近江野洲 御上神社② 御遷座1300年記念奉祝祭

御上神社

野洲市に鎮座する御上神社。御祭神は天之御影神。
2回目の参拝。

御上神社

今日は御遷座1300年記念奉祝祭が行われるので見に来た。

御上神社

午前中は雨予報ということもあってか一般の参拝者は思ったり少ないだろうか。

御上神社

ちょうど遷祀祭の巫女豊栄舞の最中だった。

御上神社

巫女舞の後、拝殿のまわりをこの桜の造花を持って稚児行列が三周する(桜の舞)予定だったが、雨で中止になった。

御上神社

遷祀祭の後、氏子地区毎の記念写真撮影が行われました。

御上神社

記念撮影を終えた親子は徹下のさくら餅を配布されました。
すべての記念撮影を終えた後、余ったさくら餅をいただきました。

御上神社

本殿に奉納された御酒の数々

御上神社

境内の東端に今回の奉祝奉幣祭の記念碑(右)が建てられていました。
ちなみに左は平成19年2月11日に建てられた御遷座1300年記念造営事業の本殿尾根保存修理工事竣工奉祝祭のものです。

ここで午前中の行事が終了し休憩に入ったので、御朱印をいただき午後の行事が始まる前に神体山の三上山に登ってきました。

御上神社

午後2時、午前中とは打って変わり晴れた空の元、奉祝奉幣祭が始まりました。

御上神社

天皇陛下の御幣帛が運ばれ、続いて神社本庁の幣帛料が運ばれてきました。

御上神社

本殿へ幣帛が献じられ、神楽豊栄舞が奉奏されました。
午後は大津市瀬田の八坂雅楽会により、舞と演奏が奏じられました。

御上神社

奉幣祭終了後、舞楽奉納が始まりました。
最初に浦安の舞。ここからは本殿の神様に奏じるのではなく、拝殿右の参拝者席に向かって演じられました。

御上神社

続けて、雅楽の越天楽と陪臚が演奏されました。

御上神社

最後に舞楽の蘭陵王だったのですが、楼門から拝殿まで歩いて入ってくるという演出がビックリしました。

御上神社

後ろから見ていたのでほぼ後ろ姿でしたが、優美な舞でした。

御上神社

最後は氏子さんらによるくじ引き抽選会だったが、ここで帰途につく。

御遷座1300年記念奉祝祭
10:30 遷祀祭(桜の舞)
14:00 奉祝奉幣祭
15:20 舞楽奉納
16:20 くじ引き抽選会

御上神社
滋賀県野洲市三上838

近江野洲 御上神社奥宮 三上山登拝

御上神社奥宮

祭礼の合間に神体山の三上山に登る。男山、女山の双耳峰である三上山は見る方角によっては秀麗な裾野をひくことから近江富士と呼ばれている。
御上神社から登山口に向かう。

御上神社奥宮

「昭和大禮 悠紀斎田址」と書かれた石標。他に三ヶ所あり何かな?と思いながら歩いていたが、その正体は後で判明する。

御上神社奥宮

裏登山口が出てきたのでそのまま入る。今回は緩やかな裏登山道を上り、急な表登山道を下りることにする。

御上神社奥宮

裏登山口に御上神社御旅所がある。

御上神社奥宮

登山口の鳥獣柵を開けてスタートする。12時3分
雨もほぼやんでいたが、直前まで降っていたので地面は濡れている。

御上神社奥宮

すぐに表登山道と裏登山道の分岐がある。この後二ヶ所分岐があるので、基本右を選択する。

御上神社奥宮

半分過ぎた頃から登山道がむき出しの岩盤が多くなる。濡れて滑りやすいので注意しながら登る。

御上神社奥宮

女山に鎮座する東龍王に到着。12時32分
東の龍王の祠が建っている。標高は270m
龍王祭(山上祭)ではここと奥宮で祭祀が行われ、竹串を刺したこんにゃくとあげの甘煮が供えられるという。

御上神社奥宮

女山と男山の間は少し標高が下がり、わりと平坦な道が続く。苔が沢山繁殖する場所のようで「苔が谷」と呼ばれる。

御上神社奥宮

途中、「姥の懐」という案内板を見つけるが、洞窟の場所がよくわからなかった。

御上神社奥宮

奥宮の裏登山道鳥居をくぐる。12時38分

御上神社奥宮

男山に鎮座する奥宮。両側に祠がある。右には前掛けをした地蔵のような石像が祀られている。
東の龍王の祠に対して、西の龍王の祠というものをあるといい、女山に対し男山は若干西に位置するので、左の祠が西の龍王の祠ということになるのだろうか。

御上神社奥宮

前に奥津磐座と呼ばれる神磐がある。御上神社の御祭神天之御影神は三上山山上に御降臨したとされているので、この磐座の上に降り立ったということになろうか。そう思うといかにも伝説の磐座の趣がある。

御上神社奥宮

磐座の先は視界が開けている。

御上神社奥宮

三上山の本当の頂上は奥宮の裏を少し登ったところ

御上神社奥宮

三上山山頂432m

御上神社奥宮

15分ほど滞在し、表登山道を下りる。
少し下りたところに展望台があり、奥宮前よりもさらに視界が開けている。

御上神社奥宮

途中ツツジがきれいに咲いていた。さらに下りる途中、「モチツツジ」という案内を見つける。花は咲いていなかったが、ガクが粘りがあると書いてあったので触ると本当にくっつく感じがあった。

御上神社奥宮

表登山道は裏登山道に比べると確かに急だが、岩盤がむき出しで滑りやすい裏登山道に比べると段があって下りるには良かった。15分ほど下ると眼下に御上神社の社叢(丸い森)が見えてきた。

御上神社奥宮

さらに10分ほど下ると割岩に到着。

御上神社奥宮

横にまわると真っ二つに割れた大岩を体感できる。間を通ることもできるようだが、濡れていて危険だったので諦める。

御上神社奥宮

案内に誘われて二越に寄り道

御上神社奥宮

途中に妙見堂跡という建物の基壇跡が残る。

御上神社奥宮

魚釣岩に到着したのは13時37分
大昔、琵琶湖の水位がこの付近まであり、神がこの岩の上から魚を釣っていたと言われることから命名された。

御上神社奥宮

振り向けば、そこはもう表登山口になっていた。

御上神社奥宮

表登山口に妙見堂があり、中腹の妙見堂がここに下ろされてきたようだ。

御上神社奥宮

登山口に妙見堂の常夜灯が建つ。

御上神社奥宮

帰ろうとふとみると、裏登山口が見える。表登山口と裏登山口は目と鼻の先だった。

御上神社奥宮

御上神社から道路を渡って向かいの田の前に鳥居が建っている。
ここは御上神社の神饌田のようだ。

御上神社奥宮

神饌田と神社の間が公園となっていて悠紀斎田記念碑が建っている。

御上神社奥宮

その隣の石碑に書かれていることをみると、
天皇御一代一度の大嘗祭に当たり、古来宮中において亀卜により悠紀と主基の両斎田を定める習わしという。
昭和三年十一月十日、今上天皇(昭和天皇)の御即位式挙行に際し、悠紀斎田を滋賀県に、主基斎田を福岡県に勅定遊ばされ、滋賀県では御上神社の神饌田になっている田地等を含めて約一町歩を斎田に選定した。
ということのようだ。最初の石標の意味がわかってスッキリした。

御上神社奥宮(三上山山頂)
滋賀県野洲市三上

近江甲賀 飯道神社

飯道神社

湖南市に鎮座する飯道神社。御祭神は素盞嗚尊と菅原道真公。

飯道神社

神社の東に社号標が建つ。神社は道路の右側の丘の上
雨がやまないので少し薄暗いが参拝することにする。

飯道神社

道路を行くと階段がある。

飯道神社

もう1本奥にも階段があり、こちらのほうが古そうだ。

飯道神社

階段を上がると家棟川を渡る橋の向こうに境内が見えてくる。

飯道神社

数段の階段を上り、「式内 飯道神社」の社号標と鳥居が建つ。

飯道神社

参道の左に社務所代わりの建物が建つ。

飯道神社

参道をまっすぐ拝殿が建つ。

飯道神社

後ろに瑞垣に囲まれた本殿。拝所で参る。

飯道神社

瑞垣の中、本殿の前に狛犬が奉納されている。阿像は子持ち

飯道神社

拝殿と本殿の間に湯窯が並び、印象に残る風景。

飯道神社

本殿の右、本殿に向かって末社皇大神宮が鎮座。

飯道神社

本殿の右に並んで愛宕神社が鎮座する。

飯道神社

拝殿の右には石造宝篋印塔がある。案内板によると「嘉元四年十一月」(1306)の銘があるらしい。

飯道神社

鳥居の近くに神社の由緒板が建てられていた。
これによると境内社は「天神社 愛宕神社 二ノ宮日吉神社」の3社となっている。愛宕神社は確認できたが、他の2社が周囲を探しても見当たらなかった。ここに皇大神宮が載っていないことをみると、天神天照大神を祀るという意味で天神社がそれだろうか。

飯道神社

当宮はもとは「飯道の森」と呼ばれた神域に祀られていたらしい。その場所は湖南市役所東庁舎(旧甲西町役場)の場所ということだが、森だった面影は周辺には全くなかった。

飯道神社
滋賀県湖南市針1009

大和奈良 春日大社④

春日大社

奈良市に鎮座する春日大社。春日大社の展覧会が開催されるのに合わせ、先月に続き参拝しました。

春日大社

暖かい日でもあったので観光客が大勢参拝に来ていた。

春日大社

拝所に参る。

春日大社

境内の砂ずりの藤

春日大社

まだ少し早かったが、二分咲きくらいで花は楽しめた。

春日大社

御朱印をいただいた後、桂昌殿の「秘宝 鹿島立御鉾 特別公開」を鑑賞する。

春日大社

続いて国宝殿の「聖域御本殿を飾る美術」を鑑賞する。もと本殿の間に書かれていた絵や狛犬を間近に見られた。

春日大社

国宝殿の前の東門から神苑萬葉植物園に入る。

春日大社

一部の藤は見頃を迎えていた。

春日大社

御衣黄(ぎょいこう)という緑の桜が満開だった。葉と同じ色で少し見つけにくく、入口で場所を聞いて向かった。

春日大社

午後は奈良国立博物館の特別展「国宝 春日大社のすべて」を鑑賞した。
春日大社宮司花山院弘匡氏による記念講演会はとてもわかりやすく興味深いお話だった。

春日大社

奈良国立博物館の前庭に残る東塔の礎石と

春日大社

西塔の礎石。展覧会の宮曼荼羅に多く描かれた往時の五重塔を思い浮かべながら見た。

春日大社
奈良県奈良市春日野町160

大和奈良 狭岡神社

狭岡神社

奈良市に鎮座する狭岡神社。御祭神は若山咋神、若年神、妹若沙那賣神、彌豆麻岐神、夏高津日神、秋毘賣神、久久年神、久久紀若室葛根神の八柱。延喜式添上郡狹岡神社八座の論社。

狭岡神社

境内は一条通りを北へ上る。狭い路地で駐車場がなかったので、道路が少し広がった場所に停車。

狭岡神社

一の鳥居の右に「延喜式内 狹岡神社」の社号標。

狭岡神社

すぐに朱色の二の鳥居。その先は階段になっている。

狭岡神社

階段の途中左手に狹穂(佐保)姫伝承の鏡池が復元されている。

狭岡神社

少し上がった左手には狹穂姫伝承地の石碑が建つ。

狭岡神社

さらに階段を上っていくと、右手に社務所が建つ。

狭岡神社

階段は最後に左に折れ、拝殿左から入る。
拝殿前に建物。絵馬殿でも神楽殿でもなさそうな休憩所のような建物。

狭岡神社

拝殿に参る。

狭岡神社

拝殿の左に御神木。

狭岡神社

拝殿の後ろ、瑞垣の中に三社が並んでいる。

狭岡神社

中央が狹岡神社の御本社。

狭岡神社

右に末社天満神社、御祭神は天照大神、伊那諾大神、八幡大神、住吉大神、春日大神、天満大神。

狭岡神社

左に末社金山神社、御祭神は事代主神、地主之神、金山彦神。

狭岡神社

階段が折れる辺りに末社天満神社に合祀された天満宮の社号標が残されている。

狭岡神社
奈良県奈良市法蓮町604

高畠町の鳥居 石鳥居の景観と信仰の原風景

高畠町の鳥居 石鳥居の景観と信仰の原風景
編集・発行:東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター
発行日:2015年3月31日
ページ数:72ページ
平成25年度から三か年かけて高畠町の鳥居の悉皆調査の成果をまとめた調査報告書。高畠町の鳥居がカラー写真ですべて載っている。
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神社百景DVDコレクション50 安房神社・洲崎神社

神社百景DVDコレクション50 安房神社・洲崎神社
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発売日:2018年4月10日
価格:1388円+税
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若狭三方 闇見神社②

闇見神社

若狭町に鎮座する闇見神社。御祭神は沙本之大闇見戸賣命を主祭神とし、菅原道眞公、天照大神を配祀する。

闇見神社

昨年に続き2回目の参拝。

闇見神社

この御神木は2回目でも圧倒される霊気が漂う。

闇見神社

境内はやけに清掃が行き届いていると思ったが、5日に例大祭(王の舞など)があったようだ。

闇見神社

本殿に参る。中央が「闇見神社」、右に「天満大神」、左に「天照皇大神」の扁額がかかる。

闇見神社

御祈祷所と書かれた建物の中に、お札や書き置きの御朱印がある。
前回は御朱印が切れていたのだが、今日はまだ残っていた。良かった。

闇見神社
福井県三方上中郡若狭町成願寺字御手洗水12-7

若狭三方 宇波西神社 宇波西まつり

宇波西神社

若狭町の宇波西神社。御祭神は鵜草葺不合尊。
今日は違う方角から向かったら、JR小浜線をまたいだところに社号標が建っていた。
「式内 明神大 月次新嘗 宇波西神社」

宇波西神社

鉄橋をくぐると参道がまっすぐに神社まで延びているが、今日は駐車場ないので停めても良さそうな場所を見つけて歩いていくことにした。

宇波西神社

神橋を渡ると神社が見えてくる。境内は神橋から少し下がっている。

宇波西神社

神社前の道路には路駐の列。片側半分ずつ占領して一車線道路のようになっているが、いつもこうなんだろう。

宇波西神社

太鼓の音も響き、祭りの盛り上がりを感じる。

宇波西神社

拝殿まで行くと、まだ巫女舞が終わっていなかったので見る。

宇波西神社

普段は閉まっている建物も開放され、氏子らが集っている。

宇波西神社

拝殿に至る階段左に子供神輿があった。桜と合わせていい景色だ。

宇波西神社

祭礼神事が終わり休憩に入って拝殿が空になった後で、本殿に参る。

宇波西神社

午後1時になると拝殿に上がる階段に、裃など正装した方々が並び、中央の人が何かを掲げた。

宇波西神社

王の舞はなかなか始まらなかった。氏子の代表が神橋まで迎えに出る。

宇波西神社

15分ほど過ぎてようやく出てきた。社務所前に陣取っていたが、ここには笛が並ぶので前を遮られてしまった。
初めて来たのでベストポジションが分からなかったが、ここはハズレだった。

宇波西神社

それでも間から王の舞を鑑賞した。

宇波西神社

鳥居の前を同じような動作を繰り返しながら何周か回る。
結局最後まで農耕儀礼に由来するという王の舞の所作がよくわからなかった。

宇波西神社

王の舞の間に、中に飛び出そうとする人と、それを一所懸命止める人のやり取りが何度かあった。
王の舞に全く集中できないこの出来事の由来は、かつて王の舞を止めた人がおり、その村はその年豊作になったということがあったそうで、担当しない地区は豊作を願って突入するのだと聞いた。

宇波西神社

王の舞に続き獅子舞

宇波西神社

田楽舞

宇波西神社

最後に子供神輿が境内を賑やかに回って祭礼は終了した。
王の舞の後は少し人が減ったのでゆっくり見れた。

宇波西まつり 4月8日
午前3時~ 各区参拝神事
午前10時30分 例祭神事・式典
午前11時 浦安の舞
午前12時30分頃~ 王の舞
午後1時頃~ 田楽舞・獅子舞・子供神輿

宇波西神社
福井県三方上中郡若狭町気山

修験道史料集(Ⅰ)東日本篇 山岳宗教史研究叢書17

修験道史料集(Ⅰ)東日本篇
編著者:五来重
発行所:名著出版
発行日:1983年6月20日
ページ数:757ページ
定価:9,800円
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修験道の美術・芸能・文学(Ⅱ) 山岳宗教史研究叢書15

修験道の美術・芸能・文学(Ⅱ)
編著者:五来重
発行所:名著出版
発行日:1981年3月30日
ページ数:615ページ
定価:6,200円
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修験道の美術・芸能・文学(Ⅰ) 山岳宗教史研究叢書14

修験道の美術・芸能・文学(Ⅰ)
編著者:五来重
発行所:名著出版
発行日:1980年6月20日
ページ数:596ページ
定価:5,800円
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大山・石鎚と西国修験道 山岳宗教史研究叢書12

大山・石鎚と西国修験道
編著者:宮家準
発行所:名著出版
発行日:1979年4月5日
ページ数:567ページ
定価:5,800円
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