内社に参る。金刀比羅社か天照皇大神宮のいずれか。

本殿左の八坂社

檜尾神社
滋賀県甲賀市甲南町池田55-1

近江土山 瀧樹神社

甲賀市に鎮座する瀧樹神社。延喜式の甲賀郡川田神社の論社のひとつ。

神社の北側にある駐車場に車を停め、境内に入る。

社殿は南向き。境内のすぐ南を野洲川が流れる。

御祭神は速秋津比古命、速秋津比咩命、大山祇命、事代主之神、宇賀魂神、市杵嶋姫命、田心姫命、湍津姫命。

拝殿の後ろに二社の本殿が並ぶように鎮座する。

本殿は右に瀧樹神社、左に天満宮。本殿に参る。

享保二年銘の手水があり、奥に井戸らしきものがある。

境内の社務所で御朱印をお願いする。三度目でようやく会えたのだが、御朱印はやっていないとのこと。ネットでは見かけるのに止めてしまったのか。

駐車場からお茶畑の中を西に進むと集落から入る本来の一の鳥居が見えてきた。本来はこの鳥居をくぐり、川沿いを通って境内に入る。

瀧樹神社
滋賀県甲賀市土山町前野155

近江日野 長寸神社

日野町に鎮座する長寸神社。延喜式蒲生郡の論社のひとつ。御祭神は事代主命、天照荒魂神と素戔嗚尊を配祀する。

社殿は南向き。

鳥居左の1本の木が紅葉し美しい。

鳥居の向こうに拝殿が見える。

拝殿の奥に塀垣に囲まれた本殿が鎮座する。

本殿に参る。

本殿の彫刻は右に龍、左に虎。これは上之郷の大屋神社の本殿と同じである。中之郷の長寸神社は大屋神社と現在でも祭りを通して関係が深いという。

本殿右に境内社が二社。

左に一社。

その前に橿原神宮遙拝所がある。

長寸神社
滋賀県蒲生郡日野町中之郷1565

近江日野 大屋神社

日野町に鎮座する大屋神社。延喜式蒲生郡の論社のひとつ。

広がる田の中に鎮守の杜。

御祭神は五十猛神。杉杣大宮と称し奥津保郷の総社として崇敬を集めた。

鳥居右に竜王の御神木がある。

夏に干ばつが続くと桜谷の先祖達は竜王山頂に祀られた雨の神、八大竜王へ必死の雨乞祈願をかけた。山頂にある竜王の霊石を佐久良川沿岸八ヶ村が共同で三つの郷へ迎え、上之番、中之番、下之番がそれぞれ霊石を迎えた神社で踊りなどを奉納しつつ、夜を徹しての盛大な雨乞祈願を行った。ここは上之番である杉杣郷三ヶ村が竜王の霊石を迎えた場所である。今雨乞は消えたが7月1日の竜王山頂での祭は続けられている。

鳥居をくぐると参道がまっすぐ北に延び、両側に杉の並木が立つ。まさに神様に会うために通じる道のようだ。

並木を抜けると石積みの上段に社殿が見えてくる。

前に開放的な拝殿、後ろに一段上がって本殿が建っている。

本殿に参る。末社として左に若宮神社、右に奥津神社、右手に小綿向神社が鎮座する。

本殿には彫刻が多数飾られている。右に龍、左に虎の彫刻。

大屋神社
滋賀県蒲生郡日野町杉228

近代の集落神社と国家統制 明治末期の神社整理


著者:森岡清美
発行所:吉川弘文館
発行日:1987年5月20日
価格:5,500円
ページ数:307ページ
神社にとって近世と近代の大きな端境となった神社整理、その実態はどういうものだったのか。明治末期から大正初期にかけて各府県主導で行われた神社合祀の状況を、著者の出身地三重県を各論として著す。神社整理に関する著書は少なく、古い本であるが参考になる一冊。
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神社百景DVDコレクション12 金刀比羅宮・大麻比古神社

神社百景DVDコレクション12 金刀比羅宮・大麻比古神社
出版社:デアゴスティーニ・ジャパン
発売日:2016年10月25日
価格:1388円+税
収録時間:約88分
BSジャパンで放送された「神社百景 GRACE of JAPAN」(第2シリーズ)の「総本宮 金刀比羅宮」(#95)、「大麻比古神社」(#53)を収録している。ナビゲーターは伊藤英明氏。
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加賀金沢 尾山神社⑧

尾山神社

金沢市の尾山神社。10月の御朱印をいただいてきました。
10月は鈴の付け根が梅鉢紋となっている。鈴は天の岩戸の前で天鈿女命が舞ったときにも持っていた神聖な祈りの道具

尾山神社

来月には七五三。神社が賑わう季節になる。

尾山神社

平日の境内は外国からの観光客のほうが多いくらいだ。

尾山神社

境内には加賀藩の和算学者で西洋数学を研究・普及に尽力した関口開氏の顕彰碑が立てられている。

尾山神社
石川県金沢市尾山町11-1

能登志賀 松尾神社

松尾神社

石川県志賀町に鎮座する松尾神社。御祭神は大山咋命、玉依比売命。
承和元年(834)に山城国松尾神社(松尾大社)から勧請されたといい、茅葺きの拝殿は県内でも珍しい。

松尾神社

町居ほか二町の惣社として崇敬を集めてきた。

松尾神社

奧の丘に上には北陸観音霊場でもある松尾寺。松尾寺は松尾神社の別当寺として古来管理してきたものと思われる。
それにしても神社と寺の名前が同じ場所も珍しい。

松尾神社

重要文化財になっている本殿は中にあって見られなかったが、拝殿を見るだけでも一見の価値のある神社である。

松尾神社
石川県羽咋郡志賀町町居カ4

加賀能美 石部神社

小松市に鎮座する石部神社。延喜式内社の比定社で、加賀国府があったときは府南社と言われ加賀国惣社であった。地名の古府は加賀国府があったことに由来し、国府の南に惣社があったため府南社という。御祭神は櫛日方別命。

参道入口の社標柱。「加賀国惣社府南延喜式内石部神社」と書かれている。

神社は旧加賀国府に向かって北向きに鎮座する。

鳥居をくぐると右手に由緒書がある。

階段を上っていくと、やがて参道は左に折れる。社殿は西北向き。

拝殿に参る。

社前で神社総代の方を待つ。兼務社であるため御朱印はないものと思っていたが、ある時総代の方に連絡すればいただけることを知った。こういう取得方法は初めてであったが、そういうこともあり実は神社に参拝するのは三度目である。一度目は御朱印はないと思って参拝。二度目は御朱印をいただこうと参拝して電話したものの留守。今回あらかじめ書いたものをいただいたのだが、少し大きかったので縮小して御朱印帳に貼った。総代の方と地元ということもあり、しばし話をさせていただいた。何でも今年は春頃から月に2、3人は御朱印を授与しているという。ネットにもほとんど情報がないのにどこで知ったのか。駅からも遠い交通の不便な場所であるが、なんでも小松市内から歩いてきた方もいたとか、神社参拝が目的だったのか御朱印授与が目的だったのか分からないが全く驚きである。

古府町にはもう一社白山神社がある。そちらに参拝する方はまれのようだが、私は先にそちらも参拝してきた。境内に石造の古い神明社があった。お隣の福井県ではよく見かけるが県内ではとても珍しい。

石部神社
石川県小松市古府町カ169

越前大野 八幡神社

八幡神社

福井市東河原町(旧大野郡下味見村)に鎮座する八幡神社。御祭神は誉田別尊、神功皇后と武内宿禰と伊弉册尊を合祀する。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。

社殿は北向き。川沿いの低地にある集落から山に向かって参道が延びる。

途中振り向くと谷間に集落と田畑が広がる。

階段を上って最初の平地に梵字の彫られた石造九重塔が立つ。

さらに長い階段を上る。

深い森の中に社殿がある。建物の間にある2本のご神木が目立つ。

後ろにまわると拝殿と本殿がある。とすると前の建物は何なのか、戸が開かなかったので中に何があるのか分からない。

拝殿に参る。扁額には「式内椛神社」とある。

拝殿左手から一段高いところに一棟の建物がある。境内には宝蔵と神輿殿があるというから不明の2棟がいずれかなのだろうか。

上から見ると境内一面が苔生してなかなか良い雰囲気の神社です。

八幡神社
福井県福井市東河原町40-11

越前大野 樺八幡神社

福井市中手町(旧大野郡上味見村)に鎮座する樺八幡神社。御祭神は誉田別尊。延喜式内社の大野郡椛神社の論社のひとつ。
永禄18年奉納の狛犬には「大野郡味美郷惣社」とある。

味見川が東西に流れ、南北に山がせり出す谷間に一面の田畑が広がる地の左岸に鎮座する。

深い森の中に鳥居が見えてきた。

石造の第一鳥居の後ろに、木製の鳥居がある。

さらに拝殿前に石造の鳥居がある。

拝殿と本殿の間には杉や銀杏の大木が林立する。

本殿に参る。

本殿右には茅葺きの神明神社が建つ。本殿も元は茅葺きであった。

境内に残る古拝殿。古拝殿も元は茅葺きであった。平安時代の息長垂姫尊坐像や大鷦鷯尊坐像の二体の神像、平安時代の大日如来坐像と多聞天王立像、広目天王立像の三体の仏像を所有し中世の神仏習合の風習を今に伝える。

古拝殿の中に缶があって、開くと御朱印がありました。自分で押す方式ですね。

御朱印料を納め、境内を後にしようと駐車場のほうに出ると、入口に社名標があった。鳥居のところではなく、駐車場のほうにあるのか。

樺八幡神社
福井県福井市中手町20-27